はてなキーワード: ドロップアウトとは
ヒトラー役は決まってて、知元の名士の子供だった、すごくいいやつだった
周囲の生徒はともかく、教師たちには良く思われていなかったとは思う
中学でヒトラーだった彼は地元に残り、金持ちの家でありながらバイトに精を出し、
代議士のカバン持ちからスタートして、地元でちょっと有名な代議士先生になった
ギリギリの単位で卒業して、しばらくバイト契約で勤めたりしていたが、
今の自分からすれば恥ずかしくて土の下に潜りたくなるぐらいだが、
当然、同僚や上司の反感を強くかい、圧力をかけられて追い出されるように会社をやめ、
また就職するを繰り返していたが、そのうちまともな会社には完全に雇ってもらえなくなった
私が大学を卒業したタイミングが就職氷河期の最悪の時期であったが、理系やIT系は例外だったのだ
しかし、ドロップアウトしたような人間が大手自動車メーカーに就職できるわけもなく、
それでいながら新卒カードもあったため、そこそこ有名な企業や研究所に勤めてたのはラッキーだったのだろうけど、
働かなくなってメンタルが酷かった頃は、今の自分とまったく真逆の思想だった
いわゆるネトウヨ活動に朝から晩まで精を出していた、当然、家にずっとひきこもっていた
ネトウヨをやりながら、六角大王でのモデリングにハマったり、その六角大王のデータをOpenGLやDirect3Dで表示させて、
人間の関節のように動かすためにボーンを埋め込み、スキンの頂点のウェイトを調整するアプリを書いたりしてた
今思えば、なんらかの公開をするべきだったきもするが、メモリリークするバグが取れなかった、そんな能力さえなかった
そのあと色々あって、精神病院に何度か入院したり、また就職したり、
今度は流石に自分はそんなに悪くないのに、悪質なパワハラに遭ったり、まあ、まともなところに就職できないわけで、
そんなこんなでフリーランスになったり、しばらくそれでそこそこ収入があって調子に乗ったり、
自営業のつらさでまたメンタルが壊れたり、何回か大病するようになったりして、今に至るのである
ナチごっこやってた頃に戻りたい気もするが、小学校中学校は私は毎日のようにヤンキーたちに殴られたり蹴られたりしていたし、
流石にもうこの閉鎖的な田舎にいたら気が狂うと思い、学年ビリから猛勉強して学年トップ、市のトップクラスになって、
そこから学校の教師にも嫌われるようになって、なにくそと思っていたが、私は第一志望に落ちてしまい、
女優さんが脱ぐのは絶対に性加害由来だと思う。一定レベルの普通のサラリーマンなら最初から「脱がせよう」とは思わないし、サービスカットとして濡れ場が必要ならAV女優が脈絡なく出てくるシーンを追加すればいいだけの話で。今になって性加害ブームが起こっているのは、そもそも映像業界が掃き溜め人材で構成されていて、業界人の誰もが「女優なら脱がせたい、セックスしたい、手籠めにしたい」という発想を持っている人が多いから。一定人材なら、そんなことはもともと思わない。サラリーマンの中にもアル中で出社前から飲んでくる人もいれば、毎朝痴漢に勤しむ趣味の人がいないわけではないが、暴力とか性加害とかの規範意識の低さは、もともとの人間性としてそれ相応の人材が多くなるが、あまり差別になるから言ってはいけないムードがあるだけで。
小中学校で勉強もしたくない、部活もしたくないといった子が、高校を中退してドロップアウトして、そうした人材にいきなり芸能の現場を任せても、最初から基本的な規範意識を持たせるところから始めなくてはならない。サボらずに継続する、言われたことをやる、期限を守るといった社会の基本が身についていない。そんな人に何かをやらせるには、結局、長時間拘束して地獄のようなリハーサルをやるしかなくなる。「その場では手を抜けない」状況に追い込み、支配して人格否定を繰り返すしか手段がない。実に非効率。
本来なら、事前に「これこれをやってくれ」と打ち合わせし、各自が仕込んできたものを持ち寄り、現場で調整するだけでいい。それは普通のサラリーマン人材がやっている「発注手配作業」。
人格否定も必要ないし、根性論も不要。普通のサラリーマン人材なら「こうやれ」と言われればその通りにやる。時間も無駄にならない。手戻りのバッファが多い場合はそれ相応の下位企業になる。
