はてなキーワード: プライベートとは
事件があったとされるのが2023年6月中旬。7月の中居正広ラジオON & ON AIRでは行為を暗喩するようなトークがあった。
2023年7月1日の放送ではスピッツ 「渚」を流す。周囲からは「ヒヒヒw」「これってw」とスタッフの薄ら笑いが聞こえる。
2023年7月15日の放送では「渡辺」美里のMy Revolutionを流す。
27時間TVや音楽の日で多忙、イライラしていた。スポーツ選手もプライベートで色々あるだろう。嫌な奴と言われることもあろう。視聴者は気づかないだろうが、テレビのタレントも公になっていない裏では色々ある。バラエティも裏では色々ある。僕も「そっち側」なんだ。
お風呂に入って気持ちよかった。「あ゛ーーーー!お゛お゛ーーー熱ぅーーーい!気持ちぃーーー!」と声が出た。
ゴルフ後、家でシャワーを浴びていたが、ゴルフ場でシャワーを浴びたら気持ちよかった。今まで「裂けていたものや人」を変えてみよう。年を取って可能性を狭めるのではなく、新しい経験をすべきだ。今まで避けていたモノを取り込んでみよう。若い時からの慣習を変えるのは重要だよ。若い頃は人を傷つけたりしていたが、今の年齢なら人を傷つけないテクニックがある、はけ口もある。お風呂の経験を応用できるんだ。変えたら快適かもよ。失敗したら、また反省すればいい。
私が採用担当ならば、既婚者の男性を選びます。妻子のいる男性は役に強く、高い労働強度の仕事を全うすることが可能です。
失職すれば妻子にも苦労をかけるという心理が働くためです。
このような理解しやすいバックグラウンドを持たない未婚者は、たとえ優秀であっても信頼する根拠に欠けます。特に、上級職員に対し推薦する際に材料がない場合に採用が難しくなります。
実際には未婚の男性の一部にはプライベートの時間を業務や関連の学習に費やす者がおり、非常に高いパフォーマンスを発揮します。
注目すべきことに、このような働き方は既婚者、とりわけ子供をもつ労働者ではほとんど見られません。
にもかかわらず、上級職員にとって理解しやすいという理由により、既婚という属性の者が優先されることは、従業員の多様性を低下させる要因となっています。
かつて高度経済成長支えたオーモーレツのような働き方をするよりも、プライベートに時間と金を使う方が、結果的に社会的に成功するという傾向は、働く意欲を低下させる可能性があります。
30代を越えた。
20代前半から中盤にかけて、プライベートでの人間関係や、働いていた時のパワハラやモラハラから鬱病になり、会社を辞めた。
鬱は一生治らない、とも言うが、該当のことから早数年。
ろくに社会復帰も出来ず、派遣や何やらを短期間で繰り返すばかり。今は半ニートのような生活を送っている。
以前の事がトラウマになってて、だなんて言って、就職する事を恐れ、毎日を過ごしている。
正直、もう数年も経っているんだから、これは甘えだと自分の中で思ってる。
元々、自分は自堕落で怠惰な人間だと思うし、だからこそただ怠けているんだとも思う。
何が言いたいかと言えば、こんな状況から立ち上がった人や、いや自分もそんなもんだし、人はそう変わらんって人がいるなら見たい。
単純に将来への希望が持てないし、自分が健やかに平和に暮らせるビジョンも見えない。
今はまだ若いし、趣味もあるし、仕事もある。だがこれが40代、50代になったらどうだろうか
考えるだけで悪寒がしそうだ。
自分は恋愛経験がないので、将来家庭を持つビジョンが見えない。子供が嫌いなので子供を持てるとも思えない。そもそも結婚できそうにない。
マッチングアプリを始めようと思ったけど、そこに至るまでのハードルが高い。あんなん基本実家暮らしのこどおじなんて門前払いを食らうだろうし、そもそも自分の顔が、女性が一緒に隣を歩いてくれるのに耐えうる顔面に設計されていない。
というより、恋愛に掛けられるお金や時間がない。服装には気を使っているつもり(ユニクロだけど)だが、それはあくまでも「周りに不快感を与えずに年相応の格好をするため」であって、女性に好かれるコーデではない。そんなものは知らない。
他人に気を遣うのが疲れる。恋愛弱者なので、女性へのアプローチの仕方が分からない。何か失敗したらどこかで晒されて愚痴られ話のネタに昇華されるのに耐えられない。というかそもそも、自分が他人を幸せにしてあげられるビジョンが一切見えない。十中八九、傷つけて終わりだと思う。
