兵庫県出身。甲陽学院高等学校卒業し東大法学部に入学。第1類在学中に司法試験に合格。大学卒業後、司法修習を経て検事に任官し、日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件で主任検事を務める。また社会を震撼させた女子高生コンクリート詰め殺人事件では、第一審判決が事件内容を鑑みても軽すぎると控訴趣意書を提出し、控訴審を担当する。そしてバブル期真っ只中に起こり、政界・官界・報道機関を大きく揺るがすことになった戦後最大の汚職事件であるリクルート事件では文部省に流れた賄賂ルートの担当検事を務める。また2009年に司法制度改革の一環として始まった、司法制度改革審議会では事務局長を務め[1]硬直化していた司法制度の改善に着手[2]。「国民の為の司法改革。プロは好き嫌いを言ってはいけない」と検察内部組織では反対意見の根強かった、市民参加による広く開かれた裁判員制度の創設に導いた[3][4]。 なお甲陽学院高等学