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はてなキーワード: 夏目漱石とは

2024-12-29

anond:20241229004208

夏目漱石の「月が綺麗ですね」論は漱石結婚生活垣間見ることができます

当時 Love という単語坪内逍遥が既に翻訳していました

坪内逍遥シェイクスピアイプセンなど戯曲研究家であり、弟子二葉亭四迷、妻は宝塚女優新劇の普及に努めました

ロミオとヂュリエットの「愛されないならいっそ死にたい」となど登場人物の激しいセリフも訳しています

一方、夏目漱石英語教師でしたが妻の父はドイツ語翻訳家の官僚中根重一で、獨逸学協会幹部です

当時ドイツ語と言えば医学薬学書など質実剛な実用書か法学哲学書の類で、文芸派とは真逆世界です

そのような義父がいればI love youなど女子供が見る芝居のセリフがサラっと言えるとは思えません

しろ気取った華族歌人的な表現と言えるでしょう

ドイツ語派には軍事的勢力もいましたので漱石が彼らに擁護されていたことも想像がつきます

「月が綺麗ですね」の歴史

以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。

大雑把に言えば、この「夏目漱石I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、

に分解できる。ひとつずつ追っていこう。

I love youは訳せない」

まず、夏目漱石は「I love you日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石イギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージメレディスの『Vittoria』という小説言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love youである

formula ノ差西洋日本I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you日本ニナキ formula ナリ.

dl.ndl.go.jp/pid/12443067/1/168


1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。

日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです

dl.ndl.go.jp/pid/1890371/1/24


同じく1908年劇作家益田太郎冠者という人物も次のように書いている。

欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。

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やや遅れるが、1922年刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村近代恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。

日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたいろはほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。

dl.ndl.go.jp/pid/977872/1/11


以上からすると、夏目漱石最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love you日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである

「月が綺麗ですね」

そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム東方へ」での記述が最も古かった。

西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス

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1935年刊行笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事雑誌掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。

第一欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味外国人に答へると、然らばあなた日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。

dl.ndl.go.jp/pid/1155407/1/164


以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年雑誌英語研究』。

月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.

dl.ndl.go.jp/pid/2331222


1957年雑誌産業産業人』の対談記事ニッポン居よいか住みよいか」。

三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)

大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)

三宅 アイ・ラブ・ユウと直接には言わない。古来そういう文学表現方法日本にはない

dl.ndl.go.jp/pid/2234540/1/22


1961年早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である

ドイツ人学生日本女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人からね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。

dl.ndl.go.jp/pid/2976285/1/110


1962年日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。

さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき西洋人のように、

「私はあなたを愛していますI love you)」

などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、

「いいお月さんですね」

そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。

dl.ndl.go.jp/pid/2985145/1/38


以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。

夏目漱石が訳した」

それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。

明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代から、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。

dl.ndl.go.jp/pid/12564223/1/57


ほぼ同時期に、つかこうへい小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへい豊田有恒記述を読んだのか、それとも共通元ネタがまだどこかにあるのか。

古くは夏目漱石I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳リアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。

dl.ndl.go.jp/pid/12582572/1/121


以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。

余談

ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷I love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。

「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。

dl.ndl.go.jp/pid/2484010/1/109


この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦1975年日本人の言語表現』ではこういった具合だ。

土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。

dl.ndl.go.jp/pid/12446973/1/120


いかがでしたか

2024-12-28

昔の方がレベル高かったのか?

