はてなキーワード: 屋上屋を架すとは
このオカシイというのは倫理的なものじゃなくて、コンテキスト的なおかしさのこと。端的に言うと「だせぇ陰キャが流行りの鬼畜系の真似をしてみたイキリ」だ。
https://anond.hatelabo.jp/20240724141703
最近で判り易い例で喩えると、石原伸晃が報道ステーションに出て「ナマポゲット~」とか医療費削減の為に安楽死がいいとか言ってたヤツ。あれだ。
若しくは駅員の注意に弱そうな撮り鉄が細い声で暴言吐いてるのとか、江ノ電ニキに「金か?金なんだろ」と細い声を張り上げてるあれの同類。
伸晃の場合はネットに触れるようになって良い年したオヤジがネトウヨ系サイトに感化されてるのが明白で、当時としても「バカじゃねーのこいつ」と思った人は多かろう。特にネットをよく使う人なら文脈をよく知っているからおさらだ。
だから小山田のQJ記事についても「バカじゃねーのこのダサ坊」という扱いであった。少なくとも神保町の書泉ブックマート地下一階でQJ立ち読みした増田はそう思った。その理由を記す。
90年代の少年マガジンは不良と暴力に全振りしていて、暴走族の抗争とか集団でリンチして半殺し、不良同士の抗争で殺人、それへの復讐というようなマンガで埋め尽くされていた。
そうなると実際の不良文化にも影響は出てきて、どこそこの生意気な女を輪姦してやったぜとか友達の友達が喧嘩で相手の頭を執拗に殴って耳血が出て意識不明とか、そういう自慢が横行していたワケ。
自分が暴力的だ、と云う以外に暴走族や池袋のチーマーなど暴力で傷害、殺人を犯した人間と繋がっている、というのが自慢になり得たワケだ。
同時に鬼畜系というコンテンツも流行ってたのだが、これは背後に外連味があるものだった。「夜想」とか「WAVE」とか「〇〇評論」とか、文化評論系のA5版雑誌が流行していて、それらは外連味が溢れるサブカルものだったのだが、その雑誌群の編集者が興したのが鬼畜系だったのだ。
その代表人物で自称中卒工員の精神障碍者の村崎百郎は『夜想』などの編集者で、外連味サブカルの中心に居る人物でもあった。後に自身が精神異常者だとの嘘を恨まれた読者に殺される事になったが、相応しい最期と言えるかもしれない。
『危ない1号』の青山正明なども模試成績一位になった事がある元優等生であった。因みに青山はロリコンブームの仕掛人でもある。
鬼畜系はゴミ漁りによる個人情報漁り、麻薬、精神世界(綺麗じゃない糞尿垂れ流しの方)、奇形趣味、身体欠損、時代遅れになっていた新左翼セクト、変態セックス(特に獣姦など)を扱っていた。
だが、wikipediaの「鬼畜系」の項には過去の変態春画や無残絵、宮武骸骨などが載っているように、「高尚な文脈」で関連付けがされうるもんである。それは単に良識人が目を逸らす悪趣味の羅列じゃなくて外連味サブカル編集者達が興したブームであり計算されたものであったこと、それまでの文脈を踏まえていた事、それによって高尚な文脈の中で論じることが知的であるという文脈が惹起されるからに他ならない。
マガジンみたいな馬鹿向け暴力賛美と、知的に思われたいがそれは隠したい、自身を個性的と思いたい馬鹿向け鬼畜系、二つの路線が同時に存在するとその中間の路線も活性化する事になる。
それで鬼畜系の中からドラッグやタトゥーなどだけを特集したより実践的な雑誌群が刊行されるようになった。実践的というのは、実際にタトゥーを入れたり骸骨アクセサリをジャラジャラさせたり、アムステルダムで実際に飛びツアーをしたりという実際のファッションやライフスタイルと結びついていたから。
こっちはワルだけどチーマーや暴走族みたいなバカはやりたくない、或いはファッションワル向けだね。
さてそうすると今でいう陰キャとかオタクっていうのはこういうのに絡んでこないって事になる。鬼畜系とは親和性が高そうだが、なに分にもぶっ飛びすぎていて真似するのは難しい。
創刊号はよくあるサブカル雑誌という感じ。だが3号くらいから迷走をはじめるのである。
芸能人のインタビューを入れたり、オウム事件を扱ったり。芸能人の記事を入れるのはメジャー路線化だ。多分1-2号が売れなかったのだろう。一方でオタク路線にも足を踏み込んでいた。その甲斐あって10号でエバンゲリオン特集が組まれてそれで話題になるのであった。
で、こういう迷走と試行錯誤の始まりに収録されたのが件の問題の小山田インタビューだったワケだ。
そもそも小山田のコーネリアスは渋谷系に分類されるが、アンテナショップ的役割のタワーレコード渋谷店でもWAVE渋谷でも「渋谷系」の棚なんて無かった。商業主義のHMVには渋谷系のコーナーがあったが、渋谷に来る若者には「渋谷系」なんて恥ずかしいものだったわけだなw(カヒミカリイやピチカートなどは除く)。
そんな渋谷系の彼がQJに登場して自慢したのが件の障碍者虐めであったワケ。
これはかなり見てられない。そもそもそんな良くない事をすでにメジャーデビューしてる小山田がわざわざいうのは自慢であって、鬼畜系や暴力系標榜のアピールだったのである。
そもそもタトゥ入れまくりだの、悪趣味鬼畜系だのというのは、自分が社会の規範から外れている、反逆しているとのアピールが含まれている。そこで「学校での」「虐め」体験を語るというのは、学校というレールから外れずに来た子供のままで「デビュー」していないという事であって、かなり痛々しい、背伸びした陰キャの行為だ。いかにも悪ぶった陰キャの自慢という痛さに満ちている。
政治家のガキとして不自由なく育って齢50過ぎになってネットに触れて悪ぶって「ナマポゲット~」とか言ってた伸晃の痛さと相同である。
そういう訳でして、小山田の発言は当時の悪趣味、反良識の文脈を踏まえたものだったというのは確かにそう。
でもそこで学校での虐めを誇るというのは当時としても痛々しいし、背伸びしてそれかよというモンであって単に陰キャのイキリでしかない。実に恥ずかしい。
そしてそれが原因で後年に大舞台の公職を解かれるに至っては自業自得の上にバカの屋上屋を架すと言った代物であり、撮り鉄江ノ電ニキ罵倒大会に伸晃(50代)が混じって「金だろ?ナマポゲット~」と一緒に叫んでるような恥ずかしさとバカの煮凝りの如しだと思うのである。
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。
何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか|文学作品ならそら後者やろうけど、技術書や理論論文で後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな
いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報が必要な場合があるだけ)。たとえば、ピケティが英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティがフランス人だからといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系が大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。
(だって、「オリジナルの文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)
さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としか言わず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?
これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。
たとえば増田は、ちょっとマニアックな事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術的インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関の紀要に無査読の論文書いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文が形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないものは論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳のリスクが……」ってのもそういうことですよ。
物理学そのものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学の歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代の物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでます(ネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国の学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインはドイツ語で相対性理論の論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学を対象とした文系の学問」であって、物理学そのものではないので、「物理学では基本的に英語版からの翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。
これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティの研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では
これメチャクチャ思いました。過去の査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するときは原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に無査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系や経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだから、あんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。
増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌の名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。
だから丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由で却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。
でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。
わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義は査読者からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明なことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?
だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読で100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田の研究だって、研究手法と結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田の論文が総体として「間違い」であることを示すには増田の論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通の査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。
そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド内論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄で原本を参照汁」的な暴論との文字数
学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニア語から訳されてるし、バスク語やチベット語やイディッシュ語の文学が翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査官シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前がおかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかしな表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。
各方面の有識者が述べ始めているので屋上屋を架す行為かとは思うが、あるブコメをしたときに、改めて恐ろしくなったので文字数制限のないこちらで整理してみたい。
「岸田さんが麻生氏や菅氏や二階氏らの長老を撫で斬りにして、河野太郎氏や小泉進次郎氏や福田達夫氏らの次代や若手有望株を逮捕して、内閣・党三役・自衛隊を地元子飼の広島市長や県議とかで固め総裁任期も8期に延長して岸田万歳と唱えさせるレベル」
共産党大会終盤での胡錦涛退席。これは衝撃的だった。全て習近平氏の描いたシナリオ通りなのだろう。衆目監視の中、白髪でやつれた胡錦涛氏が退席。江沢民は出席すらしていない。先代の国家主席である胡錦涛氏は江沢民氏率いる上海閥の事あるごとの容喙に悩まされたが、習近平氏にはもはや恐れる長老はいないのだ。革命第一世代は世を去り、上海閥は衰え吸収し、共青団派は根絶やしにした。
日本で例えると、麻生氏・菅氏・二階氏・甘利氏らの大物長老を、公衆の面前で辱めたうえで政界から退場させるに等しい。
2000年代後半から中国政治に少し興味を持った自分だが、今の政治状況は想定できなかった。王岐山に主導させた汚職追放運動、これ自体は間違いではないのだろうが、習近平はこれを老獪にも政治闘争に最大限に活用した。