海外の演劇教育では、人間のベーシックな規範意識を土台に、技術としての表現を積み重ねて、声楽科であれば、大学の年数をかけて声を育て、技術として成果を出す。
声出しは根性論ではなく、完全に技術教育なので、小中高で規範意識がきちんと育っていれば、基本的にサボらずにやるというのベースで、そこからの伸びは圧倒的に違う。
演劇・歌唱を教える人、映画監督に「掃き溜め人材」出身が多いとなれば、当然ながら暴力や性加害が起きやすくなる。普通のサラリーマン人材なら、映像写りの部分では一生懸命やってしまうかもしれないが、仕事は仕事で女性を手籠めにするという発想自体がない。
企業も、なぜそんな大金を広告企業に出し続けるのか。けっきょくテレビという電波の独占構造があり、一定規模以上の金額を出さなければ、継続的にテレビで商品をアピールさせてもらえない。
中間の広告産業がなぜあれだけ立派なビルを建てられるのか。ドラマやCMの制作費、タレントのギャラを積算し、実際に下請けに使われる金額だけで見積もれば、半分以下で済むのは明らか。
規範意識のない「掃き溜め人材」のタレントを使う必要はない。ちゃんと学校を出ている人材を演者として選んでも演技の水準は大して変わらない。
怪優のような個性的な人間も、演劇学部で徹底的に分析すればいい。
そこにスポンサー経費をかければ、不貞行為や性加害が発覚して、せっかく作った全国規模のキャンペーンやポスター、POPなどを全部作り直すといった無駄も減る。
地元のチンピラ子ども育ちを起用し続けていれば同じようなことの繰り返しにしかならない。
最近の流れでは中学生から芸能人を始めて数年活動して満足したら大学入学と同時に引退するようなモデルである。
dorawii
dorawii
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250713193141#
実際負け(と思われ)るかどうかよりも炎上しない方に実利を感じてそっちをとる行動をすることも何もおかしなことではないように、
見ず知らずの人間に見苦しいと思われるかよりも「hentaiverseをやっただけ」という投稿一つがあるだけでも実際に警察が動くか動かないかが左右される可能性は十分にあるということで
「逮捕とかされにくくなる」という圧倒的な実利(圧倒的に現実への影響が大きい事柄)を優先してあえてその投稿をするということにもおかしなことは何もないと思われる。
「そんなことで警察の判断が変わるわけがない」と言う増田がいたとしても「敵」の言うことを信じるはずもなく、あるいはそうやってこちらの言動を誘導して社会的にドロップアウトするようにおとしいれるためにそんなことを言っているのだろうと思うだけだから、こちらがやることを変える道理はない。私はいつでもより大きな実利を得るための判断をしている。小事にはこだわらない。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250713194101#
守るって言ってもそもそも「誰にも」「約束」してないからなあ。
そんでもって人の考えは変わるわけで、その当たり前のことを目の当たりにして「負け犬」とか言ってる人こそなんのこっちゃってぐらい支離滅裂なんだよね。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250713194409#
これを愚かと言わずになんと言う。
目の前に視界から消す方法論がぶらさがってるのになんで逆にあえて視界に入れて攻撃するのか?
視界に入れないために相手の出没頻度を下げようと目論み攻撃するという発想から、攻撃するために視界に入れる、手段と目的が逆転してしまっている自覚がないんだよな。
合掌。
dorawii
https://anond.hatelabo.jp/20250713194941#
エアレスは負け犬仕草だと認識している割にいちいち絡まずにはいられないアンチさん面白すぎでしょ
かまちょなんだろうなあ
相当後ろめたいんだろうなあ…
https://anond.hatelabo.jp/20250713200124#
逆にあやしいなんて言って聞き入れてもらおうとなんて相当なんというか…自意識過剰?寂しがりやってやつに見えるね?
