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はてなキーワード: 学習指導要領とは

2024-12-27

anond:20241227182450

テスト目的学習指導要領上の学習到達度を図るためだけではないからです。

ソースは?そもそも一律な一定水準の教育を施すのがモットー義務教育でそんなことする意義は?

お前視力が3とか平均の地域からって健康診断視力テストの測定上限を3とかにすると思うのか?

生活問題ない視力があるかどうかのテスト社会に出る準備として必要知識が身についているかテスト目的は同じだね?

anond:20241227181714

違いますテスト目的学習指導要領上の学習到達度を図るためです。

違いません、テスト目的学習指導要領上の学習到達度を図るためだけではないからです。

 

孟母三遷なんて理想論からこそ故事成語化してるだろうにそんなこと実践してる家庭が一定数あるかのように言うの馬鹿過ぎだろ。

普通に一定数あるぞ、周縁地域だとあんまりないみたいだけど都市部だと幼稚園圏内偏差値の高い公立小中に通わせるための引っ越しとかあるぞ。

それに俺は「一定数そういう家がある」って話じゃなくて「環境によって子どもの振る舞いはいくらでも変わる」ってこと書いてるんだぞ。

マジで馬鹿なのな。

今年の仕事終わったし帰るわ、年末暇つぶしにつきあってくれてありがとな。

気を付けて実家に帰ってくれよな。

anond:20241227181250

違いますテスト目的学習指導要領上の学習到達度を図るためです。

運転免許の筆記がいたずらに難しいテストにせず過不足なく知識を問うようにしてるのと同様、意図的に点数に差をつけることを目的テストを作ってるんじゃないですw

孟母三遷なんて理想論からこそ故事成語化してるだろうにそんなこと実践してる家庭が一定数あるかのように言うの馬鹿過ぎだろ。

だいたい周りが勉強できるって言うけど公営団地人間が周りとかいちいち気にするかね。だいたいクラス公営団地人間何割いるかも知らんのだがそれで本当に「周りは平均して頭が良い」と言えるのか?

anond:20241227175135

都心では頭良くても家計や家の方針次第で公立行くし、俺にとっての普通公立はそれ。

学習指導要領が同じだからって麻布僻地中学が同じ授業と同じテストしてると思うのか?

思ってるんだろうなぁ笑

anond:20241227174924

いやしないだろ学習指導要領は同じだしどういう知能の人間が生まれるかは(知障含め)どこでも一定の完全なガチャなんだから

そもそもそんな頭いいと自覚する奴は私立行くし

2024-12-16

かけ算の順序・おすすめ文献10

 かけ算の順序史上最も重要なエントリ10選の続編として、学術文献・出版物を選んでみました。

1. 中島健三(1968). 乗法意味についての論争と問題点についての考察

 主な対象は、小学校5年の「小数のかけ算」です。ただし「乗数、被乗数の順」が、参考文献で言及されていますアレイ直積アメリカ日本との違いも、見ることができます。参考文献に書かれた「乗数を operator としてみる」は、最近教科書にも「×10」といった形で取り入れられています

2. 宮田ら(2011). かけ算の意味理解を促すための問題状況の図示の試み

 読み手評価は「こんな教え方ではよくない」「児童特性配慮した指導事例だ」に分かれているように思います。「学習支援教室」は「特別支援教育」ではない点にも注意が必要です。

3. 石川雅章(2022). 事象数学化に及ぼす言語の影響

 1つの調査問題(4つの式にそれぞれ○か×を付ける)に、「たし算の順序」と「かけ算の順序」が入っています

4. 布川和彦(2010). かけ算の導入

 平成20年告示学習指導要領に基づく内容ですが、小学校2年のかけ算の単元で、何を重視しているか教科書ではどのように出題して学びを促すかについては、現行(平成29年告示)の学習指導要領や、令和2年度・令和6年度使用教科書においても、大きな変化は見られませんので、現在においても参考にしてよいものと考え、取り上げました。

5. 守屋誠司(2019). 小学校指導算数 改訂第2版

 82ページの「第2学年や第3学年では,読み取った数を,「1つ分の数×いくつ分=全体の数」と表現できることが重要であり,逆に,この立式ができているかで,数の読み取りができているか判断できる。」が真髄と言っていいでしょう。2011年初版や、異なる著者による2018年書籍にも、同じ趣旨の文が含まれています

6. 日本学術会議理科委員会数学教育分科会(2016). 初等中等教育における算数数学教育改善についての提言

 提言の中に「乗数や除数が整数から小数分数になったとき演算意味拡張統合されることをより一層強調すべきである。」という文があり、翌年(平成29年告示)の小学校学習指導要領の算数に、「乗法及び除法の意味に着目し、乗数や除数が小数である場合まで数の範囲を広げて乗法及び除法の意味を捉え直すとともに、それらの計算の仕方を考えたり、それらを日常生活に生かしたりすること。」として反映されています

