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はてなキーワード: 時代錯誤とは

2024-12-20

anond:20241220015030

いいツッコミ感謝する。

なんせインターネット老人なんで「ネット上の有益情報とは、現実でそれ系の専門職従事している人が、趣味無償善意ネット上に書き込んだものだ」という固定概念ができあがっちゃってるので、個人が発信した情報有償だと胡散臭く見えるんだよ。

我ながら時代錯誤だなあ

2024-12-19

ガソリン車やHEVで儲けることが「正義だって人は、もう日本を蝕む悪

日本を礼賛する悪魔

最近、やたらと「日本車はガソリン車やハイブリッド車(HEV)で儲け続けることが正しい」とかいう風潮に持っていこうとする人をみかける。

けど、世界EVシフトに動いているのはもはや周知の事実

それなのに、シュリンクする内燃機関技術固執し、いまだに「ウチらが正義」みたいな態度を取るのは、日本を礼賛しているように見えて、実は衰退に追いやる悪魔だと思う。

虚しいガソリン行列

ここへきて、ガソリン補助金が削減されて値上げ確定。

そんな情報が流れれば、慌ててスタンドに並んで、結局無駄時間を費やす人たちがどっと増えるわけだよ。ガソリンスタンドに長蛇の列を作って余計な渋滞を生み出しながらね。

EVユーザーからすると、自宅の基礎充電環境でまったく問題ないので、泣きながら給油している姿を見ると正直虚しいと感じるわ。

この無意味時間を浪費する構図が、いまのガソリン依存の滑稽さを象徴していないか?「EVはまだ高い!」とか「充電環境が~」って言い訳をし続けて、結局はたっかいランニングコストを支払い続け、自己防衛的な悪循環に陥ってるわけだ。

EV・再エネが基本の海外アンチEV・再エネの日本

海外はもうEV再生可能エネルギー真剣コミットし、技術進歩市場拡大を同時進行で進めている。中国なんか、一時期は粗削りなEVだらけで「質が微妙」と笑われてた時期もあったが、今や急速に進化して世界を席巻する勢い。テスラと肩を並べ、EVインフラを整えながら、次世代バッテリー技術覇権争いをしている。

一方日本はどうか?「EVシフトは減速してる」とか「EVは終わりだ」みたいな印象操作をし、「だからこそ新型エンジン開発が正義なんだ!」と豪語する。

この典型例がトヨタだ。

最近水素エンジンやら新型エンジン市場を牽引しようみたいな話ばかり。

電気自動車も進んでるって?

でも実のところ、彼らの手元には基礎研究段階の特許ばかりが積み上がっていて、量産化の目途は立たないという現実

何年経っても量産段階に進めず、実際の市場投入が遅れる。その間に世界はどんどん先に行ってしまう。

出遅れの代償

プリウスが登場した時代には、確かにトヨタは新技術先駆者だったかもしれない。

だが、EVへの転換点で完全に出遅れた印象は拭えない。

世界EVに傾く中、トヨタは「EVはまだ未成熟」と言わんばかりの態度を取り、内燃機関にこだわった。

結果的EVシフトから取り残され、アメリカ中国勢に後塵を拝している。

これってまさに「ガソリンHEVで稼ぐことが正義」と思い込んで、変化への適応を拒んだツケなんじゃないのか?

さらに、この「ガソリンHEVこそ正義」的な精神構造は、日本産業界政治、そして一般的メディア国民性にまで根強く染みついているように思える。

日本車が世界を席巻している」という昔の栄光固執し、未来を見据えた大胆な技術投資市場戦略ができないまま、ズルズルと衰退の道を下っているのが今の姿。

はっきしいって国内市場はめちゃくちゃ小さいし、頼みの海外市場での存在感も低下する中で、ガソリンHEVでしがみつくことは本当に合理的なのか?

メイド・イン・ジャパン

いま日本で売られているテレビって、純国産ブランドはどれほど残っている?

シャープは鴻海(ホンハイ)、東芝ハイセンスパナソニックTCL

携帯電話だって、かつてP(パナソニック)、N(NEC)、F(富士通)、D(三菱)、T(東芝)、S(ソニー)、H(日立)がひしめいていたが、いまはほとんど姿を消してしまった。

そして、鴻海が日産を買おうとしていたことが報道される始末。

結局、昔は世界リードしていたはずの日本企業が軒並み海外勢に買収され、ブランド名こそ残っていても実質的には外国資本下で動く状況が増えている。

この世はまさに自動運転時代

しかも、今の自動車業界戦場は、もはや内燃機関vsEVではなく、自動運転ができるかどうかだ。

EVバッテリーが~」とか「材質が~」とハード面だけで戦うと思い込んでる奴は、完全に時代錯誤。いまはソフトが主戦場だよ。

中国シャオミやファーウェイEV参入しているし、あのアップルは結局自動車参入で敗北したと言われている。

日本Google傘下のWaymoが入るというニュースまで出ている。

さらに、アンチEVアメリカ次期大統領トランプにうまく取り入ったイーロン・マスクが、FSDを自動運転レベル4として認めさせようとする動きさえある。

こんな世界の流れに全くキャッチアップできず、ハードの旧技術固執して「ウチらが正義」なんて言ってる風潮を作った奴らは、本当に悪魔だろ。

周回遅れニッポン

このままじゃ、日本世界から「いつまで古いクルマ文化にしがみついてるの?」「結局ブランドだけで中身は空っぽじゃん」と笑われるだけ。

ガソリンHEV依存を「正義」と称えることで、日本が得るものはもう何もない。

未来への投資を渋り、EVシフトさらには自動運転ソフトウェア戦略への適応を遅らせることは、結局のところ日本自身を蝕む悪魔的な選択だと言わざるを得ない。そろそろ目を覚ますべきだろう。

ガソリンHEVこそ正義」という呪縛、そしてハード志向化石思考から抜け出さないと、この国は家電携帯電話、そして自動車の分野でも完全に世界の周回遅れになる。

時代は待ってくれないんだから

2024-12-16

マッチングアプリで知り合った男性がやりがちな癪に障ること

マッチングメッセージのやり取り
最初デート
2回目のデート
  • 具体的な日時の調整を初回デート解散後にしてくる(用件をいちいち分けるな)
  • これまでのやり取りの中で生じたなにかをデートネタに使う(ああ、アポとるためにあの話したのか、とがっかりする)
それ以降とか、+αのこととか
  • 告白してくる(本当にきもい
  • 今日のために新しい服買った」とか教えてくる(知るか)
  • 付き合うには至らないとお互いにわかったときに、切り替えが早い(人間味がなくて虫みたい)
  • 新しい趣味や知らなかった仕事の話ばかりする(しらんがな)
  • こちらの趣味や関心事に興味を持ってる風(無理しなくていいよ)
  • 旅行に行ったお土産を渡してくる(旅行アピールか?)
  • 寒くない?暑くない?など聞いてくる(執事か?)
  • 早く着きすぎちゃった、電車遅延で遅れる、などで待ち時間ができたときに、楽しそうに過ごしてそのことを伝えてくる(ネガティブになるのは悪いことか?自分が責められてるように感じる)
  • 個性を出してくる(頼むから普通にしててくれ)
  • まともな人間であることを示しつつ、変わっている部分や弱み、癖を教えてくる(わざとらしい。サイコパスっぽい)
  • 譲れないことや過去の別れの理由などを教えてくる(なんか恋愛工学の本とかに書いてありそう)


anond:20241215222347

教授発言時代錯誤でつらい

工業大学なんだけど

教授本人はオーディオ弄ってたりする人

学生側は今時オーディオなんてやらないしそもそも金がないから安い娯楽にしか手出さないんや…

趣味電子工作とかそういう話じゃないんよ、金も時間もないんよ

それが理由で機嫌悪くなって授業が面倒になったり期末の内容変わったりするのやめてほしい

2024-12-13

anond:20241213131517

左翼おじさん、現代大企業コンプライアンスも厳しくなっていて人も足りないか新入社員は上客ばりに丁寧に大事に扱われてるって知った方がいいやで

この10年で上からの大きい変化が起きていることに対してあまりにも鈍感で無知だわ

国鉄民営化がどうとか冷戦時代新左翼の話の薄っぺらい聞き齧りレベルしかも雑過ぎてあまりにも時代錯誤なんよ

第二次大戦から冷戦終結までの年と冷戦終結から現代までの年はもう変わらないんだから左翼もいい加減社会主義の失敗を直視してもっと現代的に生まれ変わらないと

零細企業勤めが退職代行に頼る現状に恥を感じて欲しい

君たちオール左翼が役立たずの証なわけだから

2024-12-08

23歳男オタクvs結婚強迫

結論

結婚ができる気がしない」一方で、「結婚し」なければならないという強迫観念がある。

なるほど「気の合う人間生計を共にすることによって得られる利益享受(共有)」するのは幸せことなのだろう。少なくとも周囲の大人たちはその信念を奉じて生きてきたようであって、同時に、幸せな家庭人生活を送っているようにも見える。