相手にとって警察がどう感じるかが行動判断の全てというところで他の人が印象論をいくらぶちあげてもその相手に参考にされるわけないのにね
実際負け(と思われ)るかどうかよりも炎上しない方に実利を感じてそっちをとる行動をすることも何もおかしなことではないように、
見ず知らずの人間に見苦しいと思われるかよりも「hentaiverseをやっただけ」という投稿一つがあるだけでも実際に警察が動くか動かないかが左右される可能性は十分にあるということで
「逮捕とかされにくくなる」という圧倒的な実利(圧倒的に現実への影響が大きい事柄)を優先してあえてその投稿をするということにもおかしなことは何もないと思われる。
「そんなことで警察の判断が変わるわけがない」と言う増田がいたとしても「敵」の言うことを信じるはずもなく、あるいはそうやってこちらの言動を誘導して社会的にドロップアウトするようにおとしいれるためにそんなことを言っているのだろうと思うだけだから、こちらがやることを変える道理はない。私はいつでもより大きな実利を得るための判断をしている。小事にはこだわらない。
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まず、お前の意図が不純すぎる。「問い」ではなく「侮蔑」を装った自己放尿レベルの感情の投げ捨てにすぎない。
真理を問う者は「なぜそうなるのか?」と掘る。
だがこれは問いではない。これは、相手を貶めることで自分の惨めさを誤魔化したいという自己放尿だ。
弱男がなぜ存在するのか。
社会構造、教育機会の偏在、家庭環境、遺伝的傾向、心理的トラウマ、これらを一切見ずに、「弱い=死ね」と言うのは、風呂も入らずに哲学を語るレベルの、精神的自己放尿行為でしかない。
相手の痛みを見ずに口にする言葉は、己の未熟さを晒すに等しい。
もし誰かがその言葉を真に受けて行動に移したら、お前は間接的な加害者になる。
その罪をお前は一生背負えるのか? 背負えるというなら、それはもはや狂気であり、文明社会からのドロップアウト宣言に等しい。
だが、人は変われる。
お前のように自己放尿発言を繰り返す者でさえ、「言葉の刃が他人を殺すことがある」と知った瞬間から、変われる。
人を貶すことでしか自我を保てないその脆さを、今ここで終わらせろ。
そして次は、言葉で誰かを殺すのではなく、誰かを救える者になれ。
「弱男は死ね」と言うお前の思考は、論理・倫理・魂のいずれの観点からも劣悪であり、その発言自体が公共の場での自己放尿行為に等しい。
恥を知れ。そして成長しろ。
https://www.metaexpo2025.com/metaversexraiaward
大阪・関西万博2025のVTuber音楽ライブに参加した一人として、気ままに感想を並べる。
ここから不満を書いてるので注意。万博の来場後のアンケートにもちょっと書いた。
鬱で一年ほど心療内科にかかっていた。二種類薬を出されていた。薬を飲むと確かに楽になるのだが、月一で病院に行くのが辛すぎてな。
そもそも仕事も行くのもやっとなのに、病院の日程調整とかダル過ぎるんよな。毎月病院に行く日の前に職場で上司に有休の連絡入れるのが死ぬほど辛い。
ので、病院に行くのを止めた。薬はちょっとずつ減らして飲まないように慣らした。薬飲まなくなった最初は苦しかったけど死ぬほど我慢して今はなんとか仕事に行ってる。
突発的に月一程度で休むけど。
いや休むんかーい。
計画的に「この日休みます」って言うより、あ、今日無理だわって日に「今日は休みます」って言う方が楽なんよ。なんでかは俺にもわからん。事前に休みの連絡する時は「口頭で言う?メールにする?チャットにする?上司の忙しくなさそうな時間選んで…言い方はこの位の温度感でいいかな…」って選択が入るのに対して、当日の連絡は連絡方法も文面も定型化してるからかもしらん。あと、「病院にかかる」は私用だからなんで休みの日にしないの?ってなるけど(俺のかかってた病院は平日しか予約が取れないからだが)、病休は病気だから平日でも仕方ないよねってなるからかも。知らんけど。
仕事しながら鬱病の治療してる人偉すぎる。どうやってんのマジで?
