はてなキーワード: 満月とは
以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。
大雑把に言えば、この「夏目漱石が I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、
に分解できる。ひとつずつ追っていこう。
まず、夏目漱石は「I love youは日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石のイギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージ・メレディスの『Vittoria』という小説に言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love you」である。
formula ノ差西洋日本 “I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you ハ日本ニナキ formula ナリ.
1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです
同じく1908年に劇作家の益田太郎冠者という人物も次のように書いている。
欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。
やや遅れるが、1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村は漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。
日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたにいろはにほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。
以上からすると、夏目漱石が最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love youは日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである。
そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム「東方へ」での記述が最も古かった。
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
1935年刊行の笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事が雑誌に掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年の雑誌『英語研究』。
月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.
1957年の雑誌『産業と産業人』の対談記事「ニッポン居よいか住みよいか」。
三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)
大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)
1961年の早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である。
ドイツ人学生が日本の女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人だからね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。
1962年『日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。
さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。
それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家の豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載は1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。
明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代だから、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら、日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。
ほぼ同時期に、つかこうへいが小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへいが豊田有恒の記述を読んだのか、それとも共通の元ネタがまだどこかにあるのか。
古くは夏目漱石が I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳のリアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。
以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。
ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞を二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷がI love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。
「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。
この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦の1975年『日本人の言語表現』ではこういった具合だ。
土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説で女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。
「テープで壁にバナナを貼る」に数億つくのを腐す感覚はわかるけど、写実以降の絵画や芸術についても「情報や名前に価値があるだけで作品としての魅力はない」って言ったりしてるやつ多くてめっちゃ悲しい。
嘘です、本当は芸術を理解するリテラシーがないだけのゴミカス低レベル低知能低教育帝京平成大学の癖に芸術の論評出来ると思ってる勘違いがクソ腹立つ。
ルノアールの「陽光を浴びる裸婦」とか見ろ、100年以上前の画家も今のぽっちゃり好きエチエチ絵師と同じリビドーとパッションを持ってることがわかるだろ。
夜空に浮かぶ満月がめちゃくちゃデカいと思って写真撮ろうとしたら超絶ちっちゃくしか撮れないことないか?、あの「デカッ」って月を思ったその印象に通じるものをゴッホの「種をまく人」から感じないか?
素人の俺では言語化出来ないが、地底の太陽なんかも現物を見るとなんか途轍もない「凄み」を感じるぞ。
マッチングアプリで知り合った男性にしてもらって嬉しかったこと(anond:20241215222347)という記事を書いた。
これを読んで受け身、テイカーといった言葉を投げたくなる人はよほど苦労されているんだろうと思うし(受け身に見えるとしたら普段から女性一般をそう見ていて、バイアスがかかっていると思う。してもらって嬉しかったことは自分もしていると冒頭に書いているし…)、その苦労は今後も続きそうだし(その人たちは誰かになにかをしてあげたいと思うことがあるんだろうか。あるとして、「嬉しい!私もお返しするね!他になにができるかな?」以上のどんなリアクションを求めているんだろう?)、逆に「気遣いに気づける人は自分も気遣いができる人」「参考にする」と言ってくださる方はきっと普段から人の気遣いに意識を向けて、人に優しくあろうとしていて、私の記事のようなものからでも役に立つ部分を拾ってくださったのだと思う。
同じ記事でこうも真逆の反応と効果が生じるとは、と、分断を感じた。周りにいる人が全然違うのかもしれない。
男性に向けたデートテク的な情報に対して女性向けのものは調べてもあまり出てこなかったので、男性が不服に思うのは当然なのかも。
で、だからこそ私は他の人にとっての「これをしてもらって嬉しかった!」「これをしたら喜ばれた!」を知りたいので、続きを書きます。
マッチングアプリで気を付けていたこと、男性に対してしていたこと
してもらって嬉しかったこと上級編(彼が付き合う前にしてくれたこと、惚気)
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
この1週間のオープンチャットでは、文学や歴史の深い議論から、日常の些細な出来事、食事、AI技術、健康や仕事に関する悩みまで、多岐にわたるテーマが扱われました。参加者同士の共感や情報交換が活発で、日常と社会問題の両方に対する関心の高さがうかがえます。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
1年前に書いてもらったのと同じ設定。前と違って普通に面白そうになった。
