はてなキーワード: ラグビーボールとは
本稿は、13歳になった君にこれからの人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである。
観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生の選択肢を狭めないためである。
具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策を模索して欲しい。
もちろんお父さんも協力は惜しまない。
人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段や道筋」は自然と定まる。
歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの、漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものだからである。
ポイントは、まず「自分が想像する理想の未来=目標=ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段=ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)
「ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算や分析、論理的思考で精緻に組み立てていくものである。
多くの人は与えられた「手段」から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要だから働く。なんとなく環境に悪そうだから「ビニール袋」を使うのをやめてみる。などである。勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。
「電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシュー)から入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的な姿勢である。
そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的、一面的、一時的な見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。
受験や就職、大きな買い物、仕事、恋愛、結婚など人生の重要な決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。
その際、ひとつ注意すべきなのは人間の物理的感覚、時間的感覚、記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去の記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間や度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計やデータに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。
先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢」である。
人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害や戦争など自分では回避、制御できないことも起きる。
『良いことばかりは続かない』という覚悟は必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。
おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。
「成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。
成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応が「奇跡」を起こす。
重要なのは、奇跡を自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。
人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。
『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる。学校には「校風」、会社には「社風」がある。
自身が意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。
気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書や金持ちかどうかとは関係がないという点である。会社の社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人や変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間が存在するという現実は認識しておいた方が良い。
出会う人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分でコントロールできる。付き合う人や、身を置く場所や環境は自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかしな場所、コミュニティには近づかないこと。
たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。
「エントロピー増大の法則(熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間の森羅万象すべてに当てはまる普遍の法則とされる。水に拡散したインクが自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプをシャッフルするのは容易だが、偶然きれいにカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大である。エントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である。
人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。
井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナは大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。
もう一度言う。『人は環境によって作られる』
お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味でお金は重要である。
その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生の選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。
金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。
お金を稼ぐときには、ギャンブルや宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値=確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事の計画を立ててはいけない。
怪しげな儲け話も同様である。誰かから「うまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。
確かに「成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力が必要になる。
『100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である。100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分の努力でなんとかなるということを理解すること。
近い将来、君は世の中に無数にある仕事や事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人からの感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。
野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツや芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。
しかし、投資やギャンブルで稼いでも誰からも感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。
人間の欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊しQOL(Quality of Life、生活の質)が低下する。
この課題に対する古来よりの解決策はただひとつ。収入から「天引き」することである。給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。
「天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人もイスラムもメソポタミア文明も華僑も日本の本多静六という人物(明治の造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課や組織に必要な費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである)
人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由は消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものまである。自動車も同じ。毎日飲むお茶、毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求はお金がある限り続く。それが人間の本質なので努力や気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから「欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。
そのために最も有効な方法が「天引き」である。人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである。
「天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単な方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。
次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。
高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。
高級車も普通車も、飛行機のエコノミークラスもビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値(デザインなど)を認めることは人間が文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格の価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。
その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間の心理的な欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来の機能=目的」を基準にして価値を判断するとぶれない。
基本的に日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的な事象は別にして)無くなってから買っても不自由することはない。
経営学における重要な概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である。
特売だからとか念のためにとかいう理由で安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってから次のものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である)
それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法でこちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。
あらゆる在庫を管理するためには「整理整頓」が重要である。身の回りのものは整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。
整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的なものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO、公文書管理規則、生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。
ちなみに、このような「一生使える知識や技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの、方法、知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。
金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業、組織など存在しないことを考えれば、出納管理は必須の Permalink | 記事への反応(0) | 21:00
1. トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではありません。 それに対して、『トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人こそが、小さなことにこだわっていると主張するのは どのような心理からなのでしょうか? もしその人が本気でそう主張しているのであれば、まさに本質から外れたところに過剰に注目しているように思います。 2.下記を小学生でもわかるように説明をお願いします。 2-1. トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ありません。 2-2. 「通常(普通)ではない」と指摘されることに対して、ショックを受けているのかもしれません。『通常』という言葉は、何かしらの合意が必要な難しい概念ですが存在するものです。(そうでなければ何もできない) 2-3. 人と違うのは悪いことじゃないが、トランプの文脈でフォントにこだわる人は、特別なサポートが必要です。これは個人の自由意思や知識やコミュニケーションの問題、あるいは性格に帰すべきではないと思います。 2-4. 人と違うのは悪いことじゃないが、文脈によっては適応出来ない、違うと自覚することが大切なことを説明してください。 3. トランプの文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人は、ゲームから排除をする、ゲームを取りやめるのでなければ、特別なサポートが必要だと考えますがどう思いますか?認知のフレームワークの問題ではなく個性の範疇ですか?
