はてなキーワード: スピンオフ作品とは
ここ今月の私の夢中になっているゲームの大量アップデートがあって、
やっとちょっと少し落ち着いて、
スプラトゥーン3の新しいブキぞくぞくと登場したものを試し撃ちも兼ねて遊んでいる感じよ。
新しいブキ?
そんな弱いブキ使う人いんの?
「いるさっ!ここにひとりなっ!」
ってそれ私私私!
セブンファイブオーライダー・コブラなかなかいい感じ攻めの勢いの体勢のポーズがいいわよ。
射程距離が魅力なのよね!
そんで弱点は接近されたらどうしようもないと言うこと。
割と近寄られたら弱いわ。
一番最初の
そして今回の
「いるさっ!ここにひとりなっ!」系の
結構攻めてるでしょ?
クイックボムは即破裂して近寄ってきた相手チームの牽制になるし、
そこで仕留めるかってところ。
ナイスダマと違って展開中のアーマーがないので、
展開中撃ち落とされたら即キルされてしまうけれど、
スペシャルを温存しておけば前戦攻めていけるわ。
攻めの今回のセブンファイブオーライダーは今まで結構中盤を守る固めるってところが大きかった要因の要素があったけれど
これも最低でも熟練度星5つは目指したいところね。
でもさー
だって結構3か月のワンシーズンみっちり1つのブキを一所懸命使い続けてやっと取れるか取れないかの星5つなので、
そんでもって
今回のアップデートで熟練度星5つ超えも超えることができたので、
今まで手に馴染んでいる
欲しいでしょ?星だけに!
いるさっ!ここにひとりなっ!ってな具合で。
しばらく新作はスプラトゥーン4としての発売はまだまだ先みたいなので、
じっくりやり込めることが出来るわ。
そんでさ
スピンオフ作品の『スプラトゥーンレイダース』ってのはどんなのになるのかしら?
サイドオーダーが評判良かったから、
ひとり立ちなのかしらね?
続報を待ちたいわ。
スプラトゥーンに対しての新作は今のスプラトゥーン3が忙しいから
そんなにNIKKEとステラーブレイドのコラボ企画を待ちに待って1年待っていて待ち遠しかった感じとは違うかもしれないけれど、
楽しみは楽しみよ。
とはいえさ、
地味ーにまだまだ遊べるスプラトゥーン2も本当は遊びたいのよね。
スプラトゥーン3で培った私の
私はサンドウィッチマンさん伊達ちゃんのカロリーゼロ理論を応援したいけれど
カサのある食べ物はぺしゃんこにして潰して食べたらカロリーゼロ!
と様々なカロリーゼロ理論があるんだけど
洒落の通じない世の中になってしまっている悲しさがあるわよね。
本当はこっちも遊びたい感じなのよね。
いまだスプラトゥーン2でしか遊べないステージだってあるじゃない。
そうよね、
今気付いたけど
まだスプラトゥーン2でも遊べるのよね。
F-ZERO99もぜんぜん走ってないし。
なんかさー
久しぶりにみんな大好きミュートシティで走ろうとしたら、
え?いつの間に?ってなったの。
私の今のデイリーミッションはNIKKEとスプラトゥーン3で忙しいの!
まあNIKKEにしたら、
1日の時間がリセットされる午前5時に起きてものの20分でその日のうちのデイリーミッションはこなすようにはしているもうすっかり生活の一部って感じだけれど、
いろいろと他にも戦う場所があって
アリーナでしょ?
迎撃戦でしょ?
そんで企画もんあったらそっちのデイリーミッションもあんでしょ?
もうさ、
NIKKEやることが多くって大変よ。
ステラーブレイドとのコラボ企画が落ち着いたら量産型育て上げよう!って思ったけど、
またなんか「ニーア」とのコラボも復活やるみたいで、
忙しいわ。
悩ませさせられるわ。
いまだにNIKKEで部隊のヒーラーは誰がやったら最適解なのかも解決していない今はエマって感じなんだけど。
それも最適解のヒーラーを探す旅も途中なのよね。
ゲームも忙しいし
仕事も忙しいし
私もヒーラーに癒されたいわ。
頑張って乗り切るわよ!
うふふ。
鮭おにぎりね。
最初から不意打ちこなければ私だって味付き海苔のおにぎりを美味しくいただけるものよ。
私がいやなのは
味付き海苔を知らずに買ってフィルムを外して初めて気付く味付き海苔だったらってことなのよ。
最初から味付き海苔と知ってて買って食べるのとはまた訳が違うわ。
汗かくのでこの味付けは嬉しいわ。
レモン炭酸ウォーラー冷えているのをついつい朝ゴクッと決めちゃうわ。
嫌になっちゃうけど
水分補給はしっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
『チャーリーとチョコレート工場』はテレビでちょくちょく放送されてるけど、本国では評判よくないって知ったときは軽くショックだったなあ。
どうやら旧作に『夢のチョコレート工場』ってのがあって親しまれているらしいんだが、それと比べて『チャーリーとチョコレート工場』は魅力に欠けるらしい。
日本では『夢のチョコレート工場』は有名じゃない、つまり比較対象がないから評価されやすかったんだろうな。
こういう、自分の中で何らかの評価基準だったり比較対象があるかどうかで印象がガラリと変わるってのはあるんだろうね。
そういえば『ライオンキング』がCGアニメーションになってリメイクされたとき、俺は正直そこまで評価してなかったな。
高クオリティなCGによる映像美は確かにすごいけど、基本的な面白さは旧版からあるものだし、むしろケレン味が減って物足りなくなった。
でも旧版に慣れ親しんでない人からの評価は高いらしくて、最近スピンオフ作品も上映されてるあたり結果は出てるんだろう。
“慣れ親しんで”と書いたけど、“慣れ”が評価の分かれ目ってのもあるんだろうね。
『ドラゴンボール』の悟空の声優といえば野沢雅子だし、それ以外に考えられないと思っている人は多いけど、他の国ではそうではない。
アメリカだとショーン・シュメルっていう男性声優がマッシブな声で演じていて、あっちでは悟空の声といえばこの人って感じらしい。
そんな人たちが、ドラゴンボール新作の吹替版を待ちきれずに字幕版を観た結果、界隈はちょっとザワついたらしいね。
もちろん長年やっているオリジナル版の声優ということでリスペクトを示す人も多くいたが、一部では「Grandma Goku(悟空お婆ちゃん)」なんて言葉が蔑称寄りに使われているほどだ。
俺たちは慣れているけど、筋骨隆々の男の声を老齢の女性が演じているわけだから、身も蓋もない通称だ。
でも、「悟空の声=野沢雅子」というパブリックイメージや慣れだとかを抜きにしてフラットな気持ちで改めて聴いてみると、まあ野沢雅子の声はお婆ちゃんだ。