ハリーが3年次にルーピン教授に噛まれて人狼になるという設定で「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のIF小説のプロットを立ててください。 ドラマチックなストーリーにしてください。 シリウス・ブラック、ピーター・ペティグリュー、セブルス・スネイプを登場させてください。脱狼薬に触れてください。
物語の流れは原作に沿いつつも、最も大きな違いが発生するのはシリウス・ブラックとピーター・ペティグリューを追い詰めた後のシーンです。 ルーピンが狼人間に変身した際、彼は自らを制御できず、ハリーを誤って噛んでしまいます。 ハリーは重傷を負いながらも、一命を取り留めますが、その体内に狼人間の呪いが宿ることに気づきません。
時間が経つにつれて、ハリーは自分の中に異常を感じ始めます。 夜になると異常に鋭くなる感覚、満月の前の数日間に感じる体の重さとイライラ。 彼はすぐに自分が狼人間になったことを知りますが、友人たちに告げる勇気がなく、恐怖と不安の中で一人苦しみます。
ルーピンは自らの行動を深く後悔し、彼の責任としてハリーを守ろうと決心します。 ルーピンは、ハリーに狼人間の呪いを抑制する「ウルフズベイン・ポーション」を飲ませるために、スネイプに協力を頼みます。 しかし、この薬には副作用があり、長期的には狼人間の苦しみを増す可能性があることが判明します。 この「脱狼薬問題」は物語の鍵となり、ハリーの身体的・精神的な苦悩が深まっていきます。
スネイプ教授は、表面上はハリーを嫌悪し続けますが、内心では彼をひそかに守ろうとしています。 スネイプはウルフズベイン・ポーションを調合する際に、ハリーの体に危害を加えることなく、彼を守るための最善策を探りますが、自らの感情と過去の憎しみに縛られているため、冷静な判断が揺らぎます。
スネイプはハリーの父ジェームズとの確執から抜け出せず、彼がジェームズの息子を救うことにためらいを感じる一方、ダンブルドアからの信頼や「命の借り」というスネイプ自身の強い倫理観が彼を葛藤させます。 この一連の過程で、スネイプはポーションに関して危険な選択肢を考え始めます。
ハリーは満月の夜、初めて狼人間に変身します。 彼はウルフズベイン・ポーションのおかげである程度の理性を保っていますが、内なる狼の本能が彼の意志を蝕み、凶暴化する寸前の状態に陥ります。 この時、ピーター・ペティグリューが現れ、ハリーをヴォルデモート側に引き入れようとします。 彼は「お前はすでに怪物だ。闇の力こそがお前に自由を与える」と誘惑します。
ハリーは自分の内なる闇と向き合わなければならなくなり、自分が父親と同じように「正義の味方」になれるかどうかに疑念を抱きます。 彼は狼人間である自分を受け入れることができず、自己嫌悪に苦しみます。 友人たちからも徐々に距離を置くようになり、孤立感を深めていきます。
ついに、シリウス、ルーピン、そしてハリーはピーター・ペティグリューとの最終対決に挑みます。 ペティグリューは、狼人間としてのハリーの力を暴走させ、彼を操ろうとしますが、ハリーは内なる狼と対峙し、「怪物」である自分を受け入れることで、強さと理性を取り戻します。 彼は自らの力を使ってペティグリューに立ち向かい、正義の側に立つことを選びます。
この戦いの中で、スネイプも現れ、最終的に彼の知識と技術がハリーを救う鍵となります。 スネイプは自らの過去の感情を乗り越え、ハリーの命を救うために重要な役割を果たします。 彼はハリーを守るために決断を下し、ウルフズベイン・ポーションの改良版を完成させ、ハリーが狼人間の呪いを制御できるようにします。
物語の最後、ハリーは狼人間としての運命を受け入れつつ、今後も正しい道を歩む決意を固めます。 彼は「自分がどんな力を持っていても、それをどう使うかが重要だ」と悟り、自らの意志で闇に屈することなく、前に進む道を選びます。
スネイプは依然として冷徹でありながらも、ハリーとの間に隠れた信頼感が生まれ、今後の物語の中で二人の関係がより複雑に発展していくことが暗示されます。
僕は真夜中の吉野家に立っていた。
外では小雨が降っていて、店内の蛍光灯が窓ガラスに映り込み、まるで平行世界の入り口のように見えた。店内は異様なほど混雑していて、僕はしばらくの間、ドアの近くで立ち尽くすしかなかった。
目を凝らすと、カウンターの上に「150円引き」と書かれた垂れ幕が見えた。そう、これが原因だったんだ。僕は小さくため息をついた。
150円。たった150円で、人々はこんなにも動くのか。普段は吉野家になど見向きもしない人たちが、今宵、この狭い空間に集まっている。まるで、月に一度の満月に吸い寄せられる獣たちのように。
ふと、僕の耳に会話が聞こえてきた。
「よーし、パパ特盛り頼んじゃうぞー」
家族連れだった。4人で吉野家か。彼らの顔には何か特別な日の喜びが浮かんでいる。でも、それは本当に喜びなのか、それとも社会が押し付けた幸せの形なのか。僕にはわからない。