↓
1. 心理的な背景について
『トランプゲームの文脈で、フォントに過剰に焦点を当てることは通常ではない』と指摘する人を「小さなことにこだわっている」と批判する心理には、以下のような背景が考えられます:
1. 防衛的な反応
自分の行動や考えが「通常ではない」と評価されることに対する防衛反応です。「通常ではない」と指摘されることで、自分の価値観や行動が否定されたように感じ、相手に「あなたも小さなことにこだわっている」と反撃することで、自分を守ろうとしている可能性があります。
2. 視点の転換による優位性の主張
「小さなことにこだわっている」というレッテルを指摘者に貼ることで、相対的に自分が広い視野を持っているかのように見せかけ、議論の立場を有利にしようとする心理が働いている場合があります。
3. 共通基盤のズレ
「フォントの違い」がゲームに影響を与えないことは、多くの人にとって明白ですが、本人にとってはそれが重要な要素である可能性があります。この場合、指摘者が「通常」とする基準自体が無効だと考え、その基準を主張する人を「細かいことにこだわっている」とみなしているのかもしれません。
4. 議論のすり替え
本質的な問題から目をそらすため、指摘者の行動を批判対象にして議論の焦点を変えようとする心理です。これにより、自分の行動が本当に合理的であるかの検証を避けることができます。
2. 小学生でもわかるような説明
2-1. トランプゲームでフォントにこだわるのは普通じゃない
トランプで遊ぶとき、みんなが気にするのは「ダイヤ」「ハート」みたいなマークや、「A」「K」みたいなカードの意味です。文字の形(フォント)が少し違っていても、ゲームには関係ないので、普通はそこにこだわりません。
2-2. 「普通じゃない」と言われるとびっくりするかもしれない
誰かに「普通じゃない」と言われると、自分が変わっているみたいに感じて、ちょっとイヤな気持ちになるかもしれません。でも「普通」という考え方がないと、みんなで同じルールで遊ぶのが難しくなります。
2-3. 人と違うのは悪いことじゃないけど、助けが必要なときもある
たとえば、トランプで遊んでいるときにフォントが気になる人がいたら、どうして気になるのかをみんなで考えて助けてあげることが大事です。それでもゲームが進まない場合は、みんなが楽しめるような別の方法を一緒に見つける必要があります。
2-4. 人と違うのを知るのは大事なこと
自分がほかの人と違うことは悪いことではありません。でも、みんなと同じルールで遊びたいときは、「自分の考え方が特別なんだ」と気づくことが大切です。それがわかると、みんなとどう仲良く遊ぶかを考えやすくなります。
3. 「フォントが違うからダイヤのKではない」という人への対応と個性の範疇について
「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張する人に対しては、特別なサポートが必要だと考えられます。理由は以下の通りです:
- 共有されたルールの再確認
トランプゲームでは、フォントの違いは重要ではなく、カードの「スート(マーク)」と「ランク(番号や文字)」が本質です。そのため、本人がルールを理解し、共有された基準を受け入れられるようにサポートする必要があります。- ゲームを進行させるための調整
本人が「フォント」を基準として主張する場合、ゲームが進行しなくなる可能性があります。この場合、ゲームを成立させるために他の参加者と協力し、代替案を提示する必要があります。
この行動は認知のフレームワークの問題に近いと考えられます。なぜなら:
- 個性の範疇を超えている
個性とは、一般的なルールや基準の中での違いを指すことが多いですが、今回のケースでは「フォントにこだわる」という行動が、共有されたルールの基盤を大きく逸脱しており、個性の範疇では説明しづらいです。- ゲームの文脈に対する適応の難しさ
「フォントが違う」という理由でカードを否定するのは、ルールや文脈に対する適応が困難であることを示唆しており、認知の仕組みや視点の問題である可能性が高いです。
結論
トランプゲームの文脈で「フォントが違うからダイヤのKではない」という行動は、個性というよりも認知のフレームワークの問題として捉えるのが適切です。そのため、共有基盤を再構築する特別なサポートが必要となり、ゲームの進行や他の参加者との調整が求められます。
