はてなキーワード: 犯人とは
脳みそが足りないクソフェミは本当に気がくるっているんだよね。
バルミ
@barubarumi
4時間
自衛してるんだよな。
割と最初から状況的に不可能であると示唆されており、メディアでも出てんのにエックスランド民にはミソジニーの湯だのなんだの言われ海外にまでデマを流される始末。
新井がミスで証拠残してなかったら明確な立証は難しかったかもしれんな。
https://x.com/barubarumi/status/1873233665033159138
たゃ✌️😉
@o_otyanno_no2
なら女に近づかないでくださいwwww
@shumiyo820399
1時間
この事件は女から近付いたんだけど、女は政治家にならせないって事でいいのか?
たゃ✌️😉
@o_otyanno_no2
なら女に近づかないでくださいwwww
https://x.com/o_otyanno_no2/status/1872894265715769351
@BCAA20000
なんの証拠もなく女がひと言強姦されたと言えば、男は5年も戦わないといけない。
これ、本当の一般市民だったら無理だよ、戦えない。本当にこの女や当時証拠もなく草津や町長を攻撃した連中は人類の敵だし、全女性の敵。本来はもっともっと深掘りすべきだろ。これがあってもまだ、疑惑段階で犯人扱いしてるニュースも沢山ある。
本当に許せない事件だよ。
@livedoornews
【ポストセブン報道】群馬・草津町長による性加害は冤罪 虚偽の告発と戦った5年間
https://news-postseven.com/archives/20241225_2012439.html?DETAIL
「セカンドレイプの町」といった汚名を着せられていたが、「町長と肉体関係を持った」とする元町議からの告白が虚偽だったことが判明。冤罪の証明に5年かかったという。
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以前「夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る」という記事を書いたのだが、いろいろ追記することがあったので改めて整理しなおそうと思う。
大雑把に言えば、この「夏目漱石が I love you を月が綺麗ですねと訳した」という話は、
に分解できる。ひとつずつ追っていこう。
まず、夏目漱石は「I love youは日本語にない表現である」と書き残している。これは漱石のイギリス留学時代である1901年から1902年にかけて書き留められたメモ書きの一つで、ジョージ・メレディスの『Vittoria』という小説に言及したものである。ただし、この台詞はヴィットリア(Vittoria)がラウラ夫人(Signora Laura)に向けて言った台詞なので、恋愛の「I love you」ではなく親愛の「I love you」である。
formula ノ差西洋日本 “I will excuse myself to you another time,” said Vittoria. “I love you, Signora Laura.”――Vittoria p. 113. 此 I love you ハ日本ニナキ formula ナリ.
1908年の『明治学報』に掲載された、上田敏の「予の観たる欧米各国」という講演の書き起こしにも、同様に「I love youは訳せない」というような記述がある。上田敏は高名な英文学者で「山のあなたの空遠く幸住むと人のいふ」や「秋の日のヴィオロンのためいきの」などの詩訳で知られる。漱石よりは年下だが、同時期に東京帝国大学で教鞭をとっていたこともあり、文学論を語り合う仲だった。
日本では「我汝を愛す」と云ふことは言へない、日本では何と云ふかと云ふと、「私アナタに惣れました」と云ふ、それでは「アイ、ラブ、ユー」と云ふことに当らない、「我汝を愛する俯仰天地に愧ず」それはどう云ふたら宜いか、(笑声起る)、所が「私はアナタに惣れました」といふことは日本語ではない、さういふ日本語は昔からないです、だから日本ではそれをパラフレーズするか、或はペリプラスチック、言廻はして、「誠にアナタはよい人だ」とか何とか云ふ工合に云ふより外言ひ方はない、「私はアナタが好です」と云ふと何だか芝居が好きだとか、御鮨が好だとか云ふやうになつて悪いです
同じく1908年に劇作家の益田太郎冠者という人物も次のように書いている。
欧羅巴人にはアイ・ラブ・ユーといつた、美しい詞があり、此の詞の中には、女の身上を刺激する意味が十分に含まれて居るが、日本人には斯ういふ詞が無く、その上「言はぬは言ふにいや優る」などといふ事が古来から上品としてあつて、万事詞が引込み思案になつて居るのです。
やや遅れるが、1922年に刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村『近代の恋愛観』にも、同様の主張が書かれている。厨川白村は漱石の教え子で、恋愛観について議論を交わしたこともあったという。
