国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の再開を受けて、河村たかし名古屋市長は8日、不自由展の会場の名古屋市東区の愛知芸術文化センター前で、再開に抗議する座り込み…
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の再開を受けて、河村たかし名古屋市長は8日、不自由展の会場の名古屋市東区の愛知芸術文化センター前で、再開に抗議する座り込み…
それはそれでちょっと羨ましい並行世界ではありますが、こんなにたくさん異世界転生してくるとは何があったのでしょうか?詳細は以下から。 メディアアクティビストの津田大介氏が芸術監督を務める国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」。 その中の企画展「表現の不自由展・その後」には名古屋市長や大阪府知事、大阪市長、官房長官や与党政治家らが強く反発し、京アニ放火殺人事件を思わせるガソリンテロ予告まで発生。わずか3日間で中止に追い込まれてしまいました。 特に大きな反発を招いたのは韓国の元従軍慰安婦を象徴した「平和の少女像」や昭和天皇の写真が燃えているかのような演出をされた作品など。前者ではBUZZAP!がこれまで「歴史戦」絡みで指摘してきた自称保守界隈の主張が主に繰り返され、後者に関しては「不敬罪」や「御真影」といった言葉が飛び交う事態となっていました。 この企画展は日本での「表現の不自由」の現状を明
日本語と英語が混ざった独特の「ルー語」で知られるタレントのルー大柴さんと、20世紀美術を代表する画家のサルバドール・ダリが、「ソックリすぎる」とネット上で大きな話題を呼んでいる。 きっかけとなったのは、2016年7月1日から京都市美術館で開催される「ダリ展」の告知ポスター。ダリ本人のポートレイト写真と、「ダリに扮した」ルーさんの写真が並んでおり、ツイッターなどでは「どっちがルーだよ!?」「ダリの生まれ変わりですか」と驚く声が相次いでいる。 「両方ダリかと思った」 「なんとなく似ているということでキャスティングされました」――。ルーさんは6月23日、こう起用の理由を明かすとともに「ダリ展」のポスター画像をツイッターに投稿した。 ダリのトレードマークといえる口髭を蓄え、目を大きく見開いたルーさんの姿は「本人に瓜二つ」。太い眉や特徴的な涙袋、高く通った鼻筋などのパーツがよく似ているため、一見した
タイトルに違和感を持つ人は多いかもしれない。政治宣伝を意味する「プロパガンダ」と聞けば、権力者を讃える映像や音楽を嫌々に観たり聞いたりする印象が強い。そして、その映像は退屈きわまりなく、楽しいわけがないからだ。 本書を読めばその考えは一変する。ナチスはもちろん、欧米や東アジア、そして日本でかつて展開されたプロパガンダの実例が豊富に並ぶが、「プロパガンダの多くは楽しさを目指してきた」と著者は語る。銃を突きつけるよりも、エンタメ作品の中に政治的メッセージを紛れ込ませ、知らず知らずのうちに特定の方向へ誘導することこそ効果的だろうと指摘されれば、確かにその通りだ。 中でも、「プロバガンダの達人」として紹介されるのが、北朝鮮の故・金正日。北朝鮮と言えば、将軍様を讃える映画や個人崇拝の歌の数々が頭に浮かぶ。「どこが達人なんだ!」と叫びたくもなるだろうが、金正日の発言からは意外にも硬軟交えて人民を操縦し
「18歳未満入場禁止」の「春画展」に、若い女性が行列をなしている。春画といえば、江戸時代の「エロ浮世絵」程度の知識しかなかったが、「芸術か、わいせつ物か」の議論もある。日陰の存在とされてきた春画の何が引き付けるのか。会場の「永青文庫」(文京区目白台)をのぞいてきた。 男「これが有名な北斎のタコ? すごい構図、ありえない世界だね」 女「…」 来場した20代カップルのやりとり。会話になっていない。女性グループになると、話が弾んでいたようで、絵を肴(さかな)にして体験談に花を咲かせていた。来場者の半分以上は女性だったのが意外だった。 「北斎」とは、江戸の浮世絵師葛飾北斎。「タコ」は、1820年ごろの木版画「喜能会之故真通(きのえのこまつ)」シリーズの1枚で「蛸(タコ)と海女」。紙面では、一部をカットして掲載するのが限界で、実物は会場に足を運んで鑑賞してもらうしかない。 春画展は、国内外の博物館や
日本の伝統芸術「浮世絵」を斬新にもGIFアニメーションにしてしまったアーティストがいます。 瀬川三十七 葛飾北斎の「富嶽三十六景 東海道吉田」でまさかの新幹線が通ってます! こちらの作品を作ったのは、映像クリエイターの瀬川三十七さん。 今回は、ユーモアと情緒溢れる瀬川さんの動く浮世絵をご紹介します。 冬の朝 瀬川三十七 突風 瀬川三十七 隅田川を照らす 瀬川三十七 手段 瀬川三十七 江戸、満月の夜 瀬川三十七 週末 瀬川三十七 凧踊る富士 瀬川三十七 囚われの富士 瀬川三十七 それぞれクスッと笑える遊びもあって、いつまででも見ていられそうですね。 最後は瀬川さん自身が一番好きだという「吉原のあかり」です。 瀬川三十七 あたたかい光でぬくもりを感じます。 伝統芸術と現代アニメーションを融合させた動く浮世絵をご紹介しました。 瀬川三十七さんの事をもっと知りたいという方は下のリンクをご覧ください
