はてなキーワード: トンチンカンとは
スレッタが許す許さないを決めるのは、プロスペラがエリクトのためにスレッタを作り児童労働者として使役してきた(きょうだい児・搾取子の立場に置いていた)ことについてまでであって、偽旗作戦でアーシアンを大量に殺したりクワイエット・ゼロ発動を邪魔する宇宙議会連合の軍人を大量に殺したことについては、スレッタは被害者でもなんでもないので許す権限などない。プロスペラの掌の上で転がされ思い通りに操作された大失敗罪でミオリネがアーシアンの憎悪の的になり、シャディクがクワイエット・ゼロの罪まで背負って逮捕されているけど、意味が分からない。これは本当に監督に対して「何をやっているか分かっているのか」といいたい。
目の前で何かが起きたとき、現象の原因や意味や今後予想されることなどはスレッタには分からない。ファラクトに勝手に乗り込んだノレアにニカが踏みつぶされそうになるのをスレッタは見ていて、すぐに体が動いてバイクで助けるけど、何が起きているか分かってない(その場でニカの死を防げればすぐに忘れる)からその後の学園テロも防げない。プロスペラ、エリクト、ミオリネが大事な存在であり、あとは地球寮のみんながいじめられていたら助けてほしいとグエルに頼むし、目の前で困っている人がいたらモブであっても救助するために体が動く。でも情報の処理や理解が何もできない。物事を長く覚えておくこともできないようだ。
スレッタアンチだからバカ扱いをしているとかではなく、ミオリネに何を言われても意味が分かっておらずミオリネを絶望させたシーンも、結局こういうことなんじゃないかと。でも、スレッタは頑丈。落ち込んでも盗み食いするし、頭が悪くてブレーキが壊れているところはあるが基本的には善性に基づいて行動するため他人の憎悪に飲み込まれないのがスレッタの美点でもある。スレッタはショックを受けても寝られるし食べられるし、体がよく動くことが取り柄の、頭はよくないが鈍感さが良いほうにも作用している健康的な子だ。最後に全身麻痺になっていて信じられなかった。ろくに教育を受けられず思考力もなく、学校を建てるだけ建てて、あの後どうするのか。
ミオリネの生存確率を上げるための制度として決闘により結婚相手を強制的に決める制度が有効だった・合理的だったとは欠片も思えない。しかし最終的にミオリネはデリングの愛を感じて態度が軟化、グエルもフェンシング(死ぬほどしょうもないシーン)の機会を設けてホルダーをスレッタに譲るという形でデリングの顔を立てながらスレッタとミオリネの結婚が決まっており、耐え難かった。ミオリネの誕生日も過ぎ、ミオリネがグループ総裁になるくらいだし、あんなルールは全くの無効になっているのだから、無視すべきであった。コングロマリットの総裁選がU-20な件は笑って流したが、トロフィー追認はその種の「所詮アニメのリアリティレベルだから」で流す気には到底なれなかった。
シャディク嫌いと言うと「わかってねー」みたいになるのも嫌い。真空ジェシカとトム・ブラウン褒めないとセンス悪い認定するインターネット同調圧力のようだ。うざい。あのキャラクターが高度だとは思わない。他作品では比較的ヴィランを好きになる性質の人間なのに、シャディクのことはストレートに嫌いだった。
アーシアンの地位向上の革命を目指しているが、ソフィやノレアやニカなど貧民アーシアンを使い捨てにすることについての葛藤・合理化の過程が何も見えない。ミオリネとグエルは両方上級国民みたいなもんだけど、ミオリネは好き(ただしクエタテロのときは一旦安全を諦める)、グエルには上級への嫉妬でネチネチした感情を向ける(ミオリネ自身の選択という部分を認めずにグエルに責任転嫁して逆恨みする)、というのがもう、好き嫌いの部分で完全に嫌いで。孤児からアカデミー時代の回想等も一切ないし、シャディクガールズのための自己犠牲も「シャディクガールズ自身に罪を償わせろ」としか思わなかったから、嫌いな部分をカバーできるような同情・共感できる要素が一個も出てこなかった。これが監督が特に力を入れたキャラクターなら、本当に感性が合わないとしか言いようがない。
