タグ

哲学に関するsuVeneのブックマーク (21)

  • なぜ日本人は哲学を必要としないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    人は集団を重視して強い個を好まない 西洋哲学が日の慣習に相容れない一番の理由は、西洋哲学が強い個をもとにしているから。日人は集団を重視して強い個を好まない。 哲学はさまざまな「他者」の多様な価値社会の中で、共通した基盤を作れないか、という強い願望から発達したもの。日人のようにハイコンテクストな社会ではその差し迫った願望自体を感じることができない。幸せなことに共通した基盤が湯水のように何の苦労もなく手に入る。日人は手に入っていることさえ気付かない幸福な状態にある。 最近は集団が解体しつつあるといいながらも、まだまだハイコンテクストな社会であることにはかわりがない。「空気をよめ」は、見ず知らずでも日人同士なら空気(コンテクスト)を共有できることが共有されていることを示している。 集団主義といいながら、確かに日人は西洋人より、他人に無関心、自分の利益優先、自己肯定がより強い面があ

    なぜ日本人は哲学を必要としないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    マクロコンテクスト、ミクロコンテクスト 宝くじで一等にあたることは奇跡といってもよいだろう。そして人生さえもかえてしまう。しかし宝くじというシステムにとっては一等がでることは当たり前である。それを見越して収益が出るように統計的に設計されている。 たとえば飲酒運転の車に追突されてしまう。これは不幸でついていないことである。人生を狂わせて家族のその後さえも大変なものにしてしまう。あと少し時間がずれていれば事故にあわなかっただろう。しかしある交差点ではある確率で事故が起こるというような統計的な必然性があると言われる。 このようにミクロコンテクストでみると特異なことが、母数を増やして観測すると正規分布などの一定の分布に収まってしまう。だからマクロコンテクストではほんどの現象は確率論的な必然として回収されてしまう。たとえば背丈、あるいは性格、あるいは幸福な出来事も、不幸な出来事も、誰かに起こっただろ

    なぜ幸せはお金では買えないのか マクロな形而上学とミクロな否定神学 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    suVene
    suVene 2009/09/24
    『「どんなにがんばっても生きることに意味なんかないのさ」。そこには私という存在は世界の中で特別でありたい、という思いが隠されている』
  • 『ヒストリエ』 岩明均

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

    suVene
    suVene 2008/04/23
    『覚え書き -> 意味』について『そんな「自動化」は幻想に過ぎません』 / そうかなぁ。「誰か」がゼロでなく必ず契機があるという必然性が分からない。「自分」も含む「誰か」という意味なら確かに。
  • やるおで学ぶ西洋近現代哲学入門:ハムスター速報 2ろぐ

    哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-185.html 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える 第二部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-225.html 1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/03/21(金) 02:20:23.61 ID:sIt3qGIe0       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●)   \ やる夫は何故生まれて来たんだお   |      (__人__)    |     \     ` ⌒´     /       ____      /      \    / ─    ─ \   /   (●)  (●

  • 世界観 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2012年1月) 世界観(せかいかん、独: Weltanschauung、英: worldview)とは、世界を一体的に意味づける見方[1]。一般に、人生観より広い範囲を包含し[1]、単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものであり[1]、情意的な面、主体的な契機が重要視される[2]。 現代の日では、漫画、アニメ、テレビゲームなどフィクション作品の舞台となる世界の設定という意味で誤用されることが多いが、人によってはフィクション作品の世界そのもの、あるいは作風や雰囲気といった意味で使う場合もある。 世界観とは、世界の意味を問うもので、たとえば「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されて

  • 『ヒストリエ』 岩明均

    フェロモンボディのボディソープを買いました。  スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...

    suVene
    suVene 2007/09/26
    とてもおもしろそうな話なのだけど、いまいち内容というか主張を読み取る事ができなかった。「回帰」もしくは、「円環」についての興味?
  • 哲学はなぜ間違うのか?: 物質世界に投影された錯覚

    その棘が痛い、と感じたとき、当にそこにある棘が痛いのか? 隣の人に聞いてみた場合に「そうだよ。その棘は痛いよ」と言ってくれれば、その棘は、やはり痛いのだな、と思えばよいわけです。「刺されたことがないから分からない」と言われてしまえば、もう、その棘が痛いと言っても人には通じない。その棘が痛い、という言葉の意味はないことになります。隣の人がどう言うかによって、棘は痛かったり、痛くなかったりする。このことは、痛みというものが、棘という物質のなかにあるものではないことを示している。つまり痛みは物質に含まれているものではないのです。 では、自分の手が痛い、と感じたとき、当に手が痛いのか? 目に見えるその右手が痛いのでしょうか? 切り傷があって血が出ているし、皮膚も赤くなっている。触ってそこを押してみるとずきんと痛みを感じる。どう見ても、明らかに目に見える右手の傷が痛んでいるらしい。 でも、痛みを

