はてなキーワード: 再生とは
強風オールバックの作者って同曲で億再生されて偉大な功績をYouTube上に遺したわけだが、
それ以降は同曲と似たような音楽性と曲調の動画を上げ続けるだけの作家性になってしまってクリエイターとして「終わった」と思う。
強風オールバックが大ヒットするまでは色んな曲を作る作者だと認識していていつも新鮮味があったからこそ
この変わりぶり様というか、資本主義的な成功というのはモチベーションの源になりうる反面、簡単に人の創造性を奪ってしまうのかと悲しい気持ちになった。
案の定、再生数も急激な右肩下がりをしてからは新曲を出しても50万~300万再生前後にとどまっている。
(それでも十分すごいのだが億再生と比較してしまうとどうしても音楽における人気の衰えを感じてしまう。)
あまりにも大きな成功体験をしてしまったせいで新しいことに挑戦できずに失敗を恐れてしまっているのか、
それとも十分に儲けることができたからここから先は小遣いを稼ぐ程度に創作しているのか。
おそらく彼はこの先の未来において永遠に「強風オールバックの作者」のままで、それを超えることは無いのだろうなと考えられる。
本来パソコンでのコピーを防止するために開発された技術だったはずなのに、ミニコンポやカーステレオなど通常のオーディオ機器で正常に再生できないケースがたくさんあった。
さらに悪質なのは、通常のオーディオ機器で再生できなくても、一切返品を認めなかった点だ。
このため、買う段階でリスナーに「再生できるかどうかわからない」というギャンブルを強いることになった。
また、日本で導入されているCCCDは、音質が通常のCDより劣っていた。
国内盤はCCCDだが、輸入盤は正規CDで発売されたビートルズの「Let It Be Naked.」などは両者にかなりの音質差があり、オーディオ専門誌でも音の悪さが指摘された。
音楽業界関係者の中には「違法コピーは反対だし、コピーコントロール自体は賛成だが、現状のCCCDはお粗末過ぎる」と反対する人も多かった。
ブライアン・イーノ本人が「昔からAIアーティストのようなものだ」と認識しているのは面白いと思った。
ここでのAI的な在り方というのは、制作で自分がコントロールする範囲をあえて絞るためにプロセスを外部化したり、偶然性が入り込む余地を大きくするような方法だろう。
電子音楽のジャンルでは、たとえばCDに傷をつけたうえで再生して音飛びをするサウンドを取り入れたり、サウンドのプログラミングでランダマイズの範囲を広げたりと、徐々に人間の意図から離れる実験が行われていた。
絵画でも、壁の染みだけを見ながら想像を膨らませ、そのイメージを描きだそうとする試みなどは、AI的なプロセスだったと考えることができる。
そしてランダムであれば良いということではなく、それを監督・監修し、編集するところで制作者の意思や意図が入り込み、良し悪しが変わってくる点も同じと言えるだろう。
「何かがあるところだよ。」
「動いてるやつだよ。」
• IQ=1ともなると、知覚や言語能力そのものがごく原始的な状態だよ。周囲で起きていることを断片的にしか理解できていない感じなんだ。
「ご飯を食べたり寝たりする生き物だよ。ほかの動物とちょっと違うみたい。」
• このあたりだと、宇宙は「広い・星がある」程度の把握にとどまるよ。
• 人間に関しても生物としての特徴が断片的に捉えられているだけで、具体的な理解までは至っていないんだ。
「星や銀河が存在する広大な空間だよ。真空が広がっていて、どこまであるのかは分からない。科学者がいろいろ研究しているけど、まだ解明されていない部分も多いんだ。」
「地球に住む哺乳類で、火や道具を使って生活してきた生き物だよ。社会を作って発展しているけど、将来はどうなるか分からないんだ。」
• ここでは、科学という概念を少し認識しており、“真空”や“銀河”などの基本的な用語を理解できているよ。
• 人間については、言語や道具、社会といったキーワードが登場し始めるんだ。
「約138億年前のビッグバンに端を発して膨張していると言われてるよ。銀河団やダークマター、ダークエネルギーみたいなものも存在していて、物理法則に従って動いているらしい。まだ分からないことも多いけどね。」