 学術会議で「かけ算には順序がない」を提言すれば、後の学習指導要領改訂の際にも反映される可能性がある、と考えることもできます

7. 伊藤ら(1993). 算数を教えるのに必要数学素養

 高校までで学習する数の演算は、「環」や「体」で考えることもできますが、この文献では「Z-加群」を使用しています担任教師とのやりとりに、Z-加群のほか、「私の子供は帰国子女からごく自然に3×2と考えたのだと思う」が含まれています

8. 岸本忠之(2021). 海外における乗法・除法研究の動向

 海外乗法・除法研究(「かけ算の順序」に関する研究ではなく)を手早く知るのにおすすめです。

9. 遠山啓(1972). 6×4,4×6論争にひそむ意味

 「かけ算の順序論争」における古典と言っていいでしょう。

10. 黒木玄(2014). かけ算の順序強制問題

 2010年からネットにおける「かけ算の順序」について、ひと区切りを付ける形になったものです。2017年6月に、同年告示された学習指導要領に基づく「小学校学習指導要領解説算数編」のPDFファイル文部科学省サイトダウンロードできるようになるまで、ネットの論争は下火となった(とはいえ2015年には「足し算の順序論争」が発生したのですが)ように感じます

選定方針

 「かけ算の順序史上最も重要論文10選」にはしませんでした。査読論文だけでなく、書籍やその一部、査読を経ていない文書からも選びました。

 「かけ算の順序史上最も重要エントリ10選」でリンクした「かけ算には順序があるのか」「日常生活の中で計算活用できる子供の育成を目指した学習指導の一試み」、それと海外文献は、今回、対象外としています

 よく引用されていることや、入手が容易であることは、選定の際に考慮しましたが必須の要素ではありません。「かけ算の順序」について直接主張していない文献も、取り入れています

 (2024年12月30日: 1番目の文献の解説を追加しました。)

2024-11-30

いわゆる職場無能YouTubeなどの動画コンテンツ異次元コメントする人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人たち

メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価限定して使われているイメージがあります

 

けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。

具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのもの問題があります

時間自然解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います

 

エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要スキルです。

たとえば、「お目当てのプリン冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日プリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。

冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?

仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます

けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知知識移転(Knowledge Transfer)

メタ認知知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。

たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。

でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキル共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます

 

たとえば、プリウス運転手軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。

仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。

 

 

メタ認知と表層的学習の積み重ね

知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象理解そもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。

 

たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんご品種や生育環境熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えていますさらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープン姿勢もあります

 

次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。

だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。

 

一方で、こういう視点意識(見たまま受け入れる、自分五感直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、

りんご=赤い』っていう単純な答えでテスト合格して、「自分理解完璧だ!」って思い込みます

現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。

で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題対処できなくなります

世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学医療社会問題仕事議論トンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。

違う文脈知識を応用するなんて、そもそも理解が浅いと到底無理な話です。

 

学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、

現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。

それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。

 

 

メタ認知デスクワークフィジカルワークの本質

増田タイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?

これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないか確信を持っています

たぶん、IQ価値観の違いの話ではないですね。

 

大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強デスクワーク知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います

 

現代では、国家競争力は高度な人材依存しています

しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります

 

なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。

 

実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

例えば、エラーを検知し、適切なタイミング作業を中止し、問題解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。

障がい者雇用最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。

 

フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。

 

もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。

それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉運動能力)なのか、論理筋肉知識)なのかって違いだけです。

 

 

メタ認知筋肉の魅せ方と使い方

1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。

物理筋肉論理筋肉も、それをうまく使うスキル必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システム連携して本来の力を発揮するのと同じです。

で、そのシステム設計するには、基本的エラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、

まり知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。

 

国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソース無駄になってしまます

というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えますリソース無駄遣いを避けるために、筋肉活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います

 

(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事科学社会問題議論トンチンカン発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲知的課題は持っていない、なんなら大学卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)

2024-11-25

から文章どころか、単純化された動画の内容(文章+音声)を理解できるだけでも、残念ながら人類の上澄なんだって

単純化された動画の内容(文章+音声)を理解できなくて、まさか大卒だし、なんならアカデミアにもいる

実利と和を優先し、『"なぜ?" や "批判思考" なんてとんでもねぇ!!!』をやっている日本特に多い印象は受けるものの、

他国ではどんな状況なんでしょうかね?

 

バカ向けに映像コンテンツを作っているというTVマン電通に凄まじい嫌悪感を持っていた(他者の知能を軽んじすぎ)

しかし、現実は、傲慢TVマン電通でさえ、まだ他者能力を高く見積もり過ぎっていうのが答えだったのよ

 

一応、新学習指導要領には、 Self-Regulated Strategy Development (SRSD) が盛り込まれはいものの、

その解説を見ると非常に表層的な説明ばかり見かけ、あっこれはダメかもしれんねって思った

 

