はてなキーワード: wacとは
https://anond.hatelabo.jp/20241106140729
音楽ゲームの波に乗って、ポップン版も独断と偏見で書いてみた。一応曲の良さだけでなく、ポップン史的に重要な曲って軸で選んだ。
現在収録曲数は1000曲超え、現在26周年のKONAMI製アーケード音楽ゲームポップンミュージック
初期ポップンを代表する人気曲。ポップン6の人気投票では4位を獲得した。その際1〜3位ももちろんいい曲ではあるが、とかくキャラ人気が高い曲だったのもあって、実際曲だけでいうならこの曲が1番人気だったのでは…という意見も見たことがある。(諸説)
7ではLONG版がプレイできるようになった。ピチカートファイブを想起させる渋谷系の楽曲で、明るい曲調と言葉遊びのような歌詞、そしてボーカル杉本清隆のハニーボイスが魅力的な曲だ。
杉本清隆は初代からボーカル歌唱という形で参加しており、6ではサウンドディレクターも務めていた初期ポップンを支えていたコンポーザーの1人である。
初代の参加曲「ポップス/I REALLY WANT TO HURT YOU」もまたポップンの代表曲として、今でもKAC(公式大会)の表彰などで流れている。
6を最後に退社、個人の音楽活動に集中する形になったものの、その後もたまに曲を提供してくれる
近年だと公式大会で決勝初出・かつパーカッシヴシリーズの続編曲ということで速度変化が大変なことになっている「西馬込交通曲」、ソフトロックの続編曲として発表された「le mal du pays, numéro 1」が収録されている(ポップン25 peace)
ポップン6は様々な要素が従来から変化したシリーズである。サウンドディレクターの変更(5で務めていた杉本清隆が抜け、同職だったwacが1人で担う形に)、メインデザイナーの変更(犬千代、P-CATがチームから抜け、shio中心の体制に)、版権曲の収録、キャラアニメがドットから現在のようなアニメーションになったなど……。
そんな折、突如現れたのがこの曲である。
それまでのポップンではあまりなかった力強い日本語ラップ曲。そして途中で高速になる独特の譜面。
この曲の公式コメントで「この曲に美味しいところを持ってかれちまうであろうことも。…大体当たったよね?」とあったことから当時の人気が窺える。
キャラクターのサムライ男性キャラの六も高い人気を誇っている。ちなみに現在公式大会で11連覇している選手もこのキャラを愛用している。
作曲者のDes-Row自体は5から曲提供していたが、この曲で一気に人気に火がつき、さまざまな名義でpeaceの頃まで楽曲提供をし続けていた。
ヒップロックシリーズはその後もコンスタントに(3の倍数がつくナンバリング)続編曲が作られた。
当時のポップンに少なかった力強い男性ボーカル・少し大人びた歌詞に当時女性を中心に凄まじい人気があったらしい。
また、キャラクターの狼男・アッシュも人気が高かった。ドラムの彼とベースのスマイル、ボーカルのユーリというキャラ、彼らの組んでいる「Deuil」というバンドは当時の女子ポッパーの心を大いに掴んだ。その人気からか、25 peaceでは、「Deuil」として数少ない書き下ろしキャラアニメ枠として新曲を引っ提げた。
新堂曲に関してはどれをピックアップするか悩んだが、多分氏の曲の中でも人気が高い、8でライブバージョンも収録されたということも加味してこの曲を選出。
その後もポップン11に至るまで曲提供をし続けていたが、諸般の事情(詳しくは検索)でポップン12では彼の曲は全削除、ポップンから姿を消すことになった。
その後、ポップン17、ポップン24では氏の曲をオマージュした楽曲が作られた。(24に関しては担当キャラもアッシュ)
beatmaniaの生みの親にしてポップンミュージックの名付け親、南雲玲生作曲。ちなみに前述のポップス
/I REALLY WANT TO HURT YOUの作曲者でもある。
透明感のある女性ボーカルと、アンニュイな曲調は人気が高く、ポップン9ではロング譜面が作られた。
この曲はキャラクターも特徴的である。ポップン7では、キャラクター数名の名前を公募で決めるという試み「PaPa*MaMa 7」を行なっていた。
この曲の担当キャラは「かごめ」という名前に決定し、影のある少女という属性も相まって大変人気のあるキャラとなった。
ポップンでは10のお星様にお願い、20のみんなでつくろう ポップン20などさまざまな形でユーザー公募のイベントを行うが、ポップン7のイベントはそのはしりと言える。
氏の楽曲は退社後のゴタゴタで多くの曲が削除されてしまったが、こちらの曲は運良く削除を免れ、今もプレイ可能だ。
版権曲に関しては初見の人がプレイすることが多いということで低難易度の譜面が作られることが多かった。
ポップで可愛い風体のポップンに収録された筋肉少女帯。同じアーティストの「日本印度化計画」と共に8に収録された。