劇場版ポケットモンスターの『みんなの物語』で、野沢雅子がヒスイっていう老婆の声をやってるのを思い出す。
当時「悟空がお婆ちゃんの声やってるw」って感じの反応してる人も多かったけど、よくよく考えてみたら「お婆ちゃんが、お婆ちゃんの声やってる」だけともいえるんだよね。
何が良いか悪いかだとか、是非の話とかをしているわけじゃなくて、とかく作品の評価ってのは別作品や“慣れ親しみ”ってのが評価基準の重要なファクターになってるんだなと改めて思った、っていうのを書き連ねただけ。
2025年の春先、突如としてガンダムファンの間で熱い話題となった新作アニメーション映画『機動戦士ガンダムジークアクス』。本作は “パラレル宇宙世紀” という新たな設定を掲げ、シリーズ従来の魅力を活かしながらも、大胆な再構築を試みた意欲作として注目を浴びている。公開直後から口コミを中心に爆発的な支持を獲得し、つい先日、興行収入が6億円を突破したと公式発表があった。いわゆる大御所監督やメディアのゴリ押しがあったわけでもないが、作品そのもののクオリティと話題性により、多くのファンが劇場へと足を運んでいるのだ。
そもそも “パラレル宇宙世紀” とは何なのか。ファーストガンダムをはじめとする既存の宇宙世紀作品と設定を共有しながらも、歴史や出来事が微妙に異なる――いわゆる「if」の世界線を描いているのが特徴だ。人類がスペースノイドとして宇宙に拠点を広げていく大まかな流れは同じだが、各キャラクターや組織の動き方が従来の宇宙世紀と少しずつズレている。そのズレが、物語やキャラ同士の関係性に大きな波紋をもたらし、ファンをワクワクさせているというわけである。
特に話題を集めているのが、シャア・アズナブルとシャリア・ブルという、かつてのファーストガンダムに登場した人物たちが “パラレル宇宙世紀” でどのように存在しているのかという点だ。本来、シャリア・ブルとシャアは原作では直接長い絡みがあったわけではない。しかし『ジークアクス』では、このふたりが初期から行動をともにし、“ニュータイプとは何か” を探る仲間として描かれている。この組み合わせの妙が、本作における新しい世界観を象徴しているとも言えよう。シャアは相変わらずカリスマ性のあるリーダー像を示しながら、シャリアは彼独自の透徹した感性を軸に、シャアとの対話を重ねていく。ファンの間では「まさかこのふたりがこんなに深く絡むなんて」「これまでとは異なるシャリアの魅力が引き出されている」と大絶賛の声が上がっている。
しかし、『機動戦士ガンダムジークアクス』の真の主役はあくまでも、声優の黒沢ともよさんがキャスティングされている “マチュ” という少女である。マチュは地球圏の片隅で暮らす普通の民間人として物語の冒頭に登場する。血筋も特別なものではないし、高い身体能力や優れた戦闘センスがあるわけでもない。そんな彼女が、思わぬ形で最新鋭モビルスーツ “ジークアクス” を託され、戦乱へと巻き込まれていく筋書きが、本作の大きな軸になっている。
マチュが乗り込む “ジークアクス” は、見た目こそガンダムタイプの意匠を受け継いでいるが、その性能は未知数。劇中では “人型決戦兵器” というよりも “人類の希望を託された船” のように描かれ、パイロットとの精神的リンクがとりわけ重要視される。モビルスーツなのに、まるで生き物のように、マチュの感情や思考に反応して形状を微妙に変化させる場面まであるというから驚きだ。このアプローチには、ニュータイプ論や人の意志と機械の融合といった従来のガンダムテーマが色濃く投影されているようにも見える。マチュが誰よりも純粋な思いで “何かを守りたい” と願うとき、ジークアクスの武装や機動力が一瞬だけ大幅に上昇するシーンは、観客からも「エモすぎる」と称されている。
一方、本作でもうひとつ異彩を放っている存在が “シュウジ・イトウ” である。従来のガンダムシリーズには登場しなかった完全オリジナルキャラクターだが、『ジークアクス』においては非常に重要な役割を担っていると語られている。作中では「ガンダムの妖精」のような存在感を持ち、光の粒子のようにマチュたちの前にふわりと現れる。そのビジュアルは「男性とも女性ともつかない中性的な容姿」「美しい光をまとった幻影のような姿」と表現されており、いわゆる “人ならざる存在” として描かれているのが印象的だ。
しかし、このシュウジ・イトウこそが “ジークアクス” の開発に深く関わっていた人物である――というのが物語中盤での衝撃的な事実となる。マチュやシャアたちは、最初こそシュウジのことを “どこからともなく現れる謎の人物” 程度にしか認識していなかった。しかしシュウジは、ガンダムタイプの研究者としての知識を豊富に持ち、さらにはニュータイプ論にも通じている節をうかがわせる。その存在意義はあたかも “作品世界そのものを導く道しるべ” のようで、ファンの間でも「彼はいったい何者なのか」「なぜ姿を消したり現れたりできるのか」という考察がにわかに盛り上がっている。
実際に映画を鑑賞したファンによると、シュウジ・イトウの描写は終盤にかけてますますファンタジックになるという。物理的な戦闘が激しくなるにつれ、シュウジもまたジークアクスのコックピットを取り囲むオーラのようなものに溶け込んでいくのだとか。通常のモビルスーツ戦とはひと味違う “精神世界での対話” の場面がいくつも挿入され、そこでシャアやシャリア、マチュそれぞれが “人類の可能性” をめぐる深い対話を交わす。ここには従来の宇宙世紀が孕んでいた “ニュータイプの到達点” に対する、ひとつの “パラレルな回答” が提示されているとも言えるだろう。
こうしたスケールの大きなストーリーに加え、声優陣の豪華さも『ジークアクス』の大きな魅力になっている。主人公のマチュ役には黒沢ともよさんが抜擢され、繊細でありながら力強い演技が高い評価を受けている。黒沢さんといえば少年少女役から大人の女性役までこなす幅広い演技力が魅力で、さまざまなアニメやゲームで活躍してきたが、今作で見せる “決して強くはないけれど、それでも守り抜こうとする少女” の声は、観る者の胸を打つ。マチュの心情が揺れ動くシーンは涙なしにはいられないという評判だ。
もちろんシャア・アズナブルとシャリア・ブルも、ファンにはおなじみの声優が担当している。オリジナルキャストの故人がいる場合には別の方が演じているケースもあるが、どちらも極力 “イメージを崩さない” 演技とキャスティングがなされているため、昔からのガンダムファンも安心して楽しめるだろう。パラレルとはいえ、ふたりが兼ね備える独特のオーラは健在で、特にシャアは「あの頃のシャアがもしも別の選択をしていたら……?」という “if” 的な魅力を存分に見せてくれる。一方で、シャリア・ブルが持つ透徹した思考と、どこか神秘的な雰囲気は、今回の世界観に大きくフィットしており、「もっと早くこのふたりの絡みを見たかった」と嘆くファンも多い。
