タグ

大瀧詠一に関するebmgsd1235のブックマーク (3)

  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2017/02/18
    “さらには分子にあったはずの「日本史」を分母にした新たな「日本史」が作られ、3層構造の音楽が生まれるというのが「分母分子論」”流行歌の衰退と共にこの習合サイクルが超短期化して回帰反芻=カバーがトレンド?
  • 「細雪」文庫版解説 - 内田樹の研究室

    『細雪』文庫版解説 音楽雑誌ではときどき「無人島レコード」というアンケート企画を行う。「無人島に一枚だけレコードを持っていってよいと言われたら何を選ぶか」という究極の選択である(私も一度このアンケートに回答したことがある)。 無人島レコードの条件は「何百回、何千回繰り返し聴いても飽きず、つねに高い水準の悦楽をもたらすこと」である。難しい条件だ。そのときはずいぶん悩んでアンケートに回答したことを覚えている。しばらくして、アンケート結果が掲載された雑誌が届いたときに、他の回答者はどんな音源を選んだのか気になってぱらぱらと頁をめくった。すると大瀧詠一さん(この人をどういう肩書きで呼んだらいいのか、よくわからない。私にとっては私淑する「師匠」である)が選んだのはレコードではなく『レコード・リサーチ』というカタログであった。それも1962年から66年までの分でいい、と。その理由を大瀧さんはこう述べて

    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2016/08/05
    「レコードではなく『レコード・リサーチ』というカタログ」って!大瀧さんの逸話、ハッとさせられました。今『細雪』を初めて読んだ時のエキゾチックな感覚を思い浮かべる“最大の「マトリョーシカ人形」である私”
  • 大瀧詠一の系譜学 - 内田樹の研究室

    2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。 むかしばなしを一節語って供養に代えたい。 1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。 大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記に詳しいので再録。 「行く夏や明日も仕事はナイアガラ 長く生きているといろいろなことがある。 まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。 お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。 午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなん

    ebmgsd1235
    ebmgsd1235 2014/01/12
    「音楽活動ということがアルバムづくりとかシングル製作だけに集約されるということ自体がね、おれは非常に偏った考え方だと思ってるわけ。音楽なんてそんな狭義なものじゃない」あなたの声をもっと聴きたかった。
  • 1