はてなキーワード: サッポロビールとは
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赤いきつね炎上前まで1年以上、毎日数百人のペースでフォロワーが増えていた。
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ツイフェミ退治をして女さんたちを発狂させた日に4000人以上フォロワーが減る。タニタ、サッポロビールのフォロワーが増加してるのに、その後も1人だけ8日連続でフォロワーを減らし続ける。
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今日はフォロワーが350人増加。単純計算で18日後には再び以前の水準まで戻る計算。
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今日の22時から放送されるABEMA「声優と夜あそび」にて、リュウジの事が大好きだと公言している安元洋貴・八代拓にお呼ばれして生出演!絶対見てくれよな!
https://abema.tv/channels/anime-live/slots/F5QtzTEghodi39
和食に合うんだよなー、品のいい店はほぼサッポロと言っても過言ではない。
クラフトビール出してるけど詐欺です。小規模であることって条件を満たすことがあるわけで、おまえら小規模じゃねーだろ
安倍晋三のやってた桜を見る会という名の反社の集いに違法献金してたゲスofゲス企業。
こいつらもキリン同様、小規模でもないのにクラフトビールの名を借りて、ビール出してたりする。
クラフトビールはセンスがいいブルワリーとうまい具合に提携してたりする。
BREWDOGと提携したのもアサヒ。サッポロ同様応援してる。
SPRING VALLEYは増田も代官山で実験的なビールとハンバーガーを提供している醸造所兼レストランが開店した頃に行ったことがあり、当時は尖ったIPA仕込んでいたのに現状には悲しく思っている1人だ。
ブックマークコメントに同意できる発言している人も多く、はてなコミュニティにもビール好きってこんなに居たんだなと嬉しくなったので、例のマンガやゲーム作品の選出に使われるフォーマットで10本選んでみたい。
人に飲んで欲しいと思うビールを選ぶにあたり、入手容易性を重視した。クラフトビールとして限定醸造される商品はもちろん増田も好きだが、通年で入手し易いものを優先して選んだ。うちゅうとかWCBとかVERTEREとか、人気があって入荷後すぐ売り切れちゃうところも今回は選外とした。この辺のブルワリーのファンの人には申し訳ない。
また、クラフトビールで先行しているアメリカに倣って、日本でも缶流通をさせるところが増えているため、瓶よりも缶で流通しているビールを優先的に選んだ。スタイル表記についてはブルワリーが公式に掲げているものがあれば、そちらを優先している。
まぁ増田も日本中すべてのビール飲んだことがある訳ではないので、あーだこーだ言及してオススメがあれば教えて欲しい。
四大ビールメーカー看板ビールから選ぶなら増田はこれ。サッポロはドルトムンダーと言って売っているが、ヱビス以外にあまり聞かないので、まぁピルスナーとかラガーと言って差し支えないのではないかと思う。仕事後に疲れたおじさんが冷やして泡立てて飲んでる黄金色をした、一般的なイメージのビールだ。
ビールオタクが集まって「四大ビールメーカーでジャパニーズピルスナー最強の缶ビールを決めようぜ!」と話すと、大体はヱビス・クラシックラガー・プレモル・赤星ラガー辺りになるのではないか。増田はこの中ではヱビスが1番好みだ。「ザ・ホップ」も好きなんだけど通年販売していない(気が付くと店頭から消えたり復活したりする)ため選外とした。近年サッポロはYEBISU BARを各地に展開してブランドとして大事に育てている印象があり、好ましい。
日本における「クラフトビール」の前史と言える「地ビール」とは違い、大手のサッポロが工場などの縁があって製造し、それぞれの土地でしか流通していない「ご当地ビール」という変わったジャンルがある。風味爽快ニシテ(新潟)、静岡麦酒(静岡)、サッポロクラシック(北海道)などである。地域限定だったら入手性よくないじゃんって言われたら全くその通りなんだが、近年は通販やふるさと納税の返礼品で入手機会が増えているし、旅行先で飲んだことがある人も居るだろうから1本入れさせてくれ。
北海道で食べるジンギスカンとサッポロクラシックの組み合わせが最強なのでご当地ビールとしてはこれ。異論は認める。
「日本のビール史上、もっとも重要なビール」で選んだらどう考えてもスーパードライが入るのだが、残念ながら増田はスードラがあんまり好きではない。そしてこのエントリは増田がオススメしたいビールを選ぶため、アサヒの黒生をすすめたい。クラフトビールシーンで流行しているインペリアルスタウトみたく強烈な黒ビールではなく、古式ゆかしいシュヴァルツビールである。見た目よりずっと飲みやすい。
