かつての江戸には、個人営業の街娼「夜鷹」が約4000人もいた。彼女たちはどんな理由でその仕事についていたのか。作家の永井義男さんの著書『江戸の性愛業』(作品社)より、一部を紹介する――。(第2回)
「夜鷹」と現代の「立ちんぼ」との決定的な違い
夜鷹は、夜道に立って男に声をかける、いわゆる街娼である。現代の「立ちんぼ」に相当するが、大きな違いもあった。
▼図版1に、夜鷹のいでたちが描かれている。画中に「辻君於利江」とあるが、辻君は夜鷹の別称。要するに、「夜鷹のお利江」である。
現代の立ちんぼは、男に声をかける場所こそ街頭でも、性的サービスをするのはラブホテルなど、屋内である。
ところが、江戸の夜鷹は物陰で、地面に敷いた茣蓙の上で性行為をした。図版1の夜鷹も、茣蓙を持っているのがわかろう。
そして、茣蓙の上の性行為を描いたのが、▼図版2である。(編集註:本記事では不掲載)
図版2で、女が男に――
「おめえ、明日の晩からはの、早く来て、髪結床の角に待っていねえ。そして、口明けに、はいってくんねえ。きれいなうちが、いいわな」
――と、言っている。口明けは、その日の最初のこと。
馴染みの客となると、夜鷹もそれなりに情が湧くのであろうか。男に対して、口明けにさせてやるから、髪結床の角で待て、と言っているのだ。
蕎麦1杯と同じ値段
なお、図版2の夜鷹は健康そうで、福々しい顔をしているが、実際には年齢が高く、不健康な女が多かった。
夜鷹の揚代(料金)は、蕎麦1杯の値段と同じとも、24文とも言われた。
比較はむずかしいが、たとえば文化15年(文政元年、1818)の相場で、24文は現在のおよそ350円に相当するであろう。つまり、夜鷹は350円で「一発」をさせていた。
揚代の安さから、また地面に敷いた茣蓙の上で性行為をすることから、夜鷹は最下級のセックスワーカーといえよう。
『当世武野俗談』(宝暦7年)に、夜鷹について――
鮫ケ橋、本所、浅草堂前、此三ヶ所より出て色を売、此徒凡人別四千に及ぶと云。
――とあり、宝暦(1715~64)のころ、江戸にはおよそ4000人の夜鷹がいたという。
夜がふけると、街角のあちこちに夜鷹が立っていたと言っても過言でない。