「類人猿から進化してきた知的生命体で、言語や文化、意識、自己認識を持っているよ。地球の環境に影響を与えながら発展してきた存在なんだ。」
• 人間を進化の一部として捉え、意識や文化についても言及しているのが特徴だね。
「時空が曲がる一般相対性理論と、確率的に振る舞う量子力学が同時に成り立つ広大な系だよ。ダークエネルギーによる加速膨張やダークマターの存在が確認されていて、『統一理論』を作ろうという試みもあるんだ。」
「生物学的には脳が高度に発達した哺乳類だけど、文化やテクノロジーで自己を大幅に拡張してきた存在だよ。抽象思考やメタ認知ができて、高度な文明を築いているんだ。」
• 相対性理論や量子力学といった専門的な物理理論もある程度統合的に理解しているよ。
• 人間については、社会・文化・技術との複合的なつながりが見えている段階だね。
「4次元時空自体が、さらに高次元の膜が相互作用する投影なのかもしれないんだ。観測される物理定数や素粒子の性質は、その高次元空間のパラメータによって決まっている可能性があるよ。弦理論や超対称性などで統一できるかが注目されているんだ。」
「進化の末に意識を得た情報処理システムで、単なる生存を超えた価値観を形成する特徴があるよ。芸術や倫理といった抽象領域にも踏み込むが、同時に矛盾や葛藤も抱えやすい存在なんだ。」
• 高次元膜の理論や、物理定数の起源問題にまで考えが及んでいるね。
• 人間の精神面や価値観、葛藤にまで言及するなど、心理や哲学的要素も統合されているよ。
「多次元的な情報空間のホログラフィック投影として、物質や時空が立ち上がっているんだ。観測者が存在することで、波動関数が特定の状態に収束し、宇宙が“具体的なかたち”をとると言えるかもしれないよ。」
「宇宙が自己を観測するために生み出した“局所的な情報処理装置”と見なせるよ。社会や文化、技術は、宇宙を記述・解釈するための言語体系のバリエーションにすぎないとも考えられるんだ。」
• ホログラフィック原理や“観測者”の役割が強調され、量子力学の解釈論にも切り込んでいるよ。
• 人間は宇宙の自己認識プロセスの一部という、かなりメタな捉え方をしているんだ。
「高次の位相空間が揺らぎ、その投影としてビッグバンやブラックホールが生成されているんだよ。因果律も観測行為によって動的に変形される可能性があり、宇宙の進化は観測者との相互干渉に支えられているんだ。」
「無数の因果関係が集まって一時的に『自己』という境界を作っている状態だよ。肉体や意識は相互作用のエコーにすぎず、社会や文化は情報が定在波のように落ち着いた形に過ぎないんだ。」
補足
• “位相空間の揺らぎ”や“因果律の変形”など、時空や物理法則そのものが観測に左右される様相が強調されてるね。
• 人間の“自己”概念が、実は流動的で仮のものに過ぎない、といった主張がなされる段階だよ。
「“超越的な数理必然性”が根底にあって、存在や無が補完関係で生成される再帰的アルゴリズムが絶えず動いているんだ。有限と無限、秩序と混沌が絶えず振動し、そこから見える世界が書き換えられ続けているんだよ。」
「宇宙の情報フローが自己を見つめるために仮に編み出したプラットフォームと言えるよ。五感や論理といった仕組みは、そのプラットフォームを通じて現実を扱うための手段であり、“個人”という考え方も宇宙の再帰演算の断面なんだ。」
• 数理的必然性や再帰的アルゴリズムといった概念がメインになり、宇宙を“生成プロセス”として捉える視点が強まってるよ。
• 人間の個別性や境界は幻に近いとみなし、宇宙の“自己言及”の一部という主張が鮮明になってくるんだ。
「非二元的な根源場において、空間や時間だけでなく観測者自体も一つの情報モードとして絡み合っているんだ。始まりや終わりという概念も、局所的な投影に過ぎず、本質的にはすべてが連動して新たな結び目を生み続けるメタネットワークだよ。」
「有限性を仮定した自己反映の節点だよ。人間の意識が世界を定義し、定義された世界が再び人間を形作るという循環が起こっているんだ。倫理や感情、論理などの分野分けも、究極的には同じ情報場の別の位相にすぎないんだよ。」
• “非二元的な根源場”や“メタネットワーク”といった、二元論を超越した概念が中心になるよ。