アサヒは復活させたマルエフと黒生をもっと押し出して欲しいんだけど、やっぱりスードラの方がマーケティング上では重要視されてるよねぇ。
読み方は「イーパ」ではなく「アイピーエー」だ。情報処理推進機構のことではなくインディアン・ペール・エールの頭文字を取ってIPAなのだ。強烈なホップの香りと苦味、クラフトビールと言って真っ先に想起されやすいスタイルだと思う。
キリン資本になってからのヤッホーは色々言われているし個人的にも思うところはあるが、それでも各地でビールイベントやったり手軽に色んなビールスタイルを缶流通で提供していて、日本のビールシーンへの貢献度は高い。インドの青鬼はリリースされてからちょっとずつレシピが変わっていて、元々はイングリッシュIPAっぽい重さがあったのが、徐々にアメリカンIPAに寄っている。
小麦のビール「ヴァイツェン」は苦味も無くバナナのような香りで飲みやすい、増田はとても好きなスタイルだ。ビールは苦いから嫌いという人にぜひ一度飲んでみて欲しい。ドイツではかなり一般的なようだが、日本では通年販売しているブルワリーは少ない(限定醸造される事は結構ある)。
銀河高原ビールはヤッホーに事業譲渡され、ファンだった増田は心配したのだが、レシピは手を入れず続けてくれているようで良かった。居酒屋チェーン「世界の山ちゃん」で飲み放題コースにすると何故かこれが注文できて、味の濃い幻の手羽先とびっくりするくらい合わないのだが、事業譲渡後は注文できなくなったようだ。創業者同士が仲良しだった、みたいな裏事情があったのだろうか。謎だ。
ヴァイツェンと同じく小麦のビールで、こちらの方がよりフルーティーで大変飲みやすい。ベルギーのヒューガルデンホワイトが有名。常陸野ネストのホワイトエールは本家に負けないくらい美味しいし、フクロウのラベルが可愛らしい。
ヤッホー水曜日のネコや、サッポロホワイトベルグなど、より入手性に優れた商品が意外と流通しているスタイルで、増田は常陸野ネストかFar Yeast Brewingのホワイトがとくに好きだ。
海賊ドクロマークのかっこいいラベルで販売されているビール。エクストラペールエールと名乗っているが一般的にはアメリカンIPAではないかと思う。ぜひグラスに注いで鼻に抜けて行くホップの香りを楽しみたいビール。よりニガニガIPAが好みな人には、同じくオラホのカンヌキIPAをおすすめしたい。
長野県東御市に醸造所併設のオフィシャルレストランパブがあったのだが2024年現在は閉鎖してしまっているようだ。再訪問したかったので悲しい。
クラフトビールは一般的にはエールスタイルのビールを造っているところが多いが、ピルスナーを造っているところもある。小規模ブルワリーが造るピルスナーの中では、増田はCOEDOの瑠璃が1番好きだ。キリッとした飲み口でクリアな色も美しいビール。
Hazyというのはどろっと濁っていて、甘くて苦くてトロピカルジュースのように複雑なビールだ。アメリカ東海岸で始まって日本にも遅れてHazyブームがやって来た。伊勢角屋麦酒は、まだ日本でHazyが珍しかった頃にニューイングランドIPA(NE-IPA)としてこのねこにひきを瓶ビールでリリースした。
この度めでたく缶バージョンがリリースされたので選定した。Hazyは原料が贅沢なためお値段の高いビールだ。ねこにひきはハレの日の1本におすすめしたい。
蜜柑や桃の季節になるとフルーツビールをリリースするブルワリーは結構あるが、通年で販売しているビールは意外と少ない。このYellow Sky Pale Aleは、Purple Sky Pale Aleというエールビールに柚子を入れたバージョンで、Y.MARKETが醸造開始した早い段階から定番商品になっているフルーツビール。とてもリラックス効果が感じられて美味しいビールだ。
Y.MARKETでは、Lupulin NectarというHazyダブルIPAがあって、限定醸造だったのがあまりの人気で通年商品になって、増田はこちらもYellow Sky Pale Ale以上に大好きであるが、Hazyカテゴリではねこにひきを選んじゃったので、フルーツビールとしてYellow Sky Pale Aleを選出した。
件のSPRING VALLEY記事でもよくコメントに挙がったビール。増田も好きだが瓶ビールのため選外とした。
SPRING VALLEYの記事についたコメントで増田も思い出した。キリンがコンビニ向けに特殊なプルトップ瓶で流通させていたシリーズ。このブランドでは「梟の森」など色々あって、どれも美味しかった。増田は「ジ・アロマ」がとくに好きだった。スタイルは当時はあまり気にしていなかったがIPLなんだろうか?