そんなわけで、こんな世の中だし、まともに恋愛をするのは諦めた。それでなんでそんなに金と時間がないのかというと、自分が地下アイドルや女性声優に現実逃避をしているからだ。彼女らとはあくまで客と演者の関係だし、気を使わなくて済むし、無難な服装・言動等をして社会的な常識から外れなければあちらも文句を言ってくることはないからだ。(イベント会場とか行くと文句の一つも言いたくなるであろうオッサンは多いけど)
接近現場を重ねていくうちに彼女らに顔と名前を一致してもらえて認知され、自分の色んな事を知ってくれて会話が盛り上がったり、ファンレター・プレゼントを出して疑似恋愛を体験している。彼女らが九州や関西でライブ・イベントをすることがあれば遠征し、旅行をしている気分になる。
現実の一般女性と恋愛するより、全然疲れない。まさに理想のビジネスモデルだ。
しかしそんな関係は長くは続かない。彼女らは30代、早ければ20代後半には「ご報告」をする。そのたびに自分は、また何もしないまま時間だけが流れてしまったな、と自責の念、後悔、将来への絶望に打ちひしがれることになる。
今度は更に年下のアイドル・声優に乗り換えることだって可能かもしれない。でもそうしたところで、自分の「延命治療」をしているに過ぎない。彼女らがまた30代に近づくと、いつ来るか分からない「死刑宣告」に怯えながら過ごすことになる。そしてまた10代後半の新人アイドル・女性声優に乗り換えていく。こんなことを繰り返して自分の一生は終わっていくのだろうか?
勘違いしてほしくないのは、自分は彼女らと結婚したいわけではない。そんなプライベートな関係になったら、先ほども言ったように疲れる。
客と演者の関係だから気を使わなくて済むのに、そこを超えたら一気に面倒くさくなる。そうなりたくはない。だから、疑似恋愛が一番、幸せなのだ。
だが、これではいけないとマッチングアプリを始めようとするが、20代の貴重な若々しくてスタミナも有り余る時期を女性声優・アイドルに費やしてきた時間とお金はもう戻ってこない。一人暮らしの経験がないから生活力がない。オタク同士の飲み会しか行かないから、内輪ノリでしか盛り上がれない。貯金もほとんどない。
女性声優やアイドルには出演作品の感想・Twitterで見たあの写真が可愛い、あの時のイベントが楽しかった、そんな会話ばっかしてるから一般女性と何を話したらいいのか分からない。故に会話が絶望的につまらなくなる。
前に、友人に「女の子紹介してよ」と冗談交じりに何度か言ったことがあるが、進展はなかった。「こいつに紹介する価値はない」と思われている。
趣味ではなく仕事に打ち込むだとか、一人で完結する趣味(例:釣り、盆栽、ソロキャンプ)を始めるという手もあるが、なんか、そこまでして生きたくない。自分自身のプライドが思ってる以上に高いのだろうな、と自己分析している。
自分は、確かに仕事に打ち込もうと思えばこの業界のたくさんの資格を取って、勉強して、今の職場でたくさんの実績を作って、それを武器にどんどん上流の企業に転職して、技術者になっていく。学歴もあんまり重視されない業界だから、叩き上げで上り詰めることだって可能かもしれないが、そんなのは机上の空論で実態は平日の昼間にこんな増田を書いているのだから自己成長なんてできるわけがないと肌で感じている。
一人で完結する趣味を始めようにも、そこに手を出す好奇心・探求心はもう失われてしまった。恋愛に手を出さないのと同じかもしれない。新しいことを始めるのに疲れてしまった。フットワークは重い方ではないが、それは今の趣味の中だけの話であって、今から全く未知の業界に飛び込む気力がもうない。深夜アニメを見れなくなったオタクみたいなものだ。
このまま歳を重ねていくと、そのうち「自分じゃなくて社会が悪い」「女が憎い」とか言い出すモンスターになってしまうのではないか、と不安になる。そうなる前に早く消えてなくなりたい。しかし、唯一恩があるとすれば、やはり両親だ。自分より先に息子に旅立たれるのは、やはり想像し難い辛さがあるだろうから、そこに迷惑はかけられない。幸い、姉には子供がいる。孫の顔は見れているのだから、自分はいなくてでもいいだろう。
現状、自分は「国が悪い!国のせいだ!」とか言い出すモンスターにはなっておらず、死ぬ前に社会に復讐してやろうとかは考えていないので、大人しくひっそりと旅立ちたいものである。母親は今50代前半。平均寿命からいっても、あと20年近くは生きないといけないのかもしれないが、自分で自分の人生に区切りをつけるというのは、ある種のモチベーションになりうる。それを糧に、もうちょっとだけ、アイドルや女性声優に現実逃避をしていこうと思う。