吉野家は、もっと別の顔を持っているはずだ。殺伐とした、でも何か温かいものがある。向かいに座った見知らぬ人と、いつ言葉を交わしてもおかしくない。そんな独特の空気感。それが吉野家の本質じゃないだろうか。
やっとの思いで座れた僕の隣で、誰かが「大盛りつゆだくで」と注文した。その言葉を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。
つゆだく。それは今や、過去の遺物だ。かつて一世を風靡した言葉。でも、今はもう。時代は移り変わる。人々の好みも、流行も、すべてが変わっていく。
今、通の間で流行っているのは「ねぎだく」らしい。ねぎが多めで、その分肉が少ない。そこに大盛りの玉子。これが最強の組み合わせだとか。
でも、そんな注文をすれば、次からは店員にマークされる。諸刃の剣だ。
僕は黙って牛丼を口に運んだ。隣では相変わらず賑やかな声が続いている。僕はふと、自分が本当に何を求めてここに来たのか、考え始めていた。
それは牛丼だったのか、それとも失われた何かだったのか。
答えは、きっとこの牛丼の中にある。そう信じて、僕は箸を進めた。
特に気になったものだけ補足する。ちなみにこの文章は方言では書かない。方言って自然と出てくるものだから、文章書くときはコッテコテの人でも普通に書いてる。文章で書いている奴は大抵あえてやってるか、エセのどっちか。
今日び「辛い」「塩辛い」って言うのは、ほぼジジババ。そのジジババも加齢で味覚が鈍ってきてるから、そこまで「辛い」「塩辛い」って言わない。
「知らんけど」は日常的に使う。知らんけど
使いはするけど、使い方が違う。言葉の締めにはまず使わない。使うにしても「ネットとかでも周りでも使ってるから」ってノリの意味合いが強い。あえてやっているんで、方言だから自然に使ってるって感覚は薄い。
関西とか関係なく、そもそも「日本」は「にっぽん」とも読む。紙幣の裏にも「NIPPON GINKO」って書かれてる。
おにぎりせんべいが好き
関西中心に販売されてるから関東に比べればそうかもしれないけど、わざわざピックアップするほど「特別好き」ってほどではない。数あるお菓子の一つって認識の人が多い。
歩くのが速い
あくまで傾向の話として、って前提を踏まえても「人による」としか言えん。なんだったら関東の方が速い印象すらある。
「おもろい」と褒められると嬉しくなる
世間一般的に「おもろい(面白い)」自体が誉め言葉なんだから、ほとんどの人は言われたら嬉しい。わざわざ挙げるほどの特徴ではない。
よほど特別なイベントがない限り行かない。港区方面(天保山がある方)から行こうとすると、車でトンネル通るか電車で行くしかない。自転車の多い大阪で、自転車で行きにくいってのはちょっと不満。
阪急電車はなんかオシャレな感じがする
関東人の認識がどれくらいかは知らんけど、たこ焼きやお好み焼きほどは食べない。おにぎりせんべいよりは食べてる。
ペヤングは大阪のスーパーやコンビニでも普通に並ぶようになったので食べてないやつの方が珍しい。UFOも関東人が思ってるほどは頻繁には食べてない。「カップ焼きそばを一つだけ挙げるなら」って質問されたらUFOかなって程度で、実際に食べる割合としてはダントツってほどではない。袋麺タイプだったら日清焼きそば一強だけど。
「モータープールと銘打っている駐車場がいくつかある」っていったほうが正確。大阪の人も駐車場のことは普通に「駐車場」っていうことが多い。
今日のところはこれくらいにしといたるわ
池乃めだかの定番ギャグ。厳密には「今日はこれぐらいにしといたるわ!」なんだけど、池乃めだかも一言一句正確に言ってるとは限らないので別にいい。でもこのネタは負け惜しみの捨て台詞で用いられているので、なぜ元増田が締めの言葉にこれを選んだかは謎。
あと、ブコメで気になったのだと
満月ポンは「老若男女問わず、みんな好きで、みんな頻繁に食ってる」って類のお菓子ではない。おにぎりせんべいを特別好きってわけではないとは書いたけど、満月ポンと同列かといわれれば話にならない。カールかおにぎりせんべいかだったら、ちょっと悩むけども。
割合として関東より多いのは確かだけど、大阪で10人中5人いるかどうかってところ。奈良とかだとまた変わってくるかも。
総じて、他県が考える「関西人っぽさ」とか「大阪人っぽさ」って、現代ではかなり薄まってきてる。年寄なら、まあそれなりに体現できてる人もいるけど。若者はテレビの取材とかだったら舞い上がってサービスする子はいるかも。ネットの関西弁風の文章とかも、そういうロールプレイ、キャラづくりでやってる人がほとんど。
私はこの時をずっと待っていた。
船内は明らかに混乱していた。その証左に、私たち囚われ人の前に今朝から一度も奴らは現れていない。いつもは日が昇ると同時に私たちは奴らに鞭で追われて甲板に上がるのだが、今日はもう日が暮れようとしている。