スマホが普及する前はどこの家庭も大人新聞を読んでいたらしい。

ブルーカラー知的とは言えない人も最低スポーツ新聞を読んだり。

あんな長文のかたまり毎日読むなんて信じられない。

もっと昔。テレビが普及する前は夏目漱石などの文豪ベストセラー小説家としてエンタメの中核にいたそうだ。

現代なら教科書しか読まないような内容に多くの人が夢中になっていたという。信じられない。

今の時代スマホぽちぽちで長い文章を読めなくなっている。

そう考えると昔の人の方がレベルが高いように感じてしまうが、でも今の方が世の中の人たちの学歴底上げされ、犯罪率は低くなり、文化が発達した住みやす社会だ。

どういうことなのだろうか。

昔の実態新聞を取っていても実は読んでいない人だらけだったし、夏目漱石をもてはやしていたのはほんの一部の人だけだったのか。

2024-12-18

2024年に読んで良かった6冊の本

anond:20241217085132

読書メモの整理のために便乗。今年の読書文芸短歌仕事の専門書(ソフトウェア開発)が中心だった。

6冊を良かった順で挙げる。

大江健三郎大江健三郎自選短篇』(2014年

本書の長所最初短編から晩年短編までを収録しており年代による作風の変遷をたどれること。

ダントツに良いのは「雨の木」の連作ストーリーは「雨の木」というシンボル高安カッチャンという重要人物の周縁をぐるぐるし続け、いつまでも核心に踏み込まないため、最初は要旨をつかめない。しかし読み進めるにつれその構成多角的な視座を提供するための仕掛けだとわかる。短編であるにもかかわらず印象が何度も覆され、様々な味わいがある。

小説物語意図最初は分からいくらいが丁度いい、というようなことを三島由紀夫が何かに書いていたが、全くその通りである構成や内容が三島由紀夫豊饒の海」と少し似ている。豊饒の海は松枝清顕(早逝した親友)の生まれ変わり(と推測される人物たち)を数十年追い続ける物語で、ラストシーンでは清顕の存在自体が薄らぎ核心にぽっかり穴があく構成なのだが、大江健三郎「雨の木」もシンボルの雨の木の周縁をさんざんなぞった結末として木自体がほぼ焼失してしまう。「豊饒の海」は仏教死生観や死者に対する忘却根底に据えられているのと同じく、「雨の木」も死生観忘却(作中ではoblivion表現される)が重要テーマであるテーマに対するアンサーは正反対だが。なお先に書かれたのは「豊饒の海」。

物語の道具立てとして海外大学におけるシンポジウム海外作家引用原爆問題があり、衒学的な雰囲気を作っている点もわたしの好み。

「奇妙な仕事」などの最初短編はさすがに時代を感じる。「セヴンティーン」は発表当時右翼団体から脅迫を受けるなどかなり真剣に世の中に受け止められたようだが、令和の目線ではカリカチュアライズが激しく、大江健三郎絶対ゲラゲラ笑いながら描いただろうというノリの良さが全編にみなぎっている。また当時は右翼に対する攻撃という見方大勢だったようだが、左翼側の非論理性も指摘する内容のため、私の感覚では左翼小説と思わない。

最後の「火をめぐらす鳥」は大江健三郎流の引用の繰り返しや観念世界に入り込む構成といったスタイルを貫きつつも、おそらく意図的に情報量を落としており、ゆとりと円熟を感じさせる。

佐々木正美『子どもへのまなざし』(1998年

乳幼児育児の心構えを説く名著。以下は印象に残ったポイント

今年は家事育児ワンオペ + フルタイム勤務に忙殺され、子供への対応が雑になっていることを自覚しつつも改善策を見出せない期間が年末近くまで続き苦しかったが、本書の心構えを持っておくことで自信をもって育児ができるようになった。

夏目漱石私の個人主義」(講演1914年、底本1998年

夏目漱石1914年学習院で行った講演録。青空文庫で読んだ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

ごく短く、読むのに30分もかからないが、内容はキャリア論、社会思想フェミニズムにまでわたる。

キャリア論の概略は以下の通り。

どこかに突き抜けたくても突き抜けられず、何かを掴みたくも掴めておらず悩んでいる者は、どこに進めばよいかからない以上、何かにぶつかるまで進む他ない。自らの個性で行けるところまで行ってツルハシで何かを掘り当てれば、自分なりに道を作ってきたことに安心と自信が生まれる。反対に、行けるところまで行かないかぎり、悩みと不愉快が一生ついて回る。

昨今は会社員主体的キャリア開発が求められる一方で、異動を会社の都合で命じられたり、顧客への責任第一に優先すべきという考えもあり、主体性を発揮してばかりいられないという板挟みを感じていた。しかし「私の個人主義」を読みとりあえず行けるところまで行くしかないと開き直ることができた。

社会思想については、自らの個性尊重すると同時に他者尊重しなければならないとか、裕福な人間は相応の責任を負うべきだ、など。

岡野大嗣『うれしい近況』(2023年

岡野大嗣の歌集まり短歌がたくさん載っている本。

いわゆる秀歌、つまり散文と異なる詩的な文体で、細部の描写を通じ、多層的な意味表現する、という歌ではないものが多いが、わたしは好き。岡野大嗣の中ではいまのところこれがベスト歌集

ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークで鳴るハイハット

ライブの楽しさが伝わる。ドラマーボーカルトークに関心を持ってきちんと聞いておりハイハットで反応してあげるという仲の良さがほほえましい。

どの店もゆかいな高低差の街でみるみる減っていく体力だ

高低差、という単語発見したのがこの歌の成果だと思う。坂が多くておしゃれな店ばかりの街で、ついつい歩きすぎて疲れてしまたことの充実感が歌われている。

ぼろ負けのオセロぜんぜん悔しくない広いソファーに変なあぐらで

オセロ相手との関係性を想像させる表現が巧み。"広いソファー"もゆとりある生活を感じさせ心地よい。

冬目景百木田家の古書暮らし』1~5(2022年2024年

漫画

冬目景は遅筆だが近年は順調に出してくれていることに、まず安心する。

冬目景恋愛モノが多く、登場人物たちがうじうじ悩みながら自分意志で一歩を踏み出していく様子を丹念に描いていることが、本作に限らない多くの作品の特徴。本作も登場人物おっかなびっくり、逡巡しながら実に遅々たるペースで接近してゆく。時には後退することもある。しか自分意志で進むからこそ人間味があり、納得感がある。

たこれも冬目景作品共通の特徴だが、登場人物基本的に善人ばかりであるものの皆わりと淡白コミュニケーションが暑苦しくないところに品の良さがある。

そして最大のポイントとして絵がわたしの好み。

劉慈欣『流浪地球』(2024年

中国SF短編集。「中国太陽」が最良。「良いSF未来技術ではなく技術がもたらす新たな社会を描く」ということをアシモフ小松左京高千穂遥あたりの誰かが言っていたが、その好例。SFなのに人生の苦労と発展にフォーカスしておりすごくウェット。

『三体』はまだ読んでいないが読むべきかな。

2024-11-26

リアルの知り合いや友人に対しては絶対にやらないのだが、こと好きな作家については好きな子に意地悪するようについつい悪口を言ってしまう。悪口というか、作家自身作品のものの特徴を面白おかしく書いたり話したりしてしまう。たとえばドストエフスキーなんかだと、「ギャンブル狂いの作家が、クソデカ感情を抱えて人の話を聞かないヤバい奴の話を書いている」と描写してしまうし、三島由紀夫だと「マッチョを目指しながらも繊細な感受性を備えた作家が、もしもこうだったらという想定を観念的に構成してそれを人工的で息苦しい文体表現する」なんて言ってしまうし、グレッグ・イーガンだと「理系文系よりも一段階上場所にいると隠さない、人間の肉体や精神に手を入れまくる究極の理詰めなワールドビルダー」だとプレゼンちゃう

よした方がいいとわかっているのだが、物事をざっくりと要約して伝えるのが癖になっており、そこで妙なウケを狙ってしまう。愛情ゆえに作品批判すれすれまで行き、時々それを増田投稿しては怒られたりしている。「夏目漱石長編は人付き合いと金の話だ」となんてうそぶいたりするが、そういう作家は他にもいるだろう(ちなみに漱石はそれ以外の小品が好き)。

それでもどういうわけか、中島敦だけはいじる気にならないので、自分の中では彼をどこか神聖視しているのだろう。全集を読んだ数少ない作家だし、残りの人生を一人の小説家だけ読むことを許すと言われれば、選ぶのは彼だ。

とはいえ他人が「山月記」をいじってもパロっても別に腹は立たない。不思議ものだ。

2024-10-30

俺以上に運のいいヤツいる?

俺の一番の長所は運の良さで、幼少期から35歳の今までずっとツイてきた。

なぜだか分からないが、本当にずーっと人生追い風が吹いており、思い返すと不思議なほどにツイている。

俺ほどに強運が継続している人間日本ほとんどいないと思うし、運の良さで生きてこれたので自慢したい。

長い文章だが、とにかくずーっとツイているので長くなるのは仕方がない。

幼稚園時代

小学校時代

中学時代

高校時代

大学時代

社会人1~5年目

社会人6年目以降





夏目漱石の「坑夫」という小説に、主人公たちの腹が減ったらたまたま近くに飲食店があり「大袈裟に云えば天佑である」とコミカルに述べた部分があって妙に印象に残っているのだが、俺の人生はまさに天佑連続なのだ