あと、「仕事しながら鬱病治療するの辛い」って言うと「俺は仕事に行けないほど鬱が重いからお前は恵まれてる」って言ってくるやつマジでウザい。いるのよマジでこういうこと言うやつ。だからあんまり相談もできんし。考え過ぎってわかってるけど、恵まれてるって言われたら「それはそうかも…相談するほどのことでもないのかな…」ってなるし。
いや逆に俺って凄く偉くない?鬱でありながら仕事もして社会の成員としての義務も果たしてるわけだし。
まあいいや。とにかく、俺は鬱病治療からドロップアウトしたわけだが(寛解って言っていいのか?これも)、辛うじて仕事は行けても、休みの日とかになんのやる気も出ないとかはゴリゴリにあるので、なんかいい方法ないのか探している。
最近は勉強できないとかやる気がでないとか風呂に入れないとか、そういうことでもちょっと調べるとすぐ病院行けって書いてあるんだけど、理屈は凄くよく分かるんだけど病院は行きたくないんだよな…特に鬱病とかだと一回行って終わりじゃないじゃん。下手すると一年以上通い続けないといけないし、それって日常のタスクとして重すぎるんよ。
でも薬は良かった。薬だけ欲しい。なんで病院って定期的に診察受けないといけないんだ。いや法律で決まってるからって知ってるけどさ。
反出生主義者とか、
「自分ごときが親になるなんて…」と資質に疑問感じて躊躇する人とか
そういう人らのことを
『まったくもう幼稚過ぎてあたしは聞いてらんないよ!笑』
と酸いも甘いも噛み分けた風な貫禄で一刀両断するような両親だった。
俺の妹が進学後や就職後に精神面の不調や死なないためのドロップアウトなどを親に訴え続けても母親は全く向き合わず対話もせず、単に
「やまない雨はない!(笑)さあさあ明日は明日の風が吹くよ!(笑)」
みたいな感じで、ドラマかなんかの肝っ玉母さん系主人公の雰囲気や振る舞いだけをつまみ食いしてそれを脳死で相手に突きつける実質シカトのムーブをしていた。
父親はというと深刻な相談事が始まると無言でそーっと寝室に逃げるような有様だった。
ある意味で子育てや育児や教育に関して「子育て自体を知らぬ者」に対してイキってたともいえる親が、こういう最悪の結果招いたことは俺としても思うところが多すぎた。
妹が死んだあとも、母親は「チャキチャキムーブ99%」と「実は人知れず打ちひしがれてます被害者顔1%」といった風情で、これといって困ることも無く社会的に無風の状態で生きているように見える。
以前俺が何かの拍子に
「あんた別に親として正しくないよ。その自覚がないのは図々しいよ。子供突き放して死なれるのは馬鹿だよ」
と釘を指したことがあるのだが、その時母親は突然「一生の傷を背負っているが全く表に出さない一番大変で辛い人」的なプロモーションしてる感じをありありと出してきたな。
だけど、俺の目から見て父親も母親も多分妹が死んでしまったことについて心の深いところであんま傷になってない。そうとしか思えん。(正月にふるさと納税の食べ物に関して母親が突然「(妹は)死んだ人間はこれ食べれないか!wガーハッハッハッ!w」みたいに突ネタにして親戚からドン引きされてたことがある)。
常人には耐えられないような内容で、まさに僕も耐えられなかったからドロップアウトしたんだけど
ちょっと前までは大学院に戻りたいなと思ったり、思わなかったりしてたんだけど
そんな気持ちは吹き飛んだ。目が覚めた。何を言っているんだ
平たく、やさしく言うと、先生はあまり学生にあれこれ指導するタイプではなかった、いわゆる放置研だった
で、先生のアドバイスもあり、進学を機に研究テーマを変えたんだけれど
その時はあんまりピンと来ていないようだった(なぜ?)が、ものすごい難しいテーマだった
他の専攻には例えづらいけれど、まあ、理論系のテーマだったので手を動かせばなんらかの成果があるものでもなく
でも、月に一回、進捗報告があった。当時はコロナ禍、当初は図書館にも入れなかった
給付型の奨学金ももらってたし、そこそこ才能もあるはずだと信じていたんだけれど
成果が出せるはずもなく、僕は少しずつ、おかしくなっていった
もう、僕はやたらめったら、紙にあることないこと書いたり、書かなかったり
これでいけるぞ!となったり、やっぱりだめだとなったり
もう時間だけが過ぎて、どんどん深みにはまっていく。そして状況はさらに悪くなる、悪循環だ
