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【WA23日】 WA州は先週末、警察が金属探知機を市民にかざして刃物などの携帯を取り締まる法を導入した。14歳を含む子ども4人も武器を携帯して起訴された。 WA州警察はクリスマスから新年にかけて、金属探知機を持って市内をパトロールする。最初の週末で4,000人以上に探知機をかざし、武器21個が押収された。中に…
「慰安婦」騒ぎを見ていると我々がまだ「脱亜論」の世界の住人であることを再認識させられる。もちろん「脱亜論」が諭吉の筆によるものかどうかは疑わしいという説の説得力も認めた上で、それでもこの一編の先見性は認めざるを得ない。 以下、「脱亜論」の拙訳に小論を添えて再再録する。 1 isa訳『福澤諭吉の「脱亜論」』 現在、西洋人の地球規模での行動の迅速さには目を見張るものがあるが、ただこれは科学技術革命の結果である蒸気機関を利用しているにすぎず、人間精神において何か急激な進歩が起こったわけではない。したがって、西洋列強の東洋侵略に対してこれを防ごうと思えば、まずは精神的な覚悟を固めるだけで充分である。西洋人も同じ人間なのだ。とはいえ西洋に起こった科学技術革命という現実を忘れてはならない。国家の独立のためには、科学技術革命の波に進んで身を投じ、その利益だけでなく不利益までも受け入れる他はない。こ
第一に、民主主義、自由、人権、法の支配、そして市場経済。そういう「普遍的価値」を、外交を進めるうえで大いに重視してまいりますというのが「価値の外交」であります。 第二に、ユーラシア大陸の外周に成長してまいりました新興の民主主義国。これらを帯のようにつなぎまして、「自由と繁栄の弧」を作りたい、作らねばならぬと思っております。 「自由と繁栄の弧」をつくる 一昨日の続きです。 麻生外相が唱える「自由と繁栄の弧」と、かつての「大東亜共栄圏」とは深い繋がりがある、「青い目、金髪は駄目」云々、なんぞよりこれに気付かないメディアってのはつくづくアホだなあと思うわけです。 麻生氏は、日本の外交戦略を「自由と繁栄の弧」と名づけ、以下具体論を述べています。 【我が日本は今後、北東アジアから、中央アジア・コーカサス、トルコ、それから中・東欧にバルト諸国までぐるっと延びる「自由と繁栄の弧」において、ま
BRICs4カ国の中でも、特に日本食人気が高いのがロシアです。首都モスクワなどの大都市部では寿司屋をはじめたくさんの日本食レストランが立ち並ぶようになりました。日本の農林水産省の推計によると、ロシアにおける日本食レストランの数は現在約500店に上るということです(図表)。 ロシアで日本食がブームとなっている背景には、急速な経済発展に伴い国民の生活水準が向上してきたことがあります。1人当たりの国民所得は、ソ連崩壊直後の1992年の段階ではわずか576ドルにすぎませんでしたが、直近の2005年は5349ドルと9.3倍の規模に拡大しました。また、国民の健康志向が強まる中、カロリーが高く肥満になりやすい洋食よりも、ヘルシーな和食への関心が強まっているという事情もあります。 さらに、供給側の要因も見逃せません。それまでは、ロシアの庶民にとって日本食レストランは値段が高く、一部の富裕層しか楽しむことが
最近「東アジア」と題名のつく本がたくさん出ているのでたまに手に取ることがあるが、例外なくおそろしいほど退屈なことが多い。書いてあることは間違いではない。というか、あまりに正しすぎることが書いてあるので退屈なのである。前にも書いたが、「もっと深く考えて」とか「日本人はアジアの声の耳を傾けて」以上のことがそこには書いていないのである。だからどうしても、表現はきわめて穏やかであるものの、社会的な権威をもった学者や文化人たちが「もののわからない人たち」に教え諭すという口調になってしまう。北朝鮮、韓国、中国に対する批判の高まりも「困ったものだ」という感じの反論しかできず、なぜそうした批判が高まっているかという現実に踏み込んでいかない。こうして、学者や文化人あるいは経済界のトップ、政治家の一部くらいしか「東アジア共同体」の理念に共鳴しないのである。 こうした議論の看板を背負っている姜尚中がいい例である
Khan Shatyry Entertainment Centre, Astana, Kazakhstan Astana, Kazakhstan, 2006-2008 The Khan Shatyry Entertainment Centre in Astana will become a dramatic civic focal point for the capital of Kazakhstan. The soaring structure, at the northern end of the new city axis, rises from a 200m elliptical base to form the highest peak on the skyline of Astana. Co-architects: Linea Tusavul Architecture,
