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2024-11-25

MENSAに入って5年、MENSA楽しいぞっていう話と、MENSAに憧れると辛いぞって話

MENSAに限った話じゃないんですけど、何らかの集団所属することを自己ブランディングに使おうとするとろくなことにならないよっていうお話

そもそもMENSAってお友達作りサークルなんですよね結局のところ

下ネタ人間関係ゲラゲラするよりも、好きなものの話とかでワイワイしたい人向けのサークルです それをなんかかっこよく上位2%のIQとか言ってるだけです

そもそも上位2%って大したことないんですよね 雑に言えば50人に1人ですよ しか日本国内じゃなくて国際的基準での2%ですよ

日本国際的にも教育高水準で、文字が読めない計算ができないって人は限りなく少ないです そんな国で国際標準IQテストをしたらまあ簡単ですよ

それを踏まえた偏見だけど日本大学生10人に1人はMENSAに入会できる程度の敷居だと思ってます

MENSAって結局のところ会員同士の横のつながりのコミュニティなんですよ そのへんは大学宗教みたいな縦のつながりのコミュニティと違います

まりコミュニケーションを取れるかどうかでMENSAの居心地は変わります

自分はすごく楽しんでます 自分進学校落ちこぼれるか落ちこぼれいかギリギリラインみたいな学生生活を過ごしてたので、「進学校受験合格する程度の頭の良さはあるけど、真面目に勉強するよりも遊ぶのが大好き」って人たちとよくつるんでました

MENSAってそういう人多いんですよ 特にイベントに参加する人たちって”遊ぶのが大好き”の部分が強いのでマジで楽しいです 高校の授業中にゲームダメージ計算してる奴らがたくさんいます 良い奴らだぞ

逆に言えば、受け身コミュニケーションを期待してるような人にとって何も起こらないです

高校同級生の知人もMENSA入ってたんだけど、そいつはすごい窮屈そうでした

なんなら”授業中にゲームダメージ計算してるような奴ら”がすごく楽しそうにしてるのに、”頭の良い自分”は孤独を感じるというギャップを感じたみたいなんですよ

その知人は、自分落ちこぼれないギリギリだった進学校で上位クラスの奴で、なんだかんだ話の合うからたまにつるんでた相手で違う大学行ってたんですけど、そいつからMENSAに入会したと会員証を見せてもらったんですよね

で俺は馬鹿から「なにそれおもしろそー 俺も受けよ」つって受けたのよ 馬鹿な俺でも入会できちゃったのよ

俺はMENSAはお友達作りサークルだと思ってるから、多少の入会テストがあっても人は多い方がたのしーじゃん?って考えをしてるので今のままでいいと思ってるけど、知人はMENSAもっと選民しないと駄目になるだの他の高IQ組織じゃないと価値がないだの言ってて、MENSAに限らないけど過剰な憧れって辛そうだよな

結局知人はMENSAに入って会員証を人に見せることしかしてないみたいで、”頭の良い自分”を見せるためのツールとしてMENSAを使ってるだけなんだよな

もう少し肩の力を抜いてほしいな

一緒に紙飛行機めっちゃ飛ばして遊ぼうぜ!再来週の土曜日10から市民センター体育館でまってるからな! 10人だから1人400円だぞ!

2024-09-19

anond:20240919135854

例えばストーブで、煙突を長くすると燃焼効率がどうなるかとか、

紙飛行機でどういう折り方をすれば長く飛ぶとか、

デスクトップパソコンの吸気・廃棄どうすればいいかとか、

そういう物量シミュレーションもっと身近になるものだと思っていた。

物理シミュレーション」と「設計最適化」の区別が全くついていない。

物理シミュレーションは単に与えられたパラメータ境界条件微分方程式を解いているだけであって、所望の結果が得られるようにパラメータ最適化しているわけではない。

コンピュータ普及したけど、物理シミュレーションソフト一般まで普及してない理由はなんだろう

例えばストーブで、煙突を長くすると燃焼効率がどうなるかとか、

紙飛行機でどういう折り方をすれば長く飛ぶとか、

デスクトップパソコンの吸気・廃棄どうすればいいかとか、

そういう物量シミュレーションもっと身近になるものだと思っていた。

2024-06-03

anond:20240603152314

1864年には、子供たちは現在紙飛行機」と呼ばれるものに似た「紙ダーツ」を飛ばしていました。南北戦争の時期—そう、子供たちは南北戦争の間にも紙飛行機飛ばしていました—『Every Little Boy's Book』は、子供たちに「空中を通過する際に優雅な曲線を描く」紙ダーツの作り方を教えていました。1881年には『Cassell's Book of Sports and Pastimes』に従い、子供たちは「丈夫な紙一枚」を使って紙ダーツを作る方法を教わりました。その指示書には、今日見慣れた紙飛行機とまったく同じようなデザインが描かれています

紙飛行機って、ライト兄弟飛行機を飛ばす前は存在しなかったの?

それとも紙鳥とかなんとか別の名前だったの?