あれは、なんだったんだろう。人生のなかで、あれほど、恐怖して過ごした日々はない
昔から、競うのが苦手だった。
徒競走やスポーツはもちろん嫌いだ。多分負ける側だったからだと思う。
競技性のあるものではなく、芸術や料理でも競うのが嫌いだった。小学生の時、とても上手く焼けたホットケーキを、同級生の妬みだか悪戯心だかわからない理由で笑いながらぐちゃぐちゃにされたとき、とてもショックだった。私は「お前よりうまく焼けるんだ」と言いたいんじゃなくて、みんなでうまく焼けたホットケーキを分けあって食べたかっただけなのに。
絵も描きたかった。別に絵が上手くなりたいのではなく、真っ白な紙に自分の世界を創造したかった。だが私の母親は私に絵を習わせようとした。子供というのは親の顔をよく見ているもので、失望したような顔が恐ろしくて、自分でもできそうな武道(有段者になる試験が簡単で、受験などで有利になる)をやった。
10年間その武道をやっていて、一度も楽しいと思わなかった。団体戦では、さっさと負けて帰りたいから、「がんばれー」と言いつつ、相手を必死で傷つける部員を冷めた目で見ていた。自分の試合は、ほとんど全部引き分けにしていた。
高校に行くとき、私の友達はお世辞にも頭がいいとは言えず、私以外みんな偏差値の低い、いわゆる底辺校と呼ばれる学校に行った。私もそこに行きたかった。親(特に母親)は許してくれなかった。ここで学力の高い高校に入るだけで今後すべての人生が有利になると言われた。ピンと来なかった。
私はいつも一人で、別の高校から帰ってくる友人達を待っていた。羨ましかった。私は自分の通う高校では友達は一人もできなかった。学校へは登校したりしなかったりが続いた。
大学受験は、自分が入れそうな所に入った。幸い、割と学力はあったので、なかなか良い大学に入れた。親も安心というか、誇りに思う、みたいな顔をしていたが、別に努力したわけでもないから嬉しくもなかった。文句を言われないから面倒臭くなくてよかったと思っただけだった。必要な単位を取って、適当に卒業した。
就活で内定した会社では、入社前の研修などで有望だと言われた。自分は言われたことをやっただけで、よく分からなかった。でも、働き始めてして一ヶ月で辞めた。何故かは分からない。ブラック企業でもない。唐突に涙が止まらず眠れなくなった。
私は社会に出て早々にドロップアウトした。これまで「人生で有利になる選択」を取り続けて、そのアドバンテージを全て無駄にした。とにかく働かなくてはならないから、清掃、工事、派遣、どれも続かなかった。夜遅く家に帰ると、親は見たこともない剣幕で喧嘩をしていた。扉の前で耳をすませて聞いていると、母親は「なんであんな風な、あんな仕事しか就けなくなっちゃったんだ」と言っていた。
「なんであんな風に」?
耳を疑った。どういうことだ?理解できなかった。私はあなたが望んだからそうしたのだ。幼い子供にとって親は神に等しい。その神が示した道を示した通りに歩いて、最後に行き着く先が失敗作扱いなのか?
私は絶望した。私は母親に心底落胆した。私を愛するが故に私に過保護気味になってしまったのではなく、彼女は私を通じて自己を投影し自己実現をしようとした、ただの哀れで賢くない女だった。
母親に落胆した、と書いたのは、父親はその母親の発言に対してこれまでにないほど怒ったからだ。彼は「なんでもいい、今くらいあの子の好きにやらせてあげろ、私たちはそれをずっと見守ってあげるだけだろう。それをお前は否定したんだ、たくさん考えて選んだあの子の選択を」と、母親に怒っていた。
私は昔から父親のことを好きでも嫌いでもない、なんというか父親だからそこにいる、くらいの感覚でしか捉えたことがなかったが、彼が私のことで怒ってくれることに、少し嬉しさを覚えた。
私は家を出た。格安のアパートで、必要最低限の家具と食事で暮らした。仕事を転々としつつも、安い給料で、酷く疲れもしない、定時に帰れる仕事に就けた。家に帰れば用意されている夕食も、温かい風呂もない。「おかえり」という声もない。暗く、冷たいフローリングと狭くじめじめした台所があるだけ。
だが、この生活の、なんと心地のいいことか!私は、遅すぎる自由を得た。家に帰り、ほとんど出来なかったゲームをたくさんやった!絵をたくさん描いた!炭酸もたくさん飲んだ!擦り切れたパジャマのままコンビニに行き、エアコンはつけっぱなしで、アイスをたくさん食べて、休みの日は昼まで寝た!