日本語には英語の『ラブ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you" や "Je t'aime" に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。さう云ふ英語や佛蘭西語にある言語感情が、全く日本語では出ないのある。『わたしあなたを愛してよ』、『わたしや、あなたにいろはにほの字よ』では、まるで成つて居ない。言葉が無いのは、それによつて現はさるべき思想が無いからだ。
以上からすると、夏目漱石が最初に言い出したかどうかはともかく、この時期にさまざまな人が「I love youは日本語に訳せない」と主張していたことは確かなようである。
そしてこの「I love youは訳せない」という話から「月が綺麗ですね」が派生する。いまのところ見つけられたかぎりでは、1927年の『帝人タイムス』に掲載されたコラム「東方へ」での記述が最も古かった。
西洋デハ人ノ表情ガ露骨デアツテ 例ヘバ恋ヲ囁クニモ 真正面カラ アイラヴユー ト斬込ムガ 日本デハ 良イお月デスネー ト言フ調子デ 後ハ眼ト素振リニ物ヲ言ハス
1935年刊行の笠間杲雄『沙漠の国』にもそうした表現がある。元になった記事が雑誌に掲載されたのは1926年ごろのようなので帝人タイムスの記事より早いかもしれない。
第一、欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味を外国人に答へると、然らばあなた方日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉で意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。
以降も「月が綺麗ですね」という話は散見される。たとえば1950年の雑誌『英語研究』。
月下に若い男女が語らい合つている. 男が女に愛の言葉をささやくとして, この場合の純日本的な表現は今夜はいい月ですねえ!ということであり, 女がほんとうにいい月ですこと!といつたとすれば, それは男の愛を受け入れたことになる.
1957年の雑誌『産業と産業人』の対談記事「ニッポン居よいか住みよいか」。
三宅 その言葉が昔からないんだね。向うはアイ・ラブ・ユウ、実に簡単ですよ。ところが日本はそういう表現はない。「ああいい月ですな」というのが、ほれたと翻訳しなきゃならんのだ。(笑)
大山 「いい月ですね」ってそのくらいのことは言われたような気がしますけど……。(笑)
1961年の早川東三『じゃぱん紳士周遊記』。こちらは「月が青いですね」である。
ドイツ人学生が日本の女の子に夢中になった。日本語で愛の告白は何と言うのだい、と切なそうに聞くから、「われわれは皆んな詩人だからね、イヒ・リーベ・ディヒ(わたしはお前を愛する)なんて散文的なことは言わない。月が青いですねと言うんだ」と教えてやったが、ご使用に及んだかどうかは知らない。
1962年『日本人の知恵』。これは朝日新聞に連載された記事をまとめたものらしい。
さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、
「私はあなたを愛しています(I love you)」
などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、
「いいお月さんですね」
そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。
以上のように、戦後にも「I love youは訳せない」や「月が綺麗ですね」はそれなりに広まっていたと思われるが、しかし、この時点ではまだ夏目漱石とは結びついていなかった。
それらの話を夏目漱石と結びつけたのは、おそらくSF作家の豊田有恒だろう。たとえば1978年の『SF文迷論入門』(雑誌掲載は1977年)では以下のように書かれているが、他のいくつかの著作でも同様のことを書いており、いわゆる「持ちネタ」のようなものだったことが窺える。
明治時代に、夏目漱石が、学生に、I love you を、どう訳すか、質問した。学生は、明治時代だから、我なんじを愛すというようなことを答えた。漱石は、怒って、一喝した。おまえら、日本人か? 日本人は、そんな、いけ図図しいことは言わないんだ。I love you というのは、日本語では、月がとっても蒼いなあ、と、こう訳すものだ、って言ったろ。
ほぼ同時期に、つかこうへいが小田島雄平との対談で同様のエピソードを語っているが、こちらの記事の初出は1978年なので豊田有恒よりも後ではある。つかこうへいが豊田有恒の記述を読んだのか、それとも共通の元ネタがまだどこかにあるのか。
