はてなキーワード: 名物料理とは
以下、ごちゃまぜという意味の言葉は「ちゃんぽん」、料理のほうは「チャンポン」と表記する。
まず辞書では、
1 2種類以上のものをまぜこぜにすること。また、そのさま。「日本酒とウイスキーをちゃんぽんに飲む」「話がちゃんぽんになる」
たいていは先に書かれるほうが古い用法なので、ごちゃまぜの「ちゃんぽん」のほうが先にあったということだろう。
しかしWikipediaで「ちゃんぽん」を調べると、いくつかの語源説が出てくる。
なかでも「攙烹」説「吃飯」説「喰飯」説などは、明らかに料理が前提にあるので、「チャンポン」が先でないとおかしいように感じる。
ざっと検索したかぎり、「どちらが先にあったか」を明言しているところがほとんどなかったので、ちょっと調べてみた。
「ちゃんぽん」は江戸時代からあった言葉で、三好一光『江戸語事典』や、
ちゃんぽん 交互、又は両天秤にかけるをいう。
ちゃんぽん ①彼と此と入り混じること。まぜこぜ。ごちゃまぜ。文政五年・花街鑑 下「芸者の滑稽、チリツンテン、ちやんぽんの大さはぎ」②交互。かわるがわる。文政九年・契情肝粒志 二上「何時でも下馬一枚を棒組とちやんぽんで」
ただ、前者は「鉦」が中国の楽器、「鼓」が日本の楽器だから、という説明がくっつくことがある。
また後者は、中国人を「ちゃんちゃん坊主」などと言ったのは「鉦の音」に由来するというので、この2説は薄っすらとつながっていることになる。
一方、料理の「チャンポン」が生まれたのは明治30年代だとされる。
長崎で明治32年に創業した「四海樓」という中華料理店の「陳平順」という人が中国人留学生向けに作ったというのが定説である。
ちゃんぽんのルーツは福建料理の『湯肉絲麺(とんにいしいめん)』である。湯肉絲麺は麺を主体として豚肉、椎茸、筍、ねぎなどを入れたあっさりしたスープ。これに四海樓の初代 陳平順(ちんへいじゅん)がボリュームをつけて濃い目のスープ、豊富な具、独自のコシのある麺を日本風にアレンジして考案したものが『ちゃんぽん』である。
今日では缶詰や冷凍など保存技術の発達により食材が年中あるが、当時は、そういうわけにもいかず苦労していた。そこで長崎近海でとれる海産物、蒲鉾、竹輪、イカ、うちかき(小ガキ)、小エビ、もやし、キャベツを使い、ちゃんぽんの起こりとなった。
ただ、これもなかなか難しいところで、「支那うどん」と呼ばれる同種の料理は他にもあったらしい。
四海樓でも当初は「支那うどん」という料理名で出されていて「チャンポン」とは呼ばれていなかったという。
以下、チャンポンや支那うどんに関する、明治末から大正にかけての記述を並べてみる。
「チヤポン」(書生の好物)
今は支那留学生の各地に入込めるが故珍しきことも有らざるべし。市内十数個所あり。多くは支那人の製する饂飩に牛豚雞肉葱を雑ゆ故に甚濃厚に過ぐれば慣れざるものは、厭味を感ずれども。書生は概して之を好めり
「チャンポン」ではなく「チャポン」になっているのは誤字なのかわからないが、後述の「吃飯」説の傍証としてよく引き合いに出される。
明治41年『中學文壇』では「支那うどん=チャンポン」であり、長崎固有の料理だと言っている。
明治41年『ホトトギス』でも同じく「支那うどん=チャンポン」。やはり「チャポン」は誤字だったのではないか…?