さて、興行収入6億円突破というニュースが流れた際、SNSでは「こんな短期間でここまで伸びるとは」「まだまだ伸びるはず!」といった期待の声が相次いだ。元々はガンダムファンを中心に話題となった本作だが、いまでは映画レビューサイトや総合エンタメ情報番組でも取り上げられ、ライト層や普段アニメを観ない層にも少しずつ浸透し始めているようだ。「映像美がすごい」「色彩表現が繊細」「戦闘シーンのカメラワークが斬新で引き込まれる」といったビジュアル面の評価も高い。モビルスーツ同士の戦いはもちろん、宇宙の広大な空間や地上での風景表現も大きなスクリーンで堪能したいと思わせるクオリティだという。
制作スタッフ陣には若い才能が数多く参加している。特に監督のA氏は、これまでガンダムシリーズとは縁の薄い作品を手がけてきたが、そのぶっとんだ発想と映像表現へのこだわりが注目されてきた人物だとか。シリーズ構成を担当するB氏はライトノベルやゲームのシナリオで頭角を現した新進気鋭であり、ファンの間では「これまでの宇宙世紀観に捉われない、新しいガンダムを生み出せるのでは」と期待が寄せられていた。結果的に “パラレル宇宙世紀” という大胆な発想を取り入れながらも、しっかりと “ガンダムらしさ” を感じさせる物語を作り上げ、興行収入6億円突破という見事な結果を得ている。
今後の展開にも注目が集まっており、監督やプロデューサーがインタビューで示唆しているように、追加映像を盛り込んだ特別上映や、スピンオフ作品の制作が検討されている可能性もある。また公式サイトの予告ページでは、「ジークアクスはまだ変化の可能性を秘めている」という気になるテキストが掲載されており、今後さらに解き明かされるであろう “機体の秘密” にも期待が募るばかりだ。さらに「シャアとシャリアの関係はこれで終わりではない」というコメントや、「シュウジ・イトウに関してはまだ語られていない事実がある」という暗示など、ファンをやきもきさせる情報が続々と投下されている。
かくして、『機動戦士ガンダムジークアクス』は “パラレル宇宙世紀” という新たな器を得て、旧来のファンも新規のファンも巻き込みながら、ガンダムというコンテンツに再び光を当てている。その要因には、設定の斬新さや作画のクオリティはもちろん、主人公マチュの儚くも強い意志、そしてシュウジ・イトウという “妖精” 的存在のミステリアスな魅力が大きく寄与しているのは間違いない。シャア・アズナブルやシャリア・ブルという懐かしい顔ぶれも、かつてとはまったく異なるシナリオで姿を見せることで、ガンダムが持つ “深い歴史観” と “新しい世界の可能性” を同時に提示してくれている。
興行収入6億円という大台を突破し、さらなる上積みも十分に期待される『ジークアクス』。ガンダムシリーズの中でも、これほどまでに “世界観そのものを再構築” した作品は珍しく、さまざまな議論や考察がファンダムをにぎわせている。果たして、この作品はどこまでの高みへと達するのか。そして、パラレル宇宙世紀の結末には、どのような “希望” や “真実” が待ち受けているのか。今後も目が離せない、2025年を代表するアニメ映画のひとつとなりそうだ。観客やファンの声を背に、ジークアクスはさらに高く飛翔し、ガンダムシリーズに新たな風を吹き込むに違いない。
週刊少年ジャンプ史上最も重要なマンガ20選 - https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
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誰かがやるだろうと思って放置していたが誰も書かないので。
異論反論は大いに受け付けたい。特に1970年代と2020年代はほとんど読めていないので追記があれば是非。
近代麻雀だけでなく、その前身の別冊近代麻雀やその他関係誌(近代麻雀オリジナル等)も含む。
思いついたままに描いたので順不同で。
当時(80年代)、麻雀のイメージは裏社会(反社)と表裏一体。それを舞台にしたものとして最も有名と思われるこれを選定。
「あンた背中が煤けてるぜ」
の名台詞を生み出しただけでも十分に価値のある漫画。何故「ン」がカタカナなのか、煤けているからなんなのかの意味はわからないがなにやら凄い説得力があり、当時の男子大学生がこぞって真似をしていた。
途中から完全にサブキャラのアカギに主役が取って代わられ、スピンオフ作品の「アカギ」の方が長期連載・人気作になったのは御愛嬌。
ただ、まがりなりにも完結させたのは他の福本作品よりも評価し得るのではないだろうか。
この後、近代麻雀以外でも「銀と金」(アクションピザッツ)、「賭博黙示録カイジ」(ヤングマガジン)など立て続けにヒット作を出し、人気漫画家となっていった。
西原理恵子が悪いお友達に唆されて麻雀を覚えていくマンガ。西原理恵子はこの連載開始時は完全に無名な漫画家だった。
絵もお世辞にも上手いものではなかったが、ギャンブルをする人には分かる悲喜交交は素晴らしく面白い。
西原理恵子の出世作であり、西原理恵子を世に送り出したのは功罪両面で影響が大きい。
お金をかけて麻雀をやったことがある人向け、ならば間違いなく西原理恵子の最高傑作とオススメできる(これ以降の西原理恵子が合わない人もこれだけは別、手に入るのであれば是非読んでほしい)。
車が買えるほど負けたと笑っていたら家が買えるほど負けていた、という笑えなく笑える漫画。
出世作という意味では他誌だが「ぎゅわんぶらあ自己中心派」(ヤングマガジン)、近代麻雀での出世作は「スーパーヅガン」の両ギャグ漫画かもしれないが。
本作も当初はギャグとしてはじまり、キャラが勝手に動いていってストーリー漫画になった印象が強い。
本作に限らないが、裏社会との関わりがイメージされる麻雀を題材にしながら、ほぼそういったものを登場させずに描いているのも好印象で、今のプロ麻雀の隆盛に貢献していると思われる。
更に、麻雀漫画の主役敵役は超能力じみた能力を持っていることが多いが、それを可能な限り排除しようとしているのも特徴的。
リアルな闘牌も見どころ(馬場裕一プロが協力していたそうな)で、他作品と一線を画す。
