「史書」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 史書とは

2024-12-10

anond:20241210020602

濊(わい、拼音: Huì)は、中国史書である三国志』や『後漢書』などに記されている古代民族

漢書武帝紀では薉、『漢書』食貨志では穢と表記される。

中国正史および古文献によると、紀元前2世紀以来、約10世紀わたり朝鮮半島咸鏡道から江原道にかけての沿海地帯および中国松花江付近実在し、漁撈・狩猟を主たる生業としながら、海産物中国内陸へもたらすなど遠隔交易にも従事していた。

また、麻を植えて麻布を織る他、桑を植えて蚕を育て、真綿の布を織っていた

2024-07-01

[]

蒲生(後の苻生)は幼い頃から無法な行いを繰り返しており、祖父の蒲洪(後の苻洪)からは強く忌み嫌われていた。

まれた頃から隻眼であり、彼が幼少の頃に蒲洪はふざけて侍者へ「片目の子は片方からしか涙を流さないと聞いているが、まことかね?」と問うと、

怒った蒲生は刀で自らを刺して血を流すと、「これもまさか涙と言うのですかな」と言い放った。

苻生は隻眼であったので『不足、不具、少、無、缺、傷、残、毀、偏、隻』と言う文字使用を禁じ、これを犯した者は左右の側近でも処刑され、その数は記録出来ないほどであった。

苻生が即位して幾ばくもしない内に、殺された人間は后妃・公卿下僕隷に至るまでゆうに500人を越え、

截脛(膝から下を斬り落とす)・拉脅(わき腹を圧し潰す)・鋸頸(頸を鋸で斬り落とす)・刳胎(胎児を抉り取る)の刑に処される者が相次いだ。

治世の末年には、その数は千をはるかに越えたという。

苻生は群臣と共に太極殿において宴会を開き、右司馬の辛牢が酒監となった。

宴もたけなわとなると、音楽が奏でられ、苻生自ら歌を詠み、場を楽しませた。

だが、苻生は辛牢が酒を飲んでいないのを見ると「酒が進んでいない者がどうしてこの席に座っているか!」と怒り、辛牢を射殺した。

苻生は夜に棗を多く食し、朝になると体調を崩したので、太医令の程延を呼び寄せて診断させた。

程延は「陛下はどこも悪くありません。ただナツメを食べ過ぎただけです」と答えると、

苻生は怒って「汝は聖人でもないのに、どうして我がナツメを食べたと思うか!」と言い、これを殺害した。

苻生は左右の側近へ「我が天下に臨んでいることについて、汝は外からどのようにきいているかね」と問うと、

側近は「聖明なる陛下が世を治めるおかげで、賞罰は明確となり、天下は太平謳歌しております」と言うと、

苻生は激怒して「汝は我に媚びを売るか!」と言い、斬り殺した。

洛陽伽藍記に「苻生は勇を好み酒を嗜んだとはいえ、仁にしてでたらめに人を殺すようなことはなかった。

その統治を観るに凶暴とはいえないものであったのに、史書には天下の悪を全て帰している」という真逆人物評が載っている。

2023-07-30

anond:20230730123258

1億総史書になるべき

全ての税金司書の育成に使うのが正しい

消費税は200%だ

2023-07-11

イタリア名工ドン・ピシャリ氏が由来の言葉である

anond:20230711101304

彼はイタリア南部名家職人である

当時イタリア南部はいい加減な職人しかいなかった。

しかし彼の作る家具には寸分の狂いもなく、ガタつきも緩みもない様子を敬意をこめて”ドン・ピシャリ”と呼ぶようになった。

そこから転じて様々な要素が狂いもなく合致する様が”ドンシャリ”と言うようになったのである

  

しかし、それを快く思わない者もいて、人間性のない四角四面言動や取り付く島もない様な物言いを、敬称ドンを抜いて”ピシャリ”というようになった。

それが日本に伝わり、「どんぴしゃり」「ぴしゃり」という言葉になっていったというわけである

この話は、史書である南イタリア連合起源(United South Italy Origin:USO)800ページに記載されている

2023-04-07

老いていく親に終活をさせるには【追記あり

追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152

以下本編******************************************************

両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活サポートサポートするような仕事をしていた体験から

大前提として、親と仲良くできてるか?

そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ必須…!!」と思わなくてもよい。

そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃん円満人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。

親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から大事書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。

そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要

そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老い自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。

現代の老人の傾向、セグメント別

そもそも金持ち株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。

親が金持ち場合。傾向的には、ガチ資産持ちの人は弁護士税理士やら銀行担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題名刺交換しておけばおけー。

資産持ちの場合プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。

お金がなさそうな場合。自宅とちょっと貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券印鑑仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃん確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫

もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。


マメポジティブな親御さんには、エンディングノートを渡すだけで割とオッケー

文章文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。

エンディングノート市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。

基本的必要情報

これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販エンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近終活アプリなんてのもあるので、スマホコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK

市販エンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分から書いてもらってついでに大事資産周りの情報も書いてもらえる。

逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単ものを使って、親にヒアリングをして子供ノートに記入していくのがお勧めズボラな人や「そういう書類作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止ちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。

そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。

あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家年賀状を取っておいてもらう。正月帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。

結構、長い時間をかけて、ぽつぽつとやる

エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位ゆっくりやればいい。

比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラ小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。

今日は通帳を整理したか乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。

自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。

墓のこととか葬式のこととか、財産分与のこととか

親子関係改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。

我が家場合だが、一番面倒だったのは墓のことだった。

父親が三男、母親姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。

実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。

父は、仲が良くない義理関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしま心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。

ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るからよろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。

もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。

終活が思い出になるような逆転現象

母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類ファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。

父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。

そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積めっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。

何ていうか、「死ぬ」というのは人生時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つのである死に向かう状態が延々と続いていくのが人生特に老人の人生なんだよなと思う。

終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。

親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。

一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。

2022-07-11

家康の苦悩

家康は謀反の疑いで長男の信康(のぶやす)を斬ったのは有名だが、

その後生まれた忠輝(ただてる)が、信康の赤ん坊ときそっくりだったということで、

「業とはおそろしい」と言って、それ以降一度も会うことがなかったらしい。

家康人間として親として苦悩してたんだな。

冷遇

忠輝は次兄の結城秀康と同じように、父親から生涯を通じて嫌われたとする資料は、江戸中期以降の史書確認でき、その理由として容貌を嫌ったという記録が多い。

『藩翰譜』には「世に伝ふるは介殿(忠輝)生れ給ひし時、徳川殿(家康)御覧じけるに色きわめて黒く、まなじりさかさまに裂けて恐しげなれば憎ませ給ひて捨てよと仰せあり」、と伝える。つまり家康は生まれたばかりの新生児である忠輝の顔が醜いという理由だけで、捨て子扱いしたとある。同書には慶長3年、7歳の時に忠輝と面会した家康が、「恐ろしき面魂かな、三郎(松平信康)が幼かりし時に違ふところなかりけり」と語ったとも伝える。

また『野史』の同年の記事には、家康が忠輝を見て「面貌怪異、三郎(松平信康)ノ稚顔ニ似タリ」と言ったという記述がある。家康は、長男・信康の面影を忠輝に見いだしてたとある。甥で同じく改易された松平忠直などと同様、忠輝は粗暴な一面があったとも伝えられている。

2022-06-08

このように、兄の信康や秀康、弟の忠吉などは、武勇や知略に恵まれた名将と評価されている。事実、信康は武勇に優れ、秀康も秀吉にその人物評価され、忠吉も関ヶ原本戦島津豊久を討つという武功を挙げている。それに対して秀忠には、武勇や知略での評価は乏しく、またその評価ができるような合戦経験していない。ただし、秀忠は2代将軍だったため、後半部分で秀忠は温厚な人物だったと弁護している(「仁孝恭謙」と、儒教倫理上での最高の評価をしている)。しかし、当の徳川家による史書でさえ、秀忠の武将としての評価は低かった。