グエル:スレッタが泣かされている→泣かせた4号を決闘で倒す(だれも望んでない行為だし失敗)
ラウダ:ペトラが意識不明にされ学園が壊され学生がじゃんじゃん殺されグエルがおかしくなった→諸悪の根源のミオリネをガンダムで倒す(だれも望んでない行為だし失敗)
不快な出来事が発生したら敵を探して倒して解決(ジェターク社の経営難はデリングを暗殺して解決)というヴィム脳ムーブをやめましょうねということなんだろうが、やめましょうのその先がどうなったのかが全く分からない。長男に対して虐待のような真似を繰り返すが大企業を存続させて雇用を生んでもいたヴィム・ジェタークという人物を、長男が引き受けてそのパターナリズムを再構築する部分を、グエルがやったんですか?どういう着地なんですか?途中の認識についても着地についても、説明が一切ないので空虚。父殺しについても意味がよくわからない。スレッタと同じタイミングでグエルも人を殺したら、その偶然の一致がなんか面白いということだった?結局最後まで共闘しないし、スレッタはグエルから何の影響も受けないし、関係がなかった。無関係なところで勝手に偶然同じタイミングの殺人していることと失恋しか無いとは、結局何がしたかったのか…。
退寮や退学といった虐待に耐えかねて家出した件について、対話を諦めたグエルの罪であるかのような扱いは許し難い。ヴィム・ジェタークは対話不能の相手であり、弟も味方ではなかった。グエルの家出は「批判されるべき逃げ」ではない。弟に殺されかけたのもグエルに殺されるほどの問題があり責められても仕方ないような話ではない。全体的に、デリングやヴィムの側の対話放棄は無罪で、子供側の「無理解」や逃げは有罪であるという非対称が酷い。
金儲けのために人体実験やって貧民殺してた金持ちが資産を失って面白いというエンディング。
5号は絵の場所を見つける前向きな旅をしているので復讐に囚われていない、までは良いんだが、ニカが自首して服役を描いておいて、明確な人殺しがバレずにCEOが無罪放免になっているのは何?資産を失ったとはいえ、殺り得でしたねとしか思えない。
こっちもスレッタが4号に恋をしたってだけで退場なんだよな。ペイル周りで意味らしきものが感じられたのは、スレッタのストーリーとは一切交わらない部分の、5号のセリフくらいだ。スレッタの頭が悪くて大概のことを聞き流したり忘れるから、ジェタークやペイルとの絡みがあまり意味を持たないんだよな。というか、シャディクとの対峙についても意味あったか?シャディクが勝手に決めることについてスレッタが抵抗し、勝ったことに意味があるかと思ってた。無かった。
ニカがおかしいことに気づいていながらマルタンが身内を通報することをためらったため、通報のタイミングが大幅に遅れて学園テロが発生して大勢が死んだわけだが、視聴者は「マルタンがニカを売った」「チンコロ野郎」とキレており、このアニメの視聴者層に対して絶望した。
マルタンはニカの怪しい動きをクエタで見てから何度も対話を求めており、ニカが拒絶しつづけて、ついにテロが発生したという流れがあったうえで、最後マルタンが「もっとニカに対して対話を求めていればよかった」と反省していたのも完全に意味不明だった。マルタンはニカに話してくれと求めていた。反省するとしたら対話を求め「ニカ待ち」をしている間にテロが起きて、大勢の人命が失われたことだろ。マルタンとニカの罪の辺りのシナリオは完全に意味不明。だれかこの異常なくだりを解説してくれ。
