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はてなキーワード: クラシック音楽とは

2025-07-07

私立恵比寿中学のこと。

小林歌穂さんの卒業コンサートを見てきた。

有安杏果さんの卒業コンサート幕張だったなと思い出してた。

有安さんや小林さんだけじゃなくて、廣田さんや伊藤千由李さんや栗本柚希さんや川瀬あやめさん、それに柏木ひなたさんといい、スターダスト特にアイドル部門は歌が上手い人にとってものすごい居づらい環境で続けにくい環境なんだなと思う。

歌がうまい人ほど辞める、それがスターダスト

川上さんとか田口さんとかが、事務所としてそういう所を重視していないんだろうな。

まぁ、歌が上手くても売り上げに繋がらなければ事務所として囲っておく意味がないですから、ということですかね。

そういうスターダストアイドル部門の中でも私立恵比寿中学(以下えびちゅう)ってかなり特殊存在だったなと思っている。

人時代、特に柏木さん小林さんを支柱として「驚異的に」歌が上手いグループを構築してきた。

まず、ユニゾンが綺麗。これはもはや今のえびちゅうには感じないことだ。

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音程というのは不思議もので、音程が正しい人がいっぱいいるグループの中に入るとそれまでおかしかった人も正しくなっていき、逆もまた起きる。元々正しかったのに周囲に影響されておかしくなる。

つの音程が「合ってない」というのは、音波合成によるゆらぎの発生を感じることだ。

周波数f1f2の2つが合ってない場合、これは(f2-f1)の強度の変動が発生し、音波合成によるうねりが出る。f1f2が同じ値であればうねりは0になる。高校物理

近藤譲は「オリエントオリエンテーション」という曲を作ったが、これは同種楽器2本によるユニゾン音楽だ。たしか初演はハープ2台だったが、CDとしてリリースされているものアンサンブルノマド演奏するフルート2本バージョンがある。

これを聴くと「音程が合ってる」場合の響きと「音程が合ってない」場合の響きの違いを明確に理解することができる。

クラシック音楽の一つの面白いところは、超精密に音程が合わせられる人たちが、人間不安失望表現するためにあえて音程をズラしてきたりするところだったりする。

またユニゾンの「音」を考える場合にはサスティン音(主成分)の音程だけでなくアタック(音の鳴る始め方)やリリース(音の消し方)の強度や長さ、柔らかさ、それに歌の場合は全く同じ音程でも口角が上がってるかそうでないかで明るい音だったり暗い音だったり様々な表現ポイントがあってどう構成されるかと耳を使う。音程が良ければ全ていいという話でもない。

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THE FIRST TAKEの「なないろ」を聴いた時、なんて綺麗なアンサンブルなんだと感動したことを覚えている。特に特筆してユニゾンが美しい。「話しようよ」の「よ」の伸ばしに何のうねりも感じない。針の穴に一発で糸をすっと通すような心地よい響きを、あの環境の中で何ら不自由なくやり遂げている。そのだいぶ高度な技芸の中にきちんと情景描写がある。空の高さが見える。このレベルで「美しい」と感じれる歌ができるグループが他にいるなら教えて欲しい。

これがえびちゅうに唯一無二に感じていたことで、それを藤井さんは綺麗にぶっ壊してくれて、だいぶ心が折れる志賀さんがどう舵を切るつもりなのかは知らないけど。(どちらかというと壊れた後を託されてる側面もあるから同情する所もある。)

柏木さんがいなくなったことで、えびちゅうの姉メンの中でさえも明確に音程が合わないことが多くなった。おそらく小林さんがいなくなったことで、その傾向はもっと悪化するだろう。

まぁ、新体制ライブGOLDEN EIGHT -new again-(以下各曲の感想はこのライブに基づく)の「トレンディガール」サビ後半部分あたり、なんかちょっと歌が上手い人のカラオケを聞いてるくらいに感じちゃうのは、恐らく妹メンはplaylistという全体的に荷が重いアルバム楽曲について一つ一つのフレーズの処理の仕方をそこまで綿密に検討できないまま舞台に立ってるのだろうから、それはどちらかというと可哀想なのかもしれないとさえ思ったりもするが。

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桜木さんと小久保さんは論評に値しない。

中山さんはオーケストラにおけるシンバルみたいな存在で、平時がどうこうよりもブレークや盛り上がりのところで「ドンッ」と大きなインパクトをぶん投げると「きちんと自分仕事を全うしているなー。良い。」って思う。それに、たぶん今が中山さんの完成形だと感じる。「靴紐とファンファーレ」の冒頭はシンプルに「よく頑張りました」という感想

