はてなキーワード: 安芸高田市長とは
nippon.com版の方が先に書かれたので、nippon.com版→内田ブログ版の順に掲載。
適宜改行等を加えた。
nippon.com版
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01018/
http://blog.tatsuru.com/2024/07/12_0846.html
(01)
nippon.com版
今回の都知事選では、「選挙は民主主義の根幹をなす営みである」という認識が崩れてしまったという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する公人を、法を制定する場に送り込む貴重な機会であるという基本的な認識が今の日本からは失われつつあるようだ。
今回の都知事選では、選挙は民主主義の根幹を為す営みであるという認識がかなり深刻な崩れ方をしているという印象を受けた。選挙というのは有権者が自分たちの立場を代表する代議員を選ぶ貴重な機会であるという認識が日本からは失われつつあるようだ。
(02)
nippon.com版
知事選の当選者は1人に限られるのに「NHKから国民を守る党(NHK党)」が関連団体を含め24人の候補を擁立した。そして24人分の掲示板の枠に同一のポスターを貼るなど“掲示板ジャック”をした。NHK党は、一定額を寄付した人にポスターを張る権利を譲渡する行為にも及んだ。掲示板には選挙と関係ない人物や動物の写真、サイトに誘導する2次元バーコードなども張り出された。NHK党以外の候補も「表現の自由への規制はやめろ」と書いたわいせつな写真入りポスターを張り出すなど、目を疑うような行為があった。政見放送も含め、注目を集めて動画サイトなどのフォロワーにつなげるなど、選挙を単なる売名や金もうけに利用しようとする候補者が多数登場した。
(無し)
(03)
nippon.com版
(無し)
投票する人たちは「自分たちに利益をもたらす政策を実現してくれる人」を選ぶのではなく、「自分と同じ部族の属する人」に投票しているように私には見えた。自分と「ケミストリー」が似ている人間であるなら、その幼児性や性格の歪みも「込み」で受け入れようとしている。だから、仮に投票の結果、自分の生活が苦しくなっても、世の中がより住みにくくなっても、それは「自分の属する部族」が政治権力を行使したことの帰結だから、別に文句はない。
自分自身にとってこの社会がより住みよくなることよりも「自分のような人間たちから成る部族」が権力や財貨を得ることの方が優先する。これが「アイデンティティー・ポリティクス」の実態である。
自分が幼児的で、利己的で、偏狭で、攻撃的な人間だと思ったら、かつてならそれは「成熟」へのインセンティブになった。「もっとちゃんとした大人になろう」と思った。でも、今は違う。今は「そういう自分がけっこう好き」だとカミングアウトすることの方が人間的で、端的に「よいこと」だとされる時代なのだ。
正直言って、私には意味がわからない。この人たちはそんなに自分が好きなのか。そんなに同じ自分のままでいたいのか。私は同じ人間のままでいるなんてまっぴらである。息苦しいし、不自由だし、何より退屈で仕方がない。「自分自身に釘付けにされていること」をエマニュエル・レヴィナスは考えられる限り最も苦痛な体験だと書いていた。私もまったくそうだと思う。そもそも「自分が自分でしかあり得ないことの不快」を推力として、生物はここまで進化してきたのではないのだろうか。単細胞生物が単細胞生物であることに自足していたら話はそこで「おしまい」である。だから、アイデンティティーに固執する人たちを見ていると、私は奇妙な生き物を見ているような気になる。なぜ「そんなに自分自身でいたい」のか。自分であることにうんざりすることがないのだろうか?いや、ほんとに。率直にそう訊きたいのだ。
選挙の話をしているところだった。
今回の都知事選では、選挙を単なる売名や金儲けに利用しようとする候補者が多数登場した。
(04)
nippon.com版
公職選挙法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的に振る舞うはずだ」という仮定の下に設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄(ちょうろう)したりすることは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
公選法に限らず、私たちの社会の制度の多くは「性善説」あるいは「市民は総じて常識的にふるまうはずだ」という仮定のもとに設計・運営されている。でも、「性善説」の制度は隙間だらけである。その隙を「ハック」すれば、目端のきいた人間なら誰でも簡単に自己利益を確保できる。候補者にさまざまな特権が保証されている選挙という機会を利用しても、私利私欲を追求したり、代議制民主主義そのものを嘲弄することは可能である。そのことを今回の選挙は明らかにした。もう「性善説」は立ち行かなくなったらしい。