2023-08-09

[] 法治国家であっても正論を貫くにはだいたいのケースでは腕力がいる。バカ相手は面倒くさい

ここでいう『バカ』とは知的な困難は無いけど、極端に浅はかな判断・行動をする人たちのことね

結論を先に書くと、粒が揃っていない状態(バカがいる状態)でミッションをこなすためには、見た目の威圧感やカルト的な能力活用してチームを指導し、ミッション成功に向けて前進させる必要がある。その後、予算や状況が許す限り、プロを招き入れて組織を再編成し、エンゲージメントを調整して、持続的なチームを構築する必要がある。

 

自分用に書いてるので説明は要らない気もするが、時間が経ったらなんのことかわからなくならるかもなので、いちおう端折らず下記に書き連ねておく。

 


 

知的困難は無いのに、どうしてその判断・行動になったの?』とよく疑問に思うことあるが、その原因はだいたいは"場"にある。

 

例えば、園児たちが保護者ペアになって紙飛行機を折って飛ばす競争をしている場面を思い浮かべてみよう。

流体力学航空力学バックグラウンド紙飛行機コンテスト経験があるおっさんおばさんがその場に居たとしても、他の参加者たちは通常、『自分紙飛行機を折る』というタスク以外には興味を示さない。

おそらくは『折り紙を取って貰う』というお願い以外はしない。親切な誰かが紙飛行機プロおっさんやおばさんたちに教えようとすることさえあるかもしれない。

 

もしもその"場"にいる全員がおっさんおばさんが紙飛行機技術を持っていることを認識していたとしても、それでも『折り紙を取って貰う』以外の頼みごとをするかどうかは"場"による。

 

子どもたちにとっての学習機会と考えたり、話のネタとして教わる人もいれば、主役は園児なので大人はしゃしゃり出るべきでは無いと考える人もいるし、お遊戯会でマジになってる大人に対して白けた気分になる人もいる。

 

園児お遊戯会だけでなく、社会人報酬を得る場面でも、技術を持つ人に頼らない人がいることがある。これはさまざまな理由が考えられる。たとえば、自分ポジションを気にして拒否する人や、"場"の主役意識が強い人、出来るだけ働かずプライベートを優先したい人など、無限理由存在する。

知的な困難がなくとも、"場"が整っていないと、浅はかな判断・行動は無限に行われるのだ。

 

ちなみに、"場"を整えて、紙飛行機コンテストで優勝するをチームの唯一のミッションにすれば、技術や優勝の戦略の話に集中できるようになるが、それでもすべてがうまくいくわけではない。

 

資金調達担当者技術者に対して紙飛行機の折り方を教えること(河童に水練)や、プライベートを優先したい人がさっさと帰ることはなくなるだろうが、優勝が自分にとってどれだけ重要かは人それぞれだ。メンバーに尋ねれば言葉を尽くして最重要ミッションと答えるだろうが、本心では次の仕事アピールにつながればいいとしか思ってないかも知れないし、ペットの体調が心配で期待されたパフォーマンスを発揮できていない可能だって考えられる。

知的な困難がなくとも、場を整えても、バックグラウンドが異なれば、浅はかな判断・行動は無限に行われる。

 

多くの人と何かをすること、あるいは複数専門家と一緒に仕事をすることは非常に面倒くさい。

 

 

それを無難解決するのは、法治国家であってもだいたいの場合腕力だ。まぁガチで殴ったら刑務所行きなので、正確には見た目の強さ、ガタイの良さ、圧のある無しだ。

その代替手段カルト的な熱狂を煽る(詐欺師になる)くらいしか今のところ思い浮かばない。

強権を発動してガンガン首にする職場ではチームプレイなんかできやしないし、吊し上げを行う職場では隠蔽犯罪行為日常になるだけなので、見た目で威圧するのが最も穏当で現実的手段だ。

 

じゃあ、見た目が厳つい人を伝達役として採用すれば問題解決するのか?と言えば、そう単純にはいかない。

 

美人と同じように、見た目が厳つい人も自分の外見に自覚的で、それを生かして生きていることが多い。素性や性格をしっかりと確認しないと、半グレ的な人物組織に招き入れてしまい、手のつけられない事態になる可能性がある。

 

なら素性がある程度しっかりした体育会系大卒を伝達役として採用すれば、今度こそすべて解決!!!となるかと言えば、ご存知の通り、それもそうはならない。

体育会系の人々も一人一人が独立した人間であり、伝達やコミュニケーション自分なりのアプローチを持ち、自己判断を行うからだ。

『キミは見た目で採ってるから自己判断しなくてもいいよ』とは出来ないので、結局は自分自身がマッチョマンになって締めるべところは圧を掛けて締める他ないのである

 

メンバーの粒を揃える予算も限られている状況で、リーダーである自分自身が圧力をかけることが難しく、宗教的熱狂を煽ることも難しい状況では、以下の手段が考えられる。

2023-07-21

キンチョールラジオCM面白すぎる

https://www.kincho.co.jp/cm/radio/museum.html

金鳥美術館のやつ。

ラジオCMってショートストーリー的なの多いから時々面白すぎるのある。

前やっていた別の会社CM年末調整紙飛行機にして飛ばすのも好きだった。

2023-03-18

365日の紙飛行機の「365日」の取ってつけた感

紙飛行機人生アナロジーは分かるんだけど、「365日」の出てき方が唐突過ぎてしっくりこない。人生っぽい意味で語呂が良かったから入れたのかな?

