はてなキーワード: 暴力集団とは
当初、出直し選は寝てるつもりだった。維新もどうかと思うし、かといって中央政党相乗り組もどうかと思う。それならどっちでもいいから寝とこうと思っていた。
風向きが変わったのは先週のラストサンデー周りだ。斎藤が稲村を猛追しているという。
そして問題なのは、その斎藤の周りに組織的な選挙妨害集団が跋扈しているという事実だ。
よりによって、100年ぶりに復活したワイマール時代の悪夢、院外団・ナチス突撃隊のような暴力を信奉しそれを隠さぬ連中が選挙に介入するというその一点だけは断じて許すことが出来ない。
俺は模範的な選挙民でもないが、自由選挙の大切さを思う心と、民主主義に対する信頼は辛うじて持っている。しかるに、選挙においてボトムラインは明らかに民主主義の防衛という一転に絞らざるを得ない。こんなボトムラインを設定せざるを得ない状況を憂慮しなければならないが、しかしそれは別の問題だ。
ならば、ナチと同様の劣化突撃隊を選挙に投入した勢力をこそ市民の義務として蹴落とすべきだ。
思えばナチもチューリンゲン州を足掛かりに全国へと覇を広げていった。まったくその制度が違ったとしても、地方自治は独裁の一歩になりかねない。
我が兵庫をどうしてその二の舞とさせようか。
斎藤も同罪かもしれない。しかし斎藤側は明確に組織だった暴力集団の投入には至らなかった。N国の所業は明白に選挙を蔑ろにしているが、あくまで自由選挙(≒現行法)の枠内での行動に留まると評価できる。一方で突撃隊を養い、それを使用することのするの罪は遥かにそれを凌駕する。
https://www.bbc.com/japanese/articles/c1311rzpk2xo
アメリカの検察当局は21日、日本の「ヤクザ」とされる人物を、核物質を密売しようとした罪で起訴したと発表した。
検察などによると、エビサワ・タケシ被告(60)はウランとプルトニウムを売ろうとした。それらは核爆弾の製造のためイランに移送されると、同被告は考えていたという。
エビサワ被告と、共に裁判にかけられているタイ人の被告は、2022年4月に武器と麻薬に関連した犯罪容疑で逮捕された。エビサワ被告は現在、ニューヨーク市ブルックリンで拘束されている。
今回の起訴で有罪とされれば、終身刑が言い渡される可能性がある。
米当局によると、エビサワ被告は日本の組織犯罪集団の幹部で、スリランカやミャンマー、タイ、アメリカで活動していた。共謀者らと共に、タイで核物質のサンプルを米麻薬取締局(DEA)の潜入捜査官に見せたという。この捜査官は、イランの将軍とつながりをもつ麻薬や武器の密売人を装っていたとされる。
鉄道系の愛好家を標榜する人々は当初、インターネットを通じて、比較的、社会的上級層とされる大学生・大学院生や社会弱者、在日外国人を巻き込みながら、自然発生的に活動してきました。特に鉄道を集団で消費する事で、オタクといわれる層から支持をうけながら、「鉄道文化」として集散発展しました。特に非モテ・非高所得者が集まり、ありもしない社会問題を叩くことで、少数派の権利という名の正義を振りかざし、自己のアイデンティティやレーゾンデートルを維持させる社会の掃き溜め装置としての役割を担ってきたといえます。これは、冷戦期のソ連や中国が、学生や知識人を買収したスターリンや毛沢東の出現の時代と全く同じように、大政変渦といわれる日本において、鉄道趣味が露悪な消費で左翼の憤懣を持つ層の心を鷲づかみにしている事に酷似しております。
さて、時代の掃き溜め装置として自然発生しネットを通じて異常増殖したこの集団は、昨今、テロリスト対策およびスパイ規制強化以降、非常に苦しい状況に置かれている左翼や、その配下の学生団体の格好の標的となりました。特に欧米や日本の有名な鉄道愛好家などは、ユーチューブなどでも公開されているように、左翼団体の配下の学生団体と行動を共にするようになってきました。テロリスト対策法およびスパイ規制強化による暴力集団対策の制限を受けない、文化運動の形をとった新たな左翼の手先となって進化しているわけです。