(05)
nippon.com版
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍晋三氏、菅義偉氏、岸田文雄氏の3代の首相による自民党政権の立法府軽視が原因であると私は考えている。
だが、選挙がこれだけ軽視されるに至ったのは2012年以後の安倍、菅、岸田三代の自民党政権の立法府軽視が一因だと私は考えている。
(06)
nippon.com版
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、自民党政権は行政府を立法府より上位に置くことにひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党が激しく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権は極めて熱心だった。
日本国憲法では立法府が「国権の最高機関」とされているが、安倍政権以来、行政府を立法府より上位に置くことに自民党政権はひとかたならぬ努力をしてきた。その結果、国政の根幹にかかわる重要な事案がしばしば国会審議を経ずに閣議だけで決定され、野党がはげしく反対する法案は強行採決された。国会審議は実質的には意味を持たない「形式的なセレモニー」であるように見せかけることに自民党政権はきわめて熱心だった。
(07)
nippon.com版
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩(も)らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
安倍元首相は「私は立法府の長である」という言い間違いを繰り返し口にした。これはおそらく「議席の過半数を占める政党の総裁は自由に立法ができる」という彼自身の実感を洩らしたものであろう。だが、法律を制定する立法府の長が、法律を執行する行政府の長を兼ねる政体のことを「独裁制」と呼ぶのである。つまり、彼は「私は独裁者だ」という民主主義の精神を全否定する言明を繰り返していたことになる。
(08)
nippon.com版
現行憲法下で独裁制を実現するために、差し当たり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーにすぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
現行憲法下で独裁制を実現するために、さしあたり最も有効なのは「立法府の威信を低下させること」である。有権者の多くが「国会は機能していない」「国会審議は無内容なセレモニーに過ぎない」「国会議員は選良ではなく、私利私欲を優先する人間だ」という印象を抱けば、民主政は事実上終わる。
(09)
nippon.com版
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「普通の市民以下かも知れない」という印象を扶植することに並々ならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることには見事な成功を収めた。
だからこそ、自民党はこの12年間、国会議員は(自党の議員を含めて)知性的にも倫理的にも「ふつうの市民以下かも知れない」という印象を扶植することになみなみならぬ努力をしてきたのである。そして、それに成功した。知性においても徳性においても「平均以下」の議員たちを大量に生み出すことで、自民党は政党としては使い物にならなくなったが、その代償に立法府の威信を踏みにじることにはみごとな成功を収めた。
(10)
nippon.com版
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
その帰結が、「代議制民主主義を嘲弄する」人々が選挙に立候補し、彼らに投票する多くの有権者が少なからず存在するという今の選挙の現実である。
(11)
nippon.com版
NHK党は、暴露系ユーチューバーで有罪判決を受けたガーシー(本名・東谷義和)元参院議員を国会に送り込むなど、国会の威信、国会議員の権威を下げることにきわめて熱心であったが、これは彼らの独創ではない。自民党が始めたゲームを加速しただけである。
(無し)
(12)
nippon.com版
今回の都知事選で2位につけた石丸伸二氏も前職の広島県安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。これも「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を忠実に踏まえている。
今回の都知事選で二位につけた石丸伸二候補は安芸高田市長時代に市議会と繰り返し対決し、市議会が機能していないことを訴え続けてネット上の注目を集めた。「立法者」と「行政者」は対立関係にあり、「行政者」が上位にあるべきだという、安倍元首相が体現してきた「独裁志向」路線を彼は忠実に踏まえている。