欠陥を愛そうというコンセプトは感じられるが、欠陥の描写ばかりで美点の描写が下手だからシャディクなどを「普通に」嫌いになる。
スレッタは嫌いではないが、「どんぶり飯をたんと食え」のような祖父母→孫感情の矛先というか、食い意地の張った哺乳類の幼体に向ける好感であり、人物としては「頭が悪い」としか言いようがないので、あの状態で学校を建てて理事長なり校長なりをやるのかと思うと意味が分からないと思う。
ガンダムシリーズ初の女性主人公で頭が悪い主人公だったので別の文脈が乗り不快。女性主人公二作目で頭が悪かったらこういう不快さはなかった(男性主人公の愛すべきバカキャラはいる)。ガンダムシリーズ初の女性主人公で異性愛フラグを折ったうえでの同性婚成立をやったのも面倒くさかった。異性愛フラグを立てたうえで折っておかないと悪意にまみれたレズのチン堕ち勢が押し寄せてきて尊いスレミオを破壊されるだろうから予め封じておきたかったのかもしれないが、まず百合ガンダムなどなぜ女性主人公の二作目以降でやってくれなかったのか。それにSF的な説明なしで全員バイセクシャルであるという設定のつもりなら、おかしい。そんなものには誰もついていかない。同性愛嫌悪者どころか、腐女子や百合豚ですらついていけない異常な人間観だろう。同性愛者、両性愛者、異性愛者、無性愛者がいる、その多様性を描けていない。ファンダムまでもが、同性愛以外を叩く百合豚と腐女子、異性愛以外を叩く男女カプ厨という多様性の真逆の地獄になっている。こんな糞以下のファンダムは滅びるべきである。
さらに同性愛以外のテーマも盛り込みすぎて、一個一個の社会問題の扱いが雑、尺が足りていないから全部が浅くてつまみ食い。「いろいろありますが、難しいですね」という大上段に構えた、優等生的な冷淡さがそこにあった。最も連想するのは、サンフランシスコの社会的弱者を守るための万引きの無罪化だ。当事者性が全くないエリートが頭の中で弱者保護を考えた結果、万引きの無罪化を行い、ホームレスよりはさすがにマシな立場にあった個人規模の小売店が万引き被害により経営が成り立たなくなり廃業を余儀なくされていく、その種の持続不可能な弱者保護、お世話係をよそに押し付けたうえでのマイノリティ保護。結果、攻撃的・搾取的な人間が蔓延してコントロールを失い、この事態を引き起こした自罰を行うだけになる流れだ。社会問題の取り扱い方に、現実味がないのだ。ニカやミオリネのお花畑が憎悪を生んだ、あの雰囲気が通底している。
『メタ認知能力が極端に欠けている人』って表現は、"自惚れていてる"とか"井戸の中の蛙"みたいな評価に限定して使われているイメージがあります。
けど、ここで言いたいのはそういうことじゃなくて、エラー処理とか停止処理みたいな超基本的な考え方すら持ってなくて、それに気づけないままでいられる人のことです。
具体的な方法を知らないとかじゃなく、そもそも「そういう発想自体がない」って話で、これは単なる知識不足や視野の狭さ以上に、認知の仕組みそのものに問題があります。
時間が自然に解決してくれるようなものじゃなくて、かなり厄介な問題だと思います。
エラー処理とか停止処理って、ITだけの話じゃなくて日常でも必要なスキルです。
たとえば、「お目当てのプリンが冷蔵庫にないことを確認」(エラー検知)したら、フツーは「今日はプリン食べるの無理だな」って切り替えるじゃないですか。
冷蔵庫を何度も開け続けるのはちょっと変で、フツーは「開けるのをやめる」(停止する)って行動に移りますよね?