一方で、私は「結婚ができる気がしない」。先述の通り「結婚し」なければならない、という観念があって、かつ、「気の合う人間生計を共にすること」に対し何らの疑念を持たないにもかかわらず、である。私は夫としても、あるいは父としても、その適格性を著しく欠くように思われる。

どうしてこの結論になったのか、振り返ってみる。

スペック

23歳・早慶政経法のどっか・4年(浪人した)

実家:都外。奥多摩山中やどこぞの島よりは皇居に近い。

上っつら:少なくとも面と向かって悪し様に言われたことはない。中学生と比べると大きく、高校球児の中なら目立たず、プロ野球選手に混じれば小さく見える(はずだ)。人並みには気を遣っているつもりでいる。

私には2つの強迫観念がある。そのうちの1つは「結婚しなければならない」というものだ。もう片方についてはあえて述べない。

かかる珍妙にして時代遅れ時代錯誤と言うべきだろうか?)の価値観を、いつから我が身のものとしてしまったのか、詳細な事情記憶していない。ただ、誰かの「家を継げ」とか「孫の顔を見せろ」という種の明確な言葉あってのことではなかったことだけは、はっきりと断言できる。他者からの影響が思い当たらない、本能的に自然発生したと説明するほかない感情からこそ、我ながら奇妙だと余計に思う。ともあれ、私が「結婚しなければならない」という価値観に囚われていることだけは確かだ。

結婚の前提条件を思い切り単純化するとして、最低限パートナー愛情喚起する資質を有すること、とした場合、幸いにもその適格性はあると考えられる。何度か愛されたことがあるからだ。それが私の外形的諸条件に起因したものだったのか、はたまた精神領域と関連するものだったのかは今となっては知る由もない。もっとも、その辺の機序はよく分からないし、検討する実益にも乏しいように思われるから、詳細には立ち入らない(拒絶されたこともある。少なくとも愛されたことの同数はある。こちらの方が問題としてはるかに重大だと思う)。

あるいは大前提として、そもそも私は他人たる異性を心から愛すことができるのか、という根源的な問題も考えうる-イエスだ。中学校高校(・予備校)・大学と、それぞれの段階で心から愛した/希求した女性は、少なくとも一人ずつは存在した。逆に言うと、何人もの異性とすれ違う中で、(性的昂奮は別として)特別な心情を惹起するに至った人々は、極めて少数しか存在しなかった。

結婚に対して、心理的阻害要因存在しない-少なくとも大きな問題はないはずだ。むしろ結婚しなければならない」というくびきに囚われているのだから、前のめりでさえあるべきだ。にもかかわらず、私は「結婚できる気がしない」。

長くなりすぎた。問題本質を簡潔に述べる。「結婚できる」と思える人に巡り会えない。

私の愛情の抱き方は、一目惚れに近いものがあると思われる。顔がどうとか精神性がどうとかではなくて、いつの間にか好きになって、彼女(たち)の自慢のアピールポイントや隠したい欠陥といった具体的な要素には一切立ち入ることなく、総体として「好きになって」しまう。このことは、私が好きに"なりうる"人々を類型化することを非常に困難にしている。酸いも甘いもというと身も蓋もない言い方だが、彼女のどこに惹かれて好きになったという具体的な点の説明ができない以上、共通点見出してその特質を有する人々を探す、ということのしようがない。慣用句的に言うなら「恋は盲目」ということなのだろうか。

逆に、「総体として」好きにならない女性存在する。むしろ「好きになった」人々が極々僅かな例外にすぎないのであって、今まで出会ってきた何千何万という人々のほぼ全てはこちらにカテゴライズされる。この「好きにならない」人々の中にも、もちろん友人(であると信じたい)は何人か存在するし、有り難いことに好意を抱いてくれた人もいる。私が「好きになった」人々と何らかの点で似通っている人もいた。しかし、私はこの範疇の人々に親愛以上の心情を抱くことができなかった。提供できる親切は、親しき友人としてのものが上限だった。否、それすら私の怠惰ゆえに、とんでもなく低いレベルのものにすぎなかったとも思う。

「愛することができる」人を探すために、アトランダム努力はそれなりに重ねたつもりだ。他学部開講の講義に片っ端から出てみる。同年代の異性が多いバイトを探す。時には友人に紹介を頼んだこともあった。マッチングアプリだってした。並行して2、30人の知らない異性とパラレルに知り合うある意味刺激的な生活を3ヶ月ほど続けた-何人かの「友人」と知り合っただけに終わった。いいねの数が身長を優に越してしまったあたりで、少なくともパートナー探しではない別の作業になってしまった気がして、やめてしまった。

これから先の人生で、心から愛することができる女性に巡り合える気がしない。おそらく巡り会えないのだろう。仮にいるとしても、既に「売り切れている」可能性すらある。私はもう23なのだ!私は恋愛市場上のまさに完全な敗者として、20代前半の若者が集まる場所としては日本で最も大きな部類に入る学舎を去ることになる。偏差値市場上の敗者として押し込められて、恋愛市場上の敗者にして立派なインセルとして出荷される。

結婚自体可能ではあるのだろう。「結婚しなければならない」という心情へのアンサーとしては、最も安直だが直裁な解決策でもある。私一人で家庭全体を食べさせることができるかどうかは別として、その大部分を担うことに対しては、現実として可能であろうし、別段おかしなこととも思わない。

ただ、私は、結婚生活しろ親としての生活しろ、その本質の一側面は自由の縮小であると強く信ずる。期待や喜びの総量をはるかに上回る失望と失敗の連続であろうと確信している。いざ焼かれる時にどう思っているかは別として、存命中常に家族とやらに関する何らかの心配をし続けていることだけは確かで、幸せな家庭生活というものが仮にあるとしたら、それは常駐する100の心配事と同時に0.01の安寧を自覚できるかそうでないか、という程度の話でしかないのだろう。

そのとめどない苦難の道程を、愛することのできない人と共に歩いて行けるのだろうか?より直接に言う。「妥協できるのだろうか?」決して少なくはない人々が「できる」ことは知っている。それどころかたった100年前、それこそがセオリーだったことも知っている。ただ、私は「できる」とは思えない。途中で投げ出してしまうという確信がある。親しき友人としての親切が上限で、それを超える困難と直面したら、逃げ出す。「結婚しなければならない」という私のエゴと人としての欠陥ゆえに、罪のない他人のことをこれ以上不幸にしたくない。

諸先輩方はどのように折り合いをつけたのだろうか。「後から好きになる」ようなことがあったのだろうか。「子供が生まれたら変わる」のだろうか。はたまた「みんな結婚してるから、流れに合わせてそれっぽく振る舞ってるだけで、相手特別感情はなかったし、何なら今は少し幸せに感じることだってあるよ」というのが真実なのだろうか。もしそうなら、どれほどよいのだろう。