※推測してみた(なお、増田みたいな結果にはならない) Dの行動を批判している文章(https://anond.hatelabo.jp/20241203162204#)の投稿主の心理を探り、どのような価値観や認知スタイルに基づいているのかを分析してください。Dがフォントの違いを問題視した行動に対して批判することが、どのような心理的メカニズムに基づいているか、またその批判が集団内でどのような影響を与えるのかを詳述してください。
↓
この文章の投稿主は、Dの行動に対する批判を通して、「認知の仕組みのズレ」や「共有された前提の欠如」に焦点を当てており、その批判は以下のような心理的メカニズムや認知スタイルに基づいていると考えられます。
1. 認知の精度と共通理解の重視
投稿主は、対話が成立するためには、共通の前提や認識が必要であると強調しています。Dが「フォントが違うからダイヤのKではない」と主張したことは、常識的に受け入れられる「ダイヤのK」の定義や認識を逸脱しており、この逸脱がコミュニケーションの妨げになると見なされています。投稿主は、認識のズレを認知の仕組みに起因するとし、これを解決するためには膨大な労力が必要だと感じています。これは、投稿主が認知的な精度を重視し、理解の共有を前提にした効率的な対話を重んじていることを示しています。
2. 本質主義 vs. 構成主義的思考
投稿主は、「ラグビーボールはボールではない」という発言についても問題を提示し、「概念の境界」や「本質主義 vs. 構成主義」などの哲学的な側面に関心を持っています。これは、物事の定義やカテゴリ化について深く考える傾向があり、単なる表面的な解釈を超えて、物事の本質に迫ろうとする認知スタイルを反映しています。
3. 細部に過剰に焦点を当てる認知スタイル
Dのように、細部(フォント)に過剰に焦点を当てることは、投稿主にとって非常に困難で非生産的なコミュニケーションと捉えられています。このような発言は、認知的なズレが深刻であり、現実世界の常識や一般的な認識から大きく外れていると見なされています。投稿主は、細部に拘泥するDの認知スタイルを問題視し、これが対話の進行において障害となると考えているようです。
4. 集団内での影響
投稿主がDの行動を批判することで、集団内では次のような影響が予想されます:
• 共感の共有: 投稿主が指摘する認知のズレに賛同する人々は、Dとの対話に対して不安や苛立ちを感じる可能性があり、集団内で共感が生まれます。
• 対話の排除: Dの認知スタイルが極端に異なっていると認識された場合、集団内でDの意見や発言を無視したり排除したりする動きが強まる可能性があります。
• 教育的アプローチの模索: 一方で、Dの行動を理解し、再教育や認知修正を試みるアプローチを取る人も現れるかもしれません。この場合、集団内で認知の調整が進むことが期待されます。
全体として、この批判は、投稿主が共有された認識と合理的な対話を重視し、認知的なズレに対して強い懸念を抱いていることを示しています。
元増田のカジュアルなメモはひとつも難しいことを書いてないが、増田(anond:20241203143657)にはこちらの方が向いてるかもしれない
Honey Crispという品種のりんごを見て、その黄色味に注目し、「黄林檎」と表現するのは個人の価値観や知識の問題で、特に気になるところはないです。
だけど、Honey Crispを見て「これはりんごではない」と言う人については、認知の仕組みに問題がある気がします。
極端に表層的な学習を行い、それに気づけていない可能性とかありそうです。
こうした認知のズレを持つ相手との会話の成立は難しく、まず「どのような形状や状態がりんごと見なされるのか」から話を始める必要があります。
もっとも、この世のどこかにHoney Crispのように見えるが実際にはりんごではない果物が実在する可能性や、見た目が同じでも研究の結果「りんごではなかった」となる可能性も、ゼロではないです。その場合、「りんごではない」という主張は成立するので、「りんごではない」発言する人について、この増田内ではOKとします。
しかし、「サッカーボールはボールだが、ラグビーボールはボールではない」という発言する人についてはどーでしょーか?