(13)
nippon.com版
日本維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
維新の会も「独裁志向」では変わらない。「議員の数を減らせ」という提言は「無駄なコストをカットする」合理的な政策のように聞こえるが、実際には「さまざまな政治的立場の代表者が議会で議論するのは時間の無駄だ。首長に全権委任しろ」という意味でしかない。
(14)
nippon.com版
自民党派閥の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
自民党の裏金問題は、国会議員たちがその地位を利用して平然と法律を破っている事実を白日の下にさらした。この事件は「国会議員はろくな人間ではない」という民主主義を空洞化するメッセージと、「政権に近い議員であれば、法律を犯しても処罰されない」という法の支配を空洞化するメッセージを二つ同時に発信していた。
(15)
nippon.com版
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革を目指すだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕(むしば)まれてへたり込んでしまうだろう。そして、どうやら日本人の相当数は、この事件のニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように見える。
このメッセージを「警告」として受けとった人は「今のままではいけない」と思って政治改革をめざすだろうが、このメッセージを「現状報告」として受けとった人は「民主政は終わった」という虚無感に蝕まれるだけだろう。そして、日本人の相当数は、このニュースを「世の中とはそういうものだ」という諦念と共に受け止めたように私には見える。
(16)
nippon.com版
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用が極めて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。有権者の多数が「まともな大人」でないと、民主政は簡単に衆愚政に堕す。だから、民主政は人々に向かって「お願いだから大人になってくれ」と懇請する。市民に向かって政治的成熟を求める政体は民主政の他にはない。
英国の首相チャーチルはかつて「民主政は最悪の政治形態だ。ただし、過去の他のすべての政治形態を除いては」と語った。なぜ民主政は「最悪」なのか。それは運用がきわめて困難な政体だからである。民主政は「合理的に思考する市民」が多く存在することを前提にした制度である。 Permalink | 記事への反応(1) | 18:42
石丸氏が自身の選挙ポスター制作費を未払いしていた問題で、最高裁が上告を棄却して敗訴が確定した。
これについて、表面的な「裁判敗訴」のみで批判している人も多数見かけるが、
この問題は「石丸氏の契約締結・履行能力」が問われる非常に重い問題に思われる。
事の経緯は、安芸高田市長選で石丸氏が選挙ポスター制作を依頼した印刷業者間との契約内容のトラブル。
石丸氏は「公費」での制作を依頼し、それを印刷業者が承諾したが、肝心の「公費」の金額が明示されていなかった。
印刷業者が制作後に代金(106万円)を請求したところ、「公費」で賄える金額(34万円)から超過していることが判明。
残額(72万円)が未払いとなっていた、とのこと。
一審、二審ともに敗訴していたが、7/5付で最高裁が上告を棄却し、敗訴が確定した。
石丸氏は恐らく軽視しているのであろうが、
この一件は「高々72万円の支払いが確定した民事裁判」で片づけられない、非常に重大な問題に思われる。
そもそも裁判沙汰になった根本的な原因は、印刷業者との契約をしっかり詰められていなかったからである。
無論、契約には双方の合意が必要であるが、先般の裁判で石丸氏が敗訴していることは
契約に際して石丸氏側に問題があった、との司法判断が下ったといえよう。
これが最初に挙げた「石丸氏の契約締結・履行能力」に対する疑念である。
経済学では、組織は「契約の束」と表現されるが、それは自治体にも当てはまる。
例えば、インフラ整備について自治体が業者に発注すれば、そこには契約が発生する。
自治体職員は「任用」であるため労働契約関係では無いという見方もあるが、労働の対価として給与を支給という点においては
そして、これらの契約により成立する自治体の長が知事であり、市区町村長である。
石丸氏の裁判の件で問題となった「契約」は私法契約、自治体の「契約」は公法契約であるため、
同じ「契約」であってもその意味するところは異なることは留意が必要である。
とはいえ、ポスター制作費の契約すらもまとめられない石丸氏に、
数多の契約を締結する自治体の、その首長を任せられるだろうか??