  • 数学屋のメガネ:「言語ゲーム」の本質 - livedoor Blog(ブログ)

    ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」という考え方はとても分かりにくい。つかみ所のないものという感じがする。この難しい概念を理解するために、質という面からこの対象に近づいたらどうだろうかと考えてみた。どのような対象が「言語ゲーム」と呼ばれ、どのような対象がそう呼ばれないかという、対象がもっている特質がつかめれば、この分かりにくい概念が理解できるのではないかと思った。 対象が単純なものではなく、複雑で難しい場合は、現象として見られるものとその質とが違っていることが多い。だから、複雑で難しい対象を正確に把握するためには、その対象に関する質論を考える必要があるのではないかと思う。質論がうまく立てられるなら、それは対象の理解を深めることになり、教育や学習という面で大きな成果があげられるのではないかと思う。 このようなことを考えて、さて「言語ゲーム」の質はなんだろうかと考えていた矢先に、参考

    suVene
    suVene 2007/03/15
    「言語ゲーム」とその本質についての考察。比較として「弁証法論理」の本質の話。
  • セラーズ「経験論と心の哲学」第3部「見える」の論理 を解説してみる - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    「赤がある」と「赤が見える」と*1はどちらが根底となる命題なのだろうか。伝統的な哲学の議論では「赤が見える」が根底であり、「赤がある」はそこに存在が付与されるものであるとされた。しかし、セラーズはこれを否定する。「赤がある」こそが根底であり、「赤が見える」はそれが疑わしいときに用いられるのであると。どういうことだろうか。 実際に言語を用いる場面を考えれば分かる。目の前に何かがある場面で他者に向かって、「赤がある」と言うときと「赤が見える」と言うときとを比べて考えてみればよい。他の人にもそう認めてもらえると分かっていたら普通「赤がある」と言う。「赤が見える」とわざわざ言うのは他の人にそう認めてもらえるかがあやしいときである(そう見えるのは私だけ?)。そしてこれが私だけでなく一般的な人々の言語の用い方だと認めたうえで、言語を習得する場面を考えると良い。他者が目の前に何かがある場面で私に向かって

    セラーズ「経験論と心の哲学」第3部「見える」の論理 を解説してみる - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    suVene
    suVene 2007/02/26
    箱の中のカブトムシ
  • 橋本努「現実認識とは何か」

    「現実認識とは何か――形相的理念型による啓蒙」 雑誌『情況』「特集 ヴェーバーを読む」2000.7.所収 橋努 0.はじめに われわれはときに、「いま・ここ」にある現実の生を究極的な価値としてつかみ取りたいと思うことがある。だが逆にわれわれは、「いま・ここ」にある現実の生がすべてではないという感覚から、現実の背後に回ってみようとか、別の現実を構成してみようとか、あるいは現実に得られるはずの満足を抑圧しようとか思うことがある。こうした欲求はいずれも、なるほど人生の然るべき時期において生じる自然な衝動であるだろう。しかしいったい、「われわれは『現実』をいかに認識すべきか」という認識的かつ規範的な問題を立てるならば、それはきわめて人生論的なテーマであると同時に、社会科学的認識の根問題を提起するように思われる。 近代社会とともに生じた社会科学は、「社会」なるものの規範的特徴を明らかにすると同時

  • https://www.hirokiazuma.com/texts/ecriture.html

  • Thirのノート

    thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。

    suVene
    suVene 2007/02/04
    哲学、言葉が馬鹿にされているのではないか?という印象だという話。/この記事のいう「人々は」「日本では」「多くの人は」「少なくとも今この国には」って何だろう。
  • はてなブログ

    太巻き会2023 -みんなで巻こうLONG太巻き- みんなで長い太巻きを巻いたときの記録です。こんくらいのどデカい太巻きを目指すぞー! [泉]東京都現代美術館コレクション展「MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd」よりチラシとかあったら気分が上がるかなと思い、こないだのアフタヌーンティー会の前夜に…

    はてなブログ
    suVene
    suVene 2007/01/22
    話題が離散しているが、軽く読めておもしろい。
  • 心の哲学の説明を試しに書いてみました - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ネット上で心の哲学について調べていて、日のウィキペデアの記述のひどさに呆れ、そこからリンクされている日語の論文の説明にまずさを感じた(認知科学と人工知能は別でしょ…とか)ので、自分で心の哲学の説明を書く気になった(ネット上でデネットを消去主義とか言う無知もいたし、そりゃあクオリアは消去したかもしれないけどさ〜)。自信はないので、おかしなところがあったら指摘してください。とりあえず分析哲学系の何とか主義はかなり網羅させたつもり。 それにしても、認知科学と関連づけたら書きやすいな。他に意識やクオリアの問題もあるが、私にはあまり整理できてないのでやめておく(チャーマーズが哲学的な意識問題をまとめたとは思っているが…)。 心の哲学(暫定版) 心の哲学とは、心に関する様々な根底的疑問に答えようとする哲学の分野である。 心の哲学での主要な問題として心身問題が挙げられる。心身問題では心と身体とがお互