大正3年『長崎一覧』には「支那饂飩の元祖は三角亭だ」と書かれている。
支那うどんも亦長崎名物の一つである 名の如く支那より伝つたうどんである 日本人の初めて製造せし人は大波止三角亭の上田百十郎氏である。氏は初め今の九州日の出新聞の所で飲食店を営んで居た、支那うどんを創めたのは明治三十二年であつて、創めた当時はあまり歓迎せられなかつた
大波止の三角亭は大正年間に「支那うどんノ元祖ハ大波止角三角亭」という広告をあちこちに出していたようだ。創業年の明治32年は四海樓と同じ。
大正7年『漫画巡礼記』の著者は「近藤浩一路」という人で静岡育ち東京住まいらしいが「支那うどんについては皆さんご存知だろう」という書きぶりである。
長崎名物のうちにチヤンポンといふがある。チヤンポンとは支那うどんの異名と聞いたら何だつまらないといふかもしれぬがこれが仲々莫迦に出来ない代物である。エビ豚、牛肉、蒲鉾、ねぎ其他種々のものがチヤンポンに煮込んであるから其名が起つたのであらう、先祖支那うどんと銘うった家が長崎市中到る処に見られるが、これが皆なチヤンポンだから驚く
また四海亭(四海樓のことか)の紹介もある。
しかし其中でも支那町の突当りにある四海亭が最も代表的なチヤンポンを食はせるといふので我等はK君の案内で此四海亭に始めてチヤンポンなるものにお目通りしたのである。見た所は他の支那うどんと大差はあるまいが、何せい材料と料理法が違ふ。
ちなみにWikipediaには「明治初年には既に長崎人の本吉某が長崎市丸山で、支那饂飩をちゃんぽんの名で売り出していたともいう」と書かれているが、これは昭和13年『長崎談叢』がソースらしい。
チャンポンの濫觴は明治の初年我が長崎人本吉某が丸山にて支那饂飩をチャンポンと名づけて開業したるものにして終にチャンポンは支那饂飩の固有名詞となり了りぬ。
総合して、
といったあたりが気になる。
いずれも確証はなく「発音が似ているから関係があるかもしれない」程度の話に尾鰭がついただけのようだ。
「吃飯」説だけは、四海樓が主張しているという点において説得力があるが、それにしたって確証はなさそうである。
以上。
「ちゃんぽん」と「チャンポン」に関係があるかどうか、については結論が出なかったが、普通に関係がない可能性もあるということがわかったので、とりあえず良かった。
Wikipediaの説明がまさにそうだが、「ちゃんぽん」の語源説と「チャンポン」の語源説がごちゃまぜになっている、つまりちゃんぽんになりがちなので、そこだけは気をつけたいところである。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
カレー、うどん、ラーメン、焼き鳥、天ぷら、ずんだシェイクなど、さまざまな食べ物が頻繁に話題に上がり、特にうどんについては繰り返し取り上げられていました。地域の名物料理(盛岡や名古屋など)も紹介されており、参加者は各地のグルメに対する関心が高いことが伺えます。
運動会、遠足、引っ越し、健康診断、朝市の訪問など、日常の出来事やイベントが会話の中でシェアされました。特に運動会や遠足に関する話題では、食事やお弁当についての意見交換も行われていました。
ノーベル賞やLVMH、日本の文化政策に関する議論が展開されました。また、ドラえもんの声優の死去が追悼され、政治や経済に関する軽いコメントも見られました。
猫やインコ、リクガメなどのペットに関する話題が何度か登場し、参加者同士が飼育に関する意見を交換していました。脱走防止や食事の工夫など、ペットの世話に関するユーモアや悩みが共有されました。
読書(技術書やエッセイ)、アニメや映画(ドラえもん、大山のぶ代、庵野監督関連)、ゲームなどの趣味に関する話題も多く、特に懐かしの作品や新作への期待が語られました。また、技術的な話題ではエンジニアレベルに関する議論もありました。
現金が見つかったニュース、運動後のラーメンやアイスクリームの欲求、睡眠の質に対する悩みなど、個々の生活や感情に関する話題が多岐にわたって展開されました。
この週の会話は、日常生活の出来事や趣味、食べ物についての共有が主軸で、リラックスした雰囲気で行われていたようです。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
俺の知ってる(行って食べた事は無い)料理屋は、
夕方だったかな、薄暮の頃に、着水するであろう地への鴨の飛行コースに網を張って、
鴨猟をするとTVでもやってた。
やっぱり人の気配を感じるとそこには着水しないらしい。
食べては見たいと思うが、一人で行けるようでは無いらしいのと、
一緒に行ってくれる人が居そうにないので、これまでの所行ってないだけだ。
余談...
店の中でTVの取材中、鴨鍋を楽しんでいたグループの内の一人の女性が、
自分の器に入っていた料理を食べ、汁だけ残った状態でTVクルーに「フンッ」と言って突き出した。
TVクルーは「えっ、これ中身入って無いじゃないですか!」と強く言ったら、
「汁よ! 汁が絶品なの!」と息巻いていたが、TVクルーがそれを食した様子はなかった。
新型コロナ流行以前の事だったと思うけど、見ず知らずの人に自分の口を付けた取り皿、差し出すものだろうか?