鬱屈とした諦観けがある。"愛することすらできずに"家庭を放り出し、エゴのために他人を有形無形に傷つけたクズ烙印を押されるよりは、生涯部屋のアガベサボテンどもと共に、好きな音楽映画世界観だけに閉じこもって、屈折した強迫観念を胸に秘めたまま朽ち果てて死んだ方がマシだ。最大多数の最大幸福希求するなら、それが社会的に最善でもあろう。闘争領域本来、縮小されるべきなのだ

泣き言を書き散らし、日記とすることで、何らかの整理がついたように思う。この乱文を書く直接の動機となった、『22歳女オタクvs結婚願望』 https://anond.hatelabo.jp/20241207175805 の筆者が良きパートナーとなりうる人と巡り会えることを切に祈り貴女可能だと思う。私はそう確信するし、本心からそう願っている)、終いとする。

2024-12-07

独身男性あるある

偏見交じりにまとめてみるわ。

1. 趣味に全振り:鉄道模型とかアクアリウムとか、独身じゃないと成り立たないディープ趣味にのめり込んでる。

2. 潔癖すぎる:自分の家やルールを乱されるのを極端に嫌がる。

3. 料理に自信あり:でもやたら独自アレンジを加えて「これが本物」と主張する。

4. 無駄に良い家電を揃えてる:全自動コーヒーメーカーとか高級炊飯器とか、独りなのに超贅沢。

5. マッチングアプリ常連プロフィール写真旅行先で微妙笑顔自撮り

6. 友達の子供を嫌がる:子供の声がうるさいとか理由つけてフェードアウト

7. 実家暮らししかも「親を手伝ってる」みたいな言い訳がセット。

8. ペット依存:猫や犬が恋人代わりで、ペットSNSアカウント運営中。

9.下女性ばかり狙う:同年代には「魅力を感じない」とか言っちゃう

10. 服装過去のまま:未だに20代の頃のファッションで止まってる。

11. 自分市場価値を高く見積もる:「俺まだまだいけるでしょ?」的な。

12. 飲み会では説教キャラ:「俺くらいの年齢になると分かるよ」って言いがち。

13. 「自由」をやたらアピール:でも周りは「孤独」と見てる。

14. 婚活イベント常連:顔見知りが増えて逆に行きづらくなる。

15. 妙に健康志向青汁とかヨガとか、結婚無関係な方向で努力

16. 偏ったジェンダー観:「女は家庭的であるべき」とか時代錯誤価値観。

17. オタク感満載の部屋:フィギュア棚やゲーム機がズラリ。

18. 親戚に会いたがらない:結婚の話をされるのが面倒で、冠婚葬祭スルー

19. 「一人が楽しい」と言いつつ寂しがる:SNSで妙に病んだポエムを書きがち。

20. お金無駄に貯めてる:でも何のために貯めてるのか自分でも分かってない。

2024-11-19

重武装自立リベラルという立場はないのだろうか

ネットの言説を見てると、

  保守派は 「リベラルはお花畑、全く現実が見えずに批判ばかり」

  革新派は 「保守派愛国隠れ蓑人種差別を行う時代錯誤頑迷

みたいな感じだけど

  

  

自分リベラルなんだけど、重武装リベラルって立場は成り立たないのかな

  

何と言われても、男性優位・既存権威層優位の社会だったのは否めないよ

それに対して所謂ポリコレ」が盛り上がるのも故無いものではないと思う

 

かといって、地政学的に考えたら日本立場は、中国ロシアからは狙われるのは必然的立ち位置

これは海上運輸が決定的に陳腐化するようなブレークスルーが無いと覆らない宿命

から、中露と「話せばわかる」なんて微塵も思わないのだけどね

  

 

ネットの言説では右左でキレイに分けすぎなんだけど、重武装(核戦力を含む)で自立して、西にも東にも是々非々で行けるときがきたらいいなあと思うのですが。

 

それこそがリベラル的な理想論(≒お花畑)なのかもしれませんが…

  

世界のみんなで何とか仲良くしたいよ・・・・、

そのためには舐められない武装必要、みたいな方針ってとれないのかな

2024-11-17

現代レコメンドエンジン選挙と相性が悪すぎる

斉藤知事投票した10代、20代に比べて中年はてなー時代錯誤wwみたいな言説があるが、断絶があるのはその通り

俺たち中年ネットに比べて、10代、20代が使うyoutubeSNSレコメンドエンジンえぐいんよ

youtube立花でもトランプでもなんでもいいが、ちょっとそっち系動画視聴したらもうレコメンドが先鋭化するだろ。そっちの方が動画を見るからだが。

中年の俺たちは無意識バックエンドの振る舞いを理解して、レコメンドを散らそうとして行動を変えるんだが、

そんなことレコメンドネイティブ若い連中がやるわけない(賢いやつはやるかもだが)

たまに上がる再生数二桁の謎の啓発動画とか俺たちは秒で避けるけど、たぶん避けずに巻き込まれるやつもいるんだよ

もう言うまでもないが、数打てば当たる戦略に飲まれる程度には一般民衆ネットが染みこんでしまった

今の俺たちはイーロンやgoogleやその他ビッグテックAIエンジンに飲まれてて、ダイレクト政治ダメージがあるのが困る

あいつらが理性を持って多様性を持つレコメンドエンジンを開発しないのがマジで悪いのだが、

多分自分らが世の中を動かしているという自尊心に抗えないのだろう、科学を扱えなかった20世紀と同じなんだよこれ

anond:20241115161045

何が悲報だ、「あまりにも滑稽な結末に至っている」笑っているじゃあないか

多様性観点から運営Riot Gamesの判断により、……

参加を認められている。……選手が、女性向け大会荒らし行為を行っている状況だ。

まず荒らし行為辞書で調べたらどうだ?

アナタ匿名日記サイト悪用して、LGBTs への誹謗中傷を行なっている。

明らかなヘイトスピーチ差別行為だ。

大会には、外見から女性を目指しているとは到底思えない自認女性選手も参加している。

「外見で女性を目指す」などという時代錯誤ジェンダー規範捏造してんじゃねーよ。

男女平等に逆行してる。

森元首相の「女性というには、あまりにもお歳だ」が世間にどうぶっ叩かれたか知らんのか。

続く「競技においては多様性よりも公平性が優先され、」であたか競技以外では多様性が優先されるべきかのように書いているが、アナタは男らしくあるべき・女らしくあるべきを押し出してるじゃねーか。

欺瞞を止めろ。

実質的にはほぼ男性と同等と言える。

生物学的な性について、実質的にほぼ無知と言える。

アナタのような薄ら笑いの差別主義者が、なるべく早く改心することを願ってやまない。

2024-11-15

マスクキャラ、何か好きだな・・・

ぼくやばのあいつとか

トニカクカワイイあいつとか

ブルアカでも時代錯誤ヤンキーキャラみたいなやつがマスクしてたな

目隠しフェチの逆みたいなもんかな・・・

口元隠してると逆にエロいっていうか・・・

目隠しもあれか風俗の目隠しと似てるフェチを感じるからかな

うひひ

2024-11-13

国民民主党石丸伸二を支持しない人間老害

国民民主党といえば、今の政治新しい風を吹き込むことを目指している党だ。彼らが掲げる政策スタンスは、若者未来日本の活力を考えた現実的で、かつ挑戦的なものが多い。それなのに、いまだに国民民主党やその候補者である石丸伸二氏を応援しない、あるいは支持しようともしない人々がいる。それって、もしかして老害」じゃないだろうか。

まず言いたいのは、これまでの政治に対する不満は誰もが感じていることだろうということだ。長年にわたり「安定」という名のもとで変化を拒んできた日本政治問題点は明らかだ。それなのに、古い価値観固執して、今の変革の波に乗ろうとしない人々がいる。自分が築いた昔の「日本」こそが理想だと信じて疑わないその態度は、若い世代にとってはまさに「老害」でしかない。

例えば、国民民主党が訴える教育改革経済活性化政策についても、変わらなければならない部分が多く含まれている。特に教育制度の硬直化や経済成長の鈍化をどうにかしようとしている国民民主党姿勢は、これから日本に不可欠だ。だが、これまでの古い仕組みに執着する人々は「今のままでいい」と言って、変革を恐れる。こうした態度が「老害」そのものだと気づいてほしい。