    心の哲学の説明を試しに書いてみました - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    suVene
    suVene 2007/01/11
    『ティム・クレイン「心は機械でつくれるか」ASIN:4326153563』
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    suVene
    suVene 2006/10/23
    暇なとき目を通す
  • 視線の分析と現代の不安 ――高校「倫理」の中で現代フランス思想をどのように位置づけるか――

    視線の分析と現代の不安 ――高校「倫理」の中で現代フランス思想をどのように位置づけるか―― 千葉県立松戸南高等学校 齋藤 勝規    要旨:1980年代にブームとなったフランス現代思想のうち,ソシュール,レヴィ=ストロース,ミシェルフーコーを高等学校公民科倫理の授業の中で扱う方法を論ずる。 出典:「社会の教壇」第31号(千葉県高等学校教育研究会社会部会,1992.11.26発行),31-38頁 1.はじめに いったい、哲学や思想に流行などがあるものなのだろうか。 千年も二千年も前からおこなわれてきた哲学の営みは、確かに時代時代の制約を受けながらも、その基盤、あるいは精神ともいうべきところはずっと変わらずに受け継がれてきたのではないのだろうか。それは、たとえ形を変えたとしても流行ではなく、もちろん、ファッションなどでもなく・・・ しかし、80年代の半ば頃にピークをむかえた、日におけるポスト

  • satolog: 信じてもいい理由と信じてはいけない理由

    Tuesday, March 21, 2006 信じてもいい理由と信じてはいけない理由 リチャード・ドーキンス (原題: Good and Bad Reasons for Believing) * * * ジュリエットへ 10 才になったお前に、私にとって大切なことについて書きたいと思う。お前は、自分達が知っていることをどうやって知るのかを不思議に思ったことがあるかな? 例えば、小さなピン針のように見える星が、当は大きな太陽のような火の巨大な球で、とっても遠くにあることを、どうやって知るのだろう? 地球がたくさんの星のなかの一つである太陽のまわりを回る小さな球だというのを、どうやって知るのだろう? それらの質問に対する答えは「証拠」だ。時には証拠というのは実際に何かが正しいということを見ること(聞くこと、感じること、匂いを嗅ぐこと...)だ。宇宙飛行士たちは、地球から遠くはなれて、自分達

    suVene
    suVene 2006/03/24
    科学的証拠 ですら、たくさんの前提条件と「誰かが見た」という権威や伝統によって信じられているだけで本当の意味での証拠などない。
  • http://web.sc.itc.keio.ac.jp/~funatoka/pavlov/omake.html

    suVene
    suVene 2006/01/31
    philosophy
  • 量子論と複雑系のパラダイム

    appendix:年表・出典文献リスト・全てのリンク・人 名引き 哲学、宗教、文学、芸術、そして科学など、我々の全ての知的創造行為は「我々は何処から来て、何処へ行くのか」という疑問への探求ではないだろうか? 残念ながら我々は、こうした究極の問いに最終的な回答をだせる知的レベルに未だ至っていない。 この探求に必要なのは、あらゆる分野@の、それぞれの知を一つ一つ検証し、次にそれぞれ検証された知のパーツを結集し統合化を図ることだろう。 しかし、知のパーツは未完成であり、統合化への手法はその存在すら疑問というレベルにある。それ故、究極の理論を組み上げるのは、二重の意味で不可能な状態にあるといえるだろう。 今の我々に可能なのは、それぞれの理論を比較し、矛盾を探し、その根的な問題は何なのか、なぜそれが問題なのか、どこが難しいのか、なにが欠けているのか、何処までが解かっているのかを問い、それぞれの理論

  • 真の哲学体系を求めて Ver.2

    横井直高メールアドレス swansong@palette.plala.or.jp お知らせ 筑波大学の学生の方のお招きで、筑波大学学園祭時、講演会をさせていただくことになりました。 月日 10月11日(土)12日(日)13日(月) 時間 三日間とも15時〜17時の2時間 (含:質疑応答時間) 場所 筑波大学 第二エリア2A棟4階の403教室 内容 世界について根から考えてみよう せっかく、このような機会をいただけたので、私の哲学についてお話してみたいと思います。 世界はいかに出現してくるか。私はいかに見出されるか、他者とは何か、社会構成への基礎など、世界の根源的ありかたについて、お話させていただきたいと思っております。 質疑応答の時間も設けてありますので、分からないことがあったら、どしどし質問してください。 できるだけ分かりやすくするために、図を用いてお話させていただこうと思