もちろん、昨日から船がどこかの港に停泊しているということもあるのだろう。奴らの人数も、いつもが十だとしたら二か三くらいしかいない、そのような気配が感じられる。
折り重なるようにして寝ている私たちを、常に狙っていた火を吹く黒い筒も、据えられた台座の横にいるはずの者がいない。
私たちはあの黒い筒のと交換で、この船に押し込まれ、囚われの身となった。私たちとの争いに勝った部族の王は、降伏した私たちを奴らに引き渡して、あの人殺しの筒を買ったのだ。
私たちはずっと鎖で繋がれ、太陽の出ている間はろくな食い物も水も与えられず労務を課せられた。怪我人や病人は放っておかれ、その程度が重ければ海に捨てられた。そして日暮とともに船の底のほうの暗い場所に押し込まれ、繋がれたままほとんど眠れない夜を過ごした。
私も例外ではなかったが、一つだけ違うのは、足首に繋がれた鉄の輪が開くようになっていたことだ。最初に鍵をかけ忘れたらしい。
しかし私はそれに気づかないふりをし続けた。いつでも自由に走り出せると知っていながら、走り出しても撃ち殺されない時を待った。
目の前で何人も仲間が死んだ。病で。空腹で。極度の渇きで。奴らによる無意味な虐待で。犯された後に殺された男児もいた。
しかし私は足首の輪を外さなかった。歯を食いしばりながら、そこにある自由を見過ごし続けて時を待った。
そしてようやく、その時が訪れた。
奴らが「セントクリストファーネビス」と呼ぶ、この港に着いて一昼夜が経ち、明らかに奴らは何か別のことに気を取られていた。今日一日を日の当たらない船底で過ごした私は、漏れくる陽光の傾きと弱まりから日暮が近いのを知る。
完全に暗くなっては行動ができない。
奴らよりは夜目が利く私は、黄昏を待ってついに足輪を外す。まずは私と二人一組として繋がれていた男に、声を出さないように促しながら、行動開始を合図する。
そこからは今日一日かけて事前に打ち合わせしたとおりに事が運んだ。大きな物音を立てて番人をおびき寄せ、待ち構えた私たち二人で声が出ないように縊り殺し、鍵を奪って皆を自由にする。
甲板に登ったところで金網と棘の張り巡らされた壁があり、黒い筒を持った奴らが待ち構えているだけなので、私たちは船体の横腹に穴を開けて海へと直接逃げ込んだ。私たちの部族は幼い頃から泳ぎを学んでいることもあり、八十と六人全員が、雲を通す薄い月明かりの下、岸までたどり着くことができた。
その後は走った。街を離れ、ひたすら高い場所を目指して、首まである草地の中を走り続けた。船の方を振り返っても幸い気づかれた様子はなかったが、私たち皆は喜びに満ちた疾走をしばらくは止めなかった。止めたくなかった。
満月が雲から顔を出し、この島を照らし出す。私たちは島の全てが見渡せる高みにいた。遠く、忌まわしい船が見える。月が港の水面に映っている。
私たちはこの島で生きていくことになる。勝手のわからない新天地での暮らしは、簡単には安定しないだろう。しかし今私たちが成し遂げたことに比べたら大したことはないはずだ。もし奴らが私たちをもう一度捉えようと襲ってきても、今度は闘い、退けよう。
興奮が高揚に変わり、やがて静かに幸福感を噛み締め始めた頃には、私たちは自分がひどく疲れていることに気づいた。
年老いた者、幼き者から順に眠りにつく中、私はまだ立ったまま船のほうを見下ろしていた。
突然の轟音。大きな岩同士がぶつかるような音。
音のしたほうを見ても、何もない。正確には月の映った港の水面しかない。
音は一度止んだが、今度は岩と岩を擦り合わせる、悲鳴のような音が鳴り出す。大きく硬いもの同士が押し合ってお互いを破壊しようとしているような、破局的な音。
目を凝らすと、港の水面の端っこに映っている月が、岸を少しずつ削るようにして水面を拡げているように見える。ただの水面に映った影がそんなことができるはずがないのだが、そうとしか見えない。
やがて削られた岸は暗い淵のように開いていき、ある瞬間に突如港の水を飲み込み出した。
水は滑り落ちるように「淵」に落ちていき、引きずられるように港にあった船も吸い込まれていく。私たちを運んできたあの船も。
全ての水と船を飲み込むと、淵はいつの間にか消え、水面が無くなったことで月も空にしか存在しなくなった。
やがて月に変わるように太陽が空に現れた。
私たちは出口を見つけられたのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080533
https://web.archive.org/web/20170710055651/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201109
引越しの合間に、うっかり(?)安全地帯のコンサートに行きましたヨ!
