はてなキーワード: ポケットマネーとは
最初の相談員さんは激昂してしまった。裁判しなさい、あなたも甘すぎますよ!と。
次の相談員さんは冷静だったが、「いいですかこれは解雇ですからね?」と念を押されたり、「つっこみどころが多すぎる」「経営者の意図がわからない」と、あきれかえっていた。
自分の希望としては、正社員に戻して解雇を無かったことにして欲しいと思っていることを伝えると、それならばまずは雇用主に「社員に戻る」ことを要求すれば、通る可能性がゼロではないという答えをもらった。いわく、突然さかのぼっての解雇にした事業主の意図は測りかねるものの、おそらく年金事務局に追及されたので、ごまかしたのでしょう、それなら事務手続きのみの問題なので、あっさり要求が通る可能性もあると。
「(経営者は)どうしてこのようなことをしたんでしょうね、おそらく何も考えていないんでしょうね。」とも言われた。
わたしは
を要求し、成果としては
ことの2点を約束された。
`説明不足のせいで不安や心配をかけてしまったのならそこは申し訳なかった。しかし解雇ではなく、「準社員」という扱いにしている。これは、会社対個人事業主ではなく、仕事が無いとか病気などで働けなくても変わらず給与を出し続けるということだ。そこは守り通すということを理解してくれると信じていた。
このような主張をされた。この人は今でも解雇と認めていない。
また、気になっていたこのような仕打ちの理由だが、やはり社会保険を支払いたくないからというのが理由だった。
前回の話し合いから1週間以上過ぎたので、どうなっているのか社長に問い合わせたところ、全く何もしていなかった。
まだ何もしていないのになぜか電話をかけてきてスキルアップ助成金がどうのこうの言ってきたので、そんなことどうでもいいからいつ社員に戻れるのかだけ答えろと遮った。不当解雇を我慢する譲歩案としてさかのぼっての社員復帰を要求しているのだと改めて言ったが、相変わらず「解雇ではない揚げ足取りだお前は誤解している」と言う。
この電話では、12月から社員になることは最低限できる、話によっては9月までさかのぼることができる可能性がある
という回答を得た。
1時間後にまた電話が来て、社労士と税理士に確認の電話をした結果を共有された。2週間何もしなかったくせに強く要求したら急展開のこの対応。
しかし社労士との電話の結果は、「フルタイム勤務ではないことにすれば社会保険料をまぬがれる」という予想を超える内容だった。
わたしは、聞くだけで不愉快になる話はしないで欲しいと返した。
税理士との電話の結果としては、残念ながら社員に戻れるのは25年1月からだという話だった。なるべくさかのぼってなんて話はもうどうでもよくなってきた。とにかく正社員に戻り、社会保険に入ってくれれば解決としようと思った。
この電話で、わたしは経営者に、社員に戻ったら雇用契約書を出して欲しいとお願いした。そんなもの今まで作ったこともないと返されたが、退職するまで本当にもらえずじまいだった。
2024年の個人事業主の間の確定申告は、会社の税理士に依頼し、所得税の支払いは経営者にさせた。
確定申告を進めるにあたり、20年以上わたしの税務処理をしてきた税理士と直接やりとりすることになったのだが、今回の不当解雇については次のように弁明された。いわく「社長は認めていないが、今回は解雇だったというのがこちらの見解。自分が関知したときにはもう社長と社労士が手続きをしたあとで、しかも本人は了解済と聞かされていた。こちらも突然の書類の準備が大変だった」とのこと。
2025年1月から正社員に戻り、社会保険(協会けんぽ、厚生年金、介護保険)も控除されるようになった。また、非常に簡素ながら給与明細も貰うようになった。
ところが控除欄のおかげで雇用保険に入っていないことがわかった。メッセンジャーで「1月から雇用保険を適用させてください」と要求した。
雇用保険に関して1か月もの間何の進展もなかったので、会社を辞める宣言をした。
この1か月は毎日のように沸き上がる嫌な気持ちを、月末給料日の給与明細を見るまではと抑えていた。
14時過ぎ、まだ給与振り込みが無いタイミングで、営業氏から電話があり、「(これから)雇用保険の手続きを進めるので、5月の勤務管理表は今日じゅうに出して欲しいと社長が言っている」旨知らされた。今から手続き?今勤務表?それを営業さんが伝言?我慢が限界に達して、その場で「今日限りで辞めます」と言って電話を切った。15時には給与は振り込まれていた。