まぁ、受験対策で繰り返し学習した結果、単純なIQテストでは凹凸を見つけられない状態になってしまった発達障害

あるいは、発達障害とは別枠の何か(社会人クラスチャレンジができない、就職出来てもお荷物になる大卒者)を

フォローするきっかけにはなるだろうけど、数年でどうこうってことはおそらくないでしょうね

やらないよりはマシだけど

anond:20241125133403

2024-11-18

anond:20241118083526

2002年実施小学校学習指導要領改訂に伴って、日本算数教育にてそれまで3.14と教えていた円周率の近似値を3[注釈 1]と教えることになった」という内容が世間に広まった事象である。実際にはこれは事実ではなく、改訂後も円周率の近似値は3.14で教えている。

2024-08-04

東北ウィーンに生まれたせいで音楽が嫌いになった

数ヶ月前にケンミンSHOWで東北ウィーンが取り上げられていて思い出したので書く。

東北ウィーンでは街全体が音楽に力を入れており、特に合唱が強い。小・中・高で合唱コンクールの全国大会常連強豪校がそれぞれある。校歌を混声3部合唱にしちゃう学校もあるくらい本気だ。番組で紹介されたように、合唱サークルも多く夜の公民館では歌声がよく聴こえる。

東北ウィーンに生まれ小学生中学生の時は音楽の授業といえば合唱だった。リコーダーや木琴等の楽器に触れる合奏ほとんどなかったと思う。

合唱が当たり前の環境で、合唱に関しては音楽先生方はどの先生も本気で取り組んでいたと思う。でも、音痴で歌が下手な自分にとっては苦痛だった。

授業中に歌のテストしょっちゅうあり、クラスメイトの前で1人で歌わされる。上手い子は褒められるが自分みたいな下手は皆の前で先生から罵倒されたり嫌味を言われることが辛かった。音楽の授業のある日は消えたくなった。クラスメイトからの白い目が怖くなった。



合唱大会といえば、NHK合唱コンクール。通称Nコン。人数が少ない小学校だったため、4年生〜6年生は全員強制参加で練習させられていた。「Nコン金賞!!打倒!全国大会常連〇〇校!」と書かれたスローガンの前で毎日毎日練習されられたが結果は毎年銅賞(参加賞)。Nコン地区予選には全国大会常連校も勿論出場するが、めちゃくちゃ上手い。自分学校と明らかな差があるのに、その違いを先生説明してくれなかったし「ひたすら歌え」な練習だった。

ちょうどその頃は声変わりもしていたが、配慮もされずうまく歌えないことをよく責められた。名指しの居残り練習もよくあった。


小学校卒業し、中学合唱部に入らなければ回避できると思ったら大きな落とし穴があった。クラス対抗合唱コンクールだ。

合唱が当たり前の環境だったからか、クラス全員が本気になっており、歌が下手な自分を責める人間音楽教師だけでなくクラス女子も加わった。皆の前でヒステリックに責められ一時期は女性不信になった。歌が下手だから口パクにするともっと責められる。どうすりゃいいんだ。東北ウィーンでは音痴には人権などなく、クラスの居場所もなくなっていった。


高校は市内ではあるものの校内合唱コンクールと部活のない進学コース私立高校に進学。美術音楽書道選択制だったため、迷わず美術選択音楽からようやく逃げられた。

卒業後は関西大学に進学。ふとしたこと音楽の授業の話になり、他の学校は授業で琴や三味線ギター演奏をしたり、クラシック音楽を聴いて作者の背景を学んでいたことを知って衝撃だった。生まれ東北ウィーンだっただけで毎日毎日合唱漬けだったが、これって異常だったんだなと初めて気付いた。


社会人になった今でも歌うことがトラウマカラオケのお誘いは断っている。音楽のものが嫌いになっていたが、遅ればせながらOfficial髭男dismミスチル聴くようになり歌詞凄さ演奏技術を感じられるようになった。楽器演奏をやってみたくてギター音楽教室に通い始めた。練習して曲が弾けるようになった時に「これが自分のやりたかった音楽だったんだな」と気付いて講師の前で泣いてしまった。音楽って歌うだけじゃなくて他にも色んなアプローチがあったんだね。


野球に力を入れている学校でも、全校生徒が野球をするわけではないのに、なぜ合唱だけは全員に強要しているのだろう。合唱好きな人や得意な人はどんどん取り組めばいいが、苦手な人にまで強要しないでほしかった。授業も合唱ばかりに偏っていたが学習指導要領としては問題でないのだろうか?歌が下手で音痴自分にはあの街は脅威だった。