それとも、そういったことを慮る事の出来なかったTVクルーが悪かったのだろうか?
俺はあのおばさんのあの行動=態度は無いと思った。
その店は某有名グルメドラマにも出てきた店で、すごく有名なんですよ。
そこで仲間と一杯やっていたんだけど、一息ついて店内を見ると周りが若い男女で溢れていることに気がついた。
ラー油をとりながら隣のカップルをチラ見したら、二人とも名物料理を半分だけ食べて一言も喋らずにひとすらスマホを見ているんだよね。
たぶん二人は料理の写真を「あの店に来たよ!」というコメントとともに、各々のグループのグルチャにアップして反応を見て仲間とやりとりしていたのかなと。
その店は若い人の間でも有名で、ちょっとしたデートスポットになっているのかもしれない。
そして、こういうデートスポットとされている場所がいくつかあって、それらの場所をスタンプラリーのように回っているのかなと想像してみたり。
喋らずにひたすら有名でキラキラした場所を巡って、グルチャにアップして、反応を楽しんで、でも隣にいる人とはあまり喋らずに・・・そういうことをやるのが今風のデートのひとつなのかなと。
北海道に旅行した際、居酒屋でやたらと推されていたザンギを食べた。
なんのことはない、少し下味の強い鶏の唐揚げである。現地では鶏の唐揚げ=ザンギと呼ぶそうで、北海道の名物料理として居酒屋などのメニューに掲載されているのをよく見かけた。
しかし、鶏の唐揚げなんて、日本全国どこでも食べられるわけで、ザンギが一般的な唐揚げと何が違うのか、その特長を明らかにしないまま、北海道名物でござい、みたいな顔してるのに違和感があった。なんでコレが名物なん?
呼び名としてのザンギは確かに珍しいけど、本質は鶏の唐揚げだ。観光客はザンギを食べることで観光気分を満たしているようだが(初回の自分も含め)、食べた後で感想は特にない。強いて言うなら味濃いめだな、と言う程度。
ていうか、他の地域と名前が異なるからといって、名物料理のような振る舞いしてるのって何なん?そんな名物他にある?
それとも、地元の道民はザンギがめっちゃ大好きで、おかずとして他の地域の人より、この唐揚げをとりわけ多く食べてるとかあることで、調理法などが洗練されて美味しい店が多い、とかあるの?
考えれば考えるほど、何なん?と思うわ。ザンギ。
山陰と山陽では、間違いなく山陽が優れています!そもそも山陽地方の方が観光スポットやアクセスの便利さも圧倒的に優れていますし、気候も暖かく快適です。山陰ファンの方もいるかもしれませんが、それは単なる特殊な趣味であり、マイナーな観光地を好む一部の人たちに過ぎません。
見てもらいたいのは、山陽地方には広島や神戸、岡山などの大都市があり、活気に溢れ経済発展も著しいのに対して、山陰地方はどこも過疎化が進んでおり、これからの展望があまり明るくありません。それに、山陰地方の観光資源が活かせているのは、せいぜい温泉地くらいでしょう。山陽地方はそんなことはありません!大阪湾をはじめとする海岸線の美しさや、しまなみ海道など赤道度の高い空気を提供してくれるサイクリングコースがそろっています。
それに、山陰地方をなんとか支えているのは、やはり境港市にある「ゲゲゲの鬼太郎」の作者、水木しげるさんただひとりでしょう。彼が亡くなったので、もはや山陰地方に行く理由はほとんどありません。一方、山陽地方には倉敷美観地区や広島平和記念公園、神戸のポートタワーなど、数え切れないほどの有名観光スポットが存在します。
さらに、グルメに関しても山陽地方が圧倒的に優れています。広島焼きや岡山の桃、そして神戸ビーフなど、誰もがうなる名物料理が揃っています。これに対して、山陰地方の名物はせいぜい松江のしじみ汁や境港の魚料理くらいでしょう。どう考えても、山陽地方の方が食の面でもイチコロです。
総合的に見ても、山陽地方が圧倒的に優れています!これ以上議論するまでもなく、山陽地方が勝利しているのは明らかですし、それに反論する余地はまったくありません。山陰地方を支持するのは、ズレた情報に踊らされているだけでしょう。山陽地方の魅力を受け入れて、堂々と胸を張って言えるようになりましょう。対比すれば、山陰地方は劣っているのは明らかです。
5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。
・すぎやまこういち(1931年東京都生。作曲家。日本バックギャモン協会会長)
・植松伸夫(1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリーで活躍し、1986年スクウェア入社)
(要約)
すきやま:
だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、
あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。
ドラクエやると、やれCDブックだアニメだときて、レコードもブラスバージョンやエレクトーンバージョンやピアノバージョンが出て、
そうなると色んな出版社がピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。
植松:
すきやま:
どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね。
植松:
まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)
すきやま:
でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。
植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?
