泣いて笑って大団円。「ミチヨシ劇場」に最後の最後まで翻弄(ほんろう)された。 30日午後3時。指揮者・井上道義のサントリー音楽賞受賞を記念するコンサートが、東京・赤坂のサントリーホールで開演した。 …
平和で平穏で楽しい生活が一番!・・・脱アベ・スガからガラガラポンの政界大編成を希望。左右問わずmew基準で、政治や競馬、スポーツなど。写真はトロットスター・・・↓PC画面のリンク1~5は無効
seiranzan*1「知る事の悲しみ」https://seiranzan.hatenablog.com/entry/2020/10/31/091759 曰く、 じゃあ中世以前のスタイルを用いて作曲する事が何故難しいのかというと、たとえば中世以前の人々には、旋律に和音をつけて歌うなどという発想はなかった。今、現代は?そうさ、そこらのあんちゃん、姉ちゃんだって小粋にギターを抱え、じゃんじゃんじゃかじゃかとコードを掻き鳴らしながら声を張り上げているじゃないか。誰もが旋律にはコードがくっついていて当たり前だと思っている。でも実は、人々が思っている以上にコードの力は強いんだ。コードってのはいつの間にか旋律さえも軽々と支配してしまうが、その事に気づいている人は殊の外少ない。 おっと、話がなんだかややこしくなってしまったね。率直に言うと、要するに私はコード進行というものを知っている。そんな私がコード進
承前*1 最近亡くなった筒美京平と近藤等則のどちらにも縁があったのが太田裕美さん; トランペッターの 近藤等則さんが亡くなった… ジョン・ゾーンの繋がりで 一緒にお仕事を… とてもエネルギッシュで ユニークな人でした。 またご一緒したかったな… 心からご冥福をお祈りいたします。— 太田 裕美 (@ohtahiromi1974) 2020年10月18日 また、 「筒美先生...」https://ameblo.jp/hiromi-ohta/entry-12632508442.html *1:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/10/14/085620 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/10/19/091524
フジロック「音楽に政治を持ち込むな」問題のバカらしさ~歴史を紐解けば、「音楽と政治」は切っても切れない関係なのに 文/辻田真佐憲(近現代史研究者) 広がり続ける音楽と政治の問題 7月22日から24日にかけて、フジロックフェスティバルが新潟県の苗場スキー場で開催される。同イベントをめぐっては、同月16日にSEALDsの奥田愛基の出演が発表されて以来、「音楽に政治を持ち込むな」とネットで大きな話題になり、マスメディアでも取り上げられた。 騒動の発端は、単にひとりの政治運動家に対する忌避感にすぎなかったのかもしれない。ただ、ここまで大事になったのは、音楽と政治の関係という重要な問題が示されたからにほかならない。 音楽に政治を持ち込むのは悪いことなのか。そもそも音楽と政治はどのように関係しているのか。音楽は反体制のものなのか。今後、音楽は政治とどう付き合っていくべきなのか。「音楽に政治を持ち込むな
File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(本社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(本社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(本社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから
12月21 よくもこんな気違いレコードを! 戦中の対談「敵米鬼音楽の正体」を読む カテゴリ:軍歌の本日本の軍歌 戦中の音楽雑誌『音楽知識』(1944年11月号)に、「敵米鬼音楽の正体」という、題名からしてかなりキテいる対談記事が載っています。 この時期の音楽雑誌を読んでいくと、年と共に紙質が下がり、分量が減り、反対に軍歌が増え、過激な文句が躍るというどうしようもない状態で、敗戦必至な感じが伝わってきて切ないのですが、この対談はその極北でしょう。小見出しも、「ジャズは気違ひ音楽だ」「謀略に踊るジャズ」「刹那的な享楽を貪る」「ジャズは邪図だ」など、完全に電波を受信してしまった状態に。 対談の最後には、「アメリカの征服的な慾望から、いはゆるニグロの音楽を採り入れて、それをユダヤの世界支配の道具に使つたわけだ。」などと叫んでいるので、陰謀史観というか被害妄想というか、病的な状態にさえ陥っていま
「全聾(ろう)で交響曲を書いた現代のベートーベン」として人気を博した佐村河内守さんのゴーストライターだったことを告白した作曲家の新垣隆さん(44)が多忙な日々を送っている。10日夜放映のビートたけし司会のバラエティー番組にゲスト出演。本業の作曲も弦楽や吹奏楽のための新作など上演予定が目白押しだ。「今の私は道化師そのもの。へんてこなキャラクターとして世間に認知されてしまった」と苦笑する。 桐朋学園大で現代音楽の第一人者・故三善晃さん(昨年10月死去)らに師事、作曲とピアノ演奏で頭角を現した俊英。「モダニスト」を自任し、演奏中に器楽奏者が資料を読み上げたりする実験的作品などを世に問うてきたが、今年2月、18年にわたって佐村河内さんの代作者だったことを公表し虚像を告発。「自分も『共犯者』。もう音楽活動はできなくなるかもしれない」と覚悟した。 だが予想に反し、現代音楽以外の分野で出演依頼が相次いだ
日経文化欄クラッシック音楽評論担当の岡本稔氏の6/4付評論が個人blogからの盗用だった件 STAP細胞問題をいうなら自社記事の「オリジナリティ」も死守してくれ、日経 何でこんな事が起きるかなあ。 本日の日経夕刊に出ているお詫び、盗用されたブログ主さんは2回も面談した挙句、無断引用という表現に怒ってらっしゃる。 http://t.co/rrpuymbFRm http://t.co/jbTEg1hZdO pic.twitter.com/WASKkqV1fE — 橙子 (@chengzi_z) 2014, 7月 8 他人のblog記事を大量に盗用して、 天下の日経文化欄に「自分の批評」記事として掲載 した、という話。しかもこの岡本稔氏は 昨日今日、音楽評論を始めたわけでなく、結構なベテラン である。 もっとも、最近、 Wikipediaから流用 が明らかになり、謝罪に追い込まれている。音楽の友
佐村河内守疑惑*1が表面化し始めた頃にちょっと気になっていたことがあった。それは、少なからぬ人が「絶対音感」を何か途轍もない超能力の如くに受け取っていて、他方佐村河内側も〈神秘的〉な能力としての「絶対音感」をウリにしていたということだ*2。勿論、「絶対音感」というのは超能力でも何でもなく、或る特殊な文化的セッティングにおいて幼児期に訓練されることによって誰でも獲得しうる(ノーマルな)人間的能力にすぎない。 そのときにちょっと調べたリソースをメモ。 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B6%E5%AF%BE%E9%9F%B3%E6%84%9F http://en.wikipedia.org/wiki/Absolute_pitch 『絶対音感の功罪』http://onkan.exinfo.biz/ 鳥居寛之 「絶対音感」http://ra
「時かけ」「ハルヒ」「ゲド」と、アニメの話を続けて書いたらアクセスが急に増えた。 これも一つの縁であろう、ということで、急遽「涼宮ハルヒの憂鬱:射手座の日」の上級編を書くことにする。 といっても、実のところアニメとはほとんど関係ない。脳内宇宙艦隊戦シーンに使われているショスタコービッチ「交響曲第7番」第1楽章に存在する宇宙的恐怖にして深淵のような因縁について以下つらつらと述べていこうというわけ。若干ミリタリー風味も入ってくる話題だ。 本当はもう少しきちんと調べてから書こうと思っていたネタなので、少々調査不足ではあり、一部は記憶に頼っている。事実誤認や新事実が分かり次第訂正を入れていくことになるだろう。 ショスタコーヴィチのマニアの間では有名な話であるし、色々突っ込みを入れたいところもあるだろう。そのあたりはコメント欄で指摘してもらえるとうれしい。 「射手座の日」に使われた第7交響曲(194