石丸伸二氏についても同様だ。彼は現場での経験を積み重ね、国民の声をしっかり聞いてきた実直な政治家だ。それなのに、「若いから」「経験が浅いから」といった理由だけで支持しない人がいる。こうした批判は、時代錯誤しかない。若さを軽んじ、年齢や経験だけを評価基準とするその考え方こそが、時代遅れだろう。日本には、新しい視点や柔軟な発想が必要で、石丸氏はまさにそうした力を持っている。

さらに、日本未来を考えるうえで、今の20代や30代がどれだけの負担を背負っているか理解してほしい。古い世代享受した社会保障制度年金の支払いは、現在若い世代が支えている。それにもかかわらず、若い世代配慮のない政策ばかりが続けば、次第に若者日本から離れていく。それを防ぐためにも国民民主党のような新しい発想を持つ政党に目を向けるべきだ。

もちろん、誰しもが国民民主党石丸伸二氏を絶対に支持しなければならないと言うつもりはない。しかし、これから日本を本気で変えたいと思うなら、既成の価値観にしがみつくのはやめるべきだ。未来を担う若者たちの視点尊重し、彼らの意見に耳を傾け、共に変革に向き合うべきだろう。

結局のところ、「老害」かどうかを分けるのは年齢ではなく、思考の柔軟性と未来志向の有無だ。変化を恐れ、過去固執することは、未来に対する無責任に等しい。日本がこれからも成長し、発展していくためには、新しい視点と柔軟な発想を持ったリーダー必要不可欠だ。そしてその変革の先頭に立っているのが、国民民主党石丸伸二氏だということを忘れないでほしい。

未来を見据え、次の世代に託せる政治を作るために、国民民主党石丸氏を支援することが、これから日本のために重要な一歩だ。

2024-11-08

30代で1番やるべき美容ファッション項目ってなんだろう

自分の友人たちは顔のいい男女ばかりなので友人たちと並ぶと自分が見劣りするということは自覚がある。

ここでいう顔のいいというのは、二重、鼻が高い、バランスが整っている、彫りが深いなどで、自分は奥二重だし鼻低いし薄い顔をしている。

とはいえ不細工気持ち悪いと言われたことも避けられたこともないので恐らく普通範囲内なんだとは思っている。


服は若い頃は好きだったけど、今(30歳子持ち)はオシャレさよりコスパとか機能性とかでユニクロ無印で十分だよなぁという考えの方が強い(時々高めのお店とか買い物行くと珍しいデザインとか色とかあって良いな〜!とは思うけど買わない)


こんな状態だったけど、もっと老いときに「30代なんてまだまだ若いんだから楽しんどけばよかった」と後悔しても遅いよなぁなどと思い、美意識というか、美容ファッションに対して頑張りたいなという気持ちが復活してきた。

ももう何からやっていいかわからん自分美容知識なんか20代半ばくらいで止まってるし時代錯誤になりそう。

30代で1番やるべき美容ファッション項目ってなんだろう

2024-11-05

anond:20241105173957

暴言暴力があたりまえ、わからなくて当然のことをわからないとキレる」とかな

古い体制に耐えられたパワハラタイプ人間けが生き残って、それを継承してって時代錯誤体制が続いてるって感じすごい

2024-11-04

anond:20241102204426

安心して「ただのオバサン」ではないよ

「ロクに人生経験も詰んでない癖に時代錯誤で古臭い固定観念に縛られてたつまらないうえにその浅い思考押し付けるオバサン」

だよ

2024-11-03

男みたいな格好を肯定する女さあ

メンズライクファッションとかジェンダーレスファッションとかそれっぽい名称つけて遅れて来たイタい厨二病みたいなスタイル肯定するの辞めてくれ〜〜〜〜!!!!!

元々自己肯定感ちょっと低めだった彼女最近のインスタ女の「可愛い女」「細い女」にコンプレックス拗らせた結果もうアラサーなのに韓国10代ぐらいのガキが着てそうなストリートファッション崩れとかトー横界隈のチャラ男が着てそうなパンクファッションのなり損ないみたいな奇を衒った格好ばっかりするようになって痛いよ〜〜〜〜〜〜〜〜😭😭😭

そのテの発信をする女が無駄に「どんなファッションをしようが本人の自由👊」とか「自己表現に年齢や他人価値観なんて関係ない✌️」みたいな事をもっともらしく宣うせいでガッツリ間に受けて、最近仕事終わりにデートしたら職場にもそういう格好で出社してる事が発覚して居た堪れないよお

蛇の形のイヤーカフとか男物のゴツいウエスタンベルト、太いシルバーチェーンのネックレス着けたり、ダンスやってる奴みたいなワイドパンツとか厚底履いてダメージデザインとか言ってズタズタの清潔感ないカーディガン着て仕事に行ける社会性の無さがヤバいよ😭😭

それで出社するのは辞めた方がいいよとか、TPO社会常識の話を繰り返ししたけど、普通女性らしくして周りの女性と同じ土俵に立つ劣等感よりもTPOマナー常識を破る方がマシって本気で思っててどうしようもないよ

スタイル容姿レベルコンプレックスを抱いて女の子らしい格好をする事に強い抵抗が産まれたのだとしても絶対に今の方がよっぽど恥ずかしすぎるし、そういう派手なマナー違反をする人間の方が絶対陰で何か言われるに決まってるのに何でわからないの😭😭😭

他人は君のそんな事情なんて知らないし、知ったとしても汲む訳ないんだから客観的に見たら君は校則に反発して普通じゃない奇抜な格好をしたがるチャラい中高生のノリが遅れて発露しているみたいで格好悪いしめちゃくちゃ非常識ダサいよ………

これからどんどん若い後輩が入ってくるだろうし君は先輩にもおばさんにもなっていくのにどうするの?そして、これをどう説明してもどれだけ話しても「女としてカウントされないのに女の格好なんか」って主張一点だけで思考停止しててどうするの😭😭

男の理想押し付け過ぎとでも時代錯誤とでも何とでも言われて構わないか女性女性らしい服装が良い、清楚な格好をしているのが良いって価値観普通認識に戻って欲しいよ………

2024-11-02

anond:20241101183531

年収2000万あるけどそれでも家買える気がしないからな

35年ローンなんて時代錯誤で家の奴隷のようなものだし

都心で今でも販売されているような一戸建ては本当糞でありながら高い

  • 土地が狭い
  • 土地の形が悪い(凸凹すぎ、三角形の部屋って何だよ)
  • 隣人と隣接しすぎ
  • 家に窓なさすぎ(しゃあないが)
  • 隣人ガチャ外れ率高すぎて詰む
  • 家の前は車通りすぎ
  • それでいて億超え

2024-10-24

anond:20241024140759

これからAIロボットますます普及してどんどん仕事の種類がなくなっていきAIロボットを大量保有する資本家に富が集中していくのに富の再分配ではなく労働保証をって時代錯誤じゃん

2024-10-20

anond:20241020203802

女は傾向として男女平等からかと

恋愛時代錯誤の男らしさ女らしさを持ち込まない

2024-10-17

anond:20241017202543

キモイおじさんムーブしてた人じゃないん?

今どき男が奢るんじゃー!