レベルは最高難易度級、おどろおどろしい歌詞と、ノーツが微妙にずれて非常に押しにくい譜面、おまけの辛判定とまさに(当時のレベルなら)トラウマ級の譜面。
キャラアニメのミミは、本来可愛らしいキャラのはずなのだがこの曲では怪しい雰囲気の絵柄になってしまっている。キャラ説明文を見ると「不思議な夢」ということらしい…。
長らく収録されていたが、版権曲の定めか、ポップン21にてついに削除されてしまった。
ポップンで1番有名な曲。
作曲はbeatmaniaやギタドラでヒット曲を生み出していたTOMOSUKE、作詞はポップン12で雫というヒット曲を出したあさきというBEMANI的には豪華なメンツ。和風ロックなこの曲は大ヒットし、ポップンは知らないけどこの曲は知っている、なんて人もいるくらいだ。他機種にも移植されまくり、ひなビタもカバーしている。近年だとVtuberもカバーしたりしており、人気の高さが窺える。
16では初のAC出身最高難易度43・トイコンテンポラリーという曲が作られ、その譜面の超密度部分は「わけのわからないもの」と恐れられた。
ピアノの濁流がノーツとなったその譜面は「どうしようもないもの」と呼ばれる。スタッフはそんなに難しくないと思ったらしく、レベルは最高難易度一個下の42に設定されていたのもユーザーを恐怖に陥れた。
その反省か、次のポップン18のボス曲(ふること)は譜面難易度が大幅に下げられた。
その結果、当時の音ゲー板では「ポップンはガチ機種じゃないからこれくらいでいい」派vs「トイコンサイレント並みの譜面をよこせ」派で論争が起きていたのを見かけた。
KONAMI公式大会9thKACではポップン14からのボス曲(+J-テクノ)がメドレーとなったPopperz Chronicleという曲がお披露目され、ランカー達を驚かせた。
前述でポップン公募企画の話をしたが、こちらの楽曲は「みんなでつくって20」という企画でボーカル募集をしたものである。
可愛らしく元気な曲調とボーカル、そして何より乙女がいきすぎてストーカーの域に入っているようなキャラ、かおりんが当時話題となっていた。
みんつく20で募集したボーカルはその後も今に至るまでBEMANIに参加してくれているのだが、特にこちらのNU-KOの躍進は凄まじい。
ポップン以外にもオトカドールというACでは全曲のボーカリストを担当、BEMANIのプロリーグでは監督や解説を担当するなど、様々な形で関わっている。近年では声優としてもデビューしている。
昔のポップンはスタッフコメントや質問コーナー等の影響でスタッフとユーザーの距離が近かったゲームであり、まさにポップンだからこそ生まれた曲といえる。
また、作曲のPONは16よりポップンスタッフとなり、おそらく今も主要なサウンドディレクターとしてポップンを支えている。BST騒動以降、スタッフの詳細が隠されてしまったため憶測となってしまうが…。
当時「つぎドカ!」というBEMANI作曲家4人が4機種に1曲ずつ曲を提供し、選曲回数を競うという企画があった。
その中でポップン出身のPONの曲が見事1位を獲得したという曲である。
経緯的にポップン史10選に入れていいのか?と今気付いたが気にしない。
曲はストレートに熱く、少年漫画のOPのような曲。この時期のPONは作曲スピードがとても早く、サウンドディレクターとなった22、ラピストリアでも多数の曲を書き下ろしていた。
また、このつぎドカの曲を担当した4人のキャラ(烈・風雅・鈴花・氷海)はそれまでポップンにいない毛色だったこともあってか人気が高かった。
その結果、ポップン22 ラピストリアのストーリーでは主役級に抜擢される。
ラピストリアは等身高めな絵柄に改変(メインデザイナーもshio→ちっひに変更)、インスト曲の減少とキャラに沿ったボーカル曲の増加、濃いストーリー、ジャンル名の廃止……etcなどポップンのテコ入れと言わんばかりに様々な変化を取り入れた作品。
つぎドカのキャラ4人は、そのラピストリアの変化を象徴するキャラ達と言える。
ちなみにラピストリアの画風(通称ラピス絵)は、現在ではpeaceでは従来のデフォルメ(+厚塗りにした感じ)に戻っている。
こちらはポップン史に大きな影響…という感じではないが〆にふさわしい感じだったので載っけた。
20周年記念ということで、初代より参加していたsana、杉本清隆がボーカルを務め、23くらいまで長らくポップンに関わっていたwacが作曲をしている。こちらの名義も初期の楽曲と同じものが使われている。(メンバーは多少異なる様)また、初代ポップンのBGMが引用されている。
サントラのスタッフ欄はそれまでポップンに関わっていたアーティストやキャラ(!)がクレジットされており、往年のプレイヤーにはグッと来るものとなっている。
peaceの時のポップンには末期感が漂っていた。前作のうさ猫の途中からポップンの最大の特徴とも言えるキャラアニメの書き下ろしがなくなり、次作として発表された「peace」というサブタイトルは、ポップンのスタッフロールの最後によく使われる言葉だった。