個人的には、哲学的な問いを仕掛けてきてる?概念の境界の話や、本質主義 vs. 構成主義みたいな話がしたいの?
ラグビーボールをボールのカテゴリーに入れて話を進めて貰うのは無茶な要求ですか?と言った気持ちになる。
- A、B、C、Dとディーラーがいる。
- ディーラーがトランプの山からカードを1枚ずつ取り、決まった場所にセットする。カードが何かを確認した後に公開する。
- 正解を当てるまでゲームは終わらない
A:「セットするときチラッと見えたけど、ダイヤのKで間違いない。ハートのKはすでに出ているし、見間違えるはずがない。回答はダイヤのKでいいよな?」
B:「当たるか外れるかは1/2だから、ダイヤのKでいいよ。」
C:「やっと終わったか。このゲーム考えたやつ、バカだろ?マリカーやろうぜ。」
D:「これはダイヤのKじゃない。」
Aは観察した事実を述べており、問題なく対話が可能です。ただし、状況によっては、Aの動体視力や観察力について確認や裏付けが必要になるかもしれません。
Bは残りのカード枚数という前提条件を無視し、「当たるか外れるか」の1/2に単純化して発言していますが、対話は可能そうです。ただし、状況によっては、なぜそのような単純化を行ったのか確認をする必要があるかもしれません。
CはダイヤのKを当ててクソゲーが終わったことへの率直な感想を述べています。対話自体は問題なさそうです。ただし、状況によっては、発言が周囲の空気を読めていない、配慮に欠けていると受け取られる場合があります。たとえば、Aが精力的にゲームを進行していた場合、Cの発言が不快感を招く可能性も考えられます。これはコミュニケーション上の配慮の問題であり、Dのような「認知の仕組みのズレ」とは異なります。
Dは「これはダイヤのKではない」と主張しています。理由を聞くと、自宅のトランプカードのKとフォントが違うからだと言います。Dとの対話は困難を極めます。
Dのような発言をする人は、現実に存在します。本人に皮肉やギャグを言っているつもりはありません。意図的に話を混ぜ返しているわけでもないです。
ただ特定の細部に過剰に焦点を当てているだけです。
Dの視点そのものがすべての場面で悪いとはまったく思わないです。でも、この文脈でのDの発言は、対象への理解が極端に浅いか認知の仕組みに問題があると解釈するのが自然よね?