汚職追放運動で追放された政治家・軍人達だ。みんな失脚前から自分も知っていた大物達。これらを全て終身刑や党籍剥奪にして政治生命を奪っていった。隣国日本から興味本位でのぞいている私から見てもこれだけのインパクトがあるのだから、中国政界ではもっと有為で有能な人材が排斥されることもあったのだろう。もちろん、追放された面々が全て潔白だったと言うつもりはないが、裁く側の手も相応に汚れているだろうとは思う。
今回の共産党大会で政治生命を奪われた共青団系の李克強・汪洋・胡春華を含めて整理しなおすとこうなるか。
過去10年の国家主席在任期間に徐々に進んでいたので麻痺していたが、本当に恐ろしい数の政敵を葬ってきたと思う。
これで真っ先に思い出すのは、スターリンだ。
キーロフ・ジノヴィエフ・カーメネフ・ブハーリン・トロツキー・トハチェフスキー…彼らも粛清されていった。同時代だからなのか、歴史で学ぶスターリンのような苛烈さは感じていなかったが、改めて歴史として振り返ると相似していると感じる。
これは各有識者が指摘しているので、そちらに任せたい。
少し書くと、留任した趙楽際は習近平の父親である習仲勲の墓を盛大に改築し気に入られて抜擢された人物だし、王滬寧は江沢民時代から共産党の思想的正当性を理論化した人で派閥的には中立で取り込んだ方が正当性を確立できる人物。それ以外はすべて子飼の人物だ。権力掌握としては露骨すぎるほど露骨だが、批判を恐れなければ最短ルートなのだろう。
個人的に驚いたのは2点。
:今回の政変で一番驚いたのはこの胡春華氏の放逐。汪洋氏はリベラルすぎるので頂点には至らないとは思っていたが、胡春華氏は最低でも首相だと考えていた。現副首相で、首相の一歩手前と見られていた人物。共青団系ではあるが、習近平氏とも折り合いをつけていたと言われるし、何しろ20代くらいからその俊秀を謳われてその通りに出世してきた。日本的にベタに言ってしまうと、小泉進次郎氏の期待値(言うまでもないプリンス・二枚目・将来の首相候補)と米山隆一氏の個人スキル(東大医学部で弁護士)を兼ね備えた人物と言える。中国全体の才能の集まる北京大学に16歳で飛び級入学しそのまま卒業生総代となり、その後もきちんと業績を上げてきた人物なのだ。もちろん、習近平氏とは政治的主張で折り合わない部分があったかもしれないが、首相にはならなくとも、少なくとも一つ出世した常務委員への昇格で処遇すると思っていた。それをまさかの降格。これは共青団派にとっては一番の衝撃ではなかったか。
:習近平派で重慶書記の陳敏爾氏は常務委員入りするのかと考えていた。少なくとも李強・李希の二李よりは大物だったのじゃないか。この人事を見て、他派閥どころか、自派閥に対しても自分が生きている間は権力を譲らないという習近平の強い意志を感じた。
これも言うまでもない。
安倍さんは2期4年を3期6年に延長したが、習近平氏は2期10年を3期15年以上に延長した。自民党総裁の期間に換算したら7期21年みたいなものだろう(8期と書いたのはなんとなくキリがいいから)。
これまでに毛沢東の文化大革命への反省のうえ鄧小平の遺訓として残されていた集団指導体制は死文化した。現時点では3期15年まで可能だが、今後習近平の望むままに延長できるだろう。
書いていて大分辛くなり疲れて粗雑になってきた。が、今回の共産党大会は習近平の独裁が確立・確定したという意味で、もしかするとロシアのウクライナ侵攻よりも世界史的に大きな事件なのではと考えている。
自分は浅学なので、詳しい人からの意見があれば嬉しいです。是非意見・異論ください。
まとまった時間を確保して『STEINS;GATE(シュタインズゲート)』『STEINS;GATE 0(シュタインズ・ゲート ゼロ)』を3日間で一気に初プレイした。
1年以上前にアニメは視聴していたので大まかあらすじは把握しており、アニメ化されていないエンディングを見るため Steam で購入。エンディングが見られればいいのでフラグを知るため攻略サイトを利用し既読スキップしたが……思った以上にのめり込み文字どおり寝食を忘れてプレイした。振り返ると睡眠時間は6時間、食事は3回削ったと思う。
『STEINS;GATE』から『STEINS;GATE 0』へのストーリー上の分岐点をなんとなく覚えていたので、『STEINS;GATE』の True END 以外のエンディングを全部やってから True END 途中でいったんセーブし『STEINS;GATE 0』全エンディングを見て、最後に『STEINS;GATE』セーブをロードしてエンディングをみた。涙ぐむところ4か所、クリア後に嗚咽。ここ10年でいいところは語り尽くされていると思うので屋上屋を架すことはしない。
主な症状として――
これだけ強い後遺症が出たのは、おそらく金庸の日本語訳を読み尽くした時以来だ。好みに合う作品の一気呵成プレイはいけない
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開発元の MAGES. Inc. および制作に関わった方々へ
Maximas Tibi Gratias
2013秋に始めた艦これだが、ここ数年は休止していた。
やりこみ上等かつ屋上屋を架すような、行き当たりばったりな仕様追加や変更に嫌気が差し、モチベが無くなったことが理由だ。
そのままフェードアウトと思っていたのだが…
8月になってHTML5移行して、海域リセットとか抜かしやがった。
知らねーよそんなことで済ましても良かったのだが、もし今後やりたいイベントがあって、その時に海域未攻略の提督が締め出しを食らうのも気に食わないと思い、全く気は進まなかったけど再攻略に乗り出した。
ちなみに休止前は6-3までクリアしていて、6-4は基地航空隊を開放したところで力尽きた。
というか5-1の新編三川艦隊任務が鬼のようにキツかったのが堪えた。なんだよ古い大正時代の重巡と軽巡が中核を占める艦隊で機動部隊と戦えって。ふざけてんのかバカジャネーノ。
支援艦隊のうち前線支援の方は全艦キラつけても来るかどうか怪しかったし、前線と決戦の両方のガチ砲撃支援のために、火力と命中を上げる装備整えるのもメチャクチャ大変だったし、そこまでしても羅針盤はじめとする運頼みのおかげでクリアはかなり厳しかったし。
ともかく、全く気乗りしない攻略でもなんらかの動機づけがあればと思い、攻略対象海域が関係する未達成任務を消化しながら進め、現在やっと6-4の2ゲージ目まで終わったところ。
上述のように死ぬ思いで基地航空隊開放したのに、その航空隊を使った6-4がこれまた攻略超大変とか、いい加減にしろよクソ運営が。
つか、正直5-3以降の攻略は本当に苦痛で苦痛で仕方なくて、「早く終われ」以外の感想はない。
つまり、ゲーム提供側としていちばん大事な「新しい楽しみの提供」に完全に失敗しているわけで。もうマジで一期より楽しくなった要素皆無だし。
いやそもそもそのための二期リニューアルじゃないって?そんな変更、プレイヤーの俺らには関係なくね?