稼働前に公式が25のサブタイトル案として出した中にも「climax」「ありがとう」があり、本当に最終作だったのではないか…?と考えるプレイヤーも多かった。
歌詞には「さよならさえも言えないのなら 今その分の思いを込めて歌うんだ」とあり、スタッフからユーザーへの、いつか来る別れのメッセージが込められている。
リフレクビートの様に、実質サ終だが別れの機会を逃してしまった機種があるからこそ、歌という形でさよならを託したのかもしれない。
peaceに関しては、絵柄の回帰、昔の楽曲のオマージュ曲や、人気曲の追加譜面、そして新たな難易度UPPERなどを追加したことで好評な作品となった。
peaceはレッスンやベビーメタルの追加譜面も話題になっていたので本来ならそっちを入れるべきかもしれない。
また、新たなポップンとしてスライダーを追加、ボタンサイズを縮小などされて開発されていた新筐体「NEW pop'n music Welcome to Wonderland!」がおそらく既存プレイヤーから不評+コロナ禍でお蔵入りしたことで、現在に至るまでさよならすることなく無事に続くこととなった。
ポップン初期〜中期を凄まじい曲数と幅広いジャンルで、サウンドディレクターとしてもポップンを支えていた村井聖夜による楽曲。
特にこの曲は初音ミクもまだ開発されていない頃に、PCに歌わせた革新的な曲である。
ボーカリスト、そしてキャラの「Alt」はポップンユーザーの中では人気があったが、他機種においては数年後にjubeatに収録された「隅田川夏恋歌」にて大きな注目を浴びることになる。
可愛らしい曲調と、ロリ天使がおむつを履いているという、絵柄がデフォルメだから可愛く見えるものの、なかなかすごいキャラデザのポエットは人気を博し、その後のシリーズでも新曲・新アニメが作られていった。
特にパーキッツの作曲の方は、ブタパンチなどの名義でパーキッツの可愛い楽曲とは裏腹にハードでちょっとイロモノっぽい曲を収録していくのであった……。
パーキッツに関してはどの曲を入れたらいいかも悩んでしまった…。順当に入れるなら初代かなあ。個人的にはウィッシュが好き。
あとはDJ YOSHITAKAの曲も入れようかと悩んだ。でも他機種に沢山代表曲あるからいいか。
一応最新作まで低頻度なもののプレイしているのだが、昔の曲多めになってしまった。
ただ、ネットの評判やポップンのリアルイベントの開催状況等を見る感じおそらくブームだったのが1〜8、14〜15だったので、その辺に偏るのはさもありなんかも。
ふしぎなくすりは本当に忘れてた…
でも人気と外に与えた影響を考慮するなら絶対に入れるべきだった。と言うわけで書いてみた
撫子ロックにポップンで1番有名な曲と書いたが、こちらも同等レベルで有名な曲。
作曲者の上野圭市は主に弐寺で独特な作風の曲を提供しており、前作の16からポップンにも提供を始めた。
こちらの曲についても「ふしぎなくすり飲まされて、渋谷で海を見ちゃったの」という歌詞からお分かりになる様に、なかなかの電波曲である。曲調も相まって大変中毒性が高い。
そんなネタ度の高い歌詞は、曲が出た2009年頃はまだまだ勢いのあったニコニコ動画で大ヒットした。
この曲を使った手描きMAD「ふしぎなくすり のまされて」シリーズはブームを起こし、色んなジャンルで作られたのだった。
こちらのMADで知名度をあげたため、ポップン初出ということを知らない人も多いかもしれない。
上野氏はその後も参加し、peaceでは続編曲とも言える「いつまでやったって、別にいいじゃない!?」を提供。ポップンはいつまでやったっていいんだ。
「あの謝罪は本当に形だけだった」 元自衛官の女性への性暴力…5人中4人が争う姿勢 国側は加害認める
と自衛官は思っているんだろうな。
不本意ながら謝罪をしてやったんだからそれで満足しろよ強欲女!
お前なあ……実際の戦場で本当にレイプされても心が折れないように事前に危機意識を持たせてやった恩はないのか?
だから女はだめなんだ。
俺たちは本当にちん毛を焼かれて強くなったんだぞ。
俺たちの中にはちん毛根が燃えて今でもちん毛が円形脱ちん毛症している奴だっているんだ。
それに比べればお前のなんて単に女同士で可哀想な私ごっこするのに使えるだけのいい思い出だろ。
親の顔が見てみたいわ。
本当に同じ日本国民として恥ずかしい。
恥の国で土下座をされたらそこで許すのが当たり前だろ。
ねちねち一度謝ったらどこまでも文句をたれて挙げ句に金をせびるのか。
当たり屋のような女だな。
というか女ってみんな当たり屋じみてるよな。
生意気に胸の形が分かるような服なんて着て男を誘っておいていざなにかあったらセクハラされたと脅しますよで好き放題だ。
本当最悪だわ。
何がWACだWhAt the fuCkの略か?