以下、1番の歌詞

----

朝の空を見上げて

今日という一日が

笑顔でいられるように

そっとお願いした

時には雨も降って

涙も溢れるけど

思い通りにならない日は

明日 頑張ろう

ずっと見てる夢は

私がもう一人いて

やりたいこと 好きなように

自由にできる夢

人生紙飛行機

願い乗せて飛んで行くよ

風の中を力の限り

ただ進むだけ

その距離を競うより

どう飛んだか どこを飛んだのか

それが一番 大切なんだ

さあ 心のままに

365日

2023-03-14

どうしたら自衛隊の「桜を見る会でお友達同士でお酒パーティーするのに税金使用」を告発できるのか悩んでいる

うまいやり方が分からない。

桜を見る会」みたいな名前のが全国各地の自衛隊でやられていて、その中に「地元住民を読んで豚汁振る舞う」みたいなのからOBまみれの癒着企業幹部自衛官達が税金で買ったお酒を下っ端の軍曹二等兵にお酌させてお互いに褒め合う会」みたいなのまで幅広くやっているらしい。

この構図に対して一斉に絨毯爆撃をすると、地域住民との交流を深める方を隠れ蓑にして逃げ切られる可能性がある。

だが下手に具体的な指摘をすると、俺の知り合いに迷惑がかかるかも知れない。

知り合いは「俺は国防にかかわる人間としてこんな金の使い方、時間の使い方、隊員の使い方がされているのが本当に許せない」と嘆いているのでなんとかしてやりたい。

自身自分の払った税金時代錯誤感覚を持っている連中の飲み代に消えるというのは許しがたい。

どうしたらいいんだろうか。

はてなーってこういうの得意そうだからなんか知ってたら教えて欲しい

追記

言い忘れた。

知り合いも既に朝日赤旗には軽く紙飛行機飛ばしているし、他にも飛ばしたと言ってる人は何人かいるらしい。

自衛隊内の監察組織に疑問を投げかけた人もいるらしい。

でも全然燃え広がらなくて結局毎年続いてるっぽい。

これをなんとか大きな炎にしていい加減辞めさせたい。

大事な所言い忘れてたわごめん。

2023-03-03

俺は公務員なのだ税金の高さにいつも苛ついている

俺が年収の話をしたくなったのは、俺が転勤命令を受けたからだ。

転勤とかいうブルシットすぎる行為がおよそ2年おきにやってきて、そうして増えた私生活無駄作業時間が俺たちの必要工数として職場計算しない。

かかる時間は全部足した所で早ければ20時間、よほど長くても100時間ぐらい、平均だと50時間ぐらいか

引越し先を探すために下見に行く時間とかがかかるのでそれぐらいかかる。

とはいえそれを一ヶ月の間にやれと言われれば自由時間は大幅に少なくなる。

その上、職場では引き継ぎ資料作成がある。

恐ろしいことに引き継ぎ資料作成ちゃんとせずに出ていくと「逃げた」だの「爆弾魔」だの言われてしまう。

ふざけるなよ?

2年前にやってきてようやく仕事がわかってきたばかりで、人に伝えられるほど熟知なんてしてね―よ。

転勤をすると公務員には金が出る。

基本給の10%が3年だ!

凄い!

普通に考えれば凄いことだ。

俺の給料が3◯0万円でまあ色々の手当や残業代ボーナスを抜いて元が250万だとすると、25万円は超距離異動した結果貰えていることになる。

だが50時間で75万円貰えているというのはかなり凄いことだ。

もちろん実際には2年で異動なので50万円しか貰っていないけど驚異の時給1万円だ。

わーお。

だが待って欲しい。

そもそも距離異動しまくっているはずの俺の基本給が250万円しか無いのだ。

こんな給料で転勤まみれの仕事が出来るかと投げ出したくなる。

そんでまあ結局手取りは基本給と同じぐらいだ。

その原因は税金である

税金が高すぎる。

だがその税金こそが俺の給料の源泉だ。

かなりのヘリコプターマネーを感じる。

にしたって高すぎる。

公務員共の仕事にこんな高い金が必要なのか?

俺は全然そんな金貰ってないぞ?