実際、Dと対話を続けるには、トランプカードの基本的な形状、ダイヤというスートの概念、Kというランクの概念を一から説明する必要があって困難を極める。
対話が本質的に成り立たない理由は、Dが提示する論点が現実や共有された前提(コンテクスト)から逸脱しており、対話が成立する土台そのものを欠いているからです。
A、B、Cの発言はたとえ偏りや誤解があったとしても、それぞれ一定の範囲内で共有された認識や価値観に基づいており、訂正や調整を経て合意に近づける可能性があります。しかし、Dの場合は認知の仕組みそのものに問題があり、前提を共有するために基本的な概念から再構築しなければならず、その労力が極めて大きいのです。
多くの人が「価値観の違い」「IQの問題」「知識の不足」「コミュニケーション能力の欠如」に原因を求めがちですが、Dのようなケースはそれらの問題を超えており、根本的には認知のズレによって引き起こされていると考える方が適切です。
1. 価値観の違いなら、Aのように「ダイヤのK」と主張しても、議論や裏付けで解決可能。
2. IQや知識の不足であれば、Bのように「1/2」と単純化していても説明次第で改善可能。
3. コミュニケーションの軽率さは、Cのような態度に現れるものの、感情の修正や配慮で調整可能。
しかし、Dの「フォントが違うからダイヤのKではない」という主張には、認知そのものに根深い問題があり、共通認識にたどり着くまでに膨大な時間と労力が必要となります。
Honey Crispという品種のりんごを見て、その黄色味に注目し、「黄林檎」と表現するのは個人の価値観や知識の問題で、特に気になるところはないです。
だけど、Honey Crispを見て「これはりんごではない」と言う人については、認知の仕組みに問題がある気がします。
極端に表層的な学習を行い、それに気づけていない可能性とかありそうです。
こうした認知のズレを持つ相手との会話の成立は難しく、まず「どのような形状や状態がりんごと見なされるのか」から話を始める必要があります。
もっとも、この世のどこかにHoney Crispのように見えるが実際にはりんごではない果物が実在する可能性や、見た目が同じでも研究の結果「りんごではなかった」となる可能性も、ゼロではないです。その場合、「りんごではない」という主張は成立するので、「りんごではない」発言する人について、この増田内ではOKとします。
しかし、「サッカーボールはボールだが、ラグビーボールはボールではない」という発言する人についてはどーでしょーか?
個人的には、哲学的な問いを仕掛けてきてる?概念の境界の話や、本質主義 vs. 構成主義みたいな話がしたいの?
ラグビーボールをボールのカテゴリーに入れて話を進めて貰うのは無茶な要求ですか?と言った気持ちになる。
- A、B、C、Dとディーラーがいる。
- ディーラーがトランプの山からカードを1枚ずつ取り、決まった場所にセットする。カードが何かを確認した後に公開する。
- 正解を当てるまでゲームは終わらない
A:「セットするときチラッと見えたけど、ダイヤのKで間違いない。ハートのKはすでに出ているし、見間違えるはずがない。回答はダイヤのKでいいよな?」
B:「当たるか外れるかは1/2だから、ダイヤのKでいいよ。」
C:「やっと終わったか。このゲーム考えたやつ、バカだろ?マリカーやろうぜ。」
D:「これはダイヤのKじゃない。」
Aは観察した事実を述べており、問題なく対話が可能です。ただし、状況によっては、Aの動体視力や観察力について確認や裏付けが必要になるかもしれません。
Bは残りのカード枚数という前提条件を無視し、「当たるか外れるか」の1/2に単純化して発言していますが、対話は可能そうです。ただし、状況によっては、なぜそのような単純化を行ったのか確認をする必要があるかもしれません。
CはダイヤのKを当ててクソゲーが終わったことへの率直な感想を述べています。対話自体は問題なさそうです。ただし、状況によっては、ゲームを考案した人や功労者であるAへの配慮が欠けている点に注意が必要かも知れません。
Dは「これはダイヤのKではない」と主張しています。理由を聞くと、自宅のトランプカードのKとフォントが違うからだと言います。Dとの対話は困難を極めます。
Dのような発言をする人は、現実に存在します。本人に皮肉やギャグを言っているつもりはありません。意図的に話を混ぜ返しているわけでもないです。
ただ特定の細部に過剰に焦点を当てているだけです。
Dの視点そのものがすべての場面で悪いとはまったく思わないです。でも、この文脈でのDの発言は、対象への理解が極端に浅いか認知の仕組みに問題があると解釈するのが自然よね?