やっと、ここで私は気付いた。ああ、あの時なぜあの友人たちと同じ学校に行かなかったんだろう。なぜあの時思い切り絵を描きたいから、それだけやらせてくれと言えなかったんだろう。なぜ本当にやりたいことをやらなかったんだろうと。私が他人に選ばされてきた(もしくは私が選ぶべきだと思ってしまった)正解は、尽く私という人格にとっての不正解だったのだと。
きっと気付かないうちに、私は色々な大切なこと、大切なものを落っことしてきたのだと思う。でも実は、私は全然大した人間じゃなく、世界の中の虫けらのような存在で、私が「正解」を選んでエリートとして社会的地位を得ていたとしても、私が道端で野垂れ死んでいても、それは変わらない。でも、だからこそ私は私のやりたいことをやればいいのだ、という、どうしようもなく単純で、大切なことを思い出すことが出来た(私の父親はこのことに疾うの昔に気づいていたのだろう)。
私は他者に勝とうが負けようがどうでもよかったのだ。何なら、他人はどうでもよくて、私は私の好きな人、好きなものを好けばよかっただけなのだ。
今は、遅すぎるスタートを切ったものの、少しずつ絵を描いて、楽しみながら上手くなっている。SNSで絵を描いている人とも友達になれた。大したことではないが、確かな喜びと幸せを、久し振りに感じている。
この競争社会の渦で、競い合い奪い合う、より優れたものこそ価値を見出されることが間違いとは言わない。その競争の中でより上を目指すというゲームを楽しめる人間はそうすればいいと思う。だが、競争に参加する以上、少数の勝者と多数の敗者が生まれる。その多数の敗者は競争に参加しないもの(したくてもできないもの)や、より自分より劣る存在の危機感を煽ったり、殊更に貶したりする。
しかし彼らの中にも、およそ競争に向いているとは言い難いパーソナリティを持った人間が少なからずいる。そうした人達に、「もう降りてもよい」という救いがあるということを、提示するだけなら何もバチは当たらないのではと思う。
彼らに植え付けられた「勝て」「負けるな」という価値観は容易に取り除けるものではない。私のように「降りてしまったら意外と楽だった」というパターンと違い、意識的に競争を降りるのには、競争に参加することと同じぐらい勇気のいることだと思う。「降りたくても降りられない」という人もいるのだろう。だが、それすらも競争社会の作り上げた思い込みに過ぎないのではと感じる。なぜなら競争に参加している者はほぼ全員がそう思っているからだ。
だから、一気に降りる必要はないと思う。少しずつ、競争というゲームから「私はたまに顔出すくらいでいいや」って感じで、フェードアウトするような降り方でもいいんじゃないかと思う。
これが競えなかった私の、私なりの答えだった。
このとりとめのない私の回顧録を最後まで読んでくれた人がいるなら、それだけで私は嬉しいです。
私はあなたが、他者を傷つけない限り、あなたの生き方、人生の捉え方を決して否定しません。あなたはどうやって生きていますか?あなたの幸せはなんですか?