なんでテメーらの勝手な都合に付き合わなきゃいけねーんだよ、舐めてんのかコラ。
こうなったら、明日か今週末までには持てる資材と時間つぎ込んで、こんなクソ攻略さっさと終わらせてやるわ。
そして信濃が実装されるその日まで、また長い長い休眠期間に入ると。
まず艦娘の育成は駆逐艦の改二改造が全く追いつかない。特に陽炎型・夕雲型・朝潮型はほぼ手付かずで、かつ改造に漕ぎ着ける見込みもない。
こうも次から次へと改二が湧いてきて、しかも改造レベルが遠いだけでも負担なのに、改装設計図に戦闘詳報だとか付き合ってらんねーよ。
次に大型建造、ビス子とサラは多分永久にウチの鎮守府には来ない。
ビス子は狙ってるときに矢矧が出た時点で、サラは神威をどうにか建造した時点で心が折れて、それ以来放置してるから。
どっちもイベでドロップする機会なさそうだし。
それで何を頑張れと?
というわけで、なんとか艦これを片付けたら、1年間ずっと様子見していたアズレンをようやく始めようと思う。
まあね、艦これの屋上屋を架すが如き仕様追加は昨日今日に始まった事じゃなく、今や本館新館別館旧館のツギハギ建て増しでカオスと化している旅館の如き状態だけど、そこに来て試験実装とはいえ、またふざけた新攻撃を実装してきやがった。
大体、HTML5化しないとゲーム続けられませーんっていうのだって、ユーザーには関係なくね?だからしれーっと移行すればいいものを、わざわざ海域リセットとか、お前らの都合で6年の蓄積をパーにしやがってナメてんのか。ユーザーに甘えてんじゃねーよ。
つーかさ、元はといえばキャラゲーに過ぎない艦これを、運営はどう位置づけていて、どこに行きたいんだか、だいぶ前から疑問に思ってるというか、何も考えてないんだなと思えてならない。
例えば、艦種ごとの特徴を有名無実化させて久しい例外仕様の山(軽巡なのに水上戦闘機が積めますーとか、大発積める子がいますーとか、挙げ句補強増設だ夜戦空母だなんだかんだ)で収拾付かなくなってるのを見るに、それこそアズレンや戦艦少女がやっている個別スキルを、最初から持たせりゃ良かったんじゃねーの?
そもそもさー、このゲームの追加仕様って、ゲームをより面白くするためという目的だった事はタダの一度も無くて、すべてゲームという枠を借りて史実を再現したいか、それで迂闊な史実再現実装をした結果、ゲームバランスが崩壊しそうになったのを後手後手で対処するかのどちらかしかなかったし。
要するにゲームメイクとしては最低のやり口で、本気でここの運営はバカしかいないんだなーって感じ。
こんなクソゲーから、あんだけ大人気のアーケード版を作ったセガは、なんだかんだ言っても一流のゲーム屋なんだと思ったわ。
まあ、個人的にはとっとと潰れちまえって感じだけど、今残っているのはガチ勢の廃人が殆どだろうから、まあROみたくダラダラ続いていくんじゃねーのかな。
皆さま、こんばんは。「日いづる国」よりの時間です。
この番組は国を思う政治家の方にお越しいただき、その想いを語っていただく番組です。
杉田さん、また先週に引き続き、今週もよろしくお願いいたします。
中山:
ご支援いただきまして、ありがとうございます。
やはり、非常に厳しい状況ですね。
ほかの国もまさに韓国の言っていることを信じてしまっているところがありますから、
国の中でこの問題を取り上げるのと同時に、海外にもやはりきちんと日本が史実に基づいた、
すぎもとこういち:
やらないとね。
クワラスラミ[クマラスワミ]さんなんか洗脳されちゃってて、ねえ。
中山:
違っていますという、架空の事柄がベースになっていますということが分かったあとでも、
世界はまだ何の訂正もされていないということですので、
まだまだやらないといけないことがたくさんあります。
杉田:
そうなります。
中山:
杉田さんのところ、宝塚市というのが、先週のお話では上村さんの講演が堂々と開かれるとか。
杉田:
そうなんです。
ちょっと信じられないような実態になっているってお話を伺って、心配な状態ですけど……。
杉田:
私が今住んでおります宝塚市、まあ選挙区でもあるんですけれども、
皆さんは歌劇とかのとっても素敵なイメージがあるんじゃないかなと思うんですが、
実は、今宝塚で市長をしていらっしゃる方が、元社民党の国会議員の女性の市長[中川智子市長]さんなんですね。
で、いわゆる土井たか子さんの土井チルドレンと呼ばれた方々で、
最初の当選は、先週の話題にも出てました辻本清美さんと同期で当選をしていらっしゃるあの方なんです。
その方が今回二期目に入りまして、二期目が半分終わったところなんです。
中山:
拉致問題を北朝鮮が拉致などするはずないでしょうと有本さんを叱り飛ばして帰したっていう、
そのイメージがまず来る方なんですけども。
杉田:
そうなんですね。でも、その土井たか子をずっと選挙で通し続けてきた地盤っていうのは、
まさしくこの阪神間といわれる、まあ普通に考えればおしゃれな街のイメージのところが、実はそういう地盤なんですね。
で、その市長さんが1期目とそれから2期目の前半はわりと安全運転で、普通の市政をしていらっしゃったんですが、
いよいよここに来て、今年の予算とかを見させていただきますと、
ご自分がやりたいことのカラーを出してこられたなというようなイメージが非常にするんですね。
中山:
あ、だから上村さんを平然と講師に招いて…。なるほど、それができるということなんですね。
杉田:
まあ、これは市がやってるわけじゃなくて、先週紹介したのは市がやってるわけじゃなくて、
市民団体の方が上村さんを呼んできてしてるんですけれども、まあ普通に市立の公民館でやってますからね。
中山:
そうですね。そういう勢力が強い。
杉田:
そんな中で私が一つ問題視をしていますのが、いわゆるLGBT支援法っていうものなんですね。
皆さんに分かりやすく説明しますと、「L」っていうのはレズ、「G」っていうのがゲイ、
「B」というのがバイセクシャル、そして「T」がトランスセクシャル、性同一性障害の方なんですが、
そういった方々を支援していきましょうっていう法律案なんですね。
で、これ、実は今年の3月に渋谷区で可決をされているんですね。
渋谷区は、渋谷区のね、タイトルがちょっと、もうタイトルからしてですね、非常におかしいんですけど、
というタイトルなんです。
ここにはLGBTとか同性愛とかは一言も出てこないんですけども、
ただ、中身を見ると、今同性愛の方々が色々と生活しにくい問題があると。
例えば不動産屋さんがね、同性愛のカップルにはお部屋を貸さなかったりとかするので、
非常にその方々は差別を受けていると。
地方自治体がそこまで口出しをすることは当然できないわけですが、
条例という形で、この人たちは婚姻と同じような関係にあるということの証明書を出したりとかですね(笑)
そういうのを自治体ができるようにしましょうっていうような条例なわけなんです。
これに飛びついたのが、次は私の住んでいる宝塚市なので、やりたいということで。
こういう同性愛の方の気持ちを知りましょうって、本当に同性愛の方に来ていただいて、
講演を聞くとかっていうのを市長は好んでやっていらっしゃったそうなんですね。
すぎもと、中山:
(爆笑)
杉田:
いうことなので、いよいよこれを宝塚でもやろうということをなって、
私は当然こういう条例は必要ないと思いまして、3つの理由を挙げてブログに書かせていただいたところ、
大変賛否両論いただいて、いわゆる炎上という形になってるんですが、
私が一つ目にあるのはですね、タイトル見て皆さん気付いていただけましたでしょうか。
この「男女平等」という部分と「多様性を尊重する」というのを同列で論じているんですね。
違うことだよね。
違うことですね。
あの「男女共同参画」とかとはまたまったく違う問題なんですけど、同列にしていると。
ただ、私は男女の支援っていう、その例えば子育て支援を行ったりとか、
今、自治体によっては結婚の支援を行っている自治体もありますが、
これは私はやっぱり今日本は大変少子化ですから、もっと子供を産んでいただかないといけないと
いうことがありますからね。そういうところに対して税金を使って支援をしているわけです。
ならば、こういう言葉を使うからダメなのかもしれないですが、はっきり申し上げます。
生産性がない同性愛の人たちに皆さんの税金を使って支援をする、
どこにそういう大義名分があるんですかっていうことがまず一点なんですね。
男女平等も私はありえないということを発言して、この時もだいぶ炎上したんですけれども、
すぎもと:
区別。
杉田:
そこの部分を混同してしまってはまずいけませんよということが一点目です。
そして、二点目は日本という国は、「基本的人権」というのが全員に尊重されていますから、
大人も子供も、それからお年寄りも、障害者の方も、病気を持った方も、
で、その上でですよ、女性の人権がとか、子どもの人権がとか、あと同性愛の人の人権がっていうと
それを特別に支援するっていうのは特権になってしまうんですね。
中山:
そうですね。
杉田:
すぎやま:
屋上にまた家を建てるみたいな話になるんですよね。
杉田:
それが二点目です。
それから三点目なんですが、私自身が行政で18年間働いておりましたので、
地方の自治体が今やらないといけない仕事って本当に山ほどあるんですね。
例えば生活保護とかがすごい増えているんですが、そこに職員の数が割けなくて、
だから不正受給とかを見破ることができないということもあります。
児童虐待の問題が増えているんですけれども、そういうところにも十分に職員の数を割くことができません。
いろんな問題が多様化していて、でも自治体の数は行革とかで減ってるわけですよ、職員の数は。
そんな中で、本当に皆さんあっぷあっぷしながら仕事をしているのに、
もっと皆さんの生活に密着した問題で、しっかりやっていかないといけない問題が山積みになってるのに、
優先順位から考えても、かなり優先順位は低いんじゃないですかという。
この三つのことを掲げて、私は「こういう支援法はいりません」って言うようなことを書かせていただいたんです。
でも、きちっと私は論理的に書いたつもりなんですが、差別主義者のレッテルを貼られてしまって、
普段、私がブログとか書いてもあまり取り上げてくれないんですが、
こういう内容を書くとですね、なんとかlivedoorニュースとか、なんとかニュースとかいうのが取り上げてくださって、
「LGBTの知識を学校教育で教えるべきかどうかということに対しての意見をください」という風に言われまして、
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
中山:
そりゃあそうですね。
杉田:
ですね。はい。って言ったらあのなんて言われたかというとですね、
同性愛の子供は普通に正常に恋愛ができる子どもに比べて自殺率が6倍高いんだと。
それでもあなたは必要ないと言うんですかみたいなことをね、言われまして。
すぎやま、中山:
(爆笑)
杉田:
私はそれでもあの優先順位は低い。同じですね。
学校の先生も、今モンスターペアレントだとか、学級崩壊だとか、
やらなきゃいけないこといっぱいあるのに、こういうことをやっている時間はきっとないでしょうし。
あと、じゃあ、どれだけ正しい知識を先生が子どもたちに教えられるんですか?と
あと、思春期の頃って本当にいろいろあるんですね。