俺以上に運のいいヤツはほとんどいないと思う。ありがとう

anond:20241030014023

夏目漱石自身英文科で明治において語学

海外知識吸収するための実学バリバリ需要があったし

今でもあるよね

anond:20241029225707

高等遊民キラキラ人生がみるみるくすんでいくさま

 と言えば夏目漱石あたりを思い起こすなぁ

2024-10-09

頭を使うっコリ

ストレスが溜まった時は変なことを考えるっコリ🥦

ブロッコリーは森っコリ🥦

ブロンコビリーブロッコリーとは関係ないコリ🥦

肩こりに「肩こり」という命名をしたのは夏目漱石コリ🥦

キャベツアブラナブロッコリー🥦

2024-10-08

この盤面の局面をどうゼルダ増田か田素間菜ダル背宇どをン目くょきノンメンバの子回文

おはようございます

橋本環奈です!

この盤面どう打開すればいいのかしら?

早々にお腹を空かせて道端で倒れたギャルを助けに持参したおむすびを食べさす現代アンパンマン的なギャル物語だと私は踏んでいる朝ドラの『おむすび』だけど

それとはぜんぜん違う盤面!

とはいえ

私は詰め将棋のコーナーの新聞の片隅のそういうやつのパズル的な将棋を解くことをチャレンジしたことは一度も無いの。

でも

またゼルダの話?って言われちゃいそうだけど、

ちょっとだけ遊んだ昨日の盤面は

高台にあるハートの器をどうやってとるか?

その画面をずーっと眺めながらあれやこれや試行錯誤しながら1手ずつ進めていくの。

これは一種詰め将棋じゃないの?って思いつつ

世間のあの新聞一角のコーナーを賑わせている詰め将棋のコーナーは

きっと小さなゼルダの伝説的な謎が詰まっている局面なのかも知れないって逆に思ったの。

とはいえ

私は将棋といえば王将餃子2人前にルービーを決めるスタイルしか知らないの。

カウンター王手飛車取り!っていったら

もう餃子2人前とルービーが提供されるからいつものお得なセットなのよね。

それが王手角取りとなると八宝菜ルービーセット!

王手飛車角取りになると餃子2人前に八宝菜ルービーゼット

そんな局面ね。

そんで私は

そうよ!

牢屋ゼルダが閉じ込められて身ぐるみ剥がされて装備が一切無い状態で一切の「カリモノ」が出来ない状況で

トリィのものホールドさせて移動させるって技しか使えない、

詰め将棋の盤面で言うところの、

餃子王将餃子2人前頼まずにまずラーメンから行くタイプ餃子屋さんにいって餃子頼まないこいつ出来る!って思わせる強いパターン

むむむ

私はそのトリィのモノを動かせる能力のみで、

そのハートの欠片をゲットする盤面に直面している局面で極端に緊張していたわ。

うーん、

これを取り損なったら取り損なうわ!ってトリィおねがい!って言ってもトリィは黙ったまんまでヒントすら出てこないじーっと画面を見続けながら私はハイボールをちびちびと飲みながら炭酸がもう全部抜けかけて気の抜けたハイボールになった瞬間に開眼したの!

これだ!って!

ふと閃いて

モノを置く置き方を階段状にして上に登れるようにして

無事ハートをゲットしたの。

やったー!

この盤面の局面を極度の緊張の中、

突破してハートをゲットした嬉しさは格別よ。

そして私は無事牢屋から脱出して、

途中でセーブして中断したらまた牢屋の始めに戻されて、

ええ!?ってその盤面をちゃぶ台返しにした瞬間ひっくり返ったちゃぶ台

上にお茶碗とかご飯とかお味噌汁がのっかっているけれど

それが真上にちょうど綺麗に上がってちゃぶ台がひっくり返ってもとの位置に着地した途端、

ちゃぶ台の上にあったご飯のよそってあるお茶碗や熱々の美味しそうなお味噌汁が注がれたお椀が1粒のご飯も1滴のお味噌汁もこぼれずに元通りに着地したの。

ちゃぶ台返したけどもとにもどる奇跡

ELT的な信じ合える喜び!

お昼に食べたいハンバーガーBLT!これも信じ合える喜び!