俺のポケットマネーでホームレスのおっちゃんに奢っても続かねえもの。
「十分続く」人がちょいちょい居てノブレスオブリってるとしたら富裕層に富が集中するロシアみたいなクソ社会ってことだろ。
これと逆方向の奴で、日本人は災害で避難してるときでも奪い合うことなく冷静でスゴーイ、ハイチのクロンボは暴動になるから危なくてヘリから物資投下するしかないのに!みたいなのもある。
いや数日間の急場をしのげば絶対だいじょうぶという、日本国の規模と秩序への信頼があるからやろ。先が見えない状態なら日本人だってフツーに奪い合うわ。
反日だろうが日本スゴイだろうが、あらゆる「日本特殊論」は馬鹿が言ってるか馬鹿を騙すために言ってるかだと知れ。「同調圧力があるのは日本だけ!」とかな。なわけあるか馬鹿。
例えば我が家の場合だと、子供が小さいというのもあって月々の生活費が結構大きくブレるので、
毎月かかった生活費を夫婦で折半して、共有口座の金額を常に一定に保つ(小遣い部分が可変で、資産運用などもポケットマネーから各自でやる感じ)方式を取っているんだけど、お小遣い制の家庭ってどうやってお金管理してるんだろう。
毎月お互いの収入全部プールして小遣い固定だと基本的にお金は貯まり続けると思うんだけど、それ、どうしてるんだろう?
現金のまま眠らせておく感じなのかな?ある程度溜まった時点で株とかに外貨、あるいは定期預金とかにしてるのかな?夫婦で投資戦略違うと揉めない?他人事ながらちょっと気になった。
話としては面白かったんだけど、気になった点がいくつかあったので書き出してみる。
ちなみに漫画は一切読んでない。
①禰󠄀豆子の咥えてるアレ、結局何?
観始める前までは、「禰󠄀豆子が鬼になってしまい、鬼化を抑えながら炭治郎と旅をしている」というイメージでいた。なので、あの咥えている竹筒は魔力?妖力?を抑える力のある特殊な装備なのだと思っていた。
実際はおそらくただの猿轡なんだろうけど、炭治郎に襲いかかっていた禰󠄀豆子が竹筒を咥えさせられたことで理性を取り戻したっぽいのはなぜなのか?
鬼は口に何か咥えていれば落ち着くの?
あと冨岡義勇があの竹筒を持っていたのもなんで?その場でサッと作ったのかもしれないけど、周りは竹林ではなかった気がする。
突然咥えさせられて、なんの説明もないのでずっと引っかかっている。
②鬼が出過ぎ
物語の初めでは鬼というのは都市伝説みたいなもので、今どき信じてる人なんかいないよ〜みたいな扱いだったと思うのだが、そのわりには鬼、身近すぎない?
最近鬼の活動が活発になって、、みたいなセリフはあった気がするけど、それにしても鬼の登場頻度が高すぎる。
柱の過去話とかでもカジュアルに鬼が出てくるし、鬼!?現実にいたのか!?みたいなリアクションもない。
最初の設定はどこにいったんだ。
③謎だらけ鬼殺隊
鬼殺隊の設定で一番びっくりしたのが、政府非公認組織であるということ。
まあたしかに、鬼が都市伝説的な存在である以上、鬼退治を目的とした組織を公に認められないのはわかる。
しかしそれにしてはかなり派手に活動しているし、ぶっ壊した列車や建物の後処理とかはどうなっているのだろう。
隊服を着てうろついてても一切怪しまれないのも妙だし、あんなに大量に隊員がいて秘密組織というのも無理がある気がする。
隊員たちの給料や衣食住の費用、医療費、刀鍛冶の里の維持費などなど言い出したらキリがないが、これら全て産屋敷家のポケットマネーから出ているとしたらやばすぎる。
というか鬼殺隊って給料出てるのか?お金もらうシーンとかなかった気がするけど。
炭治郎がうどんを買って食べるシーンがあったが、買い食いできるお金持ってるんだ!と素直にびっくりした。
まあまだ柱稽古編の途中までしか観てないので、この辺は見当違いな疑問かもしれない。
④大正時代という設定に無理がある
本当に大正時代なのであれば、あんなに堂々と刀をぶら下げて歩いていたら即お縄である。
それこそ政府公認で鬼殺隊は特別扱いとかならまだ分かるけど、公には知られていない組織なわけだし。
なんだっだか忘れたけど、他にも時代設定に違和感を感じるシーンがちらほらあった。
まあ作品の性質上、そこまで厳密な時代考証が必要なわけではないんだろう。
であれば、わざわざ日本の大正時代、と銘打たず、和風異世界ファンタジーという扱いでも良かったのでは?とはちょっと思うが。