植松:
60近くはあるかもしれないですね。
すぎやま:
60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?
植松:
1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。
すぎやま:
働き者だなあ(笑)
植松:
曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。
すぎやま:
植松:
そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?
すぎやま:
そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。
その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。
でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。
植松:
作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。
そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。
だから作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、
自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。
30曲に抑えようとしたんですよ。IVのときもちょっと多いと思ったんです。
今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまいますね。
すぎやま:
僕も曲を絞り込むときは断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。
前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。
でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。
植松:
すきやま:
働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから、
それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。
スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。
植松:
今回そのアイルランドのリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れますと
ユーザーの意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)
別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。
以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンのときとかって難しいじゃないですか。
すぎやま:
ちょっとやりにくいよね。
植松:
いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位で民族音楽好きだから
入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。
先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、
すぎやま:
植松:
日本人だったら日本の音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。
日本に昔からある音楽が自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、
一度「雅楽(古来の宮廷音楽の総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製の管楽器)を習いに行ったことがあるんです。
そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、
ブライアン・イーノのシンセサイザーの音楽に近い印象があったんですよね。
すぎやま:
笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。
植松:
そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。
雅楽は朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、
逆にヨーロッパの民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。
自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、
最近は自分が日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。
すぎやま:
僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。
和風喫茶やレストラン、エアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。
アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人になっちゃうでしょう。
僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。
町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、
ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。
植松:
バッテンなんですよね。
すぎやま:
植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。
で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。
「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、
西洋音楽のエフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。
それは江戸時代の三味線や琴の音楽でしょっちゅうやってることなんだよな。
「ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、
そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代の音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。
あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。
で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。
植松:
ミとファの半音でメロディと伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。
自分でもああぶつかってるな、クラシックの音楽のテストなら絶対にバツだなと思っても、
その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。
すぎやま:
それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。
いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。
それが前後の関係や音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。
ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。
ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら
植松:
難しいですよね。音楽を学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。
どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。
小中学校を通して音楽というものを学校の教育に取り入れて100点取った人は偉い、
大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。
すぎやま:
音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、
植松:
すぎやま:
笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。
だからファイナルファンタジーとかドラゴンクエストの音楽というのは大事なんですよ。
植松:
ドラゴンクエストの音楽が好きになってコンサート行きますよね。
すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。
それはものすごい影響力だと思うんですよね。
子供がオーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。
そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。
すぎやま:
他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。
だから、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。
植松:
すぎやま:
しかし、いつもゲームの音楽作るときに、昔の大作曲家の作品聞くじゃない。
とてもかなわないなと思うことが多いね。
植松:
すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)
すぎやま:
昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。
チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。
植松:
チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。
すぎやま:
とんでもない大天才だよね、あの人は。
あの時代で20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションのうまいこと。
植松:
この前、西田敏行がロシアに行ってチャイコフスキーの足跡を辿るという番組をテレビでやってたんですよ。
僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーはホモであるというのを聞いて、
「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)
すきやま:
その良かったというのはどういう意味なの?
植松:
チャイコフスキーも人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。
すきやま:
モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。
植松:
チャイコフスキーにしろモーツァルトにしろ、メロディが非常にわかりやすいんですよね。
クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。
すきやま:
ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。
植松:
すぎやま:
植松:
だからドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。
すぎやま:
ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。
他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)
植松:
すきやま:
だからそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。
吟遊詩人がマップの中のトルコやアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、
それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。
植松:
すぎやま:
増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。
植松:
一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。
どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。
すぎやま:
植松:
すぎやま:
ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。
植松:
いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。
すぎやま:
でもなんかすごく多い気がしたな。
植松:
実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。
すぎやま:
チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。
植松:
あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。
すぎやま:
植松:
ヘタクソなやつが最後はコンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、
最初はメトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後はドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、
あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。
すぎやま:
グリークとかチャイコフスキーのピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。
植松:
そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。
すぎやま:
植松:
息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。
すぎやま:
作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから。植松さんはドラクエは上がったの?