それら奇跡と同じぐらい

お猿さんにタイプライターをあげて夏目漱石坊っちゃんを書き上げる奇跡

分解した懐中時計を水を張った水槽の中でかき回して元通りの時計に組み立てられるぐらいの奇跡

ラッパー感謝するのはだいたい両親!

それも奇跡

それと同様なそれと同様な事が起こったの!

えー!セーブしてまた最初から

そんなちゃぶ台返しおのののかながらも

ってそれ野球球場でのビール売上ナンバーワンの売り子さんのおのののかさん!

でもまあ私は1度の突破したノウハウがあるから

学習しているのですぐさま突破できたけれどね!

これ全体的に今のところの状況だと、

何かが難しいというよりも

フィールドや敵や仕掛けの突破はもちろん

全てにおいてカリモノでどう乗り越えるか!ってのが主題になっているテーマでもあり、

私は改めてそれに気付いたの!いまさらながらに

そして

ハート無事に取れて良かった!って

なんか達成感!

あんまりプレイ時間が増えると眠たくなっちゃうので

私は昨日続けていて取れないと諦めていたハートを再挑戦して取ることができたか

やっぱり諦めなければ試合終了じゃないって校長先生の偉い言葉であるような漫画の一節を借りるなら

バスケがやりたいです!」っていうと思うわ。

なるー!

なるー!って言うのはなるほど!の略で

秋の祭典である今使い心地のいい言葉なので

秋の訪れと同時に使う秋の季語なのよね

なるー!って

インスパイヤネクストとはちょっと違うかな?

本当はどんどんゼルダを進めたいけれど

さっきも言ったように1日1局面を行って進めて行く

美味しいチーズ大事に食べる感じ!

リスさんがほっぺにたくさんどんぐりを頬張って基地に帰る様で

一気にストーリーを進めさせちゃうと勿体ないなって

チーズの角から食べる感じね。

『ニーアオートマタ』のことも忘れてないわよ!

最初セーブポイントまで到達するのが達成できず

なんでかつて無いこのセーブポイントの遠さなの?って思ってしまう早々に断念してしまいそうだけれど

なにせ『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』が落ち着かないと落ち着かないわ。

でも、

ゼルダ世界中あちこち寄り道しまくってここはどうなってるの?って探検はつまり冒険してる感じ!ってのもあるし

そんな感じよ。

朝ドラの『おむすび』つぎ誰をおにぎりで救うか楽しみでもあるし、

楽しみばかりな秋!

でもよ

良いニュースはたくさん上で言ったけれど

悲しいニュースもあるの。

ぐすん。

定食屋さんの秋の秋刀魚フェアは先週で終わっちゃったのよ。

結局私は大谷翔平選手の記録に全然惜しいところまでいったんだけど

秋刀魚ルービーを決めた本数は

2-2よ。

世界レヴェルの記録ってやっぱり凄いんだわ!って

その凄みを感じたところよ。

でも

マーケット秋刀魚売り場で秋刀魚は売ってるし!

秋刀魚買いに走ってマーケットには行けたら行くわ!

うふふ。


今日朝ご飯

ワカメおにぎりしました。

別におむすび』に引っ張られたワケじゃ無いけれど

でもたぶんゼロじゃない薄らとおにぎりが私の脳裏を漂っていて今日ワカメおにぎりにしよう!ってなったのかもね!

なるー!

秋だもん。

デトックスウォーター

ホッツルイボスティーウォーラーにしてみました!

ホッツも熱々だけど飲み頃ぐらいの温度にまで置いておけば飲めるので

だんだんとホッツな季節になってきたわ!って実感するところね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-10-01

夏目漱石の「それから」は、ニートみたいな主人公が働き始める話だった気がする

好きな女ができて、親に勘当されて、仕方なしに働き始める話だったような

なんでこんなのが名作なのか今でも分からん

三四郎それから→門

と言う三部作で、全部読んだはずだがあまり覚えていない

夏目漱石ってなんで夏目じゃなくて漱石って呼ばれるの?

2024-09-30

故郷三四郎

ワイの故郷三次市にあったスナッククラブ?だかの名前

これでサンシローと読む(らしい)

年代的に夏目漱石のじゃなくて「紅 三四郎」のほうなのだろうか

まだあるのかな🙄

2024-09-29

anond:20240929024801

なんか太宰治夏目漱石かなんかでこういう話なかったっけ?