半年くらいかけてちょっとずつ観進めたのでよく覚えてないところもあって、自分が忘れてるだけなところもあるかも。
てか読み返してみるとわざわざ書かなくてもそんなことみんなわかって楽しんでんだよお前は寝てろ案件な気がしてきた。n番煎じだったらかなり恥ずかしいな。でも鬼滅の刃初心者だし許して欲しい。
【豊橋新アリーナ】計画継続求める請願 20日本会議で採択へ 市議会総務委会 - 東愛知新聞社 - 東愛知新聞
「勝ち」とは「事業者と建設中止で合意し、その違約金が確定し、それが事業者に支払われること」と考えるが、そのためには、
4. 市議会がそれを可決する
5. 市が事業者に違約金を支払う
が必要だが、現在は 1 に向けての通知を行っただけで協議は始まっていない。
4 について。
組替動議などでも市長側が主張を変えなければ平行線となり、市議会から市長の不信任決議案を提出する理由になりえる。
現在勢力的に不信任→議会解散→市議選を経ても賛成多数の情勢は変わらず、再度の不信任決議案で失職する可能性が高い。
上記請願や、市議会の代表・一般質問を理由に 4 を待たずに不信任決議案が提出される可能性もある。
再市長選で再任する可能性もあるが、議会の勢力図が変わらない限りは振り出しに戻るだけだ。
住民投票について。
結果に対しての法的拘束力はない。
アリーナ賛成派からすれば、「税金を使うか否か?」という住民投票は過去の歴史から敗色濃厚なのでやりたくない、やらずとも勝てると考えているだろう。
市長からすれば、住民投票を行う事で大義名分を得ることはできるが、議会はその議案を通さないだろう。
また、アリーナ解除の手続きを早急に行った理由として「一刻も早く」「1円でも安く」と発言しているため、カネも時間もかかる住民投票は整合性が取れない。
議会を通さず違約金を支払う、について。
市長権限である専決処分は、豊橋市の場合、額によっては議会の承認があり、その額は数億円程度とされている模様。
事業者との協議で、違約金がその範囲内に収まれば処分可能とみるが、その額内で収まる可能性は低いだろう。
市長のポケットマネーや「違約金を支払うためのクラウドファンディング」はあるのかも知れない。
いずれにしても、市議会はいつでも不信任決議を提出・可決できる状態にあり、本市議会ではその理由付けをするための質問を行っている。
長坂市長は、市議を10年以上やっていたのだから、自身が当選すればこうなる事は織り込み済みだと思うが、どこに「勝ち筋」を見いだしていたのだろうか?
※ちょっと話はズレるがホテル代はポケットマネーとか言ってるけど国会議員として受領した給料を歳費用口座(政策活動用)と個人の口座に分けてるってことなのかね?
逆に分けてないわけないだろ
政治資金規正法をなんだと思ってんだ?
不倫のケジメに国民民主党の倫理委員会の判断を仰ぐという非常に旧来の政治家的な密室で身内で決めますという話になるようです。
ちげえよなぁ!
ケジメ・・・責任と言ってもいいだろう責任の取り方に非常に端的で痺れることを言っている漫画がある
甲斐谷忍の「ONE OUTS」という漫画作品 そこで主人公がこういうんだ
”責任を取るっていうのはな。痛い思いをするってことだ。迷惑をかけた人間がかぶった以上の痛みを自分も背負うってことだ。”
”銀の食器を壊したヤツは金の食器を買って返すのさ 悪臭をまき散らす工場の社長はその工場の煙突のすぐ横に屋敷を構えるのさ”
”それが責任を取るってことだ。”
ということで玉木君には以下の痛みを負ってもらうことを提案したい
①割礼
これのいいところは痛みとセットで次なる不倫行為の抑止になることである
②金の流れの公開
政治資金規正法に関連して透明性うんぬん言ってるよね? じゃあ自分から疑惑は晴らさないと
国会議員と16歳年下の売れないグラドル(自身の選挙区の観光大使)が単なる不倫だと普通思わない
金も権力も何も利用してない純粋な不倫なわけがない まぁ下衆の勘ぐりと言われればそれまでだが、普通の想像力があれば考えること
違法性はないかもしれないけど金の流れは不倫相手にも協力してもらって公開するべきだね
なんかあった時に赤旗あたりにすっぱ抜かれたりしたら致命傷 だから自分から公開しちゃいな
綺麗なもんだったらむしろプラスでしょ 不倫とはいえ愛だったんだなって美談になるよ・・・なるかな?