仲村さんは不思議な人で、まじめに歌おうとすればするほど顔も真顔になっていくし、情景感も色彩感も消え失せていく。これを「歌が上手い」に分類するのは抵抗感がある。「SCHOOL DAYS」の小林さんから受け継いだオチサビの特に「さぁ」の部分も、本当にこれが仲村さんがやりたい音楽なのか?と疑問にさえ思った。空洞感。

桜井さんテクニカルには歌が上手い。しかしそこに指向が向きすぎていて表現力が伸びてきていない。「はみだせGirls」の冒頭みたいに、桜井さんの歌と真山さんの歌が直接並ぶとその表現力の実力差がまだ圧倒的だなと感じてしまう。

から、仲村さんの歌は桜井さんの歌にかなり強く影響を受けているように思えるが、それは悪い意味でも影響を受けてるように感じている。

そんな真山さんも喉と戦ってる感じがまだずっと続きますね。

前出の「はみだせGirls」の途中真山さんソロになる所、部分的音程が上振れしてて特に「いいじゃん」あたりが顕著。安本さんとのデュオの「明日」、冒頭の下ハモりが全体的に若干低い。など、昔よりその内容にいろいろ気になる点が多い。そのブレ方は、柏木さん小林さんがいなくなったことに対してインパクトが大きそうだなと予想している。でも歌の中の景色の描き方はやっぱり素敵。

桜井さんと完全に対極的に見えるのが風見さん。「歌が上手い」というほどではないが、その歌の中身にくそ真面目に音楽と向き合ってる性格がにじみ出てるので、好感度は高い。ニコニコしている率が圧倒的に高いのが若干の不安感はあるが、「シングルTONEでお願い」あたりは難関曲を精一杯理解しようと努めてきた結果が出ていて良い。

その「シングルTONEでお願い」のユニゾンの合わなさっぷりは結構激しめだが。

安本さんは安定してますね。何があっても動じないし自分表現を突き通している感じはある。「ここの音程変だな」って感じることもほぼ無い。ハモる時の相手の歌に合わせていく感じも良い。さすが元祖ボーカロイド

真山さんも安本さんも「日進月歩」になってくると、この曲の特徴的なひんやりした温もりの心地よさが伝わってきてさすがだなーと思う。他のメンバーの歌にはない。

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えびちゅうに対しては以前に「唯一無二だな」と感じていたことが消えてしまったので、これからこのグループのどこにそれを感じていくか、が個人的課題に感じる。

それとよく分からなかったのがIndigo Hour楽曲ほとんど無かった点。Knock you outだけかな。

小林さんの卒業はいいとして、GOLDEN EIGHTのほうからもそれがほぼ除外されたのはどのように理解すべきか。コンセプトを大幅に変えたのにそれを封印したのか。

課題と謎を孕んだ推しグループ、それが私立恵比寿中学

2025-06-14

anond:20250614204923

種類によるけど、クラシック音楽があまり世間ウケしないのと同じじゃないかなぁ

2025-06-07

anond:20250606140253

自分クラシック音楽関係した仕事をしているので、「コンサートに何を着ていけばいいか」としょっちゅう訊かれる。

答えはいつも同じで、「友達銀座ランチするときの服」でいい。

それなりにおめかししたいと思ったらそれが正解。

別にジーンズで充分と思ったらそれが正解。

実際いろんな服の人がいるから、あなた自身がしっくり来てればそれでいい、と伝えている。

2025-06-04

anond:20250604110543

そういう分析芸術作品文化系制作物の楽しみ方として定着してるから

クラシック音楽だってベートーヴェンは耳聞こえんくて辛い中で…とかそういうところから分析始めるし

anond:20250604105245

IR情報検索)や推薦システム(Recsys)における「セレンディピティ」についてですね。

関連性、新規性多様性、人気性といった指標比較理解やすい一方で、セレンディピティは確かに掴みどころがないと感じるかもしれません。

セレンディピティSerendipity)は「偶然の幸運発見」「予期せぬ有用発見」といった意味合いで用いられます

情報検索や推薦システム文脈では、ユーザーが求めている情報や好きそうなアイテムを直接的に提示するだけでなく、ユーザーが「知らなかったけど、これは素晴らしい!」と感じるような、予期せぬ驚きと喜びを伴う発見を指します。

関連性だけを追求すると、システムユーザー過去の行動や明示的な好みから導かれる、非常に「安全な」推薦ばかりをする傾向があります。これはこれで重要ですが、以下のような問題点も生じます