片チン自身はこのかなり後に描いた「打姫オバカミーコ」を代表作としているし、「牌賊! オカルティ」、「ミリオンシャンテンさだめだ!!」なども面白いが、新境地を切り開いたという意味でやはりこれで。
個人的には麻雀と関係ないが「SWEET三国志」がかなり好き。
どう見ても実在の政治家をモデル(主役が小泉ジュンイチローだし)にしながら、各種の政治的課題を麻雀で解決していく怪作。
大和田秀樹といえば「大魔法峠」や「ガンダムさん」の方が有名かもしれないが、個人的にはムダヅモの方が面白い。
今やったら大炎上間違いなし(安倍シンゾーの切腹など)な政治ネタ満載だが、当時はおおらかな時代だったのだろう。
2017年から続編が発表されているが、登場人物の多くが過去の人になっているのも炎上対策なのだろうか。
「この作品はフィクションです。実在の人物とは“あまり”関係ありません」
知名度としては5選に入るべき作品だが、近代麻雀以外にも複数誌で連載した後に完全にまんがライフ誌に移籍してしまったので選外に。
近代麻雀発とは言え、近代麻雀の作品と見ている人はほとんどいないのでは(「フリテン」という麻雀用語がタイトルになっていることから名残はあるが。)。
「麻雀放浪記」で有名な阿佐田哲也(色川武大)をモデルに戦後すぐの社会を描いた作品。
2000年に第24回講談社漫画賞少年部門を受賞しており、間違いなく当時の麻雀人口の増加に貢献した作品だが、連載誌が週刊少年マガジン(講談社)であり、選には入らない。
麻雀漫画と言えば男ばかりまたは絵が個性的(オブラート)な作品が多い中、メインに美少女を並べ裾野を拡大した功績は極めて大きい。
が、連載誌はなんとヤングガンガン(スクウェア・エニックス)、近代麻雀連載なら間違いなく選に入っていた。
これ以降、近代麻雀にもかわいい絵柄の麻雀漫画が大幅に増え、影響は大きい。
安藤満プロ(連載中に逝去)の協力の元、バブルの頃の高レートを舞台に活躍した「傀」を主人公に当時の世界を描いていた。
連載が長くなり間延びしている感はあるものの、「傀」の決め台詞である「御無礼」を真似て点棒を投げ付けられた人も多いのでは。
多数のスピンオフを生み出した人気作で面白いが、漫画として特筆する物があるとまでは思えないので次点で。
ムダヅモと入れ替える人も多いかもしれない。
当時は正直言って、絵も内容も箸にも棒にもかからない作品が多かったが、「沈黙の艦隊」(モーニング)で一躍人気漫画家に。
近代麻雀がなければ漫画家として成功していなかったかもしれない。
近代麻雀内の人気作ではあり、たしかに面白いが、重要かどうかという点からは選外かと。
80年代から90年代にかけて異様に人気があり、雀鬼・桜井章一を主役とする作品が大量に(10や20ではない)作られた。その意味で、桜井章一は麻雀漫画史に重要かもしれないが、見るべき漫画はほぼないと思われるので選外に。
完全に忘れていた。選外の「近代麻雀内の人気作」に分類したい。
単行本にできない各種パロディは面白いし錦ソクラがシティーハンターのスピンオフを描くきっかけになったという意味でも重要だけど、これを入れるならムダヅモを入れたい。
単行本化したら買うけどね
週刊少年ジャンプでさえ20選にまで絞ってるのだから近代麻雀なら最大にしても5選かなぁと。
7までひろげていいならむこうぶちと兎を入れたい
いろんな意見は大歓迎だけど本文を読めてないのは勘弁してくれ
本文に書いてあるとおり近代麻雀及び系列誌からのラインナップになっているから天牌とかは入りようがない。
選外で取り上げても良かったかもとは思うが。
高橋留美子の漫画でキモいブサメンって誰がいたっけって考えたけど、ぱっと思いついたのが犬夜叉に出てくる桃果人(普通の人間だったけど仙人の秘術を奪って妖怪のようなものになってしまうキモいデブ男)、七人隊の霧骨(土偶みたいな顔したキモいデブ男でヒロインのかごめをレイプしようとする場面もある)
ずっと敵として立ちはだかっていた奈落も女性の看護師に惚れてしまった青葉みたいに、大怪我して死ぬのを待つばかりだった時に博愛精神で自分を看病してくれた巫女に一方的に惚れた弱男だった
スピリッツに不定期掲載される短編だと冴えないおっさんもよく出てくる印象
虎に翼みたいにドラマの脚本家でもありなら「相棒」の太田愛の回とかどうだろう
ずっとひとりぼっちで売れない画家を続けている偏屈な老人、都市開発により居場所を奪われるホームレスとか弱者が出てくる話がけっこうある
あとさんざん挙がってるけどちびまる子ちゃん
クラスメイトのほとんどが不細工で性格も悪い、特に男子の不細工率が高い
永沢のその後を描くスピンオフ作品では中学生になっても相変わらずあの見た目で、3年時には偏差値低めの高校を受験したのに落ちてしまいさらに下の滑り止めに行くことになったそうだ
成人向け作品だったら知的障害を持つ少年の暴走する性欲を描いた知るかバカうどんも女性だね
ぱっと思いついたのがこれってだけだから小林靖子や宮部みゆきやあさのあつこや小野不由美とかも探せばあるだろうし
漫画でも最近は現実的で社会派な感じの読み切りが定期的にバズってるからいくらでもありそう
「ラーメン」や「らーめん」をテーマにした漫画はたくさんありますね。以下にいくつかのタイトルをご紹介します:
極道ラーメン:多重債務者の男の家に暴力団が取り立てにやってきた。その男の話を聞き、歌舞伎町一のラーメン屋「極道ラーメン」の店長、万吉の怒りの鉄拳がうなる!
闘将!! 拉麺男:馬賊に親を殺され、自身も瀕死の重症を負った少年は、超人拳法の達人・陳老師にその命を救われた。やがて少年は、12年の拳法修行を経て「超人一〇二芸」を習得!
ラーメン発見伝:一億人の国民食、ラーメン!百戦錬磨のプロたちが鎬を削る世界に、ラーメン好きの普通の(?)サラリーマン・藤本が挑む!!
ラーメン大好き小泉さん:美少女 × ガッツリ系ラーメンという異色の作品。ラーメンをこよなく愛する主人公がメインの作品です。
闇金ウシジマくん外伝 らーめん滑皮さん:「闇金ウシジマくん」のスピンオフ作品で、ラーメンをこよなく愛する主人公がメインの作品です。
ラーメン王子:無人島で10年も過ごした成宮が「ラーメン大事典」を読み続け、その知識は誰にも負けません。
これらの作品は、ラーメンをこよなく愛する主人公がメインの作品から、実在するラーメン屋や職人が登場するものまで、作者のこだわりが詰まった名作が多数存在します。ぜひチェックしてみてください。他に何か質問がありましたら、お気軽にどうぞ!
今日はゆっくりな起きたら目醒めるでお馴染みの朝が来た新しい朝よ!