※ちょっと話はズレるがホテル代はポケットマネーとか言ってるけど国会議員として受領した給料を歳費用口座(政策活動用)と個人の口座に分けてるってことなのかね?
でもそんなん歳費が足りなきゃ個人口座からぶっこんだり、余った歳費は個人用として使うとかやってるやろ それ自体は別に悪いことではないがだとしたらポケットマネーと歳費なんて言ったもん勝ちでしかないのでは?
歳費でホテル使うと経費計上できて還付があるけど 今回はしてないからこれはポケットマネーみたいな話か? わからん・・・
お金に属性を付けるって難しいんだよね ポケットマネーってどういう意味なんだろ? 詳しい人いたら教えてほしい
政策支持者向けに財務省と刺し違えてでも今年度の税制大綱に減税をねじ込むこと
これはやりきりらないとね 例年だと12月中旬発表だからもう時間がない 忙しくなるね! 不倫する暇もないよ!
④年明けくらいに議員辞職
人間性にほれ込んで投票した人向けにわかりやすく痛みを負いましょう
https://ameblo.jp/tamakiyuichiro/entry-10017995920.html
この記事も発掘されちゃったしこのまま議員を続けるのは発言の整合性はどうあっても取れない 一度在野に自ら下りましょう
個人的には③が成功してたら次の選挙出てもいいんじゃないかと思う 性にだらしないけど実績ある実力派の政治家として再出発 頑張ってほしい応援する
③が失敗したらもう議員としての価値はないでしょう 政策学者にでもなればいいんじゃない? 国民民主党がお抱えにすればいいよ(いいのか?)
※痛みを負ったのは嫁だけだろとか言うなよ 比例で国民民主党を入れた617万人は皆痛みを負ってるんだ!
旦那と付き合ってる時、仕事辛いなら辞めていいよと言われて辞めた
旦那は義父から受け継いだ不動産の賃料で食べていて、かつ義父が生きている間はポケットマネーから生活費を出していただいている
こんな状況なんだけど、義妹に「家族と思ったこと一度もない、寄生虫 人間と認識したこともない」と言われた
そう思っても仕方ないけど、義妹は働いてるけど同じく義父から受け継いだ不動産の賃料を貰ってる
それに私がいても義妹のお金が減るわけではないよね
「うちの親のお金で生きてるのにそれが当たり前だと思ってるのがおかしい」とも言われた
でもそれを許してるのは義両親だし、義妹に言われる筋合いないと思うのだけど
義妹が不満を漏らしたからなのか、月に1回は義実家に止めてもらってたのに、年に4回までと言われてしまった
義両親にも嫌われているような気がしてきた
なんでそんなに目の敵にされなきゃいけないのか分からない
【追記】
夫は子育てしてる
義妹の仕事は義実家の家業のメインのようなもので、家族全体の資産運用の方針決めも行ってるらしい(お金の話はあまりしてもらえないけど)
私が歩み寄るために「NISAって何がいいんですかね、やっぱりオルカンがいいんですかね」と聞いたら「オルカンごときで◯◯さん(私)という負債の埋め合わせはできない」と言われた
名誉毀損で訴えたりできないんだろうか
はてなブックマーカー三巨頭のダイダラボッチさんと、ブクマカの良心であるミヤウチさんからコメントをいただきました。
望外のしあわせです。あの世に行ったら自慢しようと思います。ありがとうございました😊
(以下本文です)
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私は62才である。とある地方都市で、公務員として約36年働いてきた。生まれ故郷だ。
地元、そう、本当に地元だ。保育所から高等学校まで、ずっと地元である。(地元にある大学で行きたい)大学はなかったので、大阪府内に進学することになったのだが。
それから民間で三年ほど働いて、地元の市役所の採用試験を受けて入庁した。
いいことも嫌なこともたくさんあった。思い出深い職場である。時間が過ぎるのはあっという間だった。
ずっと土木建築の仕事をしてきた。道路造りに、水道に、都市計画に、施工監理に……少しの間だが、まちづくりの仕事もした。思い出が蘇ってくる。もっと写真を撮っておけばよかった。
本題である。定年延長により、公務員の定年退職はしばらくの間、2年に1回になっている。