仮に、寄生獣に取り憑かれたために、冷蔵庫を開け続けちゃうのだとしても、「右手が勝手に動いてる?」って気づければ、他の方法を考えることができます。
けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。
メタ認知は知識の応用力、いわゆる"知識移転(Knowledge Transfer)"にもめちゃくちゃ重要です。得意分野や好きなことだと、この力が特に発揮されやすいですよね。
たとえば、熟練プログラマーが別の言語でもスキルを応用できるのも知識移転の力があるからです。
でも、興味が薄い分野や苦手分野だと同じ力を発揮するのは難しい・・・それは自然なことではあるのですが、基本スキルや共通原理くらいはちゃんと押さえておくことが期待されます。
たとえば、プリウスの運転手が軽トラックをまったく運転できなかったら、それは個性とかそういう話じゃないですよね?致命的に知識移転能力が欠けてるってことです。大きさや操作性が違うにしても、ハンドル操作とか交通ルールみたいな共通点を活かせないのは深刻です。
仮に、共通点を見出せ無くなったのは異世界おじさんに「記憶消去魔法(イキュラス・キュオラ)」をかけられたからだとしても、「もしかして、記憶を消されてる?」って気づければ対処方法を考えることができます。けど、この『気づき』がなかったら、問題解決はかなり難しいです。
知識転移がうまくいかないのは、異世界おじさんに記憶を消されて気づかない以外にも、その対象の理解がそもそも極端に浅いことも大きな原因になっていそうです。
たとえば、『りんご=赤』って覚えるのは、学習コストを下げるためによくあることです。この簡略化を意識できる人は、この情報がいろんな側面の一つにすぎないってちゃんとわかっているので、黄りんごも青いりんごも許容します。りんごの品種や生育環境、熟成度みたいな要素が色に影響するんだろーなとか、味とか他の特徴も多次元的に捉えています。さらに、必要があれば「なんで赤いんだろう?」とか掘り下げて学ぼうとするオープンな姿勢もあります。
多次元的に対象を見れる人は、『見たままをありのままに受け入れて、自分の直感を大切にできる人』と言い換えても良いかもしれません。
だってりんごは、どう見たって単色の赤じゃないですからね。視覚的にも直感的にもそう感じるはずです。
一方で、こういう視点や意識(見たまま受け入れる、自分の五感や直感を信じる)がない人たちがどうなるかというと、
『りんご=赤い』っていう単純な答えでテストに合格して、「自分の理解は完璧だ!」って思い込みます。
現行のシステムでは、ぶっちゃけ深掘りする必要性がないので、結果として表層的な学びに終始してしまうのです。
で、こういう表層的な学習パターンが続くと、やがて複雑な問題に対処できなくなります。
同世代と話してもピントがずれた会話をしたり、科学、医療、社会問題、仕事の議論でトンチンカンなことを言ったりしてしまうわけです。
違う文脈で知識を応用するなんて、そもそもの理解が浅いと到底無理な話です。
新学習指導要領のSelf-Regulated Strategy Development (SRSD :自己調整型学習)って『自分で考えて学ぶ力』の改善策としてまあまあ良さそうだけど、
現状の受験システムとか評価基準が表層的な学びを助長するままだと、限界はある気がします。
それなら、メタ認知がないAIが多次元的に学んでいくプロセスを観察して、新しい教育のヒントを探すほうが面白いかもしれません。
増田のタイトルの通り、学歴があっても、長文を読んで理解するどころか、単純化された動画の内容さえ把握できなかったり、同世代との会話がどこまでも噛み合わなかったり、仕事の指示が通らなかったり、そんな人っていますよね?