古くは夏目漱石が I love you はどう訳せるかって言ったという有名な話がありますよね。生徒たちがそれは「愛してます」って訳すると言ったら、夏目漱石が教壇からばかやろうとどなりつけて、「月がとっても青いから」って訳すのだと言った話がありますけど、そういう翻訳のリアリティーっていいますか、それは、時代とともにいろいろ変わっていってるんでしょうね。
以降の流れは「月が綺麗ですね・死んでもいいわ」検証に詳しい。
ツルゲーネフの『片恋』における「Yours」という台詞を二葉亭四迷が「死んでも可いわ…」と訳したという話を、「二葉亭四迷がI love youを死んでもいいわと訳した」に変形させた犯人探しも行われているが、それはおそらく土岐善麿だろう。1957年の『ことば随筆』にこう書かれている。
「アイ・ラブ・ユウ」を日本語に直訳すれば「われ、なんじを愛す」であろうが、二葉亭四迷はそれを「死んでもいいわ」と表現したことがある。ツルゲーネフの「あいびき」の中にあるのを読んで、その訳しぶりのすばらしさにおどろいた記憶がある。
この記述は、のちに金田一春彦がいくつかの著書で引用しており、そのあたりから広がっていったのだろう。たとえば金田一春彦の1975年『日本人の言語表現』ではこういった具合だ。
土岐善麿氏によると、二葉亭四迷は、トゥルゲーネフのある小説で女性の言うI love you.を訳すのにはたと困ったそうだ。何でも相愛の男女が愛を確かめあうクライマックスの場面であるが、男がI love you.と言い、女もそれに答えてI love you.と言う。男のせりふの方は「ぼくはあなたが好きだ」で簡単だ。が女の方はそうはいかない。もし、「私もあなたが好きです」とでも言ったら、それは教養のないあばずれ女ということになる。女のI love you.を日本語で何と訳すべきか、二葉亭は、二日二晩考えた末、今も名訳として伝わっている日本語を思いついた。それは「死んでもいいわ」という文句という文句だという。
懲役なんて罰則はあまり意味がないのではないかと思えるのは、「性被害」となぜか被害者目線のトピックスで書かれる「性犯罪」のニュースを目にするたびに思うことで、仮に犯人が死刑になったとしても、残された被害者はその傷や痛みを抱えて生きていくのかと考えると、もはや極刑すら意味をなさないと感じる。
知能を持たないであろう植物であれば(知性はあると言う人もいると思うのでごめんな)、種を残すために様々な生き残り戦略を取るのは当たり前のことだと思えるが、ヒトって脳みそがあって、知能がそれなりにある動物なんじゃなかったっけ……。
脳が正常に働いていて「性犯罪」を選んだとすれば、それはヒトではなくて、植物なんじゃないかな(植物マジでdisってごめん)。
植物が犯罪をおかしたとして。例えば、外来からやって来てものすごく増殖するアレチウリを、ヒトはどうにかして駆除しようと試みるし、アレチウリのこれだけ高い知名度(人気度は恐らくない)があったとしても、ヒトが主導権を持って住む地球においては、国レベルの駆除対象になることもある。以下、アレチウリの駆除についての参考。
https://www.hrr.mlit.go.jp/chikuma/kankyo/gairaishu/areti6.html
ヒトは優遇されすぎている気がしてくる。知能があり「性犯罪」という植物レベル(disではなく比喩)の犯罪を軽々とやってしまうヒトがいるなら、「駆除」という言葉が適切なんじゃないだろうか。
アレチウリの駆除方法を参考にするならば、性犯罪をおかしたヒトに合わせたらどうなるだろうか。
ーー
種を付ける前に抜き取る。
できるだけ小さいうちに抜き取る。
→初犯のうちに生殖器を抜き取る
1年に数回抜き取る。
→これは一度やればヒトにおいては十分か
アレチウリが現れなくなるまで数年間続ける。
→性犯罪をおかすヒトが現れなくなるまで数年間続ける
ーー
自分で書いていて、指先が冷たくなるほど、恐ろしい文章が出来上がり、R-18とタイトルで表明しておくことにする。アレチウリは一年草だが、ヒトは100歳まで生きられたりするので、ここまでしても駆除につながるかは不明だし、自分の空想でしかない。
アレチウリとヒトを並べるなんて非人道的な考えだ、と思われる方も多いだろう。その通りで、ヒトが地球の覇権を握ったと思ったであろうその日から、同じ生物としてのあれやこれやを見下すことが当たり前になり、ヒトがヒトを守ることが正義みたいな生き方を自分もしている。そんな自分に嘔吐しそうになるのは、大抵、知的・精神的障がいが無いにも関わらず、ヒトとしての知能が疑われる「性被害」「性犯罪」の文字を目にする時が多い。
ところで、人道って何だ。手元にある辞書で引いてみる。
ーー
ーー
「2.歩道」の急な段差に転びそうになる。
人間として従い行なうべき道。その道はどこにあるのかまでは、さすがに書かれていない。だからこうして今書いた、個人の頭の中で完結した空想文章だって、「てめぇどの道歩いてんだ!」と仮に絡まれたとしても、自分でもどこを歩いているのか、周りに星も木も草もなくて、よく分からないんだ。ここは、自分の頭の中だから。
the end.