また折りたたみ傘を干したというのに
傘って活躍しているときと休んでいるときってどちらが気分がいいのかしら?
まあともかく今日はじっくり1日家にこもりまくりまくりすてぃーな宣言よ。
そうそう、
私が1年前からほぼ1年前と言っても過言ではないぐらい言い過ぎちゃうぐらいの
いよいよスプラトゥーン3のDLC「サイド・オーダー」が遊べるってことでやったー!って感じよ。
街の街角で待ちに待った私のそのサイドオーダーの新しいプレイスタイルの門出の切って火蓋の蓋を閉めるのよ!
わーい!って感じ。
私はそれこそ立ち回りには自身があるので、
「サイド・オーダー」もちょろいものよ!すぐにクリアできちゃうわ!物足りない物足りない!一休み一休み!
ってそれこそよ、
一休さんばりの余裕のよっちゃん以下はおつまみに食べると美味しいかといつも思うけれどよっちゃんイカってどこで一体売っているか私はいまだかつて見たことないところを見るとよっちゃんイカってファンタジーよっちゃんイカで存在しないミームなのかもしれないぐらいの余計なことを思いつつクリアできちゃう勢い山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうわと思ったけれど、
超絶手強い「サイド・オーダー」なのよ!
ちょろいちょろい!って高を括っていたんだけど、
塔の途中の難関が今のところ突破できなくて困ってるわ。
困っているわって言っても、
手をこまねいているわけで指を加えているわけでもなく、
次挑戦するときには絶対勝つる!ってつるとんたんのうどんの盛られている大きな器を思い出すの。
あの麺の量に対して器の大きさの迫力が上回る迫力が大好きなのよね。
そんで、
次挑戦するときには勝つる!って思っていてまたその難関にきたら、
違うお題になってるから
えー!さっきと違う難関なの?って、
なかなか手強くて、
手こずっているのよ。
それにさー
使えるブキもまだ少なくて、
カラーチップって言ってその時のバトルで強化できるパワーがあるんだけど、
それを色々積み重ねていって強くなれるけれど、
火力が弱いのよ!
これも辛いわー!
もどかしい縛られたプレイスタイルでそれが輪をかけてWAになっておどろうって織田裕二さんなのよ!
とにかくきたー!の。
ちなみにWAになっておどるんじゃなくてラブサンバディだったわ!
それでそれが
これ一旦これ「サイド・オーダー」ばかりに挑戦していると埒が明かないのでその一旦開かなかった埒の扉いや窓を閉めて私はまた最近お気に入りのパソコンを広げて色々と増田が捗るでお馴染みのファミレスにきてそのことをいち早くみんなに書いてお知らせしようと思って今電子端末の前にいるところなのよ。
でも私のそもそもの今日の一番の目的はお部屋のお片付けを中心に繰り広げているので、
せいぜい遊んでいられるのもマックス午前中であることをタイムリミットに決めつつ、
午前中まではめいいっぱい力いっぱい遊んでいていいのよ!と自分にも言い聞かせるの。
今日は忙しいので、
うかうかそんな暇ぶっこいている暇ないんだけど、
本気を出してお部屋の片付け
いい機会だからって思い立ったら吉日一粒万倍日!っていうぐらい今日はその一粒万倍日じゃないかもしれないけど、
気持ち的にはそんな心だわ。
でもさー
これって現実逃避しているだけなのってことを現実に目を向けていかないと、
片付けを先にしてご褒美設定をするか?
先にご褒美をゲットしてからやる気を出して片付けするか?
絶対校舎だと
ご褒美をゲットしたらしたでそのまま怠けちゃう高校の校歌を歌いたくなるぐらいきっと何もしない1日で終わりそうなのよね。
だから
私の鼻先に頭に釣り竿みたいなのを取り付けてそこからニンジンをぶら下げて
ただの現実逃避なのよ。
しくしく、
ラッパーだったらきっとそのJRPGでよくある運命に抗うことに対しての運命を世界をそして少女を救うストーリーなのよ!
あのさ思ったんだけど
ラーメン屋さんのお店の名前で「刻一刻」ってありそうじゃない?
濃い濃い濃厚スープが自慢のやつ!
「刻一刻」って書いて表記するとそのままだから「濃一刻」か「刻一濃」で決まりじゃない!
私はこのラーメン屋さんの名前付け代の月1000円を貰えればいいしニコっ!
器はつるとんたんばりに大きな器にするの!
そうすればラーメン屋「濃一刻」の堂々とした面構えになるわ。
パン屋さんの名前大喜利でつけて面白がっているパン屋プロデューサーよりは全うなアイデアだと思うわ。
でも「濃一刻」とか濃い濃い濃厚スープが自慢のラーメンなのに、
人気はあっさり「薄一刻ラーメン」が人気になったりして!
店主の予想とは裏腹にお客さんは意外とあっさりを求めているときだってあるしね。
だから「ダブル一刻ラーメン」って「薄一刻」と「濃一刻」のそれぞれのラーメンの自慢のスープを半分半分にして割っていれてスープを作ればそれ天下一品になるんじゃね?ってパクリパクられになっちゃうわよね。
でも味重ね!って言わなければいいかもしれないそれじゃーパン屋プロデューサーと結果は一緒の閉店するお店が続出しちゃうこと請け合いよね。
ちゃんと真面目に考えなくちゃ!
へい!らっしゃい!
へい!おまち!
ってところまでがプロデュース結果の現れよね。
でもさー
思ったら
大将の親指が器の縁を越えてラーメンのスープにまで到達するってどんだけ大将の親指長いんだよ!ってなっちゃうわよね!
って違う違う論点はそんなことじゃないの!