そもそも公務員の働かせ方は効率が悪すぎる。

今どき紙が中心で、PCメモリGBしかない。

ハンコ大好きで電子承認大嫌いだ。

電子承認システムが出来たので使ってみると「こんな話は聞いてません。紙で直接持ってきて直接報告してください」と言われる。

その癖「電子承認システムになったのでそちらでも回してください」と言われる。

二度手間だ。

馬鹿だ。

この国の役人には馬鹿しかいない。

しかビックリしたことに一部書類に対しては押印を省略することでデジタル大臣忖度している。

ハンコをボコスカ押したり、デジタルアナログ両方でハンコを押したり、ハンコが禁止されたりしている。

何がなんなのかもう分からない。

こんな事ばかりしているから俺たちの仕事は遅いんだぞ。

なにより許せないのが2年交代で頭がすげ変わるたびに全てのルールが変わることだ。

公務員は口先だけ文書主義だけど、その文書根拠となる法令が隙間だらけで、その隙間は権力者が気分で埋める。

から全てが滅茶苦茶なのだ

つの書類を通すためには15人ぐらいのハンコがいるが、その15人のうち半分が毎年変わる。

そして好き勝手ルールを増やし、二度手間を繰り返し、そして根拠は滅茶苦茶で、最後は気分で決まるのだ。

んでもってあとになってから「なんでこんな事してるんですか?」「当時の偉い人が」「今は俺が偉い人だ!それじゃ説明にならん!」だ。

まあそうだ。

偉い人が言ったからですは説明になってない。

だけど偉い人は「俺の思いつきのとおりにしないとハンコ押さないもん」する。

幼いのはテメーの頭だけにしろ赤ちゃんみたいにツルピカしやがって。

からこっちで必死になって理由を考えてやる。

これをワガママ放題の赤ちゃん上司の数だけやる。

そして次の年にひっくり返る。

最後最後会計検査院に怒られる。

クソ学蘇我区蘇画ブルシットの向こう側にも程があるだろ。

こんな奴らが俺の給料から1◯0万円も中抜していっている。

そうして流れてきた金が俺の財布に入り、そして俺の財布からも抜かれていく。

悲しくなってくる。

バカみたいじゃないか

もしも俺達の仕事の仕方がもっとまともなら、俺たちの頭数はもっと減らせるからもっと税金が減るだろ。

税金が同じでも頭数が減った分1人の仕事価値は増えるから給料は上がるかもしれない。

虚しすぎる。

目先の節約感覚のために調達されたメモリGBPCじゃポンチ絵見るためにパワポ開くだけで10秒フリーズするぜ。

こんな仕事の仕方してる奴らが税金で雇われているとか俺は許せねえよ。

俺は俺が許せねえよ。

本当に吐き気がする。

俺に出来ることはこの糞さを書き溜めていつか告発することぐらいだ。

無限紙飛行機を空に飛ばせば過激雑誌ペンシルロケット返してくれると信じることだけだ。

なんなんだこの人生は。

公務員なんかにならずに済むようにちゃん勉強していればよかった……

2023-01-07

もっと身の回り現象シミュレーションできるソフトが増えると思ってた

例えばミニ四駆

ミニ四駆くらいの大きさのウィングだとダウンフォースが発生しない、と言われてるが、シミュレーション確認されたという話がない。

マスダンパーが効くかどうかもシミュレーション確認したというのがない。


紙飛行機とかも、どういう形ならより飛ぶかってシミュレーションない。

マグヌス効果で飛ぶ円筒シミュレーションがない。

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2022-09-12

リン単体】

東京テディベア

・右肩の蝶

・Q

ロキ

・ロストワンの号哭

炉心融解

アンチクロロベンゼン

代表曲って感じなので既に知ってる、もう勧められてるかもしれないけど一応!

・天樂

いろは

DIVAにも収録された和風イケリン曲2つ!

天樂のDIVAPVはかっこよすぎてどうかしてる。

いろは唄は発売わずか3ヶ月でこんなリンが出たのか!?となる原曲PVイラストが妖艶なイケリン

アンデッドエネミー

おこちゃま戦争や劣等上等のギガさんが関わってるのもあってか、ギュンギュン疾走するような曲。

PVオリジナルキャラのみ…と思いきや……イケリンなのは確か。

天才ロック

→今年のマジカルミライ披露された曲。

リンのかっこ可愛さにぴったりで、選曲した人GJと思った。

自分ライブ見れなかったんだけど、現地組や配信からモニターに映ってたのがイケリンと評判だったので、公式のまとめ動画円盤でそのイケリンの姿が見れるのかも?

原曲PVオリジナルキャラ

マイリスダメー!

可愛い系かと思ったらギターが効いためちゃくちゃかっこいい曲だった……巻き舌にも注目。

タイトル

pixiv鏡音14thにも関わったあ子さんの曲。

ひたすらまっすぐにリンのパワーをぶつけてくる曲で、最近おすすめ

鏡音

下剋上(完)

・劣等上等

→劣等上等は有名すぎるけど、ぜひ下剋上を聞いたことなければこちらを聞いてから改めて聞いてみてほしい!

あんまり言われないけど、劣等上等がちゃん鏡音イメージソングだってわかる。

激しいかっこよさよりも、強かさに近いかな?

(・ごみばこ)

サルベージ

→レンの曲の続きなので鏡音扱いで。

まず曲のストーリー的にイケリンだけど、歌詞言い回し?も随所でかっこいい。

伏せるけど「あたしも○○○○○○のかな」は特に好き!

・好敵手愛憎歌

・バッドパートナー

比較最近の、最高のライバル関係鏡音の歌2つ。

(かっこいい曲とは少し違うけど好敵手愛憎歌の雲丹さんが作ったリン曲「ここに愛があるのに」はリングロウルがとても良いので勧めさせてくれ)

鏡音八八花合戦

最近PC移植DIVAに再録されて少しだけ話題になった曲。

なんといってもリン和風男装(レンは逆)が特徴。

原曲DIVA音源が違っていて、原曲ギター強めで調教がかなり凝っていて良い意味で別人級。

DIVA三味線?強めで調教シンプルだけど聴きやすいので、どっちが好みかは人によるし一長一短かな?