私も女子校で育ちましたから、周りがもう女性ばっかりなんですね。
かっこいい先輩と交換日記してくださいとかしてるんですけど。
でも、こう年をとっていくと、普通に男性と恋愛できて、結婚もできて、母親になって…ってしていくわけです。
その多感な思春期の時期にですね、
「もっと皆さん、堂々と胸を張って、そんな縮こまらずに、同性愛の人もちゃんと胸を張ってましょう」
ちゃんと正常に戻っていける部分を踊っていけなくなってしまいますよねっていう。
そういうことを延々その方に説明したんですが、結局そのテレビでその企画はなくなったそうなので、
私が出てテレビでそれを喋ることはなくなってしまったんですけれども、
まあそういう問題は非常にホットで日本中、これ渋谷で可決されて
次宝塚で可決されると、先週お話しした慰安婦の意見書じゃないですけれども、
全国にバーッと広まっていってしまうんですね。
で、私そこのブログにもあえて書きませんでしたが、これは何かというと家族崩壊につながるんですよ。
中山:
そりゃあそうですね。
すぎもと:
それともう一つ決定的なことは、同性愛から子供は生まれません。
これは大きいよね。
杉田:
私ね、この問題もそうですし男女平等、これも私はもう男女平等が絶対に実現しえないですから
だって男性に「子供を産みなさい」って言ったって産めないわけですから、
どうしても一緒に平等にきっちりなることはありえませんよっていうようなことをずっと言ってきたんですが、
これもすごい反発受けたんですけど、一つすごくこの問題、こういった問題に取り組んでいる中ですごく気づいたことがあるんですね。
でも、すごく私に対して「あなたは間違っている。差別主義者だ」って言ってくる人達っていうのは、日本というのはひどい国だと。
女性がずっと虐げられて、昔貧しかったら、女の子が売りに出されて、女郎になって、ずっと男に虐げられて、もうとんでもない男尊女卑の国なんだって。
だから、しっかりこういうことをやっていかないといけないんだというところが出発点なんです。
でも、私はあのいつも申し上げてきたとおり、日本ほど女性が大事にされてきた国はないですよと。
役割分担をきちっと男性と女性の間できちっとされてきて、女性も大事にされてきた。
そういう国なんです。
すぎやま:
韓国にはないですよ。
「かかあ天下」という言葉があるし、一番おおもとは天照大神じゃないですか。
中山:
杉田:
そうなんですね。
ずっと歴史を見ていくと江戸時代からもう女性が財布のひもを握ってる国っていうのは日本だけなんですね。
「レディーファースト」とかってよく言われますけど、あれ女性のほうが先に行ったら、
男性は自分が身を守ることができるっていうね、そういうところの習慣から来てるって言う説もございますし、
でも、日本は逆に女性の方が3歩下がっていうのは、何かあったときは男性が前に出てくださいね、
っていうような。
中山:
ただ、よく言われるのは、フランスの女性たちは非常にコケティッシュだ。
それはご主人がすべて握っているので、なにしろ自分の物を買いたい時、
買ってもらうためはやっぱり美しくて、コケティッシュじゃないといけない。
杉田:
確かにそれはそのとおりかもしれませんね。
中山:
日本の場合はあんまりそういう男の人に媚びを売るっていうようなことは絶対しなくても済んでいる世界です。
すぎやま:
天照大神があって紫式部があって、ずっと見ると日本の女性の方はすごいわ。
杉田:
それと同じで、今回のこのいわゆる同性愛支援のことについても、
私に対してばーっと反論して来られる方々っていうのは、
やっぱりまだまだ日本は遅れている、
同性愛の人達に対しての知識も認識も浅いですし、そういう人たちの差別がまかり通っているって。
アメリカなんかカリフォルニア州とか州法なんかで結婚を認めてるようなところもある。
それに比べれば、日本はまだまだ遅れているから、もっとちゃんと同性愛の人たちに対して、
ちゃんとやってあげないといけないんだよっていう人たちなんですが、私は逆なんですね。
日本の歴史の中をこう見ていくと、同世代というのは昔からあるんですよ。
ただ表立って権利をくれと言ってる方はいらっしゃらないです(笑)
で、日本はただそういうのがあるってことを分かっていながら、
その人たちがあの生きづらい状況ではない形になってるんですよね。
だから、逆に言えば。
中山:
上手な社会ですね。
杉田:
でも、キリスト教の国とかは、逆にキリスト教は同性愛を禁止していますから、
本当にこう差別されて、虐殺されたりとか、虐待されたりとかする歴史があるから
法制度をちゃんとやっていなきゃいるそういうところがあるので、
やっぱり出発点が日本はいい国だと思えるか、いやいや日本はひどい国だと思えるかのところで、
そういう批判をされている方と私の考え方の間にはまず出発点からして噛み合わない部分があるでしょうね。
中山:
杉田:
私、「T」は性同一性障害なので、このLGBTの中に入れていっしょくたにしてしまうの、
私これは非常に違和感がありまして。
中山:
そうですね。
杉田:
性同一性障害という、これは一つの病気でありますから、医療行為としてどこまでどうするのか、
これは医療分野の問題になってくるかと思います。これもひとつ議論がありまして、
今例えば保険が効くのはどこまでで、例えば今私も歯の矯正を頑張ってしているところですけども、
虫歯直すのは保険っていうけれども、歯を矯正するのは保険効きませんよ、
とかそれと同じでですね、医療の分野の中でどこまでこれは医療行為として、
例えば保険で認める、保険で認めないとかっていうまた別の議論だと私は思ってるんですね。
ただ、これを一緒にしてしまっていることでね、すごく先生、いい指摘なんですけど、