植松:
実は最後のダンジョンの手前でFFVのアレンジCDの仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。
すぎやま:
上がってないの!?
植松:
今日までに終わらせるつもりだったんですけど。
すぎやま:
僕は対談頼まれたときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、
元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。
途中でやんなっちゃうゲームだと上がれないけど、やってて楽しかったから相当寝不足になりましたよ。
植松:
今回はアマチュアの勝利ですかね。スクウェアのメンツって、単独で独立して音楽で食っていけるか、
絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。
すぎやま:
植松:
いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。
すぎやま:
ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。
植松:
結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。
そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。
全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。
そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。
そういうことが5のチームには無かったんですよ。
とにかく最後の最後まで、〆切のマスターを任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、
そこらへんの適当なプロの人を集めて作っても、ああいう気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。
今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、
終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。
すぎやま:
結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、
好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。
植松:
「結構、海外いっていたので、そのときは便利で『地球の歩き方』とか持ち歩いてました」
海外旅行のお供の定番、「地球の歩き方」。コロナ前と比べると、売り上げが9割減少したといいます。
さらに、現地での取材ができなくなったことで、新刊が発行できない状況におちいっていました。
そこで出版社は新たに…
「(地球の歩き方で)これまで42年間かけて蓄積してきた世界各国の知識をまとめたものが、地球の歩き方・図鑑シリーズでして」
去年から、地球の歩き方・旅の図鑑シリーズを販売。図鑑は10種類で、世界のすごい巨像を紹介するちょっとマニアックなものから、116の国と地域の「名物料理」や「スイーツ」などを集めたシリーズなどがあるといいます。
「海外旅行が解禁になった際に、旅先選びのためですとか、使っていただければなと」
幼少期の思い出。両親ともに収入が少なかったけど、お金に困ることはなかった。とにかく金を使わない家庭だった。
だから家族で外食した記憶がほとんどない。泊まりがけの旅行をしたことも一度もない。日帰り旅行は何度かしたけれど、いつもおにぎりを持参して、昼は公園でピクニックしていたので地元の名物料理を食べることがなかった。
外食の思い出で唯一記憶に残っているのは、私が高校生の頃、兄の就職祝いで近所のガストに行ったこと。同居していた祖母が「私が払うからなんでも好きなものを頼め」といったものの、家族全員外食なんてしたことがないのでどうしていいかわからず、一人一品頼んでみんな無言で食っていた。わたしだけデザートをたのんだ。桃のヨーグルトだったような気がする。
大人になって友達や恋人と泊まりがけの旅行をしたり、人とよく会う仕事をしているので外食をしたりするのだけれど、たまに、こういうハレの場をうまくこなせないな、と思ってしまう。
気張ってしまうというか、こなれ感を出せないというか。
先日「二度と我が家の敷居を跨ぐな」とこちらに言い放った母から葉書が届いた。
(子のないおまえにはわからないだろうが)子を思う親心はいつも変わらないもの。
いつでもつきそう。
どうしてこの人はいつも都合よく事実をねじ曲げるのだろう。サイコホラーを見ているようだ。
母の絶縁宣言は先日出張明けの寝不足で母が出した料理を残したことがきっかけだった。
「申し訳ないが寝不足と疲れで食事が入らない」と告げると不摂生を責め立てる勢いで病院へいけとくどくど言う。
