3月10日、2011年3月の東日本大震災と原発事故の災禍を逃れ、福島県から東京に家族で避難してきた少女は、新しく入った学校で「放射能」と呼ばれ続けた。写真は被災者の1人で「ひなん生活をまもる会」会長の鴨下裕也氏。8日に都内でロイターのインタビューに応じた際撮影(2017年 ロイター/Kim Kyung-Hoon) [東京 10日 ロイター] - 2011年3月の東日本大震災と原発事故の災禍を逃れ、福島県から東京に家族で避難してきた少女は、新しく入った学校で「放射能」と呼ばれ続けた。 「放射能だ!バンバン!」。2人の少年が、登校してきた少女にピストルを撃つまねを繰り返した。自分と家族を故郷から追いやった放射能。そのせいで予想もしなかった差別を受けた少女は、頭痛と体重低下で学校を休むようになり、最後は転校に追い込まれた。