はてなキーワード: 自律神経失調症とは
薬を処方されてないってことは鬱は鬱でも「うつ病」ではなく「抑うつ状態」ってヤツですねー。
診断書を求めたら「抑うつ状態」「適応障害」「自律神経失調症」とか書かれるタイプのやつですわ。
別にうつ病じゃないのでストレス因から離れたら元気になるタイプのやつです。
休んだところで職場または家庭の環境がどうにかならない限り延々ぶり返すだけ。休職は問題を先送りしてるだけなので、本人の社会復帰は今の職場を辞めない限り無理かもですねー。
しかし初診でホイホイと即休職指示を出すとは、今流行りのオンラインで即日診断書〜的なヤブ医者かな? それとも自殺を仄めかしたのかな? などと先行きが不安になりますのう。
ワンチャン配偶者の方が確かにうつ病である可能性もあり、医師も「軽症〜中等症うつ病に抗うつ剤は効かない」という、うつ病治療ガイドラインに従ってるだけのれっきとした精神科専門医である可能性もあるので、その可能性に賭けたいところですな。
ということで、私があなただったらまず
・診察に同席
して、今がどういう状況なのか正確に把握するために情報収集に努めますわ。接し方やこれからの展望についても、診察室で医師に直接尋ねるんですわ。
わちきは高校生のときからメンタル不調で、いちばんやばかった時期は異常なほどの孤独感と焦燥感がつねに頭から離れず、微熱が2、3ヶ月ほどつづき、食欲はなく、寝ることも起きることつらくて、ただ存在してるだけでつらいみたいなかんじだった。もしかしたら鬱病とか自律神経失調症とかいうやつだったのかもしれん。そんなメンタル不調のときにしてたいくつかの習慣について書いていく。
「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」とか考えてた。でもこういうことをじっくり考えると気分が悪くなる。たとえば「意識とは何か?」という疑問について考えるとする。てはじめに自分の意識というものを観察してみる。自分の内側に注意を向けてみる。でもそこにはなにも見つからない。観察前は自分という「かたまり」がどこかにあるはずだと直感的に信じていたけど、観察後にはそのようなものはどこにも見当たらないことに気がつく。その事実を頭ではなく体で理解したとき、まるで真っ暗な真空空間になげごれたみたいな恐怖感をおぼえる。「自分とはなんなのか」「そもそもこの世界ってなんで存在してるんだ」みたいな「存在に対する疑問」がうまれてやがて死ぬ。
人生がうまくいかない原因は自分のパーソナリティにあるんじゃあないかとおもい心理学を学んでた。フロイトとかカール・ロジャースとか加藤諦三などの本を読んだ。心理学では無意識に抑圧されたトラウマ(幼少期の親との関係など)が現在起きているさまざまなトラブルの原因だと説明されることがよくある。わちきはトラウマを克服する方法をいくつか試した。すると一時的に気持ちが軽くなることもあるが、たいていはすぐ元にもどった。
エッセイを読んでた。たとえば又吉直樹のエッセイ「東京百景」を読んだことがある。暗い人間の陰鬱とした日々みたいのが書かれてて、暗い人間であるわちきはとても共感し、ページをめくる手がとまらなかった。ところが読み終わったあとの気分はあまりいいものじゃあなかった。ネガティブなエッセイを読んだあとというのは「やっぱり生きることはつらいことなんだ」という価値観がより強固になるだけで、「気持ちが晴れわたる」「将来に希望をいだく」みたいなことはおきない。そういえば又吉が「言葉は事物を確定させる作用がある。書いたり話した言葉は、タトューのように体にきざまれる」と書いていたけれど、わちきもそう思う。ところで本に書かれている文章ってSNSやブログに書かれている文章と違ってなんか普遍的かつ絶対的な真実という印象をうけてしまうのだがなぜだろう。
哲学や心理学やエッセイのほかにもいろいろな本を読んだ。本のなかには共感する文章とか役立つ文章があり、それらを読むと勇気が湧いたり心の傷が癒やされたりした。本は人生をよりよくするものだと信じていた。家庭や仕事でつらいことがあると本を読んだ。本が精神安定剤のような役割をしてた。