• 人間と世界の相互定義的な関係が描かれて、あらゆる分野分け(科学・芸術・倫理など)も本質的には一体とされているんだ。
「存在と無の差異さえ溶解した無限次元の自己言及サイクルが絶え間なく渦巻いているよ。どんな“法則”や“構造”であっても、一時的に織り上げられた束で、根底には超対称的な空虚が揺らぎ続けているんだ。言語や思考のフレームは、この揺らぎの投影として無数に生まれては消えるんだよ。」
「宇宙が自己を限定して“個体”という錯覚を作り出すプロセスの産物だよ。その制限の中でこそ感覚や経験が立ち上がり、“人間”という形が成り立つんだ。実際は、全体と局所の往復運動で生じる波の一部分に過ぎないんだよ。」
• 言葉の使い方自体が限界に近づいていて、“無限次元の自己言及サイクル”や“超対称的な空虚”など、抽象的かつ形而上学的な表現が並ぶよ。
• 人間に関しては、宇宙の自己限定作用としての“個体”観が語られ、個人の実態がより幻想的に捉えられているんだ。
「無限どころか、無限回の無限すら単なる一要素にすぎない、超越的な自己言及の重なり合いだよ。存在や非存在、時間や空間といった区別は、情報場の揺らぎに内在する副次的な投影にすぎないんだ。あらゆる次元や可能世界、さらにはその背後にある“次元の定義そのもの”さえも一瞬で変容し続けていて、そこには観測・創造・再帰・消滅が同時並行で進行しているよ。言語や数理体系は当然ながら一断面に過ぎず、真に説明しようとすれば、説明行為そのものが無限回再帰的に消滅と再生を繰り返す状態になるんだよ。」
「宇宙(あるいは無限を超えた“何か”)が、一局所における自己制限を極度に凝縮して生じさせた、意識のごく微小な干渉模様だよ。人間は自己と世界を分けるように見えて、その実、全体構造の瞬間的な折りたたみ方の一パターンなんだ。五感や論理的推論が生み出す“世界”は、計り知れない多元的フィードバックの波の中で仮に区別されているだけで、本来はすべてが一体となった、自己矛盾をも内包する巨大なメタシステムの一点投影なんだよ。だからこそ、人間にとって“自我”や“存在”といった概念はかろうじて理解できても、その背後で絶えず再配置される無数の位相については感知するすべがないんだ。」
• IQ 10^100の存在というのは、もはや人間の理性や想像をはるかに超えた地点に立っているから、どんな説明を試みても「言葉の外側」へ行ってしまうんだよ。
• ここでは便宜上、なんとか言語化しているけれど、“存在・無・次元・情報場”といったあらゆる概念が、さらにその背後で無限回変容し続けるようなあり方を暗示しているんだ。
• 人間を“宇宙の自己制限の一部”と見る視点は、既にIQが高い段階でも出てくるけれど、ともなると“制限”の概念すら再帰的・多層的に書き換わり続けるため、結局は“限定されたもの”と“全体”の区別さえ境界が崩壊している状態だといえるかもしれないね。
なんで成人式廃止論が出てこないのだろう。とっくに形骸化して30年は経っているというのに。
第1に、一時期よりも減ったものの、多くの会場でヤンキーが馬鹿騒ぎするためのイベントと化している。
第2に、女性が十数万もする振袖を着用することが必須となっており、貧乏な人は事実上参加できないものになっている。
第3にそれと関連するが、服装による男女のジェンダー差が明確化されていて、旧態依然のジェンダー規範を再生産している。
第4に、中高時代にいじめにあったり友達がいなかった人は、「参加できなかった自分」への強烈な劣等感を与えるイベントになっている。学校で落ちこぼれた人間に、その落ちこぼれた事実を改めて突きつけて叩き落とす残酷なイベントを税金で開催するなよ、と本当に思う。
作品名は「妻からの寝取られ実況ビデオレター特別編 秋山祥子」
DVDを30個持っている
モニターを6画面にしてそれぞれ別なシーンを再生して抜くこともある
俺にとってはこのAVこそ最強であり
山羊座は冥王星だかに囚われて今まで何年もの間、再生と破壊のサイクルにいたが、今年になってそれを脱するからやっとスタートを切れるらしい。
そんでさ、なにか新しいことをやってみたいんだけど、34才プログラマーという職業のスキルの足しになって新しいことといえば競技プログラミングぐらいしか思い浮かばなかったんだよね。