それでも後継者となったのは、家康が秀忠を「守成の時代」の主君に相応しいと考えていたからだと言われている[17](家康は唐の太宗の治世について記した『貞観政要』を読んでおり、貞観政要には「守成は創業より難し」という一文が存在する)。父の路線を律儀に守り、出来て間もない江戸幕府の基盤を強固にすることを期待されたのであり、結果として秀忠もそれによく応えたと言える。

為政者としての評価

公家諸法度、武家諸法度などの法を整備・定着させ、江戸幕府の基礎を固めた為政者としての手腕を高く評価する意見もある[注釈 6]。娘の和子を後水尾天皇に嫁がせ皇室牽制、また紫衣事件では寺社勢力を処断し、武家政権の基礎を確立させた。家康没後は政務に意欲的に取り組んでおり、家康が没した直後の元和2年(1616年7月小倉藩主の細川忠興は息子・忠利に「此中、公方様御隙なく色々の御仕置仰せ付けられ候」(最近将軍様政務に余念がない)と書き送っている[19]。

秀忠に将軍職を譲った後の家康がそうであったように、家光に将軍職を譲った後の秀忠も、大御所として全面的政務を見ている。作家海音寺潮五郎は「家康は全て自分で決めた。秀忠はそれには及ばなかったが半分は自分で決めた。家光は全て重臣任せであった。」としている。

江戸上洛の途中、三島宿で鰻を獲ると神罰が当たるという三島明神の池で鰻を数尾獲った小者がいた。そのことを耳にした秀忠は小者を捕えると宿の外れで磔に処した。「神罰を畏れぬ者はいずれ国法をも軽んじて犯すに違いない。それでは天下の政道が成り立たぬ。神罰覿面とはこのことよ」と言った。一罰百戒、厳罰主義の秀忠らしいエピソードである

大名たちの家族関係には些細なことにも気を配り、それを解決する時には茶目っ気もあった。小倉藩細川忠興は父・幽斎譲りの脇差「大三原」(『享保名物帳』の同名の刀とは別物)を愛刀としていたが、嫡子忠利が所望しても与えないので、親子関係がぎくしゃくしていた[25]。どういうわけか、この事情は秀忠の耳にも及んでいた[25]。そこで、ある年、細川父子を伴として浅草川に水浴に出かけ、忠興にも一緒に川で水を浴びるように誘った[25]。忠興も、水浴びとなれば、大三原を腰から外さざるを得ない[25]。秀忠は、忠興より先に水浴びを済ませ、川辺に置かれていた大三原を手に取ると、一人川に入らず側に控えていた忠利に気を利かせて、「余がこれを拝借し、取り次いで、そなたに下賜してやろう。(将軍仲介しているのだから、)越中(忠興)のやつもまさか異議は申すまい」と堂々と宣言して、大三原を忠利に与えてしまった[25](『細川忠興公年譜』[26])。このときのやりとりは実は忠興にも聞こえてはいたのだが、将軍の声には逆らえず、しぶしぶ従ったという[25]。秀忠の大物ぶりに感化されたのか、忠利は後に大三原を気前よく弟の立孝に譲っている[25]

2021-10-13

anond:20211013144235

秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本わたり

日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている


始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島山東半島に挟まれ内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野湿地)を得て王となったと記述されている。

この出来事紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。

ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。

20世紀後半まで伝説だと思われていた徐福

あくまで、伝承人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である

史記』のほかに徐福記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくま伝説上の人物という見方が強かった。

徐福上陸したと伝わる三重県波田

その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。

これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわか徐福実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。

2021-09-23

田豊としてのtikani_nemuruさんへ

これは面白い話じゃないか私信というか

tikani_nemuruさんにだけ伝われば満足というエントリです。

 

いつから表現の自由」の問題と思っていた? - tikani_nemuru_M’s blog

ナイストライ

でも残念ながらそれはもう無理なのよ。

 

だってフェミニスト議員連盟偏見助長」「性犯罪誘発」って言っちゃったんだもん。

それならもう広告じゃなくても公的じゃなくてもあかん表現じゃん。

表現全般の話にしちゃったのはフェミニスト議員連盟であり

よく考えずにそれに付き従った頭の悪いネットフェミネットサヨクさんたちだから

  

tikani_nemuruさんの戦線収拾プランはわかるよ。

公的広告から余分な要素は困るんです。」だけ。

わかるわかる。堅実なラインだと思う。

(実はそのラインに対しても突っ込めるポイントはあるんだけど今は話が逸れるからやめとく)

 

ももう遅いよそれは。

ちょっと持ち上げるけど、tikani_nemuruさんはフェミニスト議員連盟ネット有象無象お気持ちサヨクよりはだいぶ有能なように見える。

でもそれなら出てくるのが遅かったでしょ。遅すぎたよ。

  

かつてどれほどたくさんの有能な軍人が「今の戦況ナシ!」「ここまで戦線下げて仕切り直したい!」って思ったか

攻勢限界点を見誤った無理な拡張をして、そこを維持できなくなって全部グッチャグチャにやられちゃう

きちんとした戦線を設定してればその内側をやられることはなかったのに。

そういうのは無数にあるけど、後から「今のナシ!」って言ったって駄目なのよ。 

  

そういうのってだいたいバカな上官や同僚のせいで、

適切な戦線切り直しが提案できるような能力のある人はたいていの場合そもそも無理な戦線拡張したのと人は別の人だけど。

それ自体がtikani_nemuruさんのせいじゃあないよね。 

 

けどtikani_nemuruさんは本当なら、

この問題が勃発した初期段階で大声出して

フェミニスト議員連盟は間違っている!あの動画がよくない理由はこうだ!」とやるべきだった。

 

無謀で無能大将罷免若しくは背中から銃殺して自分臨時大将になって

「正しい戦線設定はここだぞ」と大号令掛けるべきだった。

 

実際にはあなたはそうしなかったので

無謀な大将の号令で変に強気になった兵隊全然統制とれずにめいめい作戦バラバラに戦って次々にやられて押し込まれてる。

いまからどんなに妥当作戦を出してきたって「今まで言ってたことは?」「また別の主張?」って言われちゃう。 

 

まあ作戦提案妥当賢明であることと 

大将として号令かける覚悟カリスマ性や名声は別の事だから

あなたが味方の中で一番賢くたってそれを周りに徹底することは別の難しさがある。

 

でも無謀な戦線拱手して見ておきながら

戦況が滅茶苦茶になってから「私ならもっとマシな作戦があった」っていうの

あなたそれじゃ田豊ですよ。 

 

基本方針に沿って全力で権力も争い節操無しと言われるような手段も取り敗れて名も残さなかった郭図。

出発点が間違ってるのに勝てもせず最後だけウェットに飾って気持ちよく敗れた不潔な独り善がりが審配。

最も賢明だったのに主導権把握をせず自分が一番賢かったことを獄の隅で吠えて史書に名を残して満足した田豊

私はこの三人なら郭図を評価したい。

 

 