繰り返しになるが、本件敗訴は石丸氏の首長としての能力に関して、
首長として立候補されても絶対に票を投じたくないと思っている。
なんでそんな人が後継なんでしょうかねぇ(ハナホジ
薬ってのは全部が全部、裏を返せば毒だからさ
きちんと用法容量を守って服用しないといけないのよ
彼が薬だったのか毒だったのかは、後世の歴史家が判断するだろうが
既にこんな意見があるねぇ
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea323a905a4600ee10c807bf8dfd58ab1b9f4c22
基本的に石丸氏は理路を提示してから話を進める。そしてその話の筋と異なるところに対する反発があると、筋と関係ないことであると切り捨てる。
このときの語調が激しくなることはあるが、人格を貶めることはしていないように見える。
職務を全うせずに個人の好悪を前面に出した反論を取り上げないという態度だと、増田は捉えている。
最近では古市氏のインタビューが槍玉に挙がっていたが、これに対する批判にもピンときていない。
手応えを聞かれても、まず最初に「手応えがあった」とは一言も言っていないので、そういう振り返りはしてないという至極当たり前のことを、石丸氏なりにどう違うのかを説明しただけだと受け取っている。
政治屋との違いについては相互に何が言いたいのかよくわからなかった。
石丸氏は自身が政治屋ではないという思いがあるので、(インタビューの中で前述した)政治屋の定義以外の信念であるともう一度言うことになるので「何を聞かれているのかわからない」「定義の話をもう一度しているのか」と聞き返すのは、まあそういうコミュニケーションになるだろうと思う。
とはいえ、古市氏が言いたかったことを改めて推測すると「石丸氏のいう政治屋と、石丸氏自身は外形的に何が違うか。心持ちではなく、振る舞いや信に値する活動は何か」という内容だったように思うが、それに関しては言葉足らずというか相手の解釈に頼り過ぎなように感じている。
議論はお互いの土台を揃えないとできないので双方が何を指しているのかを確認する作業は必要な行為なのに、それをあげつらってサブウェイとか石丸構文と呼ぶ方が揚げ足取りに見える。
ましてや、その確認行為をパワハラ的であると見なすのはなぜだろうか。古市氏との会話でも声を荒げている様子は観察できなかった。
批判している側は常識とか共通認識という形のないものをそれぞれが独自に想定して、そこから否定しているんじゃないだろうか。
3人いれば派閥ができるとか社会ができると言われるのに、1400万人の東京都で誰もが持っている常識なんてないのだから、話していることの確認行為は重要でしょう。
ましてや公人なので、フラットに会話する為には相手が何を見ているのかを知る必要があるのに、それ自体を封じるような批判はお門違いという印象がある。
決して石丸氏シンパではないし、チラシの話は石丸氏に非があるとも思ってるけど、はてなの様子が俺の感覚とだいぶ違ったので、自分がエコーチェンバーの中にいるのかと疑ってる。
自分が何か見えていないものがあるのなら教えてほしいとも思う。
ちなみに都民でも安芸高田市民でもないので、ただの野次馬です。
思った以上にいろんな反応ありがとう。
自分の増田がこんなに盛り上がるなんて初めてでどう応答しようか困惑してる。
けど、2chの祭の頃のような謎の全能感に満ちた一辺倒な空気に不気味さを覚えていたのが、ある程度バラツキがあるんだなとわかって良かったよ。
過去最多の56人が立候補した都知事選は投票率60.62%(前回55.00%)で小池氏が291万8015票で圧勝、続いて石丸氏は165万8363票を集め、蓮舫氏は128万3262票の3位に終わった。
人口約2万6千人の安芸高田市の首長を辞し、500倍以上の人口約1400万人を擁する首都東京に乗り込んだ知名度もない男が、強烈な旋風を巻き起こした。
さぞや地元で実績を残して絶大な人気を誇り、「後継者」がすんなり当選を決めたのかと思いきや、当選したのは反石丸色を前面に打ち出した元郵便局長の無所属新人、藤本悦志氏(51)だった。