被害者本人、本当にここまでSNSで大騒ぎになることを望んでいるのだろうか。もし自分だったら苦しみに静かに寄り添ってほしいとは思うけれど、日本中で話題の中心になりたいとは思わない。同じ目にあったら自殺考えると思う。
特に判決を公開しろと叫んでいる連中、犯罪被害の非常にプライベートな話を自分達に「消費させろ」と言っているに等しい。
判決は被害者本人のみに公開の権利があるそうなので、もし本当に本人が社会問題にしてでも勝ちたいと思うのなら公開するかもしれない。
今デモだの署名活動だのネット記事の発表だの、やってる活動家は何の権利があって拡散してるんだろう。こういうの見てると、SNSの正義は自分たちの群れのための正義で被害者のためのものじゃないなとつくづく感じる。
2年以上月一くらいで通っていたオキニがいた。小柄でおっぱいも大きく可愛かった。
映画やネトフリでドラマをよく見る趣味が同じであって、実は同じ映画館で同じ時間に同じ映画を見ていたことも話をしていて判明したこともありました。
今年の初めくらいからオキニからの自分に対する仕草が変わってきているのはなんとなく感じてきた。
例えば、
風呂入ってベッドに座って話していると突然甘噛みしてきて噛んじゃったとか言ってきたり、
調子悪くて逝けなかった時なんか普段相手してくれる人とかいるのとか、いないって言ったらなんで別れたのとかプライベートを聞いてきたり
向こうの家族とかプライベートなことを聞いていないのに色々教えてくれたり、
どこに住んでるのとか聞いてくるので場所教えたら今度引っ越しするときはそっちの方にしようかなとか
まぁ、その他色々聞いてきたけど割愛。
新手の色恋営業かなって思ったけど1年以上毎月通ってるのに今更そんなことするのかなって思って夏に遊びに行ってお店から出る時に来るのわかってるのにまたきてっていうからなんできて欲しいのって聞いたら、
好き!って言ってきたわけ。
面食らってマジで?って聞いたらうんっていうもんだからちょっとこっちも悪い気はしなかった。
で、その次遊びに行った時LINEを交換したわけ。仕事用のアカウントかなって思ったら本名でプライベートのだった。
やりとりもそんなに頻繁にしていたわけじゃないけど趣味の話とか日常的なやり取りがメインでLINEは送ったら即既読で速攻返事返ってくる感じで完全にプライベートなやり取りで姫予約とかは一切しなかった。
9月にオキニが1ヶ月くらい私用でお店休むってことがあって予定合うんだったら映画とかご飯でも行こうかって話したら考えること同じだねって向こうも乗り気だったのよ、結局予定合わず行けなかったけどさ。
で、先月に遊びに行こうかと思ったら風邪ひいたっていうからキャンセル、その次も実家の親が病気でキャンセルになったのよ。
こんな時もあるよなって感じで今月初めに2ヶ月ぶりに会ってきたのよ。
で、今までなかったんだけど合うなり抱きついてきてさ、これはやっぱり色恋営業じゃないんじゃね?とかやっぱり思うわけ。
で、予定合うんだったら映画とか食事でもって再度聞いたのよ、嫌だったら断っても構わないよって付け加えて。で、嫌じゃないっていうわけだ。
その日は特に変なことしたり言った覚えもなく普通に家に帰ってその日のお礼のLINEを送ったんだけど何故か既読無視。
オキニは昼職もしているからいつ空いてるとかはすぐに確認はしないで先々週くらいにLINEして誘ったのよ。
そしたらなんか返事もそっけなくて何回かやり取りして最後は既読無視。夜11時くらいだったから寝ちゃったかなと思って次の日に送ってみたらずっと未読。
なんか変だなと思ったらブロックされてた。はぁ?なんでって感じ。
で、クリスマスに出勤予定だったから会って理由でも聞くかって店に予約電話したら、
「増田さん、女の子からNG出てます。店としてではないので他の子なら大丈夫です。」
は?なんで?って一瞬思考停止。
「あの、理由とかは...」って聞いたら「うちは女の子に理由は聞かないんです。そういう指示です。」
そんだけ。
今まではいろんな女の子と遊びたいから1回入っては別の子ってのを繰り返していて同じ子と何度も遊ぶのって初めてだったんだよね。
やっぱこれ以上関わると何かエスカレートしてきてヤバそうとか思われたのかな。
ホントはどうだったかなんて今更確認しようがないけど、ちょっと凹んで流石に暫くはソープに行く気になれないや。