@国際フォーラム
アレを見ると、正直人並みにクラクラするんですけど、
92年の「アンプラグド・ライブ」とか、アルバム「ニセモノ」「GROUND LOVE」あたり、
大好きなんですよ。
30代前半ごろの、隅から隅までエモーショナルな歌声は、ちょっとクセになる。
随分声質変わっちゃいましたけどね。
声質どころか、作品も風貌も言動も放つ雰囲気も、10数年の間にここまで大きくゆ
「安定」からしか生まれない、確かで貴重な物も沢山あると思うし、
「安定」からは決して生まれない、不確かで驚きに満ちた煌めきも、
同様に、沢山あると思ってしまう。
「無力の剣」が良かった。
「JUNK LAND」「太陽さん」「MR.LONELY」辺りも、聞けて良かった。
圧巻でした。
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作るものって、隠しきれないその人の本質まで暴き出すよなあ、と
しみじみ思う。
どっちがほんとの自分、とかじゃなくて。
皆、多面体。
1
日記---
どじっこを可愛く語って良いのは、二十歳までだと思うんですよ、、。
(なんだいきなり)
向かったわけです。
電車のがはやいんですけどね。バスでのんびり移動するのが好きなので。
で、約束の20分前にちゃんと最寄駅に到着して、銀行でお金をおろして
家の前まで来て、ハタと気付く。
かっ、鍵忘れてきとるやーーーーん!!!
もちろん新居にねー。
業者の方がめっちゃ良い人で、「大丈夫大丈夫」と御飯を食べながら
待っていて下さいました。
いえ、、罵ってください、、!寧ろ罵られたいです、、!!
に、、、妊娠検査薬、、、!!
「Piece」の1巻で、折口はるかが購入した「妊娠検査薬」、、!!
。。。なんていちいちフォローするのも変なので、しれっと片付けておきました。
色々ダメ過ぎる。
色んな人にお手伝いして貰って、もうほとんど段ボール片付きましたよ。
手伝って貰ったうえに、アシさんにまたお菓子を恵んでもらってしまったよ。
水まんじゅうも大好き。
あとは「動物っこ」っていうマカロン(の、クリームはさんでないやつ)
かっ可愛すぎる メロメロ
暇だと思われる。
1
日記---
台風大変でしたね。
RICOHの方が家に来て下さってる間に、電車がとまっちゃいましたよ。
ス、スミマセン。
他にも、帰宅困難者が周りにチラホラ。
北の方、くれぐれもお気を付け下さいね。
ずっと古いお家を借りて住んでたので、新居の新しい設備にボー然です。
お風呂にお湯がたまると、ポップで陽気な音楽が流れるんですよ。
頼んだわけでもないのに、テンションあげあげな、、
大好きな曲なのに。今日まで気付かなかった。
ポップで陽気過ぎて。
1
日記---
安眠確保!一安心。
「蜂の屋」の「まゆ最中」をくれました。
うわ~い(ほだされた)
今の街に何だかんだで長く住んでたので、
困ったな。ちょっと淋しいです。
私、元々リセット癖があるというか、「も~そろそろいいや、ハイお引越し~」的感覚で、
今の街は気に入ってたんでしょうね、
さすがに9年住んでると、あちらこちらに情が湧く。
元気な時に足しげく通う場所も、しんどい時にホッとできる場所も、
また一から築くのね。
夜中に、ニャンコ追いかけ回すのが好きだった。
懐っこいニャンコがいっぱいいたよ。
昼間のニャンコより夜のニャンコのが魅力的。
何だかとってもややこしい。気がする。
「ああ、こいつ困ってんだな」と思っておいて下さい。
やっぱスマホ欲しいなー。買うかなー。
1
日記---
う、、内腿がぁぁあぁアァ、、!歩き方変、って人に言われた。
しょっちゅう引越し繰り返したら、うっすらマッチョになれる気がするよ。
昨日は新居に新しい大きなベッドが入ったよ。何はなくとも安眠!安眠!
安眠確保!!と思ったら、家具屋さんがマットレスを忘れて来ちゃったよ。
ね、、寝れへんやーん。
って事に、和菓子屋のカフェにうどんを食べに行って気づいたよ。
さわやか~。
今年は満月なのね
か、片付けなきゃ。
(うん。昨日一日じゃ、どうにもならなかったのねー。
そもそも何で一日でどうにか出来ると思ったのか、、謎)
1
日記---
同じく、次号に出てくる卵料理。
美味しそうでしょう~食べたくなるでしょう~と、思ってたら、
編集さんが、にそっくりな「万惣」の「フルーツオムレツ」を食べに連れて行って
くれました。どーーん!