1. フィルターバブル/エコーチェンバーユーザーが常に同じような情報に触れることで、視野が狭まり、新しい視点情報に触れる機会が失われる。

2. 飽き: 常に似たような推薦ばかりでは、ユーザーは新鮮味を感じなくなり、システムの利用から離れてしま可能性がある。

3. 潜在的ニーズの掘り起こし: ユーザー自身がまだ気づいていない、しかし非常に高い満足度をもたらす可能性のあるニーズを掘り起こす機会を逃す。

セレンディピティは、これらの問題解決し、ユーザー体験をより豊かにするために重要となります

システムユーザーを「驚かせ」「喜ばせる」ことで、ユーザーエンゲージメントの向上や、長期的なロイヤルティの構築に繋がります

セレンディピティは、非常に測りにくく、実装も難しい概念です。いくつかの試みやアプローチがあります

1. 多様性Diversity)との関連: 多様な推薦をすることで、結果的セレンディピティが生まれ可能性が高まります。ただし、多様性が高すぎると単なる「ノイズ」になる可能性もあるため、バランス重要です。例: ユーザーの通常の視聴履歴とは異なるジャンル映画を、関連度は低いが一定の人気や評価があるという理由で推薦する。

2. 新規性(Novelty)との関連: ユーザーがまだ知らない、新しいアイテムを推薦する。しかし、単に新しいだけでなく、ユーザーにとって「有用な」新規性でなければセレンディピティには繋がりません。 例: ユーザー普段聞かないようなインディーズバンドの、しかし高い評価を得ている曲を推薦する。

3. 意外性(Surprise)の導入: ユーザーの期待を意図的に裏切るような推薦。ただし、これも「不快な驚き」にならないよう注意が必要です。例: ユーザークラシック音楽ばかり聴いているが、過去に一度だけ興味を示したことがあったジャンル(例えばジャズから、そのジャンル名盤を推薦する。

4. 探索的な推薦戦略ユーザーの明示的なクエリや行動だけでなく、より広範な情報(例:世間トレンド専門家意見、他の類似ユーザーの意外な行動など)を取り入れて推薦候補を生成する。「探索(Exploration)」と「活用(Exploitation)」のバランス: 推薦システムは、ユーザー過去の行動から活用(Exploitation)」して関連性の高いものを推薦するだけでなく、新しい可能性を「探索(Exploration)」してセレンディピティを生み出す必要があります

5. 偶発性の設計システム意図的に、ある程度のランダム性や偶発性を推薦プロセスに組み込むこともあります。ただし、これも「単なるランダム」にならないための工夫が必要です。

セレンディピティは、情報検索や推薦システムにおいて、ユーザーに「知らなかったけど、これは良い!」という予期せぬ喜びと発見をもたらす、非常に価値の高い指標です。

関連性、新規性多様性といった他の指標と密接に関連しながらも、それらを組み合わせることで生まれる「化学反応」のようなものです。

測定が難しく、実装試行錯誤必要な分野ですが、ユーザーの長期的な満足度エンゲージメントを高める上で、今後ますます重要になっていくでしょう。

2025-05-31

今日街コンに参加してきた

今回のものは三対三。

グループ形式であり、制限時間は約10分。

最初定番質問が飛び交った。

仕事は?

趣味は?

好きな食べ物は?