FANZAにセールで買ったビデオが見ずに溜まっているからクリスマスはオナニーでもしよ。気分的に勃つか知らんけど。
いつも通り、特にメンクリの先生に話すことないので、世間話のつもりで「人生がつまらない、恋人いないし、これ以上出世もしないだろうし」と言ったら、見た目を磨けと言われた。
先生曰く、
仕事もプライベートも見た目がいい人の方が、良いことあると。多少金かけろと言われた。
若い頃は少しは手入れしてたが、今はほとんど自分の見た目に興味がなく、服もメイクもテキトー。
この歳になって、見た目を磨くのに何からやれば良いのか分からない。
おそらくこれは自身が周りからどう見えるのかを認識して知覚して記憶したいという欲求に近い。
この欲求は多分に内向的であり、インターネットに日記を書くことと、瞑想と違わないことを示している。
私は承認欲求でインターネットに日記を書くのではなくて、唯々鏡を見たくて、自分の考えたことを野に放つのである。
ああ、それなのに、ちょっとインターネットでつぶやいたくらいでわーっと炎上するのが世の中。
私はそういうのが嫌になって、ツイッターをやめたときからずっとインターネットで日記を書くことを躊躇してきた。
昔のツイッターは気軽で良かった。
そりゃ確かにインターネットで書いていいことと悪いことがある。その区別がつくかどうかは実際にブログをやるかどうかの判断の分かれ目だろう。
私は表現方法に自信がない。プロじゃないんだから。間違うこともある。いや、プロだって言い方間違って会社に謝罪文出させてるのが現実。
それで自分がもし間違えたら…という心配もあるし、将来的に指摘されるのも嫌である。鏡自身が正しく現実を映して、正しいからこそ嫌なことを思わせることもあるし、これはモノのたとえだけれども、鏡を見た人が心無いことを悪意なく、あるいは正義感から言ったり迷惑だから失せろと言ったりしてくるかもしれない。ああ。やめようかな。どうしようかな。でも一回やってみようか。
ここで有名な『嫌なら見るな』論というものを少し擦ってみる。少なくともここでこれを今書いてるワタシ自身については、お金もらってるわけじゃないし、ただオノレの外界に吐き出したものをしげしげと見たいだけなんだ。そういう飾らない人間自身は、虚飾のないと言ったら聞こえは良いが、そもそも見目のよいものではない。人の吐瀉物なぞそもそも汚いモノなので嫌なら見にいかない方がいんじゃないだろうか?ザッピングという活動にもそれ相応の覚悟が必要なんじゃあないだろうか。困ったことに私は私の出力した生データが見たい。出力しないと見れない。こっそりと出力させてほしい。他人の排出物(創作物ともいう)に価値を見出した人だけ、どうぞその解釈にご自身の時間を使ってほしくて、それが自己体調管理であり、取捨選択であり、自由意志であり、素晴らしい生き方なのではなかろうか。他の生物のニオイを嗅いで情報を取得するまでは本能かもしれなくて、それでも脊髄反射あるいは自由選択によるモノで誰かに強制されたわけではないのだから、その後のことは自分で責任を取ったら良いのでは?他人の屁を臭い臭いと言ってる時間があれば即離脱してもっと有意義なことに貴重なお時間を使ってみるのはいかがですかと誰か言っていなかったっけ?
荒らしよくないって話もある。こないだとあるマイナーなSNSを試してみたらいきなりテンプレ的な荒らし画像が出てきて即アンインスコしたんだよ。悪意を持ってヘイトを叫ぶために投稿したりとか、他人にショックを与えるために荒らすのは良くないと思うんだ。普通に考えたら規約違反だし。そのSNSは通報機能とか規約とかブロック機能とかないやつだった。規約があるのは大事。規約を読むのも守るのも大事、通報するのも大事。でも、どこからが荒らしで、何から通報なの?それはもしかすると白黒つかなくて、テンプレ的な荒らしではない、新しいタイプの荒らしと思われるのも本当に嫌だなあと思って。なぜかというと、自分の吐き出したものを書き出してマジマジと見ないといけない、そうしないと超絶個人的な瞑想ができないんだってことはきっと他人(ソーシャル)には理解されないからなんだよね。ソーシャルでそれをするのかっていう議論になってくるよね。誰も傷つける意図がないので、してもいいはずなんだけど。理解できないことは恐ろしいもんなあ。
話がどんどん横道に逸れる。
こういうことを頭の中でぐるぐる考えている。少しは助けになったかな?