音楽に力を入れるのはいいが、力を入れれば入れるほど適正のない子供の逃げ場が無くなる。自治体は偏りのないフラット教育子供達に提供してほしいと願わずはいられない。

2024-07-22

anond:20240722004309

コレよく勘違いしてる人いるんだけど

メタ認知能力って学習指導要領では

メタ認知能力必要とされる国語教材を読む」ってことだよ。

そういった教材の読解・理解を通じて

自分お気持ちだけで読んだら間違う文章を正しく理解する能力を養うわけ。

んで、発達障害の子とか、家庭の事情で親と全く会話してないとか、親自体バカな家庭の子がここであぶり出されちゃうわけ。

残酷だね

2024-07-11

義務教育家庭科能力を与えられなかった世代男性

1958年学習指導要領が男女の学習内容を分けるものに変わった。

中学校では男子社会で役立つような「技術」を、女子は家庭の担い手となることを想定した「家庭」の内容を学習するようになった。

この方針は後々撤回され、中学校1993年の全学年から技術家庭科として男女共通授業に戻り、高校1994年入学の1年生から家庭科の授業が男女共通になった。

男性家庭科を学ばなくて良いという価値観は、実のところ長い歴史を持つものではなく、「高度経済成長への対応」のための限られた時期の国策である

文科省男女差別方針採用していた時代中学校に通っていた世代男性は、女性家庭科学習して生活を支えるから男性家事無能OK

男性ならば製造業労働者であることに専念しなさいという学びを「義務教育によって」押し付けられており、結婚できなければ生活が終わるリスクが相当高い状況に追いやられていた。

 

若い世代家事ができない男性については、本当に自業自得。少なくとも男性差別の結果ではない。

1993年以降に中学生だった世代については男子平等家庭科教育を受けられているので、家事教育の機会が女性と均等になっている。

何も知らない人間については「義務教育で習ったのに真面目に授業受けてなかったんですね」となり、文科省国策による男性差別のせいなどではないし、

今の時代に至ってはYouTubeレシピサイトも、無料アクセスできるノウハウが大量にあり、何の言い訳もできないくらい充実している。調べられるのに調べていないだけである

しか高齢男性家事無能化したのは文科省男女差別方針をとっていた時代男性であり、インターネットを使いこなすのも年齢的に厳しかったりするので、

国策として家事無能製造業従事者を生産しようとした結果がこれであり、100%自業自得とは言えないのではないかと思う。

文科省は「ゆとり教育」をやって撤回したように、「男性家庭科を教えない教育」をやって撤回したのだ。要するに、失敗したのだ。

家事無能の彼らは失敗した教育方針被害者であり、だから独身男性生活の質は既婚男性よりも極度に低レベルものになり、15年も短命なのだ

2024-06-24

学習指導要領では0で割ったらどうだと教えろと書いてあるんだね?

2024-06-05

anond:20240605114452

学習指導要領ってのが世界狭すぎる

リアルガチ中学生


そりゃAI使うようなとこでエンジニアやってればアメリカCS出がどれくらいの事をいつやってるかは知ってるに決まってる

2024-05-26

anond:20240524165046

元増田学校が仮に公立なら学習指導要領通りの授業を拒絶することができなくなる

宗教上の制約を理由に〇〇を取り入れろとか××を免除しろといった要求には一切応じないという宣言なのだとしたら、宗教法律同化してる文化の人には厳しく見えるだろうね

2024-05-08

anond:20240506130556

永井豪漫画が原因で、現実でもスカートめくりなどの性加害行為が発生した」とあるが、スカートめくりなどの性加害行為がすでに流行っていて、それを永井豪漫画で取り上げたので全国に広まったという流れが正しい。

「スカートめくり」自体は『ハレンチ学園』以前からあった|ちゆ12歳

永井豪スカートめくりを描いた「ハレンチ学園」は、1969年掲載された。その当時は、以下のように社会全体に性加害行為が広まる下地があった。

永井豪漫画が原因で、現実でもスカートめくりなどの性加害行為が発生した」という主張は、永井豪漫画の影響力を過大に主張しすぎと言えるだろう。影響力があったと言えるのは、流行っているものを広めたという点だ。漫画掲載以前からスカートめくりなどの性加害行為流行っていたので、「現実でもスカートめくりなどの性加害行為が発生した」原因とは言えない。

2024-04-07

シンタックスシュガー✕(かける)

掛算の順序と学習指導要領の話おもしろかったです。

りんごが5つ載った皿が4枚ある場合りんごがいくつになるか」という問題を立式するときは、

という話だと思いました。

4✕5は4[個/枚] * 5[枚]に変換されるので、正解にならない。

✕は乗算の演算子と思ってしがいがちだけど、被乗数と乗数の順序を考慮するときは、その順序を含めた乗算のシンタックスシュガーになっている。

なので立式するときの✕では交換法則が成り立たない。

なんか、このシンタックスシュガーいけてないなと思うのは、計算するとき交換法則適用していいよと言われているところと、乗法を習うこの単元以外では立式の際もシンタックスシュガーではなく乗算の演算子として取り扱われているところ。

でも、いけてないシンタックスシュガーは世に溢れているので、まあいいや。

被乗数と乗数の関係を考えていて思い出したのが、消費税が導入されたとき大学生協書籍代はどうなるのかという話。

これで1,000円の本はいくらになりますかという話

乗算は交換法則が成り立つから1000*0.9*1.03でも1000*1.03*0.9でも良いです。

✕も計算とき交換法則適用して良いから1000✕0.9✕1.03でも1000✕1.03✕0.9でも良いです。

でも✕で立式するときはどうなるのか。

1000[円/冊]✕1[冊]✕0.9✕1.03と1000[円/冊]✕1[冊]✕1.03✕0.9のどちらが正しいのか。

0.9と1.03は単位がないから乗数、被乗数の順序を考慮しなくて良いのかな。

僕が小学生の頃は乗数、被乗数は「かける数」「かけられる数」と言われてました。

「この式の4は『かける数』でしょうか『かけられる数』でしょうか」みたいなテスト問題があったけど、「この話は、ここでしか出てこないので、気にしなくて良いです」と先生が言って、採点対象外になってました。