2015-08-24 日本が西洋に負ける理由 先日久しぶりにバスに乗ったのですがバスのインテリアがダサく感じました。 思い返してみると日本の公共交通機関は大概ダサいです。 その後に行った暁斎展でその理由が自分の中でまとまった気がしました。 これは今回の展示で観た作品で、暁斎が絵を描いている風景です。(弟子のコンドル作) それに対し洋画の描き方はこうです。 違いがわかりましたか? 洋画の方は人がたくさんいるとか服が気合入っているとかではありません(笑) 絵を寝かせているか立てているかの違いなのです。 日本と西洋では絵画における対象の捉え方と表現の目的が違うのです。 日本画は遠近法を用いずフラットで簡素な表現によって描きます。 そして写実性よりも観念的な表現を重視しています。 例えばこれは暁斎の「枯木寒鴉図」です。 この枝はリアルではありませんがみごとな枝として認識できます。枝の概念を描いてい
2013年秋から冬にかけてロンドンの大英博物館で開かれた史上最大規模の春画展「春画-日本美術の性とたのしみ」は、日本国内に波紋-ある疑問を投げかけた。それは大英春画展の日本巡回が頓挫したことでより大きくなり、いまなお宙に浮いたままになっている。「なぜ、日本で春画展を開けないのか」-。 「これは、自国の文化・歴史を現在のわれわれがどう受け止め、捉えるべきかという重要な問題につながる疑問」と指摘するのは、大英博物館プロジェクトキュレイターとして春画展準備に携わった、国際日本文化研究センター特任助教の石上阿希さん(35)だ。日本で初めて春画研究で博士号を取得した石上さんは、博士論文をベースに『日本の春画・艶本(えほん)研究』(平凡社)を上梓したばかり。「単に、春画の性的表現の特異性を見せるのではなく、春画がどのような社会や文化の中で存在していたのかを示すことができてこそ、春画展の意味がある」とい
第87回米アカデミー賞で長編アニメ部門にノミネートされていた『かぐや姫の物語』での受賞は惜しくも逃しましたが、アメリカのロサンゼルスで高畑勲監督と西村義明プロデューサーが会見を開きました。 同賞を受賞したディズニーの『ベイマックス』をはじめ、アニメーションの世界ではCGが全盛の時代。手描きのタッチにより、観客の想像力を引き出す作品づくりにこだわる高畑監督は、“平面アニメ”への強い思いを語りました。 多くの作品が3DCGになっている。 受賞できれば、平面の絵で物語を表現する火が消えにくかったので残念。 ――アカデミー賞の感想をお願いします。 高畑: 面白いイベントだったんですけど、残念ながら取れませんでして。せっかく集まっていただいたのに、期待に応えることができなくて、すみませんでした。それは、しょうがないですね、運だと思ってましたから、最初から。対抗馬もだいたい観たんですけど、すごく良い作
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うまい棒に仏像を彫る。そういう人がいることを知ったのは最近だ。よく考えれば、見た目はたしかに木の質感と似ている。しかし、その発想はなかなか出てこない。会いに行った。
漫画家で美術家の「ろくでなし子」氏が逮捕されました。「わいせつ電磁的記録頒布」という容疑で、警視庁保安課が逮捕したと発表しています。問題視されたのは、女性器を「下卑たものとして扱うな」とか「自分にとっては手足と一緒」だという同氏の主張を込めた一連の創作活動の一部についてでした。 報道によると、ろくでなし子氏は女性器をかたどった小型ボート(ネット上で見るとバナナボートのパロディのようです)を制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人に3Dのデータを配ったことが問題とされているようです。 この事件ですが、メディアでは警察の発表をそのまま丸写しして、ろくでなし子氏のことを「自称芸術家」であるとか「わいせつデータの頒布」などと一方的に決めつけた報道がされており、こうしたメディアの対応への批判が起きています。 DJが音楽を流す「クラブ」の規制問題などもそうですが、文化的・社会的な価値観が揺れ
自分の女性器を3Dプリンター用データにしてダウンロードさせたとして、警視庁は東京都世田谷区野毛2丁目、自称芸術家の五十嵐恵容疑者(42)をわいせつ物頒布等の疑いで逮捕し、14日発表した。警視庁の説明では、容疑を否認しているという。 五十嵐容疑者は「ろくでなし子」のペンネームで、漫画家としても活動。保安課によると、3月20日、香川県の男性会社員(30)に対して、自分の女性器の形を復元できる3Dプリンター用データをダウンロードできるURLをメールに記し、送信した疑いがある。 五十嵐容疑者はインターネットのホームページ上で、自分の女性器をかたどった手こぎボートを作ろうと呼びかけ、会社員は3千円を募金していた。「警察がわいせつと認めたことに納得がいかない。私にとっては手足と一緒で、わいせつ物とは思えない」と供述しているという。
「ゴーストライター」が話題になっている。 想像をかきたてる言葉だ。 どうして、創作の場に「ゴースト」が出現するのだろうか。 人間が何かを書く(ないしは「創作する」)という行為は、本来なら、ほかの誰かが肩代わりできる作業ではない、と、私たちは考えている。 少なくとも、建前ではそういうことになっている。 「文は人なり」 と、ことわざにもある通り、文章(をはじめとする、楽曲や絵画や彫刻作品のような「制作物」)は、それを創造した人間の本質を、あますところなく表現する、いわば、作者の分身だからだ。 でなくても、「創作」という物語の中では、作者と作品は、水と魚のように不即不離な小宇宙を経て、最終的には不可分一体なアマルガム(合成物)を結晶することになっていて、それゆえにこそ、「芸術」と呼ばれる商品の主たる購買層は、もっぱら、創造性の魔法(あるいは「天才」という超越者)を奉ずる人々によって占められている
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