過去にローンやクレジットカードの返済を延滞・滞納したことがある等、思い当たるふしがある方は、今後のカードローン審査に無事通るのか不安に思うのではないでしょうか。
過去にローンやクレジットカードの返済を延滞・滞納したことがある等、思い当たるふしがある方は、今後のカードローン審査に無事通るのか不安に思うのではないでしょうか。
「 誹謗中傷が溢れる美しい国日本!」というエントリーに関するotuneさんから「定義を曖昧にしたまま「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」と強弁するのは小倉弁護士blogだとこれで何回目だろ? 」というはてなブックマークコメントを頂きました。「指摘・議論=誹謗中傷・いじめ」とは言ってはいないのですが、一種の印象操作かも知れません。 本来は正当な権利行使となりうるものであってもその程度、頻度、分量、態様等によっては不法行為や犯罪行為たりうることは、現実社会では常識の部類に属することだと思うし、だからといって、特定の行為についてその程度、頻度、分量、態様等によっては特定の類型の不法行為等足りうるという指摘は、当該行為=当該不法行為ということを意味しないということは、例えば債務の履行の督促はその程度、頻度、分量、態様等によっては恐喝足りうるという指摘が「債務の履行督促=恐喝」を意味するものではないとい
私が無宗教を公言する割に様々な宗教に寛容な態度を取っていられるのは、既に「工学」という宗教に身も心もささげてしまっていて、熱心な信者を通り越して教える側に回ってしまっているからだということに! 宗教 前々から何となく考えてはいたけど、これ見てちゃんと書いてみようと思った。ただ中身はあんまり関連してない。 今の世の中、やたらめったらに「宗教的」とか「信者」とか言ったりするわけだが、その全部が宗教そのものでないことはまぁ明らかだろうと思う。でもそれじゃあどこで線引きをするのか?ということになると案外難しい。 そこで、「宗教」と「宗教的なもの」との区別は、「超人間的な力・存在を信じるものかどうか」で決めようと思った。色々な宗教に存在する「神」とか「天使」「精霊」「妖精」「妖怪」「悪魔」などなどは、間違いなく宗教になる。ブッダなんかは元々人間だけど、既存の神に導かれながら人ならざるものに「解脱」す
僕は、「差別糾弾主義者」に対して、その「差別」の糾弾の仕方に不当性を感じていた。彼らの主張の一部に正しいものが含まれていたとしても、その糾弾の仕方では、糾弾される当の対立者にはもちろんのこと、それを眺めている第三者からも反感をもたれて支持はされないに違いないと思っていた。差別糾弾という運動が大衆的な広がりを持たなかったことから、僕の感覚は正しかったものだと思っている。 普通の感覚で言うと、「差別」というのは不当性を伴っているので、その不当性が糾弾されるということに関連して「差別」が糾弾されるというふうに受け取る。だから、その糾弾に違和感を感じて、糾弾するほうこそ不当なのではないかと思うのは、糾弾している「差別」の対象を間違えているのではないか、あるいは「差別」ではないものを「差別」にしているのではないかという感じを受けることがあるからだ。 僕は、実際に「差別」があったとしても、その糾弾の仕
くるさりんど 売春者を侮辱することが、差別かと問うならば! 問うならば! それは明らかに差別ですよねぇ? 違うと思います。 これは差別ではなく「侮辱」「悪口」でしょう? 例えば 道ですれ違うときに肩がぶつかり 「なにやってんだこの馬鹿やろう!!」 そうしたら相手がたまたま売春婦でした。 これは売春者を侮辱したから差別ですか? 極論と言うなかれ、takisawaさんの二者択一を迫る文章も極論なのだから。 肩がぶつかったくらいで相手を馬鹿呼ばわりするのはよくないことである。 ただ、何故か世の中、何もかも差別に引き入れて論じる人がいるけども、悪口は悪口自体が悪なのであって、例えば誰かに「この下品なやつめ!」と言うのと、売春者に「この下品なやつめ!」と言うのは同じ舞台にありえるもののはずが、何故か後者だけが差別にされてしまう。 (2つとも悪意を持って言うなら同等に悪であるはずだ) もちろん、売春婦
先日書いた日記 「コミュニケーション能力の育成を第一とする教育が格差社会を救う」を とても多くの方に読んで頂けた。 はてなブックマークに頂いたコメントを読むと、 多くの方に賛同して頂けたようで、ありがたいことである。 この日記の冒頭で言及した 「某大学情報系学部が主催した、企業と学生のマッチングイベント」 では、 多くの学生さん、先生方にお会いして名刺を配りまくったので、 そのうちの何割かのかたには、 この日記を読んで頂けたはずであり、 なんらかの反応を期待していた。 私はこの某大学情報学部の学生なのですが、 コミュニケーション能力の育成が最優先だったのかと驚きました。 1年生から研究室配属の事をいってるのですかね。 私からすると、コミュニケーション能力育成が最優先に行われている気はしません。 率直な話、このようなトラックバックを頂けて、 「この某大学情報学部」の教育も捨てたものではない