そして俺の番になった。

趣味映画です、と言った。

同じテーブル若い男がニヤついた。

「お、映画っすか」

隣に座ったその若い男はその場を仕切るように反応する。

構わない。

俺は続けた。

ジャン=リュック・ゴダールって知ってますか?」

その瞬間、空気が変わった。

笑っていた女の子も、黙った。

ニヤけていた男は苛立たし気に表情を固める。

俺は構わず話を続けた。

特に好きなのはフォーエヴァーモーツァルトです」

「あの映画ゴダール晩年集大成のような作品で、戦争芸術、死とユーモア現実虚構を交差させながら、観る者の倫理観を揺さぶる内容です。

映像詩のようでもありながら、どこまでもドライ冷笑的。だけどそこに燃えるような怒りと祈りがあって、語りが被さるたびにこっちの心拍数は上がっていく。

あの映画を観るたびに、人はなぜ表現をやめないのかという問いが、喉元に引っかかって離れないような感覚に見舞われる。

戦争悲劇を、ただ悲劇としてではなく、ある種の断絶と連続として描いた彼の視点には何度も胸を打たれました」

俺は淡々と語った。

辺りは沈黙に包まれ沈黙が続いた。

腕時計を見ている女性

こっそりとスマホをいじる女性

水を飲む男。

誰も、俺を見ていない。

でも俺は話をやめなかった。

フォーエヴァーモーツァルトは、戦争中のボスニアに向かう演劇一座を描く。

テーマ戦争芸術現実虚構の断絶。

劇団マリア戦争という芝居を通じて芸術の意義を問い直そうとする。

だが彼らは途中で軍に拘束され、悲劇的な結末を迎える。

アントワーヌ・ド・ベックは万事快調のDVD特典にある解説でこう言っていた。

ゴダールにとって映画とは問いを発するための兵器であり、

この作品戦争の荒廃に対して、芸術の無力さと暴力対称性並置する試みだと。

そして彼は続けた。

“Forever Mozart”というタイトル自体が、皮肉祈り内包している。

クラシック音楽永遠性を借りながら、その普遍的価値すら問い直している。

この視点が、俺の中の何かを決定的に壊した。

美しい無人風景

瓦礫

カメラは冷静に、かつ無慈悲現実を捉えていく。

だが、その隙間から滲み出るのは祈りに近い温度

あれほど絶望的なのに、希望を捨てていない。

この映画を観たあと、しばらく言葉が見つかりませんでした」

若い男は歯軋りするな目で俺を見つめる。

かいに座る女性は俺を見て微笑んだ。

その瞳に理解の色はまるでない。

水ばかり飲んでいる男のごくっごくっという音がその場に響き渡った。

彼らはゴダールのことを何も知らず、そして理解することもないだろう。

だが構わない。

それでもいい。

映画とは問いだ。

感動ではなく、問いだ。

俺はそう思っている。

わかってほしいとも思わない。

そして、この空間もまた問いだ。

いかけることにこそ意味がある。

理解できてしまったら、そこに問いは生まれない。

から俺は満足していた。

理解されないことにこそ、満足があるのだから

2025-04-23

anond:20250423135901

ただの差別主義者が偉そうなこと書いてて草

AKBよりクラシック音楽の方が高尚とか思ってそうだなw

2025-04-21

anond:20250421193028

吹奏楽が上手い下手は単なる技術論だろ、クラシック音楽への興味とはまったくの別問題だよね

吹奏楽クラシック歴史的には無関係

日本中高生吹奏楽はめちゃくちゃレベルが高いし吹奏楽人口も多い割に、クラシック音楽聴く人口が少なすぎないか?金賞を取るスポーツになっていないか - togetter

https://togetter.com/li/2540785

クラシック畑の人は日本器楽歴史を案外知らない、いや日本を見下してるから知ろうとしない人がプロ奏者含めて多いが、このまとめの冒頭のポストの人もその一種に過ぎなかった。

そもそも吹奏楽起源軍楽隊であり、「軍隊」という、欧州古代近世クラシック文化とはかけ離れたところで歴史を紡いでいる。これは日本も同様。

詳細はWikipedia吹奏楽歴史」が一番よくまとまっているので一読してほしい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%B9%E5%A5%8F%E6%A5%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

軍楽隊という枠になると、世界トップ欧州ではなく米国になる。次点イギリス。他の欧州各国はレベル的にクソである

吹奏楽」という枠でも同様。アマチュアレベルに関しては米国世界トップで、その次は日本。他の欧州各国はイギリス除いてクソ。ちなみにイギリスは「金管バンド」(木管楽器が居ない)編成が大半なのでちょっとから外れる。

米国日本アマチュア吹奏楽レベルが高いのは、いずれも学校部活という枠組みがあるからに尽きる。内容は日米で異なるが、ここでは説明割愛するので興味がある人は調べて欲しい。「ほぼ毎日練習必要」という点は日米共通だ。

イギリス以外の欧州アマチュア吹奏楽レベルは総じて低い。その地域トップクラスと言われるバンドでも、音程合わない、縦合わない、音量のメリハリなんて何それ美味しいのレベル

これは欧州学校部活と言う枠組みが弱く、地域クラブで週1程度のお稽古以上の事が出来ないからだ。

クラシック畑の人は欧州コンプレックスが強く、日本だけでなく米国も見下す傾向があるので、これらのファクトは頭の中に入ってこない。ないものとして扱う。

から冒頭のtogetterのような的外れなボヤキが出てくるのだ。

2025-04-15

小林恭二の「磔」という30年前の短編小説があまりにもSNS社会すぎ

追記】04/15 16:30

こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。

ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象のもの以上に、そこで起こる人間心理価値観欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。

そもそも価値観人間心理って、線形の延長線上にあるテック未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間心理一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。

あと、下に書いてるけど、1994年発刊だけど、この小説の初出は1992年からね。なのでパソコン通信である種の文化があったのはわかるが、インターネットはすでにあったみたいな指摘してる人は頓珍漢だからね。

