はてなキーワード: 森林伐採とは
注:steamにも1つ前のバージョン4のやつならある。そのうち5もsteamに出てくるはず。フランスのeversimという会社のゲーム。
https://store.steampowered.com/app/2392520/Power__Revolution_2023_Edition/
超面白いのに、日本で知名度なさすぎて、開発終わらないか心配になったので、ここで宣伝してみる。ちなみに、NATOの教材として使われているらしい。確かにリアルだからね。公式の訳が地政学シミュレータなので、そう書いたが、経済シミュレータと言った方が良いかもね。後、Civとの違いは、本当に存在する現代国家を経営できるってところかな。アメリカや日本としてプレイできる。エチオピアやらコンゴ、北朝鮮も、その他殆どの国がプレイ可能。不謹慎かもだけど、ウクライナの戦争だってプレイ開始時点で起こってるから、ウクライナを援助して勝たせることだってできる。最新の5なら、AppleやGoogle、Microsoftやトヨタ、ロッキードマーティン社等の様々な企業もプレイ可能だ。後バグだらけなのは確かだけど、全くゲームにならないほどではないし、大抵はバグの息吹を感じれば回避できるようになるから、そんなに支障はないよ!慣れたら滅多にバグのせいでゲーム続けられなくなったりしない。まあロシアとウクライナの戦争が終わった途端にロシアのGDPが30倍以上になったバグはかなりビビったけど。まあ領土の変更無しの形で終わらせれば回避できたしね。
ちなみに複数国、複数企業同時プレイできるから、ある国で他の自分が操作している国を助ける事もできる。
まあ簡単に言えば、経済シミュレーションにHOIをくっつけて現代版にした感じ。軍事ユニットを指揮して戦争を指導する事もできるよ!まあ戦争関連は特にバグ多いから戦争はおすすめしないけど。でも、HOIをやってて、経済要素があればもっと面白いのに!とか、工場を立てまくる事が好きだった人には絶対ハマると思う。ちなみに第二次世界大戦のゲームでなく、この現代の、2024年を舞台にしたゲームだ!
君はパラドックス社のHOI2をやった事があるか?あるならきっとこのゲームで棍棒外交をするのにハマるだろう。
君はパラドックス社のVictoriaシリーズをやった事があるか?あるならば、きっとこのゲームで国を経済成長させるのにハマるだろう。
君は、現代国家を舞台にしたシミュレーションゲームが中々無いと嘆いた事はあるか?あるならば、きっとこのゲームは君のために作られたものだ。
さて、何故このゲームが素晴らしいのかについて語ってみよう。ちなみにパラドックス社のゲームではない。フランスのeversimという会社のゲームだ。
このゲームの素晴らしさ、それは自由度の高さ、そして経済シミュレーション部分のリアリティだ。
プレイヤーは、現実に存在する国家の首脳となり、その国の行動を操ることができる。
プレイヤーは、例えば、中央銀行の金利を操作することができる。また、所得税、社会保険料、炭素税、環境税、ポルノ税、森林伐採税、etc。。。色んな種類の税金の税率をあげたり下げたりすることができる。(最も、民主主義国家だと、議会の賛成をある必要がある。)また、色んな産業に補助金を出す事も、各省庁の予算を増やして、治安を良くしたり、違法労働を減らしたり、教育に力を入れる事も可能だ。公務員の数を増減させる事だって自由自在である。他国にサイバー攻撃を仕掛ける事も、科学研究にお金を注いで技術的優位に立つ事だってできる。一つのテーマとして、地球温暖化の阻止の要素もあって、火力発電所を減らして原発とか太陽光発電所を建ててCO2排出量を減らせば、支持率が上がったりもする。
そして、ユーザーのアクションは、当然経済に影響を与える。金利を下げれば景気は良くなるし、自国通貨は安くなる。最低賃金を上げれば、失業率が上がるし、輸入額も増える。法人税を下げれば税収は減るが、景気は良くなるし、上げれば悪くなり、失業率も増える。およそ基本的な経済の仕組みはちゃんとシミュレートされている。
そして、バグだらけだが、最新のGeopolitical Simulator5では、何と企業まで操作できるようになった!国家と企業を両方操作できるので、企業として人を雇ったりして景気を良くしつつ、国の福祉を充実させるなんて事もできてしまう。企業は、他の企業の株を買って買収したり、株主にどのくらい利益を還元するか決定したり、工場を作って生産量を増やす事もできる。
このゲームの魅力は、とてもこのスマホでは書ききれないが、一つだけ確かな事は、このゲームは、パラドックス社とかのシミュレーションゲームが好きな人にとっては、確実に買いという事だ。バグだらけなのは残念だが、それを差し引いてもあまりある面白さ!きっとバグも、ユーザーが増えれば解消されるだろう。
経済の勉強にもなるし、最新の5はまだ日本語版がないが、そのうち対応されるはずなので、皆、とりあえず英語版を買ってみてはどうだろうか?多分日本語版も出てくれば無料で日本語版に切り替えられるはず。今までのシリーズはそうだし。
最近最新のGeopolitical Simulator5は、以下のリンクから買えます。バグだらけだが、絶対この最新版を買った方が良い。企業が使えるし。ちなみに、普通に日本から検索してサイトに行くと、langue=enの部分がjaとかになって、まだリリースされていない日本語版へのリンクに行って買えないので、このリンクから進んだ方が良い。アフィとかじゃないよ。
https://www.geo-political-simulator-5.com/buy_selling_point.php?langue=en
つかれたつかれれた
一回消えたい
好き放題やってるはずなのに病むのは
知らなかった?動物園をやっている
腹が減った以上は食べる 食べたら生きる
生きようとするだろ あえて死に向かう必要はない
生きてる限り生きようとするだろ かゆくなった風呂入る
暇じゃなければ考えない
猫や虫は必至に生きててあっというまに死ぬ
何で生きてんだろって幸せ病だよ。あ、今日も生き延びた。普通はそうだ。
いつまで森林伐採に貢献するんだろうか
なにをして過ごすのが好きなの
チェリーボーイだもん 隣に女きたら
それだけでいっちゃうだろうね
ぼくしあわせ~ぼくうんち~
性欲がやばい
猫
異性関係もそう
どうでもいいことだからクヨクヨしない だってどうでもいいことって決めたんだもん
あとふんわりやる
これまで生きて生きた経験でそっちやったほうがいいと
もぐもぐ
そろそろおにいちゃんねる
傘忘れた これはどうでもいい選択
楽しそうでしょ お持ち帰りしていい?
遅かれ早かれなるならべつにいいじゃないですか
想像してみろ しいな
ほれてんだよ 刺さってんだよ 魂に
腹筋20回してみて 体育の時やらされたでしょ
脳の仕組みが変わる
そしたら行動も変わる
奇数ならやるか
なんかうまく整理されてない
なにが失敗か
ずっとそれ考えてたら疲れるでしょ
ゲームだったらやーめたすればいいけど
現実は違う
ビットコインがそうだ すぐ飛びつけなんでも
はーどうしよ どっちでもいいか
結婚式か はよ逃げないと
なんでニートが癒されたいっていうんだろう 逆だろ
働いてるやつを癒せよ
「その場所」にはパネルが置かれてるわけで、考えるべき問題があるとしたら、自然環境だった場所を人工物に置き換えた際の影響の方が重大。パネル設置による生態系の変化とか森林伐採問題とか山崩れとかそういうやつ。エネルギー云々は本質じゃない。