ブッダガヤからバスに5時間揺られて、パトナの町に着いた。パトナはゴミの多い町だった。これはインドのどの都市でも言えることだけれど、ここは特にひどい散らかりようで、吹きだまりみたいな場所にビニール袋が山のように堆積していた。 インドの町が汚いのは、伝統的カースト制度の影響もあるのだという。ゴミを処理するのはカーストの最下層の人々の役割であり、それ以外の人はゴミに触ることを極端に嫌がるというのだ。 2,30年前までなら、それでよかったのかもしれない。たとえポイ捨ての文化であっても、ゴミの量自体も知れていたし、生ゴミや紙や木なら、自然に分解され土に還るものだったからだ。でも、そこに安いプラスチックやビニール袋が大量に入ってくると、事情が一変する。風に吹き寄せられたビニール袋は、放置しておいても百年後もなくならない。カラスも野良牛も食べてはくれない。 今のところ、インドの人々は町がゴミに埋もれてい
日本はアジアでは孤立などしておらず、安倍政権の登場はむしろ歓迎されていることを証する動きがありました。いずれも日本の大部分のマスコミは取り上げていない動きです。「日本はアジアで孤立している」と大上段からの虚報を伝えてきた新聞などは恥ずかしくて報じられない動きなのかもしれません。 第一はベトナムが日本との新たな「戦略的パートナー」となったことです。 ベトナムのグエン・タン・ズン首相が10月18日から22日まで日本を公式訪問しました。ズン首相は日本の国会で演説までしています。 ズン首相の訪日ではベトナムの世界貿易機関(WTO)加盟に日本が賛成することや、日本の対ベトナムの投資や貿易を拡大すること、さらには日本のベトナムへのODA(政府開発援助)を増額すること、などが合意されました。しかしそれよりも注目されたのは日本とベトナムが「戦略パートナー」となり、安全保障面でも新たな協力を始めること
小泉政権から安倍政権の当初まで、朝日新聞は「日本は首相の靖国参拝のためにアジアで孤立している」という趣旨を頻繁に主張していました。 私は「日本は孤立などしていない」と折にふれ、述べてきました。そして中国政府がそういう「印象」を人工的につくることに必死になっているだけだ、と説明してきました。 すると朝日新聞側は「日本は首相の靖国参拝のために北東アジアで孤立している」と述べるようになりました。北東アジアとは日本を除けば、中国と朝鮮半島、モンゴルなどを含む地域です。 でも私は「日本は北東アジアでも孤立などしていない」と反論しました。日本は中国と韓国の両方と経済のきずなを深めているし、文化の交流も人的交流も拡大している事実を指摘しました。そして「日本は中韓両国との首脳会談をしていないだけで、首脳会談を靖国と政治、外交面で結びつけたのは中韓両国の作戦にすぎない」とも解説しました。 さて安倍首
今日、タイでクーデターがあったらしい。 「なぜ起きたタイクーデター 今後も事態は流動化」 http://www.sankei.co.jp/news/060920/kok009.htm タイで19日夜起きた軍によるクーデターは、タクシン首相に対する辞任要求運動が高まるなかで、権力の座に踏みとどまろうとするタクシン首相に対する不信感の強まりの裏返しであり、軍が首相の外遊を狙って一気に首相を政界から追放することを狙ったものだ。これで、混乱を極めたタイの政治は、機能不全に陥ってしまったといえる。国民の間では今後、事態の収拾に向けたプミポン国王の役割に期待が高まりそうだ。 タクシン首相は4月に行われた下院選の直後、プミポン国王に拝謁(はいえつ)し、新国会で首相指名を受けないとして退陣する方針を表明した。しかし、選挙は無効、やり直しとなった。その後、首相は自身の退陣について、明確な態度を示してこなかっ
前回のコメント欄からお題を拝借します。テーマがテーマですから、今回は十字砲火を喰らうかも知れませんねえ(笑)。 私はつい中国語を学んだために、それに引きずられて中国、香港、台湾と10年ばかり流浪する破目になってしまいました。 そのため現在もそうであるように、現地在住のころもローカル(現地の住民)と手を組み肩を組んで、同じ塹壕にこもってローカル向けの仕事をすることが多く、自然に日本人駐在員と接触する、現地の日本人社会で交際する、などという水位ではなかったため、個人的には関連業界の人とお付き合いがあった程度でした。 それから私は中港台と流浪したのですが、中国にいたころはまだ駐在員自体がそんなに多くなかったり、台湾では仕事一辺倒で周囲を眺める余裕がなかったので、私の場合は香港の「駐在員」に限定されるといってもいいです。 印象でいえば、私がいたころの中国はまだ対中投資が盛り上がる以前のことで、派遣
『少年育成』96年4月号掲載 ビデオを抱えてミャンマーへ ミャンマーの人々は映画「ビルマの竪琴」をどのように観るのだろうか。そんな疑問を抱いているとき、絶好の機会がめぐってきた。95年11月、農耕文化研究振興会(代表:渡部忠世京都大学名誉教授)が企画するミャンマーの稲作農村調査に参加して、ミャンマーを訪問することになったのである。 渡部先生とは、これまで数回にわたって、タイを中心に東南アジアの稲作農村の映像取材にお供をしてきた。ミャンマーを訪問するのも、この延長で、今回の調査での私の最大の任務は、ミャンマーの稲作農業についてのビデオ映像を収録することであり、数年来の企画である東南アジアの稲作農業に関するCD−ROM化を完成に近づけることであった。ただ、この機会を利用して、ミャンマーの人々にビルマの竪琴を上映できそうである。 限られた日程と時間を調整して、上映は首都のヤンゴンではなく、パガン
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