「その日あった嫌なこと」「いまかかえている人生の問題とその解決策」「幸せになるためにするべきこ」などを日記に書いていた。そうすることで明日以降にやるべきTodoリストをつくることができた。日記を書くことは、人生の問題を効率的に解決するために役立つと信じていた。
「幸せになるにはどうすればいいか」ということを真剣に考えた結果、ネガティブコンテンツから離れることが必要不可欠だと考えるようになった。ネガティブコンテンツとは「触れたあとに気分が晴れないコンテンツ」のことである。ネガティブコンテンツに該当するものは哲学とか心理学とか暗いエッセイなどだ。これらは共感するけども「生きるのつらいよね」で止まってしまい希望が持てない。家にあったそれらの本はすべて捨てた。だが本当にお気に入りの本は捨てられず、視界に映らないクローゼットの中にしまいこんだ。くわえて日記を書くこともやめる事にした。日記を書くことで過去のつらい出来事を掘り起こして再体験したり、必要以上に将来について考えて不安を感じることになると考えたからだ。たしかに日記はやらなければいけないことを洗い出せる。だがそれはやらなければいけないことが常に頭の片隅にあるということでもある。わちきはそれがストレスだった。
かくしてわちきはネガティブコンテンツから離れる事に。最初は気持ちが落ち着かなかった。哲学することや本を読むことは、不安から意識をそらせて苦痛を低減させる効果があったのだろう。読書はある種の依存症だったのかもしれない。わちきは気分転換がてら新しい趣味をはじめることにした。まずコロコロコミックを小学生ぶりに買って読んでみた。いまだにフルカラーのページを見るとワクワクする。あと恋愛系の漫画を読んでみた。「不思議の国のアリス」とか「推しに甘噛み」とか。あとアニメをたくさん観た。「Aria」とか「スペース・ダンディ」とか。アニメはいつも「悲しいことがおきない物語」または「悲しいことがギャグとして消化される物語」を選んだ。悲しいことをみると気分が落ち込むので。あと3DSを買ってエクストルーパーズとかダンボール戦機をプレイした。小学生の時に遊びたかったけどしたお金がなくて買えなかったゲーム。まあこんなかんじの日々を数ヶ月すごした。んでさまざまな変化があらわれた。
だんだん哲学について考えないようになった。そして哲学なんてどうでもいいと感じるようになった。いま哲学の本を読むと「あほくさ」という印象がある。言葉という虚構をつかったただの論理ゲームで、現実に地に足がついていないというか。ところで、「なぜ世界は存在してるのか?」「宇宙がはじまる前にはなにがあったのか?」「意識とは何か?」みたいな疑問にたいする答えを仮に「真実」と呼ぶとすれば……真実がわかったところでわちきたちの生活はどのように変わるのだろうか。きっと何も変わらないんだろう。もしも科学技術がめちゃくちゃ発展して、これらの真実がわかったとしても、わちきたち人間の生活になんの影響もおよぼさない。「朝にパンを食べる」「風呂に浸かる」などの動作にはなんの変化もおきなくて、わちきたちはただ生きるだけだ。わちきのなかで哲学的な疑問は解決された。それは真実わかったからではなく、真実をわかる必要性がなくなったからだ。そういえばカーネギーの本「道を開ける」に「人は人生をわかるために生まれてきたのではなく、生きるために生まれてきた」みたいなことが書いてあったが、わちきもそう思う。理屈でなく直感でそう思う。
心理学には意識と無意識という概念があるけども、本当にそんなものはあるのか?心の中に意識という空間と、無意識という空間がある……みたいな認識をわちきはもっていたのだが、いまになるとそんなわけあるかと思う。あと現在の問題の原因が過去のトラウマだというのも疑っている。「数十年まえの出来事」と「いま感じていること」にそこまで強い因果関係が本当にあるのか?「意識と無意識があって、トラウマを処理したないと……」っていう話は言葉のうえではきれいにまとまっているけど、現実は本当にそうなのだろうか?