ここに書いてあるのはアルファ版(メモ)です。ver.1.0はこちら。 ////////// ////////// 前のメモのやつも合わせてメモ。できれば、「内容」「具体例」「詭弁かどうか確認するための対処」まで書く。 ・詭弁パターン:「例え」 比喩・例え話によって正当性をアピールするもの。基本的には例え方しだいでいかようにもとれるので、対処としては「逆のたとえを考える」 ・詭弁パターン:「最悪の状況想定」 「例え」に含まれるが、一応メモ。「食べ物がなくなったら困る→食べ物重要」「ネットがなくなったら困る→ネットに頼るな」という風に、同じような例えでも逆方向の結論が出せる。対処としては「同じ状況で別の答え方がないか探す」 ・詭弁パターン:「男は浮気するもの」 パターン名はあとで考える。「自分は浮気する」→「男は浮気する」という風に、一部分でのみ正しいことを全体でも正しいかのように扱う。「実際
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
1.コミュニティとは何か (1)コミュニティの諸定義 (2)コミュニティの変遷とネットコミュニティの出現 (3)ネットコミュニティとは何か (4)「信頼」とコミュニティの関係 2.何故、コミュニティが形成されるのか (メンバーシップサービス) 3.コミュニティマネジメントのフレーム コミュニティは情報のやり取りを中心とした、人々の継続的な関係によって形成される。「情報」という代わりにそれを「利害」として、コミュニティの存立基盤を「土地」という具体的な空間とすれば、伝統的なコミュニティの議論になる。例えば奥田道大はコミュニティを「地域性が強いが地域共同体とは違い、地域の人々にとって開かれたもの、つくられるもの」としている。 ところで近年巷間で話題になっている「ネットコミュニティ」とは何だろうか。ネットという電子的なネットワーク上のいわば抽象的な空
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070219/1171840093 に対して自分のid付きダイアリーから 「障がい者のがいの字も漢字で書けない馬鹿は死ねよバーカバーカ」 とトラックバックを送ろうと思った。 すると 「障害者と書くと『害』の字には悪い意味がある、しょうがいしゃのどこが『害』なのだ」 という反応が返ってくることが予想される。 そこで、しょうがいってのは本来は障碍と書くのが正しい、障害は「碍」の字が常用漢字外だからと適当な文字を持って来て成立した表現であって本来は正しくない。 常用外だからと改変した字をもってして成立した表現を見て、差別表現だからひらがなに開こうというのは頭が悪すぎるやり方であり障碍に戻すだけでよいと返して、「障がい者」なる馬鹿げた表記を減らすためにululunの知名度を利用してやろうと思った。 けど卑怯気味な戦術なのでやめた。 ここ
原子力発電所。NIMBYの典型とされる NIMBY([ˈnɪmbi]、またはnimby)[1]は、「not in my back yard(私の家の裏には御免)」という語句の頭字語である[2][3]。「施設の必要性は容認するが、自らの居住地域には建てないでくれ」と主張する住民たちや、その態度を揶揄する侮蔑語(総論賛成・各論反対)も意味する。日本語では、これらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」[4]「嫌悪施設」[5]などと呼称されることもある。これは、地元住民が自分たちの地域に提案されたインフラ開発に反対し、厳格な土地利用規制を支持する姿勢を表している。そのような住民は、開発が自分たちの近くにあるからこそ反対しているのであり、もしそれがもっと遠くに建設されるのであれば容認したり支持したりするだろう、という含意がある。住民はニンビーズ(nimbys)と呼ばれ、その観点はニンビズム(nimb
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
■彼らは如何にして非モテを名乗るようになったか 22:20 新年から非モテの話題。 http://d.hatena.ne.jp/kir_royal/20070103/p1 ネットで非モテを叫ぶ人で本当にモテない、心の底から「あぁ、この人は絶対にモテないな」って人って殆どいないんじゃないかと。 むしろ、イケメン率多そうだし、話面白いし、モテないんじゃなくて、モテな行動やDQNな振る舞いが嫌いだから、非モテなんだろうな〜っと。まぁ、この場合は避モテって奴ですかね? どちらかというと、ネットの非モテさんは、モテなテクニックを知らない、使いたくない、または魂が喪で生き方としてモテには行きたくないって人が大半だと私は思うのですが、どうでしょう。 さて、真性非モテ(もうすぐ28歳)のひとりとして発言させていただくが、好き好んで非モテをやっている人間はひとりもいないと断言できる。 つまるところ「金持ち
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