アチェ津波「怖さ、形で残さないと」2004年の大津波で内陸へ押し流された発電船。巨大な震災遺構として、教育公園になった=12年4月、大友良行氏撮影 2004年12月のアチェ大津波で民家の屋根に乗り上げた漁船。震災遺構として見学しやすいようにと、階段がついた=12年4月、大友良行氏撮影 【ジャカルタ=郷富佐子】 昨年6月、宮城県南三陸町の佐藤仁町長から、出張先のシンガポールに電話がかかってきた。私が書いた「震災の被災物 残すことを選んだアチェ」の記事を読み、「状況をもっと知りたい」ということだった。 「話そう、震災遺構」特設マップ 電話を受けた時は正直、どきっとした。記事では「被災物を残すという選択が、日本でもあっていいのではないか」と結んだが、「震災時に日本にいなかった者の無責任な意見だ」と叱られるのではないかと思ったからだ。 でも、佐藤町長に「インドネシアの震災遺構が参考になりますか」と