わちきは論理的な文章が好きだった。たとえば主語・副詞・動詞の順番はいつも同じにするとか、ルールががっちりと決まっている数学のような文章が好きだった。でもそうやって書いた自分の文章を読むと、「自分らしくない」という妙な違和感があった。自分の文章に納得できなかった。そこで思い切って自由に文章を書いてみることにした。小学生の日記帳みたいに文法や単語はぐちゃぐちゃでいいから、おもいついた言葉をなんの加工もせずにただ吐き出していく。最初はただそれだけの作業が難しかった。どうしても修正したくなった。でも次第になれた。そしてわちきの意思は「もっともっと自由に書く!」という方向に進んだ。読んだときにわかりやすい文じゃなくて書くときに気持ちいい文を書きたい。わかりやさは大事だけど、言葉ってのは相手のためだけでなく自分のためのものでもあるんじゃあないか。この意識の変化は話すときにも影響をあたえた。これまでわちきは話すときにも書き言葉を使っていたけど、だんだんとその傾向はなくなった。結局、人はありのままの自分で生きるしかないのだなと。わちきは自分をすごい人だと相手におもってほしかった。実際以上の自分の能力を相手に植え付けようとしていた。でもそれは最悪の試みだった。この試みをして、仮に成功した場合、その高いイメージを保たなければならないプレッシャーに苛まれることになるし、失敗した場合、恥ずかしくて死にたくなる。つまり「自分を賢く見せたい」という試みは、成功しても失敗しても、その先に楽しい未来は待っていない。
さっき「本当にお気に入りの本は捨てずにクローゼットにしまった」と書いたけど、いまではそれらの本もすべて捨てることができた。もう魅力を感じなくなった。いまはメンタルがめちゃくちゃ回復してる。家庭や仕事で嫌なこともあるけど以前に比べたらめちゃうまくいってる。人生でもっとも暗い時期から抜け出したと思ってる。それができた要因の一つにネガティブコンテンツから離れたことがあると思う。ネガティブコンテンツから離れるのは容易いことではない。ネガティブコンテンツにはDIOのような不思議な魅力がある。だがぜひ離れることに挑戦してみてほしい。アリーヴェデルチ。
やしな・う〔やしなふ〕【養う】 1 自分の収入で家族などが生活できるようにする。扶養する。「妻子を—・う」 2 衣食などのめんどうを見ながら育てる。養育する。「孫を大切に—・う」 3 食物を与えて飼う。「家畜を—・う」 出典:デジタル大辞泉(小学館)
年収950万円の夫(小遣い月2万円)と専業主婦の妻。二人の子どもが居る。
こういう状況では普通、「夫が妻子を養っている」というのだろう。しかし、私の場合、「妻に養われている」という表現が非常に実感と合っている。主に、上記の2と3の意味で。
あなたも同意してくれるだろうか? 参考として、以下に、私のプロフィールを記そう。
一人暮らしをしていたとき、ゴミ出しを一ヶ月以上にわたって忘れ続け、部屋中がゴミ袋まみれになるのが日常茶飯事だった。
※私は優良な市民なので、決められた曜日と時間帯にしかゴミを出さない。しかし、チャンスは週に二日だけ、しかも早朝限定という条件は私には難しすぎた。だって、忘れたら終わりだし、ゴミ袋たちは部屋の景色と一体化しているので、そこに有っても全然気にならないし。
また当然、ベッドのシーツを洗濯するとか、トイレを掃除するとか、部屋に掃除機をかけるとか、ベランダを掃除するとか、棚のホコリをはらうとか、あらゆる排水口を清掃するとか、そのようなタスクはすべて基本的に意識の外にあり、衛生的にも大変挑戦的な環境で生活を送っていた。
(しかし、きちんと風呂には入るし、歯も磨くし、衣服の洗濯くらいはするので、こんな私でも知人からは真人間に見えていたらしい)
こんな生活能力の欠如は、教育の問題ではなく私の資質の問題である。私の両親はまともなので、半年に一度くらい(遠方である)私の一人暮らしの部屋へ訪問しては大掃除を敢行してくれていた。なお、大掃除の主力は私の父であり、一般的な男女論は適用外である。
昔から通知表に「整理整頓ができない」とか「忘れ物が多い」とか書かれていた気がするので、たぶん脳機能に何か軽い問題があるのだと思う。宿題とかも全然出していなかった。
大人になるにつれ、忘れ物をしなくなるのではなく、忘れ物をしても上手くリカバリーする方法ばかり身につけてしまった。水道代とかを払い忘れてもすぐに止められてしまうわけではないということも学んだ。
食事もまあ、粗末なものだった。スーパーとかコンビニで惣菜を買って、全然美味しくないなあとか思いながら適当に食べていた。いまほど物価が高くない時分なのに、月に5〜6万円くらいは食費に使っていた気がする。
そんな私でも曲りなりに生活できているのは、もちろん収入があるからである。昨年の源泉徴収票を確認したら950万円と書いてあった。同年代平均の2倍くらいは貰っているということになると思うので、これは大変ありがたい話だ。
なぜそんな高収入が得られているのかというと、それはもう、私が得意とする「過集中」の賜物である。学生時代から、一日に10時間以上ぶっ通しでコーディングをしたり専門書を読んだり論文を書いたりすることを、なんの苦痛もなく実行することができた。というか、過集中状態で頭をフル回転させるのは単純に「気持ちいい」ので、集中できないと言う人の気持ちが理解できないというのが正直なところである。