大学生協で割引と消費税の順序に悩まなくて良い人生で良かったです。

2024-03-03

anond:20240302201948

ただ、問題は、現代日本語の「修辞学」を学ぶ方法ほとんどなく、事実上漢文がそれを補っている、っていうことなのよ。

これは従来の学習カリキュラム表現力があまりにも軽視されてたってことだな

学習指導要領では表現技法を学ぶことが重視されてるが、漢文を基礎にしてはいない

対句だとか重複のない文章だとかを扱う技術現代日本語の範疇で十分に習得できるということなんだろうし、その判断妥当だろう

2024-02-29

古文漢文必要派vs不要派」は政治的な争いであ

古文漢文なんていらねぇ!という主張は、とにかく評判が悪い。受験期になると毎年のようにこの手の論争が再燃するが、話がまともに前進することは稀である

ほんとうに意味のない教養信仰マウントやwhataboutismをとりのぞいたとき、私の考えでは、必要派のまともな論拠は以下の一点に絞られる。すなわち、古文漢文学習することは、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるので、古文漢文は学ばれるべきなのだ

いずれにしたって、古文漢文に優先的に学ばれるだけの価値があるとすれば、それは役に立つからである

任意学問について学ぶことにはそれ自体価値がある(誰もこれを否定するべきではない)のだが、それだけでカリキュラムに組み込まれるわけではない。古文漢文英語数学とならんでとりわけ役に立つからこそ、受験科目にするほどの価値を認められているのだ。そうでないとすれば、あれやこれを受験科目にせず、古文漢文受験科目にすることがまったく正当化できない(これはいくらかwhataboutismだが)。

古文漢文はなんの役に立つのか。古文漢文をやっていれば、これに絡んだワードセンス物語優美さ・ユーモアが汲み取れる、というのはどう考えても小さすぎる利点なので、この程度の「役に立つ」を指摘して満足してしまうのは小物のやり口である

もっとがっつり役に立つ、例えば大学社会に進んだら漢文古文を読む機会がたくさんある、古文漢文で読解力や論理的思考が大幅に養われる、などと指摘するのは嘘つきのやり口である。そんなことないからこそ、不要論が立ち上がるのだ。

したがって、古文漢文が真に役に立つのだとしたら、上に述べた通り、日本人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるというのが、その「役」なのである。この「役」は、聖書プログラミングを学ばせても代替できない点で、古文漢文をとりわけ優先するもっともらしい理由を与えてくれる。中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきであり、古文漢文はこの望ましい帰結をもたらすからこそ役に立つ、優先的に学ばれるべきなのだ。というか、これこそが古典教育目標であることは(ここまで露骨ではないものの)高等学校学習指導要領に書かれている。

古典としての古文漢文古典に関連する文章を読むことによって、我が国伝統文化に対する理解を深め、生涯にわたって古典に親しむ態度を育てる。

古文漢文必要派は、この一点突破を狙うべきだろう。小さすぎるお役立ちを挙げるのも、大きすぎるお役立ちを挙げるのも、教養信仰マウントやwhataboutismに徹するのも、墓穴を掘って自らを辱めるだけだ。

しかし、「中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提は、すでにかなり党派的なものである。それはれっきとした国粋主義であり、軍国的な仕方で「国民」なるもの要請している。このグローバル化が進みきった時代において、なぜ日本人にっぽんじん)としてのアイデンティティを持たなければならないのか、それがなんの「役に立つ」のかという疑問はスキップされており、とにかく、「文化的アイデンティティを養うべだ」という義務けが突きつけられている。

実際、古文漢文不要派の一部は、まさにこの「国民」の押し付けにこそ反対しているのであり、特定文化的アイデンティティ固執するべきではないと考えているのだ。必要派が本質的ナショナリストならば、不要派は本質的アナーキストである

というふうに、「古文漢文必要派vs不要派」の争いは多分に政治的な争いであり、私が思うに、発信する人の多くはこれを分かっている(ほんとうに無自覚な人もいるが)。しかし、両陣営ともに自らの政治的立場を明言しないのが普通である。というのも、露骨党派性を示してしまえば、そうしなかった場合には言いくるめられたフォロワーまで引かせてしまうからだ。そのせいで議論はいつも上滑りし、互いに口汚く罵り合って、相手馬鹿だと結論し、翌年の再戦を待つばかりだ。

中高生たちは日本人としての文化的アイデンティティを養うべきだ」という前提の是非にのみ話を絞れば、古文漢文必要性をめぐる議論はもう少し見通しが良くなるだろう。

なんにせよ、アイデンティティを持つことは、心身の健康にとって必要不可欠であるかもしれない。国民であるという拠り所すら失われたときに、人はどれだけの孤独を感じるのか。そんなものに寄りかから自分の脚で立て!というマッチョ個人主義に、みんながみんなついていけるわけではない。