女がいると風紀が乱れるんだよ。
やっぱ女は駄目だな。
なんでその責任を俺たちが取らされてるんだ?
こんな所か。
俺も観測範囲、かつ記憶を辿りながらの話になるので事実確認は各自でお願い。
なおセクハラ関連の話はしない。
確かに災害派遣とか平和維持活動はその職種の特性上施設科が行くことが多いんだけど、だからといって一概に体力的精神的にタフかというと個人的に疑問符がつく。
災害派遣は鳥インフルとか各種天災とかコロナとか緊急性が平和維持活動と比較すると高くて志望なんて言ってられる状況じゃないし、都道府県知事からの要請(隊員は自衛隊法にそういう条項があることを座学で学ぶ)で近隣の部隊が動いたりするので、経験してる隊員・元隊員は士階級でも全国まんべんなくそれなりの人数いるはず。
平和維持活動の方は、少なくとも俺がいた頃は方面隊単位で指示が回ってきていたので、他の方面隊の隊員が志望したとしても幹部や実績のある曹でないと派遣される可能性は低かった。
ともあれ、そういった環境下・経験で何を思うか・何をするか・何を得るかは、結局隊員個人の感性とか、考える力とかの問題だと思う。
自分の体験とか他の隊員から聞いた体験談を具体例として列挙することもできるけど、読む人に俺の意図しない偏見を植え付けそうなので、あえて挙げない。
施設科の隊員数は軽く調べても出てこなかったのでざっくりした印象の話になってしまうけど、普通科と並んで、あるいはそれより多いくらいの隊員を抱える職種ではないだろうか。
何万人という人を、良くも悪くも十把一絡げに語れるとは俺は全く思わない。
自衛隊に限らない話だけど、元増田も言っているように木を見て森を見たつもりにならず、木はあくまで木として個別に捉えることが重要だと思う。
追記:
ちょっと補足。
彼女らは、当然WACとして住む寮は分けられていたけれども、男性隊員と何ら任務を区別されることなく各種訓練に勤しんでいた。
さすがに平和維持活動を経験した女性隊員となると観測範囲ではいなかったけど(というか俺がいた方面隊は当時その対象ではなかった)、いれば広報のネタになりそうなのでWeb上に実例があるかもしれない。
和歌山アクション倶楽部(WAC)何度かの逮捕を経て今は活動終了(但し逮捕情報は真偽不明)
いわずとしれた伝説の盗撮夫婦、撮り師は細身の女(VOISE情報)、作品数は多いが撮り師が確認できるシーンの報告はほぼない
というかそもそもの特定情報がないのでそれとなく写っていても分からない
盗撮作品として良く槍玉に挙げられ当時は堂々と週刊誌にロケ地である実店舗名が出ていた
当初は雑誌の広告で販売、電話番号も載せており実際に夫婦と会話したという人も少なくない
アクアとも繋がりがあったという話もあるが実際はどうなったのだろうか
夏脱衣所、新合宿などの潜入撮が有名だが、初期は望遠作品もいくつかある
関西を中心とした一大盗撮集団、WACと双璧をなす盗撮作品を世に知らしめた一大メーカー
なにわが裁判の敗訴を受け解散後、素材を引き継いだのが紀州、更にその素材を受け継いだのがPEEPING-HOLES
色々な過去や挫折を抱えた主人公と仲間たちが、自衛官候補生として陸上自衛隊に入隊して一人前の自衛官を目指す! 的なお話。
防衛省全面協力というだけあって、ロケ地はちゃんと駐屯地や演習場だし、色々と描写も細かい(らしい)。
……のだが、一民間人である私はよくわからないので、現役陸曹やっている夫に解説してもらいつつまったりと見てる。
夫が「現職・元自による解説があれば面白いと思うのに」と言っていたので、第一部が終わった今、箇条書きで印象に残ったコメントを残してみようと思う。
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※思い出しながら書いてるのと、私自身ミリオタでもない一般人なので用語が間違っていたらごめんなさい。
・「OPの背景見るだけで嫌になる」
演習場だかららしい。
このぐらいのノリで入隊してきた方が長続きする、らしい。
・(中隊長である3佐にため口で話す主人公に)「こんなん処刑ですね」
・(隊員クラブで飲みまくる主人公たちに)「こんなの即通報、処刑ですわ」
仮に隊員クラブで飲んだら周りの隊員が教官に通報するとか、そもそも許可されてないとか。
・(主人公がライバルと腕立て対決をして)「新隊員で100回?!ヤバ笑」
入りたてでこれだけできるとどこ行っても困らないらしい。
・「射撃うま~」
・「さすがに実銃は持たせてもらえないんだね……」
詳しいことはよくわからないのだが、一般入隊→音楽科というのは至難の業で、そもそもプロオケとかでやれるレベルの人しか入れないとのこと。
なので、「お前も頑張ろうぜ!」的に希望を持たせて入隊させるのはひどい、と言っていた。
・「空挺じゃなくて地本で働いてくれ」
主人公達の教官でもある3佐は元空挺(すごい)で、街で主人公たちを自衛隊にスカウトしてきた、というストーリーなのだが、
夫曰く「空挺よりも地本(採用窓口的な)に来てくれた方が助かる」(人手が足りないから)ということらしい。
途中でWAC(=女性自衛官)が出てくるのだが、なかなかリアルらしい。