安倍暗殺で統一教会問題をクローズアップした犯人も偏差値が高かったし、米大手保険トップを射殺し起訴されたルイジ・マンジョーネも偏差値が高かった。
大ファンがつくような、犯行から社会が動くような、そういう殺人犯は偏差値高い人しかいません。底辺は意味不明な犯行をして共感をされず疎まれ、ひとまとめにされる。
映画編
• 概要: 7つの大罪に基づいて殺人を行う犯人を追う刑事たちの物語。衝撃のラストが後味の悪さを際立たせる。
• 後味ポイント: 救いがない結末と、心理的に追い詰められる展開。
2. オールドボーイ (Oldboy)
• 概要: 15年間監禁された男が自由を取り戻し、復讐を遂げようとするが…。
• 後味ポイント: 衝撃の真相と、復讐の虚しさが観る者を揺さぶる。
3. レクイエム・フォー・ドリーム (Requiem for a Dream)
• 概要: 薬物依存に陥った人々の人生が崩壊していく様子を描く。
• 後味ポイント: 徹底的に救いのない展開と、観終わった後の重い気分。
4. ファニーゲーム (Funny Games)
• 概要: 平和な家庭が突如、若者たちに襲撃されるサスペンスホラー。
• 後味ポイント: 観客の期待を裏切る展開と、理不尽な暴力の描写。
5. ムカデ人間 (The Human Centipede)
• 後味ポイント: 生理的嫌悪感と、意味を見出せない残酷さ。
アニメ編
• 概要: 少女と謎の生物との出会いをきっかけに、残酷な現実に直面していくダークファンタジー。
7. ぼくらの
• 概要: 巨大ロボットを操り地球を守る子どもたちが、戦うたびに命を落としていく物語。
• 後味ポイント: 子どもたちの自己犠牲と、誰も救われない展開。
8. 魔法少女まどか☆マギカ
• 概要: 魔法少女の願いとその代償を描くダークファンタジー。
• 後味ポイント: 見た目の可愛らしさとは裏腹に、絶望的な展開が続く。
• 概要: 子どもたちが学校に潜む恐怖に立ち向かうオカルトホラー。
• 概要: 大自然と人間の共生を描く名作だが、一部の解釈では人間の愚かさが強調される。
• 後味ポイント: 観る人によっては、環境破壊や人間の傲慢さを痛烈に感じる。
特徴的な後味の悪さの魅力
これらの作品は、単なる「気分が悪い」というだけでなく、観る者に問題提起を突きつけ、深い余韻を残します。年末年始のひとときに、気分を一新するつもりで挑戦してみてはいかがでしょうか。
これはさすがに不自然という印象。
示し合わせている、とでも言いたくなる。
https://x.com/takeshibengo/status/1869300397732778245
@takeshibengo
草津町長への虚偽告訴事件は、その典型的な例だ。元草津町議の新井祥子被告は、町長からわいせつ行為を受けたとする虚偽の告訴を行い、町長の名誉や社会的信用に深刻な損害を与えた。
過去にも、夫の関心を引くために「強制わいせつの被害に遭った」と嘘をつき、無関係の男性を犯人に仕立てた女性の事件があった。
この女性の嘘によって、虚偽告訴された男性は19日間も身柄を拘束され、名誉と信用を失い、経営していた会社を閉鎖に追い込まれた。さらに、民事訴訟で自らの潔白を証明するため、多額の費用と労力を費やさざるを得なかった。
草津町長の件も、この判例と同様に、被害者が多大な損害を被った点で類似している。
虚偽告訴の被害に遭った男性は、単に刑事手続きで嫌疑を晴らすだけでなく、社会的信用の回復や精神的な苦痛の克服といった課題にも直面する。
虚偽告訴罪の量刑は、被害者への影響や加害者の態度が重要な判断材料となる。上記の事件では、「虚偽告訴の影響が重大で、加害者の対応が悪質」として懲役1年の実刑が維持された。
新井被告がどのように責任を取るか、また社会全体への影響をどのように評価するかが、今回の事件の量刑を決定づけるポイントになるだろう。