はたまた、仮に日本人としてのアイデンティティを養うべきなのだとして、古文漢文やらせるというのは理にかなった方法なのかという疑問も意味をなしてくる。これだけ少なくない人々に、古文漢文という科目への悪いイメージを植えつけているのだとすれば、それはいわゆる「義務教育の敗北」ではないか

はたまた、少なから党派的な思想を陰に陽に植えつけようとする事自体中高生自律性を脅かすパターナリズムでなくてなんなのか。「自分の脚で立て!」とまではいかないにせよ、子どもたちには一定選択が与えられるべきであり、古文漢文必須受験科目とすることはその道を閉ざしているのではないか

そんなに言うなら、私立理系に進めばいいだけの話だ!と言われるかもしれない。しかし、だとすれば理系はなぜ日本人としての文化的アイデンティティを養う義務から(ある程度)自由を許されるのか、と問われるかもしれない……。

疑問・議論は尽きないが、私たちはいまや「古文漢文必要なのか」というはじめの問いよりも、はるかに全うな問いたちを手にしつつあるのではないか

教師が意地悪で給食時間を短くしていると思っているバカ

一年間にこれを教えましょうとかこれをやらせましょうとか学習指導要領で決まってるわけ

国が、文部科学省が決めてんの

法的拘束力があるかどうかは微妙ラインだけど無視すれば訴訟リスクもある

土曜授業がなくなって久しいのにそれを考慮せず

減らすどころか英語学習小学生のうちからやれとかPCタブレット操作を覚えさせろとかディベートやらせろとかあれこれ詰め込んで

国のせいで予定がギチギチになってる

アレルギー持ちや発達障害の子はどんどん増えていくし保護者も躾とかろくにしないから色んな「対応」でどんどん時間が過ぎていく

時間余ったから好きな本を読んでいいとか外で雪遊びするかとかなんかビデオ見るかなんて余裕はなくなって

削られるのはそういった遊びの時間

担任個人趣味子どもに意地悪をして憂さ晴らしするために年間を通して給食時間勝手に短く設定している!!みたいな妄想に憑りつかれている奴が多すぎてマジかってなる

もしお望み通り給食時間をなが~~く取ったら学習指導要領をこなすために授業がよりハイスピードになって落ちこぼれる子が増えるだろう

から夜遅くまで学校缶詰にしておくわけにもいかないし

というかツルツルした食べ物が何かの拍子にスポッと喉に入り込んでしまうとか大人でも年間通したら数十人か数百人か知らんけど死因としては稀にとはいえ存在するものだろう

気をつけていても日本中のどこかで誰かが起こしてしま可哀想事故しかない

食べ物を喉に詰まらせてしまった」これだけのことでいちいち大騒ぎしなくてもよい

2024-02-18

今どきの学生がなにやってるのか分からなすぎて学園モノが書けない

から異世界にいくお。

異世界学園モノの世界観加齢臭ヤベーのは、現実の学園モノかけなくなったジジババの溜まり場だからなんだろうな。

の子供に何が流行ってるのかも分からんし、そもそも夏休みがいつからいつまでなのかも知らんもん。

学習指導要領どころかホームルーム総合学習があるのかないのかも分からん

ぶっちゃけ高校は「うちは私立生徒会が最高権力のプチ異世界なんだよ」で押し通せるけど、公立小学校とか舞台になると完全に意味分からん感じになりそう。

ストーリーに絡んできた小学生キャラには極力学校の話はさせないし、なんなら不登校にさせて小学校との関係を完全に絶たせるまである

ラノベ作家若い人間が有利ってこういうことなんだなあ。

でも出版社契約してたらそっからコネ資料とかもらえそうだけどな。

ゆーて「小学生の間で流行ってるYoutuber動画見るぜ!流し見でいいか仕事中ずっとつけっぱにするぜ!」とかやったら頭おかしくなりそうではある。

かい声で意味不明なこと言ってりゃ受けるみたいなノリについてけねーわ。

まあオッサン流行ってるVでもそんな所がないわけではないんだが……。

異世界マジでそういうの考えなくていいから最高だぜ。

俺の異世界では苦泥血っていうスポーツ流行っていて皆それに夢中だぜ!とか言っておけばそれでもう学生趣味とか私生活考えなくていいからな。

異世界は設定考えるの大変みたいな意見もあるが、現実世界舞台にすでに存在する法律行事ちゃん取材して作品に落とし込むのに比べたら全然楽勝ですわ。

多少間違えたってキャラが嘘ついてたことにすればいいだけだしな。

マジでヌルいね

中学受験 東京難関校への逆転合格理由

中学受験が終わったので、雑感の共有。聞かれれば答えるけど、聞いてくる人もいないので。

注:各家庭で状況は異なるので、「こうしなければならない」という内容ではありません。以下の雑感を参考にするかどうかは各家庭の責任判断してください。

筆者属性: 6年夏休み前にそれぞれY偏差値50台前半、S偏差値50台前半の成績から、2/1にしか入試がない東京中学に男女の子供が合格

お世話になった塾: 4大大手+グノープル以外の中規模の塾

1.子供自身過去問演習を6年の夏休み終了近くまでやらない方が良い。模試より過去問の出来の方が合格確率予測力が高いというのはよく言われている通り。ただし、保護者自身は新6年が始まったら出来るだけ早く、志望校最近過去問複数年、自分で解くか、少なくとも答えの解説を見て、志望校の各科目の難度と出題傾向を把握し、6年後半に入って子供が何をすべきか優先順位をつけられる様にすると良い。