・「野戦は映えない」
演習場に10式戦車がわらわらやってくるのをみて「俺は野戦特科行きたい」的なことを話しているキャラがいたのだが、
「野戦の装備どこにもないけど……。まぁ映えないからしょうがないね」と夫がツッコんでいたのが印象的だった。
新隊員教育を終えると、職種ごとの後期教育になるのだが、ナレーションで3秒で片づけられたことに対する感想。
主人公たちの教育をしていた白石麻衣の階級は2尉で、練馬で再会したら1尉に昇任していた。
制服で絶妙に偉そうなことを言うシーンが多いので、何をしている幹部なのか良く分からないらしい。
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とりあえず部隊配属までの第一部の中でも印象的だったコメントを思い出せる限り思い出してみた。
Twitterとか見てると、元自による「これは違う!!」的な冷やかしコメントが多かったので、あまりそういう方向ではない感想をまとめた(つもり)。
私自身の感想としては、入隊前からの思い出話のきっかけにもなったので、おおむね楽しみなドラマなのだが、
虐待サバイバーの同期にむちゃくちゃなトラウマ克服を試みたりするシーンと、
妊娠して泣く泣く去っていく同期に「がんばれ!未来のお母さん!」とか言って応援した気になっているデブが死ぬほど気持ち悪かった。
第二部はすでに始まっており、すでに夫の感想もちらほら溜まっているので、また第二部が終わったらまとめてみてもいいかもと思っている。
椎名林檎をちゃんと追ってるわけではなかったけど、「女の子は誰でも」をCMで聞いた時にオッと思い、数年後これを聞いてなるほど~~って頭ブンブン振っちゃったね
https://music.apple.com/jp/album/1385322133?i=1385322148
未就学児の当時よく歌っていたらしい(!?) 後になって作者が大物であることを知り驚く
自分はハチ・米津玄師の楽曲に対して、なんでこんなのが流行ってんだよみたいなマジで穿った見方をしてた、これを聞くまでは……
皮肉まみれの歌詞が当時だいぶ物議をかもしてた気がするけど、曲はそんなのどうでもいいくらい、悔しいくらいカッコいい
https://music.apple.com/jp/album/1268503456?i=1268503458
ライブ音源です 21世紀の未来のアイドルがこういう曲で踊ってる(しかもロサンゼルスで)という面白さ
安部潤のシンセはT-SQUAREリスペクトらしい 生で聞けたらどんなに楽しかっただろう
https://music.apple.com/jp/album/642832495?i=642832943
まずメロディでこれはHungry Spider以来久しぶりのダークなマッキーじゃ~んと思って、次に歌詞をちゃんと読んで完全に泣いた
https://music.apple.com/jp/album/548245136?i=548245147
ポップンやってた中高の頃、ゲーム内で気になる曲の作曲者を調べたらことごとくwacだったのがちょっと怖かった
その例外がHomesick Pt. 2&3 / orangenoise shortcut、と思ってたけど今調べたら編曲にwacが関わってるらしい マジかよ……
https://music.apple.com/jp/album/498158513?i=498158523
配信サービスで後追いで知る(このリストの硝子の少年とプラチナを除く2005以前の曲は全部後追いですが)
音楽サブスクにおけるレコメンドエンジンというのは恐ろしい大発明ですね このあたりの(自分が能動的に音楽を聴く前の)年代のお洒落な邦楽って絶対たくさんあるはずなのでこれからも掘っていきたい
https://music.apple.com/jp/album/1486281113?i=1486281117
あつぞうくん名義(もともとMelting Holidaysというウィスパーボイス・ソフトロック系のユニットをやっていた)での2枚目のオリジナルアルバム「メガネディスコ」の最後から2曲目がこれ 実質的にはこれがトリ
当時インタビューでRoger Nichols and The Small Circle Of Friends、The 5th Dimention、ピチカート・ファイブに影響を受けたと書いてあるのを見て、それぞれ聞いてみると3グループ全部が自分の好みであったことから、いわゆる渋谷系とその"元ネタ"という概念にハマるきっかけとなる
https://music.apple.com/jp/album/1565906466?i=1565906478
原曲(sm12173659)は非公開・配信無し・CDも入手困難となっていたのですが、2021年に新録されたリアレンジ版がコンピに収録されサブスク配信されています これも良いんですけどどうにかして原曲も聞いてみてください
今考えると初音ミクの登場から数か月という段階(メルト以前!)でこんなに完成されたスキャットが出てきたことが本当に恐ろしい…… オーパーツですか?