マーチンも呆れていっちゃうほどのまあ濃一刻ラーメンの美味しさは否定しないけれど、
私はこうまた刻一刻と過ぎていく時間を無視して現実逃避しているだけだってことを早く気づいて帰って部屋のお片付けをしなくちゃなー!って早々に渋々に思うのよ。
あー迫りくるわ時間が。
刻一刻と。
私はこれを書き終えてから
うふふ。
目玉焼きは半熟が好きなんだけど本当はね。
キミが崩れてお皿を汚すのが嫌いなのよね。
美味しい焼き加減の目玉焼き朝定食は本編よりカリカリのベーコンが美味しいから
お湯沸かした昨日の電気ポットのお湯がちょうどいい温度の温めの飲み頃の温度でグッジョブ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ゼルダの多様性: 黒人のゼルダ姫の必要性
プリンセス・ゼルダは、助けを求めるお姫様から、力強い政治家、研究者、魔術師、戦士、リーダー、そして伝説へと成長した多面的なキャラクターです。その複雑さによって、ゼルダはゲームごとに性別の役割を打破する、刺激的な女性キャラクターです。シリーズ35年の歴史を通じて多くの変化がありましたが、ゼルダは常に白人であるという点は残念です。これは遺憾なことですし、有色女性に彼らが伝説的な存在になる可能性を示すための逸失した機会でもあります。
アメリカの黒人女性は現在、彼女たちが重要ではない、劣っている、尊敬に値しないといった内容や声に絶えずさらされています(社会の最高層まで)。黒人パワーの象徴は、これらの攻撃を和らげるために大いに役立ちます。そのため、黒人のプリンセス・ゼルダは、黒人女性が単なる脇役や敵対者ではなく、重要な存在であり複雑な英雄的な人物であることを伝えるメッセージとなります。
変化の必要
ゼルダとリンクが常に白人として描かれることは、白人だけが世界を守ることができ、そして正当にそれを支配しているということを暗に示唆しています。これは、任天堂のゲーム制作者たちの意図ではないかもしれませんが、制作者の間に暗黙的な偏見がある可能性を示しているかもしれません。この変化は、同じキャラクターが毎回登場するのではなく、主要な三人組が時間を超えてトライフォースの独自の具現化であるこのシリーズでは特に可能です。さらに、元の女神、勇者、邪悪の存在と血のつながりを要求する解釈であっても、これらの人物により多様な表現が排除されるわけではありません。なぜなら、血統が時間を超えて全く異なる人種間の交配を経験しないとするのは非常に不可能だからです。また、過去の存在とは異なる人種的な体を持つ同じ精神が宿ることはできないとは言い切れません。
黒人女性への影響
黒人女性は何でもできる存在であり、私たちが共有するメディアもそれを反映すべきです。『ブレス オブ ザ ワイルド』のゼルダは知識欲の旺盛な頭脳派であり、彼女に自分自身を重ねることで、黒人の女の子たちも同じように知的好奇心を持つようになるかもしれません。特に、ゼルダは家族やコミュニティに献身的であり、制度的な不平等に立ち向かおうとする多くの黒人女性と同じように、重い負担を背負っています。ゼルダの政治的な手腕も彼女のキャラクターに自己を反映させる素晴らしい要素であり、幸いなことにアメリカの政治もそれを反映し始めています。
ゼルダが一般的に超能力を持つことも重要です。黒人女性は、黒人のゼルダが光の矢を放つか、スーパースマッシュブラザーズで競争相手を圧倒する姿を見ることで、自分たちも力と魔法を駆使できる存在として感じるでしょう。そのため、プリンセス・ゼルダが黒人であれば、スピンオフ作品やカメオ出演、マンガ、ファンアートなどで彼女が黒人である可能性が出てきます。この重要なキャラクターが黒人として描かれることは、単一のゲームや単一のメディアでの表現以上の意味を持つかもしれません。
このシリーズは、最も重要なキャラクターの人種を変えることが比較的容易でありながら、ほとんど説明を必要としません。ただし、プリンセスの人種を物語の一部にすることを避けるとは思いません。彼女の性別は過去に問題になったことがあり、兄が自分自身がトライフォースの力を持つ権利があると考え、ゼルダIIでは彼女が男性のシーカーに変装しなければならなかったことがありました。したがって、ハイラルの王族の一員が黒人である場合、任天堂が人種の問題を繊細に扱うことに関して、任天堂がためらいを示すことはないと思います。
話は変わりますが、ハイラル王国を統べる王族を黒人として描くことは、黒人が王族として描かれる数の増加に貢献します(『ブラックパンサー』、ビヨンセの『Black is King』、『She-Ra and the Princesses of Power』、『ブリジャートン』など)。これらすべてが、黒人であることが特定の経験に限定されるものではなく、人々に白人によって伝統的に描かれてきた役割を占めることを許してくれるものです。
広い意味での影響
同じ質問をリンクについても簡単にできます(実際、2013年に行いました)、その分析結果も似たような結果となり、黒人男性を勇敢で決断力があり、忠実で親切で、時に愚かで善行を行う人物として描くものになるでしょう。これらの質問は特に意義深いものとなります。トライフォースを持つ唯一の非白人キャラクターが権力に飢えた敵役として描かれる場合、メディアでは人種やLGBTQ+の個人を陰謀を企てたり、非道な攻撃者として描くことがよくあります。人種の異なる人々がよりポジティブな役割で描かれることは、ステレオタイプの払拭と、それらを代表する人々の自己イメージの向上に大いなる助けとなるでしょう。
アメリカにおける黒人と白人の関係がこの文化的瞬間にどれほど困難であるかを考えると、黒人のプリンセス・ゼルダを見ることは、勇敢で優れたヒーローである黒人女性を堅く認めるものとなるでしょう。それは任天堂からの連帯の声明であり、また、ビデオゲーム業界ではしばしば十分に評価されていないコミュニティに対する、非常に目立つかつ大きな影響力を持つ肯定的な表現となるでしょう。最終的には、プレイヤーに黒人の女性キャラクターに共感し、彼女を気にかけ、彼女が重要であると認めることを促すでしょう。
「ゼルダの多様性」は、レジェンド・オブ・ゼルダが包括性に取り組むアプローチを紹介し、関連するキャラクターを重視し、マーガライズされたコミュニティのゼルダのファンと対話するシリーズです。このシリーズのインストールメントが開かれた心で受け入れられ、読者間での建設的な議論が奨励されることを望んでいます。
「NEED」を「SHOULD」と捉えてるんすか?