大野和士氏「現代のベートーベン」とまでもてはやされていた自称作曲家の佐村河内守氏の楽曲は、音楽家の新垣隆氏が18年にわたって書いていたことについて拙文をアップした翌日、私は次のようなメールを受け取った。指揮者の大野和士氏からだった。 〈情報を、まことしやかなものするために、お墨つきを与えた、音楽関係者の罪は、重いと思います。 クラシックのメガヒットと言われているそうですが、クラシックは、何百年も前から、時を超え、国を超え、人々に広がったからこそ、古典と呼ばれるているのだと思います。じわり、じわりと、歴史の中に浸透しているからこそ、人々が自らの存在の意義を振り返る礎として、愛され続けてきたのだと思います。 何万枚の売り上げといった今日的な文句も、その歴史を前にすると、あまりにも表層的なものに思えます。いにしえの人々の魂にじっと耳を傾けながら、今に生き、未来を展望するのが、音楽家の役目だとする
“現代のベートーベン”と呼ばれた作曲家の佐村河内守氏(50)の作品が約18年前から別人が作曲していたことが発覚した問題で、“浪速のモーツァルト”の愛称を持つ作曲家のキダ・タロー氏(83)が関西のニュース番組で痛烈批判したことがネット上などで話題となっている。 キダ氏は6日に読売テレビのニュース番組「かんさい情報ネット ten.」(関西ローカル/月~金曜、後4・47)に生出演。佐村河内氏についてコメントを求められると「世界を股にかけたペテン師」「こんなもん、昔やったら打ち首、獄門や」とメッタ斬りにした。 佐村河内氏に関しては、これまでNHK番組で特集されるなどしていたが、佐村河内氏の存在を知らなかったというキダ氏は「こんなもん私と(辛口コラムニストの)松尾貴史が一緒になって取材に行っとったら、絶対バレてるて。こんなん見破らなアカン!世の中、甘すぎる」と指摘した。 ゴーストライターだったことを
別に誠実に対応したわけでも言い訳の必要に駆られたわけでもなく、こういう何の利益にもならず頼まれもしないことに思わず本気で首を突っ込んでしまうのは根っからの性分。その性格のおかげでS氏の件に巻き込まれたと言えば言えるわけだが、私が推薦してCDが18万枚売れるなら、シベリウス師匠の後期の作品などをもっと聴いて欲しい。(おッと、そんなことを言うとそれが目的のステマと思われるか) そもそもこういう泥沼っぽい争いの渦中に「仲裁」に入ると、双方から「お前はどっちの味方なんだ!」と攻撃され要らぬトバッチリを食うので、ほとぼりが冷めるまで傍観しているのが利口なのだが、やはり私は交響曲莫迦の血が脈々と流れているのか隠居の道楽なのか、可愛い「交響曲」が俎上に載って棒で突かれ虐められていると聞くと居ても立ってもいられず「まあまあ、助さんも格さんも落ち着いて」と思わず間に入ってしまった次第。 おかげで、いつもは私
S氏の《交響曲第1番》を最初に耳にしたのは、初演(2008年広島)の時の様子を映したYouTubeでの録画だ。この時は、G8議長サミット記念コンサートという名目で《交響曲》の1・3楽章が披露された(さすがに全曲では「長すぎる」と主催者側が判断したのだろう。それでもたっぷり40分以上という大曲だ)。 その頃のS氏はWikipediaにも未記載の無名の作曲家(ゲーム音楽マニアなら鬼武者の音楽で名前くらいは知っていたのかも知れないが)。当然、会場に聴きに来ていたお客のほとんどは「広島出身の若い作曲家」というくらいの知識しかない一般の人たちだったと思う。しかし、その「誰もが初めて聴く」しかも「オーケストラだけ」の音楽が「歌も映像も何もなく」1時間もの間延々と流れるのを、ホールを埋めた聴衆は(少なくとも)飽きることなくずっと耳を傾け、曲が終わると同時に万雷の拍手を浴びせていたのである。これは(実を言
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