今、このLGBTの方は人口の5%とか7%とかって言われてるんです。
だから、私が先ほどの「行政の優先順位が低い」って言った時に反論をいただいたのは、
もう人口の5%なり7%なりがこういう人たちなので、優先順位は低くないでしょうっていう反応が来たんですね。
でも、実はこれ、電通か総研かどっかが出しているそういうデータらしいんですけれども、
「T」の方がやっぱり多いんです。ご病気の方が。
本当にLGBの方の数って1%くらいらしいんですね。
ただ「T」の方まで入れてしまうととすごい大きな数になってしまうといったことなんですね。
中山:
これは切り離して、障害があるということであれば、それはきちんと丁寧に対応しないといけないですからね。
その一緒にしてしまうと…。
杉田:
そう思いますね。
すぎやま:
わけわからなくなって。
今言った性同一性障害っていうのも、精神的な神経科が扱う問題なのか、
ホルモン異常なのか、生理的なもののか、二種類あると思うんですよね。
そういうことがね、全部ぐしゃぐしゃに混ぜちゃうというのは間違いだし、
その狙いは何なんだろうと。
その奥に変な狙いがあるかもしれない。
杉田:
その狙い通りで、これ私もまたたいへんな問題だなと思っているのは
差別かどうかの区別ではなく、必要悪であるかどうかの区別により論議(=「精査」)するのでは?差別の定義で分けられない事象同士を、差別としての範疇で分けるということはあまりにもおかしい。
おかしくない。なぜなら「差別の定義に不当性は含まれている」という立場だから。「差別の定義で分けられない事象」なるものが発生するのは、外形上の一致に固執する元増田とそれを支持する立場だけ。
「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」と「○○は現今の環境下では許容せざるを得ない差別だから、不当な差別じゃないよね~」とはまるで論点が変わってくる。
変わらない。理由は以下。
「どういう判断で区別と差別が分けられるか」の論議も並行して行われるため遅々として議論結果を得られず、題として不健全である。しかし、後者であれば、その必要性の程度、差別の程度をどのようなバランスで取るか、という明確な指標のもと議論がなされる。
「どういう判断で区別と差別が分けられるか」が「どういう判断で現今の環境下では許容せざるを得ない差別と不当な差別が分けられるか」に取って代わられるだけであり、そして主張された必要性をいかに評価するかの判断は結局は不当性の問題に帰着する。必要性という概念そのものに「必要だと主張される行為や措置」を妥当なものにする何かが内在しているわけではないからだ。
あらゆる差別は加害側の思想信条判断からすれば「必要」な措置であろうが、我々がその措置を差別として是正するとき、我々は加害者側の必要性の主張を諸事情の精査によって不当であるとして棄却しているわけだ。必要性に焦点を絞ったところでこういった議論が不要になるわけではないので、差別の問題をよりスムーズに議論することが出来るようになるという主張は根拠がない。
http://anond.hatelabo.jp/20170506031453
本来なら最新の枝に継ぐべきなのだが、無駄に深くなるのが嫌なのでこちらに書いておく。
さて、再開のきっかけとなった基地航空隊の話、ここでネックになったのが
だったのだが、陸攻隊はあと2スロ、頑張って揃えるつもりである。
任務については先日ようやくクリアした。クリア時の編成と装備はこんな感じ。
バケツは多分50ないし60くらい消えたと思う。結局支援艦隊なしでクリアしたので、本当に運だけで乗り切った感じである。
ちなみに同じく5-1任務である進発任務は、上述の任務の鬼畜仕様に「荒ぶる羅針盤」が加わる「鬼でもやらない仕様」なので、暫くは放置の予定。
さて、今夏のイベは正直やらない可能性のほうが高い。しかしそれでも一応は準備が必要ということで、陸攻もそれで開発しているのだが、装備については、実はもっと大きな穴があった件。
電探である。
現状、32号が3個、22号改四が2個、33号が3個、FuMOレーダーが1個。これが当鎮守府の上位水上電探の全てである(ちなみに対空電探や下位の水上電探は余るほどあるのが皮肉である)。
「えっ別に大丈夫じゃね?それこそAll重巡艦隊であってもそれだけあれば足りるでしょ」
と思うのは早計である。
…南方海域と書いた時点でピンときたかもしれないが、上位水上電探の不足は、実は支援艦隊の運用に大きな支障をきたす。
支援艦隊というのはその仕様上「基本当たらない、当たってもカスダメ」なので、何も考えずにいい加減な装備で出撃させると、文字通り「燃料と弾薬をドブに捨てて帰ってきたでござる」という事態が頻発することになる。
これは別にイベント海域の甲乙に限った話ではなく、丙作戦であっても普通に起きることは筆者も経験済みである。
したがって、支援艦隊は火力と命中を装備によってどう稼ぐかがカギとなる。
結果、ガチ勢が重火力の支援艦隊を出す場合、現行テンプレは以下の通りである。
戦艦2隻:46cm三連装砲*2、32号電探*2
以上を基本に、51cm試製砲とかアイオワ砲GFCSとかを絡めたり…という感じらしい。
ちなみに99式艦爆(江草隊)のみ開発も改修も不可能で、蒼龍を改二まで育てて装備だけ頂戴するという、いわゆる「蒼龍牧場」で確保することになる(やったことないけど)。
というわけで、上位水上電探の開発が急務なのだが、必要数は2艦隊分(道中支援と決戦支援)に、本隊用の若干数を加えると、33号でも10個程度、32号に至っては15個あってもギリという、恐ろしい事になっている(22号改四みたいな他の上位電探込みとしてもという話)。