とか時代錯誤なこと言って炎上してたのに本人が間違いを認められず暴れ回ってた事しか知らん

2024-10-09

結婚相談所への入会を考えている人へ

副業結婚相談所の手伝いをしている。

結論から言うと、男性36歳以上、女性32歳以上は相当苦戦すると思うのでマジで覚悟して入ったほうがいい。

うその年齢超えて婚活しようとしている時点で、あなたには何か欠陥がある。

「そうやって年齢で決めつけるやつってなんなの?」

「人それぞれ事情があるんだから」と言いたくなる気持ちは分かる。

でもその事情も含めて、上記の年齢までに結婚してない人はどこかおかしい。実感している。

結婚している人=まともでもないし結婚していない人=変ではないが、結婚したいのにできてない人はまともではない。

人は自分のことを実力以上の存在だと思う生き物だということがよく分かった。

いくら文句を言おうと、あなたはおじさんorおばさんで、性格に難があり、需要がない。そして自己評価が高く現実が見れていない。

今の相談所の現実として、まともな20代女性とまともなアラサー男性がくっつき爆速で退会していく。それ以外はグダグダやってる。

いくら相談所の連中は時代錯誤」と毒づこうと、その事実は変わらない。

まず、「自分需要がない存在なのだ」と心に刻もう。

それを受け入れられる素直で謙虚な心があれば素敵なお相手が見つかるかもしれないのでどうぞ入ってください。

SNSでは「相談所はレベルの低い異性をすすめて妥協させようとしてくる」と言われているが、素敵な人は素敵な人と出会っています。ただそれだけです。

2024-10-08

「これから30年のキャリアを考える増田へのアドバイス」を考えた人へ

https://anond.hatelabo.jp/20241007213420

時代錯誤、頓珍漢なアドバイス、というのが率直な感想

到底、英語をまともに勉強した人の考えとは思えない。

アメリカ大学卒業した俺が、この意見が如何に的外れか指摘する。

英語が出来る」なんて高校中退の現地人だって出来るスキル

問題は「英語で何かが出来る」ことだ。

英語が下手でも、能力アイディアを認められたら、相手は話を聞いてくれる。

あとTOEIC満点と英検1級ってまた、試験の質が大分違うだろ。

TOEIC満点とか取る奴は試験オタクだ。地頭で行ける人もいるだろうが稀だ。

TOEIC満点と英語が話せるかどうかは、また違う。

例えば、ほとんどの日本人はおそらく、普通高校受験現代文で満点取れないだろ?

試験を解く能力と話す力は違うんだよ。

英会話に慣れてくると「難しい表現ボキャブラリーいか平易な英語に変換するか」の能力が発達する。

話すにはこの能力の方が不可欠。

さらに言えば、ほとんどの日本人は急に、準備無しで結婚式スピーチなんてできないだろ?