中はシュワシュワふわとろ。
あ~見てるだけで幸せ♡ 食べるけど!
アップしちゃうけど、普段はちゃんと地味な御飯作って食べてるよ~
と、母に向かって言っとこう。
野菜も食べてるよ~。
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おやつ---
次号のテーマは「卵」です。
アシさんが描いてくれた「目玉焼き」 うまいでしょう!(私が得意げ)
えーっと、来月10月13日発売予定の「Betsucomi 11月号」に載るよ。
お楽しみに~!
お楽しみに~!
気を付けて行ってきまーす!
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お仕事---
原稿ほぼ終了
作画中に消しゴムで消しちゃったヤツ)入れ直して、最終チェックして、
終わったぜ!やったぜ!祝うぜ!と浮かれて、アシスタントさん達と
お腹があまりにすいてて、ことごとく料理の写真を撮り忘れそうになる私達。
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バーニャカウダとチーズ入りエビチリ、豚肉と季節のお野菜醤油炒め。
豚肉~は大皿に盛り付けられた状態で撮りたかったのに撮り忘れ、
「だめだね~私達。どんだけお腹減ってんだー」なんて舌の根の乾かぬうちに
「たっ、卵かけご飯にしか見えへんやんけーーっ!!」by播州弁
うん、そうだね。日々、ちっぽけなネタの積み重ねだよね。
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どれもこれも美味しかった♡
おやすみなさい~(-_-)zzz
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ごはん---
かんぼうちょ~~っ
ちょっと淋しい。
あとは「ウォール・ストリート」と「武士の家計簿」と「マザーウォーター」も
借りてみた。
DVD借りてきて、アシスタントさんと作業しながら観る事多いんですけどね。
当たり前ですけど、手元見て仕事してますからね、テレビ画面なんて
ほとんど見てないわけですよ。
難しい。ほぼ捏造。
どれも、あとでゆっくり観てみよう。
いっぱい誤解してそうで、感想すら書けないや。
作業中にこっそり(?)抜け出して、ダッシュで美容院にも行って来た。
ショート飽きてきた。のばすかなー。
心配。速く通り過ぎておくれー。
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本・映画---
同じく北海道で買ってきたおつまみ系も、今日仕事場で開けてみた。
なのに、あと7枚も残ってる。
、、、、、、、、、、?
明日の私が、がんばる。
おやすみなさいー。
ぼんやり読んでたから11巻で気づいたけどアシガールってかなりかぐや姫ベースの話なんだね、満月の夜に帰れるところだけかと思ってた。
唯と尊なのは天上(月=現代)天下(地上=戦国)唯我独尊と、尊は竹の意味かな。羽木は竹取の翁、あと月と関連付けて萩?(萩月はかぐや姫が帰る旧暦8月)天野家の養子になってから羽木に嫁ぐのも天から翁へってこと?懐刀がタイムマシンの起動スイッチなのはたけとりの爺さんが竹を切る暗喩かな?
羽木(翁)から御月に変わるのは忠清と結婚して戦国で生きていくことを決めた唯(かぐや姫)にとってはそここそが永住する都である月になった、ってこと?
忠清の清には川を表すさんずいがあって唯はタダとも読むからお互いのことが入ってる。御月清永と唯で、月の都で永遠に忠清と唯が夫妻ニコイチで欠けることなく満月のように完璧になっている。
かぐや姫のモデルとされてる古事記の人物の大筒木垂根王の娘からアシガールのアシには葦(筒)もかけらてる?かぐや姫は竹通ってくるし。
お味噌汁に美味しい作る良い日は満月意外にないってそんなワケではないのでいつでも作って美味しいのよ山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