面白かったけどツッコミどころはたくさんあるし、スピンオフ作品とはいえJOJO感はまるで無かった
なにせ、見てて欠片も荒木飛呂彦っぽさがない
じゃあ原作レイプかって言われると悩ましい
もはや高橋一生版岸部露伴はカリ城以降のルパン三世みたいに原作とは別の媒体でそれ用に分裂したのではないかと思われる
「岸部露伴は振り向かない」の原作は尽きかけてる(なにせJOJO4部のじゃんけん小僧もやったし)ので、今後も続けるならオリジナルな話が増えていくだろう
そうなった時のこの高橋一生版岸部露伴にとても期待してしまっている
泉京香(飯豊まりえ)とのコンビも実に良いので、このヘブンズドア使いの岸部露伴と後悔の無い人生を送ってきた泉京香が怪奇な謎を解き明かすミステリードラマが連ドラになってくれるととても嬉しい
注意事項
・良いも悪いも包み隠さず書いています。特に欠点に関する指摘はボロカスに書いている部分もありますが悪しからず。
・プレイしていると比較的簡単に気付きはするものの、先に知ってしまうと探索の楽しみを半減させるネタバレが含まれます。
評者について
ゼルダ歴9年。クリア済み作品は神々のトライフォース、時のオカリナ、ムジュラの仮面、風のタクト、ふしぎのぼうし、夢幻の砂時計、トワイライトプリンセス、大地の汽笛、スカイウォードソード、ブレスオブザワイルド、夢を見る島(2019)、ティアーズオブザキングダム。スピンオフ作品も加えればゼルダ無双HADX、厄災の黙示録。
後付け設定ではあるものの、公式の書籍にも掲載され、公式サイトでも大々的に紹介されていることを鑑み、物語の一貫性・整合性についてはゼルダ史を非常に重視します。
1. グラフィック
720p30fpsっていつの時代のゲームだよ。とはいえ、現代のゲーム機としてはあまりにも性能が低いSwitchでこの規模のゲームを作るとなれば致し方ないか。
AMDのFSRという超解像技術を採用することにより、低スペックながら美麗なグラフィックとフレームレートの安定を実現と謳われていたが…
・近景ではあまり気にならないものの、遠景ではちらつきが目立つ
・全体的に処理落ちが多くフレームレートが極端に落ちる場所が目立つ(1か所や2か所ではない、ほぼ全域にわたって)
これ、絶対に逆効果にしかなっていないよね。さらに次の理由も併せて、画面を見ているだけでも非常に疲れる。
・デザイン上仕方のない面はあるものの、瘴気など赤色系統のものが多く、画面全体が赤く目が痛くなることもしばしば。
祠や鳥望台をはじめ、視認性の悪すぎるデザインも多い。加えてムービー中の字幕の見づらさもひどい。アクセシビリティガイドラインに完全に違反している。美術・映像スタッフは一体何をやっていたんだと言いたくなるレベルで出来が悪い。
絵そのものの出来はいいのだが、結局上で上げた欠点があまりにも大きいので評価としては10点満点で1点といったところか。
2. UI
前作BotWのUIをほとんどそのまま引き継いだ感じのUIという印象。インベントリがいっぱいの状態で宝箱を開けたときに、その場で手持ちとの入れ替えができるようになったのは純粋に前作から改善されていた点だろう。もっとも、「入念にテストを重ねた」のであればすぐに気づくであろうこの欠点をBotWの時点できちんとしたものにできていなかったのは、UI設計班もテストを行った人間もプレイヤーサイドの快適性をまるで考えていなかったことの証左であり、「できていて当たり前のことができるようになった」だけのこの改善自体はプラス評価には値しない。
スクラビルドの追加により、矢の先端にいろいろな素材を付けられるようになった。これは面白い試みであるが、問題はどの素材を付けるか選ぶのに、いちいち探しにくい。おそらく100はあるであろう矢に付けられる素材を検索するのに、なぜカテゴライズもろくにされていない上に左右移動で1個ずつしか動かせないクソみたいなメニューから検索せねばならないのか。テスターは一体何をテストしてフィードバックしたのか。ソート機能があるとはいえ、あまりにも快適性がおろそかである。
矢のスクラビルド機能を十字上ボタンに割り当てた結果、前作をプレイしているプレイヤーにとっては、シーカーアイテムに相当するゾナウ能力の切り替えとの操作の一貫性の破綻がストレスとなる。シリーズ物でしかも同じハードで出されている以上、タイトル間における操作体系の一貫性は常に注意を払うべきであり、本質的に同じ機能は常に同じ操作に割り当てられなければならない。
評価は文句なしの0点。評価できる要素がない。UI設計班はシロートの集まりなのか?
3. 操作面
良くも悪くもBotW。このゲームが悪いというわけではないのだが、スティック押し込みという悪しき操作法を考えたやつは磔獄門になるべき。ただでさえ低コストのために耐久性が犠牲にされて飛躍的にドリフトしやすくなった、現代のアナログスティックという可動部品に対して、さらに製品寿命を縮める押し込み機能を追加するのは正気の沙汰ではない。誤操作の原因とかどうとかいう以前に単なる計画的陳腐化であり、それに何の疑問も呈さず受け入れている業界も本当にふざけている。
話題が逸れたが、1本指操作に対してジャンプボタンとダッシュボタンが離れているのはストレスでしかない。Yが攻撃、Bがダッシュなのであればジャンプ機能を割り当てるべきボタンはRかZR、あるいは1本指操作にこだわるのであればAボタン(これは実際にはやや使いづらい)である。まあ、TotKでここを変えると上に書いた操作の一貫性に矛盾するのだが。
カメラが非常に使い物にならない。制約も多かったが64ゼルダのほうがまともなカメラである。注目(注目できない)とかもはやいらない。ないほうがいいレベル。
カメラ距離もやたら近かったり、ややアオリ気味のカメラアングルかと思いきや急に変な角度になってみたり、何を映したいのか伝わってこない上に、何を映すべきなのかが分かっていない。
はっきり言って風のタクトのカメラの完成度が高すぎるゆえに最近の3Dゲーのカメラの劣化が余計に目立つ。まともなカメラプログラマーはいないのか。視覚情報が非常に重要なゲームにおいてカメラの性能はゲーム体験の品質を左右する非常に重要な部分であり、絶対に妥協してはならない部分である。特に、普段あまりゲームを触ってこなかったライト層に訴求するにあたり、制作者の自己満足でしかないやたら複雑な操作や、やたら見づらいカメラは、単に本質的でないくだららない理由でゲームのハードルを上げているだけであることにいつになったら気付くのか。
評価は文句なしの0点。操作の快適性はゲーム体験の根本であり、そこが犠牲にされてしまっていてはどんなに面白いゲームもクソゲーまっしぐらである。
4. マップ
使いまわし。これ自体が悪いとは思わない。BotWの時のような新鮮味はないが、(ほとんど)同じマップでなければならないというのも頷ける。
地底と空島が追加されたが、PVなどで比較的アピールされていた割には空島はおまけミニゲームのための追加マップ程度でしかないという印象。もっとも、空に大量の島が浮いていたら空は暗く汚いのでこれは仕方のないことなのだろう。量が少ないといって不満を言うほうが間違っていると思う。その分内容を濃くしてほしかった。
地底マップは実は地上マップの高低を反転しただけのものということに気付いてしまえば、良くも悪くも地上マップを使って探索ができてしまう。個人的にはこれ自体が謎解きだととらえたが、人によってはただの手抜きと取られても仕方がないだろう。破魔の根の位置が地上で祠のある位置と完全に一致していることも、気づいてしまえば探索をするうえで道しるべとなる。地上と地下が完全にLinkしているというのは、デザインとして優れていると思う。
完全に新しいマップを期待していた人には肩透かしだったかもしれないが、評価は7点くらいかな。
5. ストーリー
作品単体としてみても、シリーズとしてみても、あまりにも整合性が取れておらず破綻している。過去作の設定をあまりにも軽視しすぎ。
・初代ハイラル国王が「ゾナウ族の」ラウル???ハイラル王国は神に選ばれしハイリア人の国ではなかったか?