中受の元ネタあさのあつこ、朝比奈あすか、あたり?

天現寺ウォーズあたりだったりして。

ともかく、大人数で受験終了お疲れ様で祝いカラオケ会を企画し、そこでどこに行くかを聞かれて言う流れを待つとか。

おっとこの時期だと推薦AO海外じゃないよね??

じゃあ学校先生に発表して貰うとか。。。

2024-09-15

貧乏人のひがみ

 かなり幼い頃、英会話CMをみながら親が、

英語だの英会話だの言うけど、おまえら日本語正しくつかえてっかーって話だよな」

 と言った。

 それをまに受けた。中学になっても「日本語を正しく使えないくせになにが英語じゃ」と、まったく勉強せず、三年生のときに、“do” と “be” の意味がわからない自分に気づいた。両親は夏目漱石の『こころ』すら読んだことがないらしい。

いじめ」という言葉が広まるまえに、わたしはいじめられていた、らしい。わたしはその、嫌がらせをしてくる奴らのことを、友達だと思っていた。つらくても楽しい気持ちはずっと保っていた。でも友達たちといて、仲間に入れてくれることはなかったから、親に話すのは「〇〇くんが仲間に入れてくれなかった」「〇〇くんに殴られた」「〇〇くんに無視されてる」しかなかった。

 親はそんなわたしのことを見てなのか、

「おまえは耐えててえらいよ。〈憎まれっ子世に憚る〉っていうでしょう。きっとおまえは凄いおとこになるよ」

 と言った。そのことを、一年前に入院した病院出会った、統合失調症父親よりも年齢が、一回り上の男性に話した。男性は、

いじめられてるーって、親がなーんにも対処しないで、子どもを〈憎まれっ子〉って言えちゃうのは、おかしいよなあ。おれはそれは、ぜったいにおかしいとおもう」

 と言った。

 両親はよく、我が家のことを話すとき枕詞のように「うちは貧乏から」と付ける。わたしは家が貧乏だと感じたことは、一度たりともない。

 お寿司が食べたい、とそうせがむわたしをみてか、スーパーで安い刺し身を買ってきて、酢飯を作り、母親と一緒にお寿司を作っていた。我が家ではそれを〈貧乏寿司〉と言っていた。〈貧乏寿司〉には、いくつか外れがある。中にとんでもない量のわさびを入れているのだ。こいつに引っかかったら、顔をしかめて「水、水!」と叫ぶしかない。いや、記憶によると、そう叫ぶことすらできなかった。数年後、父親マイホームを建てた。わたしはそこで「ねえ、また〈貧乏寿司〉がたべたい」と言った。

 中学にあがって、担任教師との相性が頗るわるかった。というのもわたしが捨てた、英語担当であったし、なんにせよマークされていた。無視されたり、授業中に〈できない生徒〉として吊し上げられたり。

 しょうじき、イヤミ先生だなあ、としか思っていなかった。同じくマークされてる友達同士で、提出物にその先生似顔絵を描いて提出したり、授業中に顔を見合わせて、いっせーので突っ伏して、終わるまで顔を上げなかったりして楽しんでいた。

 担任教師について親に聞かれると、その、嫌だったことをよく喋った。楽しかたことが思い浮かばなかったからだ。

 一年も終わりになるころ、親が、いまさら担任教師について直訴してくる、だのなんだの言っていた。わたしお小遣いで手に入れたゲームをやるのに精一杯だったから、軽く流しておいた。それでも聞いてくる。「なにされたの?」「なにがいやだったの?」「つらかった?」などと。いらだちが高まってくると、アタマが熱くなった。わたしは涙を流していた。なんの涙かは知らなかったけど、親はきっと、わたしがつらかったから、こうして涙を流しているのだろう、と、思うのだろう、と考えられたから、声を大きくしてワーンワーンと泣いた。親は

「これまでつらかったでしょうに。よしよし。つらかったらかあちゃんことも、頼っていいんだよお。パパだっている」

 と言った。わたしは、正解だったんだなあ、と思った。

 母親は、校長学年主任、その担任教師と話をしてきたらしい。当時はその内容を知らなかったが、どうやら校長とは、学年が上がった際に、その担任教師わたしを同じクラスにしない事を、確約していたらしい。わたしの大好きな人は、その担任教師クラスになった。