結局グランドキリンのブランドは、後に缶でリニューアルされるが、あまり人気が出なかった(実際、瓶の時よりも味が落ちたと感じた)のか、ひっそりと終了している。キリンはブランド育てるの下手だなぁ……。
秋味が終わった頃(11月)に毎年リリースされる一番搾りの限定ビール。ジェネリックハートランドと言える味わいでおすすめ。季節商品のため選外。
大阪へ行ったらビアバーへ寄って必ず飲むくらい好きだ。が、瓶ビールのため選外。しかも何だあの冷蔵庫に納まりの悪い細長い形状は。増田にとってはハートランドと同じく外の店で飲むビールという位置づけ。
ニガニガIPAの総本山といえばここ。定番IPA以外のシーズナルビールも外れなし。ただし瓶オンリー。
ベルギービールとアメリカンIPAを融合させた先進的なスタイル。とても美味しいから一度はオフィシャルタップルーム訪問したいのだが、気が付くとインバウンドで京都のホテルが高騰していてまだ行けていない。
クラフトビールビジネスの難しいところはインディーとメジャーみたいな対立構造にあり、ビジネスを大きくしようとすれば「そんなもんはもうクラフトマンシップじゃない」的な話になりがちだ。京都醸造の国内のクラフトビール業界が抱えるジレンマというブログエントリがはてなブックマークで物議を醸したことがあった。今回のSPRING VALLEY問題を予見するような内容だ。
造り手がこんな発信をするなという意見もあろうが、増田はこれくらい尖った意見があった方が面白いしいいと思っている。本場アメリカでもMake America Juicy AgainとかMake Earth Great Againと大統領に抗議するようなビールがあるくらいだし。
これはもう結論出ていて、ビアバーに行こう! 四大ビールメーカーなら銀座ライオン・YEBISU BAR・キリンシティなどがあるし、クラフトビールもビアバーでタップ繋がってる中から好みを見付けて行くのが鉄板だ。ペアリングの善し悪しもわかる。何よりビールは鮮度が命なのだ。繋がってるビールがちょいちょい入れ替わるビアバーがいいぞ。
キリンが推進している「タップ・マルシェ」なる簡易ビアサーバーシステムがあるが、あれが導入していたらビアバーと呼んでいいか、増田はちょっと微妙に感じているが……。ビール充実していないイタリアンバルとかに導入されていたら嬉しいかなくらいの位置付けだ。
こんだけ落ちたよ
ニッカウイスキー
創通
ざっとこんだけ落ちて辛い
今の俺は軽トラ運転させられたりドローン操作して測量の手伝いさせられたり
会社のホームページ更新したり社内のWindowsサーバーを管理したりオービック使って経理業務したり
お前PC詳しいだろって言われてFEM解析したりオートキャド使って図面描いたり
会社で打ち上げ花火したいから花火職人と話をしてこいと言われたり
冬場に会社の倉庫横に残ったスズメバチの巣を撤去してこいと言われたり
会社のスマートフォンで内線み受け取れるようにしろって言われたり
社長の実家で雪かきが大変そうだからお前手伝ってこいって言われてやってきたり
チェーンソー作業者になれと言われてなったら
スーパーに売ってるのとか、居酒屋に出てる普通のビールはラガービール
エール系は少ないよね。ってことでクラフトビールじゃい!って話なんだが
うん、おいしいよ
たしかにおいしい
でもさあ、値段ほどか?って言うと全然そんなことはない
居酒屋で700円のビール、クラフトビール屋で1500円のビール
倍うまいか?っていうと居酒屋の700円のビールも負けじとうまい
高いのって原料の問題もあるけど、大きくは単純に少量生産で高いだけやん
クラファンとか、ブルワリー立ち上げるぜ!みたいなのが乱立してるけど、ええんか?