味方の誰よりも賢かったことだけ隅っこに書きつけて満足して。

賢いんなら機を逃さず大将トップ参謀になる責任があったのにあなたはそうしなかった。

2021-05-10

オタク恋活あるいは婚活をする 1ヶ月目

恋活婚活レポートとして何か書き残したいのでここに記す。

私のスペックだが、

・年齢25歳

年収350万(正社員

容姿は褒められたことはない。チー牛とか拳で抵抗する21歳に近い、細身で眼鏡もしているから余計にそう見える。

オタク歴はずっと追い続けている作品があって、その作品同人誌即売会には欠かさず参加している。最近個人サークルで出ているが、島中の小説作品だ。

アニメ漫画ゲームは気になった作品を見ているので、最新の作品を追いかけているわけではない。

後はミリタリー、戦史書軍事関係書籍を読むのと、サバイバルゲームをしている。

相手に求めることは今の趣味を認めてくれることと仕事だ。今の仕事シフト制で休み不定期、それに加えて勤務先での泊りもあるのでそこを理解してくれる人がいい。

年齢は自分の歳から前後5歳が希望だ。

オタク婚活サイトに立つ

 入社して3年目、仕事が落ち着いてくると将来について不安になってきた。結婚願望はあるが、こんなオタクなので簡単相手は見つからないだろうなと思った。

30歳で苦労するより今からコツコツと婚活恋活でもいいから始めたほうがいいのかなと考えた。兵は拙速を尊ぶという言葉もあるし、さっそく動き始めた。

Twitterまとめサイトオタク婚活話を見たことを思い出し、その話に出ていたオタク向け婚活サイト登録してみることにした。

登録を済ませて、一通り会員検索をしてみるが、アクティブ会員が少ないような。女性の年齢層も私より上で、希望する相手も同年代希望が多い。

このサイトでは私は若すぎるようで続けるかどうか悩んだけど、日記などの機能面白いのでとりあえず継続することに。

オタクオタク向け街コンにてオタク出会えない

 オタク向け婚活サイトの他にマッチングアプリ登録したが、よい結果は出ない。有給消化で土日休みを得たので、試しにオタク向け街コンに行ってみることにした。

ネットはいい話は聞かないけれど、本当かどうか気になった。結論から言えば、愚者経験に学び賢者歴史に学ぶという言葉通りになったのだが。

男女比率も良く、相手女性も変な人はいなかった。しかし、相手女性たちはスポーツが好きで、それに関連した漫画アニメを見ていますという方がほとんどで、

小中高大学文化部オタク街道を走ってきた私とは相容れないような人が多かった。

Youtubeで猫の動画を見ていますと言われても、こっちはニコニコ動画スローロリス動画見ているからなあ。

私の思うオタクらしいオタクとは出会えずにお開きとなり、家でアニメを見ました。



最初の1ヶ月はこんな感じでした。次の1ヶ月も頑張りたいと思います

2021-04-24

anond:20210424100422

日月火水木金土の七曜の概念が入ってきたのは明治維新以後です。

ただ、曜日みたいな概念がまったくなかったわけではなく、十二支十干がありました。

これは十二支と、五行木火土金水)をそれぞれ兄弟にわけた十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)を組み合わせたもので、60で一組です。

年に丙午(ひのえうま)などの呼び方があるのはご存じと思いますが、昔は1日1日にもあてはめてました。



実際、中国史書では何月何日ではなく、「何月」の次は「日付の干支」で記されていました。

(7月22日ではなく、7月己丑、のように)

2021-01-02

5chで見かけたおかしい人(ワッチョイW 41c5-PojC)

ワッチョイW 41c5-PojC

http://hissi.link/5ch/php_files/hissi/read_k.php/poverty/20210101/3K-BrrJXIDQxYzUtUG9qQw..html

 

日本って「正史」作らないの? [799215407]

https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1609489937/37

 

37 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 41c5-PojC)[sage] 投稿日:2021/01/01(金) 18:01:47.31 ID:ljj5YKy+0

日本書紀と古事記研究した国文学者が自国歴史の嘘を説明できずに発狂した結果カルト宗教を立ち上げる国で何を言ってるんだ

ちなみにそのカルトの血を引く社団法人が発行する『職場教養』なる本をいまだに有り難がる経営者達が跋扈してるからブラック企業問題の根っこもこの辺にあるわけで

 

69 自分番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (アウアウウーT Saa5-Fu3+)[] 投稿日:2021/01/01(金) 19:22:14.02 ID:Ai9KG4tfa [3/15]

>>36

言うて、日本も割と残ってる方だと思うけどな

中国例外的にすごいだけで

 

75 返信:番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 41c5-PojC)[sage] 投稿日:2021/01/01(金) 19:41:44.06 ID:ljj5YKy+0 [5/7]

>>69

お前みたいなのってさ

このスレタイ読んで嬉々として「近現代以降の皇室歴史国立国会図書館にも残されてるよ!」とか言ってて自分違和感すらないわけ?

 

共通項として「歴史」を語ってるだけで議題にも沿ってないし、近現代以前、もっと言えば天皇系譜が始まりから怪しいって話は何故か徹底して避けるじゃん

それどころか日本史書も十分残ってる方だ!とか言い出すし

何がしたいの?スレタイと周りのレス見えてるか?

 

最初レス>>53からして突然「敗戦以降の時代を扱うものでは」とか言って時代区分を限定して語り始めてるし

 

78 自分番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (アウアウウーT Saa5-Fu3+)[] 投稿日:2021/01/01(金) 19:44:59.18 ID:Ai9KG4tfa [6/15]

>>75

いや、天皇紀や実録って、政府編纂した歴史書だろ?

それが正史定義だろ?

お前の定義が何なのか俺は知らないけどさ

 

86 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイ 4dca-hZl1)[] 投稿日:2021/01/01(金) 19:51:16.92 ID:jrmko2Ot0 [2/2]

>>75

いや正史の話してんだからスレタイに沿ってんじゃん

スレタイが作らなかったのじゃなくて作らないのなんだからなぜいま作らないのかって意味だろ

 

84 返信:番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイW 41c5-PojC)[sage] 投稿日:2021/01/01(金) 19:49:15.09 ID:ljj5YKy+0 [7/7]

>>78

近代以降の」史書なんて誰も言ってないのに何故近現代以降の文書が残されているか日本正史を著した文書はしっかり残されている!なんて主張が罷り通ると思うの?

近代以前のものはなぜ残っていないのかな?そこにはなぜ触れない?

 

85 自分番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (アウアウウーT Saa5-Fu3+)[] 投稿日:2021/01/01(金) 19:50:36.02 ID:Ai9KG4tfa [9/15]

>>84

近代以前のものはなぜ残っていないのかな?

これはお前が勝手に言ってるだけだよね?

少しはググれば良いんじゃないかな?

例えば六国史とか江戸幕府編纂歴史書とか出てくるから

俺は近代以降のを挙げたかたから挙げただけ

 

いや、お前が勝手歴史がない!と思いこむのは自由だよ

 

91 名前番組の途中ですがアフィサイトへの転載禁止です (ワッチョイ 2e05-Jh9r)[] 投稿日:2021/01/01(金) 19:53:14.40 ID:A06EIfa20 [2/15]

>>84

徳川実紀寛永家系図寛政重修諸家譜・後鑑

あと朝野舊聞裒藁

2020-11-10

anond:20201110194317

へうげもの史書じゃなく娯楽だから楽しめればそれでいいし、じっさいそれなりに楽しめた。アニメもよかった。

おれはというと、途中で読むのやめた。史実からの離れっぷりが壮大すぎて、さすがについていけなくなったw。

ただあのマンガが契機で茶湯や焼き物が好きになった人もけっこういるし、個人的には「へうげ十作」がすごいと思った。



追記

id:kash06さんはじめまして

なんか盛り上がってますねー。びっくりです。盛り上げてくれてありがとうございます

へうげ十作の現代作家さん、おれもみんな好きですよ。

古い記憶をたどると、大江憲一先生の粉引き茶盌、瀬戸黒茶盌はよかったな。大江先生2010年代とは作風かわられましたね。

あとは栢野紀文先生の粉引き彩文重箱と菓子器や皿。楽しい

水垣千悦先生山田浩之先生もよかった。

多治見加藤先生の青白磁食器が好きです。角皿は菓子器にも花器にもなるし。あとスパゲッティ食いたい。ベーコンガーリック春菊パスタ

金理有先生オブジェは、露地の結界とか燭台に使わせてほしい!

kash06さん好みの伊藤先生寺田先生穂高先生。おれもいいと思います。色や柄は写しあり独創ありでそれぞれですが、長次郎型、織部型、黄瀬戸向付型、みんな茶盌として定着した型です。つまりお茶を点てやすく取り回しやすく飲みやすタイプ。ここをはずしたら茶陶じゃないw。篠原先生は、茶陶よりも平安期の古信楽意識した大作がかっこいいと思います。でも、写しから脱却した自由なかたちの皿のほうが、ほんとうは好きかも。

ただへうげ十作のすごさは個々の作品だけではなく、それを全国、とき海外からも持ち寄って一座建立をじっさいにやってしまたこと。そこには制限境界もなく徹底的に自由だったこと。つまり文化を構築する作業だったこと。そこがすごかったし、いまでもすごいと思っています