市議会で数少ない「石丸派」として路線継承を訴えた前市議の熊高昌三氏(70)は2000票以上差をつけられ、次点にとどまった。藤本氏は昨年11月末に立候補を表明、「石丸氏は市議会や市民との対話も少なく、その手法は対立と分断を招いた」と訴えていただけに、石丸市政の落とした影は思いのほか色濃かったようだ。
♯1で報じたように、地元の公立中高を経て京都大学経済学部に進学、卒業後は三菱東京UFJ銀行に入行、ニューヨーク駐在員も経験した石丸氏は2020年7月に突如、安芸高田市長選に立候補して当選。
華々しいキャリアの凱旋は救世主感に満ちていたが、他者を寄せ付けない攻撃的な一面が次第に表面化し、その摩擦と軋轢で広島の小都市は疲弊した。現職の安芸高田市議は今回の都知事選の結果を含めた一連の経緯をこう分析した。
「危うく東京都民も騙されるとこだったから、小池さんが3選してよかったって思いますわ。石丸さんが掲げる政治再建や財政再建は、よく聞くと中身もほとんどないんだけど、人気取りだけは上手いからね。
安芸高田市長選の時もそうでしたけど、『よし、わしらが手伝ってやる』と名乗り出た地域のおじさんたちの手を『選挙カーも応援もいらない。1人でやる』と払いのけ、駐車場にイスを並べて演説ばっかりしてましたよ。それで『このニューヨーク帰りの若者は何かやってくれそう』という期待感であっという間に人気者になりました。
今回の都知事選でも小池さんや蓮舫さんは政治の話ばかりでしょうから、そんな中で『石丸ちゅうんは面白い』と思われて人気は出たんでしょう。でも、あれが当選してたら、きっと東京でもとんでもないことしてましたよ」
「これまでより市政は間違いなくよくなると思う」
「今回、当選した藤本さんは『市議会や市民との対話が大事』と言い続けている人で、議会と激しく対立ばかりしていた前任者と比べたら、わしらも大歓迎です。
結局、市民も石丸市政はダメだって気づいたって事ですわ。人気取りで市長になったものの、やったことは自分の意見を押し通すだけ。
彼が議会の反対を押し切って進めてきた認定こども園の問題も、藤本新市長は方針を改めるそうなので期待しています。この問題は吉田町(旧高田郡吉田町)内にある保育所や幼稚園の立地場所に土砂崩れの危険性があり、別の地区に移転の必要があるとされたことに起因します。
普通なら町内のなるべく他の場所に移設しようと考えようもんですが、石丸さんは『校区をまたいで移設する』と言い出した」
「そんな地域であれば、まずは計画書を持って地元の人や私立保育園に説明すべきだと議会は主張したんだけど、石丸氏は『予算使って計画書なんて作っても反対されたらお金をドブに捨てるようなもんでしょ』でしたからね。
その移設計画に関しても藤本新市長はまずは吉田町の中で土地探しから始めようという方針です。議会と市長も、対立ではなく対話できる関係の方がいいでしょう。今まで異常だったことがようやく平常に戻っていけそうです」
「そりゃあもう選挙で藤本さんが市長に選ばれたんだからそれが民意なんでしょう。市民が石丸市政の継続を望んでいれば、後継者である熊高さんが当選したはずですから。
石丸は結局のところ、4年間何の実績もなく安芸高田市をガタガタにするだけして、このままじゃ次の選挙は無理だと思って東京に逃げていったわけでしょう。
彼は地方議会の特色である二元代表制をまったく重んじることなく、とにかく自分の好き勝手で物事を進めるだけの独裁者でしたから。
そのパワハラぶりについて今、こと細かに言うつもりはありませんが、議会で議員をアホ呼ばわりしたり、私自身も高圧的な物言いをされたことがありますよ。
こうして『対立』を選んだ前任者に対し、新市長の藤本さんは『対話』を重視すると言っているので、これまでより市政は間違いなくよくなると思うし、またよくしていかないといけません。
一方でなんの実績もない石丸氏が知名度抜群の蓮舫さんをおさえて2位になった都知事選に関しても、東京都民の『民意』なんだと思います」
その都民の民意が反映された都知事選後の民放各社の選挙特番で、石丸氏はコメンテーターやアナウンサーの質問をはぐらかしたり逆質問でキレてみせる様子がSNSなどで拡散され、パワハラ体質が早くも懸念されている。
今後は「まだ決めていない」としながら国政転身について「選択肢としては当然考えます。例えば衆院選広島1区。岸田首相の選挙区です」と述べるなど、強気キャラにも拍車がかかったようだ。驕る平家は久しからず。どうぞご随意に。