@47news_official
https://47news.jp/11918527.html?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=api
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こんなのを信用するのはネオナチだろうよ。
Ogura.H
@dli_coipchirt
ワイドショーで犯人と決めつけられている被告人については、証拠が薄くても、罷免されたくないが余り裁判官が有罪判決を下す。そんな社会がお望みなんですね。
@zamamiyagarei
おかしな判決出した裁判官を辞めさせるように働きかけるムーブメントはまさに民主的なムーブメントです。これを悪手だと指摘する人は、民主主義について全く理解できていないと私は思います。だから訴追するプロセスが法で担保されているわけですから。民主的なふりをした権威主義者はそこらじゅうにい
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三菱UFJ銀行の元行員による貸金庫からの窃盗事件、恐ろしいぐらいの早さでメディアは扱う事自体をフェードアウトさせたな。北九州の事件だと犯人が出前とった店にまで取材に行って、何喰っただの様子がどうだっただの何て事まで流してやがったのに…メディアの役割って何なんですかね?
覚せい剤を大量に飲んで殺されたってあるけど、和歌山県警の杜撰な捜査で検察も大変な勘違いをしてる
体に入った理由
ケツの穴にぶっこまれて体の中に入ったに違いない
ケツの穴もユルユルってこと
ケツの穴だと苦味は感じないしお尻マッサージとかいってお尻の穴に覚せい剤を塗り込めば覚せい剤中毒になって即死
俺はこれが真相だと思う
一人しかいないな
90年代だったか、駅などに「痴漢は犯罪です」というポスターが掲示されはじめた。
つまりそれまでは「痴漢は犯罪じゃない」という男性が多かったのである。
「電車に乗ってきたのだから、男に触られて文句を言うのはおかしい」「女が公共の場に出てきたのだから男に性加害されるのは当たり前だ」と考える男が沢山いたのだ。
それから数十年、やっと「痴漢は犯罪なのだ」と考える男性も増えてきたが、未だに犯罪だと思っていない男もいる。最近でも捕まった犯人が「被害者はやられて喜んでいた」と主張したりしている。
「男の家で酒を飲んだら強姦オッケー」と主張する男もそうなのだろう。
闇バイトで雇われて強盗殺人して、強盗殺人は無期か死刑と言われて「は?そんなに刑重いの?!雇われただけなのに!?」というのと根は同じではなかろうか。
DQNやヤリチンの被害者はそういう男を好む馬鹿女のみだが、弱者男性は女は愚かで害悪だから人権を奪ってあてがえと訴える、女性全般に危害を加える思想なのがネットで可視化されている
北九州の事件などどっかの男が無差別殺傷事件を起こした時も「弱者男性がテロを起こさないように女から人権を奪って高齢弱者男性にあてがってあげるべき」と主張(その後、犯人は結婚歴あり強者男性だと判明)
なんなら2月に向けてまだ寒くなる。
冬が開けて春だ!と言うのを区切りとして暦をつくるのが自然な感覚と思う。
なんで正月は冬なの?
今でいう3月。春だ。
なんなら暦の無い期間があって春めいて来たら王様が今日から1月!と宣言したそうな。
素晴らしい。
のちにこの暦の無い期間にも暦をつけて、今でいう1月2月ができた。
大麦の収穫を祝う月。春だ。
今でいう3月だとか4月とか。
そうなるようになんか帳じり合わせる会議もあった。
この時期にはもう今でいう1月1日は冬だ。
こいつの罪は購えない。
結局、ロムルス暦でいうマーチの前に1、2月を差し込んだのは誰なんだ。
現存する共和制ローマのカレンダーですでに年初としてマーチより前に挿入されているらしい。
ヌマのせいか…?