2020-03-30

南部のキシュ近郊のホージャ・イルガル村でバルラス部の貴族アミールタラガイの家に生まれる[注 1][注 2][注 3]。後世の史書ではタラガイティムール父子はチンギス・カンからチャガタイに王傅として与えられたバルラス部の千人隊長カラチャル・ノヤンの子であるとされるが、カラチャルからタラガイに至る人物は同時代史料記述のない者ばかりであり、史実かどうか疑

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292672-31-03-2020-Место-под-солнцем-33-серия-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292692-31-03-2020-Любовь-на-выживание-11-серия-все-серии-сезона-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292752-31-03-2020-Паромщица-4-серия-хорошее-качество-смотреть-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198671-31-03-2020-Вiд-пацанки-до-панянки-4-сезон-6-серия-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198731--Заступники-9-серия-31-03-2020-хорошее-качество-смотреть-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198791-31-03-2020-Карпатский-рейнджер-25-серия-онлайн-сериал-смотреть-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060293112-31-03-2020-Три-капитана-8-серия-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060199011--Патриот-13-серия-31-03-2020-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060199091-31-03-2020-Паромщица-8-серия-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-от-31-марта

若年期 ヒジュラ暦736年シャアバーン月25日火曜日の夜[21](1336年4月8日[22][23][24][25][26]/4月9日[23])にサマルカンド南部のキシュ近郊のホージャ・イルガル村でバルラス部の貴族アミールタラガイの家に生まれる[注 1][注 2][注 3]。後世の史書ではタラガイティムール父子はチンギス・カン

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198111--Заступники-8-серия-31-03-2020-смотреть-качество-HD-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292172--Вiд-пацанки-до-панянки-4-сезон-7-серия-31-03-2020-смотреть-качество-HD-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198171-31-03-2020-Паромщица-9-серия-все-серии-сезона-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198231-31-03-2020-Карпатский-рейнджер-24-серия-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198271--Ничто-не-случается-дважды-2-сезон-1-серия-31-03-2020-качество-HD-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198351-31-03-2020-Корни-18-серия-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292472--От-пацанки-до-барышни-4-сезон-7-серия-31-03-2020-последние-серии-смотреть-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060198451-31-03-2020-Паромщица-7-серия-все-серии-сезона-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060292612-31-03-2020-Три-капитана-5-серия-качество-HD-от-31-марта-

ガン、ハンの婿)」「アミール(長、司令官)」の称号を名乗った[14][15]。ティムール鋳造した貨幣にはチャガタイ家のハンの名前と共にキュレゲン称号が刻まれモスクの金曜礼拝でもハンの名前とキュレゲン称号がフトバに入れて唱えられた[13]。彼が没してからおよそ20年後ティムール朝で編纂された史書『ザファル・ナーマ』で彼が生前名乗らなかった「ハーガーン(ハン)」「スルターン」の称号が追贈された[16]。

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060287292-31-03-2020-Заступники-8-серия-последние-серии-смотреть-от-31-марта

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060287332-31-03-2020-Доктор-Вера-22-серия-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060287392-31-03-2020-От-пацанки-до-барышни-4-сезон-7-серия-качество-HD-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060287452-31-03-2020-Три-капитана-9-серия-все-серии-сезона-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060193231-31-03-2020-Три-капитана-9-серия-онлайн-сериал-смотреть-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060287472--Патриот-14-серия-31-03-2020-смотреть-онлайн-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060193311--Солдатки-4-серия-31-03-2020-последние-серии-смотреть-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060193351--Корни-18-серия-31-03-2020-смотреть-бесплатно-в-хорошем-качестве-от-31-марта-

https://apprisspmpclearinghouse.zendesk.com/hc/en-us/community/posts/360060196751-31-03-2020-Тайная-любовь-6-серия-качество-HD-от-31-марта

v

2020-02-02

anond:20200131200948

その3人じゃなくて、魏、蜀、魏の3つの国を指してる

元々は史書でそれを元に三国志演義というエンターテイメント昇華されたもの所謂いまの三国志

2019-11-06

キングダムおもしろいね

絵柄がイマイチだなと思って敬遠していたが、つい最近読み始めた。

思っていたよりも人がスパスパ死ぬおもしろい。

さて、キングダムにはさまざまな魅力的な武将人物が出てくる。

キングダム史実をもとにアレンジしている。当然と言えば当然であるが、そのアレンジ歴史の流れを理解する能力がなければ魅力的な人物を描くというのは大変難しいと思う。

中国に伝わる物語アレンジした漫画といえば封神演義を思い出すが、あちらに関してはどうやって物語を着地させるのか、そっちが気になって仕方がなかったのを覚えている。ただしキングダムに関しては仙術のたぐいはほとんど出てこないので、超技術でどうこうという話にならないのが確定的な分、安心して読んでいられるのが救いと言えば救いか

さてそんなキングダムキャラ、読者はそれぞれお気に入り人物がいると思うが、私なりにいろいろ考察したことをつらつらと書いていこうと思う。ちなみに私は史書原作)を読んだことがないので悪しからず。


・信

三国志なんかでもそうだが、古代中国人物名前は概ね姓名各一文字の二文字名前が多く、稀に姓が二文字人物が出てくる、という感じだ。

その中でも漂や信は下僕であったので、姓がない・・・のかと思ったが、騰はまだしも貴族の出である壁など、意外と一文字人物が出てくる。

彼は最初、政を助けた後に将軍職を望むが、説得されて結局は戸籍と家をもらうことになる。あまり細かくは語られていないが、これはかなり重要なことだと思う。

物語が進んでいくとよくわかるが、各将軍には有能な副官、部下がいる。彼らの働きこそが将軍たちを支えているのであり、将軍単体でまともな仕事をする人物というのはなかなかいない。ヒョウコウはとくに優秀な副官らしい人物は出てこずヒョウ公自身がひっぱっている感じで描かれているが、その裏では岳雷をはじめ彼のことを理解し補佐する副官たちが存在したはずだということはわかる程度になっている。

仮にあの時点で信がポンと将軍職をもらっていたとすると、部下のいない将軍が出来上がる。それでは夢の大将軍にはなれないので、イチから始めなさいと言われたわけだ。

それと重要ポイントが、彼はバカである

当時は下僕に限らず、よっぽどの家に生まれない限りはまともな教育など受けられないはずだが、それを差し引いて考えてもおバカなのである

物語上、登場人物にとっては当然のこと、常識であっても読者にとってはそうでないことを説明させるのに便利なのだキングダム内に置いては、特に地理説明などに重宝していると言えるだろう。また、序盤はそうでもないが、それなりに話が進んでくると登場する人はたいていそれなりの役職にいる人=優秀な人であるので、説明せずとも理解しないで話が進んでしまうこともままある。それでは読者が置いてけぼりになってしまうので、主人公、あるいはそれに近い人物が物を知らないのは大事なのだ。他の作品で言うと、ワンピース主人公ルフィおバカなので、要所要所でナミやそのほかの人に解説を受けている。(その多くをルフィ理解していないが)


・昌文君

言わずと知れた秦国王の一の臣である

彼と王の出会い、心酔するに至るエピソードは明らかになっていない。あえて言うなら紫夏の回想のくだりで初対面を果たしているはずだが、その部分はあの話にとって重要ではないのでまったく語られていない。

彼は王騎が評した通り、物語を通していぶし銀な働きを続ける。

登場時点ですでに文官に転じているため、基本的戦闘シーンはない。時代的にも文官からといって剣は持たないというようなこともないので、ちょくちょく佩剣しているのを見かけるが、信のように一騎打ちするシーンは出てこない。

(元)武官らしい働きをするのはサイの防衛戦くらいか。彼が武官としてどの位置まで上がったかも今のところ語られていないが、風向き有利な西壁において抜かれている辺り、やはりそんなにでもないのかな・・・なんて思ってしまう。