・ジャバヲッキー・ジャバヲッカ

天才ロックと同じ、カラスヤサボウさんの曲。

曲が進むにつれてどんどんにぎやかになって盛り上がってくる。

リンは囁き声から声を張ったロングトーンが印象的。

ハウトゥー世界征服

東京テディベアやロストワンの号哭のNeruさんの曲。

この曲は2人の高音が綺麗…というか、Neruさんの曲はかっこいい鏡音が溢れているので他の曲も是非。

・I WANNA TRUST YOU

鏡音としては珍しい、大人っぽいかっこよさ。

2人とも声音が低くて、なかなか他の曲では聞けない声が聞ける。

カバー

・アンハッピーリフレイン

パンダヒーロー

→どちらもおればななさんが調教されてる/参加されてる鏡音カバー

元々サビの盛り上がりが凄い曲なのに、さら鏡音のパワーが上乗せされてる王道調教

リン

・夜咄ディセイブ

オツキミリサイタル

鏡音

アウターサイエンス

ポーカーフェイス

→ウミノロキ/三枚Pによるパワフルカバー

基本的に全編力強い歌声なのに、サビになるともっと盛り上がる。

特にアウターサイエンスの迫力は半端ない

【番外】

かっこいい曲からは少し違ったり、他であまり勧められないかもしれないからここで是非勧めたい曲

・South North Story

悪ノ娘/召使で有名な悪ノPと、トークロイドネタ曲が有名なゆにめもPのコラボで、2人の似てるようで違うリンの曲。まさに可愛い感じとかっこいい感じ、2人の声の違いに注目。

リンレンラリリン

上記のゆにめもPの曲で、鏡音公式コンセプトの「パワフル&チャーミング」そのものな曲。鏡音appendの公式デモソングにもなっていて、原曲を知ってるとクスリとできる小ネタあり!ミクもいるよ。

師匠なフタリ

リモコンいいねってYEAH!などの有名鏡音P、ワンオポ(じーざすP)さんが鏡音10周年の時に書いた曲だけど、あまり他でピックアップされなさそうなので。

そもそもじーざすPの鏡音は2人のわちゃわちゃ間が楽しいからピコピコかっこいい曲が揃ってる。

わちゃわちゃしてる時のリンの印象も、よく担当するグライダーさんのイラストもあってか女の子ではあるけど中性的で、どこかゆるい感じもあって良い。

悪ノ娘 (・悪ノ召使

(・囚人) ・紙飛行機

(・soundless voice) ・proof of life

通称鏡音三大悲劇」。

それぞれ悪ノP囚人P、ひとしずくPが投稿した、リンレン一対で切ない物語曲。

たぶん鏡音物語曲が多いのにこの3つ、特にボカロ小説の始祖、悪ノ娘の影響は大きいと思うので、知っていて損はないはず。

・垂直落下

→全体的にそっと囁くようなピアノ曲…かと思ったら一気に鏡音のパワーが襲ってくる……!

自体はかなりしっとりしているけど、確実にパワフルな歌声が活かされてる曲。

しろそこまでのギャップ的な意味でよりパワフルに感じる。

mirror

鏡音の没設定のようなもの、お互いが鏡に映った存在である「鏡設定」のイメージな曲。ツインボーカルであることが活かされた、まさに初期の名曲

・私の時間

3DSのproject miraiに収録されたボーカルチェンジで、ミクの原曲に対してリン、レンそれぞれのカバーがある。注目ポイント歌詞が変わっていることで、ところどころ3人に付けられた個性が出ていておすすめ

ちなみに昔の二次創作ボカロ自分のPを「マスター」と呼んでいるのはこの曲が影響しているとの説が。

・Welcome to the Mirror Sound's Kingdom

→三大悲劇の1人、ひとしずくPが作った、言ってしまえば「鏡音こちらを沼に引き摺り込んでくる曲」。

ひとしずくPの曲はよく美男美女が得意な鈴ノ助さんがイラスト担当することもあって、結構大人っぽいリンがいたりする。

(・ナゾトキ

ナゾカケ

→レンの曲のアンサーソング

曲はゆったりめだけど、この曲のリンの「意志の強さ」的なかっこよさがあるかな…と思ったけど、やっぱり曲の印象としては離れるなと思ったのでここに。

・怪盗ピーター&ジェニィ

リンにしては低い音程を歌っている曲。

レンを振り回すわがまま女の子的な性格だけど、小説版では「弱さ」が出ていたからか、原曲の方はより「強い」という感じがして良い。

特にラストサビのリン言い回しがかっこよくて好き。

☆Earthy X6 さんのカバー片っ端から

YouTubeでプロサカの曲を中心に、クリプトン6人の神調教カバーを量産している外国人Pさんで、まずハズレがない。

プロセカのオリキャラ歌唱抵抗があったり、プロセカのボカロの出番、バチャシンver.未収録、調教の拙作さにがっかりした人達への一筋の救い。

パワフルでリアル調教に定評があって、特に評価の高いMEIKOと同じパワフルシンガー鏡音も思う存分力強い歌唱を発揮してる。

個人的おすすめなのは

鏡音ロウワー

6人→シネマ、RAD DOGS、限りなく灰色へ(リンメインめ)