俺達日本はド貧困国だぜ?1500円のビールうまい!ウェーイなんて人、どれだけいると思ってるの?
2009年卒の就活は氷河期どころか思いっきりバブルだったぞ。07年卒、08年卒はもっとザルだった。
ちなみにこの時期は、マーチ内ですら
「みずほ銀行とりそな銀行は無対策で応募してもかなりの高確率で内々定までいっちゃうから行く気ないなら受けないほうがいい」
みたいに囁かれてた。学内で親しい先輩のうち、この年度にみずほ銀行を受けた人は5人いたけど5人全員内定してた。
早慶なんかだと
というのが常識だったようだ。今の時代の就活生や20世紀の就活を知っている人からしたら衝撃的だろう。
リーマンショック由来の就職氷河期が始まったのは2010年卒の人間の就活から。
この就職氷河期は、不景気突入の嚆矢となる象徴的事件(リーマン破綻)から新卒採用抑制の時間差が全然ない珍しいものだった。本当に突然バブルから氷河期に突入したのだ。
秋頃にメガバンクの採用予定計画が発表されてどこも軒並み半減してて「あーこれはヤバいわ」とNHKのニュースを見ながら血の気が引いたのを覚えている。結果、やはり前年までの就活が嘘のような超買い手市場と相成った。圧迫面接が大流行した。
「マスコミとかパイロットとかじゃない限り大手企業の最終面接は儀式だから落ちない」
という新卒就活の常識が全く通用しなくなったのもこの年度からで、大企業の最終面接落ちも大流行した(増田の友達は東大法学部でしかもコミュ強で容姿も別に悪くなかったのだが、のべ7社の大企業で最終面接まで進んだのにも関わらず全て落とされ無い内定のまま就職留年した)。
そして、このリーマンショック起因の就職氷河期は11年卒、12年卒と年度を重ねるごとに地獄絵図になっていった。
さすがに13年卒の親しい人間は自分にはいなかったので、この年度以降の就活戦線がどういうふうになっていたのかは全くわからない。
誰か教えてほしい。
とりあえず2009年卒はバブル、2010年卒から突然氷河期突入っていうのは強く言っておきたい。
【追記】
メガバンク内定が学友から「うん、まあ良かったね……」程度の反応されるような微妙な位置づけだったのには理由がある。
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
したがって、「大手・低倍率・給料と福利厚生以外が非ホワイト」なメガバンク内定は大して凄いと思われなかった。
この価値観がよく表れていたのは2ch就職板の『就職偏差値ランキング』なる有志が独断と偏見で作成したもので、
記憶が確かならそこではメガバンクよりも食品メーカーとか素材メーカーとかのほうが上に据えられていた。
実際、三菱東京UFJを蹴ってサッポロビール、三井住友銀行を蹴って中央発條に入社を決めた人間が友達にいた(生涯賃金で5000万円以上差があると思うのだがそれでも激務は何より恐れられていた。ドラマ半沢直樹が放送されるずっと以前だったが、もうメガバンクが健康に人間らしく働くにはあまりに苛烈でエグい職場環境であることはネットのせいでバレバレだった)。
ちなみに日興コーディアル証券なんか日大や専修あたりの大学からでも内定バンバン出てた。
このように大手金融の採用は(基本的に)ザルだったのだがこれにも例外があって、
東京海上と日本生命(営業幹部採用じゃないほう)の総合職はマーチ男子程度だとほぼノーチャンスだった。
いずれも体育会系有利と言われる会社ではあるが、マーチに関しては体育会系とかどうとかもはや関係なく、各大学0~3人程度の内定にとどまった。
身分違いだったのだろうか。
さて、
当時の就活生は「大手でしかも高倍率でホワイト待遇のところが一番エラい」という価値観を抱いており、
「無い内定にならないため、万一入社しても高給が保証されているから、戦略として仕方なく受ける企業」