 

とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います

この「短篇集」以外をおすすめするなら

1.ゼウスガーデン衰亡

2.モンスターフルーツの熟れる時

3.浴室の窓から彼女

あたりがおすすめです。

僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦万城目学のようなコンビイメージなんですよ。

追記終わり】

 

小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。

僕は30年近く前の大学時代、この作家世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだん思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしま作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。

きっかけは高校時代書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。

 

年末書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分新刊で買ったのは数冊しかない。

何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。

 

なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレ引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。

 

主人公男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場暮らしている。主人公仕事についての描写

わたしは、現在とある不動産会社アナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報検索及び処理で、パソコン電話機があればどこにいても可能仕事のため、専ら自宅で仕事をしている

えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた

会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。

十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。

私は答えたものだ。

「もともと会社社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」

さらにはこんな文章もある

はいながらにして、ありとあらゆる情報を、獲得することができるのだ。

何を好き好んで、不愉快な生身の人間と接することがあろう。

今の時代リモートワーカーにありそうな心情である

  

これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前作品である

小林はけして、現代SF作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。 

実際、この後、主人公仕事を終えて、自分用のパソコンスイッチを入れるのだが

パソコン通信クラシック音楽情報を専門に扱うネットアクセスする。

そしてそこの話題から明日BGMとなる音楽を選ぶ。

ちなみに現在かかっているモーツアルト歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたもの

と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)

作者は自分想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。

 

どうやら、このクラシック会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日おすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)

ここでちょっと興味深い話題になる。

ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている

いいねえ、古きネット感覚だ。続けて

太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。

それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。

年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。

無料だと答えると大概驚く。

こちらのほうが驚く。

いまだに情報商品か何かと勘違いしているのだ。

情報空気に等しいのだ。

この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報商品になっている。むしろこの時代よりはるか商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネット価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本から言及がある。ストウニアとこの著作実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。

 

テレビへの言及もあり、興味深い。

テレビの発信する情報はおおざっぱでクオリファイが不十分で、加えておおむね退屈である

(中略)ことに若い世代には、テレビ情報の古さ、質の悪さを嫌ってこれを見ない人が圧倒的らしい

まじで今の話じゃないの?

 

この後、主人公ネット徘徊する

哲学会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw

いくつかの部屋を見て回ったのち、バー会議室に入る。

バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである

ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバー形成している

2ちゃんバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所から違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。

まあ2ちゃん雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。

ここで主人公は、その日の夕方自分けが得たとっておきの情報披露する。その情報が何なのかはまあ表題ネタバレしているが割愛しておく。

主人公の心情を引用しよう

書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たとき快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である

この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!

これってつまりバズる感覚ですよね。ネットバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。

主人公情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。

そして翌日、彼は新聞自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう

わたし新聞類型的な見出しのひなびた味わいを普段から愛しているが、このときもほほえましく思った。

それは流行終焉した後、ようやく流行存在に気付いて、頓珍漢な批評を加える初老学校教師を思わせた

こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。

 

以上のような20ページほどの短編なのだが、どうだろうか。

 

最初リモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。

乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料くそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想まりであるしかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。

 

もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?

参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)

短篇小説

書籍

https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%AD%E7%AF%87%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E5%B0%8F%E6%9E%97-%E6%81%AD%E4%BA%8C/dp/4087740668

Kindle

https://www.amazon.co.jp/%E7%9F%AD%E7%AF%87%E5%B0%8F%E8%AA%AC-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%81%AD%E4%BA%8C-ebook/dp/B09THZB8J5/ref=tmm_kin_swatch_0

2025-03-29

anond:20250329134605

これはガチ

左翼バカにする底辺層ちゃん一般教養レベル演奏を聞いてる

正確にはクラシック音楽では無いので一般教養にはならないし

左翼はその事を馬鹿みたいにあげつらって差別して見下すんだろうけどさ。

2025-03-21

ブラームス世界に戻ってきた

俺は若いからブラームスが好きだった。

あの陰鬱ブツブツ小言を呟いているような音楽

長調の明るい音楽でも根底には憂いと哀愁がある。

例えば有名な第一交響曲のフィナーレだってベートヴェンやワーグナーのような大爆発はしない。

「俺がこんなに幸せでいいのかな?」みたいな後ろめたい幸せを感じているような雰囲気がある。

内向きのウジウジとした精神。そういうところが大好きだった。

でも中年差し掛かった頃、俺はこのままではダメだと思った。

ブラームスのような陰キャのウジウジした音楽にばかり浸っていたら、陰キャのウジウジした駄目オヤジになってしまう。

もっと人生を力強く生きて未来を切り開くような人間になるべきだ!