裏が白いチラシの入手ができない状態が10年以上続いているから文字通りのチラ裏ができないよ。でも言いたいことわかるよ。実際今日も安いペラ紙を買おうかなと思って通販サイトを見ていた。
ただ、紙に書きたいけど書けない。書いたらゴミが出る、大量のゴミが。学生時代に書いた大量の紙ゴミを実家に帰るたびにシュレッダーにかけているが全然終わらない。あまりにもプライベートなことを現実の紙に書くのはどうもよろしくない。体力もかけたくない。マジでごめん。信じられないだろうけど腱鞘炎になりそうなので勘弁してほしいんです。
あと、自分しか見ないというのはチラ裏とインターネット日記とでは本質的に異なる。チラ裏は感覚の鏡にはなり得ない。
たぶんすぐ消すけどありがとう。
でもやっぱりこのあれだな、意識の違いというか、期待値の違いというか、無意識的なリスペクト(配慮)要求というか、マナーというかなんというかそういう中身とは遠く離れた皮革的なものへのリアクションの情報を広く浅く求めたいところが全ての答えなんだと思う。できるだけ自分へのダメージを避け、他人への直撃を避け、トイレの壁に落書きをするようなそんな心配性で人でなしのやり方を求めて悩んでいる時点で…
でもこのやり方はきっと間違っていなくて、ソトガワに対するソーシャルリアクションは人として多分に追求するべきで、不健全でもなくて、こういうのもありなんじゃないかなあって。甘えなのかなあ。どうなんだろう。
こんにちは。私自身過去に虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています。不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタにしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますとハッピーです。自分の経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。
受けたものとしては経済的虐待(ネグレクト)、教育・文化的虐待、精神・肉体的虐待、性的虐待などが挙げられます。
順番に思い出しながら書いていきます。
基本的なスペックとしては母は軽度のASDと知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気とフルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。
ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~
父は気付けばいなくなっていました。
食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック派(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。
食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日から「ゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん
教育・文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)
精神的虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚が形成されたのはこれがデカいのかな?と思います。自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。
また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。
これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家にいたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています。
あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニスのテニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器や凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。
兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父が必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。
母もただ大人しいかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害やASDの兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所と相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業の事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業で全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族が引っ越してあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家は祖父母の家であり、そんな権限は家庭内地位が最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。
母の言い出すことはいつだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。
そして我が家は貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車はブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒しヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。
未だに自転車のブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。
ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね。
メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)
いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心ついたころ(4歳とかぐらい?)から、父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キスを強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体は自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。
肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます。
決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。
ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。
キッショ。
小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。
そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからないから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHOの臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめから私のものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神が身体から乖離しているような。
ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境でレイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。
非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。
あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶だけがはっきり残っています。
あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。
お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります。
母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。
酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います。
首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。
或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつで必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。
首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います。
正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきます。ピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます。
首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。
首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。
ネックレスも物によっては無理なレベル。チョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。
性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的なものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。
下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分の身体の異端さを感じる時があります。ガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。
反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれた記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下もあんまり得意じゃないかも!こわい!
これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識で性的な行為に依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分を大事にできない。自分を守れない。
長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。
それ選んでどうすんの?
結婚するなら前者。すぐ浮気するだろうから、探偵つけとけば慰謝料ぶんどって別れられる。
仕事するとしても前者。プライベートと仕事は関係ない、もし仕事の関係なのに性的な関係せまられたら証拠揃えて訴えれば賠償金ぶんどって業界から追放できる。
親とか親族なら後者。近親セクハラを避けるのは難しい、単なるクソなら親がかりの間だけハイハイ従っといて自立したら絶縁すればいい。どうせ見下してるから。
そんな可能性はありません
自分が払っている税金も、他人が払っている税金も、自分の分の税金です
これは「年収1000万円以下の人々はインフラにただ乗りしている」といった、
子育て様がどうこうというよりも、自分が何を重視しているかと、うまく立ち回れるかだと思う
ぽまいらの金払わない金持ちや大企業や与する政治家に対する監視がゆるく、
今後どうすればいいか深く考えたいと思い、思考を整理したくて書いた。無駄に長文。
こうした節目の季節や長期休暇の頃合いになると、決まって親から帰省の催促がなされる。
不快な思いをしながら、適当な言い訳を付けて断るのをもうずっと続けている。家族とは今のところ折り合いが非常に悪く、諸々の事情からもう帰らない(帰れない)と心には決めている。
その気持ちを明言してしまい状況が変わってしまって面倒なことになってしまうのが嫌で、対話を避けてはっきりさせない気持ち悪い状態をずるずる続けている。
ただ、既に私もいい年だし、逃げ続けるのも良くないのではないか、もう親に影響されずに気持ちよく年を越したいと思い、これまでの半生を振り返ってどうすればいいか考えている。
