児童文学という言葉が呼び起こすイメージは、ひとによって様々な上に曖昧です。子どもが読む本でありながら、おとなによって書かれ、売り買いされ、評価されるという児童文学の特殊性と、その定義の難しさについて考えます。 平成28年11月7日に開催した児童文学連続講座「子どもに本を手渡すために―児童文学基礎講座」における川端有子氏(日本女子大学家政学部教授)による講義をもとに作成しました。
『モジャ公』を与える 4歳の娘に「マンガの英才教育」を施そうと、全集版で出た藤子・F・不二雄の『モジャ公』を買い与えた。この寒いのに、「早くフロに入りなさい」という親の忠告もそっちのけで、脱衣場で裸になったまま『モジャ公』を広げて読みふけっている。 母親であるつれあいは、マンガに夢中になる娘にイヤな顔である。絵本を読まなくなったらどうしよう、というわけだ。 そういえば、保育園の先生たちはどう思うんだろう、と考えた。 連絡ノートに「昨日、娘にYouTubeでSMAPの『ベスト・フレンド』を聴かせていると…」と書くと「電子音はまだ早いので、大きくなってからの楽しみにとっておきましょう」と書いてくるほど、「発達段階にふさわしい保育」への強烈なこだわりがある。もちろんわが娘の担任だけでなく、園全体の方針だ。 「文集ではテレビやアニメキャラクターの話題は書かないでください」とか「歯ブラシやコップには
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