から俺は無理してそれほど好きではないベートーヴェンモーツァルトを頑張って聴いた。

よく「ドイツ三大B」(バッハベートーヴェンブラームス)とか言われているけれど、実際にはクラシック音楽世界で至高の存在とされているのはバッハベートーヴェンモーツァルトであるブラームスは1.5流扱いのシューベルトワーグナーより更に下の2流とされている雰囲気がある。

若い頃好きではなかったモーツァルトについては、じっくり聴いてみれば実に素晴らしい美の結晶であることが分かった。

特に素晴らしいのはウィーン時代12から最後の27番までのピアノ協奏曲だ。まさに音楽美の最高峰であり、その至高の美しさには思わず涙が流れ出たこともあった。交響曲33番あたりから最後の41番「ユピテル」は実に素晴らしい。

しかし、50代に入り数年して、その素晴らしいはずのモーツァルトを聴こうという気があまり起きなくなった。単純に言えばやはり主観的にどこか俺の好みではない。フェイバリットではないのだ。

モーツァルトは結局恵まれ世界に生まれ上流階級の人々が絶賛する音楽であって、上流社会の人たちがキャッキャウフフしているサロンような音楽である

モーツァルト自身貧困の中で若死にしたけれど、あれは浪費癖によるものだ。モーツァルトザルツブルク宮廷音楽レオポルト・モーツァルトの息子として生まれ神童として貴族たちの中で持て囃され成長した。この時点で恵まれた上流社会人間だった。

モーツァルト音楽にも短調作品において悲痛な悲しみが表現され、それは音楽芸術的に極めて美しいが、それはあくまで上流社会人間ちょっとしたことで傷ついてクヨクヨしているようなエレガントな悲しみであって、生存危機を予感するような本当の絶望とは違うように感じる。

モーツァルトオペラは胸糞悪い話が多い。「フィガロの結婚」のアントニオや「魔笛」のモノスタトスとか、結局老人や貧困層や異人種を見下している。

ブラームス音楽家の家系に生まれたが、父親底辺貧困音楽家で、ブラームスが生まれた家の写真を見ると当時のドイツのボロアパートのものだ。ブラームス生活に困窮する庶民世界をよく知っている。そして生涯独身であり、おそらく生涯童貞だったろう。

俺はここ数年、陰鬱精神改善して肯定的明るい人生を送ろうとしてブラームスを避け、無理にモーツァルトを聴いてきた。だけどもうやめよう。素直に聴きたい音楽聴くブラームス聴くのだ。

2025-03-18

最強のシンセサイザー Serum2がリリースされた

Serumがリリースされたのが17年前

単純な音を組み合わせて、それを特定音程で鳴らす

これだけのシンセサイザー界に革命をもたらしたのがSerum

特定の音のファイルを組みわせて使えるウェイブテーブル方式という革命を持ち込んだことで音楽業界一新した

 

全ての音楽がSerumを使用している

ーーというのは嘘、だが、かなり多くの楽曲にSerumとそれと競合するNexsus、Massiveが使用されている

これらのどれか三つを使っていない楽曲はたとえクラシック音楽でさえも存在しないと言われている

 

そんなSerum2が今日リリースされた

主な変更点は軽量化に加えて、Serumを真似て作ったシンセサイザー機能を取り込み、音を鳴らす以外の曲作りサポート機能が増えただけ

さすがにそろそろVitalから乗り換えるわ

2025-03-17

吹奏楽世界、停滞しすぎじゃない?

先日、地域吹奏楽祭に足を運んだ。いくつかのバンドが出演していたのだが、その中に大学生合同バンドがあった。彼らが演奏したのは…まさかの「ディスコキッド」。

「おいおい、1977年の曲だぞ?」と思わずツッコミたくなった。今の大学生なんて、まだ影も形もない時代の曲だ。もちろん、MCは「世代を超えて人気の曲です!」なんて言っていたけれど、正直なところ、本当にそこまでの曲か?

それだけじゃない。以前見かけた高校定期演奏会のチラシには、ピンク・レディー名前が踊っていたし、YouTubeを漁れば高校生が「学園天国」を元気に演奏している動画ゴロゴロ出てくる。

いや、懐メロが悪いわけじゃない。往年の名曲演奏するのは、それはそれで楽しい。でも、これだけ昔の曲ばかりが定番として残り続けているのは、さすがに不思議じゃないか

吹奏楽世界新しい時代の曲がどれほど生まれているのか?なぜここまで過去レパートリーに頼り続けているのか?