文官としても、時折シシに諫められていたり、超一流ではないことを伺わせるシーンが折々に挟まれている。リシに頭を下げるシーンなど、彼が文官として(も)頂点に上り詰めるほどの才がないことを強く感じさせるが、そんな完璧超人でない部分が重要人物であるように感じる。完璧でないからこそ彼の脇を支える壁やシシの働きが際立つのであろう。

からも「オッサン」と呼ばれ侮られている感があるが(盟友である漂を殺される原因となった人物であり、諸手をあげて尊敬することはできないだろう)、その信も昌文君こそが政を支え、自分も手助けしてくれる存在であることを認知している。特に冒頭に述べた「一の臣」であることを信すらもが認めていることがわかるシーンがある。加冠の儀を終え、アイ国軍鎮圧したあとの「あんたの口から言ってくれよ」というセリフだ。あのシーンは呂不韋との政争勝利宣言であるが、勝利宣言というのは勝った側の、頂点に立つ人が行うものである。つまりあの場にいる一番は誰なのかという問題であった。殺されてはならない王族を救った信でもなく、実際に反乱軍鎮圧するのに必要不可欠であった将を打ち取った昌平君でもなく、政に長く寄り添い、支え続けた昌文君に託され(しかも信から)、彼の口から行われることに意味があった。バカな信でもそのことを理解していた。

長年の苦難を回顧し、その一部を共にしてきた読者にとって、勝利を実感している彼の姿はやはり感動的なものがある。映画版がどこまで話を追うことができるかわからないが、このシーンはぜひとも再現して欲しいと思っている。


・壁

昌文君を大王政の一の臣と評したが、その昌文君の一の臣である

文官となった昌文君に代わり、「武」を司る人物となるべく存在しているはずだが、実際のところそのあたりはだいたい信に取られてしまっている。王センに捨て駒にされたり、食料を焼かれたりと頼りないシーンが多く、出番の割に見せ場は少ない。合従軍戦でも当て馬にされている。

しかいぶし銀な働きで大王を支える昌文君を支えるだけあって、地味だが必要仕事をこなし続ける。合従軍戦においてはヒョウ公と信と共に南道に入り、ヒョウ公を討たれ激情に駆られた信を諫め王都に向かい、サイの守城戦では信の南壁に続く東壁を守り抜いた。また、アイ国戦においては本人の出番はないが、旧友に根回しして軍を率いる将を確保している。

今後の彼に見せ場はあるのだろうか。

・龐煖

ある意味において面白みのないキャラだな、という感じはする。個人的には最初から最強のキャラはかなり好きなのだが、非常に自分本位なキャラであり、どうしても強さ以外に魅力がない。

が、おもしろいなと思う部分はある。彼自身が信が説得され諦めた「ポンと手に入れた、部下もいない大将軍」なのである。幸いなことに李牧という強力な参謀の駒として動くことになるためついてくる部下がいるが、もし彼がいなければ本当に裸の大将だっただろう。

そういう対比という点においてはよいキャラだと思う。


あとは気が向いたら

2019-09-09

anond:20190908211314

>なんとこの張良史書デビューしたのは始皇帝暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリーム暗殺未遂を起こしており

これが出てくるのが「竜師の翼」。修羅の門とか描いてた人の作品、連載中。

(政が悪逆の存在として描かれてるのでキングダムの政ファンは注意。姿もほとんど出てこないけど。)

2019-09-08

俺の中で「キングダム」が完結した

俺はずっとマンガキングダム」を歴史スペクタクルマンガだと思っていたが、違った。

キングダムヤンキーマンガなのだ

地元都道府県、そして全国の高校のやべーやつらと戦って、全国制覇を目指す。キングダムフォーマットはそれだ。

からオリキャラ史実キャラわず量産型やばいやつが途切れることなく出てくる。「秦六将」とか「三大天」とか「魏火竜」とかは「〇〇高校四天王」みたいな感じだし。

と言うわけで自分の中で整理はついた。

それと同時に、寝る前とかに妄想してた「俺のキングダム」が先日無事始皇帝が死に、次世代英雄たちが顔見せして終わったので、俺の中のキングダムをここに書いて残しておきたい。

いやー、項燕は強敵でしたね…。

主な舞台は3つ

キングダムにはストーリーの軸となる舞台が3つある。

この3つだ。

この3つを経糸に、キャラクターを緯糸にしてストーリーが紡がれていく。歴史スペクタクルとしては標準的な形だ。

そして、主人公の信はこの3つの舞台全てにかかわっているという、まさに主人公らしい立ち位置にいる。

そして、それぞれの舞台で魅力的な人物が多数いるので、何をどうやっても面白くならないわけがないのがキングダムの魅力だ。

史実を見るだけでもやばいやつらがそれぞれにひしめいている。

それを一つずつ解決して、信と政がどんどん力をつけていく。この3つの舞台を上手く使えば、「有名人=とりあえずめっちゃ強い」というヤンキーマンガ文法から脱することも容易だ。

キングダムは非常に優れたフォーマットマンガと言えよう。

ヤンキーマンガ揶揄しているわけではなく、歴史を描くのにヤンキーマンガスタイルは合わない、と言うことだ。

さらに、3つの舞台それぞれにラスボスとなる人物存在することも非常に大きい。

以下、それぞれの舞台登場人物ラスボスを見ていこう。

ドロドロの王家の内情、暗殺劇が楽しめる宮中

原版の「キングダム」でもこの宮中編は極めて面白い。特に弟の2度の反乱のストーリーは素晴らしい。弟君には生きてほしかったぞ…!壁さんはそんなに…。

後宮のドロドロとした問題が、回りまわって政治問題となり、そして戦争に至るという、ある意味で「全ての元凶であることもポイントだ。

そして、そのど真ん中に秦王・政がいるわけで、のちの始皇帝となる彼の胸中にもスポットライトが当たる。ともすれば闇に飲まれる政を救うのが信であり、テンであり、向ちゃんちゃんである

特に信は様々な事件後宮に切り込んだことのある人物なので、後宮と言う閉鎖された環境を大きく振り回す役目も持っている。

そして、政治戦場という表舞台には出てこない、もう見た目からしてヤバい奴らが出てこれるのもこの宮中編だ。

うぉおおおお!角力剛拳

ベルセルクバーキラカ編がめっちゃ面白かったように、キングダム宮中編も面白いのだ。ここぞとばかりに妖術!仙術!奇々怪々!な人外もの共演が魅力だ。

そして、この宮中編で出会ったキョウカイと戦場編、そして政治編を共にしていくという、まさに「裏から舞台に、闇から光にぐいぐい引っ張り上げていく」信というキャラの魅力も存分に楽しめる。

テンは軍師としてではなく、この後宮における諜報活動をメインの舞台にして、趙高と対決しつつ、対外的には山の民との折衝を、内に対しては暗殺者たちの警戒を、そして信が戦場に行っている間の領地経営などをすれば、「テンにしかできないこと」によって信や政をサポートできる。

そして、この宮中編のラスボスはやはりコイツしかいない。

荊軻である

キングダム世界の最強の暗殺者として描写される荊軻は、政、信、テン、キョウカイと物理的に対決することができる貴重な存在だし、中国史上最も有名な暗殺者(だと思う)で、しか人格高潔。また「傍若無人」の語源にもなった男として(語源結構いい意味)、知名度エピソード的にも隙がない。

理想のためには己の手を汚す、歴史汚名を残しても構わないという政に向かって、「そうはいってもお前がやっていることは中華全土の民を苦しめる行為である」と喝破できる暗殺者。荊軻こそ宮中ラスボス

ここに至り、政や信はルァァ!ではなく、筋として、現実的な回答としての「善い国」を目指さねばならなくなる。そして、史実では成功したとは言えない始皇帝の各種改革の意義も、きちんと読者に提示することができよう。

荊軻とキョウカイの戦いはワレブシンなどとは格の違う激戦が展開される。

闇を心に宿す聖王である政と、光を心に宿す暗殺者の荊軻という対比もいい。

荊軻がどのような最期を迎えても、読者に強烈な印象を持たせられるはずだ。

また、結局のところ最後最後まで残る秦国最悪の毒である趙高のヤバさも存分に描くことができる。趙高荊軻の対比も面白いかもしれない。人格最悪の宦官と、人格最良の暗殺者とかね。ベタかもしれないけど。