https://news.yahoo.co.jp/articles/742c4dea089b23506482ee3bccf5a568cc58b0b2
なるほどなあ
政治再建(政治に興味関心を集め、国民のチェック機能が果たされること)が第一で、極端な話、しがらみのないクリーンな政治家がまっとうに政治をしてくれたら、自分でやらなくていいと考えているように見える。目的は自分が当選することではなく、まっとうな政治が行われること。その選択肢がないから、自分が仕方なく出ているだけ。
まっとうな政治をするためには国民が政治に興味を持ち、マスコミが政策などにチェックを働かせることが、正しいあり方だと思っている。なので、国民が興味を持つようにキャッチーな言葉を使い興味を持たせるようにして、既存メディアには厳しい言葉で政治をチェックすることを求めている。
選挙後のマスコミに対してのインタビューはパワハラモードと言われているが、マスコミが聞いていることは、本来は選挙中に報道すべきことで、選挙後になにをいまさら聞いているんだ?しかも局が変わるたびに何度も同じことを聞いてきて、選挙前・選挙中の記者会見で聞けばよかったじゃないか。と考えていそう。
「政治屋の一掃」って出したときに、政治屋とは何ですか?って聞いておけばよかったのに、周回遅れで出てきて、終わった後に説明しろって言われてもってことなんじゃないかと。
最終的な選挙の結果は、全力で選挙に挑んで出た結果なので、本当に民意が反映された結果が出たとしか思ってなさそう。
安芸高田市長時代は、YouTubeで注目を集めて、安芸高田市議会を見ている視聴者に対し、自分の自治体の議会中継をチェックすることを勧めていたのも、日本全体の政治への関心を向けさせるものだったんだろう。
安芸高田市→都知事→広島に戻る?という節操のなさも見受けられるが、政治再建が目的なら、まっとうな政治が行われていないところなら、どこでも政治再建できるだろうから、次はどこの政治をクリーンにしてやろうかな。と狙っているだけな気がする。
ただの無党派の30代です。
そして、改めて政治について色々と考えるきっかけになったわけだが、各所SNSではエコチェンが流行っており、所謂政治クラスタに蝕まれていく感覚があり、これはヤバいと感じるので、ここで現況を個人的な意見として整理し、現実逃避から決別し、また四年後に都知事選を楽しみたいと思う。
・現職の強さ
・プロジェクションマッピングや、ソーラーパネルなどネガティブに感じる施策はあるが、結果としてマイナスにはならなく、子育て支援が手厚く、女性票を多く集めた
・公開討論では、結論を煙に巻くスタイルで、また築地の人の声を伝えた田母神氏について「お友達は選んだ方がいいですよ」と切り捨てていたのが印象に残った
・また、テレビでの公開討論の打診があったようだが、それは断られていた様子。選挙後に断ってないと言っているようだが、真偽は不明
石丸伸二
・石丸旋風
・ネット活用の方が注目されがちだが、夏の暑さの中、誰よりも街頭演説しており、エネルギーを感じた。ネットとリアルが融合し二位という結果をもたらした。
・選挙後にマスメディアにインタビューされ、その応答が話題に、石丸構文が生まれる。
・これは石丸氏が安芸高田市長時代におけるマスコミへの対応の延長であり、これまでも記者やインタビュワーに中身のある質問、前後関係を踏まえた質問を求めてきた。そのような文脈を把握していない多くの人からはかなりネガティブに捉えられているが、ニコニコニュースやAbemaからの適切な質問に対してはしっかりとした応対をされていたので、そこに一貫性はあったかなと
・ただ、支援者の中でも意見が分かれるところで、そういった石丸氏を知らない人が多い中で、あえてといっていいのかわからないが、素人質問をするメディアに対してもっと上手く対応すれば良いのにという声も見られる
総括すると、当たり前に大きなマイナスがない(メディアに報道されない)限り、現職は強い。