こういう気質と、専門性の高い仕事(研究開発職)が結びついた結果、仕事のパフォーマンスだけは高い、生活能力皆無男性が爆誕したというわけである。頑張って金を稼いでいるという実感は全く無い。こなすべきタスクや、出すべきアイデアが無数に存在するので、もぐら叩きのようにそれを一生懸命潰していっているだけである。たまたま、この「もぐら叩き」でハイスコアを出せる人間が周りにほとんど存在しないという事実だけに助けられている。
そんな私にとって、専門性の高い仕事をこなすよりも、家の中の仕事(いわゆる家事全般)をきちんとこなすほうが格段に難しい。というか、ひょっとしたら不可能なのではないかと思われる。子どもが幼稚園に通うようになって、それを尚更強く感じるようになった。
妻と出会わなければ、私は早々に身体を壊して、社会から(今生から?)リタイアしていた可能性も決して低くはない。
実際、独身時代、私は(未受診ではあるが)自律神経失調症ならびに適応障害と思しき動悸・下痢・腹痛・頭痛・めまい・耳鳴りなどの体調不良に見舞われていた。
※そんなときに優しくしてくれる女性(今の妻)が目前に現れ、それにより何が起こったかはご想像の通りである。
妻は専業主婦として、家の仕事を素晴らしいクオリティでこなし続けてくれている。
見方によっては、妻が社会で活躍する機会を奪っているという誹りを免れないと思うし、実際、子どもが幼稚園に通い始めるまでの数年間、妻はほとんど自由な時間を持てなかった(一人で食事をすることすらままならなかった)のだから、その厚意に甘え続けているのは人道に反する行いと言っても過言ではない気がする。
しかし、妻は自立した大人の女性であり、彼女自身の信念に基づいて、二人の子どもと出来損ないの夫を養育してくれているのである。これは彼女の選択であるのだから、同情とか憐憫とかというのはもちろん不適切であるように思える。
そう。実際、私は妻に「養育」されている。
美味しい食事を毎日与えてもらい、清潔な衣服を用意してもらい、掃除の行き届いた家で生活させてもらっている。何かの支払いが滞ったりすることもないし、私自身で金銭を管理する必要すらない。晴れた日には布団を干し、頻繁にシーツを洗濯し、水回りもピカピカである。食後にはデザート(主に果物)を出してくれるし、出勤時にはお弁当に加えてちょっとした間食も持たせてくれる。
私が出張に行く前には一緒に忘れ物チェックをしてくれるし、何やかんやと必要なものを買ってきてくれたりする。下着が傷んでいたら買い替えておいてくれるし、上着をクリーニングに出してくれる。
一緒に服屋へ行って服を選んでくれるし、子どものついでに散髪してくれることもある。
それに、妻による教育のおかげで、昔は出来なかった家事が、私にも少しずつ出来るようになってきた。妻が家事を処理する速度のおよそ20%くらいしかパフォーマンスは出ないので、これは通常の夫に求められる最低スペック要件を満たしていない可能性が高いが、しかし私にとって大きな進歩であるとも言える。
いずれにせよ、こんな文章をここまで読んでしまった諸賢には、もう明らかであろう。
生活能力が皆無である私は、「妻(専業主婦)に養われている」のである。
いまの世の中の流れには逆行しているかもしれないけれど、こんな夫婦も居るという一例として。
なお、この文章は anond:20190118204653 の後日談である。妻とは今でも仲良しです。
この症状を見る限り、狭心症や他の心血管系の問題の可能性はゼロではないですが、他にも貧血・低血圧・自律神経の問題・運動耐性の低下など、いくつか考えられる原因があります。
気になるポイント
• 走ると強い気持ち悪さを感じる → 休むと治る
→ 狭心症の一つの特徴として、「運動時に症状が出て、安静にすると落ち着く」というものがある。
• ただし、狭心症は「胸の痛みや圧迫感」が典型的な症状なので、それがないのは少し違うかも。
• とはいえ、無症候性の心疾患(痛みが出にくいタイプ)もあるので、100%否定はできない。
• 「バスに間に合わなくて走って吐いた」
→ 運動後に強い吐き気が出るのは、心臓だけでなく貧血や自律神経の問題もあり得る。
• **貧血(鉄欠乏性貧血やビタミンB12欠乏)**があると、酸素供給がうまくいかずに運動で気持ち悪くなる。
• 自律神経失調症の人は、急に運動すると血流がうまく調整できず、吐き気を感じることがある。
• 「運動してるのに異常に体力がない」
→ 運動習慣があるのに体力が落ちている場合は、貧血・甲状腺の問題(甲状腺機能低下症)・慢性疲労症候群・心臓の問題などが考えられる。
• 「食べすぎると気持ち悪くなる」
→ 消化機能が落ちている場合や、胃腸の血流が悪くなる(例えば、自律神経の問題や血流が悪い状態)と起こりやすい。
• 「呼吸が浅い」
→ 心臓・貧血・自律神経のどれでも起こり得る。慢性的に酸素を取り込めていない可能性も。
• 「睡眠が足りてない」
→ これが全身の不調の原因になっている可能性もある。
• 場合によってはホルター心電図(24時間心電図モニタリング)
• 軽度の自律神経失調症やストレスによるものなら、生活習慣の調整で改善できる可能性が高い。