外交領土経営が楽しめる政治

主人公がどんどん成り上がっていく、となれば、それはもうアメリカンドリーム世界なので面白くないわけがない。

クッソボロい小屋から始まって、村、町、郡、県、そして国政にもさんかする秦国重要人物になっていく様は、政の目線から見ても面白ものになる。

政が初めて信に褒美を手渡したシーンは名シーンだ。家で待ってるテンもかわいい

最初のうちは昌文君の後ろにくっついて国政や外交見学するわけだが、そこにキョウカイも連れて行ったりしたのは面白かったな。

賓客として訪れる各国の重要人物との縁もできるし、そこから戦場対峙するギャップもいい。

しかし何より楽しいのはやはり領土経営だろう。

テンちゃんには後宮での諜報活動の傍ら、こちらに注力していただいて、戦場ストレスを抱えるよりこちらでほのぼのと領地経営をしていただきたい。たまにキョウカイが飯を食いに来るとか。

そのうち王騎の城をもらえることになったりとかね。

秦は法治主義がかなり浸透してるので、その法治主義の利点、欠点商鞅の件みたいな)をひきつつ、では信はどういう国を理想とするのか、政はそのためにどういう王でなければならないかが描き出される。

領地経営を通じて、信は大きく成長し、その経験戦場でも生かされることになるだろう。

なぜ法治国家であった秦が強かったのか。他国との違いは何か、かかすことのできないストーリーになるだろう。

ラスボスはいろいろと考えられる。外交面では斉王だろうが、「国家運営」と言うところまで話が広がれば、丞相・李斯とどういう関係になるかが問題になるだろう。

また、後宮編ともリンクするが、政の二人の息子の問題が大きくクローズアップされる。

政は長男をどう思っているのか?それがキーポイントとなる。

信は王子にどうかかわるのか。

そしてここでは蒙恬も大きな役目を果たす。

蒙恬は知略、政治にも優れたイケメンで、最終的に政の長男を奉じて最後まで行動(史記では批判されているが)し、悲劇的な最期を遂げることになるのだが、そこに至る伏線を張り巡らすにはちょうどいいだろう。

この政治編のサブ主人公蒙恬と言える。李斯趙高に対抗するにはどうするか、王子をどう教育するか。

個人的に、政の長男扶蘇に「おじさん」と呼ばれてめっちゃなつかれる蒙恬が見たい。

しろ扶蘇女の子でもいいぞ。女の子から継承から廃された、とかね。

蒙恬はテンちゃんとくっついてもいい。むしろそれだけの材料は十分にある。

宮中編がトリガーとすれば、政治編は撃鉄と言うことになるだろうか。

そして、全ての決着をつける弾丸となる戦場編に舞台は移動する。

武将の華・戦場

ドンドンドン

誰が至強か!?

ドンドンドン

誰が至強か!?

ドンドンドン!!

 汗 明 ! 

大体このノリでOKだ。文官だった汗明さんがこんな至強に。それがキングダム戦場である

宮中編、政治編とはまたベクトルの違った奇人変人ステージとなるこの戦場編では信には思う存分ルァァしてもらって、キョウカイにはスヒンしてもらえばそれでいいと思う。

ここに関してはさほど言うことはない。みんなが思っているような戦場を思い描いてくれればOKだ。

ただ、ぶっちゃけもうちょっと項翼の格は上げてほしいし、何なら戦国最強の項一族とか捏造して項翼のみならず項翔とか項離とか項飛とか「項+飛翔系」の量産型をそろえてもいいかもしれない。ダメか。

それはともかく、李牧さんには政治編でも活躍してもらえるので、戦場での出番はここ一番まで取っておいてもらって、部下のニンジャマスクには退場していただければそれでいいような気がする。ニンジャマスクはなる早でキョウカイに切り捨ててもらえるとありがたい。

この戦場編でのサブ主人公は王賁と言うことになるだろうか。

ベジータのようないいライバル関係になってほしいところ。

上手く描写すれば王賁とキョウカイがいい雰囲気になる寸前のところくらいまで言っても受け入れられると思うんだよね。

ラスボスは当然のごとく項燕。

カリンさんは政治編でも頑張ってもらえばいいので、やはりラスボスはこのオッサンだろう。

後の覇王項羽のおじいちゃんなので、ぶっちゃけもう項羽として描いてもいいんじゃないって感じはする。歳の問題はあるが。

そして、重要なことは次である

キングダム最大の懸念

「信、イキリ散らした挙句の大惨敗問題

である。みんな心配しているだろう。

でも、これは、割と簡単解決する。

というのも、信が楚に20万(だっけ)で攻め入った時、蒙恬も一緒にいるのだ。

蒙恬=知将+イケメンなので、蒙恬がいたのにそんな無様なことにはならんだろと言う予測がつく。

そして、歴史作品の魅力と言えば、「なぜその人物はそんなことをしたのか」に上手い理由をつけるのが醍醐味

ならば、簡単に「なぜイキリ散らしたのか」に理由がつけられる。

それは、

楚を、項燕を倒すためには二段攻撃必要だったか

OKだ!

楚は国土がでかい長江もある。ゆえに他国からまり侵略を受けていないので、楚の内部の城郭がどうなっているのか、兵士はどれくらいいるのかが全く分からない。

なので、だれかが犠牲になってでも強行偵察&戦力を評価をしなければならない。今秦国が動かせるのは80万しかない。いきなり80万で出て行っても、翻弄されて撃破される可能性がある。

ならば、秦王の最も信頼の厚い将軍である信がその「潰れ役」を買って出て、次なる勝利布石とする!

みたいなことを信の口から言わせれば、信がこれまで経験してきたことで説得力もあるし、王翦ら歴戦の将軍も納得し、一目置かれるだろう。

そうならば、「泥臭いもこなせる」楽華隊を率い、信の親友である蒙恬がついてきてくれることにも全く違和感がない。

王賁もこのころまでにギスギスをやめて、劇場版ジャイアンみたいな感じで送りだしてくれるだろう。

で、決死の強行偵察であることを悟らせないために(朝廷にもスパイ入ってるだろうし)、公的にも、歴史的にも、「信とかい若い将軍がイキって20万で楚を攻める」という体にしておく。

「天下の大将軍になる」という目標の信が、「政の目指す国のために、名誉を捨てる」という、劇的な変化を見られるのだ。

そんな内情を、何となく兵士たちは察したときキングダム冒頭の「李信将軍!」とついていくのだろう。熱い話である

李信一族

歴史を見ると、李信一族は「優秀だが報われない」一族であることがわかる。

李信の子である将軍・李広は武勇を誇るも功績を認められる憤死

その李広の孫である李陵は「あいつは寝返った」と勘違いされ、不名誉を着ることになった。

しか一族は決して衰退することな繁栄しのちの世にまで子孫を繋いでいる。

まり、「報われない一族でありながらも、きちんと評価してくれている人がいる」という一族でもある。

その筆頭が、史記を書いた司馬遷だ。先の李陵を弁護したため宮刑を受けてしまった司馬遷は、「自殺よりも歴史書だ!」と熱い情熱を燃やし、史記を書きとおした。

キングダム李信史記、これが一つにつながるのである

さらに、詩仙・李白李信一族の子孫なのである

李白始皇帝について詠んだ詩があるという話は聞いているんだが、それはまだ確認できていないが、ラストシーン李白に詩を読ませるところでしめてもいいかもしれない。

誰のための大将軍なのか

結局のところ、信が大将軍を目指して走ってきたのは、漂との約束があるからだ。

最初はただの功名心で始まった大将軍の道が、様々な出会いと別れで肉付けされていく。これがキングダムの一番の幹である

そこで、自分の夢を命を預けられる親友、政にであい、道を同じくする。

そして、「政の目指す国を作るための剣になる」ことに目標がほんの少しスライドするのである。その道の先に、名誉を捨てて理想のために戦うという、信の本来の姿が浮かび上がってくる。