まぁ、地球の陸地全部をソーラーパネルで覆ったりするくらいの極端なことをしたら、地球のエネルギー収支が変化して地球気温が変化するかもしれんね。
・地球上のソーラーパネルの総面積をパラメータとして、エネルギー収支をモデル化(ソーラーパネルのエネルギー吸収率や光反射率などの数値を設定)して定量的に計算してみたら面白いかも(大学のレポートとかでありそう)
(追記)
もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。
コメント自体を引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。
・君は全くヴィーガンじゃないよね
そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。
私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者の範疇の大体から外れるものだと思っています。
タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。
ただ私は畜産のサステナビリティを重視しており、この観点から言えば
肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、
私は生活スタイルや経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています。
ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という
未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体が危険ということです。
顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています。
あと何故か「匿名の栄養士を批判している」ならば「顕名のヴィーガンのインフルエンサーを支持している」というロジックが
成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、
元記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。
「3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」
と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。
ここで言いたかったのは
「そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人の自由である」
ということです。
つまり(そもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)
仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由で
健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです
(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。
(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。
ただ、ヴィーガンを検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、
3の論点は、ヴィーガンの検討において重要な判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)
(追記終わり)
はてなブックマークのトップを見たら、ヴィーガン関連の記事がトップに上がっていた。
https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/
この記事はヴィーガン的な価値観とそうでない価値観を検討して、
こう要約すればありがちな記事で、探せば類似の記事も容易に見つけられるだろう。
ただこの記事の特色としては畜産の現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、
労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。
しかし私はこの記事はヴィーガンを検討するという意味では良いものではないと考える。
こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、
何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。
具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。
2.畜産は環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ、食糧問題)
で、ヴィーガンを検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。
(注:ヴィーガンを批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が
未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観をアップデートした方がいい。)
1の論点であれば、例えば
このときにヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、
ある程度動物に苦痛や犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。
結局、自らがそのように苦悩したことが贖罪にでもなるかのように、
「アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」
と言うべきではないか。
(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由を説明できるべきだと考えているわけではない。
あくまでもヴィーガンを検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)
アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、
筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ
(害獣や害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、
これは欺瞞ではないだろうか。
2の論点であれば、
・地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化や温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか
(注:農耕地の大部分は家畜の飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。
3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。