これって、上記に書いてきたように、メタ認知能力が極端に欠けてることや、知識移転能力の欠如、表層的な学習が積み重なった結果なんじゃないかと確信を持っています。
大卒以上であっても、こういう人が無視出来ない数いるのは、正直「なんで?」って思う人が多いんじゃないでしょうか。でも、この「なんで?」の背景には、「勉強やデスクワーク=知的で選ばれたもの」っていう妙な誤解がある気がします。この固定観念が、現代社会における知性や労働の本質を見誤る原因になってるんじゃないかなと思います。
しかし、その一方で、社会の基盤を支える多くの職種が軽視され、不当に評価されている現状があります。
なぜかというと、"知識労働者(Knowledge Worker) "ではなく、"知的労働者" って呼称が使われたりすることからもわかるように、肉体労働者は知能を使わないみたいな妙な誤解を悪用し、仕事の複雑さや多様性を極端に単純化し、賃金差別(経済格差ではなく差別が適切)を正当化する輩がいるからです。
実際は、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。
例えば、エラーを検知し、適切なタイミングで作業を中止し、問題を解決する–これらは、メタ認知能力と深い経験に基づく高度な知的作業ですよね?プログラム組んだことなくてもロボットを作ったことなくても、誰しも直感的に知っていることです。
障がい者雇用に最適化された職場を除けば、こうした能力に欠ける人がフィジカルワークに適応することは非常に困難です。その理由は単純で、迅速に適切な判断ができなければ、事故や怪我を招き、最悪の場合、死人が出るからです。
フィジカルワークが出来そうもない人は、なんとなく知識労働を選ぶことが多いです。必ずしも自分の適性を十分に理解しているわけではなく、「選択肢の中で最も受け入れられる道」として選んでいることが多いです。でも、極端にメタ認知や応用力がないと、どんなに学歴があっても知識を活用できず、「結局この人は何ができるの?」って評価に甘んじちゃうことになります。たとえば、エラーメッセージに明確な解決方法が書かれているにもかかわらず、それを読み取れず(一応、読んではいる模様)、ただそのまま誰かに転送するだけの技術者とか、その典型ですよね。
もう一度言いますが、デスクワークだけでなく、フィジカルワークにも、高い認知能力は不可欠です。
それがある前提で、重要視されるのが、物理筋肉(運動能力)なのか、論理筋肉(知識)なのかって違いだけです。
1つ前でも少し書きましたけど、知識って筋肉みたいなものだと思うんですよね。鍛えればどんどんムキムキになるけど、筋肉単体ではその魅力をフルに発揮できない。
物理筋肉も論理筋肉も、それをうまく使うスキルが必要です。データベースが単体ではただの情報の塊で、システムと連携して本来の力を発揮するのと同じです。
で、そのシステムを設計するには、基本的なエラー処理や停止処理の考え方は欠かせません。そして、エラー処理をするためには、知識を他の文脈で応用する力、
つまり『知識移転能力』が必要です。それを支えるのが、メタ認知能力なんですよね。
国の競争力を維持する上で、論理筋肉マッチョを育成することは非常に大切ですが、その筋肉を有効活用するためのメタ認知能力がないと、いくら筋肉がついてもリソースの無駄になってしまいます。
というか、論理筋肉マッチョに限らず、どんな分野でも同じことが言えます。リソースの無駄遣いを避けるために、筋肉の活用法を理解する能力を養うことは、なによりも優先されるべき取り組みだと思います。
(長文が読めない、動画の内容すら理解できない、仕事や科学や社会問題の議論でトンチンカンな発言をする、仕事の指示が通らない、でも広範囲に知的な課題は持っていない、なんなら大学も卒業している――そんな人たちの姿を見ながら書いてます)
現時点では概ね同意だけど楽観的すぎるな、という印象もある。「狙ったシチュエーションのイラストを出しづらい」といった弱点は、まさに技術の進歩で克服可能なわけで。
また、ここまで呑気に構えていられるのは単に、ご自身の成果物を学習されてコピー乱造されたり改造されたりという経験をしていないからだろう。
現状の絵師界隈の阿鼻叫喚はアメリカの銃規制に似たものを感じる。「もう普及しちゃってんだから規制しようがないじゃん」というのは正しい現状認識に基づく指摘だが、
だからといって銃で撃たれた経験のある人が「銃を規制しろ!」と叫ぶのも当然というか。
「技術面の不理解によりトンチンカンな対策を取ろうとしていること」