OSTERのオリジナルアルバムに何度もリアレンジ・リミックスが収録されたり(ほとんどがアルバムの最後もしくはそれに準ずるような場所に入ってる 曲順が解釈一致ですありがとうございます)、令和の時代になってもゲームでカバーされたり、公式/公認だけでも数えきれないバリエーションが存在する
歌い継がれてほしい
https://music.apple.com/jp/album/662012326?i=662012451
配信で聞けるのはベスト盤向けセルフリミックス(↑)(※Spotifyには無い)、プロセカ(ワンダショ)のカバー(Spotifyで聞くならこれ)、PSBハヤシベトモノリによるリミックスのみ
渋谷系ニワカのときにたくさん買ったCDの中にあった ベストアルバム「PIZZICATO FIVE JPN」の最後の曲だった
攻撃的なリズム隊! 荒ぶるストリングス! キラッキラしたブラスセクション! 淡々と歌う2人! 最高~
Don't Take Your Time元ネタの楽曲は全部好きだけどこれは別格
ここまで楽しくて悲しい曲は聞いたことがない
https://music.apple.com/jp/album/1484037087?i=1484037108
1作曲者につき1曲縛りとした
昨日書いた日記にたくさんの人がコメントをしてくれて嬉しかったです。ありがとう。
平成の米騒動あたりは記憶が曖昧だが、たしかに食堂でタイ米を食べてました。
多分、入隊してすぐくらいだったか…この辺りは、半年以上教育期間だったので、
TVも見られず、もちろんスマホも無い時代なので、世間がどうなっていたのか全く知りません。
マズかったメシ以外にも、自衛隊の楽しみだったり、心に残ったメシをつらつらと書いていこうと思う。
20年間で5回くらい転属してあちこち臨時勤務等もあったので、ひとつの食堂の話ではありません。
カレーライスは間違いなくアタリの日だった。どこの駐屯地でもうまかった。
だが、午前中の訓練のモチベーションを上げてくれるのもまたカレーだった。
新人の頃は午後、ウトウトして先輩からよくどつかれたものだが、
先輩になると、どつく側になった。
そしてまたそれを超える年になると、どつきどつかれしている後輩達を生暖かく見守る立場になった。
昔、料理長に聞いたカレーの隠し味「焼肉のたれ」は、今でも家でカレーを作るときに入れている。
12月24日だか25日の昼には可愛いクリスマスケーキ1ピースが出た。
恋人がいない隊員はあえてこの日に当直を入れ、寂しさを紛らわした。
この日あたりから年末休暇が始まるので、ウキウキと帰隊する既婚者がなかなか憎たらしかった。
ケーキはうまかった。
元旦の昼はおせちが出た。大皿に少しずつ黒豆とか、なます、田作りなんかが適当な感じに盛り付けられていた。
まあ、おせちは出来あいなので大してうまくはないし、おかずになりにくい。
数年に1回は元旦勤務があったが駐屯地にはたくさん人がいるので寂しくはなかった。
バレンタインデーには昼飯にチョコレートがついた。不二家のハート形のチョコレートが多かった気がする。
男女関係なくみんなにもらえるチョコレートはなんだか嬉しかった。
自衛隊の女性はモテるというが、頭が良くて優しくて素敵な、妙齢の独身の先輩はたくさんいた。
自衛隊の男の目が節穴だと思っていた。
少し年を取るとWACはモテなかった。常にすっぴんだし、男女平等階級社会なので言葉遣いも荒くなることもあった。
女性とみなされないのかもしれない。
3月になると、予算に余裕が出るのか使い切ろうとするのか、メニューがわりと豪華になった。
料理長が大きな鉄板で手のひらサイズの肉をジャンジャン焼き上げ、横にうずたかく積んでいく。
外で焼くパターンもあった。
もう焼きあがっているので熱々とまではいかないが、本当に美味しくて年に一度のパーティタイムだった。
その他、創立記念日には紅白饅頭が出ることもあったし、節分には小袋の豆が出た。
美味しいメシは本当に訓練のやる気に直結していた。
ただ、唯一不満があるとすれば、白米がまず出てこなかった。
健康に留意してか、常に玄米とか粟とかヒエとか謎の穀類が混入していたので、ただただ真っ白な白米が食べたかった。
同期なんかは「また鳥のエサが入ってる…」と、よくぶつぶつ言っていたことを思い出す。
あと、駐屯地食堂では目玉焼きが出ないので、外で食事をするときはひたすらベーコンエッグ定食を食べていた。
生の卵は出るので玉子かけご飯は出来るが、半熟目玉焼きに飢えていた。
あとはなぜかクリームシチューが出てこなかったなあ。
自分が除隊する前の数年で糧食班がなくなり、民間の業者が隊員食堂を切り盛りするようになった。
団塊の世代だった古い栄養士や糧食班長も定年を迎え、若くて新しい世代の栄養士さんに代替わりした。
男性の若い栄養士さんは、自衛官の心をグッとつかむ旨いガツンメニューが上手で、とても人気がある。
本当はヤバイ!韓国経済―迫り来る通貨危機再来の恐怖 三橋 貴明 (2007/6/15)