李信大敗後、だれも責任を追及しないし、処刑もされないし、子孫は漢の時代からそのあとにも反映している。

それは史書には残せずとも、当時の人は本当のことを知っていたということにできる。

王賁あたりに「信、お前がナンバーワンだ」と言ってもらおう。

エンディング

キングダムがさわやかに終わる可能はどのくらいあるのだろうか。

かなり難しい気はする。

まぁ焚書坑儒については、ある程度行ける。

焚書で焼いたのは、各国の歴史書と、法律の本だ。あと儒教経典

これは当時の世相を考えれば、何とか理解できるような気がする。というのも、ぶっちゃけ中華史上初の統一国家を作る、となれば、強引にでも意思統一しなければならない。

そのために、「俺らの祖先は秦にころされたんだぜ」というような本は廃さねばならなかったろうし、儒教経典については、はっきり言って法治国家儒教邪魔なので、致し方ないといえる。

なんせ、儒教は「徳のある君主統治するなら、法律など不要」「法律なんてものを作ったら、その法律の穴を利用しようとする小物ばかりになってしまう」というものなので。

その代わり、農業書や実用書は焼かれずに奨励されたというしね。

あくまでも実利、実学法治思想での近代的な国家運営を目指した、が、それは時代が早すぎた。という感じなのか。

あるいは、「今理解されずともよい。後世に理想を見せるための建国なのだ」と言わせるか。事実、これ以降の中華大陸は「統一しなければならない」という意識がかなり強まった気はする。そして宋の時代中華思想が完成するわけで。

ボス

キングダム世界には裏ボス豊富だ。

まず趙高。いうまでもなく裏ボスだ。李斯も裏ボス風味ではある。

そして、裏ボスとしての説得力最高の人物がいる。史上最高の軍師張良だ。

なんとこの張良史書デビューしたのは始皇帝暗殺だ。始皇帝の乗る車にハンマーを投げ込ませるというエクストリーム暗殺未遂を起こしており、そこで追われる身となってセンプク。その最中軍学を学び、史上最高の軍師誕生するわけだが、

この経歴&女性のような容姿&仙術修行趣味から考えると…

暗殺者系の最上位の裏ボスになりうる!

仙術!妖術!暗殺術!キョウカイ以上の美貌!恐るべき頭脳

割と裏ボスにぴったりなんではないだろうか。

しろ張良始皇帝暗殺しちゃってもいいかもしれん。病気でなくなるよりは劇的だろうし。

後は妖術師徐福だな!

格はだいぶ落ちるが!

まぁいいか

最後

余命少ない俺には、生きている間にキングダム完結が見られないのでこんなことを書きました。

俺の代わりに最終回まで見届けてほしい。

2019-08-22

anond:20190822135351

× 中国で一番古い

史書に記されたなかでは中国で一番古い

2019-05-07

推理小説が嫌い

推理小説の何が嫌かって、登場人物も背景設定も何から何まで、「説得力」のためにあるところ。

犯人完全犯罪を目論む、知能犯である。知能のある人間トラウマの一つもないのに殺人を犯したりはしない……。

こういう風に、全てが計算づくで動いている説得力のある世界観が、もう嫌い。

追記

ちなみに好きなのは虚無への供物ドグラ・マグラ

黒死館は反吐がでるくらい嫌い。アンチミステリからどうこうってわけではないと思う。

宮部みゆきも嫌い。あれこそ全てのキャラクター世界のために存在する作品代表格。

(再追記

なんか勘違いされとるけど、俺は「キャラクターが作りこまれている」のが嫌いなんであって、

そういう意味では社会派の方がよっぽど嫌いやぞ

あと、他にもあげろって言われたからあげると『邪馬台国秘密』とかは好き

あいう作者にはどうにもできない史書とかを題材にしたやつはいい。

2019-01-24

「きみらだって劉備奥さんの肉振る舞った某の話、酷い酷い中国かいうやん。」

quick_past きみらだって劉備奥さんの肉振る舞った某の話、酷い酷い中国かいうやん。現代的な視点で見た時、時代性を考慮した時、もの見方なんていくらでもあるがな。

2019/01/24 リンク Add Starpribetchrcikyo_juenemyoffreedomzyzykjinririankou

そんな人間いたことないけど。

当該togetterで名画にマジギレするフェミニストの皆さんみたいに

マジなトーンで「人権侵害だ」「憂慮すべき」なんて言ってる奴がおるのか?どこによ?


だいたい古代中国にはもっとよっぽどキモい話や残虐な話がウジャウジャしてるんだから三国志演義の話なんかどうでもええがな。

こいつ絶対中国のこと全然知らんだろ。北魏のめくるめく残虐超人・おちんぽ超人伝説でも読んでろよ。カッ飛びすぎてて逆に面白くなるから

どう考えてもヤベエ奴ばっかりなのに史書で「ヤベエ奴」「悪い奴」認定されてる帝王なすぎるから

立派な王様扱いでも細かく事跡読んだら理解不能ヤバい


劉備の「義」のエピソード現代感覚やばいとか、嘘くせえとか、そんなツッコミドヤ顔するようなレベルライト初心者中国ネタを引き合いに出すべきではないと思います

君には失望したよquick_past。

そもそも劉備だけでももっと畜生なこと沢山やってるだろ。


つか真面目に言うと

時代性を考慮した時、もの見方なんていくらでもあるがな。

からこそ昔のもの現代の浅知恵で「キモい!」と喚き立てることに意味なんかねーだろ。

その傲慢かつ浅慮な感じで言ってよければ中国の歴史は「全部キモい」と言える。

言えるけど、そんなこと喚いてなんになる?

もっと謙虚かつ広い心で見れば中国の歴史はめっちゃ面白い。


思考停止して「キモいキモい!」喚くだけのガキに迎合する必要がどこに?

「お前は一生それでいいよ」と放置するしかないだろ。

2019-01-10

ガチ新元号を予想する

過去の出典

明治

易経』の「聖人南面而聴天下、嚮明而治」より。

聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」というこの言葉は、過去改元の際に江戸時代だけで8回、計10候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。岩倉具視松平慶永に命じ、菅原から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所天皇が自ら抽選した。聖人北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である

大正

大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨りて以て正しきは、天の道なり)から。「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。

昭和

昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の「百姓昭明、協和萬邦」(百姓昭明にして、萬邦を協和す)による。漢学者吉田増蔵の考案。なお、江戸時代に全く同一の出典で、明和元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である

平成

新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記五帝本紀の「内平外成(内平かに成る)」、『書経(偽古文尚書)』大禹謨の「地平天成(地平かに成る)」からで「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国年号や13代成務天皇諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的元号と言える。

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経からとされている。

過去落選候補

http://mikado-bunko.jp/wp-content/uploads/2018/05/3025bcae9d232990ea364a15905396c4.pdf