だけど、正直どれもすごいから気になったの全部聞いてほしい。

2022-06-20

ドロローン規制

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220620/k10013679261000.html

事故を起こしたときかに所有者不明のままドロ-ンされないようにしたいわけか

お高い機体を回収もせずにドロンするかね?意図的首相官邸に突っ込ませたやつのことかな?所有者は判明しとるが。

登録者情報が虚偽や偽装だったり改造されて飛行中の場合に、WiFiスポットのように外部から信号リアルタイム認証チェックして違法なら機が自動出頭する(SFトラクタービーム)全自動技術安全担保システムを。

一度登録してみ、登録者偽装を防ぐようになっていることが分かるから。というか仕組み全く分かってないコメントやね。

>これで所有者不明無許可飛行ドローンは即座に撃ち落として、誰かのものだと判明したら弁償するだけで済むのかな?

器物損壊はまた別やろ、撮影データも弁償せなあかんで。(想定が全く分からんが)

義務化によって防げる事故犯罪範囲が分からない。登録しているかドローン国会議事堂ウンコを落とすのをやめよう、とか思いとどまるのだろうか?

事故を防ぐといった前向きなものやないで。事故後に所有者を判別できるようにするためのもんで、どんなものでも許可得んとあかんよと強制しとるだけやね。

登録制にしたから重量制限航空法規制は緩くしますとはならない(むしろ厳しく)ので、単純にどうしようもないくらい不便になってる

不便やから新しいアイデア試行されずに埋もれていくんやで、イノベーション阻害やで。

>とりあえず資格を取りに行ってくるかな。

資格あん関係ないな、資格取得のなかで規制についての説明あるくらい。

リモートID対応してない既存ドローンほとんどが、昨日までに申請して登録していないと新品だろうとなんだろうと今後日本の屋外では飛ばすことがほぼ不可能ゴミとなった。結構な数の犠牲者がいることだろう。

小型軽量省電力格安の外付リモートIDが出ないことにはやね。

>縛りが増えるのは最初からテロに使われる事の一点だけを問題視しているんだろうから許可を得た人間許可を得た場所でのみ飛行させれて欲しい、出来ればホビーユースは禁止でというのが本音なんだろう。

販売禁止しとる訳やあらへんで、登録せんで飛ばしたらテロ防止にはならん。

>山で好き勝手飛ばすのほんとやめろ

そんな奴おるか?自分の山なんかで勝手に飛ばされてるんやったら警察呼んだらええで。

>それなりに重いものを高いところに飛ばすわけだしな

そういう事を言うからイノベーション阻害やと言われるんやで。重さや高さが事故の要因になったことあるか?

>有線飛行は「遠隔操縦」に入るのかな。というか追跡できるようになるのか >「飛行中の位置や速度などを電波で発信する機能を備えなければなりません」

有線無線区別はないで、追跡というか遠隔でドローン情報確認できるようになる。

めんどいがまあ仕方ない。キッズが増えて少し苛ついてたところだったんだ。

キッズが増えた?登録はともかく100g以下に規制強化されたことが納得いかん。ちなみに規制後もキッズ無視して登録無しで飛ばしよるで。

>飛行中のドローン位置特定できるだけでなく、操縦者場所特定できないと逃げられそうな気がする。とはいえ、きちんと登録して自由に飛ばせる範囲が増えると嬉しい。

登録番号から登録者住所が特定できるので、操縦している時の立っている場所特定する必要は無いで。登録したら自由に飛ばせるのではなく飛行申請必要になるで。

おもちゃがどこまで対応するのかな

100g以上のボビードローン日本での販売なくなるやろ、対応する意味ないもの

最近走行中の車にドローンぶつけて操縦者は逃げた事件があった。フロントガラスに衝突してたら傷じゃすまない重大案件。基本車と同じく屋外用は登録免許義務化すべき。守らない人いることはやらない理由にならない

車にぶつけたドローンのことは記事に書いてあるで、登録はともかく免許制度ドローンにはまだないんやで。自転車より先にドローン免許必要になるなどありないと思いますが?

>いつもの日本の成長力殺す過剰規制。初期は趣味ドローン自作とかもあったが、ドローン飛ばすだけで通報されかねないんで、消えた。自衛隊ドローン開発するにしても人材がおらず、中国製買ってくるしかない。

ほんまやね、レースドローン以外で自作ドローン組んでる人は、とんと見なくなりましたね。自衛隊ドローン国内開発を進めつつ、日仏米製やで。

自動車と同じ扱いになってきた。不満が多いようだけど人命に関わるものであると考えれば妥当な流れ

ドローンで人命が失われるような事故は発生していないんやけど、人命が失われる事故が発生している自転車規制しないのは何故?