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世界でいちばん!日本経済の実力 三橋 貴明 (2011/8)
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完全にヤバイ!韓国経済 三橋 貴明、 渡邉 哲也 (2012/5/1)
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“脱グローバル化"が日本経済を大復活させる 三橋 貴明 (2012/12/15)
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いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由 (WAC BOOK) 三橋 貴明 (2013/1/9)
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本当にヤバイ!中国経済―バブル崩壊の先に潜む双頭の蛇 三橋 貴明(2013/5/24)
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良識派 vs 常識派で徹底分析 これが日本経済<<世界「超」最強>>の仕組み なぜ日本は世界とこれほど違うのか 三橋 貴明、 岩本 沙弓 (2013/2/20)
いい商売だな。
以下転載
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つらくても、音楽ゲームの人生を過ごしていた。音楽ゲームのおかげで、音楽が更に好きになって、作曲もそれをきっかけに始めた。
正直、かなりBEMANI音楽ゲームに恵まれた。さようならって言いたくない。BEMANIがオレの人生を変わった。人々と出会って、人生の理を体験して、そして音楽がオレの中の一番高い位置を定めた。
何回も何回も、KONAMIがやっちゃったことが、オレみたいなBEMANI信者を傷つけ、絶望させ、そして諦めたくなってた。が、結局なんだかんだの理由を見つけて、自分を説得して、ゲームを引き続いて好きになることにした。
たとえポップンが2作間(TUNE STREET、FANTASIA)稼働してなくても、たとえ未だにe-amusement gateの使用がかなり不便としても、たとえ今回のKAC2013に海外の待遇がどんなにひどくても、たとえKONAMI公式と香港の代理がどんなにプレイヤーに冷たくても、たとえKONAMIのアーティストさんとプロデューサーさんがどんなに働かされてネタ尽きになっても、BEMANI信者達はまだ希望を持って、きっとこれから楽しくなるよと、いろんな意見を提出し、ゲームを支えるように動力した。
この音楽ゲーム界において、オレはさまざまなでき事があった。海外のプレイヤー達をつながって、コミュニティを作った。自分なりの面白いやり方を宣伝し、日本のプレイヤーまで感染させた。ポップンを復活させるために、意見書を直接にサウンドディレクターであるwacさんに渡して、果たして海外がポップンSunny Parkを遊ぶことができた。BEMANIゲームの愛と努力といえば、オレは少なくはないはず。
しかし、ある事情があって、もうBEMANIゲームが好きになれなくなった。KONAMIが、ほんのすこしの決定をして、オレの夢を破壊した。
それは先日、10月30日のこと。8月に行われた、サンボルフロアの自由研究コンテストにで、オレが一員としているチームが、KONAMIから本収録通知きて、契約書をサインしてKONAMIに送った。
だがしかし、10日30日に、公式ページが結果を発表したところ、オレのチームが入ってない。リーダーからメッセージが来て、楽曲が不採用になりましたとのこと。
そう。その理由で不採用に。ルールにはっきり記載してない理由で。
ルールの最初にあった、「参加者の資格は、日本国内在住の方のみ」ってもちろん知ってる。しかし共同制作者についての制限は一切記載されてない。
それより、すでに韓国とアメリカ在住のアーティストがサンボルに参加している。チーム内の話し合って推測した結果は、申し込む人が日本在住であれば大丈夫だと。それに基いて、チームの一員として、このコンテストを参加した。
もちろん結果はご覧の通り。不採用。
ちょっと昔話だけど。10年ぐらい前、プレステで家庭用のダンレボとギタフリをちょっと遊んで、そして9年前ごろからキーマニを触れ、合わせて10年以上BEMANI音ゲーを遊んだ。キーマニとギタドラの楽曲の影響を受けて、15歳ごろから作曲を始めた。だんだん成熟になって、音楽ゲーム以外の分野でも曲を作ってみた。
もしかしたら、いつか、オレの曲がこんなすばらしい音楽ゲームにも収録させ、楽しい曲と楽しい譜面をみんなに遊ばせるのかな、と思っていた。これは、音楽ゲームプレイヤーとクリエーターとしてのほんのすこしの夢だった。それを叶えるために努力していた。
最初からキーボードから五線譜を入力し、そしてFLStudioを使い始め、音楽ゲームに楽曲が収録され、自分のアルバムを作り、ゲーム音楽をいろいろ作った。すべて実際の行動で自分の作品の品質を証明させ、聞く方に楽しませるためだった。