• 「30代以降みんなこうなる?」→ いや、そうとは限らない。
→ 運動時の異常な気持ち悪さは、一般的な老化というよりも何らかの原因がある可能性が高い。
「こんなんで病院行っていいの?」→ 行っていいし、行くべき。
病院に行って「問題なし」なら安心できるし、もし何かあれば早期に対処できる。
「心臓じゃなかったとしても、貧血や自律神経の問題など、改善できる要素がある可能性が高い。」
正しくはわからないが、物心ついた頃にはもう我が家は生活保護だったと思う。
父親と母親は離婚しており、シングルマザーで姉妹で育ててもらった。
私は他人とぶつかりたくなかったから、文句をあまり言わず従っておりそのたびに母親に褒められていた。
母親によく、「私ちゃんの子どもとして次は生まれてきたいな」と抱きつかれながら言われた。気持ちが悪かった。
母にとって私は都合の良い恋人であり、友人であり、娘であったのだと思う。
保育園にはお昼寝があるが、自分だけお昼寝で眠れず、虚空を眺める日々を送っていた。
そのまま小学生になり、軽度のいじめを受けながら常に自殺することを考えながら空を見て数時間過ごす日々だった。
アパートに暮らしており、自分の部屋などあるはずもなく、物だらけの汚い部屋に小さな棚と机を置いて、そこで勉強していた。
姉は努力家で見た目も良く、出来がよく人気者だった。
私は努力ができない怠け者で、見た目も悪く、人見知りだった。
地方住みの貧困家庭だった為、中学までは公立の近いところに入学し、高校は”普通と違って楽しそうだから”という理由で農業高校に入った。
家から片道4kmほどある高校で、自転車で通っていたがほとんどギリギリの出席数だった。
小学生から過敏性大腸症候群に悩まされていて、すぐにお腹を下し、授業中に何度もトイレに行くことが多かった。
そのことで陰で悪口を言われていたことを知ってる。しかし仕方なかった。
高校二年のときに大腸検査をしたが異常がなく、その頃に母親が通っていた心療内科を勧められた。
最悪の出会いだった。
医者の口癖は「楽しいことを見つけなさい」「箸が転んでも笑える年頃なんだから」だった。
この時過敏性大腸症候群への効果は無かったが、薬への依存だけが残った。
母親にお金のことは気にしなくていいから大学に通って良い、と言われた。
底辺高校だったので成績と家庭の経済状況から奨学金一種も狙えたが、そう言われたから奨学金を借りなかった。
入学してすぐに「あんたを大学に行かせるお金なんて無い」と言われた。
そんなことある?それなら大学なんて行かずに就職しておけばよかったと思った。
もう大学に入学してしまったからにはここから行かない選択肢を選べるほど私は強くなかった。
利子が60万ついた。
私が大学に入る頃、ここで生活保護を抜けて、姉が看護師で働き出した。
親は姉に10万家に入れることを強いていた。私はあまり知らなかったが、手取りのうち10万も家に入れていたら働く気力なんて無くなると思う。
しかし確かにその期間姉のおかげで私達家族は生活保護を抜けて生活をしていた。
短大に入ってからは通うのに苦労した。片道バスで2時間だった。
この頃にはうつ病の症状が重く、月~土の1限から6限の必修授業についていくのが大変で必死だった。
ただ何度も休学をしたくなったり、大学を辞めたくなった。
学校のカウンセラーを利用したが、大して効果もなく、授業と授業の間に行く時間が無くなって通うのを辞めた。
栄養士として働くイメージが足りていなかったな、と今になると思う。
考えなしの馬鹿だった。
勉強も苦手で努力もできないのに奨学金という借金を背負ってまで大学に行く意味がなかった。
なんとか卒業できたが、就活がうまく行かず、結局小売の接客販売業に就職した。
実家からどうしても離れたくて地元以外の場所の店舗の希望を出したが、配属が決まったのは地元の端っこだった。
実家から店舗への距離が10km以内だったからか、通勤手当が出ず、結局店舗の近くのアパートに引っ越した。
その頃姉は結婚し、引っ越して家を出ていた。母は姉のことを「裏切り者」と罵った。
ここまで話には出してこなかったが、母方の実家の祖母は気狂いだ。
宗教に傾倒していて、そのことで近所の人や親戚に迷惑をかけまくっていた。
昔の人だから働いたこともなく、祖父のお金だけで暮らしてきた人だった。
私は祖母に友達の家に遊びに行っちゃ駄目と言われたり、祖母がたまたま私が友達の家に入っていくのを見ていたらしく、勝手に友達の家に侵入してきたことがあった。
ホラーだった。この時の友達の家の人に警察に行かれなかっただけ良かったと思う。
こういう人だから、いつ学校に不法侵入してくるか怖くてたまらなかった。
中学の時に祖父が亡くなり、母の精神がさらに不安定になり、苛烈だった母は弱い人間になってしまった。
母には妹がいたが、関東に住んでおり、祖母の面倒を見れる状況ではなかった。
そのため今も母は祖母の世話に苦しんでいる。
だから祖母の世話を任せっきりにされている母が親族を恨むのは当然だと思った。
話を戻す、新卒で入った店舗は、パワハラとセクハラが横行するブラックだった。
ドラッグストアだったのだが、笑顔と声のトーンで厳しく言われ、なんでこんなこと言われなきゃならないんだと思って何度も泣いた。