2. 御三家やそれに準ずる難関校を志望する場合、各校の出題傾向に合わせた準備が必要になるため、模試の結果は当てにならない。だから大手塾のオープン模試は併願校を決めるためにあると考える方がいい。学校模試も、最難関校の問題の類題を塾の先生が考えるのは大変なので、過去問マイナーチェンジが出題される印象。そうすると過去問を早い時期に解いている子が高得点を取りやすくなるため、学校模試偏差値による合格確率予測が頼りにならなくなる。一方、いわゆる中堅校は素直な問題を出題するため、模試の結果が参考になる。そう考えると、外部生は、志望校難易度に関わらず、SよりYやNの模試を受けた方が良いのではないかと思った。首都圏模試は使ったことがないので不明

3. 受験は引き算。本番の入試100点を取る必要はないので、入試日までの残りの限られた時間の中で何ができるのか、行える作業優先順位をつけるのが大事。塾の課題も全てやれない時は優先順位をつけて、全てをやろうとしないのが大事。また、塾の課題では足りない部分が発生することもある(後述の7に出てくる中数の利用など)。優先順位付けは、集団指導の塾では個別の生徒への対応に限りがあるので親がやる必要。一方、個別指導も、指導を受けている先生の質は実際の入試の結果が出るまでわからない。中学受験で親が重要というのはこれが理由

4. 算理社はとにかく塾の演習授業、模試過去問で間違えた問題はやり直すのが、入試直前期を除いて鉄則。塾で色々な問題を解くのは、どの問題ができないかを知るため。その意味では無駄も発生している。だから、できない問題がわかったら、復習しないのは勿体無い。復習の指示も親の役割。ただし、志望校の出題傾向よりもはるか難易度が高い問題はやり直さなくてもいいかもしれない。

5. 基礎、基礎、基礎。とにかく基礎を固める。焦りがちな保護者意識では、応用はできなくてもいいと思って良い。正答率が90%の問題でもそれが6問出れば、全問正解の確率は53%になり、勝負どころになる。基礎を固めると御三家級以外の学校は大体勝負できる様になるし、模試の結果も安定し、家庭の不安感も減る。基礎の積み上げでは志望校難易度から現時点で到達すべき水準を逆算せず、子供の進度に合わせて併願校を変える方が良い(後述の6参照)。基礎を固めるためには前述の通り、間違えた問題のやり直しが有効

6. (少なくとも保護者は)色々な学校を見る。偏差値が低く見える学校も、入試問題を見れば小学校の授業内容を概ね理解している子を選抜しているので、中学高校での授業が良ければ、大学入試では勝負できる様に鍛えることは可能。また、中堅校の試験問題ができれば、それ以上の難易度入試問題受験者の差別化をする意義はない。保護者入試結果に楽観的にならずに、色々な学校を見ておき、併願校の選択肢を広めに持つと良い。偏差値の高低に関わらず良い学校はたくさんあるし、偏差値が高いから良い学校ということもない。実際に保護者学校訪問すると、その学校について色々とわかる。自分自身見学の時は、大学受験には関係しにくい美術室と音楽室の展示が充実しているかを見るようにしていた。

7. 塾の選択自分が使った塾は、算数解説を配らずに答えしかプリントには載せない方針だったので、親が解説を作る必要が生じ、その点は非効率だった。一方、中数の利用法指導してくれるなど、柔軟性は高かった。大手塾は、問題集の答えに算数解説が載っているのでその点はやりやすいと思う。この理由により、あまり保護者受験サポートをできない場合は、大手塾の方がいいかもしれない。しかし、大手塾の中には上場企業もあるので、各家庭の希望と塾の姿勢が合うかは吟味必要という印象。

8. 算数。最難関校を志望する場合は難しいが、それ以外の場合は、志望校問題難易度よりも少し高い難度の問題まで取り組まないと、算数得点力が十分に上がらない印象。

9. 理社教材。保護者にとってはカラーで図表がついている自由自在が便利。自由自在受験に特化した参考書ではないので、受験向けには不必要記載も多いが、自由自在に載っていない内容は学習指導要領からは外れているので基礎ではないことがわかり、便利。

以下、今後も見る人がいた場合のために追記の記録。

2024/2/18

3. 過去問演習の採点をする人間子どもの進度を最もよく把握できるので、それが親なら、親が残りの期間の勉強優先順位づけをするのがベストになる。集団指導場合、塾の先生は各児童についてそこまでの情報は持てない。