安延, 安化, 安寛, 安観, 安慶, 安恒, 安治, 安長, 安徳, 安寧, 允徳, 永安, 永基, 永吉, 永光, 永康, 永錫, 永受, 永昌, 永世, 永清, 永大, 永貞, 永禎, 永同, 永寧, 永平, 永宝, 永命, 永明, 永隆, 延化, 延嘉, 延弘, 延寿, 延祥, 延仁, 延世, 延善, 延禄, 延祚, 応寛, 応観, 応久, 応元, 応平, 応宝, 応暦, 応禄, 応烋, 嘉延, 嘉享, 嘉恵, 嘉康, 嘉高, 嘉彰, 嘉仁, 嘉政, 嘉長, 嘉徳, 嘉福, 嘉文, 嘉猷, 会同, 皆安, 開成, 乾永, 乾亨, 乾綱, 乾天, 乾徳, 寛安, 寛応, 寛化, 寛久, 寛恵, 寛承, 寛寧, 寛裕, 寛禄, 漢徳, 監漢, 監徳, 観国, 観仁, 観徳, 含弘, 喜慶, 喜元, 喜文, 義同, 久応, 久化, 久治, 久承, 久長, 久徳, 久保, 久暦, 久和, 休祐, 休和, 享安, 享延, 享応, 享久, 享寿, 享正, 享長, 享封, 享宝, 享明, 協中, 協和, 恭明, 興化, 興徳, 興文, 欽永, 慶永, 慶延, 慶治, 慶仁, 慶成, 慶徳, 敬徳, 継天, 継明, 堅永, 建安, 建嘉, 建光, 建功, 建寿, 建初, 建承, 建正, 建聖, 建太, 建大, 建中, 建貞, 建定, 建福, 建文, 建平, 建万, 建明, 建禄, 建和, 顕応, 顕嘉, 顕祥, 元安, 元延, 元化, 元嘉, 元観, 元喜, 元吉, 元功, 元康, 元初, 元聖, 元長, 元貞, 元寧, 元宝, 元万, 元竜, 玄通, 光文, 功永, 広運, 康楽, 康承, 康長, 康徳, 康寧, 康文, 康豊, 康万, 弘永, 弘応, 弘建, 弘元, 弘徳, 弘文, 弘保, 弘暦, 恒久, 洪徳, 高克, 祉長, 至安, 至元, 至治, 至正, 至聖, 至平, 治延, 治応, 治建, 治昌, 治政, 治定, 治徳, 治平, 治万, 治和, 寿延, 寿考, 寿長, 寿徳, 修文, 柔嘉, 俊徳, 淳紀, 淳仁, 淳徳, 順安, 順応, 順享, 順治, 順明, 承延, 承寛, 承慶, 承天, 承統, 承寧, 承宝, 承禄, 昭応, 昭化, 昭建, 昭長, 昭徳, 祥応, 祥久, 祥見, 祥和, 章明, 紹明, 慎徳, 神化, 神和, 仁永, 仁応, 仁化, 仁興, 仁厚, 仁昭, 仁成, 仁政, 仁正, 仁長, 仁保, 仁宝, 仁豊, 仁養, 垂拱, 瑞応, 成功, 成治, 成徳, 成和, 政化, 政教, 政至, 政治, 政善, 政徳, 政平, 政和, 正永, 正化, 正観, 正吉, 正建, 正弘, 正仁, 正万, 正禄, 盛徳, 斉治, 斉泰, 斉徳, 斉万, 戴徳, 泰和, 大安, 大応, 大嘉, 大寛, 大観, 大喜, 大亀, 大亨, 大慶, 大元, 大康, 大弘, 大初, 大承, 大仁, 大政, 大中, 大長, 大寧, 大武, 大平, 大万, 大暦, 大禄, 地寧, 中興, 長育, 長永, 長応, 長嘉, 長観, 長喜, 長慶, 長寿, 長祥, 長仁, 長正, 長寧, 長平, 長万, 長養, 貞嘉, 貞吉, 貞久, 貞亨, 貞勝, 貞正, 貞徳, 定業, 定保, 廷正, 禎応, 禎祥, 天嘉, 天寛, 天観, 天亀, 天久, 天求, 天享, 天興, 天業, 天啓, 天恵, 天健, 天建, 天弘, 天受, 天寿, 天順, 天叙, 天澄, 天成, 天政, 天静, 天節, 天聡, 天大, 天秩, 天貞, 天定, 天統, 天同, 天寧, 天佑, 天悠, 天祐, 天隆, 天烋, 天祚, 同徳, 同和, 得寿, 徳安, 徳永, 徳延, 徳化, 徳嘉, 徳久, 徳建, 徳元, 徳寿, 徳仁, 徳政, 徳斉, 徳善, 徳保, 徳暦, 徳禄, 徳和, 徳祚, 寧永, 寧延, 寧治, 寧長, 寧和, 能安, 能成, 武功, 福応, 文嘉, 文寛, 文観, 文享, 文建, 文元, 文功, 文康, 文弘, 文始, 文承, 文昭, 文祥, 文仁, 文長, 文定, 文同, 文平, 文邦, 文万, 文隆, 文熙, 平康, 平章, 平泰, 平和, 保嘉, 保貞, 保徳, 保寧, 保佑, 保禄, 保和, 輔徳, 宝安, 宝観, 宝承, 宝仁, 宝文, 万安, 万永, 万応, 万喜, 万弘, 万祥, 万長, 万貞, 万徳, 万寧, 万福, 万保, 万宝, 万禄, 万和, 明安, 明化, 明享, 明教, 明建, 明順, 明政, 明徴, 明長, 明定, 明保, 明宝, 明万, 靖寛, 有治, 容徳, 用保, 陽安, 養寛, 養元, 養治, 養寿, 養仁, 養万, 立成, 立徳, 隆治, 竜徳, 令徳, 礼道, 暦久, 暦長, 暦万, 暦和, 禄永, 禄長, 和元, 和政, 和同, 和徳, 和寧, 和平, 和保, 和宝, 和万, 和暦, 咸章, 咸定, 咸寧, 咸保, 咸和, 洽和, 祟徳, 秉徳, 綏禄, 遐長, 雍和, 熙康

考察

元号の条件とされているのは以下。

さら

あたりは追加して良さそう。

そのうえに

といった推測ができる。

過去落選候補をこうした条件のもとで選り分けていくと、「永」「久」「仁」「文」あたりの漢字が単純で分かりやすい感じがする。

平和志向については、「平」「和」が既に使われており、「安」がNGなので、「康」「寧」あたりを(どちらも画数が多くて「寧」なんかは特に避けられる気も)。

こうしたもの五経にあるかどうかをこのサイト検索

經典文獻 - 中國哲學書電子化計劃

半角スペース区切り検索すると二つの漢字が近い位置にある文章が出てくる。

候補をいくつか並べていく。

永康

書経

永康兆民

それっぽいけど中国元号として先例多数。

久徳

易経

可久則賢人之徳

しかるべきは、すなわち賢人の徳。

あんまり平和感がない。

仁長

易経

君子体仁足以長人

君子は仁を体すればもって人に長たるに足る

君子の心構え系。

文康

詩経

文王康之

周の文王が(土地を)康んじた、みたいな意味

いまどき文王って…みたいになりそう(でも五経とかで「文」っていうとだいたい文王なんだよな)。

書経

文王卑服,即康功田功

文王服を卑しくし、康功田功に即けり。

同じく周の文王系。

いやあ、難しくない?

どれも一長一短でピンと来るやつがないわ。

検索したのは「経典文献」カテゴリのみだけど、「史書」のほうまで検索しないと良いのはないかもしれない。

落選候補以外かつ五経以外から個人的に考えるなら、史記の「偃武行文」から「行文(ぎょうぶん)」なんてどうだろうか。

というのも、書経の「偃武修文(武を偃せて文を修む=戦争をやめて学問を修める)」から「修文」というのが「平成」と並んで候補になったんだけど、昭和と同じイニシャルから落選してしまったという話があり、それなら同じ意味の「偃武行文」から取ればイニシャル問題解決できるんじゃねーかなって思ったから。

「行文」は「こうぶん」という読みで「文字の書き進め方」という意味の既にある言葉であることは無視すんの?既にある言葉を使うと混同するから弾かれたりしないの? - wdnsdyのコメント / はてなブックマーク

まあそれはあるんだけど読みを変えればセーフということにしたい。

あと前の候補の「修文」もそのまんま「学問を修めること」だから、それが候補になったということはありなのかなって。

うーん、でも、やっぱダメなのかなあ。わからんね。

ここまで頑張っても「天皇の諡号となるからには『徳』は避けられる」というとこに気付けない増田であった - mahalのコメント / はてなブックマーク

「徳」は祟りそうな天皇に与える慣習があり縁起が悪いから、明治天皇が倒した徳川の「徳」だから皇太子が「徳」仁親王から、の三つを考えたけど、どれのことを言っているのか分からなかった。

でもいずれにせよ確かに避けそうだと思ったので「徳」は無いのかなあ。

増田に「秋篠宮文仁から『文』も避けそう」とも言われたけど、皇族の諱を避ける例はどのくらいあるのか気になる。

というわけで皆さんももっと新元号を予想してみようぜ。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん