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はてなキーワード: 物理とは

2024-12-27

anond:20241227123708

最後のは別によくない?

物理的に通れなかったって話なんだから巨乳云々じゃないでしょ

なんでそれを並べるのか分からん

どこが許せないのか判らない

青い鳥判決】→喧嘩両成敗って感じ。離婚したいならさせてやれよとは思うが。

 

【既婚男性女子高生不倫しても無罪】→相思相愛なら外からギャーギャー言う事じゃないだろ

 

巨乳無罪】→物理的に不可能 anond:20241227123708

エロ漫画が消されていく

kindleからエロ漫画がページごと消されていく

キンドルアンリミで毎月読んでたエロ漫画雑誌があったが

最近kindle版が出ない 物理は売ってる

 

今日なんかエロ漫画ランキングから商品ページに飛ぶと消えてる

どういうことだよ

もう終わりだよこの国

劣等感

どうやら俺、劣等感を克服してるわ

すごく不思議感覚言語化がしずらいが頑張ってみる。AIには頼らない。

 

ある日突然、というか先ほど、劣等感が無い自分に気が付いた

驚きですよ!いつのまにか消えてんの

それがいつなのか、具体的なきっかけがあったのかわからない、覚えてない、恐らく原因なんてなくて

ゆっくりといつのまにか消失していた。わお

 

10代から劣等感の塊だった。

ウチは貧乏だったしブサメンチビで特技も無くバカ

当然女にはモテない

モテモテないの次元ではない、女に相手にもされない

しかった

神を恨んだ

性格は曲がり人生を拗らせた、さら劣等感が増幅する

10代後半から20代前半、モテようと努力はした

筋トレやったり、髪の毛いじったり、服装にも気を使ったがなんら成果はなく20代中ごろで諦めた

運命を受け入れ惨めで哀れな生涯を全うする覚悟はでき始めていたが

それでも精神思考一枚岩ではない、時々猛烈な劣等感が襲い掛かる

涙を流したこともある

好きになった女性はいたが手が届くはずもない哀れな自分を嘆いた

当時よく見る夢があった。前に進もうとしても見えない力に押し戻され焦燥感が襲い掛かる。

叫びながら起きる

 

とはいえ30代にもなると客観的、冷静に自分を見つめることができるようになる、諦めの境地、プチ解脱

俺は個の幸福を追求し始めた

物理的、プリミティブな不快排除個体として最適な環境生活を追求

まり寒い暑い我慢しない、面倒くさいことはやらない、旨いものを食う

性欲はオナニー風俗

 

40代、俺はおおむね幸せだった

ブサメンチビで特技も無いバカ

それなりに稼ぐようになり、毎晩飲み歩き食い散らかす生活のお陰でブサメンチビで特技も無いバカデブになっていた

だが毎日そこそこ楽しかった

 

しかしまだ定期的に猛烈な、以前よりもパワーアップした劣等感に苛まれ

とはいえ、涙を流すのは年に一度か、数か月に一度程度に減った

 

そして50を過ぎ、考えてみれば性欲の喪失が大きい要因かもしれないが

もう何年も劣等感に襲われていないことに気が付き

よくよく考えるとそもそも劣等感が無い

いやまじで無いんだよ

精神的にニュートラルというか、他人他人でしょ?

他人からどう見られてもどーでもいいわ、みたいな

そもそも比べない、ガチでどうでもいい

俺にとって世間の人々は書き割りに過ぎない、ただの背景、モブ

 

思えば随分遠回りしてここにたどり着いた

普通の人はもっと早くに克服するんだろうが、俺はバカから時間かかったけど

俺もようやく到達できたわけで

うれしいなぁ

昔は毎晩見ていた悪夢ももう何年も見ていない

 

なんかね、凄くいい、わりと人生にも満足してるし、いいよこれ

2024-12-26

水星魔女 ラウダ・ニールクィア・ベイティング問題

機動戦士ガンダム 水星魔女』の最終回において、ラウダ・ニール地球移住し「ペトラそばにいたいんだ」と発言さら公式ガイドブックで「ペトラとの関係:周囲に知られないようにしていた」「ペトラに寄り添いながら自分の道を探している」と書かれていたことに対し、これまでラウダとその兄であるグエル・ジェタークとのカップリングを支持していたファンが、制作側によるクィア・ベイティングQueer-Baiting)である激怒する事態が発生しました。

以下にその事件の経緯とファンの主張をまとめます

事の経緯

グエル×ラウダ支持派の怒りとクィア・ベイティング主張

最終回の展開と公式ガイドブックの内容を受け、グエル×ラウダのカップリングを支持していたファン制作側の行為を「クィア・ベイティングであると強く非難しました。彼女らの主張は主に以下の点に集約されます

結論

この事件は、アニメ作品におけるキャラクター間の関係性に対するファンの期待と、制作側の意図との間に乖離が生じた結果と言えます。グエルとラウダの関係性を特別ものとして見ていたファンにとって、最終回の展開と公式ガイドブック記述は、制作側による突然の裏切り行為であり、クィア・ベイティングであると強く感じられたようです。この一件は、今後のアニメ制作において、LGBTQ+の要素を扱う際の慎重な配慮と、ファンとのコミュニケーション重要性を示唆する出来事となりました。

削除が無意味かどうか

結論からして「わからない」が答えにしかならない

増田の削除が以下の方式なのかがわからないので

もちろん最初論理削除をして、何ヶ月かおきにメンテナンス作業物理削除する運用も考えられる

どっちにしても次の存在で無力化するおそれも

みんなも使っているarchiveだとかのウェブ魚拓による存在で、仮に削除しても無駄になることが多い

ただしそうした魚拓を全部が全部とってもただのリソース無駄しかないのと、仮に人気で残そうとしてもウェブ魚拓の永続性には疑問が残る

結局こうなる

anond:20241225185858

なぜ、人工子宮と、国による子育てを推進し、親の肉体的負担ゼロにしようとしないのだろう。

金銭いくら配ったって、24時間365日子育てするなんて、仕事抱えた普通の人には無理だよ。

少なくとも私には無理。出産とか怖くて無理(物理的にも、仕事ブランクできるのも)だし、子供を正しく育てられる自信もない。

お金なんて要らないから、まずは人工子宮開発に全振りしてほしい。

2024-12-24

anond:20241224170509

本来の論旨に関係いか別にこっちが間違いでもなんでもいいけど、横からでもなんか一か所否定しないと気が済まないのな

まず、たった1行の説明を同じぐらいの文字数説明しなおしてるんだから要約なわけないでしょ

(3)の要約をしたんじゃなくて、記事全体でドルコスト平均法に対して言いたいことをまとめたと理解してくれ

内容が大きく間違ってるわけでもないのに、わざわざ横から指摘して批判するほどのことか?

記事が言ってることは、「リスク低減するからドルコストなんです」って言ってる人に

リスク意味わかってるか?ドルコスト平均法は序盤は確かにリスクは小さくなるけど、ある程度金を持った後は結局リスクはでかいぞ」って警鐘を鳴らしてるって話でしょ?

だったら、やまげんさんに「「「ドルコスト平均法は確かにリスクを低減をするが、リスクが下がるから安心だと過信するな」」っていう

俺のまとめは間違ってるのかって聞いたら、別に「間違ってない」って言うと思うぞ(物理的に聞けないけどな…)

2024-12-23

anond:20241223130130

七聖召喚しない? 完全無料なのにクッソよくできてるぞ

まあ環境デッキみたいなのはあるけど6週間ごとに微調整やカード追加は入る

過去猛威をふるった聖骸鯨や今の九仙水みたいなガチの対戦デッキと当たるとしぶとくて時間もかかるしダルい

少なくとも構築やプレイングをいろいろ考える余地はあるぞ

手札の引きやダイスに左右される部分はあるがやろうと思えば不確定要素を減らす組み方もできるし

それなりに納得感のある作りになってることは保証しよう

中国では物理カード版も発売されたそうだ

2024-12-22

anond:20241222072547

IT周りも肉体労働で支えられることなんて、絶対意識してなさそう

サーバーとか物理的にクソ重いしな

DQⅢのレビュー見て改めて思ったんだけど、RPGってゲームとしてかなり特殊だよね

他のゲームって「スポーツ」に近い所があって、学習して技術を磨いていきプレイヤーが成長していくって作りじゃん?

でもRPGって「プチプチ潰し」みたいな「作業」なんだよね。

ノベルゲームが「遊戯」というよりも「読書であるかのように、RPGっていうのはゲームというジャンルでありながらそこに「競技性」が全く無いんだよね。

ひたすらレベルを上げ続けて最後物理で殴ればいいだけ。

ARPGなんかはアクションゲーム競技性を薄めるためにRPG要素を利用してるけど、純粋RPGはもう完全に競技ではない。

楽ちんモードが一時期批判されていたけど、ぶっちゃけ茨の道を選んだ所でやることはひたすらレベルを上げて殴るだけなんだから、他のゲームからすれば楽ちんモードとのゲーム性の差は誤差レベルなんだよね。

やっぱRPGって凄いわ。

ゲームであるかのように見せかけながらもゲームでない何か。

それを完璧に極めた形がドラクエシリーズであって、その究極系が楽ちんモードなわけだな。

DQってのは結局のところ最初からある意味で楽ちんモードだったって話なんだろうね。

昔どっかのインタビューで「ゲームを始めてやるオバちゃんでもいつかはクリア出来ることを目指した」みたいな話してたもんなあ。

装備という概念理解できずにレベルを上げてひのきのぼう竜王を倒した人もいるとかなんとか。

レベルを上げるだけじゃクリア出来ないような作りのRPGもあるにはあるけど、ああいうのって結局のところは逆張りなんだろうな。

勘違いしてほしくないから一応言っておくけど、「RPGなんて結局はどれも楽ちんモードしかない」ってのは別に悪い意味で言ったわけじゃないからね。

誰でもクリア出来るゲームであることはなにも悪いことじゃない。

しろ「こんな難しいゲームクリア出来る俺様凄すぎぃぃぃぃぃぃ!!!」とか調子こいてる奴らの方がゲームという遊びを誤解してる。

ゲームってのは結局のところはヒーローごっこをするための玩具であって、そこに存在する手応えも最終的には「子どもの遊び相手を上手に勤める保育ロボット」みたいなもんでしかいから。

そこにユーザー事に求めるバランスがあるってだけの話なんだが、そのレベルを極限まで下げた上で「遊びとしては成立するライン」を維持するっていうのは凄いことだよ。

2024-12-21

ウォーターフォール開発者ユーザーではない開発者

最近分かったけれどウォーターフォールアジャイルの違いって開発者ユーザーかどうかの違いなんだよな

開発者自身が作っているソフトウェアユーザーだと、使っているうちに仕様の変更に自然と気付くし

ユーザーの状況・環境の変化や社会技術の変化によって仕様が変わるのは避けられないっていうことに気付くから

最初仕様を固めるウォーターフォールのやり方は根本的に間違えてると分かるんだけど

ユーザーじゃない人は他の観点(開発工数とか予算とか)に左右されるから仕様を固めようとする

そもそも人間が使う以上は仕様なんて変わるのが当たり前なんだけど、それから目を反らしてるのがウォーターフォール

ちゃんと向き合ってるのがアジャイルっていう整理がつく

よく家とか車とかはウォーターフォールで作る、みたいなこと言うけど

設計だって建築する人だってその家に住むわけじゃ無いか仕様の変更っていう観点を持たないっていうだけだよね

家に住んでると「やっぱりこうすれば良かった」とか「趣味が変わって部屋が必要になった」みたいな仕様変更は当たり前で

物理的に建て直すことができないか我慢してるに過ぎない

自動車についても状況の変化や想定外によって仕様変更は当たり前だけど買い替えという形で対応してるし

それが金銭的に難しい人は我慢してる

自動車中古車市場が充実してるからローンで買うのが正解というのはこの辺の買い替え需要もあるよね

一方でソフトウェアだと大半の場合仕様変更に対して「技術的に」対応することは可能なんだけど

ウォーターフォールと金銭的な問題で作り直しになることが多いし

自動車みたいな汎用物じゃなくて専用設計で一から作り直すことになるからコストが割に合わないことがほとんど

なので、その仕様変更に最大限満たそうとするのがアジャイル開発で、そのために必要なのが動いているコードコミュニケーションリスクの共有

こういう事情を分かって無い人が「ウォーターフォール必要」って言うけど、必要ではなくて諦めてるだけだよね

孤独なまま「狂わずに」人生過ごすには?

まさに説明は正しいと思う。

人は、誰にも必要とされなくなると、狂うんだ。

物理的に人間関係が断絶してても、誰かに必要とされてれば、狂わない。

恋人がいないどころか、女性と手を繋いだ経験もないまま大人になった。

——そして、ここがみんなと違う所なんだけど・・・友達もいない。

ネットでも知り合いを作らずに、40代になった。

どうすれば誰にも必要とされないまま「狂わずに」人生を過ごせるのか・・・

anond:20241221020738

目を覚させてくれてありがとう。確かに俺は精神分裂のような症状があって、症状の波が落ち込んだとき現実がよくわからなくなってしまうみたいです。

私は今、暗い病室の一角からこれを書いていますテレビ冷蔵庫もなにもない部屋だけど、自分のことを医者と名乗ったおじさんが、ipadとえんぴつを置いていってくれました。

仲の良い彼氏持ちの友達だと思っていた人は、よく俺に優しくしてくれた看護師のお姉さんだったみたいです。ちなみに25歳で、多分おっぱいが大きくて、歯並び悪いところが右上のところに一箇所だけあって、コンシーラーが雑だと今日宿直だったんだなとわかります

でも仲が良くて彼氏持ちなのは本当です。俺は他の収容者と比べると普通の会話ができるほうで、彼女と話すこともありました。

そして確かに彼女は寂しがっていたんです。そうじゃないですか。ひとはみな、失ったへその緒をずっと求めています。ここで色々な男の面倒を見ている彼女は、不安になって、自分の理性の拠り所を私に求めている。そんな気がするのです。彼女の涙をあなたは見ていないでしょう。

私も見ていません。しかし、涙は物理的なものではありません。精神的な涙を流すのです。岩から清水が滲み出るように、それは美しいものです。もし腕が自由に動かせたら、足や体がこんなバンドで拘束されていなかったら、彼女を慰めてあげられるのですが。

2024-12-20

狂わないように、複数社会チャンネルと繋がって、それぞれと自分距離を確かめ続けることだ

それをしないと、自分が少しおかしくなりかけた時に、自分で気付くことも、誰かに指摘されることもなくなる

結局のところ、所属している社会の中で絶えず人間物理的にも精神的にも移動しており、その中で自分ポジションがどこに当たるかの問題なのだ

数々の仮想人格たちが現実組織に消されていく様を見ると

やっぱり現実物理)最強なんだなとしみじみ思う

2024-12-19

anond:20241219223536

正直、そのコメントは表面的な解決策に終始しているように見える。

かに環境思考や再エネ強化は間違いじゃないし、個人EVへの懐疑的視点も分からなくはないけど、そこから「だから、全部電車でいい」と飛躍するのは乱暴すぎるんじゃないか

そもそも個人EVは今の技術だけで固定されるわけじゃない。

バッテリーの素材革新リサイクル技術、軽量化や充電インフラ改善など、課題は山積みかもしれないが、それを解決しようとする動きは確実に進んでいる。

停滞してるわけじゃないんだ。

大容量電池環境破壊、すぐ劣化、で思考停止するのは、まるで何十年も前の常識を引きずっているように感じる。

「すべてを電車カバー」って言うけど、それこそインフラ投資社会のあり方を大規模に変える必要がある。

線路簡単に引けるわけじゃないし、物理的・経済的政治的ハードルEV普及どころじゃない。

一方で、EV公共交通ハイブリッドモデルだってありえる。

例えば、地域用途に応じてEVシェアを拡大し、長距離移動は鉄道網やバス高速輸送(BRT)を整備することで、効率的なモビリティエコシステムを作る道もある。

夜間に太陽光発電が止まることを理由に「電車なら夜動かなくても同じ」と言うのは、昼間の余剰電力を蓄電する技術グリッド調整、再エネ以外のクリーン電源との組み合わせなど、すでに現場で進められている取り組みを無視しているようなものだ。

要は、EVけが正解でもなければ、鉄道一本槍が万能でもない。

その中間に、地域シナリオごとにベストミックスを考える余地があるはずだ。

炭素社会を目指すなら、技術開発やインフラ整備、エネルギーマネジメント多面的に組み合わせる必要がある。「EVは要らない」と言い切るよりも、EV課題にどう対処し、公共交通とのバランスをどう取るかを考える方が、ずっと建設的だと思うんだが、どうだろう?

人権派」の家に育って

私の両親は、いわゆる、「人権派」、活動家だった。

もっと正確に言うと、人権派陰謀論者の中間、あるいは地域名物おじさんみたいなものだった。

父は予備校塾の講師、母はデザイナーだった。

この家に育って何が起きたか

物理的な虐待とか、経済的困窮とかそういうことは、当然ない。

それは認めるし、親としては感謝している。

だが、私はこの家に育って、世間とまったく感性が通じないというか、後天的コミュ障のような人間になった。

少し前に、発達障害者の人たちが「健常者エミュレーター」という概念を紹介していたが、それを見た時、私は膝を打った。

また、統一協会エホバの証人二世問題について知った時、私はこれに近いんじゃないかと思った。

自分世間から見て「おかしい」ことはわかっている。だが、私に植え付けられた何かが、「いや世間なんて」と茶々を入れ続ける。

私の両親は、あらゆる凶悪事件がまるで発生していないか、あるいはまるで被疑者英雄みたいに私に話すのだった。

大きな例を挙げると、神戸連続殺傷事件酒鬼薔薇)について、両親は冤罪説、つまり少年A犯人ではないということをしきりに唱えていて、まだ小さかった私にも、「これは嘘なんだよ」「警察はしっかり調べていないんだよ」と吹き込んだ。

池田小の事件も、父親死刑廃止について盛んに唱えていた。

私の父は予備校会報講師たちの同人誌か、そういう冊子に、そのことをずっと書いていた。そしてそれを小学生の私に読ませた。

食卓悲惨ニュースを見ながら、「〇〇ちゃんは、人の心について考えられる人間になってね」と、両親は笑顔で私に話しかけるのだった。だが、「人の心について考えられる」というのは、イコール死刑廃止活動やあらゆる有名な事件まとわりつく陰謀論に近い冤罪説を信じろ、ということだった。

母は、左翼地方議員勝手連みたいなことをやっていて、時々家が集会場所となった。学校から帰ると、おばあさんとかおばさんが五人くらい集まっていて、きついコロン香りを漂わせていた。

別に悪い人たちではない。本当なら、私よりもずっと世間に貢献している人なのだろう。お菓子お土産とかもいっぱいもらった。だが、結局のところ、ある宗教座談会人権版が家で行われているのと変わらない。そしてこの集まりから何か発展的なことが生まれたようにも見えない。

こういう家に育って、私は中学生のころまで、いわゆる純粋培養で育った。親の言うことが全てという世界で。

極端に聞こえるかもしれないが、世間のあらゆる犯罪は、冤罪であるか、犯人の非ではない何かの理由があって発生した者であり、警察政府は悪。端的にそう言う世界だった。

ネット上には、死刑廃止運動に絡めて、ある左翼議員が、「殺されてしまった人よりは、生きている犯人人権の方が大切なのだから」と発言した、という情報がある。実際はその議員はそんな発言をしていないらしいのだが。

しかし私の両親は実際、そういう価値観だったとしか思えない。

私が初めて、ちょっとした疑問を覚えたのは、小学校高学年の時だった。

それまで放課後開けていた小学校の校門や校庭を、これからは明確に管理しようという話が、小学校で出たらしい。

しかし、私の両親、特に母親が待ったをかけた。というより、その現場居合わせた。

母親はその情報を知るや否や、私もつれて、なんと校長面談を申し入れた。

私は校長室の革椅子に座って、横で母親が延々と「開かれた学校という理念はどうしているのか」「治安というのはつまり何を基準に申しているのか」と校長にまくし立てていたのを覚えている。

なぜ私がそこに連れていかれる必要があったのか、そして半分笑顔でねちねちと喋り続ける母の姿は、子供ながらに、不安だった。その時はそういう言葉を知らなかったが、今考えると、敬語を使うだけのモンスターペアレントではないか、と思う。

そして自分世間と徐々に乖離していると気づいたのは、中学校に上がってからだった。

両親。家の食卓で両親がわざわざ解説してくれるニュース。両親が取ってる新聞。送られてくる雑誌友達漫画。それだけが全てだった私に、携帯電話が買い与えられた。

そして私は、「世間」がどういう理念で動いているかを知った。

両親は万能ではなかったし、全てではなかった。むしろピエロの様な、少数者だった。

だが私はそれを知っても、どう処理すればよいかからなかった。

「いい?憲法にはこう書いてある」と両親は時々言っていた。多分、世間一般の人々より、両親は「知的階級」だ。良いことを言っている。正しいことをしている。多分。恐らく。

だが、世間はそう動いていない。そう育てられた私に対しても。

大学生となり家を出て、私は飲み会に行った。

そこで、当時話題になっていた、ある凶悪犯罪揶揄するネタを余興としてやる男性がいた。

私は、今考えると、自分でもわからないのだが、「そういうのはやめた方が良いよ。まだ犯人だって決まったわけじゃない」と真顔で伝えた。

場はしらけ、そして私は飲み会に呼ばれなくなった。

SNSなら、これはリベラル的な武勇伝となるのだろう。だが私は、はっきり言って、普通に、なりたかった。

人権は、そしてそれを擁護する存在重要だろう。犯罪だとか治安だとかに対して、「疑う」ことは重要だろう。だが、それは、宗教と同じく、大人になってから自分で学ぶべきことだったのではないか

anond:20241219152516

杞憂という言葉は、文字面の単純さを超えて、思索反省対象となるべき哲学的文化的心理的深淵を秘めている。それは「不必要心配」や「ありもしないことへの過剰な恐れ」といった単なる辞書定義を超え、人間存在のものに内在する不安構造や、思考限界を暗示する概念である。この言葉起源を辿りつつ、その背後にある多層的な意味を探ると、杞憂という語は一つの寓話的なシンボルとして、私たち精神的地平を照らし出す。

語源:杞国の憂慮、あるいは空の崩壊寓話

杞憂」は中国古代典籍列子』の「天瑞篇」に由来する。物語舞台は杞(き)という小国である。そこに住む一人の男が、「天が崩れ落ちてきたらどうしよう」と絶えず恐れていた。その恐怖のために、彼は食事も喉を通らず、夜も眠れなかったという。この杞の男を見かねた人が、「天とは何か」と理性的説明を施す。曰く、「天は空気の層であり、その性質からして崩れ落ちることはあり得ない」と。しかし、この説明を聞いた杞の男の恐怖は一向に収まることがなかった。彼は依然として「では、大地は崩れるのではないか」と新たな恐怖を生み出したという。

寓話構造:虚空と恐怖の連鎖

この逸話を素朴な道徳的教訓や人間の愚かさの象徴と捉えることは容易だが、それはこの物語本質単純化しすぎるだろう。杞憂の核心には、存在論的な問いが潜んでいる。すなわち、「我々は何を恐れ、そしてその恐れの根拠は何か」という問題である

 

杞の男が恐れていたのは、「天が落ちる」という一見荒唐無稽事態であったが、彼の恐れの本質は、物理的な事象に対するものではなく、「秩序が崩壊することへの恐怖」だったと言える。天と地というのは、古代中国宇宙論では根本的な秩序の象徴である。天が落ち、大地が裂けることは、自然界の崩壊のみならず、存在のものが瓦解することを意味する。したがって、この恐怖は単なる無知や杞の男個人の愚かさに還元されるものではなく、人間が持つ「根源的不安(existential anxiety)」の表出である

杞憂の背景にある象徴性とメタファー

杞憂という概念には、複数レベルでのメタファーが隠されている。そのいくつかを抽出しよう。

空(天)が落ちるという恐怖は、現代的に翻訳するならば、我々が宇宙自然の安定性を信頼することの脆弱さを示している。宇宙論スケールで考えると、杞憂ブラックホール蒸発や熱的死といった現代物理学の概念に通じる、秩序の不安定性に対する漠然とした恐れとさえ言える。

大地が裂けるという杞の男の第二の恐怖は、社会文化の基盤が崩壊することへの比喩とも読める。歴史的には、革命戦争経済的崩壊予兆として、こうした恐怖が群衆心理支配した例が数多く存在する。

杞憂本質的な特徴は、恐怖が「自己生成的」である点にある。杞の男が「天は落ちない」と説明されてもなお「大地が裂ける」と新たな恐怖を抱いたように、恐れというのは理性による説明をすり抜け、次々と新しい対象を生み出す。この現象は、心理学で言うところの「一般不安障害(GAD: Generalized Anxiety Disorder)」に近いものであり、人間が恐怖を必要とする存在であることを暗示している。

杞憂文化的解釈制御不可能性との対峙

杞憂」という言葉文化的意義は、人間が「未知」や「制御不可能性」に直面した際の反応を考える契機を提供する点にある。杞の男の恐れが批判されるのは、それが非合理的無用であるからという理由に加え、その恐れが「何の行動も生み出さない」からだ。しかし、この逸話現代人にも重要な問いを投げかける。我々が杞の男と同様に、漠然とした不安に囚われている時、それを「無駄」と切り捨てるだけでよいのだろうか?

 

たとえば、気候変動やAIの台頭といった現代課題を巡る不安の多くもまた、杞憂として一蹴されることがある。しかし、それが真の杞憂なのか、それとも未来への警鐘なのかを判断するには、慎重な検討必要である杞憂は時として、無意味心配ではなく、行動を促す予兆でもあり得るのだ。

結論杞憂哲学的教訓

杞憂」とは、表面的には「不必要心配」を示すが、その奥には、不安という人間の根源的条件」が反映されている。杞の男の恐怖は、無知や愚かさの象徴であるだけでなく、存在根底に潜む不確実性、そして我々がそれにどう向き合うかを問う寓話的な警句でもある。

 

言い換えれば、杞憂とは、我々が避けて通れない「虚無」と「秩序崩壊への恐れ」の象徴であり、それを通じて、不安にどう対処すべきかという哲学的実践的な問いを私たちに投げかけていると言えるだろう。

暇空茜が敗訴するたびに読みたい木多康昭さんの名文

あのころ、確かにオタクは暇空に夢中だった

知らない人に解説しよう

なぜ、ひまそらあかねを支持するといっただけで

鬼のよう嫌がらせがくるのか🥶

ひまそらあかね日本の歴史上ではじめて

左翼利権に突っ込んで無傷で帰ってきた漢である

①働き先に電話をする

関係先に電話する

家族嫌がらせをする

物理的な攻撃をする

人権屋十八番が彼には通じないのである

ひまそらあかね

現在働く必要のない富裕層

独身であり

・仲間をつくらず単独で戦い

・行動力があり

妥協せず

・何しろ本当に頭がキレる

・姿をみせず代理人弁護士を使い司法の力という

一本刀で戦う彼には物理攻撃も難しい

・そして彼が使った司法の力により

左翼利権を剥がす事に成功し始めているか

人権村の住人は彼が悪くて悪くて仕方ないのである

から現在人権屋十八番の「②関係先…」

うっすい、うっすい本人の顔もしらない

ただ支持しているという関係だけに

嫌がらせをしているのである

※こんなエキセントリック集団相手にするのは

本当に恐ろしい事なので有名人本名の方は

リツイートいいね

絶対にしないで下さい😘

https://x.com/kitayasuaki/status/1809528332083687812

anond:20241217182342

毒親毒親でないかだけで言うなら、おそらく毒親だろうとは思う。

でも、毒親=愛がない では決してないんよね。

愛はあっても毒親な親は普通にいる。愛もない毒親よりはまだいいのかもしれないけども、毒が強い時点で、やはり程よい距離(精神的にも、物理的にも)を取って接しないと、毒にあてられてしんどい目に合うことになる。

まぁ、いい夫さんいらっしゃるようだし、子供のことは夫さんに相談しながらやっていけばいいんじゃないかなぁ。

anond:20241219012144

私も大学生で親と距離を置こうとしてます

ある制度を使って金銭的にも物理的にも距離を置けたので頑張って暮らしてみます

2024-12-18

anond:20241218194502

投資資材としてのアートはどうでもいい・捕まればいいのにだけど

 

アート文化で娯楽なのでそちら方面ではフツーに価値があるだろう

ラーメンだって流行りの店/こだわりの店っていう情報以外に

味わうという物理的な体験が出来る実態がある訳でおすし

コンテキスト理解してなくたって、

鑑賞することで、視覚聴覚、触覚などを通して直接的な体験は出来るじゃん

 

それで直感的に好みに合わねーだったらそれでいいのよ

無化調ラーメンは味緩くて好きじゃない的な

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