BEMANIにも3回投稿したが、すべて落選した。毎回でも出した作品を聞き直して、進歩を目指し、今度もっと素晴らしい曲を作れるようにがんばった。
音楽ゲームの楽しさを知るため、何年間も研究して、名無しのガキから海外の音ゲー代表の一員になった。3回でも公式大会に出た。日本、台湾、中国、アメリカなど、いろんな国のプレイヤー方と話し合って、各地の音楽ゲーム文化とプレイヤーの実力を理解し、音楽ゲームプレイヤーがほしいもの、そして楽しんでいることは一体なんなのかをたくさん聞いた。
ついにBEMANIアーティストと直接に話す機会があった。彼らの世界はいったいどんなものなのかを知りたい。そして自分の夢への正しい方向を見つけたい。
KACA2011のギタフリ部門に優勝して、AOU2012に行くことになった。バックステージに、dj TAKAさんと話した。もちろんBEMANIに曲出したいって話をした。そしてdj TAKAさんは、これからIIDX17のリミックスコンテストみたい、いろんな公募をやるつもりなので、どんどん参加してください、って励んでくれた。審査担当のdj TAKAさんがいうから説得力あるかと信じて、いつか参加できるじゃないかな、と思ってた。
そして、2012年4月に、SDVX FLOORが開設した。2013年4月、海外のSDVXも稼働し始めた。今は2013年11月で、もう一年半経った。海外のプレイヤーはまだSDVX FLOORを参加することができない。
2013年5月に、台湾のBEMANI座談会を参加した。台湾の関係者がオレの友達で、ポップンについての意見をその場で述べようと誘った。もちろんポップンだけではなく、すべてのBEMANIゲームについての意見も考えた。SDVX FLOORを海外にも対応させるの話ももちろん。
そして座談会に来たBEMANIの方は、おおたPさんだった。そこで、海外はいつFLOORに投稿することができるか、とおおたPさんに言った。「日本人のフリにして参加したほうが早いですね」と答えた。ほぼBEMANIの最高責任者かつプロデューサーである方から教えてくれたので、信じてた。ずっとこの日を待っていた。
しかし、コンテストは何回も行われたけど、応募資格はまだ日本在住のプレイヤーのみ。
今回、日本のアーティスト4人とチーム名義で、自由研究コンテストを参加した。事前はもちろんちゃんとルールを読んで、過去も海外在住のアーティストが参戦した作品も収録されてることを確認して、参加することになった。ついに、時が来た。あと一歩で夢が叶う。本当に最後の一歩だった。
10月のはじめ頃に、仮採用通知がリーダーに来た。約1週間前、KONAMIからもらった契約書をサインして、回送した。10月28日、こっちから送った書類が届いてると確認した。
2日後(10月30日)、公式ページに掲載された当選者リストには、チームの名義がなかった。同時に、スカイプからリーダーのメッセージが来て、公式からメールによると、
「弊社宛に確認書及びデータを拝受し確認させていただきましたところ、共同製作者の方が日本国外に在住されていることが確認できました。(中略)応募資格がない方がご参加されているが確認できましたため、この度は大変残念ではございますが採用を取り消しとさせていただく運びとなりましたのでご連絡いたします。」
「外国在住者立入禁止」のドアがいきなりしまって、その一歩を踏み出すことができなかった。実力が足りないのわけではなくて、ただただオレが日本に住んでいないだけだ。
チーム全員もパニックになって、対処方法を考えた。リーダーは早速KONAMI側と交渉したけど、当日には何も変わらなかった。翌日にはKONAMIからの連絡がなかった。
この文を書いてる時点(11月1日)には、もうKONAMIに希望を一切持ってない。
もうBEMANIゲームを遊ぶ理由がなかった。騙されたかも?dj TAKAさんに、おおたPさんに、KONAMIの人に。
多分、海外の人は全然目に入らないだろうか?日本人だけで十分だ、と。
これからはもうBEMANIゲームから思い出を作ることができないだろう。ゲームのクオリティがだんだん不評になって、コストダウンがまるまるになって、新しい遊び方とか考えず、連動イベントで貢がせる気が満々に。尊敬していたアーティストさんも、この1、2年間に曲作り過ぎで、もう印象に残る衝撃な楽曲がなかなか作れなくなった。ゲームの面からでも、音楽の面からでも、BEMANIが昔みたいな魅力が、音楽ゲーム業界においての代表役が、もうなくなった。
オレにとっては、今はBEMANIから引退するタイミングだから、落下式音楽ゲームの世界からしばらく離れて、世界各地の音楽ゲームを楽しもうと思う。これからも音楽ゲームを愛してる。音楽自体も愛してる。音楽ゲーム風の曲も作る。ただ、他のメディアを通して、音楽ゲームとゲーム音楽を楽しみたいのだ。
以上。これからもみんなのちからで、音楽ゲームの世界を支えるように。
平成25年11月1日