慣れない環境で、TPOを踏まえた言葉遣いを使うのは、ネイティブにとっても難しいんだよ。

英語でのビジネスプレゼンが難しいのはそういう理由もある。

英語学習に関して言えば、日本国内教育だと発音は壊滅的だから、多少勉強しろ

ただし本や動画勉強するな。悪いところに気づけない。

最低でもELSAみたいなアプリもっと良いのは発音強制とか行って、フィードバック受けろ。

恥をかいて、刻みこめ。

あと、外国人の仲間か恋人作れ。

単に友達じゃなくて、本気で喧嘩したり、笑ったり、感情の起伏を共有するほどの仲のやつ。

これが結局一番大事

これだけ自動翻訳や生成AIサポートと充実してる現代で、第三言語学習コスパがどれだけ良いか怪しいだろ。

昔と違って相当自動翻訳の質が上がってる。

ただ、海外に行く経験が役に立つというのは同意

やはり海外文化等が違うので、思いもしないトラブル等が起きる。

その対応力や機転が身に付く。

精神的に相当きつかったりもするが。

生産拠点国外移転なんて話は数十年前から言われてるが、なんだかんだ生産拠点を完全に日本から撤退みたいな極端なことは起きてない。

インド中国国民性だとか、政治リスク為替リスクのヘッジだとか、輸送コストだとか様々な理由がある。

それに日本語ってのは、英語話者からすれば参入障壁でもあるんだよ。

日本人全員が英語を話せるようになったら、英語文化経済を乗っ取られる可能だってあるぞ。

実際、英語圏のアジア人とか、よくアメリカバラエティーやドラマよく見てるイメージあるぞ。

結局は、英語自体よりも、海外通用するアイディア能力を磨くことが、グローバル化を乗り越えるために重要なことだと思うぞ。

ただ、そんな能力の高い奴はそういない。

2024-10-02

 原口さんはそこでちょっと絵を離れて、画筆の結果をながめていたが、今度は、美禰子に向かって、 「里見さん。あなた単衣を着てくれないものから着物がかきにくくって困る。まるでいいかげんにやるんだから、少し大胆すぎますね」 「お気の毒さま」と美禰子が言った。  原口さんは返事もせずにまた画面へ近寄った。「それでね、細君のお尻が離縁するにはあまり重くあったものから、友人が細君に向かって、こう言ったんだとさ。出るのがいやなら、出ないでもいい。いつまでも家にいるがいい。その代りおれのほうが出るから。――里見さんちょっと立ってみてください。団扇はどうでもいい。ただ立てば。そう。ありがとう。――細君が、私が家におっても、あなたが出ておしまいになれば、後が困るじゃありませんかと言うと、なにかまわないさ、お前はかってに入夫でもしたらよかろうと答えたんだって」 「それから、どうなりました」と三四郎が聞いた。原口さんは、語るに足りないと思ったものか、まだあとをつけた。 「どうもならないのさ。だから結婚は考え物だよ。離合集散、ともに自由にならない。広田先生を見たまえ、野々宮さんを見たまえ、里見恭助君を見たまえ、ついでにぼくを見たまえ。みんな結婚をしていない。女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね」 「でも兄は近々結婚いたしますよ」 「おや、そうですか。するとあなたはどうなります」 「存じません」  三四郎は美禰子を見た。美禰子も三四郎を見て笑った。原口さんだけは絵に向いている。「存じません。存じません――じゃ」と画筆を動かした。  三四郎はこの機会を利用して、丸テーブルの側を離れて、美禰子の傍へ近寄った。美禰子は椅子の背に、油気のない頭を、無造作に持たせて、疲れた人の、身繕いに心なきなげやりの姿である。あからさまに襦袢の襟から咽喉首が出ている。椅子には脱ぎ捨てた羽織をかけた。廂髪の上にきれいな裏が見える。  三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいもの代表している。――と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、――普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 「里見さん」と言った。 「なに」と答えた。仰向いて下から三四郎を見た。顔をもとのごとくにおちつけている。目だけは動いた。それも三四郎真正面で穏やかにとまった。三四郎は女を多少疲れていると判じた。 「ちょうどついでだから、ここで返しましょう」と言いながら、ボタンを一つはずして、内懐へ手を入れた。  女はまた、 「なに」と繰り返した。もとのとおり、刺激のない調子である。内懐へ手を入れながら、三四郎はどうしようと考えた。やがて思いきった。 「このあいだの金です」 「今くだすってもしかたがないわ」  女は下から見上げたままである。手も出さない。からだも動かさない。顔も元のところにおちつけている。男は女の返事さえよくは解しかねた。その時、 「もう少しだから、どうです」と言う声がうしろで聞こえた。見ると、原口さんがこっちを向いて立っている。画筆を指の股にはさんだまま、三角に刈り込んだ髯の先を引っ張って笑った。美禰子は両手を椅子の肘にかけて、腰をおろしたなり、頭と背をまっすぐにのばした。三四郎は小さな声で、 「まだよほどかかりますか」と聞いた。 「もう一時間ばかり」と美禰子も小さな声で答えた。三四郎はまた丸テーブルに帰った。女はもう描かるべき姿勢を取った。原口さんはまたパイプをつけた。画筆はまた動きだす。背を向けながら、原口さんがこう言った。 「小川さん。里見さんの目を見てごらん」  三四郎は言われたとおりにした。美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。横を向いてガラス越しに庭をながめている。 「いけない。横を向いてしまっちゃ、いけない。今かきだしたばかりだのに」 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。原口さんは弁解をする。 「ひやかしたんじゃない。小川さんに話す事があったんです」 「何を」 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。そう。もう少し肱を前へ出して。それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」 「どうもよくわからんですが。いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」 「それは変るだろう。本人が変るばかりじゃない、画工のほうの気分も毎日変るんだから、本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、そうはいかない。またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。なぜといって見たまえ……」  原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。美禰子の方も見ている。三四郎原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、描いている絵に一定の気分ができてくる。だから、たといほかの気分で戸外から帰って来ても、画室へはいって、絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。里見さんだって同じ事だ。しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激でいろいろの表情になるにきまっているんだが、それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああい姿勢や、こういう乱雑な鼓だとか、鎧だとか、虎の皮だとかいう周囲のものが、しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。それに表情といったって……」  原口さんは突然黙った。どこかむずかしいところへきたとみえる。二足ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。 「いいえ」  この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。「画工はね、心を描くんじゃない。心が外へ見世を出しているところを描くんだから見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、まあ、そうしておくんだね。見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。だから我々は肉ばかり描いている。どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、絵として通用しないだけだ。そこでこの里見さんの目もね。里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。ただ目として描いている。この目が気に入ったから描いている。この目の恰好だの、二重瞼の影だの、眸の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。現にあの色あの形そのもの一種の表情なんだからしかたがない」  原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。 「どうも、きょうはどうかしているね。疲れたんでしょう。疲れたら、もうよしましょう。――疲れましたか」 「いいえ」  原口さんはまた絵へ近寄った。 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。まあ話すから聞きたまえ。西洋画の女の顔を見ると、だれのかい美人でも、きっと大きな目をしている。おかしいくらい大きな目ばかりだ。ところが日本では観音様をはじめとして、お多福、能の面、もっとも著しいのは浮世絵にあらわれた美人、ことごとく細い。みんな象に似ている。なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。ところがじつはなんでもない。西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、美的淘汰が行なわれる。日本は鯨の系統ばかりだから――ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんてひやかしている。――そら、そういう国柄から、どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、歌麿になったり、祐信になったりして珍重がられている。しかいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目かいたようでみっともなくっていけない。といって、ラファエル聖母のようなのは、てんでありゃしないし、あったところが日本人とは言われないから、そこで里見さんを煩わすことになったのさ。里見さんもう少しですよ」  答はなかった。美禰子はじっとしている。  三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。三四郎画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那に、捕虜にして動けなくしたようである。変らないところに、長い慰謝がある。しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたかである。  なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。色光沢がよくない。目尻にたえがたいものうさが見える。三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。移り行く美をはかなむという共通性情緒はまるで影をひそめてしまった。――自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。――三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益不利益かは未決の問題である。  その時原口さんが、とうとう筆をおいて、 「もうよそう。きょうはどうしてもだめだ」と言いだした。美禰子は持っていた団扇を、立ちながら床の上に落とした。椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。 「きょうは疲れていますね」 「私?」と羽織の裄をそろえて、紐を結んだ。 「いやじつはぼくも疲れた。またあした天気のいい時にやりましょう。まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」  夕暮れには、まだ間があった。けれども美禰子は少し用があるから帰るという。三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。日本社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。ところが相手は案外にも応じなかった。一直線に生垣の間を横切って、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。 「私?」と美禰子がまた言った。原口さんに答えたと同じことである三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単ものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。そうして二重瞼の切れ目から男を見た。その目には暈がかかっているように思われた。いつになく感じがなまぬるくきた。頬の色も少し青い。 「色が少し悪いようです」 「そうですか」  二人は五、六歩無言で歩いた。三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。小説などにある甘い言葉は使いたくない。趣味のうえからいっても、社交上若い男女の習慣としても、使いたくない。三四郎事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。歩きながら工夫している。  やがて、女のほうから口をききだした。 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」 「いいえ、用事はなかったです」 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」 「じゃ、なんでいらしったの」  三四郎はこの瞬間を捕えた。 「あなたに会いに行ったんです」  三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。三四郎がっかりした。  二人はまた無言で五、六間来た。三四郎は突然口を開いた。 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」  美禰子はしばらく返事をしなかった。やがて、静かに言った。 「お金は私もいりません。持っていらっしゃい」  三四郎は堪えられなくなった。急に、 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。女は三四郎を見なかった。その時三四郎の耳に、女の口をもれたかすかなため息が聞こえた。 「お金は……」 「金なんぞ……」  二人の会話は双方とも意味をなさないで、途中で切れた。それなりで、また小半町ほど来た。今度は女からしかけた。 「原口さんの絵を御覧になって、どうお思いなすって」  答え方がいろいろあるので、三四郎は返事をせずに少しのあいだ歩いた。 「あんまりでき方が早いのでお驚きなさりゃしなくって」 「ええ」と言ったが、じつははじめて気がついた。考えると、原口広田先生の所へ来て、美禰子の肖像をかく意志をもらしてから、まだ一か月ぐらいにしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼していたのは、それよりのちのことである三四郎は絵の道に暗いから、あんな大きな額が、どのくらいな速度で仕上げられるものか、ほとんど想像のほかにあったが、美禰子から注意されてみると、あまり早くできすぎているように思われる。 「いつから取りかかったんです」 「本当に取りかかったのは、ついこのあいだですけれども、そのまえから少しずつ描いていただいていたんです」 「そのまえって、いつごろからですか」 「あの服装でわかるでしょう」  三四郎は突然として、はじめて池の周囲で美禰子に会った暑い昔を思い出した。 「そら、あなた、椎の木の下にしゃがんでいらしったじゃありませんか」 「あなた団扇をかざして、高い所に立っていた」 「あの絵のとおりでしょう」 「ええ。あのとおりです」  二人は顔を見合わした。もう少しで白山の坂の上へ出る。  向こうから車がかけて来た。黒い帽子かぶって、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢のいい男が乗っている。この車が三四郎の目にはいった時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見つめているらしく思われた。二、三間先へ来ると、車を急にとめた。前掛けを器用にはねのけて、蹴込みから飛び降りたところを見ると、背のすらりと高い細面のりっぱな人であった。髪をきれいにすっている。それでいて、まったく男らしい。 「今まで待っていたけれども、あんまりおそいから迎えに来た」と美禰子のまん前に立った。見おろして笑っている。 「そう、ありがとう」と美禰子も笑って、男の顔を見返したが、その目をすぐ三四郎の方へ向けた。 「どなた」と男が聞いた。 「大学小川さん」と美禰子が答えた。  男は軽く帽子を取って、向こうから挨拶をした。 「はやく行こう。にいさんも待っている」  いいぐあい三四郎追分へ曲がるべき横町の角に立っていた。金はとうとう返さずに別れた。

https://anond.hatelabo.jp/20241002005552

一一

 このごろ与次郎学校文芸協会切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である与次郎それから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授ハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館はいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。

 与次郎切符販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場はいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかに義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それからカタルも少しはできるだろうと言って、すましている。

 与次郎切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面わずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益からこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本百科全書を売った方法比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。

相手東京帝国大学学生だよ」

いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」

「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまり協会借金になることは明らかだから

 三四郎は念のため、それは君の意見か、協会意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会意見であるとつごうのいいことを答えた。

 与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものから相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。

 与次郎第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。

 与次郎広田先生原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎与次郎のために演芸万歳を唱えた。

 万歳を唱える晩、与次郎三四郎下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢そばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。

「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。

「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、

「おい、小川、たいへんな事ができてしまった」と言いだした。

 一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出し大学の純文科とある

 大学外国文学科は従来西洋人担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人講義必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才から至極適任だろうという内容である

広田先生じゃなかったんだな」と三四郎与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。

「これはたしかなのか」と三四郎がまた聞いた。

「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。

しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから

「いや、それだけならむろんかまわない。先生関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。

 今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。

「君、これをどう思う」と言う。

「どう思うとは」

「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字ほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」

「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」

 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから

「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である

「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎署名しておけばよかった。じっさいあの論文佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」

 与次郎はまじめである三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生人格関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああい先生から、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」

 三四郎ははじめて与次郎を感心な男だと思った。

先生新聞を読んだんだろうか」

「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しか先生学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」

「すると、もう知ってるな」

「むろん知ってるだろう」

「君にはなんとも言わないか

「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいから演芸会の事でしじゅう奔走しているものから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろものか」

先生に話したら、君、しかられるだろう」

しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである

煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」

 与次郎はそれで腕組をした。

「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」

「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」

「君はあやまる必要はない」

「じゃ弁解してくる」

 与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やす心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。

 夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。

 暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母から書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。

 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降り外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台時計は常に狂っている。もしくは留まっている。

 門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。

 学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義あいだに懐から母の手紙を出して読んだ。

 この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しか手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。

 長い手紙を巻き収めていると、与次郎そばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、

「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。

里見お嬢さんからじゃないのか」

「いいや」

「君、里見お嬢さんのことを聞いたか

「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。

 与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである先生茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である勉強佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎学校で取り逃してしまたかしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっと与次郎心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。

 三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。

 三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しか花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。

2024-09-30

四  三四郎の魂がふわつき出した。講義を聞いていると、遠方に聞こえる。わるくすると肝要な事を書き落とす。はなはだしい時はひとの耳を損料で借りているような気がする。三四郎はばかばかしくてたまらない。仕方なしに、与次郎に向かって、どうも近ごろは講義おもしろくないと言い出した。与次郎の答はいつも同じことであった。 「講義おもしろいわけがない。君はいなか者だから、いまに偉い事になると思って、今日までしんぼうして聞いていたんだろう。愚の至りだ。彼らの講義は開闢以来こんなものだ。いまさら失望したってしかたがないや」 「そういうわけでもないが……」三四郎は弁解する。与次郎のへらへら調と、三四郎の重苦しい口のききようが、不釣合ではなはだおかしい。  こういう問答を二、三度繰り返しているうちに、いつのまにか半月ばかりたった。三四郎の耳は漸々借りものでないようになってきた。すると今度は与次郎のほうから三四郎に向かって、 「どうも妙な顔だな。いかにも生活に疲れているような顔だ。世紀末の顔だ」と批評し出した。三四郎は、この批評に対しても依然として、 「そういうわけでもないが……」を繰り返していた。三四郎世紀末などという言葉を聞いてうれしがるほどに、まだ人工的の空気に触れていなかった。またこれを興味ある玩具として使用しうるほどに、ある社会消息に通じていなかった。ただ生活に疲れているという句が少し気にいった。なるほど疲れだしたようでもある。三四郎下痢のためばかりとは思わなかった。けれども大いに疲れた顔を標榜するほど、人生観ハイカラでもなかった。それでこの会話はそれぎり発展しずに済んだ。  そのうち秋は高くなる。食欲は進む。二十三青年がとうてい人生に疲れていることができない時節が来た。三四郎はよく出る。大学の池の周囲もだいぶん回ってみたが、べつだんの変もない。病院の前も何べんとなく往復したが普通人間に会うばかりである。また理科大学の穴倉へ行って野々宮君に聞いてみたら、妹はもう病院を出たと言う。玄関で会った女の事を話そうと思ったが、先方が忙しそうなので、つい遠慮してやめてしまった。今度大久保へ行ってゆっくり話せば、名前も素姓もたいていはわかることだから、せかずに引き取った。そうして、ふわふわして方々歩いている。田端だの、道灌山だの、染井墓地だの、巣鴨監獄だの、護国寺だの、――三四郎新井の薬師までも行った。新井の薬師の帰りに、大久保へ出て野々宮君の家へ回ろうと思ったら、落合火葬場の辺で道を間違えて、高田へ出たので、目白から汽車へ乗って帰った。汽車の中でみやげに買った栗を一人でさんざん食った。その余りはあくる日与次郎が来て、みんな平らげた。  三四郎ふわふわすればするほど愉快になってきた。初めのうちはあまり講義に念を入れ過ぎたので、耳が遠くなって筆記に困ったが、近ごろはたいていに聞いているからなんともない。講義中にいろいろな事を考える。少しぐらい落としても惜しい気も起こらない。よく観察してみると与次郎はじめみんな同じことである三四郎はこれくらいでいいものだろうと思い出した。  三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しか想像連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのんである。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。  ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空いなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてから総体しまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。  坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。  時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。  与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面である。その代り連がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草のんで、自分図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。  三四郎はなんとか言って、挨拶をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間にでた。すると与次郎が、すぐ、 「この男は私の同級生です。熊本高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴しておいて、それから三四郎の方を向いて、 「これが広田先生高等学校の……」とわけもなく双方を紹介してしまった。  この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、 「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。 「貸家はと……ある」 「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」 「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」 「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。 「石の門はいかん」と先生が言う。 「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」 「なぜでもいかん」 「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」  与次郎はまじめである広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。  横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影の柱が二本立っている。扉は鉄である三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。 「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。 「東京はどうです」 「ええ……」 「広いばかりできたない所でしょう」 「ええ……」 「富士山比較するようなものはなんにもないでしょう」  三四郎富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、 「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。 「翻訳とは……」 「自然翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」  三四郎翻訳意味を了した。 「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」  三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、 「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。 「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。 「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである与次郎のん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。  ところへ植込みの松の向こうから与次郎が大きな声を出した。 「先生先生」  先生は依然として、何かかいている。どうも燈明台のようである。返事をしないので、与次郎はしかたなしに出て来た。 「先生ちょっと見てごらんなさい。