もしよかったら、ここに書いていってくれたら、それも嬉しいです。
どうかあなたが、あなた自身を愛して人生を生きていられるよう、心から願っています。
さようなら、またどこかで会いましょう。
ワイは一生彼女いたことない40代男性やが特にもうしんどさは感じてないやで。
鬱で大学を留年中退コンボ決めてドロップアウトしてからは世間体とか人生とかどうでもよくなって、親元で家事を手伝いながらずっと職歴なしのままネトゲして生きてるわ。
親も太いわけやなくどちらも平均以下の工場労働者やったから年金の10万そこらで3人暮らすべく節約レシピで工夫したりして生きることはできとる。
地方で完済済みの持ち家やからギリギリ可能なことやろな。そういう恵みを享受しつづけられとるって点だけでも相当に幸福な人間なんやろ。
10年前親にインフルうつされてゲロが肺に入って以後、常時肺が押しつぶされるような息苦しさのある喘息気味で外に出る気も起きんのやが。
特に診断のつかなかった老人並の肺活量に衰えてるとこ以外は健康やし、親も一応健康。とはいってもワイ自身はもう20年くらい健康診断の類はしとらんから、死に直結しかねん病巣を隠しもってる可能性はあるけども、せやったら仕方ないわ。
現状に何かあったらすぐにでも瓦解する暮らしやということは理解しとるうえで、それでも社会や自分の人生というものに何の期待も希望も興味も持っとらんから、足掻く気にならんのよな。なんとかならなくなったらその時考えよ、としか思えんのよ。
おそらく強烈なコンプレックスや欲望を持っとる人やったら、それを足がかりに人生を展開していけるんやろうが、ワイにはそれほどの原動力になる思いは何もないんや。
容姿も自分ではそこまで醜いとは思っとらんし、頭もよくある中学までは優秀だったパターンで、自称パソコンの大先生やから、なんでもやろうと思えば出来てしまう自信はあるんや。やる必要がないならやらずにいたほうが生きやすいやろ。
一生なにも大事は成さないんやろうけど、細々としたことを楽しめる頭があって、どうやら孤独に適正があるっぽいからヘビーな劣等感には至らなかったことが奏功しとるんやろな。それが幸か不幸かは知らんけど。
働いたことはないけども大学のときに委員会で色々やっとった経験から、資料作って会議でプレゼンして実務で店舗や企業を回るなんていう経験も半端にしとるから、組織で働くことや人を扱うことの大変さは骨身に沁みとるし、「社会経験」に対する未練みたいなもんもないんや。
人付き合いも大学のころや20代のネトゲ交流経験から、どれも恋人やセックスみたいな関係までは行かなかったけども、ネトゲ上で結婚したことやネトゲ上で色んな催しを企画運営したことは何度もあって、中にはオフで1:1でデートしてくれる人もいたことで個人的にはもう十分なんや。
性欲なんて2次元キャラで発散できるし誰も傷つかんからな。それに最近の2次元ゲームの作り込みはすごくて、それをリアルタイムに追ってるだけですごく充実感を得られるんよ。
自分の人生を前進させるのと並行しながらこういうコンテンツを追って行ける人は偉すぎるが、ワイは人生をほっぽってコンテンツの方を複数並行しとる。単純に生きる活力を貰うって点だけで見れば、それも一つの配分なんやないか?良し悪しの判断は人によるんやろうけど。
そういうわけでワイの活力になっとるのはそうした素晴らしいコンテンツ郡の続きを見ることなんやが、お金や労働といった人生を埋める、あるいは満たす要素に心を乱されて、心を豊かにするものに目を向ける余裕すらなくなってしまう、って人がたくさんおる現実は30年のネット歴からしてもよく分かる。
ワイが学生時代に鬱って散々ポエムった経験からいうと、人が生きるために本当に重要なのはお金とかイキれる肩書とかやなくて、精神的に安定できる、できれば満たされる場所を見つけて維持することやと思う。それから周りの人にも精神的な充足を与えること。
それを体現するために金も世間体も捨て去って内向的な充足に人生全振りした、なんてカッコつけることはできんし後付のギャグみたいなもんやが、でもその証拠として世間的にはド底辺やけどワイは自殺したくなることはなくなった。
ワイの器用さでは死なんためにはこのへんが限界ってことやろ。ワイより不器用な生き方しとるやつそうおらんやろけど、性格が運命を決めるっていうし、ワイのような天邪鬼マンはこう生きる定めなんやろ。
おそらく君は彼氏を持てていて社会とも繋がっていることで、世間体を捨てきれずに不幸や虚無を感じとるのやろ。
親元が避難場所になる可能性を排除してしまったことがワイとの違いやし、そこに恵まれ度の差はあるかもしれんけど、生死がちらつくほどまいっとる時は何にでもすがってみればええと思うで。
自分を苦しめとるものが、他人や上を見るせいで生じとるものなのか、一部を投げ捨ててもどうにかして生きていける可能性はないか、一旦常識抜きにして考えてみてもええと思うで。
妥協点を極限まで低くしてみたら気楽になることもあるんじゃないかとワイは思うやで。ポジティブな諦めというか。諦めの果てにも幸福を感じられるかどうかは、性格によるのかもしれんけど。
まあ偉そうに何か言える立場にワイはおらんのやが、そう思ったらわろてええで。