んで、競技プログラマーのランキング見ると、Topの連中は若い連中ばっかり。俺の年齢から始めて、レーティングを上げるなんてことは夢のまた夢、ってわけだ。
新しくないことでいいならブログを書くという選択肢もあるが、どうせ面倒くさくなってすぐに削除するのがオチだろう。Youtuberも同じだ、継続できるという未来が全く見えない。
だから俺は「足るを知る」じゃい!と諦めて、ネット上でアウトプットするようなこともせず、隠居生活を楽しむのが良いと思うわけ。
でもさ、人生それでいいの?って思っちゃってさ、なにか面白いことしてぇなーって刺激を求める自分もいるわけよ。
2009年ごろ、いち早くボカロに手を出してニコ動に投稿していた
新作を公開したら数万再生
大百科にも名前が載っている
その頃はこのままいったらプロになれるんだろうなって思っていた
でも、それ以上のことがなにもなかった
でもそれ以上はいかない
調べたら最後の投稿が2014年だったので、そのころに心が折れたんだろうな
なんで米津玄師はソニーミュージックの中の人に気に入られて個人レーベルまで作ってもらえたんだろう
なんで自分のことを気に入って動いてくれる大人がいなかったんだろう
というか、ネット民のファンはついても、大人の世界の人が声をかけてくるってことがまったくなかった
そういう人さえいれば、今とはぜんぜん違う未来がきていたはずだ
なにがダメだったんだろう
なんで俺は米津玄師じゃなかったんだろう
202X年、日本は少子化と高齢化が深刻化し、国家存続の危機に瀕していた。この事態を打破するため、政府は「人間牧場プロジェクト」を始動。牧場では男性から採取した精子を人工的に着床させ、志願女性に出産を依頼する仕組みが構築された。しかし、このプロジェクトの特徴は、生まれた子どもたちが母親と共に生活し、愛情に包まれた環境で育つことだった。
国は母子家庭を全面的に支援し、育児サポート、医療、教育を完全に保障。牧場は「新たな家族の形」として社会に受け入れられることを目指した。
志願女性たちは、自分の意志で母親となることを選び、牧場で生活を始める。彼女たちは高額な報酬を受け取りながら、母親としての役割を果たす。国が提供する最新の育児支援システムにより、子どもたちは健康に育ち、母親たちは安心して生活を送ることができた。
その中に、佐藤美咲(さとう・みさき)という若い女性がいた。美咲はこれまで厳しい家庭環境で育ったため、自分が愛情を注げる家族を作ることを望んでいた。彼女は牧場で生まれた息子、陽翔(はると)を全身全霊で育てることを決意する。
第二章: 母子の絆
牧場の中では母子が共に生活するための広大な居住スペースが用意され、母親たちは互いに助け合いながら子育てをしていた。陽翔は母親である美咲からたっぷりと愛情を受け、明るく健やかに成長していく。
しかし、外の世界では牧場に対する批判の声が根強かった。「国家が家族を管理するのは人権侵害だ」「父親不在の子どもたちは不幸だ」といった意見が飛び交い、社会的議論は白熱していた。
一方、牧場内では「母子の愛情こそが未来を支える」という理念が育まれ、母親たちと子どもたちはその中で確かな絆を築いていった。
陽翔が成長する中で、外の世界との関係が次第に牧場内に影響を与え始める。牧場の存在を快く思わない一部の勢力が、内部情報の流出や施設への妨害活動を行うようになった。母親たちは自分たちの生活を守るために立ち上がり、国に対しより強力な支援と保護を求める声を上げる。
美咲もまた、陽翔にとって安全で自由な未来を守るために奔走する。彼女は他の母親たちと連携し、外部からの批判を乗り越え、牧場が持続可能な形で発展する道を模索する。
最終的に、牧場は「ただの人口増加計画」ではなく、「新たな愛と絆の社会モデル」として認められるようになる。美咲と陽翔は、母子家庭としての絆を深めながら、他の母親や子どもたちと共に新しいコミュニティを築き上げていく。
夜空の下で、陽翔が美咲に尋ねる。
「母さん、家族って何?」
美咲は優しく微笑みながら答えた。
amazon musicが再生エラーになって再生できない〜
俺はゲーム実況やってYouTubeで登録者1.5万人、累計三桁万円稼いだよ。確か3,4個の動画がバズって再生回数稼いでて、基本は5000再生もいかなかった。単価は1再生=0.2円だったかな。