私自身としては自らの親のことを毒親だと思っているものの、多分世間一般のラインからすれば普通の家庭なんだろうと思う。親も人間であり完全ではない、そんなこともわからずに、SNSに毒されて親に対して求めるもののハードルが上がっていて、それを満たせていないから親が嫌なんだと。そんなふうに考えている自覚もある故に、割り切れないところもある。昔は本気でそんな思いだったものの、もう30を超えた今は流石にそれが間違いであることはわかる。でも親が憎くて嫌いなのは変わらない。そのあたりのおかしなバイアスを指摘されたりするとわざわざ公開された場所に乱文を残す価値もあるんだろうと思う。
私は地方の田舎で生を受けた。しばらくして妹も生まれた。家族は父母姉妹の4人だった。
きっと嫌なことが多かったんだろうと思う、年齢が一桁の時の記憶はほとんど無い。うっすらと、親に暴力をふるわれた事や、血筋の中でも頭が回る方で小学1か2年生くらいの最初はそれを褒めてくれた事は覚えているような気はする。
その時の母親の口癖は、「私があなたの頭を殴って大きなたんこぶを作ってから頭が良くなったんだ。」というものだったと思う。曖昧な記憶でも、これは間違いなく覚えている言葉で、今でも子どもに対して暴力を振るいあまつさえそれを誇るような言動をするなんてとんでもない倫理観の人間だと、親を嫌う理由の一つとなっている。
母親は専業主婦であり、家事を一通り終わらせたら延々ネットゲームを行っており、家にいても常によく知らない誰かとボイスチャットをしていたのをよく覚えている。とにかく世間体を一番とする。痩せていると世間体が悪いからという言葉で少食なのに無理に食べさせられて今でも食事に苦手意識があるのと、拒否しているのに美容院に連れて行かれてそれらしい髪型を強制されたのも記憶にあるところ。また、家族間では一切の秘密を許さないとのことでプライベートの全てを否定していたこともあった。うっかり見てしまったことがあるが、あなたのパートナーが影で隠れてアダルトビデオを見ていることも把握しているのだろうか?ヒステリーを良く起こす方で、父親とは仲が良いようには思えず、常に離婚をちらつかせて喧嘩していた印象がある。たまに課金のためにコンビニに連れて行ってもらい、ついでにお菓子を買ってもらったこともあった気がする。総じて印象が良くない。
そんな母親に対して、父親には正直印象が無い。何をやってるのかよくわからない、たしか何らかの肉体労働だった気がする、氷河期世代で割の良くない仕事に早朝から遅くまで関わっており、休日が不定期なこともあり、ほとんどコミュニケーションが無かった。もちろん低賃金ゆえ常に貧乏家庭でもあった。休みの日はもっぱらパチンコ漬けのようだった。社会人になってから思うと申し訳ないと思う気持ちはあるものの、正直普段同じ場にいない人間とは話が合わないし取れるコミュニケーションなんて限られてると思うし、今更仲を良くする価値も感じないところ。
そんな親の元過ごした小学生や中学生の時代、確かに頭は良い方で学校の成績は5本の指に入るくらい良かった。ただ、その代わりに子供らしさというのを何処かに捨ててしまったらしい。良く言えば控えめで物静か、悪く言えば根暗コミュ障。外に出て運動をするより部屋で本を読んでいたほうが良い。そんな子どもらしくない子どもは、世間体を重視する母親のイライラゲージを溜めてしまうらしい。頭の良さを褒められることも最初だけで、ある時からそれが当たり前で褒められることも無いし些細なミスで詰められたり、そんなようになってしまった。
一方で妹の方は私に比べればマシな人間だった。学校の成績は普通だが、いわゆる子どもらしい子どもであり、また、悪知恵も働いた。もちろん親は頭でっかちな姉よりも妹を好み、悪知恵により陥れられたことも何度もある。その都度姉なんだからと我慢させられた経験は山ほどある。
中学の頃、決定的な事が起こる。運悪く治安が最悪な世代に混ざってしまった中学時代。いじめは横行するし自殺未遂の話もあった。そんな殺伐とした空間で思春期を過ごして平常でいられるわけがなく、必死で生きようとして荒んでいた時。妹との扱いの差や親のおかしなところに気が付き始める時。今でも解決してない自身の性別に対しての悩みを持ち始める時。そんな難しい時に家族と買い物に出かけることになった。その時にとても不機嫌な対応をしたんだと思う。帰って自室に戻って一休み。催してトイレに行こうとした際に、両親のいる居間から「なんで◯◯なんて産んだんだろ、産まなければよかった」という声が聞こえてしまった。私が近くにいないと思ってそんな話をしたんだろう。実際可愛げのない私はいらない存在だったんだろう。それ以降、両親のことは一切信用しないことにした。喧嘩をしたとかの直接的な言い合いがヒートアップして出てしまったならまだしも、影でそのようなことを言うなんて、いっときの気の迷いとかではなく本気なんだろうなと妙に腑に落ちたところがあった。
以降の高校時代はそういう恨み言が続くだけ。勉強はできたので大学は行きたかったけれど、貧乏な家庭の上に当時の奨学金に対してのバッシングも相まって、大学は諦めることになり結局私自身も親と同じ高卒になってしまった。中学時代に仲が良く一緒に勉強を頑張った当時の友人は東京の有名な大学に行ったらしい。世の中は平等にできていないことを強く認識することになった。就職が近づくと老後は頼んだとか寒いことを色々言われた気がするが、もちろんもう何も信用してないのでさっさと親は捨てて一人で生きていくことを考えていた。一応長子だったので、そういう老後の世話や家を継ぐことを期待されたのも多かったと思う。
高校卒業後は当時のネット友達を頼り、地方を出て東京で職を得ることができた。
こんな得体のしれない高卒の人間を総合職として採用してくれた小さなベンチャー企業も、今では大きくなり比較的良い待遇で仕事をさせてもらっている。パートナーもできてプライベートも充実した。
このときの悩みは今の仕事がどれだけ続けられるかというところと節目でやってくる親の帰省の連絡だった。親からのメッセージの通知が来るたびに心臓が早鐘を打ち不眠になる。最初は真面目に帰省していた。わざわざ親の好む服装・髪型にして。ここでの転機はコロナ禍の時だった。コロナ禍で帰省を自粛していた頃合いだったが、流石に間が空きすぎたのとある時波と波の合間で落ち着いてきたタイミングであったことから断りきれず、久しぶりに帰省することになった。久々の帰省で大きなストレスを受け、パニック発作を起こすことになってしまった。そこからこじらせてしまい、本格的なパニック障害になり家から出ることもままならなくなってしまった。年単位で時間をかけてなんとか仕事を続けられる程度には回復したが、未だに外出を行う際には辛さを伴うし、一人で遠出をすることもできない。なんとかある程度回復した症状をぶり返すようなこともしたくない。人生の全てが閉じられ終わってしまうようなあの感覚をまた感じたくはない。かくして帰省はしないものからできないものになってしまった。もっとも、世間体を気にする親は子の精神疾患なんて認められないだろうし、あるいは無理に連れ帰らせる、会おうとしてくるなど余計なことしかしないだろうことが想像できるので、この件も話してはいない。