スペイン在住者の私は22年に起きた「ラ.マナダ事件」を思い出す。
牛追い祭りに来た5人の男が酒に酔った1人の女性を集団レイプした事件。
第一審では裁判官の多数決で性的暴行が認められずより軽微な性的濫用罪での有罪となった。理由は女性が脅迫や暴力に晒されていたと判断されないという物
第一審の判決が出た後に政界、法界からも大きな批判が起き結局最高裁で脅迫と暴力による性暴力と言う判決が出た。
この事件はスペインフェミニズムの大転換でこれ以降法性暴力への処罰が大きく法改正された。
大きな抗議運動が起きたのは言うまでもなく専門家から法的観点での批判がなされたのは大きい
法的判決は市井の反応に左右されるべきでは無いと思うがこの大阪高裁の判決には意義を唱え署名したい。
マナダ事件の後に犯人よりも被害者の行動云々で判決を下すのは男性主義的であり間違っていると主張した法学専門家の女性がいたけどまさにそのとおりだと思う。
以前も同じ事を書いたけどスペインにおける「ラ.マナダ事件」はフランスにおける「マザン事件(元妻に薬物を投与し他人にレイプさせていた事件)に匹敵するフェミニズムの転換的事件でこれを機に「レイプカルチャー」を認め批判する意見が交わされ変化があった。
当時男女平等省大臣だったのはポデモスのイレネ.モンテロ。彼女を「フェミナチ」なと揶揄する人もいるけどこの法改正なされる前は夜中に屈強な男5人に見知らぬ建物に連れ込まれた19歳の女性が、レイプ中に恐怖で抵抗できない状況を(女性ならそれが想像できる)暴力も脅迫も無かった事にされていたんだ
アタシ、昭和生まれのオジサンで思想の令和カスタマイズが全然できてないし、オマケにボーダーギリギリのバカだから世の中のことなにもわからないの。
だけどね、最近Twitterでしばしば「判決が不服だったので、判決を下した裁判官に抗議しましょう」「判決を出した裁判所を許してはいけません」って話が流れてくるようになってね。
それで、署名なんか求めてくるわけ。
人生でこんなひどいことがあったら屈辱だし、尊厳を蹂躙した犯人はチンポが急激に膨れ上がって爆発しちゃえばいいな、と思うもの。
かといって「裁判官」や「裁判所」を矢面に立たせようというのは全然話が別のことよね?
アタシがそう思う理由の一つは、裁判官のお仕事は証拠と法律を照らし合わせた結果、証拠として提出されたものにキチンとした証拠能力があるか判断すること。
そして、司法の大原則って「疑わしきは罰せず」というスタンスであることだと思うの。
先日、どこかのお金持ちのお爺ちゃんが殺害された事件でも、弁護士の人は言ってたわよね。
薄いグレーはいくつ塗り固めても、グレーであって黒では無いって。
アタシ、あの事件に関してはこれだけ物的証拠を押さえて重ねていても、裁判員裁判において、司法の原則がグレーは黒ではない以上、裁判員がそれを黒にはできないのねと思ったわ。
従来であれば、あれだけ物的証拠、状況証拠が抑えていればもう少し検察側の意見に寄り添った判決が下されていたと思うのよね。
あらやだ、話がそれちゃったわ。歳を取ると話が長くなっちゃうわね。
今まで検察側から提出された証拠で状況を判断したところ、確かに何かしてるけど、今回の事件については刑事罰を問えるものじゃない……って。
これは、裁判の原則「疑わしきは罰せず」「グレーゾーンは黒ではない」の理論としても、そんなに間違った判断じゃないと思うの。
そうなったら最高裁で判断になるはずで、最高裁になるとまだ視点が変わってくるとは思うのよ。
だけどもし、この状態で検察が上告を諦めていたら「検察何してるの?」ってなるのは、アタシちょっとわかるのよね。
お前が証拠集められなかったクソザコだから、一審で出た証拠全部弁護士に舐めプされ負けたんだろうが、やーい、ざーこざーこ♥ ざこ検事♥
でも、正当な判断を下した裁判官と、その裁判所を糾弾するのはちょっと違うと思うのよ。
粛々と判断して自分のお仕事を全うした結果なのに、「お前は間違ってるぜ!」と言うのはね。
感情的にはわかるわよ!? 私だってひどい目にあった人は、気の毒だと思うもの。
でも、法律について何も調べていない一般人が、感情に流されて糾弾する相手として「裁判官」や「裁判所」だというのは、ちょっと違うと思うのよね。
これがもし「法律の解釈」という方面のアプローチだったらわかるのよ。
法律でそのような判断に至るのがいけない、こういった部分はもう少し被害者の心情に寄せた方がいいんじゃないの?