私が定年になったのは61才になる年度である。民間企業は誕生月に退職になるのが一般的だが、公務員の場合は年度末まで在籍できる。
今年の3月末をもって分限退職の辞令を受け取り、退職日には労働組合の行事で退職者一同での職場巡りを行い(※有給である。有給が残ってない人は人事がわかってて見逃してくれる)、最後は市長のポケットマネーで退職者のための小宴会が催され、皆それぞれに挨拶をして――私を含めた有志は、翌年度からも再任用(あるいは再雇用)されて働き続ける――はずだった。
タイトルにあるとおり、私は再任用の対象にならなかった。再雇用もNGだった。
2023年の秋頃だったか、再任用の希望票を人事に提出した。その後、返送されてきたのは「再任用は不承認」なる文言の書かれた通知が1枚だけだった。
理由によると、総合的な事情により再任用できないらしい。同じ階にある労働組合の職場委員会を通じて確認したところ、この階の職員だけでも数名が再任用されなかったということだ。
民間企業では、「雇用と年金の接続」という観点から、年金が支給となる65才まで退職者を継続雇用する義務がある。例えば、60歳定年制を採用する企業の場合、65歳までの再雇用は法律上の義務であり、再雇用拒否は原則として違法である。
では、公務員の場合はどうかというと、こちらも原則として再任用をすべき~という旨の総務省通知が平成25年3月に出ている。
内容を要約すると……
「公的年金の報酬比例部分の支給開始年齢が段階的に60歳から65歳へと引上げられることに伴い、無収入期間が発生しないよう国家公務員の雇用と年金の接続を図るとともに、人事の新陳代謝を図り組織活力を維持しつつ職員の能力を十分活用していくため、当面、定年退職する職員が公的年金の支給開始年齢に達するまでの間、再任用を希望する職員については再任用するものとすること等を内容とする閣議決定をした」
ということだ。
【参考URL】
https://www.soumu.go.jp/main_content/000216510.pdf
http://www.rilg.or.jp/htdocs/main/houmu_qa/2015/43_winter02.html
ただし、この通知はあくまで国から地方自治体への技術的助言であり、法的効力があるわけではない。
組織からその価値がないと判断された職員だと、再任用はされないことになる。
私は、36年間ずっと、このまちで働いてきた。
そこまで目立たない中国地方の地方都市ではあるが、このまちが気に入っている。
できれば、ずっと働きたい、もっと働きたいと思っている。
労働組合に上記の再任用拒否を相談したところ、今後の団体交渉前の当局とのやり取りにおいて、本件に言及いただけるとの回答が執行部からあった。だが、望みは薄いようである。こういった当局の対応は、何年も前から続いているからだ。
市役所にとって不要な人材は、再任用(再雇用)しない。それが人事当局の方針である。
私は怒りやすい人間であり、周囲に迷惑をかけたこともある。若い頃は上司と反りが合わず、反発して死のイベントを無断欠勤したことがある。なんてことをしてしまったんだろう。あのイベントに出ていればよかった。
日常の仕事においても、市民や業者と言い争いになることがよくあった。
感情の振れ幅が大きく、職場の人に迷惑をかけた。用地買収の仕事の時にも、地権者との交渉がうまくいかなかったのは私のせいである。
査定が低かったのは間違いない。でも、私は私で、このまちが好きで市役所職員の仕事を続けていた。もうちょっと働いていたい想いがある。
仕事とは別の方面になるが、二十代の頃からずっと組合活動をしていた。
土木建築の職場委員会はずっと仕切っていたし、反核の平和の火リレー、メーデー、自治労の定期大会その他の行事などは、40代になって体にガタが出るまで前線に出ていた。
平和の火リレーの時は、市立総合体育館の前にある大きい道路をまっすぐに進んでいったっけ。本当に懐かしい。
一番、血気盛んな時期だと……国と県が合同で実施する泊まり込みの研修があった時、私が朝のラジオ体操時の国旗掲揚係になった時だった。私は、つい大声で主張したのだ。自分の平和にかける想いを。
あの時は、江田島にあった国立青少年自然の家だった。集会室での私の言葉は、十数年前の日記に確かに記録してある。
「皆さん。申し訳ありません。これは研修中の職務ではありますが、私は日本国旗を掲揚する係にはなれません。太平洋戦争を引き起こし、被差別部落問題を長年放置してきたのは日本政府です。人権侵害の象徴である、その政府が作った国旗を掲げることは、平和を愛する者として到底できないのであります!」
と、研修参加者50人以上の前ではっきり告げたのだ。これは、当時の労働組合における一般方針のひとつであった。
今では思う。広島県全体の研修の時なのだから、この時ばかりは組合の方針に反してもよかったのではないかと。
実際、研修が終わった後で人事当局に呼び出された私は、総務部長から「増田さん。悪いけど辞めてくれるか?」と言われた。国か県かはわからないが、クレームがあったらしい。
だが、やはり血気盛んだった頃の私は、組合にも相談したうえで、基本は一人っきりで人事当局と戦った。少しばかりは助けを求めたこともあったが。
最終的に、処分ではなく厳重注意に留まった。組合が助けてくれなかった場合、本当に辞めされられていた可能性がある。
私が悪いのだ。私は仕事に対して真摯に向き合ってきた。本気でやってきた。それでも成績が悪かったのは事実であり、その時期の上司の方々の温情に賜れたことに感謝している。
仕事は本気でやっていたけれども、周囲への配慮が足りなかった。令和になっても、今でいうパワハラみたいなことをしていた。
あの時、いつだったか。令和元年のことだ。
税務の子が当時、私が働いていた施工監理(兼庶務管理)の部署に来ることがあった。土地の課税評価のことで、私が依頼していた文書を届けにきたのだ。
その文書には誤りがあった。その時、私は怒鳴ってしまった。今でも反省している。後悔の念を込めて、できうる限り思い出してみる。
確か、私はこんなことを言った。
「お前、まちごうとるぞ。小字(こあざ)がなかろうが、字がっ!! なしてないんならあ、おい」
「え……どういうことですか」
「水吞町だけじゃなかろうが、さらに、その下に水~(※龍だったかもしれない)という小字の名前がなかろうが」
「すいません、つけ忘れました。打ってません」
「なんでそんな大事なもん、付けわすれるんならあ、おい」
「すいません」
「お前、法務局にこれ出してみろやあ~、恥ずかしいどお!!」
「ごめんなさい……」
恥ずかしいのは私の方である。若い子に対して、こんなに失礼なことを言ってしまった。
その次の週に同僚から聞いたのだが、その女の子はうつ病になり、職場に来ることができなくなったという。
元々、抑うつ気味で元気がなかったらしい。私が怒鳴った金曜日だけでなく、土日にあったイベントでも動員があり、その子は仕事ができず辛い思いをしたという。
ただ、私にも原因があるのは明らかである。本当に申し訳ないと思っている。
その子は、労働組合を通して聞いたところだと――翌年に単純事務労働として税務の仕事に復帰したが、なかなか調子が戻らず、結局は新卒2年目で退職したとのことだ。
仕事でヘマをしてるだけだったら、まだ再任用されたのかもしれない。
しかし、それだけではない。私が他者の信頼を損ねる行為を繰り返したからこそ、こうなったのだ。
できれば、今からでもまた市役所で働きたいよ。でも、その資格がないことも重々承知している。
たとえば今、私は市役所で働いていた頃の思い出を書いてるけれども、守秘義務に反している可能性がある。それでもいい。罪があれば償おう。これも責任の取り方というものだ。
私は罪を犯した。犯し続けた。それで再任用されなくなった。仕事人生の責任を、こんな最悪なかたちで取ることになった。
あれは今年の1月だったか。後輩と一緒に現場に出るため、廊下を歩いていると、部長級の職員が前からやってきた。
その人は、正面にいた私に向かってこう言ったのだ。
「なんや増田。お前、まだ辞めとらんかったんか。はよお、辞めろや!!」
後輩が見ている前で、こんなことを言われてしまった。恥ずかしかった。
だから、こんなことになっている。
最終勤務日のことだ。
労働組合が主催する職場巡りの会が終わり、最後に職場に帰って、デスクに座ってしばらく待ち、定時を迎えた時のことだ。
定時のチャイムが鳴って、2~3分くらい後だったか。私は、カバンを抱えてまっすぐに職場を出た。
事務所にいた同僚連中には、「じゃあの~」と軽快な口調でさよならを言った。みな、私に「お疲れ様でした」と返してくれた。