新興宗教=左翼のフロントと結託して文化運動の名の下に、一般人を利用して文化活動をし新たな左翼ビジネスを展開して寄付などを通じて集金装置となっておるわけです。現に、多くの鉄道ファンが宗教トラブルや左翼トラブルを起こしている事は有名な事実であります。日本の私鉄は宗教系の企業である事はネットでもガンガン流れていることも証拠です。
日本の鉄道趣味は左翼にとっては金ズルでありつつもトカゲのシッポに過ぎません。よく些細なことで警察沙汰を起こしていますが、基本は親車社会勢力=右翼連中を抑える力として彼らの力を利用し、たいがいの迷惑行為に目を瞑り泳がせている状態です。
結局は左翼に丸め込まれて、血をすわれるのは、こうした連中を支持し献金している一般人です。彼らが時々いい事をするかもしれませんが、品性が全くありません。本当に鉄道を愛するのであれば、他者を認める度量が器が合ってしかるべきです。20世紀の鉄道趣味はそういう大きい器がありました。それに比べたたら今のこの連中がやっている事はストレス発散の自慰行為や若気の至り行為以外でもありません。昔のヤンキーや反社系の似非右翼と何一つ質が変わらない低レベルです。文化人の品格を考える意味でも革新系の代弁者として本当に相応しいもの達であるかどうか、よく思慮すべき対象です。
今の「リベラル」と呼ばれている集団は事実上の「平等主義者」あるいは「優先主義」の集まり
「強者・弱者の対立」から始まり「権力勾配」、「非対称性」、「格差」、これらは全て「平等」の対義語になっている
つまりリベラル左翼たちは平等を何よりも追及している事が分かる
そして平等な社会を築く為には自由の制約が必要だと言う事が良く知られており、男性へのGPSの取り付けや資産税などへの賛同として現れている
自由主義は権力の縮小を目指すが、国家権力から警戒され規制されていたかつての左翼にとってこの自由主義は自分を守るために都合が良かった。
今の左翼は社会のエスタブリッシュメントに食い込んでいるので社会を自分の思い通りに操るためにも権力の縮小は好まない
立憲民主党については本当にヤバイ集団だと考えているので、このエントリーに書き残しておく。
なぜ匿名かというと、彼らが職場や自宅、あるいは俺のSNS上のアカウントに実害のある攻撃を仕掛けてくるのではないかと恐怖しているから。
もともと現在進行系の政治にあまり興味はなかった。首相が変わっても選挙があっても「ふーん」程度の感想しか持たなかったが、
高校時代の政治経済の科目は大好きで、資料集をよく読んでいた。
現在につながる政治の事象として印象深く覚えている最初の出来事は、チンパンと蔑称で呼ばれていた福田首相の退任。
「あなたとは違うんです。」という発言が大きく報道されたときには、馬鹿な政治家だと思った。
その後、当時の民主党が政権を奪取する。このとき、高校の数学教師だった親父が「かなりまずいことになりそうな予感がする」といっていたのをよく覚えている。
そしてその後、事業仕分けのテレビ・ショーが放映されその予感は現実となる。
当時、国立大学の工学部の学生になっていた俺はスパコンを使った研究に従事していた俺は、言いようのない怖気に襲われた。
俺の研究はスパコンがなければ成り立たない。計算速度が早ければ、それだけ試行回数を増やすことができ、他に先駆けて結果を出せるのだ。
それを「二位じゃだめなんですか」とあたかもエンジニアが名誉を追い求め、実利に結びつかないもとを作って遊んでいると言いたげな物言いに嫌悪感を覚えた。
そんなエンジニアをバカにした政策を進めているときに発覚したのが蓮舫のマジコン事件だった。
このとき、「ああ、この人達は完全に馬鹿だし、エンジニアを馬鹿にしているんだな」と思った。
というわけで、そのころから民主党政権は嫌いだった。鳩山政権については特に言うこともないだろう。
それでも、政権が仕事をしているんだなと思った事が一度だけある。あの、俺の友人を飲み込んでいった忌まわしい東北大震災だ。
あのとき、政府は慣れないなりに必死に対処をしていた。「枝野寝ろ」のタグをつけた140字の投稿を、当時すでにツイ廃であった俺も書き込んだ。
それも、あとで菅直人の危機管理のときにやるべき権限委譲をやらず、素人同然の浅知恵で指揮をしようとしたという事実を知って無の表情をするしかなくなったが。
本題。なぜアイツラがやばいか。
ひとえに"おしどりマコ"と"横川圭希",その周辺の集団を支持しているから。
おしどりマコのことは伝聞の形でデマを撒いていることを知っていて、昨年東京で演説をしているときに支持者に話を聞いた。
「これは科学的根拠はあるのか?」と。
すると、支持者がみるみるうちに集まってきて俺を囲んで罵声を浴びせ始めた。殴られるかと思った。あと勝手に人を菊池マコの信者に決めつけた。
俺は演説をやっていると詳しい話を聞く癖があり、主張に納得し、支持することもあれば、わかり会えないこともあるが、
これを書くのも怖くて仕方がない。彼らの一人は俺の顔を撮影しており、執拗に名前と身分を聞き出そうとしていたから。
もし俺が教えていたら、ネットに顔を晒し、職場に抗議をするくらいは平気でやるだろうと思う。
こいつらはかつて幅を利かせていた暴力的左翼と何も変わっていない。そう確信した。
万が一、彼らが政権を再び握るようなことがあれば、もっととんでもないことを平気でやるだろう。
自民党政権はベストではない。よくやっている分野もあるが、経済政策も教育政策も、統計や年金の問題も大いにあるし文句は言いたい。
だが、人を囲んで罵声を浴びせる奴らよりははるかにマシなはずだ。
そう思って、ささやかだが「立憲民主党だけはやめろ」と周囲に伝え続けている。
・あいつらは
・やめろ
かつて日本が集中的に叩かれた反捕鯨運動に近い匂いを感じて嫌って説。
普段愛国っぽいコメント残すアカウントが反発してるのはこれっぽい
この要素は弱いと思う
ただ非科学的というか、情緒的な部分が気に入らないのかもしれない
肉屋を襲撃したり肉フェスで残酷写真を掲げる過激派ヴィーガンの手法に
反発を感じているパターン
愛国者パターンと違って、フジテレビの韓流反対デモも苦々しく思っていた人間は
こっちの方に入る
確かにデモや残酷写真は、目的のために人にストレスを与える行為なので、
これを嫌う人が多いのはわかる。共感を得るためには逆効果だろう
ただ、このパターンで嫌う人は、反ヴィーガンのために部落差別なんかを隠れ蓑に使うべきではない
https://otapol.com/2019/05/post-65179.html
(※引用元の人がこのパターンにはまっているというわけではない)
なぜならこの手の部落解放運動の面々こそが、こうした暴力的な手段で世の中に認められてきたからだ
信念に合わない人間たちを自分の目的のために利用するなんて筋が通らないだろう?
俺はこの感覚が一番近い。
特にはてサは昔から手段を選ばず暴力的になる傾向がある(いしけりあそび追放騒動とか)
ので、こういう過激派には非常に警戒心が強い
子供やペットにヴィーガンを強要するのは、ちょっと嫌(だがそこまで嫌悪感はない。所詮他人の家だし)
普段社会問題に中立的なのに急に降って湧いて出た場合このタイプ
どっちかというと、ヴィーガン擁護派(ヴィーガン実践者以外も含む)が指摘している反ヴィーガン像としてよく語られる
なぜか知らないけど、「お前らがヴィーガンを叩くのは調べもしないし知りもしないからだ」という論調で
上から目線ははてなの日常なんだけどヴィーガンと反出生主義は流石に遭遇率顕著に高くない?
ブコメ見てると、論理云々よりこの論調を嫌がるコメが散見される
まあ普通の感覚だよな。私見では「トーンポリシング」なるマジックワードが開発されて
これにヒットすると批判の中身を吟味せずに耳を塞ぐ風習が蔓延してからネット言論界がおかしくなった気がする
まあこの点は別エントリーで書く
とはいえ、上から目線で攻められたら更に上からマサカリ投げるのが昔からのはてなのしきたりだ
俺はこの方向では嫌いにはならない。ただよそではやるなよ
ヴィーガニズムっていわゆる左派の精神と食い合わせ悪い場合が多い
大衆化されてきたとはいえ、はてなはいまだにかなり偏ったコミュニティと言えるだろう。
はてなユーザー全体から見れば少数派になるのかもしれないが、200人のラノベ大好きイキリオタクがブックマークすることで、どんなものでもはてなの人気記事に押し上げることができる。
はてなはノイジーマイノリティが目立ちやすい構造になっている。イキリオタクはネット中毒なのでよく発言するし、一日中ネットをやっていたり活動的であるということもある。ユーザー数に比べて、人気記事のブックマーク数が少ないため、どうしてもノイジーマイノリティが目立ってしまう。たった200人のイキリオタクでも、力を合わせれば人気記事に押し上げることができ、自分たちが多数派であるような主張が簡単にできてしまう。
ラノベを読むイキリオタクというのは中学校では1クラスに2、3人程度、高校では1、2人いるかどうか。大学以降はその割合はさらに減るだろう。
しかしネット、とくにはてなではそのイキリオタクが集合して一大勢力となっている。
現実社会では群れを成すことができないイキリオタクたちがネット社会では一大勢力となって、カルト化し、厄介な暴力集団となっている。
彼らの理屈はめちゃくちゃで、現実社会では「こいつ頭おかしい」とまったく相手にされることがない。しかしネットではその頭おかしいイキリオタクが一大勢力となっているため、まるでまともな一つの意見であるかのように取り扱われ、いちいち議論になったり炎上したりする。
これはほんとに非生産的なことで、ネット社会の損失だ。しょうもないことで多くの人の時間を奪っている。現実社会でまともな人間はいちいちイキリオタクの戯言になど構わない。そんなものにコストを費やす価値はどこにもまったく存在しないからだ。
いろんな場所を見てきたが、ネット上でもとくにはてなはイキリオタクとしての精鋭部隊が集まっているように思う。その社会性のなさは圧倒的で、おそらく自分が弱者だと信じて疑わないのも、人生がうまく行ってないからだろう。彼らの人生が悲惨なのは事実であり、決して被害妄想などではないのだ。
親告罪がどうしてあのような形態なのか今一度考えるべきだし、警察とヤクザは同じ解決方法の助力をしているけど決定的に違うのは公にして第三者評価をもって利益を得ているかどうかであり、現在の警察が信用ならないというのはすぐに公にするところ。そこにメディアが集金係として跋扈するためヤクザが特定の暴力集団から不特定多数の攻撃要因に変化してる。
なのでどこも信用ならないというのはわかるけどそこで取るべき手段は「みんなで声をあげやすくする」つまり第三の暴力団をつくろうという話ではないはず。
暴力団でないというのならば、無償である、被害者は加害者を被害者として貶めることを目的としない、という大前提が必要になる。
すると、実被害者を支援対象として擁立することは社会的な人身御供をつくることになる。永遠に被害者となる人をつくらねばならなくなる。少女像でもつくろうということになる。
望むべきは警察のような公平で誠実な組織が実際に必要な解決を、現行公務では民事不介入となっているような事案についても立ち入る第三者組織が解決だけを目的として情報を開示しないという活動をすることが「問題の解決」については最大に効果を発揮すること。
痴漢を捕まえたら金がもらえるないしはもちあげられる存在になるということが公の情報になると冤罪がでる、という可能性がゼロではないことはわかるはず。
家族内で信頼をもって結束して「加害者・被害者」をつくって資金の移動や収入源をつくることを防ぐこと、というのもすこし考えてもらえればわかるはず。
自分一人が失った何かなりを取り戻す、得ようとすることについて個人的に活動することはよいことかもしれないと見えるけども、現象として広汎にある問題については拡大させていることになる。
ハラスメントの各種も行為自体は合法的に存在する局面がある。それが不必要な場で強要された場合、損害であるということを申し立てることはできる。
そこまでの法整備がなされている現状で「自分のつらかった思い出を実名で公開する」という行為がほかの商業商品と何の代わりがあるのか、事実・ノンフィクションであればそれはなにかの法的根拠としてつかえるのか。
ノンフィクション小説であればそれをもとに社会的制裁を個人が行ってよいという条件になるのかということを考えて行動してもらいたい。