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実際にプレイした訳ではないけど面白いと噂で聞いた同人エロゲーの一覧を書いてみるの一覧
以上、終わり
実際にプレイした訳ではないけど面白いと噂で聞いた同人エロゲーの一覧を書いてみる
一旦ここまで。
…評判が良い同人ゲー多すぎだろ
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
大抵初めて行くところなので、勝ったとしても換金所の場所がわからない。
そういう時は景品を出してくれた店員に注意深く聞く。
「みなさんこの後どちらへ行かれますか?」と。
当たり前の話だが、パチンコ屋の景品の換金は三店方式という謎の方式によって成り立っている。
平たくいうと次のようなシステムだ。パチンコを打って勝った分はパチンコ屋で少量の金が入った特殊景品と交換してもらう。そうすると、パチンコ屋の近くになぜかその特殊景品を買い取ってくれるお店があって、そこで特殊景品がお金になる。多分この特殊景品をパチンコ屋がまたそのお店から買い戻す仕組みがあるのだろうけど、普通の人にはそこは関係ない。
ここで重要なのは、パチンコ屋は特殊景品を買い取ってくれるお店の存在を知らないことになっている、ということだ。
だから、換金所の場所が分からなくてもパチ屋の店員に「換金所はどこですか?」などと訊いてはいけない。そう訊かれたら店員の側は知らないとしか答えられないからだ。
だから俺は景品を受け取った時に「みなさんこの後どちらへ行かれますか?」と訊く。これなら店員も「みなさんどこそこまで行くみたいですね」と場所だけ答えてくれる。
なんでこんなこと長々と書いているかというと、昨日寄ったパチンコ屋は上記の訊き方をしたら「わかりません。他の人について行ってはいかがでしょう?」というちょっと変わった答えが返ってきたからだ。
俺たちはというと、園内を一通り周って完全に飽きていたので、スタッフルームに忍びこもうとしていた。
「なんだ、お前ら。こんなところで何をやっている」
「兄貴こそ」
「俺はバイトだ」
「え、でもそれ……」
「ああ……これがバイト代だとよ。まったく、ふざけてやがる。後でちゃんと換金してはもらえるようだが……」
「でも、現金には換えてもらえないって言ってたよ」
「知ってるさ。換金所がストップしているんだろ。それが再開したら換金してもらうってこと」
なら、大丈夫か。
……と思ったが、何か重要なことを見落としている気がする。
「私、イアリーチケット買ったことあるんだけど、お兄さんのそれって本当に働いた分になってる?」
「ああ、上司がそう言ってたし、一応レートを確認してみたら間違いはなさそうだったぞ」
タオナケの指摘に、俺は衝撃が走った。
「……兄貴。俺たちは今日、ジェットコースターに乗ったんだ。そこは500円、または100イアリーでやってたんだよ」
「どういうことだ。500円なら、50イアリーにしないとダメだろ」
けど、その話を咀嚼して、重大なことに気づいたようだ。
口元を左手で覆い隠しているが、明らかに動揺しているのが分かるほど表情は歪んでいた。
「ということは、俺がいま持ってるイアリーチケットは、本当に働いた分あるか信用できないってことじゃねえか!」
つまり、兄貴が換金する頃には価値が下がってしまって、結果として少ないバイト代を払わされた可能性もでてくる。
「いや……だが、価値が上がれば得する可能性もあるだろ? 実際、今は1000円が100イアリーになっているわけだし……」
ミミセンが、そう指摘する理由は俺たちにも分かった。
イアリーチケットの価値は、イアリーランドが決めているからだ。
兄貴の給料がわざわざ上がるようなことをするとは、とても思えない。
これまで俺たちが体験した、イアリーランドの阿漕なやり方を顧みても、それは明らかだ。
「こんなの許されないよ。抗議するべきだ!」
「そうだよ。出るとこ出れば、ちゃんと払ってもらえるはずだ!」
俺たちはそう提案したけど、兄貴は意外にも乗り気じゃなかった。
「いや……何で俺が、そこまでしなくちゃならないんだ」
納得はしていないけど、返品のために手間ひまをかけることが、割に合わないと思っているんだ。
「……なあ? お前らもイアリーランドに思うところはあるだろ。今すぐに帰って、家でのんびり過ごしたくないか?」
しかし、兄貴はただ泣き寝入りするような人間ではないことを、俺たちは知っていた。
「そりゃあ、まあ帰りたいけど……」
「俺が保護者として、すぐに帰してやる。その代わり、担任の先生たちに話をつけている間、お前らはちょっと“何か”してこい。子供がやる分には大目に見てくれるだろう」