でしかなく、基本的に不人気だったのだが、これにも例外があった。
みずほ証券については「ホールセールばかりでリテール全然やらなくていいから」、
信託銀行については「メガバンクと違い、残業全くしないで30歳1000万円まで一律昇給できる地上の楽園だから」
という大間違いでしかないイメージが当時の就活生のあいだで広まりに広まっており、
学歴とコミュ力とルックスとスクールカーストに自信のある就活生が猫も杓子も信託銀行を希望するという謎のブームが生まれていた。
ノー残業・ノーパワハラ・ノー怒声なんていかにも嘘くさいっていうか100%ありえないと確信していたし、
完全に諦められた窓際社員でも自動的に到達できる年収は30歳700~800万円・40歳1000~1100万円くらいがせいぜいなのではという見立てだったからだ。
書いてる途中に思い出したけど、当時は楽天もソフトバンクも本体内定者の学歴ボリュームゾーンは日大って感じの会社だった。
大事なのは大学名、その場でいかに「論理的に落ち着いて会話できるか」、本人の雰囲気であり、超人エピソードを作りに動く就活生は嗤われていた。
バイトかサークルのどれか一つやっていれば充分であり、インターンに応募しようとするやつはそれがたとえ1dayであっても周りから「凄まじく就活に気合を入れている」という見方をされていた。
これはつまり、あっと驚くような体験や活動のおかげで就活結果が大きく変わることがないというシビアな現実を意味しており(テレビ局とかの採用は違うんだろうけど)、
裏を返せば課外活動をせずともコンビニバイトでも適当にやって面接の場をどうにか凌げば大手から内定が出るような時代だった。
筆者には法政大学に通う仲の良い友だちがいたのだが、
彼は今で言うチー牛で(当時は非リアといった)、サークルには所属せずボランティアなどの課外活動のエピソードもなく、
週3のコンビニバイトと1日2度のオナニーをするのみであったが某中堅損保に内定した。
ちなみに体育会野球部であろうが同大学の一般学生と比較してさして就活で有利にならない時代でもあった。
チー牛友人は内定者懇親会に参加したとき、同じ大学の野球部の有名選手がいたことに
と大変なショックを受けたと言っていた。
実際、筆者は野球が好きなので六大学や東都大学の4年制進路を毎年チェックしていたが野球部ブーストが全然効いてなくて毎年苦笑したものだ。
東大や早慶でも一般学生と期待値は大して変わらず、マーチや日東駒専にいたっては一般学生より下手すりゃちょい悪いのではというほどだった。
マーチ野球部から全国紙とかサントリーとかADKとかにいけるのは直系附属出身者や県立トップ校から一般入部してきた選手とかで、野球名門校出身者は主力選手であろうとも野球継続しないのなら大手百貨店が関の山だった。◯◯自動車”販売”とかもお馴染みの進路だった。
そして日東駒専大東亜帝国あたりの野球部の進路はこんなもんじゃなかった。
当時の就活も嘘つき合戦ではあったが、今の就活はインターン当たり前、エピソード作るために大胆に動くの当たり前だと聞いて本当に大変だと思う。
寒いんだよ
そういうところが親父なんだよ
たとえば以下のようなやつ
https://news.yahoo.co.jp/articles/e29a53f53ccebd283155d2f1f329d403759ff4e4
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/itl/news/2023/04/65758/
https://www.sapporobeer.jp/campaign/shin-lemon_sour/20230417-2/
探せばどんどん出てくるけど、シン◯◯◯◯って書いてるの、おっさんだけだぞ??