もちろん、吹奏楽というジャンル自体クラシック音楽と同じく「伝統を重んじる文化」だからというのもあるだろう。でも、それにしても新陳代謝が遅すぎる。新曲は毎年発表されているはずなのに、なぜか演奏されるのはいもの顔ぶれ。

せっかく若い世代演奏するのだからもっと今の時代に合った音楽にも挑戦してほしい。そうでなければ、吹奏楽は「過去遺産」にすがるだけの世界になってしまうのでは?

皆さんはどう思うだろうか?吹奏楽レパートリー、変わらなさすぎじゃない?

2025-02-27

落語プロアマ論争

プロ定義がはっきりしているのはいいことだ

そんなに定義がはっきりしてんなら苦労しましたライセンスを発行したらいかがかな

あの記者知識不足を叩くのは結構だが

第二の人生趣味謳歌している人をぶっ叩くのはかわいそうじゃないか

そんなことしてるから客が離れるんだろ

せっかく定義がはっきりしてるのに、これじゃクラシック音楽界の不毛プロアマ論争と一緒だぜ

2025-02-23

クラシック音楽ってふざけてるわな

1時間一曲

練習一曲のために50人で、1年

舐めてんのか

俺これに気がついてベルリンフィルの指揮棒置いた

タイパの時代が来る前からこれだけはクソだとわかった

2025-02-18

CDリッピングをはじめた

普段音楽聴くときApple Musicを使っている。世界中音楽に瞬時にアクセスできる便利さはあるが、サブスクリプションをやめると何も残らない。

最近クラシック音楽をよく聴くようになり、他人の都合に左右されず、好きなときにじっくり聴きたいと思うようになった。特に、夜寝る前の静かな時間聴く音楽自分にとって大切なものになってきた。ネットワーク環境依存せず音楽を楽しみたい。

そう考えるうちに、クラシックCDを買ったり借りたりして、リッピングするようになった。音楽を所有したいというより、Appleの都合で聴けたり聴けなかったりするのがおかしいと感じたからだ。

やり方はシンプルで、Linuxのwhipperというツールを使い、コマンドを実行するだけ。メタデータ付きのFLACファイルが生成されるので、それを好きな音楽プレイヤー転送する。自分ネット接続を切った古いAndroidスマートフォンで聴いている。

こうしてオフラインで、自分のためだけに用意した音楽聴く時間は、なんだか落ち着く。

2024-12-30

【求】婚活スペック診断+アドバイス

婚活スペック診断お願いします!

結婚相談所IBJとか)に登録して婚活を始めたいのですが、自分にぴったりな人がいるのか正直よくわかりません。そこで、皆さんにスペック診断とアドバイスいただきたいです!

自分スペック

性別、年齢: 女性、25歳

学歴: 院卒

職業: 正社員

年収: 600万くらい

•婚歴: 初婚

容姿: 中の上(自称

兄弟構成: 末っ子

身長: 170cm

趣味:美術館巡り、コーヒーマジック:ザ・ギャザリングクラシック音楽

性格: 落ち着いてると思われがちだけど、今まで恋人と2人のときは基本ギャグばかり言っている。結婚相手にもウケてほしい。

飲酒/喫煙: 酒はたまに、タバコは吸わない。

相手に求める条件

•年齢:36歳まで

学歴: 大卒以上

年収: 30歳で1000万くらい。売れない作家博士課程の学生とかなら自分より低くてもOK

身長: 自分より低くてもOK

兄弟構成: 長男一人っ子OK

容姿:人の顔に興味がないので気にしない。

性格: 科学芸術、両方を話せる。私のネタに笑ってくれると嬉しい。私をある程度自由にさせてくれる人。

自分では大体総合的に同程度の人と結婚できればと思っているけど、これって客観的にどんな人をイメージすればいいですか?

相手に求める条件でこだわった方が良いものってありますか?

以下、AIおすすめ質問を教えてもらったのでアドバイスの参考に活用してもらえたら嬉しいです!

よろしくお願いします!

質問

1. 私と同程度のスペックに当てはまりそうな男性の具体例を教えてください。

• 年齢、身長学歴年収の目安など

自分の条件でマッチングやすそうな男性像が知りたいです。

2. 結婚相談所IBJなど)に登録したら、私に釣り合う男性って見つかりそうですか?

