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日本人と戦争に関するkurokuragawaのブックマーク (3)

  • 日本人はチームワークが苦手です ~1300年の戦史が語る日本人の国民性~ | とらっしゅのーと

    異国の文化との接触は時にそれまで気づかなかった自国の特性を認識させてくれたりするものですが、今日は歴史上の海外との交渉、日戦史上の国際戦争から日人の特性を考えてみたいと思います。 1/4.古代の国際戦争と日人 古代日帝国は、朝鮮半島で中国の唐帝国と戦い白村江の戦い(663年)に惨敗することになったのですが、この戦いについては、『日書紀』に以下のような記述があります。 日諸の将と百済の王気象を見ず、しかして相謂いて曰く、我等先を争わば彼まさに自ずからに退くべし。さらに日の乱れたる伍の中軍の卒を率いて進んで大唐の軍を打つ。大唐すなわち左右より夾んで舟を繞り戦う。ときのまに官軍敗続れぬ。(『日書紀』27巻) <訳> 日は将軍たちと百済の王が状況も見定めず、口々に、「我等が先を争って襲いかかれば敵は勝手に逃げ出すに違いない」と言った。そして日の乱れた隊列の中軍の船団を率いて大唐

    日本人はチームワークが苦手です ~1300年の戦史が語る日本人の国民性~ | とらっしゅのーと
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2010/07/04
    部隊ごとに見事な「戦闘」はできても国を挙げて何年も続く「戦争」は苦手
  • 「軍命令」をめぐって - Apeman’s diary

    沖縄戦における「集団自決」をめぐる教科書検定問題については、これまで福田内閣の姿勢を「融和的」と評してきたわけだが、結局のところ「直接的な軍の命令だったことを示す根拠は確認できない」(強調引用者)という姿勢は崩さなかったようだ。強調箇所は慰安婦問題をめぐる「狭義/広義の強制」云々といった議論を連想させるが、「直接的な軍の命令」ということで一体なにを意味しているのだろうか? 従来「軍命令」があったと主張してきた論者も、別に大営が命じたとか第32軍の参謀部が起案して牛島司令官の名前で発せられた命令があったはずだ…などといったことはもちろん言っていない。「命令する側の論理」ではなく「命令される側の論理」で考えるなら、初年兵は古参兵の褌を洗濯させられる時にも「下級のものは上官の命を承ること実は直に朕か命を承る義なりと心得よ」であって、「それは軍の直接の命令でありますか?」などと尋ねようものなら、

    「軍命令」をめぐって - Apeman’s diary
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/12/29
    命令より「空気」のほうが怖い
  • 「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984

    歴史教科書における沖縄戦の記述をめぐる検定意見に、またぞろ感情的な反発が起きているようだ。一般人に対して自決するよう軍命令が出ていたわけではないが多数の集団自決があったことは史実であって、それを誤解させないように記すべしとの意見が、なぜに「旧軍の関与を否定した」ことになるのか。このような主張は、それこそ、「集団自決せよとの軍命令があってはじめて旧軍がそれに関与したと言えるのであって、そのような命令がなかったのであれば、住民の集団自決に軍の関与があったことにならない」と主張しているのと同じであろう。つまり右派がそんな馬鹿げた主張をしているのではなく、実は左派こそが主張しているのも同然ではないか。 命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろしいことではないか! - Munchener Brucke 題名のとおり、そのとおりである。「命令もないのに人が自決したとしたら、その方が余程恐ろ

    「空気」を気にする日本人の精神主義的教育論 - Backlash to 1984
    kurokuragawa
    kurokuragawa 2007/04/02
    自分にはこういう考え方のほうが納得できる
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