特に面白く感じたのが、両者、コミュニケーションスタイルに大きな違いがあり、前者は何か言ってるようで何も言っていないスタイルであっても、その話し方や声のトーンから聞き手に柔和で温厚な印象を与え、後者は、話の中身やロジックを突き詰めるがあまりに前後関係や文脈を把握してる人から理解はされるが、多くの人はそこまで情報収集できないので、頑固で冷徹や印象を与え、それが政治家として人々に評価されるのだなと感じた。
現実問題として議会との混乱を起こさず、都政が仕事として回るかどうかが争点となり、それがこの結果に出たと思われる。たとえそれが利権の温床になっていたとして、それは現在の政治にとって必要な対価なのだろう。
最後に
しがない労働者にとっては、政治は今はまだエンタメとして非日常的に楽しむしかなく、政治に本気になればなるほど、政治クラスタに染まるしかなく、エコチェンされ、もはや自分の脳では考えられない人になるだろう。恐ろしや、恐ろしや。
今回、究極の中立として期待されたのが安野たかひろ氏と勝手に評価している。今後も政治活動を続けるのかどうか、今後には注目したいところである。
小池氏、石丸氏にはどちらも日本をより良くするために応援するし、本質は人の是非ではなく、仕組みや施策の是非である。仕組みに欠陥がある以上、誰がやっても欠陥になる。そこに焦点が当たらない限り、政治の世界は変わらないだろう。
そして、現実問題政治を変えられるチャンスはこのような選挙によって定期的に回ってくるが、その間隔は遅く、変化に時間もかかる。
重要なのは、コントロール可能な自分が現実と向き合い、自分の身の回りの暮らしを良くしていくしかないということだ。それをどうにかするのが政治だが、これは鶏の卵の問題なので、私は自分を変えた方が早いと思うというだけだ。
今の政治を見ていて本当に働くのがバカらしくなる時が多々あるが、結局私には働くことしかできないのである。
たくさん働いて、たくさん納税するのが、労働者である私にできる現時点で1番の政治活動だと思う。
次の選挙を楽しみにしていましょう。
みんな、そして自分も含めて、どうか誰かの悪意に染まらずに、自分の人生を生きていくことを祈ってます。
じゃ、行ってきます!
東京都知事選挙2024は、10日間の期日前投票が前回比7万人増。
約1.15倍の投票数で過去最多となり、史上最高の盛り上がりを見せています。
そんな選挙戦ですが、実はこの選挙「小池百合子」と「ひまそらあかね」の一騎打ちになりました。
しかし現状がこうなっているのは、各候補者の情勢をかなりしっかり観察し把握している方だけでしょう。
多くの方にとって、このような主張はむしろ荒唐無稽に見えるはずです。
この記事では、そういった大多数の方に向け、なぜ現状をそのように読み解けるのか、そして残った二者に何が期待できるかを、解説していきます。
ネット人気が高く、注目度の高い候補なので、やや比重を重くして解説していきましょう。
安芸高田市長時代の議会での舌戦がYouTubeに多くあがっており、インフルエンサーで支持する者も多い石丸伸二は、比較的無党派層の支持も多い候補者です。
一時は彼こそ都知事になるのでは、とも言われていましたが、もうその伸びも終わり、その目は無くなったというのが私の認識です。
選挙戦が進む中で徐々に彼の実態を知り、支持をやめる者が増えていった(Xではそのような発言が多く散見されます)というのが私の見聞きするところです。
情報がますます周知される中、ここから先は支持者が増えるより減る方が速いでしょう。
ひまそらあかねの切り抜き動画の再生回数は、石丸伸二の3.5倍以上、小池百合子の6倍前後と、圧倒的に人気と関心を集めていることが分かります。
ニコニコニュースによって3位に位置づけられ、実際の演説会での同接・再生回数もダントツという事実から考えて、ひまそらあかねが小池百合子の喉元に食らいついていると考えるのは、決して荒唐無稽な推定ではないでしょう。
n番煎じだけど都知事選終わりに改めて。
っていう明確な対立軸があったからわりとわかりやすかったし、実際2009年の政権交代はこのイメージで成功できた。
憲法改正にせよマイナンバーにせよ、自民が改革に着手してるのもあるけど、今あるものを守ろうってそりゃ保守に見えておかしくない。それらしいイシューは夫婦別姓と同性婚とかか(実際この二つは国民からも支持されてる)。