早く気付いてくれ、そして早くやめてくれ
先日、お母ちゃんと妹との女3人で2泊3日の北海道旅行に行ってきた。
実は日本でコロナ感染者が出るすこし前の実家帰省時に(2019年の秋冬)、
「来年の6月は北海道にいこう」という話をしていたのだけど、コロナでまあいろいろ流れていったので、数年来の実現だ。
ちょうど母が仕事をもう辞めてもいいかなという時期になって、たまたた妹もそれまで働いていた職場を退職をしたので、
「今行かなきゃ全員の休みは合わせづらいだろう」と提案したのがきっかけだった。
妹と話し合って、基本的には母親へのプレゼントとして姉妹2人で払おうと内密に話していたのだけれど、
父が小遣いを一人1万円ずつ、計3万円を母に渡してくれたので食費がそこでまかなえ、
結果的には私たちの大きな負担は飛行機代と宿泊費だけで済んだ。お父ちゃんありがとう。
※父だけ置いていったのではなく、父は家族や親戚が集うイベントには私が生まれたときから基本いない。
当初、母は7泊ぐらいして道内の行きたいところ全部まわりたいと話していたのだけれど、
それは私の仕事の都合とか諸々含めてなかなか難しいので
「いやもう1回で全部行ききるのは諦めて、2、3回にわけていくぐらいにしなきゃ!」という説得からスタートした。
札幌と美瑛と網走と十勝と小樽と後なんか他にもいきたそうだったけど、そもそも旬の季節は美瑛は特に限られてるし、大体私以外誰も運転できないから無謀だろよと。
結果的に、千歳空港からスタートして、札幌と小樽をめぐる2泊3日の旅に。
2日目の小樽が雨風で見たい物がイイ感じに全て見られたわけではなかったけれど、母が行きたがっていたところは概ね全部行けた。
北海道大学、サッポロビール、夜景、小樽の街並、ニッカウヰスキー。妹が食べたがっていたジンギスカン、乳のなにか、新鮮な魚貝……。
あと何故かどこに行っても1日1回は道行く地元の人から「旅行ですか?」と話しかけられたのも面白かった。関西弁がうるさかったのかしら……。
札幌の展望台にのぼる方法がてんでわからなくて行き方を尋ねた場所で、なぜかそこを利用していないのにご親切に割引券をいただけたことも有り難かった。
旅が終わったあとも母親から「楽しかった」「また行きたい」「私たちがいったあの店が旅行雑誌にもでている」と連日感想が送られてくる。
楽しんでくれたようで何よりだし、私も楽しかった。下手くそでまったく映えない、でも思い出深い写真がたくさん撮れた。
ポニーと一緒のところを撮ってもらったのに撮影者である妹の影がポニーの顔ぜんぶ隠してるとか、食べかけのホッケとか。(笑)
同時に、実家で過ごしているときとはまた違ったかたちで母の年齢を感じる(逆に年齢の割に元気なところもあったけど笑)時間にもなった。
北海道は、母が死ぬまでに行きたいと話していた土地のひとつだ。
でっかい地平線が見たいらしいけど、それは今回の旅では見せてあげられなかったので次回はぜひ良い時期の美瑛に連れて行ってあげたい。
あとは主に海外に行きたいらしいけど、
海外は……円安がこのまま加速するならもう来世にお願いして、私たちは死んだあとの母がその土地で生まれ直すことを祈るしかない。
そういうことに恵まれてこなかった分、こうやって仕事はしつつだけど気軽に旅行へ行くことはできる。
コロナになってからは基本的に実家の近場でしか過ごしてこなかったので、久しぶりにとても良い時間になった。
日本のビールの歴史年表 昭和24年〜昭和45年(1949〜1970)
https://museum.kirinholdings.com/history/nenpyo/bn_06.html
> 1963年(昭和38年) 日本麦酒、「サッポロ生特大びん」(通称「サッポロジャイアンツ」)発売。[4月1日]
> 1965年(昭和40年) ビール各社、プルトップ缶ビールを発売。缶を開けるのに缶切りを使う必要がなくなった。[3月]
> サッポロビール、「サッポロストライク」発売。びんの王冠を手で開けられる「栓抜きのいらないびんビール」。[3月]
> 1967年(昭和42年) サントリー、フィルターで濾過した生ビール「サントリービール〈純生〉」発売。[4月20日]
> 「(「父の日」)帰りがけに近くでウイスキーやカン入りビールを買ってもらうパパが結構多かったようですよ(新宿の伊勢丹従業員の談話)」(『読売新聞』6月19日)。
> ビアガーデンやビアホールは夕方ともなると若い男女、中年のサラリーマンであふれる。ビールはすっかり生活にとけこんだ(『朝日新聞』7月13日)。
君たちは何歳なんだ?