ちなみにレシピは戦艦or空母秘書で10/11/251/250が定番、確率は33号、32号ともに2.2%らしい。
そこから割り出される必要資材は、昔からお勉強は得意だったであろうはてな読者諸兄にお任せしようと思う…まあ、とんでもない話である。
全くもって「どうしてこうなった!」という感じだが、結局これまた元増田に書いた「屋上屋を架す」に通じるのだと思う。
これは仮説だが、
複数の艦隊を同時に動かすのは胸熱だけど、それで戦力が2倍も3倍も違ってくるのはゲームバランス的に微妙
↓
↓
ガチ勢の熱心な研究の結果、支援艦隊で超火力(ザコを綺麗に吹き飛ばし、場合によっては戦艦空母も中破以上に持ち込める)を叩き出す装備が提唱される
↓
イベントでは大火力の支援艦隊前提で深部の敵の仕様が決められるようになる←今ここ
といった所だろう。
もしこの仮説が真実であれば、控えめに言って運営は頭が悪すぎだと思う。
それくらいの先も読めねーのかみたいな。
まあ、牧場されないように改二レベルを高レベル化し、それでも牧場されると分かってからやっと改二専用任務でのみ強い装備を入手可能にしたみたいな流れを見る限り、支援艦隊の仕様もそういう迂闊な流れだったんじゃないかと愚考してみたり。
まじめに見るにはあほらしいがデレステプレイしながら横目で見るにはちょうどいいアニメだ。くだらなさ過ぎて逆に面白くなってきたので毎回感想書く。
3話からはさすおにとISを封印して、両者の比較をしていきたい。アスタリスクは今日の夜に追記。
両者を比較すると
どちらもハーレムもの。どちらもメインヒロインがいるが、新ヒロインが登場してメインヒロインをたきつける展開が共通。
落第騎士はメインヒロインに一途なのに大してアスタリスクはふらふらしている。
主人公の性質は落第騎士の方が良い。ヒロインは落第騎士がちょろすぎでアスタリスクはそれなりにツン維持。
どちらも大会に出て勝利していくという展開は同じだが落第騎士は一人でOK、アスタリスクはペアが必要。
そのためか、落第騎士のヒロインは物語における重要度がひくせいか、2話でさっそくメインヒロインがソープ展開で存在意義をアピールするはめに。
以下メモ
英雄譚は今のところEDがアリプロであることくらいしかおすすめポイントがない。もう全く先の展開が楽しみじゃなくなっている。
1話の時点でさすおにじゃねーかと言ってたわけだけれど2話ではそれがさらに加速する。
http://anond.hatelabo.jp/20151007090612
ブラコンの妹しかも氷属性がでてきたり、実家より疎まれて影の存在として扱われていたなどさらにさすおに度が増した。しかし設定が屋上屋を架す状態になっているさすおにとくらべておそろしくシンプルである。余計なものはそれほどない。
子供の頃は達也を疎んじていた司波深雪と違い、妹は最初から兄のことを愛しているし、兄との能力的結びつきもない。主人公は単に能力がなかっただけで、さすおにと比べて改造されて極悪なものをつめ込まれた、というような設定もなさそうだ。というわけで、さすおにと似ているが、ストーリー的に複雑に、あるいは大きく盛り上がることは全く期待できない。俺的には「バトルに負けて下僕としてスタートしているが、そこから活躍してヒロインを見返していく」というゼロの使い魔方式のほうがはるかに面白かった。いまから考えてもゼロの使い魔は面白かったなぁ。アニメだとくぎゅうあにめにしか見えなかったやついるかもしれないけど。
さすおにとの大きな違いは主人公の性格と、それからちょろすぎるヒロインの存在か。単に学園モノをやるだけなら司達也の設定は盛りすぎなのでこれで十分といえば十分だ。実際さすおにについてはヨコハマ騒乱編が終わる辺りまで、その盛りすぎた設定の説明がくどくなり、アニメでもお兄さま自慢アニメという扱いになっていたしな。そういう意味でたいして深みもない代わりに、主人公の性格はさっぱりしていて不快でないのが良い。 さすおにみたいに境遇や経験のレベルが違いすぎるから仕方ないとはいえ学生相手に超上から目線で説教めいたことを語ったり、表面的な態度は紳士的であるが実際には妹以外の学園の人間などひとしく無価値とみなし、必要があれば利用しても切り捨てても厭わないという設定は、いくらややこしい大人メインの設定とはいえ不快だし、この作品では不要だ。それよりは学園における人間関係やイベントを真面目に全力で楽しむような主人公の方が適しているだろう。
というわけで、この作品の主人公はいいやつで、普通のやつなので、すべてのものを手にしながら妹一筋、みたいな展開にならないし女の子とキャッキャウフフを楽しみならストーリーがチマチマ進むのだろう。そのうえで、きっちりメインとなるヒロインを立てて、それを軸にして話を進めていく。
IS的ハーレム展開はアスタリスクの方だと書いたがこちらのほうがまだ見れる。
新妹魔王と全く同じ展開で、見た目も似たような幼なじみが登場。あと1話でもいた巨乳東山会長が登場。ぱんぱかぱーん。
強力な特殊武器を利用できるのが女の子以外は主人公だけという設定といい、ヒロインの造形と言いなんともISですなぁ。
落第騎士みたいにペラペラ主人公や妹がすべての事情を喋ったりはせず、まだ秘めてるものはありそう。
ヒロインたちもすでに完落ちの落第騎士と比べて癖があってよろしい。
さすおにとちがってISは特に語ること無いからアスタリスクも語ることはそんなに無い。
35小隊 1話
メタ的な要素をもちつつも結局ベタベタなテンプレ展開をなぞっている。
メインヒロインはやはり優等生だが一話でいきなり一人だけぶっとんだ設定をぶっこんできてわけわからん。演技はすごかったけど