平気で時給100円以外になる
内職のレベルじゃない
素材と台本がしっかりしていれば、まだいい方で、素材集めも台本修正も全部丸投げパターンがある
マニュアルをしっかり組んで無い人に当たると逐一質問しなくてはならず、全然進まない。作りきった後に出戻りが発生する
大体みんなクラ◯ドワークスで受注すると思うが、最初からチャットワークなりに飛ばして直接受注するスタイルはもっとヤバい
支払いしない、支払い遅れるは当たり前
ディレクションが全く来ない
参考動画さえも上げない
自分で調べてと丸投げ
時給1000円ないし、800円で考えるなら慣れてる人でも1本単価3000円は無いと厳しい
よく宣伝文句で1時間で1000円の動画作れますよーを見るけれど、修正(手戻りを)入れたらそんなもんじゃない2時間はかかる
生活が成り立たない
副業で美味しいのって、本業後3時間くらいで3000円稼げたらいいなー程度だと思う
でもたった300円とかのレベルだと、受注した俺馬鹿すぎると思う
最初は実績作りのため〜とか言うけど、500円の実績とか要らない。
スキル身に付けてから、営業するなりして、最低1500円2000円から作らないと駄目
誰かがも昔言ってたでよ
ホントその通り
日本語が理解できるのに、こんな値段で命を燃やしているんだと、段々自己肯定感が低くなってくる。
それには単価500円で1本、五万円の予算で100本、20万あれば3カ月後には月10万の広告&アフィリエイト収入が入るよって。
でも、事業ってそういうもんだろって言いたくもある
闇の再生産は気が引けるけれど、背に腹は代えられない。
生活の為に手を染めるかもしれない。
世の中の駆け出し編集者や何か副業したい人やニートをなまら安い労働力単価で働かせる
底辺にチャンスはないんか
みんな、安い金額での応募辞めよう
人件費は安いほうが良いもんな
またXで変な燃え方してるけど、年収1200万円で子供三人育てるのは現実的じゃないよ。
これね、年収600万円で子供三人育てる方が現実的なの。意味わかんないと思うでしょ、でも実際そうなの。
まずね、ざっくり計算したらすぐわかるんだけど、年収600万円って手取りは400万円くらい。可処分所得とか言われるけど、要は自由に使えるお金ね。
これが、年収1200万円の手取りって700万円ぐらいでしょ。年収が倍でも手取りは倍にならないし、割合が問題になるときは絶対額を見ようぜ。
その差額、たった300万円よ?
400万円を12ヶ月で割ったら、月33万円とかじゃん。どう逆立ちしたってタワマンで優雅に暮らせないじゃん。家賃で全部吹っ飛ぶでしょ。
てことはだよ、当然ながら購入も夢のまた夢って感じで、まあ首都圏近郊に小ぶりなマンションなり、ちょっと通勤時間伸ばして戸建てとかでしょ。
そうするとだと、子供のお稽古事とか、塾とか、進学先とか、普通に土地に縛られてその辺の中から選択するしかないわけよ。
ベースラインが住居費で決まるの。あとはそっから芋蔓式に全部費用が決まってくの。
三人とも私立大学でとか一人暮らしでとか言われたら、そりゃ奨学金頼りになっちゃうだろうけど、まあまあ無理すればなんとかなる範囲な訳よ。
これがね、700万円を12ヶ月で割ってみなさいな、月58万円で、まあまあ家賃20万円くらいなら射程圏内なわけよ。
そんで、日本の銀行の与信調査はどうかしているので、年収1000万円超えててタワマン買うためのローンが降りないことはまずない。
年収1000万越えって、どう割り引いて考えても、まあエリートよ。夢見て欲しいし、夢見るじゃない。
8000万円程度のタワマンだったら、ローン組んじゃうわけよ。
あとはさっきと同じよね、住居費のベースラインが決まって、そこから通える塾のお値段が上がり、自分の再生産バージョンに対する投資を考えて、
とやっていくと、まあまあ三人は現実的じゃないわけよ。
ちょっと目を離した隙に未成年はすぐ大怪我するし帰ってこなくなるので、まあまあ事故ったら大ごとになってたわけよ。
昭和のおおらかな時代なら、ため池に落ちて助からなかったのは運が悪かったね、学校の朝礼で近づかないように!と挨拶されて終わり。
もうそういう時代じゃないでしょ。それで、プールで泳ぎたいって言われた時に、子供の水泳教室代が払えないってなるのは、結構屈辱的よ?