これは議論だと思うのよ。
でも「裁判官はの目は節穴」「裁判所にはろくな裁判官がいない」扱いはダメだと思う。
日本では司法は大きな権力に属さず中立である、というのが求められているわ。
当然よね。
司法のバックに大物のフィクサーがついていて、そのフィクサーの息がかかった犯人は法廷に出ない、みたいになったら一大事だもの。
実際はひょっとしたらそんなフィクサーもいるかもしれないけど、原則としては中立であり中立性を保つのが裁判所、司法の場だと思うのよ。
でも、その中立性を保たなければいけない所に、市民からの署名がドドッと集まったら。
そういうクレームのような対応を裁判所に背負わせてしまったら。
今まで独立し、中立を保持してきた裁判所の、存在意義を覆そうとするほど、危険な事だと思うのよね。
私はこの二つの点から「裁判官や裁判所に対する反対署名」ってのは危険だと思っているの。
それだったら事件に対する法解釈の珍妙さにメスを入れ、今回証拠として提出された証拠が、正しく証拠として機能するように求める方が建設的だと思うのよね。
でも、この署名はそこまで深く話に突っ込んでこなかったのよ。
裁判官と裁判所にクレームを入れよう、で終わらせることで、その事件に憤っている人たちの感情と思考を停止させようとしているんじゃないかしら? なんて疑いも抱いちゃうのよね。
本当にこの件で怒りを覚えていて、何かアクションをおこそうとしたら、そうする前にまず裁判の全体像を捕らえた方がいいと思うの。
実際、この件は主犯となる被疑者がいて、今回の裁判は主犯の手伝いをしていた人たちで、一人は刑が確定していて……みたいに、ちょっと複雑な状態での法廷だったのよね。
事件の内容から判例を気安く読めるような状態ではないと思うんだけど……ほら、判例って人の尊厳に関わる内容が多いと、大衆の好機の目にさらされないよう秘匿される傾向があるのよ。
これは悲しい思いをした被害者を守るためよね。
そうして、チクリとするなら法律側よね。
法律がどうしてこの内容で証拠不十分の判断ができてしまうのか、という部分を問題視して、どうしたら良いのかと考えることで、はじめて司法と向き合い、動き出すような気がしてるの。
私はね、この署名を正しいことをしているという風な態度で、TwitterはじめとしたSNSにいる人たちを煽っている「何か」が怖いの。
司法の独立性や中立性なんて全く説明もしてないところ、感情論だけで訴えかけて、同情や世の理不尽さという建前で人の名前や住所を集める人たち、その人たちが本心で何を考えているか……それが怖いのよね。
スタート地点からズレている署名は、たとえ1万人が集まったとしても強い効果が認められないと思うのよ。
だって、攻める場所じゃないところを攻めているんですもの。相手は全くそれを無視しても全然問題がないのよ。
仮に受け取ったとしても、裁判官や裁判所でできることはないのよね。
裁判官や裁判所という機能そのものが疑問に思うようになるとしたら……。
それは、司法の原則である独立性や中立性を脅かしかねない状況にもなりかねないのよね。
つまり、アタシが何を言いたいかというと……目先の可哀想や、気の毒だという話だけに流されないでほしいの。
だけどその熱意が利用され、悪い方向性に流れていったり、知らないうちに流されていったりするのは、怖いことよね。
法律ってのはとっても難しい話だわ。
一審なのか、二審なのかで内容も大きく変わってくるの。
だから、裁判の結果について思うことがあったら、それを機械に司法制度や法について考え、何がよくて何が悪かったのか、増田のみんなもじっくり自分の中に落とし込んで、軽はずみな行動で安易な批難や罵声をはなつだけで、事件そのものを消費しないでほしいわ。
そう、これを機会に増田のみんなも法に触れてみましょう♥