実際、Dと対話を続けるには、トランプカードの基本的な形状、ダイヤというスートの概念、Kというランクの概念を一から説明する必要があって困難を極める。
サッカーと違って相手が手を使えるので、サッカーで言えば胸トラップでキーパー抜けるかみたいな難しさと、
投げる走るだけじゃディフェンス破れないから、キックを多用する流れが今のラグビー戦術だよね
でもキックは精度が不確かだよね
前にボールを投げれないラグビーで前にボールを進めるには走る以外は蹴るしかないわけだけど、蹴ると楕円のラグビーボールはなかなかコントロールしにくいし、拾うのもロスになる
でもヘディングで空中で前にボールを進めたら、それは流れでキャッチもしやすい
アメフトでいうとショットガンパスみたいな、数ヤードのショートゲインを稼ぐ感じかな
サッカーでも全てのプレーで止めてから蹴るより、どこかでダイレクトパスを混ぜるほうがディフェンスは崩れやすいわけで、ヘディングのダイレクト性もいいよね
どこか本気で練習しないのかな?
辞める。
一日中パソコンに向き合って画面に文句言ったりニヤニヤしたり、たまに小さくガッツポーズしたり。
何をしているか分からない高給取りが辞める。それだけの話しだ。
変えていこうと言う取締役と、現状維持+拡大路線の取締役の間に立たされるとお互いの言い分は納得出来る。
敢えてリスクを冒してまで根本を変えていく必要性はあるだろうか。
ここでリスクを取ってでも根本を変えないと根腐れを起こす可能性が高い。
どちらも間違っていない、攻めと守りの差である。
サーバーやデータベースのパフォーマンスチューニングなど、地味だけどあれ?と思う所に俺が関わっていること
会社の既存のメンバーに対して敵意があったり厄介な事を増やす為にやっている事ではない。と言う事を周知するためだ。
どちらかと言えば黙々と作業したいタイプだが、会社に慣れるにつれ色んな人からの依頼や世間話も多くなる。
それと同時に社内のヒエラルキー上位にあたる花形のお金を生む部署からは、金食い虫と揶揄される事も聴こえてくる。
暑い日も雪の日も台風の日だってお客様の元へ出向き、聴きたくもない話しに合わせたりすることは到底自分には出来ない。
それに長年エンジニアをやっていると、カネを産む部署ではないバックオフィスのヒエラルキーの底と言う事は身についた。
誰が●●万円の売上を持ってきた。
わーすごい!どうやったの?くそーオレも同行したりしてたのになあ。
社内が大きく盛り上がる。その場限りの拍手と笑顔の中、コイツからノウハウを奪ってやろうと言う人はいない。
表面上だけでも「ナカマ」である関係性を崩したくないからであろう。
そう考えると俺はゼニにもならないパソコン弄りおじさんがなまじの営業よりも月給貰ってる。アイツは敵だと思われても仕方ない。
会社は依代ではある物の、その会社に居続ける意味と言う事を考えた。
求心力がなくなった攻めの取締役一派、ヒューマンエラーそっちのけでシステムガーと責任を転嫁する現場
正しいルールなんてそこにはなくて、自分は怒られたくない。自分は悪くない。
何も言わないエンジニアが悪いんだ。
表面上のナカマに入れてもらえていなかった俺はその度に針のむしろに正座させられた。
それまでナカマだと思ってた人たちに、システム観点からこうした方が良いですよ。と言う事もいつからか言わなくなっていた。
いいと思います。
要望いただいた通りに。
何度も聞かれたログインのアイパスも、パスワードを簡単にしたいと言う要望も
DevOpsと言うよりも、ただただ最底辺にボールを投げつけられるだけ。
投げつけられたボールがテニスボールなのかラグビーボールなのか分からない、飛んできたボールを俺はキャッチするだけ。
ExcelパワポにDockerでの開発環境、たまにVisioも開いたり。
随分と色んな仕事をさせてきたし無茶をさせた。
左4ポート目のUSBが最初から緩くてたまにスマホの充電がOnOffを繰り返してイラっとさせられた事もあった。
色んな事があった、経営層から詰められている時にもフワフワとシャボン玉のスクリーンセーバーを浮かせて俺に癒やしをくれてありがとう。
お米は見かけも中身も千差万別。