多分、そんなことは分かった上で、俺たちに任せるつもりなのだ。
そして、俺たちの意見は一致した。
「おーい!」
すると、足早にこちらに近づいてきた。
その時のミョーに姿勢の良い走り方で、中身が誰かすぐに勘付いた。
俺たちの仲間、シロクロだ。
「シロクロもここで働いているんだ。お前たちに喜んで協力するだろう」
「え、でもシロクロまで加担するのはマズいんじゃ……」
「大丈夫だ。シロクロは“アレコレ病”だからな。病人なら大目に見てくれる」
“アレコレ病”は、シロクロのエキセントリックな行動に説得力を持たせるため、俺たちがその場しのぎで名づけた嘘の病気だ。
けど、なぜかやたらと認知されてしまって、今では嘘から出た真の病気になってしまっている。
「では、健闘を祈る」
この後、俺たちがイアリーランドにどんなことをしたのか、それは想像に任せる。
念のため言っておくけど、俺たちがやった“何か”とは関係ない。
「あーあ、こんなにイアリーチケットを持っているのに、今じゃただの紙切れか」
兄貴が、その紙切れを仰ぎながら溜め息を吐いている。
イアリーチケットをどれだけ持っていたって、もはや意味がない。
だって、そのチケットの価値を担保していたのはイアリーランドなんだから。
そのイアリーランドがなくなったら、チケットは単なる紙切れでしかなくなる。
兄貴は勿体無い精神から、その紙切れの使い方を色々と模索していた。
けど、“返品の法則”によって無駄だと感じたのか、クシャクシャに丸めてゴミ箱にシュートを決めた。
歌:アノニマス・チャイルズ 作詞:リチャード、マジでシャーマン 作曲:ロボット、バーターちゃうやん
世界中 どこにいる?
笑っている? 泣いている?
皆それぞれ違う かもね
anony mousd iary
anony mousd iary
anony mousd iary
ただ一人
書き込めば 同じ人
みんな 木になり 言及しよう
anony mousd iary
anony mousd iary
anony mousd iary
ただ一人
anony mousd iary
anony mousd iary
anony mousd iary
ただ一人
俺たちは、何とも言えないパレードを見ていた。
夢中になっているから、何とも言えないわけじゃない。
歌も、装飾も豪華だ。
けど、見せ掛けというか、誤魔化されているというか。
でも、具体的に何がどう悪いのか、その感覚が正しいのか、自分でも上手く説明できないんだ。
父さんの言葉を思い出す。
どういう状況で言ったかまでは覚えてないけど、きっとこのパレードがそれに近いような気がする。
係員のバイトをやっていたらしい。
俺たちと鉢合わせしなかったのは、その頃には仕事を終えて、給料を受け取る段階だったからだ。
「じゃあ、直接渡すけど、落としたりしたらダメだよ?」
お金を稼いだという実感を得るため、ナマで受け取るのが好きなのだとか。
意気揚々と、中身のお札を数えようとする。
「あの……これって」
そのお札には、イアリーランドのキャラクターがプリントされていた。
「単位が違うから分かりにくいかもしれないけど、ちゃんと現金と同じ分あるから」
当然、兄貴だってイアリーランドでバイトしていたのだから、チケットの存在くらい知っている。
「いや、“イアリー”じゃなくて、“円”で欲しいんですが……」
「それだって名目上は同じ“お金”だよ。むしろ、園内ではイアリーのほうが普及している」
「でも、これってイアリーランドでしか使えないでしょ。現金に換えてくださいよ」
「それが出来ないんだよ。換金所がゴタゴタしてて。だから君に払える給料も、イアリーしかないんだ」
お金のことを良く「便利なもの」だと表現する兄貴にとって、不便なイアリーチケットを“お金”として渡されることは不服だったんだ。
後で色をつけて換金できることを条件に、兄貴はその場を引くしかなかった。
法律 「宝くじ、競馬、etc...を除いて、賭博行為はだめぽよ!」
パチコン屋 「パチンコ屋の隣に何故かいつもパチンコ景品を高額で買い取ってくれる換金所ができるぽよ!偶然だぽよ!」
ソープ店 「うちはただのお風呂屋さんだょ。でもいつもお風呂の洗い場担当の女の子がお客さんと自由恋愛に落ちちゃってその場でエッチしちゃうんだぁ てへぺろ★」
天皇「朕、もうお仕事やめたい。。。朕は国事行為行えないけど、それは分かってるけど、一応伝えとくね。伝えるだけ!他意はないよ!(国民のお前らが気を利かせて俺の言う通りに制度変えろよ?)」
?? 「天皇陛下の意向を汲んで我々が政府に働きかけねばならん」
?? 「この度我々は生前退位を可能とするよう制度を改定しました。なお、先般の天皇陛下のご意向表明と本改正には何の関連もありません」