• 実際にこういうスペック女性相談所でどう見られるのか気になります

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンアシュケナージ横山幸雄も作ってますね)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。

 しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードCDを一巻ずつ紹介している古くからサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌ出会いヴァイマール宮廷楽長に就任するまでだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。

 困ったことにペトロフ映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

2024-11-27

麒麟檸檬

増田麒麟檸檬というタイトル童話を知っているかな。

これはとても不思議幻想的なお話だよ。舞台近未来ロンドン主人公クラシック音楽を心から愛する青年アレックス。表向きは普通青年のようだが、実はちょっと危険な遊びに夢中になっていた。アレックスと彼の仲間たちは、毎日暴力的冒険情熱的なロマンスに明け暮れていた。彼らの楽しみは、退廃的な日常から一瞬だけ幻想世界へと飛び込むことだった。

ある日、アレックス街角不思議屋台を見つける。屋台には輝く金色麒麟の形をした檸檬通称麒麟檸檬」が置かれていた。店主はアレックスに「この檸檬が望む力を与えてくれる」と不気味な笑みを浮かべて言った。

半信半疑ながら、アレックスはその麒麟檸檬を手に入れる。持ち帰るとその檸檬は、彼の生活を大きく変える力を発揮した。音楽を通じて他人の心を見る力を与えられたアレックスは、仲間たちの心の奥に潜む本当の思いを知ることになる。友情の裏に隠された嫉妬愛情の裏に潜む不安、そして彼自身の未熟さを痛感するのだった。

アレックスはその力を通して自分を変え、暴力連鎖から抜け出そうと努力する。だが仲間たちはアレックスの変化を受け入れず、やがて彼は一人孤独になる。しか音楽と真の友情を求め、アレックスは困難を乗り越え新たな道を歩み始めるのだった。

この童話の教訓は、「本当に大切なことは目には見えない、心の目で見ることが大切」ということ。

ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.

2024-11-13

anond:20241111132303

正直、このトラバで改めて『能力問題』とアニメマンガゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている

 

 

まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと

覚えておくといいかもしれない

 

 

面倒なのでAIちゃんに返信作って貰いました

ねぇねぇ、アニメとかマンガゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。

 

これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルス成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。

 

あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。

 

実はドラゴンボール面白いよね。アメリカラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人生き様のものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!

 

スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプコイン取るだけ」の簡単ゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?

 

要するに、アニメマンガゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!

 

体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代エンタメ理想形かもしれないね

 

からさ、アニメとかマンガゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからエンタメ理想だと思わない?

 

 

端的に言って、アニメマンガゲームがわかりやすくないと強弁する人は知的怠惰な人か能力的に困難を抱える人に思えます
しかし、知的怠惰ではあるものの、そう言ったものに過度な憧れがある人物なので、もう少し硬めで権威付けされている文章にしてください

 

アニメマンガゲーム表現特性に関する考察
メディア・リテラシー受容体験の観点から

  

近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されますしかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます

 

1. 表現形式本質的理解の欠如

優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報感情直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚メタファー空間表現は、言語説明を超えた普遍的コミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます

 

2. メディウム特性に関する認識の不足

アニメマンガゲームは、マルチモーダル情報伝達システムとして機能します。視覚聴覚インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能します。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます

 

3. アクセシビリティ価値に対する理解の欠落

情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術課題の一つです。『スーパーマリオシリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアルストーリーテリングは、この課題に対する革新的ソリューション提示しているといえます

 

4. 文化的価値の誤認

芸術社会学文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代メディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。

 

5. 認知バイアスの問題 

心理学観点からみると、メディア価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアス認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品本質的価値客観的評価を妨げる要因となりかねません。

 

結論

アニメマンガゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:

 

 

これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代メディア環境における重要価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。

 

したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディア本質的特性現代価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。

2024-10-24

アニメ劇伴クラシック音楽を使ってるアニメ

アニメ劇伴BGM?)でクラシック音楽が使われているアニメを知りたい。

元々が音楽アニメじゃない、例えば『氷菓』とか『スーパーカブ』みたいな音楽とは全く関係ないアニメ劇伴一曲クラシック音楽をチョイスしているのがとても好きなんだけど、アンテナが低いのか『氷菓』や『スーパーカブ』の感じのアニメに中々巡り会えない。

『葬送のフリーレン』とか、オリジナルオーケストラの曲を作ってるのはちょっと違うんだよな。

2024-09-18

anond:20240918113848

なるほど。

そうなると、「チャールダーシュ自由アレンジされる」慣習は、どこの誰が作ったのかって話になるだろうね。

そもそもそういう慣習というか解釈が、曲を軽んじているとしか思えない。

基本的クラシック音楽は、作曲者意図に忠実であることが最低限のルール

なので、それを守らない時点でチャールダーシュクラシック扱いしていないとも言えるし、個人的には少なから不愉快な話だったり。

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