日本人が見慣れたジャポニカ米も、他の品種と比べるとかなり特徴があります。まず米つぶがずんぐりとラグビーボールのような形をしているので短粒種と呼ばれます。これに対してインディカ米はもっと細長い形なので長粒種と呼ばれます。ジャバニカ米はさらに大きいので中粒種と言われます。
見かけだけでなく調理した時の味にも品種によって大きな違いがあります。ジャポニカ米は炊いたり蒸したりすると、粘り気が出てふっくらとおいしく食べられます。日本人が大好きな白い「ごはん」はジャポニカ米の特徴を生かした食べ方です。インディカ米はよく知られているようにチャーハンやカレーに合うパラパラした食感が特徴です。炊くよりは煮るほうがおいしく食べられるようです。
お米の種類と適した料理
ジャバニカ米も熱を加えると粘り気が出ますが、ジャポニカ米ほどではありません。そのためリゾットやパエリアにするとおいしいお米といえます。
粘り気とパラパラ感に差が出るのは、品種によって米つぶに含まれるでんぷん成分に違いがあるからです。
粘りを出すアミロペクチンとパラパラ感を出すアミロースという2種のデンプンの含有量によって熱を加えた後の食感がかわります。
日本人が多く口にするジャポニカ米のうるち米ではアミロペクチン約80%に対してアミロースは約20%です。粘り気が持ち味のもち米ではアミロペクチンが100%です。これに対してインディカ米のアミロース含有量は22~28%ですから、ジャポニカ米よりもパラパラ感が強くなるわけです。
栽培される土地の気候や土壌によってお米の品種ごとの特徴が形作られ、やがて食べる人たちの好みや料理に大きな差が生まれてくる。お米という穀物はとても奥深い食べ物と言えるかもしれませんね。
それをやってきた奴らが沢山いるのが現政権だぞ。
自分の現状認識の間違いを正したくないがために現実の側を後付で歪めてきた奴らが。
つまりこの国ではそれが正しいやり方なんだよ。
事実を誤認してたなら、その誤認に沿った事実を後付で作っちまえよ。
勝利ってのは、最後まで戦い続け奴の足元に転がり込んでくるもんなんだぜ?
挙手して誰かから手渡しされるのを待ってるような奴の元にくるのは他の誰かのお古ぐらいなもんさ。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 53 | 14836 | 279.9 | 53 |
01 | 38 | 6333 | 166.7 | 63.5 |
02 | 29 | 4163 | 143.6 | 36 |
03 | 13 | 7671 | 590.1 | 59 |
04 | 10 | 1773 | 177.3 | 32.5 |
05 | 15 | 3201 | 213.4 | 77 |
06 | 10 | 949 | 94.9 | 33.5 |
07 | 22 | 1715 | 78.0 | 44 |
08 | 65 | 6050 | 93.1 | 37 |
09 | 77 | 10975 | 142.5 | 48 |
10 | 126 | 10378 | 82.4 | 43 |
11 | 150 | 13795 | 92.0 | 38 |
12 | 194 | 14968 | 77.2 | 38 |
13 | 85 | 5517 | 64.9 | 39 |
14 | 94 | 6606 | 70.3 | 49.5 |
15 | 80 | 8546 | 106.8 | 45 |
16 | 66 | 6594 | 99.9 | 52 |
17 | 60 | 5704 | 95.1 | 45 |
18 | 76 | 10650 | 140.1 | 57 |
19 | 90 | 8545 | 94.9 | 50 |
20 | 101 | 7945 | 78.7 | 39 |
21 | 107 | 7962 | 74.4 | 36 |
22 | 87 | 10604 | 121.9 | 39 |
23 | 69 | 10801 | 156.5 | 44 |
1日 | 1717 | 186281 | 108.5 | 43 |
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