母は大の病院嫌いで、昔から自分の身体の不調をしきりにこぼして周りを心配させるが治そうとしない。そして明日にも息を引き取るような話をする。
しかし元来丈夫な質なので、少なくとも我が子よりずっと活発に生きているため、こちらの不調には甚だ鈍感で堪え性がない。
よって我が子の不調は自業自得と考えており、何度言ってもまともな暮らしをせず医者へいかない不摂生者にするような、具にもつかないアドバイスをしたがる。
母が本当にいいたいことは「おまえの不調について聞きたくない」だ。
いわく「ちゃんと食べてよく寝なさい」。
それができれば苦労はない。
この日は食事がはじまるまでにも「手を洗ったのか」と3度も聞かれ、苛立ったこともあり「病院へいけというのをやめてほしい。最近胃のバリウム検査を受けたばかりだし、日頃から病院へはいっている」と強めに苦情をのべた。
すると「どうしてこの程度のことでそこまで怒りを顕にするのか」と逆ギレしはじめ、「体調を壊したら誰が困ると思っているのか。そこまで言うなら倒れてもこちらには一切頼らないでくれ」と激昂した。
そこで「これまでこちらが身体を壊したとき、一度でも病院へ連れて行ってくれたことがあったか」と返した。自分は何度か行政の支援を考えるレベルで身体を壊して働けなくなったことがあったが、母は一度たりとも手を貸してくれたことはなかった。
料理が趣味の母が我が子を気まぐれに呼びつけては食事に招き、こちらの都合を聞かず一方的に惣菜を届けにくるようになったのは、こちらが再び職に就ける程度の健康を回復してからのことだ。
こちらの義務教育期間中に離婚した母は早々に子育てからリタイアしたはずなのに、なぜかいまではこちらが成人してからもずっと子育てを続けてきたような顔をする。
母は質問に答えず、これまでどれだけのことをしてやったかとますます怒りたった。
母はこちらの届け出関連の書類に無断で手をいれて父を騙し、三桁の額を引き出したこともあった。
後年気づいて愕然としたが、今回それを初めて指摘すると後妻の仕業だと大声をあげたので心底辟易とした。
飛行機の距離にいる後妻がなんの目的で先妻の子の届け出を書き換えるのか。
これまでどれほど母はこうして都合よく過去を作り変え、話を捻じ曲げてこちらを責め立ててきただろう。
またこちらの身体が母より大きくなるまで、どれほど手をあげられてきたことか。
こうして母の家をあとにして一週間、本日届いた葉書によって、母の中では頑迷で聞く耳を持たない我が子に情けをかける健気な母親という物語が作られていることがわかった。
「病院へいけというのを止めてくれ」と言われた翌週、切手を貼ってまでそれを繰り返し、謝らない母。
指先が触れているだけでおぞましく思えて、葉書はそのまま立ち寄ったコンビニのゴミ箱に捨てた。
母が父との家庭から去った後、母のもとから何通も何通も書き送られてきた手紙に幼い自分は何度も涙したものだったが、後年読み返すとそれは第二の人生への期待と甘い悲しみに酔った中年女が体裁よく整えた都合のいい注文依頼書だった。
あれを真に受け「母に変わって家事を引き受け、父と家族の面倒を見なければ」と奮起し、挫折し、母に振るわれていた父からの暴力を一身に受けてなお「親を助ける気がない身勝手な子」として責め立てられた子供のことを思う。
来月は仕事ついでに母を旅行に連れて行くはずだった。母のための宿もチケットもすでに取ってあった。今月は母に蛍を見せにいくはずだった。
母にしてやりたいことが沢山あった。母は自分の威信か何かで子を動かしているとでも思っていたようだけれど、そこには親を思う子の気持ちしかなかった。
世界各国、必ず名物料理の一つや二つあるものだが、カナダの名物料理と聞いてパッと思い浮かぶ人は少ないと思われる。
そんなカナダの、カナダ人自身も認める名物料理の筆頭が、プーティンである。
といってもフライドポテトのご当地バリエーションみたいなモンで、ポテトにグレービーソースをかけチーズを散らした料理である。
前々から興味があったのに食べる機会がなく、それが今日たまたま口にできる幸運にありつけたのだが、コレがメチャクチャ美味かった。
アメリカ流のケチャップやチリチーズ、或いは英国風のモルトビネガーで食べるのに比べてずっと繊細というか、優しい旨味に溢れていて、それこそコーラや黒ビールではなく、もう少し上品な飲み物が欲しくなる味だった。
見た目もっとワイルドな味を予想していたので、嬉しい思い違いでもあった。
というかこの味を知ってしまうと、もうフライドポテトを英米の流儀で食べることはできなくなる。
一般に、アングロサクソン系のメシは不味いと世界中から言われている。
「あいつらの舌は何枚もあるので詐欺師としては超一流だが味覚はお察し」
「あいつらは自分たちの味覚と引き換えに国の繁栄を手に入れたんだ」
なんてジョークもある。
しかしアングロサクソンでも、カナダはフランスの血がブレンドされているからだろうか、英連邦では唯一美味しい国と聞いたことがあり、今回そのエビデンスを彼の国の名物でしっかり認識できたわけだ。
なんとも良い一日だった。