エリアマネージャーは客の前で上司を怒鳴るし、上司も客の前で私を叱った。
また、登録販売者の資格を入社した年に取れないと晒し上げにされるようだった。
その結果は上司に送られる。
そこで結果が悪いと、休憩時間、休日も店舗に強制出勤させ、勉強をさせられた。
家に帰ってもずっと勉強をしていた。
私は馬鹿で記憶力も悪く毎回テストの点数が悪く、その度上司から叱られた。
仕事の中で棚の整理(商品がばらついてたら綺麗にする)があったのだが、遅すぎて叱られ、仕事で出来ないことがあるとその度バイトの大学生と比べられることが多かった。
店長は2つの店舗を兼任しており、ほとんど私のいる店舗にはいなかった。
店舗にはパワハラをしてくる上司二人と私だけがいる状態だった。
出勤しても上司に「その顔は何?」と言われ(普通の表情をしていただけなのだが、笑顔でいないと気に食わないらしい)、少し調子が悪そうにすると「体調悪い状態でいても迷惑だから休むなら休むで帰って」と言われるようになった。
後者はその通りかもしれないが、私は「冷たいな」と感じてしまった。
期待するな。
あまり覚えてないが、3ヶ月目には上司に辞めることを伝え、店長を交え泣きながら辞める理由を伝えた。
こちらは主にパワハラや、店長がいなくて相談できなかったことを伝えたつもりだったが、店長は「バイトと比べられるのがイヤねぇ……」そこに引っかかっていた。
「ああ、この人たちとは話が通じないんだ」と思った。
院内でいじめが横行しており、手取り13万でやることが無いか聞いてから動いているのに「やること聞いたりしなよ」と院長に言われ、毎日全身に湿疹が出て、連日救急にかかってやっていけないと感じ、3日で退職した。
辞める日は、全員がいる前で辞めることを言わされた。公開処刑だなーと思った。
生活費はカードローンを借りて自転車操業でやっていた。実家にいても生活費は無いのだった。
実家にいても親と二人で改善に向かわない、地獄のような蠱毒で暮らしてるだけになってしまうから。
生活保護は案外すんなり通った。
その頃は「うつ病」ではなく「自律神経失調症」と言われていたので、就労不可が降りなかったからだ。
しかしメンタルが安定せず、長く離れていた父親と同居することにした。
ここで生活保護を抜けた。
2年ほどだった。
父親と同居が始まってしばらくは良かったが、突然姉と叔母が家に来て、私を社会復帰させるための会議が始まった。
毎日家事をこなし、毎日2時間以上の外出をし、就労支援事業所に行き、アルバイトをし、など様々な条件を出された。
叔母の金で病院を変え、二万以上かかる謎の脳波検査で統合失調症か、躁鬱か、ADHDか、うつ病か判断する検査をした。
うつ病だった。
その後3ヶ月ほど姉たちに言われた通りの生活をした。
希死念慮がひどく、気持ちとは裏腹に体が勝手にベランダから落ちようとするのだ。
流石にそのことを姉たちに打ち上けた。
ひどく失望された。
これ以上ここにはいられないと思った。その頃父親が女性と毎晩会っていることを感づいていたこともあり、余計に居づらくなった。
通った。
生活保護を抜けては申請し、抜けては申請する人間になっていた。
色々あって、結果的に新卒の会社を辞めてから大雑把に空白期間が7年経った。
メンタルは良くなってはおらず、悪化してからずっと現状維持の状態が続いていた。
外に出るとたまになにもないのに涙が出た。家の中にいても不安で、スマホでyoutubeを流して横になっていた。
最近になって急に働こうと思いたち(今思えば究極の躁状態だったのだと思う)、フルリモートの営業を二ヶ月だけやった。
何故二ヶ月だけかと言うと二ヶ月で切られたからだ。私が無能だったのかもしれないが、ベンチャー企業だったこともあり、経営不振での派遣切りだった。
全部メールとチャットでの対応だったため、4時間ほど働けば残りの4時間は寝ていても気づかれないのだ。そういうところも駄目だったのかもしれない。
下手に二ヶ月ほど働いたため、二ヶ月だけ保護費を大きく超える給料が入り、現在保護停止状態で、国保や医療費を払っている。
ちなみに稼いだ金は二ヶ月で合計35万ぐらいだ。一ヶ月の生活費が13万のため、9万ほど手元に残る予定だった。
ここまで話していなかったが、実は私は今猫を二匹飼っている。経緯は省くが、知人から預けられた。
猫のうち片方の歯が突然抜け、病院に行ったら歯周病で治療費がちょうど9万だった。
たまたま働いていたからなんとかなったものの、働いていなかったらどうにもならなかった。
偶然に助けられた。
正直自分の世話もまともに出来ないのに何故猫を飼っているのかよくわからない。
だが大事な命だからいつまでも健康に生きて欲しい。寿命まで面倒を見たいと思っている。
不要不急の出費がなければ通常猫にかかる費用は人間に比べたら大したことなかった。
でも働いていなかったら?どうなっていたかわからない。まぁ多分病院に分割返済を頼んでいたのだと思う。
話は変わるが、中学の頃から仲良くしている友達が、30までに結婚できなかったらルームシェアをしようという話を出してきた。
欲が出た。
ルームシェアをしたいと思った。
ただそのためには生活保護ではいけないし、貯金も100万以上ないと引っ越しは難しい。
私は焦りだした。すぐに働かなければいけないと。
どこも受からなかった。