しかし、ひとつだけやっていないことがあった。最終勤務日の前日、職場の親睦会の若い幹事職員に言われたのだ。
「増田さん。最後に僕が花束を渡すので、退職スピーチをお願いします。その後記念撮影をしますから、残っておいてくださいね!」
と、しっかり伝えられ、私はOKの返事をしている。
にもかかわらず、こんなことをしてしまった。チャイムが鳴ったら逃げるように、すぐに家に帰ってしまった。
スピーチなどしたくなかった。再任用されなかったこんな私がスピーチをしても、恥ずかしいだけだと思っていた。
自分に負けたのだ。彼の思いに応えられなかった。
最後になるが、もし増田の利用者の方で思い当たるフシがある方は、どうか職場では自重してほしい。
他者の信頼を損ねる行為ばかりしていると、私のように情けない老後を過ごすことになる。この日記がひとつの警句になってくれたら望外の幸せである。
明日からは、またはてな匿名ダイアリーのイチ利用者である。また面白い日記、楽しい日記をたくさん読んでみたい。
ありがとうございました。
道でお婆ちゃんが倒れてその娘が助けてくださいと叫んだら、近くのヤマト運輸のスタッフが出てきて対処してくれた、という話がXに投稿されて、世の中捨てたもんじゃないという反応が集まった。
今回の件は特に企業なので救助に手を貸すモチベーションはより高かっただろうが、別に一個人であっても、道端でお婆ちゃんが倒れて助けて助けてと叫んでいたら、助ける人はたくさんいると思う。
人は世の中が悪くなってると思い込みたくて、現代人は冷たくなった、都会の人は冷たくなったと言うけれど、実際それは昔のように密接に親交を約束して何かにつけて助け合うという文化が廃れただけで、人のために何かしてあげたいという素朴な心自体は都会人も普通に持っている。
自分に被害の被らない範囲で、少しの手間と時間、場合によっては少しくらいのポケットマネーを出してですら、見知らぬ人に親切にできる。
ただそれに付け込まれて被害を与えられたり、将来にわたってベッタリされ続けるのは嫌だから、慎重にはなるというだけだ。
今の世の中、かなり多くの人がこの程度の良心は普通に持ち合わせているのではないか?
そして、そうだということを、特別に意識はせずとも実はちゃんとわかりながら日々を過ごしていると思う。
webで読んだ「鍵がない」という漫画を思い出す。あれも、都会人の現実的な助け合いができるボーダーラインの内側を描いていた。
反応で「実際こんなもんだよね」と言われていたので、やっぱりこの感覚は合っているのだと思う。
※この物語はフィクションです。実際の企業、団体、官公省庁は関係ありません。
ある船の修繕で、造船所に数ヶ月単位でドック入りすることになった。
いつもお世話になってる、というか、この船の面倒を見てもらえるところなんて2つしかない。どっちも超大手で、待遇はどちらもいいけど、今回はたまたまこっちにした。
基地を離れて数ヶ月も滞在するとなるとホテル暮らしは費用がかかり過ぎる。それに修繕だけじゃなく新造船もある。だからホテル暮らしではなく、その会社の寮みたいな宿舎があてがわれてる。全室個室で、大浴場も食堂もある。
そして数ヶ月にわたる修繕が終わり、滞在してた乗組員と現場の造船所作業員で、懇親会が行われることになった。
目玉はいつもビンゴゲームだ。どこから持ってきたかわからないが、トルクレンチやカタログギフト、ニンテンドースイッチなんかもある。もう感謝しかない。ほんとうに世話になった。ありがとう。
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さて恒例の懇親会。今回もビンゴゲームでいいか。さすがにポケットマネーでとなると利益供与だからな。さすがにそれは駄目だろう。
この修繕にはいつもお世話になってる下請け会社に賞品を任せよう。ノベルティグッズとか商品券でもいいけどお任せで。タダで持ってこさせると下請法に引っ掛かるだろうし、とりあえず注文書を出して発注だけはしておこう。
これで下請A社賞とかつけたら宣伝にもなるしWinWinじゃないかな。
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国税局「アウトです」