100gって野球の軟球より軽いからなぁ。この規制妥当だとするなら将来的にはすべての100g超えるボール被害与えたときのためにリモートID(4万円ぐらい)を埋めこまないとダメになるかもね

ほんまやね、ボールじゃなくてもコントロール付けて投げ込めるもの登録義務化せんとね。最後には紙飛行機規制対象になるかね。

アメリカにも登録制度はあるし、事故危険がある以上、必要制度なのでは。自分身体や車、家などに被害があった時に、加害者が誰かわからないと困るでしょ。

250g以下ではリモートID不要登録していれば飛行禁止区外で自由に飛行できるアメリカ比較するの?(アメリカ免許制度もある様子)

>それ以前に、バカが余計な事するからこうなる。登録する事自体別にネガティブに捉えなくていいと思う。登録すりゃいいだけの話。

バカが余計な事をしてからでよかったと思います登録義務化に合わせて規制を強めているのがネガティブな点ですね。

>↓過剰規制て。そりゃゆるゆるの途上国に比べると強いが、欧米と比べると考えられてるよ。開発・実験ドローンは事前にエリア申請で飛ばせるとかいろいろな規定があります申請オンラインで完結で特に問題はない

オンライン申請もあまり出来がよろしくない。開発・実験ドローン申請がチグハグトライ&エラーが非常に困難。

>なんでこんなに叩かれてるのかわからない。車と同じように登録ないもの公道走ったら違反ですよ、と同じ。今回の登録制度ちゃん市販品も、自作機も試験機も登録出来るようになってるよ。

車じゃないから叩かれてます登録したら公道走れるようになるのではなく、飛行計画申請しないといけません。自作機の部品交換したら再登録必要とか笑えない。

>手間は増えないほうが良いけど、所有者情報登録させるだけで吹き飛ぶようなイノベーションてどんなもんやねん。

あなた想像もできないような、新機軸ドローンやね。所有者情報登録するんやったら面倒なんでアイデア実現の開発せんとこってなるやろ。

自動車が免許登録性でも利用されてるし、必要ものは売れる。ドローン個人利用よりも法人が主になっていくのでは。

そやね、ホビーユースの市場を完全につぶしたね。結構市場ができていたかと思うのにもったいない

法律でがんじがらめにされてる日本ではホビードローンさえも気軽に楽しめない。ドローンATV知識に加え、アマチュア無線局開設、航空局目視外飛行許可を取り、飛行場所の確保、機体登録義務化(有償3年毎更新)

こういう新しいもの忌避するのが、イノベーションの阻害と言われているんだな~。

記事内にある「レベル4」は街中で運用される制限のないドローン活用。今年中に免許制で始まるらしい。来年にも街中を普通にドローンが飛ぶ。"自動車学校のドローン専任講師"…2019年にはもうあったらしい。

免許制始まっても街中を普通にドローンが飛ぶことにはならんよ。飛行許可を事前に取る必要があって面倒なのでね。ドローン専任講師自称できなくなりそう。

>ここにも日本サゲポルノしてる人いるけど、ドローン規制強化は世界的な流れ。中国ですら250g以上は身分証明書と機体番号登録必須

250g以下では登録不要中国比較するの?

本体には必ずなまえを書いてください、とか。 名前書く欄はあってもいいかもね。 「おなまえ   」

そだね~、地上から名前目視確認できるほど大きく書く必要があるかもね。

>今まで義務じゃなかったことにびっくりだよ

どんな世界に住んどるんや。

ドローンを用いた成長力って何なのかなー

なんぼでもあるわ、今のままやとドローン配送ですら世界から遅れるぞ。

ドローンは急速な勢いで兵器に使われているわけで、車と言うよりも扱いとしたら空を飛ぶ拳銃と同じ扱いで、妥当措置だと思う。こればっかはウクライナロシア戦争を見れば明らか。不便だけど仕方がない。

兵器に使われている技術を全て規制するんなら、現代生活成り立たんわ。そもそも登録義務化で兵器利用が減る訳が無い。

100gは厳し過ぎるでしょ…200gだったのに明らかにDJI狙い撃ちの意図が感じられる。

DJIというか、規制に合わせた企業努力を、ちゃぶ台返し反故にするの、発泡酒規制とかでもやってたね。

>余計なことしたバカって福島の土で大騒ぎした人たちのコト?

そうなんかな?あれしきのことでとは思いますが。

>賛成。100gは厳しいかなぁとも思うが。

思うんやったら厳しいやろ、規制が厳しいなかで何か新しいことを考えようとするかね?

規制を緩くして実害が出たらボコボコにする案もあるが、自動車の事故をみればわかるように「故意性」「重過失」のハードル民生用ドローンでは届かない成層圏より高い印象。

ほんまやね。感情規制を書けんといてほしいのだが、日本では難しいんかな。

アメリカFAA規制比較ユルユルで、やっと登録義務ができた程度なのに、日本イノベーションを殺すとかになっちゃうわけ?

250g以下ではリモートID不要登録していれば飛行禁止区外で自由に飛行できるアメリカ比較するの?