いい家だ。この植木屋で持ってるんです。門をあけさせてもいいが、裏から回ったほうが早い」  三人は裏から回った。雨戸をあけて、一間一間見て歩いた。中流の人が住んで恥ずかしくないようにできている。家賃が四十円で、敷金が三か月分だという。三人はまた表へ出た。 「なんで、あんなりっぱな家を見るのだ」と広田さんが言う。 「なんで見るって、ただ見るだけだからいいじゃありませんか」と与次郎は言う。 「借りもしないのに……」 「なに借りるつもりでいたんです。ところが家賃をどうしても二十五円にしようと言わない……」  広田先生は「あたりまえさ」と言ったぎりである。すると与次郎が石の門の歴史を話し出した。このあいだまである出入りの屋敷入口にあったのを、改築のときもらってきて、すぐあすこへ立てたのだと言う。与次郎だけに妙な事を研究してきた。  それから三人はもとの大通りへ出て、動坂から田端の谷へ降りたが、降りた時分には三人ともただ歩いている。貸家の事は[#「貸家の事は」は底本では「貸家は事は」]みんな忘れてしまった。ひとり与次郎が時々石の門のことを言う。麹町からあれを千駄木まで引いてくるのに、手間が五円ほどかかったなどと言う。あの植木屋はだいぶ金持ちらしいなどとも言う。あすこへ四十円の貸家を建てて、ぜんたいだれが借りるだろうなどとよけいなことまで言う。ついには、いまに借手がなくなってきっと家賃を下げるに違いないから、その時もう一ぺん談判してぜひ借りようじゃありませんかという結論であった。広田先生はべつに、そういう了見もないとみえて、こう言った。 「君が、あんまりよけいな話ばかりしているものから時間がかかってしかたがない。いいかげんにして出てくるものだ」 「よほど長くかかりましたか。何か絵をかいていましたね。先生もずいぶんのん気だな」 「どっちがのんきかわかりゃしない」 「ありゃなんの絵です」  先生は黙っている。その時三四郎がまじめな顔をして、 「燈台じゃないですか」と聞いた。かき手と与次郎は笑い出した。 「燈台は奇抜だな。じゃ野々宮宗八さんをかいていらしったんですね」 「なぜ」 「野々宮さんは外国じゃ光ってるが、日本じゃまっ暗だから。――だれもまるで知らない。それでわずかばかりの月給をもらって、穴倉へたてこもって、――じつに割に合わない商売だ。野々宮さんの顔を見るたびに気の毒になってたまらない」 「君なぞは自分のすわっている周囲方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすだけだから、丸行燈のようなものだ」  丸行燈比較された与次郎は、突然三四郎の方を向いて、 「小川君、君は明治何年生まれかな」と聞いた。三四郎簡単に、 「ぼくは二十三だ」と答えた。 「そんなものだろう。――先生ぼくは、丸行燈だの、雁首だのっていうものが、どうもきらいですがね。明治十五年以後に生まれたせいかもしれないが、なんだか旧式でいやな心持ちがする。君はどうだ」とまた三四郎の方を向く。三四郎は、 「ぼくはべつだんきらいでもない」と言った。 「もっとも君は九州のいなかから出たばかりだから明治元年ぐらいの頭と同じなんだろう」  三四郎広田もこれに対してべつだんの挨拶をしなかった。少し行くと古い寺の隣の杉林を切り倒して、きれいに地ならしをした上に、青ペンキ塗りの西洋館を建てている。広田先生は寺とペンキ塗りを等分に見ていた。 「時代錯誤だ。日本物質界も精神界もこのとおりだ。君、九段の燈明台を知っているだろう」とまた燈明台が出た。「あれは古いもので、江戸名所図会に出ている」 「先生冗談言っちゃいけません。なんぼ九段の燈明台が古いたって、江戸名所図会に出ちゃたいへんだ」  広田先生は笑い出した。じつは東京名所という錦絵の間違いだということがわかった。先生の説によると、こんなに古い燈台が、まだ残っているそばに、偕行社という新式の煉瓦作りができた。二つ並べて見るとじつにばかげている。けれどもだれも気がつかない、平気でいる。これが日本社会代表しているんだと言う。  与次郎三四郎もなるほどと言ったまま、お寺の前を通り越して、五、六町来ると、大きな黒い門がある。与次郎が、ここを抜けて道灌山へ出ようと言い出した。抜けてもいいのかと念を押すと、なにこれは佐竹下屋敷で、だれでも通れるんだからかまわないと主張するので、二人ともその気になって門をくぐって、藪の下を通って古い池のそばまで来ると、番人が出てきて、たいへん三人をしかりつけた。その時与次郎はへいへいと言って番人にあやまった。  それから谷中へ出て、根津を回って、夕方本郷下宿へ帰った。三四郎は近来にない気楽な半日暮らしたように感じた。  翌日学校へ出てみると与次郎がいない。昼から来るかと思ったが来ない。図書館へもはいったがやっぱり見当らなかった。五時から六時まで純文科共通講義がある。三四郎はこれへ出た。筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘である三四郎講義がわからないところが妙だと思った。頬杖を突いて聞いていると、神経がにぶくなって、気が遠くなる。これでこそ講義価値があるような心持ちがする。ところへ電燈がぱっとついて、万事がやや明瞭になった。すると急に下宿へ帰って飯が食いたくなった。先生もみんなの心を察して、いいかげんに講義を切り上げてくれた。三四郎は早足で追分まで帰ってくる。  着物を脱ぎ換えて膳に向かうと、膳の上に、茶碗蒸といっしょに手紙が一本載せてある。その上封を見たとき三四郎はすぐ母から来たものだと悟った。すまんことだがこの半月まり母の事はまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女の影もいっこう頭の中へ出てこなかった。三四郎はそれで満足である。母の手紙はあとでゆっくり見ることとして、とりあえず食事を済まして、煙草を吹かした。その煙を見るとさっきの講義を思い出す。  そこへ与次郎がふらりと現われた。どうして学校を休んだかと聞くと、貸家捜しで学校どころじゃないそうである。 「そんなに急いで越すのか」と三四郎が聞くと、 「急ぐって先月中に越すはずのところをあさっての天長節まで待たしたんだから、どうしたってあしたじゅうに捜さなければならない。どこか心当りはないか」と言う。  こんなに忙しがるくせに、きのうは散歩だか、貸家捜しだかわからないようにぶらぶらつぶしていた。三四郎にはほとんど合点がいかない。与次郎はこれを解釈して、それは先生がいっしょだからさと言った。「元来先生が家を捜すなんて間違っている。けっして捜したことのない男なんだが、きのうはどうかしていたに違いない。おかげで佐竹の邸でひどい目にしかられていい面の皮だ。――君どこかないか」と急に催促する。与次郎が来たのはまったくそれが目的らしい。よくよく原因を聞いてみると、今の持ち主が高利貸で、家賃をむやみに上げるのが、業腹だというので、与次郎がこっちからたちのきを宣告したのだそうだ。それでは与次郎責任があるわけだ。 「きょうは大久保まで行ってみたが、やっぱりない。――大久保といえば、ついでに宗八さんの所に寄って、よし子さんに会ってきた。かわいそうにまだ色光沢が悪い。――辣薑性の美人――おっかさんが君によろしく言ってくれってことだ。しかしその後はあの辺も穏やかなようだ。轢死もあれぎりないそうだ」  与次郎の話はそれから、それへと飛んで行く。平生からまりのないうえに、きょうは家捜しで少しせきこんでいる。話が一段落つくと、相の手のように、どこかないかいかと聞く。しまいには三四郎も笑い出した。  そのうち与次郎の尻が次第におちついてきて、燈火親しむべしなどという漢語さえ借用してうれしがるようになった。話題ははしなく広田先生の上に落ちた。 「君の所の先生の名はなんというのか」 「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠がよけいだ。字引にあるかしらん。妙な名をつけたものだね」と言う。 「高等学校先生か」 「昔から今日に至るまで高等学校先生。えらいものだ。十年一日のごとしというが、もう十二、三年になるだろう」 「子供はおるのか」 「子供どころか、まだ独身だ」  三四郎は少し驚いた。あの年まで一人でいられるものかとも疑った。 「なぜ奥さんをもらわないのだろう」 「そこが先生先生たるところで、あれでたいへんな理論家なんだ。細君をもらってみないさきから、細君はいかんもの理論できまっているんだそうだ。愚だよ。だからしじゅう矛盾ばかりしている。先生東京ほどきたない所はないように言う。それで石の門を見ると恐れをなして、いかいかんとか、りっぱすぎるとか言うだろう」 「じゃ細君も試みに持ってみたらよかろう」 「大いによしとかなんとか言うかもしれない」 「先生東京がきたないとか、日本人が醜いとか言うが、洋行でもしたことがあるのか」 「なにするもんか。ああいう人なんだ。万事頭のほうが事実より発達しているんだからあなるんだね。その代り西洋写真研究している。パリ凱旋門だの、ロンドン議事堂だの、たくさん持っている。あの写真日本を律するんだからまらない。きたないわけさ。それで自分の住んでる所は、いくらきたなくっても存外平気だから不思議だ」 「三等汽車へ乗っておったぞ」 「きたないきたないって不平を言やしないか」 「いやべつに不平も言わなかった」 「しか先生哲学者だね」 「学校哲学でも教えているのか」 「いや学校じゃ英語だけしか受け持っていないがね、あの人間が、おのずから哲学にできあがっているかおもしろい」 「著述でもあるのか」 「何もない。時々論文を書く事はあるが、ちっとも反響がない。あれじゃだめだ。まるで世間が知らないんだからしようがない。先生、ぼくの事を丸行燈だと言ったが、夫子自身は偉大な暗闇だ」 「どうかして、世の中へ出たらよさそうなものだな」 「出たらよさそうなものだって、――先生自分じゃなんにもやらない人だからね。第一ぼくがいなけりゃ三度の飯さえ食えない人なんだ」  三四郎まさかといわぬばかりに笑い出した。 「嘘じゃない。気の毒なほどなんにもやらないんでね。なんでも、ぼくが下女に命じて、先生の気にいるように始末をつけるんだが――そんな瑣末な事はとにかく、これから大いに活動して、先生を一つ大学教授にしてやろうと思う」  与次郎はまじめである三四郎はその大言に驚いた。驚いてもかまわない。驚いたままに進行して、しまいに、 「引っ越しをする時はぜひ手伝いに来てくれ」と頼んだ。まるで約束のできた家がとうからあるごとき口吻である。  与次郎の帰ったのはかれこれ十時近くである。一人ですわっていると、どことなく肌寒の感じがする。ふと気がついたら、机の前の窓がまだたてずにあった。障子をあけると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、青い光りがさして、黒い影の縁が少し煙って見える。檜に秋が来たのは珍しいと思いながら、雨戸をたてた。  三四郎はすぐ床へはいった。三四郎勉強家というよりむしろ※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊家なので、わりあい書物を読まない。その代

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