「論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」
という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、
これをヴィーガンの価値観の判断に用いるのは知的でないと思う。
・元記事のブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。
・名前も伏せてある一人の栄養士の意見を信じるのは普通に危険では。
・畜産のサステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど
とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。
・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊はヴィーガン基準で作っている。
メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、
肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。
・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまりに不可能に見えて、
しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。
私も最初はヴィーガンは何となく意識高くてキモいと思っていたが、
試しにやってみるとそんなに大袈裟なものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。
・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、
菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。
・インド料理は野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ。
私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。
どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン、
サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンとブロッコリーのサラダとミラノ風ドリア、
たまにワインのつまみに買うチーズと鶏肉系のテイクアウトぐらい。
というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。
でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者を自称もしていない。
・半年以上、ヴィーガンスタイルの食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、
特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、
生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価にたんぱく質を摂るため。
ワインのつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を
見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。
・ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。
食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。
ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。
どうぶつの森シリーズは初プレイなので、前作との比較などではなく、一本のゲームとして、プレイした感想を書いてみたいと思う。
・良かった点
1.グラフィックが素晴らしい
小物のデザインが細部まで描かれているのもそうだが、たぬきちの事務所のプリンターなども、リアルでよくできている。
何より、素晴らしいのが博物館だ。静寂の中で神秘に包まれる独特の雰囲気を上手く再現出来ていると思う。
どうぶつの森の可愛さとリアリティの両立は今まで体験したことのないレベルで大成功していると思った。
マイデザインという自分で絵を描き、それを服にしたり、グラフィティアートにしたりして遊べる機能がある。
これも、良く出来ており、地面に絵を描くことで、道路や、畑を表現したり、市販に無い服を作り、ネット上のユーザと交換したりと使い方次第ではとても夢のある機能だと思う。
欠点としては、ドットで絵を描くのにコツがいることと、絵を描くのが苦手な人は、楽しめないかもしれないということだ。
可愛い住人と不細工な住人がいる。私の島にやって来たのは、タコやカエルのミュータント達だった。
初めは、何でこんな奴らなんだと思ったが、会話の回数を重ねたり、プレゼント交換をするたびに愛着が沸くようになってきた。
ショッピング中や、博物館の中でも出会うことがあり、出先で友人と会うような嬉しさがゲームの中でも味わえるとは思わなかった。
4.世界に没入できる
海岸沿いを歩き、海のせせらぎに耳を傾ける。星を探しに山を登り、夜空を見上げる。
フィールドを歩くだけで面白いし、何なら画面をつけっぱなしにして眺めているだけでもいい。
ぱちぱちと音を鳴らす焚火を眺めていると、不思議と気持ちも落ち着いてくる。
本当に自然の中でキャンプをしているような、独特の空気を肌で感じられるのは本当に良かった。
・悪かった点
1.やることがない
日常的にやれること言えば、昆虫採集、魚釣りに、森林伐採などだ。
橋や坂の建造、民家、施設の移転も出来るがそれには莫大な費用が必要となる。
日々の作業が早くもルーティン化していて、何か根本的な変化がないとプレイし続けるのは厳しいと感じた。
家具が沢山あるのに、殆どがただの飾りであり、ミニゲームなどがプレイ出来ると期待していたので残念だった。
外見ごとに性格が設定されていると思ったのだが、別々の住民なのに語尾以外は同じことしかしゃべらない住民がいた。
筋トレの話しかしない男性キャラがいるのだが、別の島で別の外見なのに、同じ会話をしていたのだ。
キャラクター毎に個性があると思っていたので、初めて知った時はとてもショックだった。
3.操作性が悪い
物を買うときにまとめ買いが出来ないし、物を作る時もまとめて作成が出来ない。
道具は消耗品だと言わんばかりに、ばかすか壊れていくし、魚を釣る餌だって作らなければならない。
服も、色毎に買い集めないといけないのだが、まとめて買えないのでカラーバリエーションの数だけ試着室に入らないといけない。
薬草を一個買うたびに、会話を最初からやり直さないといけないドラクエがあったらどう思うのか、ゲームディレクターに聞いてみたい。
日用品が売っているお店は、朝の8時~夜の10時まで、服が売っているお店は、朝の9時~夜の9時までと時間に制限がある。
大事な金策要素である、カブの買い取りに至っては、午前と午後で価格が変動する。
平日の午前中にプレイをするのは、学生でも、社会人でも厳しいのではないだろうか?
本体の時間をずらすという手もあるが、そうすると閉店時間が早くなってしまう。
たぬきちが24時間営業なのだし、お店も24時間営業でいいのではないかと思った。
ここまでつらつらと書いてみたが、イベントのアップデートなども頻繁にあるようだし、当分はゆるりとプレイを楽しむことになると思う。
このレビューを読んで、どうぶつの森に興味を持った人は買って貰いたいと思うし、既に持っている人はゲームについて話が出来たら嬉しい。
それでは、良き、あつ森ライフを!
ヴィーガンとしてはノンポリで、それほど厳密に実践しているわけでもないだろう。
ただし「オーガニック」や「マクロビ」などと親和性が高いので、
などを批判して、肉食禁止だけでなく、皮革製品も使わないし、動物実験にも反対するタイプ。
動物を使わない実験に置き換えたヴィーガン用の化粧品が出ていたりする。
いわゆるアニマルライツと結びついており、肉屋を襲撃するのはこの人たちっぽい。
逆に、飼育環境が良ければ肉・乳製品を許容する人もいる(アニマル・ウェルフェア)。
・放牧地を作るための森林伐採
などの、畜産業が環境に与える悪影響を危惧して、動物製品を避けるタイプ。
肉食はコストがかかりすぎる、菜食のほうが地球に優しい、という考え。
「菜食主義」というよりも「反畜産主義」というほうが近いだろう。
さらに、
・卵や乳製品まで避けるか?
・昆虫関連製品まで避けるか?(絹・はちみつ・コチニールなど)
・動物実験が行われた製品まで避けるか?(医薬品・化粧品など)
「劇場版ポケットモンスター みんなの物語」を見たので感想。と言うか自分メモ。ネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。
「まさに千八百円と上映時間分の時間を投資する価値がある映画」を100点だと考えたときの点数は15点位。ひどみ。低評価。なんだこれ。
しかし微塵も揺るがない増田。なぜなら(自分的には大体似たカテゴリに入る)「ドラえもん のび太の宝島」が脅威のマイナス点数の失神級駄作だったので免疫がついたのだった。
シナリオの作りが野心的で100分という尺の中でなんと群像劇をやろうとしていた。
主な人物として「市長の娘ヒロインのラルゴ」「ギャルっぽいヒロインのリサ」「過去を抱えた市長オリバー」「後悔に生きる老婆ヒスイ」「コミュ障のポケモン学者トリト」「口からのでまかせで生きてきた男カガチ」あたりがいて、それぞれが内面に問題を抱えつつ生きている。物語の舞台フウラシティを訪れたサトシは、この街の生命線とも言える「風祭り」に参加。そこで起きる大事件に様々な人間と関わり合いながら立ち向かう……という映画のメインストーリー。
この「群像劇をやりたい」という企画性というか意気込みを、まずは評価する。……んだけど、それはやっぱり難易度は高い。脚本はあちこち駄目ぽだった。大きな問題点としては感情動線の理屈建て不足で、なんか悩みやトラウマがある→でも私の力が必要っぽい→周りが盛り上がってる→感動パワーでうわー解決! というのが群像劇分水平コピーされている。
そこには「今までの悩みやトラウマを超克するための内面的な気付きやきっかけ」みたいなものが不足していて、「今までダメだった理由」「今回は立ち上がった理由」が極めて薄いか、キャラによっては存在すらない。感動的な音楽がかかって背景で大火災とかあるからやらなきゃならないやったでーというわりと雑なほうりなげだった。そんなんだったらそもそもトラウマいらんでしょ。
そのほかにも、山の中で発見された聖火を市長が街まで持って帰れば時間は余裕なのに(また普通に考えて街の宝を放置するほうがありえないのに)、わざわざ間に合わないギリギリまで放置して女子高生ギャルにスプリントさせるとか、なんかこう……脚本レベルで穴が多い。
「みんなの物語」「みんなで協力するという感動」という企画性は理解できるんだけど、脚本陣にそれを実装する能力が欠けていたように思われる。かと言ってそれは脚本家をけなしているわけではなくて、企画レベルで(つまり脚本の方法性や盛り込もうとした素材のボリュームレベルで)無理があったんじゃなかろうか? 登場人物を絞るなり(その意味でサトシのポケモンをピカチュウだけに絞ったのは良かった)、あるいは尺を圧迫しないおりたたみで内面を描写したりという工夫が足りなかったように思う。
ゼラオラは物語の舞台フウラシティ周辺のポケモンの守り神とでも云うべき存在で、フウラシティが成立する前から周辺のポケモンや自然を守ってきた。しかし、産物に乏しいこの地にルギアがあらわれて風を呼び、この風をもとにした風力発電でフウラシティは成立。人間はドンドコ森を切り開き、ポケモンの自然生息域を圧迫、その件でゼラオラとは対立せざるを得ないようになっていった。五〇年前、人間たちは自己から森林火災をおこしてしまい、火災からポケモンを守るためにゼラオラは負傷。当時の市長はゼラオラを守るために、山林は人間の立入禁止として立ち入ったものはゼラオラの呪いがあると嘘の噂をばらまいた――というのが物語の背景。
なんだけど、なんかもうこの時点で2周半くらい人間側がクズじゃねえ?
ゼラオラ何も悪い事してないじゃないですか。と言うか、その点ではなく、むしろ人間が人間の都合(街を拡張したい)で森林伐採をするならそれはそれで良いんだけど(なんせ人間はそういう存在なので)それならそれで、そのように述べてやれば良いわけで、「ゼラオラの呪い」なんていう相手の名誉を毀損するでっち上げをしながら、相手を救うとかいう恩着せをするのが全く救えない。んで50年もの間「かー、ゼラオラに呪われちゃうんであの山には入れないんだよなー。かーっ。呪い無ければ事故調査も開発もできるのになー。かー」とか責任転嫁をしてきたという醜悪さがある。
それがポケモンの世界観だと言えば世界観なのかもしれないが、そのゼラオラをサトシ&ピカチューは叩きのめすことで「ともだち」にして「ともだちだからもう遺恨はないよな?」とする脚本は、おいおいいくらなんでもそれマジで書いてるのかよ? 的な部分はあった。
ポケモンは三歳児程度には意思疎通な生命体なんだけど、ペット(守るべき対象)なのか、それとも一種の亜人(権利を認めるべき存在)なのか? って言うこの問題意識はポケモンの第一作から見え隠れしている。しかし今回は輪をかけて「ポケモンはともだち」というパワーワードとゼラオラが見かけ上はネコ科の獣人っぽい外見(人型)であるという2点で、極まってしまっているように思える。明らかに独自の言語的能力を有して、周囲の同族やポケモンを守り、森林火災から救助するほどの知能を持つ知性体を「呪い」扱いしてトラブルの責任転嫁をするって、どうなのよ。
そもそもフウラシティはルギアの呼んだ風を用いる発電で街を興し、毎年一度「風祭り」の日にルギアを招いては風力発電の維持を願っているような街である。風がとまれば電力も絶えて街は闇に包まれて住民たちはうなだれる。そういう関係を「ともだち」っていうのか? 母親の財布から毎月数千円くすねて上納することによって「ともだち」になってくれるクラスメイトより気持ち悪くないか。
そういう意味で今回の映画は、自分個人が楽しめないとか以上に「この映画を無邪気に楽しめるってやばくね?」的な心配が発生してしまった。この心配の方向性は「ドラえもん のび太の宝島」によく似ている(ドラえもんのほうがヤバさは上だが)。
ポケモン映画は毎回なんだけど、街の人混みの中や自然の中にちょこちょこと数え切れないほどのポケモンが登場していて楽しい。ウォーリーを探せ的な楽しさがある。その気持ちよさ楽しさは今回もたっぷり楽しめた。
主要人物の一人「コミュ障のポケモン研究者トリト」のパートナーポケモンであるラッキーがよい。
脚本や演出がどこまで自覚的だったのか怪しいのだけどこのラッキーの存在が、映画全体に対するアンチテーゼになっている。
トリトはポケモン研究者でいつも多くのポケモンに囲まれているんだけど、いつも一番近くにいるのが癒し系のラッキーで、おそらくこのラッキーは、トリトを飼い主であるとか主人であるとか思っていない。トリトのことを自分が保護すべき存在だと、あるいは下手をしたら、トリトは自分の子供だと思っている。
ポケモンが一体何なのか? 都合の良い労働動物なのか? 資源なのか? 生存権を保護すべき対象なのか? 人権さえ認めるべき存在なのか? というテーマはシリーズにグッサリ刺さった楔なわけだけど、それってあくまで人間を中心にした人間視点でしかない。
ラッキーはトリトのことを意気地無しで世話が焼ける存在だと思っていて(そしてそれは正しい)、そのうえ自分が世話をしてやる対象だと思ってる。
それはポケモンの側からみて、人間が「時々発狂して面倒くさいメンヘラの同居人」なのかもしれない、というシリーズのブレイクスルーになりうる(非常に薄くて小さな)突破口だ。
その名も「ワンニャン時空伝」は、個人的に旧ドラえもんのラストを飾るに相応しいんじゃないかと今でも思ってる。
その前まではロボット王国とか太陽王伝説とか風の勇者とか古い奴だと、パラレル西遊記とかアニマル惑星、日本誕生みたいに
おどろおどろしいのもあるけれど、それはそれとして名作ではある。
というのも新ドラえもんの映画は確かに面白いんだけど、ちょっと物足りない。
そもそも何度も見返したくならない。
何故かは分からないけれど、少なくとも旧ドラ映画のようなワクワク感や安心感、泣ける場面とかが極端に少ないからだと思う。
シムラー後ろ後ろみたくスネオやジャイアンが後ろを振り返った瞬間の驚愕や恐怖が、今のドラえもんには致命的なまでに不足しがちだった。
夢幻三剣士では、のび太を含む多くのレギュラーキャラクターが死んだり石化したけど、今のドラえもんにはそれがまるでない。
この場面ではこうしないと、と思う場面で何もなかったりするのが今のドラえもんだから、雲の王国みたいにドラえもんが一人ガスタンクに突撃しちゃう
皆の危険が危ない(笑)状況下で涙を誘う決死行が、皆で協力して敵に立ち向かうだけの陳腐な話になりがちで、そのせいか中々新ドラえもんを認められない自分がいる。
旧ドラえもんが終わったのは悲しかったけど、一方で〆が素晴らしい終わり方だったと今でも思ってる。
名探偵コナンも監督変わる前と後とじゃ、全然作風も展開も違うし、二転三転した大事件に更に大きな山があると見せたのは第一期、やたら爆発とか大事故、震災風味の割に事件自体はかなりショボいのが第二期、第三期はそれよりも更に題材とか展開も悪い。
話を戻すが、旧ドラえもんの名作率は異様に高い。
それは何故かというと、ドラえもん本来の面白さに加え、原作者が事あるごとに環境問題や社会・宗教・政治をテーマにしたプロパガンダをドラえもんの世界に巧く馴染ませてる事にあると思う。
それは宮崎駿のジブリとそれ以外のジブリの違いと同じだと考える。
漠然としたものだが、はっきりしたテーマが掲げられているからである。
宮崎ジブリのそれは、大人たちが忘れた子供時代の感動や喜怒哀楽の描写が織り交ぜられている。
昔はこうだった、あの家の裏手には○○といった動物がいて伝説があって、民話があってといった具合に話の展開のしやすさがかなり丁寧で複雑で繊細だと言う事だ。
要は子供の時不思議だったものが大人になるとそうでもなくなる感覚を風刺したものに近い。
同じくドラえもんにも何故この問題が起きたのか、という原因探しをして最後にはどうすればこの問題をこれからずっと考えていけるのかを作中で問い、視聴者にも解かせようという試みが為されているのだ。
例えば、アニマル惑星では環境問題を挙げて人間が犯し続ける環境汚染をどうすれば解決できるかを諭し、雲の王国では動物の密猟や自分勝手な森林伐採をどうすれば辞めさせられるかを考えさせるといった塩梅である。
旧ドラえもんにはそうした未来へ問いかける問題をテーマにした物が多い。
逆に新ドラえもんには華やかさやスペクタルの大きさや劇場型犯罪やらに重点を置きすぎてドラえもんが人間の子供達と一緒に考えながら、