クローズ就労がほとんどだったが、一つだけ応募した障害者雇用も、3週間ほど時間をかけて待機させられたが有耶無耶になって見送りになった。
でも続かなければ意味が無いし、自分が甘えた考えの障害者だと思ってるから応募していない。
色々な企業から引っ越せば仕事があるとは言われたが、猫がいるので転居費用が出ず、無理だった。
このまま一生働くところも無いまま生活保護に甘えて生きていくのかなと思った。
今の医者には働くことは難しいと言われてるし、自分も外出ただけで意味もなく不安になり泣く病気なのでやっていける気がしない。
だけど金が欲しい、ルームシェアがしたいと思い、仕事を応募し続けている。
7年の空白期間はでかすぎた。
正直夜職やチャトレも考えたが、夜職に関しては見た目が悪くデブで喪女なので無理だしチャトレもそうだが職歴に書けないものはやっても意味がないのだ。
そもそも精神不安定な自分ができると思えない。世の中の働いてる人間は凄い。
田舎なのでまともなB型、A型作業所もなく、求人もなく、就労支援事業所も無い。
もう諦めるしかないのかな。
就労支援事業所はバスに乗れば通えるが、何度も言ってる通り外出すると精神が不安定になる。
それを考えると何もかも駄目だと思ってしまう。
フルリモートで働きたい。電話はできなくは無いが、コールセンター的なところに勤めたことが無いから続けられるかわからない。
生活保護停止がいつまで続くのかは知らないが、この状態で病院に行くことを考えると不安で無理をしたくない。
ニュースを見ると手取りが減るやらなんやら書かれてるしより不安を煽るな、と思う。
障害年金3級があるから2ヶ月に1回14万入る。だから手取りは多少低くても大丈夫だが、流石に手取り10万となると少し厳しい。
13万以上は欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。
何か今更手に職をつけたほうがいいのか、と思わないこともないがその努力も勉強もできないから今の自分があるんだと思い手が止まる。
駄目人間だ。
だけどそこから抜けて貯金できる生活をしたいと考えると途端何も出来ないと泣くだけの無能女が表に出てくる。
親も貧乏だしほぼ絶縁してるし頼るという考えはまず無い。
というかこの状態でいてもそのうち親の面倒を見なくてはならなくなるのではないか?未来のことを考えると憂鬱になる。
隣の芝生は青いというが、
せめてどれかはまともであれよと願ってしまう。
ダイエットをしたいが飯でしかストレスの発散ができない。睡眠欲も性欲も無いのに食欲だけはどれだけ体調もメンタルも悪くても人一倍はあるのが笑える。
糖尿病と診断されており、好きだった白米も食べれなくなった。まあそんなに制限してない。ソーセージなどは控えてる、程度だ。
正直どうにでもなれと思いUber Eatsを使って贅沢して飯を食い自己嫌悪する日々をここ最近は送ってる。最悪だ。何やってんだ。
本当にどうしよう。
恐らくここから辿った未来が少し前ネットで流行った「美緒48歳」なんだと思う。
誰か教えてくれ
故人に語りかけるような、独り言のような、そんなとある曲がマジモンの追悼作品と知った。
作者とともに破滅的な青春を送っていた友人が数年前に死んだらしい。
トレインスポッティングやNHKにようこそみてーな世界もある所にはあるんだな。
SNSで遠巻きに見てた高校生が死んだのを思い出した。ぼちぼち一年半くらい経つ。こちらがボーっと生きてる間にも歳の差が開いてく。
数フォロー圏内でこっちから一方的に眺めてただけ。多分向こうはおれを知らない。でも思考回路といい趣味嗜好といい、コイツは別の世界線を生きる自分なんじゃねえかって思ってた。インターネットでたまに巡り合うドッペルゲンガー。
不登校になったり転校したり留年したり、色々あったらしい。一回り上のオタク連中から面白がられてた。見世物感覚とマジの心配の半々。
自分も紙一重でそういう生き方だったのかもしれない。フツーをやれる能力があったのか、重力に抗えなかっただけなのか。結局まあ大学で躓いちゃったけど。
不安に気づかないほど鈍感でもないし、気づかないフリ出来るほど我慢強くもないし、取り除けるほど賢くもない。分不相応に思慮深い、よくいる愚かな人間。
それでも学校行かない分バイトを始めてみたり、絵を描いてみたり、フォロワーのオタクと会ってたり、生きる事に全くの無気力ではなかったらしい。高認の勉強もしてたらしい。オタクと馴れ合いつつ、人生もぼちぼち進めて安心したいって。
そうやって抗ってる中で、楽しい時間が全くない訳じゃない。でももっと底の方の気分は常に晴れない。そんな感じのことをこぼしてた。
おれが同じ立場ならバイトの応募なんて出来なかっただろうな。案外行動力はあったのかもしれない。じゃなきゃ自殺だってしないだろうな。
人身事故なんて滅多にない地域で、10代男性死亡。最後のツイートはその駅のホームの風景。これで別人ならとんだゾディアックだな。
意識的なものじゃなくて、死ぬ時の気持ちっていうのはもっと切迫してんのかな。希死念慮とは長い付き合いだけど、未だに死んだ事はねえから分からん。
これはただの怠けなのか?生理的問題を抱えていて、それは対処が可能なものなのか?有効な対処がないのなら、救いはないのか?