このような人生を送り、この日記を書いた現在に至る。家族は嫌いで精神も壊した。それでも、一人で生き抜くことを決意してハードワークして作った資産もできた。昨今の好調な株式市場のお陰でこれもかなり大きくなり、もう当分お金に困ることはないだろう。そうなるといよいよこの親との関係をどうするのかというところが割合として大きくなってくる。お金と一緒に順当に年も増え、もう30を超えてしまった。そんな年齢になってまで未だに身近にいない親を恐れ嫌いな親の期待に応えようとすることが馬鹿らしく感じ、整形なんかにも手を出したりもした。親が期待した娘は部分的にこの世から消えた。あまり実感がないものの、幼い頃の暴力が未だに影響しているような気がしていて、親のことは嫌いなのに親に直接刃向かうようなことを実行するのに未だに抵抗を感じてしまって辛くなる。そういう精神的なところから親を振り払うとともに、関係性もなんとかしたいと思うところ。
こんな長文をここまで読まれている方は稀有だろうと思うが、世間体と好みと役割を気にして私を直視しない私の憎む親と同様に、私もまた親のことを理解しておらず、対話を避け一方的に親を嫌っている事には気がつくだろう。私には色々な悩みや聞いてほしいことがあった。今の生活だって盤石ではないし、何かと家族と連絡がついたほうが生きやすいところはある。そういうのを全て過去の親の言動を延々に引きずり信用できないと切り捨て全部抱え込んで生きてきたのが今の私だ。これまでの言動や行動からどうせ否定されるだろうと決めつけ、またしまい込むのは簡単だが、どうしても筋が通ってないように思う。どうせなら自分が過去のそういう言動で深く傷付き親を信用していないこと、自らはこういう悩みを抱えていて生きにくい事、その上で、あなた達が受け入れる気があり、私が許せるのであればマイペースに付き合っても良い。悪口というのは加害者は覚えてないだろうから、受け入れる受け入れない以前にそれでも許せるのかというのは難しいところではあるが。一方で理解できないこともあるんだから受け入れなくてもいい。誰にも迷惑をかけずひっそり生きていても、セクシャルマイノリティは迫害の対象なのが昨今だし、別に親がそういう人間であっても不思議ではないし、むしろたまたま親になっただけの存在にそんなのを期待すること自体が贅沢なんだと思うようになった。それ以外にも複数嫌われるべき理由もあるし、そういう場合は縁を切ればいいだけ。そういう選択肢くらいは親に与えても良いのではと思うようになってきた。別に縁を切られたってこれまでの人生計画は親無しでやっていくつもりだったんだから、支障はないしむしろ公式に縁が切れれば親からの連絡に怯える日もなくなる。受け入れてくれるならそれもまた良いだろう。人間年を食うと丸くなると言うし、期待はしてないがそんな可能性もゼロではないだろう。人間関係が希薄な令和の社会で、一人でも話ができる人間はいるに越したことはない。戸籍制度等のせいでどうやっても親と絶縁することが不可能な日本社会において、親との関係性は悪いよりは良い方が良いに決まっている。もしこのルートで進むのであれば、将来親の葬式をポジティブに主催したいと思えるようになれたらなとは思う。最近始めた新しい趣味の話とかができたら良いなとは思う。本質的に私は寂しがり屋で、一人で生きるよう常に努力しているが、親という存在を欲しているんだなというのも俯瞰してると思うところ。
ここまで書いたら、支離滅裂な長文乱文な割に随分思考が整理されてスッキリしてきた気がする。私は親を許すつもりはない一方で理由も分からず対話もせず消えてしまうのは筋が通ってないように思う。私は私の力で過酷なこの時代をなんとか生き抜くスキルを身につけられたと思っているが、認めたくはないものの、親の影響もそれなりにあるんだろう。少なくともこの年齢まで生き、ある程度の職と資産を得られた時点で虐待によって命を落としてしまった子ども、家庭の都合で高校にも行けず不本意な中卒でもなんとか生きる子ども、歪んだ教育で犯罪に走ってしまう子ども、それらの親であるところの真の毒親よりよほど良い親であったこともまた過程はともかくとして事実なんだろう。だから、今回の帰省もキャンセルして、しばらくしたら思っていることをぶつけ、筋は通そうと思う。そんな厄介な子と関係を続けたいのか続けたくないのか、ボールは親に投げられる。今の時代は覚悟さえできればスマホでポチポチして三行半を叩きつけることができる。行動を起こすことでメンタルは悪化するだろうが、こんな年齢でこんな馬鹿げたことをしているのに耐えられなくなってきたし、じわじわ心を壊されるのも終わりにしたい。だから気持ちは伝える。これが結論。未来の自分や他人からしたら甘いと思われそうではあるものの、縁切りも気持ちよく行いたい、そんな気持ちが強い。それに、双方納得の上で関係性を定義できれば、これ以上の干渉の無い理想的な形で終わらせることができる。頼もしい人生の味方を得られるかもしれない。だから、きちんと気持ちを伝えて、この気持ち悪い曖昧な関係を終わらせようと思う。
普通に生活している中でも事あるごとにペニスをまさぐってくる(冗談めかしているが欲求不満であることが伝わってくる)のもしんどい
自分の体は自分のものだから、自分の望まないタイミングでプライベートゾーンを触られるのは、いきすぎるとDVです。それで消耗してるなら本当にちゃんと話し合ったほうがいいと思うし、望まない時は触られないという権利があなたにはあることをわかっていてほしい。
ただわたし自身の意見に引き寄せてしまうと、好きな人のそれだから愛おしいというのもあると思う。欲求不満とかではなくただどうしてもあなたが好きで、愛情表現かもという眼鏡で見たら嫌悪感が少し違ったりしないかな?※だとしてもあなたの体はあなたのものだから勝手に触るのはよくないんだ
あなた以外とはしたくないというメッセージからみても、あなたが好き、ということが根底にあり、好きな気持ち自体を拒否された気持ちになって被害者意識が強くなり、話し合いでめ「あなたが悪い」という立場になってしまっているのかも。
苦しんでいるあなたがそこまで配慮するかは別として、建設的な話し合いにはカップルカウンセリングとかといいかもしれないです。
なんで?
ルノアールに限らず近現代の画家ってめちゃくちゃ絵や題材に性癖出てるだろ。
プライベートでぽっちゃりいっぱい描いて、ぽっちゃりの奥さんと結婚してぽっちゃり裸婦画描いてるルノアールが現代のエチエチ絵師とは違うって主張の方がなんもわかってないぞ。