 卒業式の数日前、クラス先生たちが演説のような、羽ばたくキミたちへ、的な話をした。

 その担任教師は、

英語というのは、道具です。ええ?! と思われるかもしれません。が、あなたがたが学んできたものは、実際に使われている〈言葉〉です。私が話している、あなたがたが話している日本語と、同じです。思考ツールなのです」

 と話し、先生がたのお話のなかで、もっとも、心に残った。

 YouTubeで、高級住宅街についての動画を見た。コメント欄には、両親みたいなのがウジャウジャいる。

2024-08-19

anond:20240818234330

夏目漱石とか内田百閒まわりを見ると、昔の方がホモソーシャル的縦横のつながりが強い集団共同体世間的にも堂々とあった気がするので日本人おかしくなったかどうかはわからないが、ウエストランド井口がぶちラジや今月のお笑いでたびたび自身コンビや他のコンビ・そのファン芸人トレンド等に絡めてそのあたりに言及しているな

増田が納得できる愚痴が聞けるかもしれないのでぶちラジを聞くと良いと思う

2024-08-18

俺が探し求めている眼光鋭いヒゲの爺

口髭があって、目が細くて、学があって、ハゲではなくて、賢そうな顔をしている爺なんだけど

誰だか分かる?

分かる?っていうかそういう顔の爺を探してるんだけど

いねえんだよなー

記憶を頼りに子供の頃に読んだ漫画をさがしているような感覚

やっぱり脳内で作り上げた架空人物なのかな

アインシュタインではない あの人は目がつぶらすぎる

柴崎春通先生部分的に惜しいけど彼でもない 顔が優しすぎる

小村寿太郎でもない 髭が黒すぎる

夏目漱石でもドクターゲロでもない なんか足りない

 

まあつまりそんな奴は実在しないと思うだろう?

俺もそんな気がしてきた

AIで生み出した方が早いのかもしれない

2024-08-07

本当に皆生きてて「サマン田端」とか思わないわけ?

大葉切ってる時にラブイズオーバーとか歌わないの?

友達の誘いを受ける時に「イーヨン・マスク」とか言わないの?

嘘でしょ?

田端駅通る度にサマン田端がこんなに脳裏に過るのに?

有り無し判定の時に「ありよりの森有礼」とか言わないってこと?

溌剌な時は「元気モリモリ森鴎外」って思わないの?

皆本当は思ってるんでしょ?

そうだよね?

追記

コメントありがとう!皆わざわざ言葉にしないだけで沢山考えてくれてるみたいで増田は嬉しいよ、仲間がこんなにいっぱいだよ

ちなみにこんな感じで生きてるので昔両親が喧嘩してた時は「あいつら多忙 俺たちゃ無謀 平穏な願望」って歌ってたよ ちなみに基本仲良ぴだから大丈夫

増田はこんな感じで「音」とか「意味」が少し、もしくはぴたっとハマる感覚が好きで、ラップの韻を踏んだりダジャレだったりが好きだよ。Creepy Nuts助演男優賞なんか凄いと思う。

例えばさ、和歌なんかもそうだと思うのね。掛詞ってあるじゃない。「眺め」と「長め」がかかってたりするじゃない。ああいう「音」は同じで意味は違うもの、その狭間に対して私達ってワクワクしたり言葉にできない感情を委ねたりできるじゃない。あれって凄く良いと思うの。

ありよりのありと森有礼距離遠いけどちょっと繋げたらなんかエモいじゃん?

でも胃袋つめつめ夏目漱石はさ、あの人神経衰弱なるくらいだからそんな食べさせたら可哀想じゃん?そんな感じなの楽しいよね

ちなみに増田フランク三浦のことは知らなかったな、また新しく知れて嬉しいよ!でも裁判沙汰は凄いな!

2024-07-18

宮崎お金事情

宮崎県では平成の中頃まで かいけつゾロリ紙幣が使えていた。

もちろん日本銀行が発行した普通紙幣も使えてたんだけど、日常でのやり取りはかいけつゾロリ紙幣がメインで、夏目漱石福沢諭吉の顔を拝むのは冠婚葬祭の時くらいだった。

作者の原ゆたか宮崎の隣の熊本出身だけど、熊本では かいけつゾロリ紙幣全然普及していなかったらしい。謎。

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