一方、自民党が革新に振れたかというと流石にそういうわけではない。元々レンジの広い政党ではあるものの、軸は保守には違いない。どちらかというと裏金問題等の既得権益の部分が嫌われてる部分が大きい方は思う。
つまり「現状に不満があるから与党自民党は嫌いだが、立憲や共産はもっと嫌い」というのは「既得権益を壊したいが、旧態依然とした保守はもっと嫌い」であるということ。
よく昔のインターネットでは「愛国保守」とか「反日リベラル」とかのレッテル張りがなされていたが、それでいうなら「愛国革新」ともいうべきものを求める人間が若年層を中心に広がってきてるんじゃないかと。
そのイメージを脱却して第三極になろうとしたのが維新と国民民主だろうけど、この3年半国政選挙がないのが痛かった。この2つは自民党嫌いの立憲・共産嫌いという中道右派・左派の層を取り込もうとしたけど、それは選挙で得票数を増やしてバンドワゴン効果的に支持を増やしていくタイプなので、選挙が無い時期は弱い。さらに維新は万博のネガティブイメージ、国民民主は相次ぐ離党等で支持が冷え込んだ。
その間隙を縫ってきたのが石丸。小池と蓮舫、二つの「保守」に立ち向かう「革新」として、維新の推薦を断り党派性なしで挑んで見えるようなブランディング。
本質的には中川暢三に近く、強い思想はなく選挙に勝つこと自体が目標に見えるけど、ただの泡沫候補に終わらなかったのはYouTubeやTikTokというシステムをうまく利用した点。
「地盤・看板・カバン」のうちSNSだけで「看板・カバン」を賄えるって、考えついてもなかなかできない。というか政治家として実績がある人ほどできない。調整や利害関係を無視してるからこそできる所業。
結果的には党派色も薄く失策も少ない小池が強かった(東京ってなんだかんだ日本で一番恵まれてるんだから現状維持の割合が多いのは当然ちゃ当然なんだけど)けど、インパクトはあった。特に最も数の多い無党派層では石丸が小池を喰ってたからね。
ただこのブームが続くかというとわからない。安芸高田市長を辞任してYouTubeという「晴れ舞台」を失った以上、継続的にアピールしていけるのか。
あの野郎のことは依然としてマジ嫌いです。
既に信者になってる人が目を覚ますなんて都合のいいことはないと思うけど、これから奴の迷惑行為に加担する人間が一人でも少なくなればいいなと思ってここに書いておきます。
まず、今まで暇空茜が攻撃し、それが多くの人に「正当な批判」として認識されてる相手について、さらっと類型化しようと思います。
Colaboは会計に不透明な点があるだけでなく、どれだけ好意的に見てもちょっと運営が杜撰な団体です。
堀口某はエリート気取りだけど半端なメッキがすぐにも剥がれそうな虚飾の若者。
石丸元市長は……こうして書いてるとなんで市長になれたのか不思議なくらいですが、とにかく安芸高田市長時代から口だけが先行して、発言に実態が伴わず、議会でもハッタリや誤魔化し三昧、敗走したかと思えば妙にプッシュされて都知事選に出馬するという、うさんくさいお人柄です。
彼らは皆ことごとく、つつけばすぐにバレるような間違いを公然と冒していたか、あるいはウソをついていました。
「粗いウソをつく、愚かな人」とでも言いましょうか。
暇空茜さんはそんな彼らを相手に果敢にも立ち向かい、間違いを指摘し、正義を成そうと挑み続けました。
なぜでしょうか。
なぜなら、「嘘つき」が悪いなんてことは子供でもわかるくらいに単純だから。
その嘘つきと戦う暇空茜、という構図を一度つくればしめたもんです。よっぽどのことがない限り悪いのはウソをついた方で、指摘する方は「だって悪いのはあっちじゃん」の御旗を立てて、あることないこと罵倒し続けられます。
暇空に追随するフォロワーとしては、そういうわかりやすい構図の中に身を委ねることで、みんなでインスタントな正義の戦いを体験できるわけです。ほとんどノーリスクで気持ちよくなり続けられるんだから、そりゃあこれだけたくさんの人が支持に回るのも納得できますよ。
暇空茜さん、これを意識的にやっているのならば、頭は間違いなくいいんだと思います。
フォロワーに対しても定期的に正義を供給してくれるわけですから、極めて誠実と言えるでしょう。
でもガキの喧嘩を煽ってるだけの奴ですよ、しょせん。