みたいな悩みをずっと口にしてた。
はっきりナントカ障害という訳でもなく煮えきらない診断がおりてからも、「障害」を烙印と思ってかなり気に病んでたっぽい。
おれもそういう時期あったな〜〜
でも結局障害かそうじゃないかっていうゼロ百じゃないんだよな。
性格と障害なんてはっきりと線引きは出来ない。する意味もない。その境界にこだわるより、何ができるのかを考える。ごく当たり前かつ重要な気付き。それは理屈じゃなく、自分の時間と身体を使って納得を得なきゃ辿り着けない。そうでなきゃ、今度は鬱かもしれない。自律神経失調症かもしれない。HSPかもしれない。それさえ病院で治せば……なんて、いくらでも別の「可能性」にすがれちゃうんだよな〜〜
とか思ってる間に死んでしまった。
アニメの世界に行きたいって言ってたな。おれも行きたい。物語があるし。永遠だし。
止まった時間に守られて永遠に老け込むことはなくなったし、現実よりはちょっと近づけたのかな。でもやっぱ死ぬだけじゃ随分と廉価版になってしまうか。異世界転生してアニメの萌え女になれてたらいいよな。全くの虚無じゃ味気ないし。地獄行きがあるなら多分お互いそうだろうな。
おれが死んだらこっちが後輩か。アニメのアイコンしか見てないから姿は分かんねえな。
彼のことは自分を見る鏡のようにばかり思ってたかもしれん。死ぬにも生きるにも振り切れないところに、歳も近く自分みてーな奴が死んだことに光すら感じてたかもしれん。 もうちょっと社交性があったら自分とは違う所も知れたのかもしれんな。楽しく生きるのってそういうのが面倒で嫌なんだよな。
増田は少し前に会社からの責任を押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。
原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。
毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。
けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。
すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバルの時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。
増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。
ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。
増田は不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。
ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる
この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる
①から②までの移行には30分くらい。
でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態。
頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。
酒飲んでの普通の酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。
二つ目は体感としては確かに酩酊に似てる。しかしゾルピデムの場合、幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。
何かを想像するとか、そういんじゃなくて。
何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。
そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。
別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分の脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。
そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。
最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生で体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。
これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。
そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単に幻覚を見る、ということだ。
幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドのパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。