6. 偏差値は各校の人気のバロメーターにすぎない。各児童の特長や各家庭の希望と合うかは保証しない。人気のラーメン店を万人が好むわけではないのと同じ。ただし、高偏差値校だと大学受験の文理の選択が遅めになるという利点はある。また、東大志望の場合、先輩・同級生や校内模試の結果から情報を得やすいかもしれない。それ以外では、高校がどこでも、自習・塾の利用で、一般受験東大を含むどのような大学でも合格することが可能。(それが日本の良いところ。(どの)大学に行くと良いかはまた別の話。)

7. 印刷された解答を得られるという点では、Yなど大手塾が出版する教材を使う準拠塾でもいいかもしれない。ちなみにタブレットの利用については、タブレットの速度に子ども作業スピードを合わせなければならずストレスになるので、勧めない。色々な意味で紙の教材の方が早く、効率的なことが多い。

2024/2/22

コメント子どもモチベーションの話があったが、それはその通りで、志望校に(親に煽られてではなく)子どもが行きたいと思っているのが前提。塾の先生も6年の夏休み以降で成績が伸びるのは、志望校に行きたいという気持ちが強い子と言っていた。また、子供モチベーションが低いのであれば良い学校はたくさんあるので、無理はさせない方針だった。

2024/2/24

5. 志望校試験問題難易度で何が基礎かは変わるが、自分プロ講師ではないので適当に、Yの模試なら正答率50%以上、Sの模試なら正答率70%を基礎問題の目安にしていた。例えばYの模試なら、正答率50%以上の問題の中で子供が間違えた問題の配点を足し上げ、「それらの問題が全部できたら、各科目の点数と総合点が何点あがるか、偏差値がどのくらい上がるか、志望校偏差値にどれだけ近くなるか」という計算をして、子供に見せると良い。このやり方は、ポジティブな話しか出ないし、各科目であと数問正解すると総合点の偏差値が5から10くらいは簡単に上がるのが体感でき、偏差値の差が示す児童の間の理解度の差が小さいことが確認できておすすめ子供の進度がまだ浅ければ、基礎問題基準とする正答率の値を60、70、80、90%に上げれば良い。

2024-01-26

anond:20240126165638

0に何をかけても0という考え方は天下り式に教えるものなのでわかりやすくはないです

そもそも学習指導要領を決めるのは日本数学者なので掛け算の順序みたいなものとは違い、掛け算と足し算なら足し算を教えるのが良いという了解があるわけです

あなた個人お気持ちで済ませたくないのであればこういった教育に関する先行研究やらもしっかり読み通した上で意見すべきでしょう

そして意見する場所増田不適切ですね

しっかり適切な場で意見してください

2024-01-25

数学III数学Cに入らない段階の三角関数つまんない

指導要領で数学Cが復活したから「数学IIIと数学C」と表記するけどまぁそれはともかく…

その範囲に入らない段階での三角関数について学んでもかなりつまんないとは正直思う

結局数学II・数学Bまでの三角関数グラフを書いてどんな形になるか確かめたり、せいぜい加法定理を習うまでだから

これでは特定のxに対して sin x, cos x, tan x が幾つになるかばっかり考える事になる

三角測量という重要な応用があるにはあるが、それは結局実生活に役立ってる事が分かりはするが

三角関数自体の豊かな性質には触れられない

これじゃ退屈に感じてしまう人がいても仕方ないよ

一方で数学IIIや数学Cまでやると三角関数はどうなるか

微積分と繋がる訳だ

これで様々な有理関数不定積分三角関数を用いて表す事が出来たりと

他の分野との有機的な繋がりが見えてくる

様々な平面図形や立体の面積・体積も求められるようになるし変種を含むサイクロイドもよく分からない曲線では無くなる

加法定理の応用範囲も色々と出てきて特定のxに対しての三角関数の値を求めやすくするためだけの定理ではなくなる訳だ

学習指導要領の都合だと平面上の回転変換が三角関数を用いて表される事まで学ぶようになるかもしれないな

ゲームで言うとそれまで一部の地域しか冒険してなかった主人公が急に世界全体を冒険出来るようになる滅茶苦茶面白い段階と言っていい

こうしてみると数学IIIや数学Cを勉強しない人にとっては

三角関数というもの面白い部分がすっかり抜け落ちた存在に映っても仕方ないものがある

世間で「三角関数文系で習わなくてもいい」みたいな事を言う人達はこんな退屈な状態で学ばされたから言ってるのかもしれない

そんな事を言った某議員とかも三角関数微積分までは勉強していないのは個人的に知ってるから尚更思ってしま

からといって数学II・数学Bから三角関数を無くすべきではないとは思いたい

逆にどうだろう…数学IIで三角関数を学ぶのと同時に簡単微積分も習うんだから

そこで実は三角関数が絡むと微積分はとても豊かになるんだって証明抜きで簡単に紹介してみるのはいいんじゃないか

そうすると三角関数が嫌いな人が減るような気がするんだ

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