・天から地に降りたゾナウと地上のハイリア人が手を取り合って国を興したと描かれてはいるが、それに対する動機づけが一切なされていない。これまでの設定を変える(公式の言葉を借りれば「新しい史料が発掘された」)のであれば、相応に納得できる理由づけが欲しい。
・初代国王がガノンドロフを封印したのはいいが、ではBotWやTotKよりも過去の時代である、例えば時のオカリナやトワイライトプリンセスなどの時代のガノンドロフは一体何者?ガノンドロフは、4剣+は例外として、それ以外は一貫して同一人物ではなかったのか?そもそもガノンドロフが初めて現れたのは時のオカリナの時代である。「名前だけ同じ別人が時の勇者の時代以降何度も蘇っては滅ぼそうとし、そのたびに封印していましたが、本当の諸悪の根源は別の(初代国王が封印した)ガノンドロフです」とでもいうのか?もしそうであるならば、完全に過去作のストーリーを無に帰す最悪な話である。
・(初代)ガノンドロフがラウル治世下のハイラルを攻め滅ぼそうとしたことについても動機づけがない。王に服従するふりを見せて寝返るのは時のオカリナと同じ展開であるが、決定的に違うのは時のオカリナにおける彼はそうする動機がきちんと説明されていたことである。何の説明もなく「家臣の一人が唐突に魔王となって王国を乗っ取り滅ぼそうとしました」と言われても「ああそうですか」としかならず、そこに納得感は生まれない。
・ガノンドロフがソニアの持つ時の秘石を奪い、闇の秘石に作り変えてしまっているが、それならばなぜ現在のゼルダは、ガノンドロフの手中にあり既に存在しないはずのソニアの時の秘石を受け継げているのか。そもそも過去にワープしたゼルダと当時のソニアがなぜ同時に時の秘石を持っているのか。初歩的なタイムパラドックスだし、この描写が正しいのであればゼルダが持っているのはレプリカかなんかですか?ご都合主義も甚だしい。
・秘石を飲むことにより竜へと転生し、悠久の命を得るが、代償として自我を失い二度と人へは戻れないとされた禁術。砕け散ったマスターソードをゼルダの持つ聖なる力によって長時間かけて修復し、現代へと伝えるために彼女はその禁術を使ったが、なぜか最後は人に戻ってハッピーエンド。散々不可逆性を煽っておいてこの終わり方は何なんだ。戻れてしまうなら禁術でも何でもない。もしも例外的な事例であるのであれば、それを慎重に理由付けしなければならず(「姫を連れて帰ってくるようにと言われているから」は理由にならない)、それもないままハッピーエンドにされても単なるご都合主義であり、納得感もなければ感動もない。
過去作への冒涜と整合性もなければ納得も感動もできない表層だけのストーリーのどこを評価しようというのか。0点を通り越してマイナス100点。
6. バランス面・その他
・プレイヤーの発想次第で好きなようにプレイできることがオープンワールドの良さであるにもかかわらず、いちいち攻略ルートを指定してくるような会話・イベントが多すぎる。そのうえそのルートから意図的に外れると、理不尽を通り越した仕打ちを受けることになる。これではオープンワールドにした意味がない。
・大妖精の開放イベントは、前提イベントとしてシロツメ新聞社のイベントを受注していることが条件となる。オープンワールドの意味をぶち壊す誘導に従ってプレイしないことを選ぶと、そもそもこのイベントを受注しないまま大妖精を見つけてしまい、解放イベントが発生しないのでいつまでたっても服を強化できないことになる。しかもこの前提イベントと大妖精解放イベントとの関連性がなく、前提イベントの存在に気付けても何が前提なのか全く手掛かりがない。
・いちいち敵の攻撃が重い。これは前作からの問題。ろくに装備が整わないうちは、大体すべての攻撃が即死級であり、実質ただのオワタ式ゼルダでしかない。そこに防具強化のために大妖精を訪れても、イベントさえ発生しないので強化できないという余計にストレスな状況に陥る可能性すらある。そして強化もろくにできない状況ではハートを1個2個増やしたところで焼け石に水であり、状況はさして変わらないのでハートを増やす動機さえ発生しない。
・スクラビルドとウルトラハンドの機能の類似性から、これらを分ける必要性がない。そもそもスクラビルドは武器や盾に対して使うものであるから、武器を構えているときにウルトラハンドを使えばスクラビルド機能になる程度でよかっただろう。
・いちいちロードが長い。ただでさえオワタ式でリトライ回数が増加しがちなうえに、広大なフィールドをワープしつつ探索するとなるとロードの長さはストレスでしかない。加えて、馬で走っているだけでもしばしばロード待ちの停止が挟まる。本当にテストしたんですか?
・敵のHP・攻撃力に対して武器が総じて弱い。これはある程度進めてしまうと強い武器が売るほど手に入って戦闘の難易度が極端に低下してしまう前作の問題点を、弱い武器と強い強化素材をスクラビルドすることで強い武器を現地調達させることにより解決を図ったものと理解している。これにより戦闘に適度な緊張感が持続することになり、この点は特に悪い印象は持たなかった。一方で弓は瘴気によって蝕まれていないために元から強いのがバランスが悪い。矢をスクラビルドしてしまうと、どんなにいい素材でも使い捨てになってしまうためだと思われるが、結局は遠距離からヘッショし続けるのが一番楽な戦闘法になってしまった感は否めない。
・前作では地形ギミックなどを活用して、ある意味ズルく戦ってズルく勝つことができたが、そういった敵配置はかなり削減されている。スクラビルドを半ば強制するような戦闘になってしまうのは、結局プレイヤーの選択肢を奪っていることになる上に、いやでも接近戦が増えるためにオワタ式ゼルダの問題点がより強調される。
・全体的に6年かけた割にはバランス調整がいい加減すぎる。
・無駄に精密な操作を要求される場所が多い。そもそも謎解きですらない、どれだけうまく操作できるかチャレンジでしかないような祠もある。これは前作も同じ。
・そもそもゼルダのゲーム体験のキモは謎解きであり、アクションはそのおまけでしかない。やたらとアクションを強要されるようになった前作も含め、本質が変容しているように感じる。「アタリマエを見直す」とは「本質を破壊する」ではないはずだ。アクションをやらせたいのであればマリオで十分である。そういった部分でそりが合わないので余計にストレスを感じてしまうのだろう。
つまびらかに見ていくと、決して100点とはいいがたいゲームである。巷の評価が軒並み100点なのは一種の気持ち悪さすら感じるし、100だらけのレビューにいったい何の意味があるだろうか?欠点から目をそらしているだけのレビューはレビューではないし、これだけの擁護不可能な欠点をすべて覆すほどの魅力があるとは思えない。私はかなりに辛口に評価をしている自覚はあるが、それでも軒並み100というのには非常に強い違和感を覚える。