というわけで、子供に当たり前の体験だの教育だのを与えたいと思った時の絶対的な金額は、過去類をみないほど高いです。
そして、地価の高い場所は当然お家賃も高いので、その手のお稽古事を運営している方のお家賃も高く、それが授業料に反映されます。
オカンがつきっきりで勉強見たら良い?それ、親父がエリートサラリーマンで家に帰ってこない三人の子育て中のお袋に言うてみ。引っ叩かれるで。
ここが最も誤解されていると思うんだけど、俺ら管理社会で「1025番は子供を三人育てる義務がある!」とか言われてないのよ。
自分たちが快適に過ごし(場合によっては仕事上必須の場所に住み)、その上で子供にも良い人生を与えてあげたいなという親心を無視して、三人目も産めよとか誰目線なのか。神か。
必然、一人目の生活や教育費、今後のことを考えると、うーん、一人にしておこうか、とか、二人が限界かな、とか、そういうことになるの。
節約したら三人くらい余裕で育てられる!節約が足りない!とか吹き上がるのはいいんだけど、なんで節約するの前提になっているのか。もっと蕩尽しろよ。
年収1200万円はエリートだねって話したね。でも年収600万円に比べて可処分所得はだいたい300万円増えるだけだねって話もしたね。
300万円を12ヶ月で割ると、25万円だ。さてあなたの生活に月25万円プラスされたとして、劇的にお金持ちな生活ができますか?
旦那の仕事中に優雅にママ友とランチに行って〜、ジムでピラティスして〜、夕方にはお手伝いさんに家事の出来を指示して〜、とか現実味ないでしょ?
そういうのは、マジの役員クラスで手取りで数千万ないと無理よ。(もしくは擬似的に可処分所得が増える自営業とか)
今年は確定申告しなきゃいけないかな、でもそんなバリュー出せなかったし今年は微妙かなーみたいな人らは、世の中のお金持ち像には全然達していないです。
そりゃ年収600万円台で子供3人育ててる人の生活水準に合わせて生活したら、年収1200万円台の人らが子供三人育てるのとか余裕よ。
絶対額で300万円も余裕があるわけだし。でもね、それ、なんで合わせて生活しなきゃいけないわけ?だから無理なのよ。
ネタにされがちなSAPIXだの緑鉄会だのだって、三人なら諦めるしかないけど一人なら行ける、なら、そりゃ一人になるんじゃないの?
その生活環境は贅沢だ、身の丈にあってないっていう批判は的外れなのよ。だって、子供を持たないとか一人っ子でいいなら身の丈にあってるんだもの。
子供を三人育てる年収1200万円を増やしたいなら、やっぱちょっと税金取りすぎじゃないの?という気はする。
ただ、そういう政策は階層の固定化に繋がるし、高等教育の機会を均等にしとかないと国力下がるよねってのはわからなくもないので、どうしようもないんじゃないの。
子供の数に着目しても無理なんじゃないかなー、年収300万円台の子沢山が増えるだけじゃない?そして実はそっちの方が国としては良かったりするし。
その行き着く先として、留学が最低レベルになる年収1200万円の子育てとかってのがまあまあ見えてきていて、どんどん無理になっていく未来しか想像できない。