めちゃめちゃ笑った。AIって本当に文章の意味を理解してるんじゃなくて雰囲気で書いてるんだね。
3. 黒人が特権階級であるという結論の矛盾: 主張の途中で「アメリカの黒人は特権階級である」という結論を導き出していますが、アメリカの黒人が歴史的・社会的に長期間にわたり差別や抑圧を受けてきたことは広く知られています。これを特権と呼ぶのは、社会的な文脈を無視しており、矛盾しています。
「3. 特権階級の中で差別を受けていることは、特権階級ではないということにはならない」に続けて「4. したがって、アメリカの黒人は特権階級である」って書いてあるにもかかわらず、こういうトンチンカンな反論しちゃうんだ。まあ天然知能でもこういうアホはいるだろうけど、いかにも人工知能って感じの文章の読めなさで笑っちゃった。
話が長いのでAIに要約してもらいました
このコメントは、別の人物のコメントに対して、非常に詳細かつ批判的に反論を展開しています。要点を以下のように要約します。
元のコメントがトンチンカンである:相手のコメントが内容に即しておらず、元の投稿をしっかり読んでいないと指摘しています。
「いい歳して」という表現への反論:年齢を勝手に推測しており、その上から目線の姿勢に不満を述べています。また、愚痴を言うこと自体は否定されるべきではないと主張。
愚痴を言う自由の擁護:匿名日記で愚痴を言う自由があることを認め、その一方で、相手のコメントには価値がないと非難。
一般化に対する反論:元の投稿が一般化していないと主張し、仮に一般化していても問題ないと論じています。個別の経験から社会的な知見を広めることは意義があるとしています。
自己肯定に関する批判:元の投稿者が自己肯定をしていると批判されたが、その解釈自体が不適切であるか、または自己肯定があっても問題はないと主張しています。
すべての行どころか全ての単語で突っ込みどころしかないトンチンカンなコメントですね
では解説
・いい歳して
・愚痴を
・一般化して
・自己肯定図るのやめな?
【いい歳して】
増田に年齢は書いてない。勝手な推測だよね。それはいいとして、
なんで?
このような社会通念は存じているが
匿名日記で愚痴で発散しパブリックな場所では愚痴を糊塗するのも一つの手法ではないか?
【愚痴を】
元増田は
と締めており、知見の共有を試みているに過ぎない。
今更話しても無駄な過去の不平不満恨みつらみを羅列しているいわゆる愚痴には俺には読めないのだが。
仮に元増田を愚痴だと認定したとしてもだ、匿名日記で愚痴を書いてなにがイカンのだ?
キミがトンチンカンなコメントする自由もある、同様にくだらない愚痴だろうが書き散らす自由もある。
しかしながら元増田には転勤族の子供は精神を病む可能性がある、という知見共有の意義が認められるのに対して、キミのコメントにはなんら価値を感じない、それこそ無駄、ネットのノイズ。
【一般化して】
仮に、誤用ではなく文字通り一般化であると強弁するならそれもよかろうが、
元増田の体験事例から因果を導き出し、それが他者にも適用される可能性があることを言及しているにすぎない。
なんで?
社会の発展は、社会を観察し欠陥を見つけ次の社会モデルを模索する、この繰り返しなわけだが
「転勤族の子供が精神病みやすい」これは現状では一般論とは言えない、社会的な合意は無かろう。
マクロで統計を取り、転勤族の子供の幸福度、所得や犯罪率、生存率を長期追跡してみるのも面白いだろう。
そこで有意差が出て、社会的に看過できないほどの差があるのか、あるいはまったく差がないのか。
差があるとしたらどこまでケアすべきか、社会的にどう対応するかの議論になる。
そのきっかけは最初は小さな幾つかの事例から帰納的に仮説を構築していくしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」が国会で取り上げられ待機児童問題が劇的に改善されたことも追記しておく、キミに言わせりゃアレも無駄な愚痴なのだろうが。
【自己肯定図るのやめな?】
これまたワカラン
私はゲームやイラスト制作など立派なオタク方面に進み、それで今一応ご飯を食べています。
(中略)
ここあたりか?
これを?w
自己肯定?w
いや、うん、まぁ、そう言われればそうかもしれんが
で、なにかイカンの?
なにか問題?
あれか?ネットにおいてポジティブな自己肯定発言は他者にとって不快、みたいな?w
そういうこと?
なにも書くなと?
事実の羅列のみ許されるみたいな?
みたいな?
むちゃくちゃだなw