登録くらいすぐに出来るかと。

そやね~、飛行申請も基本許可されて10分程度で結果却返ってくるなら文句はあらへんけどな。

>小型だろうがドローンほぼ全般が、操縦が簡易な産業無人ヘリコプターみたいな扱いになる感じ? そもそも産業用の無人ヘリコプターは操縦が難しくて危険から免許制だし。

ラジコンも含めて100g以上の飛行機は全て対象複数所持してれば金がかかって仕方がない。産業無人ヘリは以前から登録必要リモートID搭載義務が新たに加わった、産業無人ヘリ免許メーカー発行で法律に基づくものではない。

空港航空機にぶつけるテロを考えているんだろうな。

だれが?規制している国がというなら、そんなことは想定していないし、それを防げるわけでもないで。

石橋を叩いて自殺

ほんまやね。国産ドローンの躍進は絶望的。

>人命に関わるものだし、ある程度は必要イノベーションとか言ってる層は自動運転改革のためには公道もっと走らせるべき!とでも言うんか?歩いて上から誰のでもないドローン降ってきたら誰に責任とってもらう?

ドローンで人命が失われるような事故は発生していないんやけど、人命が失われる事故が発生している自転車規制しないのは何故?自動運転はもっと公道でもテスト走行すべきだし、誰の物でもないドローン降ってきて当たった事例も今んとこ無いで。(所有者不明

クルマと同じ扱いになってきた。普及するとそうなるのもやむなしか

法規制されたころの自動車程に普及しとるか?

>まだスタートなのでこれから…… / ちょっと微妙なのがうっかりミスで落としちゃった機体の事故処理に於いて責任確認は出来るようになるのだけど、無許可飛行が防げるようになるわけではない。まあ一歩ずつか

無許可飛行を防ぎたいなら、これが一歩目になるんかな?

適当ブコメが人気だけど自衛隊ドローンアメリカのものですよ。

さっき調べたらフランスのもの国産のものも持っているみたいですよ。

許可制じゃなくて登録制なんだよね?多少は面倒になるだろうけど… 防犯登録義務から自転車の普及が阻害されてるとかないだろうし、この程度は乗り越えてもらわないとねぇ

防犯登録罰則無いけど、ドローン登録罰則あるんやよね。登録必要になるならドローン購入しないとか普通にあるかと。

責任から物理的に離れて動く物だから登録必須で当たり前。犬猫だって登録する

いや、その理屈おかしい。

別に規制強化でも、なんでもない

200g以上だったのが100g以上になったのに?

>今回の規制がどうこうではなくそれ以前の規制でとっくに日本ドローン業界は死んでる/ドローンガチガチに締めるのに電動キックボードガバガバだったり、特に安全に振ってるというわけでもない

安全寄与するわけでもないのに規制強化されるので納得いかないんすよ。国内ドローン業界については空撮業者のみ残る感じ。電動キックボードは話が別やで。

>なに?イノベーションってのは未登録でやりたい放題できるためのものなの?だからバカは嫌いなんだよ。手続きが不満ならイノベーションしなくていいぞ。

登録でやりたい放題は規制があっても出来るんだよ。バカが嫌いなら鏡をみるなよ。

>むしろきちんと法整備されてないか企業の動きが鈍い面もあるのでは。(やんちゃする企業でないかぎり)

法整備されてたからDJIとか規制に沿う形で製品出したのに、ちゃぶ台ひっくり返されて何ともですな。

義務化の何が悪いのかわからない。誰の責任範囲なのか可視化できるようにするのは今後の利活用拡大を見据えると当然でしょ。しか登録格安なんだし。

ホビーユースで複数持ってると馬鹿にならない金額になるんよ、リモートID装置もそれなりに高額ですし。

>いい流れでは。ドローンの講習も増えるだろうしそれだけビジネスチャンスが出てくるんじゃないかな。空撮とかの料金も今まで以上に盛れるようになるんじゃないか

何のクオリティ保証されないドローン講習が増えたとしても、悪徳業者蔓延するだけじゃない?空撮金も現状で増額できるわけがないと思うが?

日本ドローン規制は諸外国と比べ特別厳しいわけではない。飛行禁止人口密集地に住んでる人の割合が多すぎるだけ

他国との比較はどうかと思うが、人口密集地の割合が多いのは納得できます。山で飛ばそうにも所有者に許可を取れない。

ドローン大好き人はなんなの?レーザー誘導ミサイルは実質カミカゼドローンなんだけど、発射機でなく弾薬扱いで十分装備されてるんだが。

何が言いたいのか分からんロケット好きな人批判するんかね?

>正に亡国▲シンガポールは700gアメリカでも250gでしょ。さらに言えば100gでも、登録機でもすでにほとんどの場所は飛行禁止だよ。

空撮需要など見ると日本こそドローン開発で先行できる素養があったかと思います

>これをたたくやおかしいだろ

全部ひらがなブコメするやつおかしいだろ

アメリカに持っていった時も普通にPermalink | 記事への反応(0) | 19:27

2021-09-07

ARUFACMまらなすぎない?

https://www.youtube.com/watch?v=Kcxi3cUatwA

去勢されすぎだろ。

なんて中身のない15秒だろ。

俺たちの知っているARUFAなら

00:01  CM開始と同時に目に飛び込む部屋中に設置されたマネキン

00:02  指パッチンと同時に飛び交う無数のハイビームの中で蒸発していくARUFA

00:03  大音量世界中の様々な宗教のお経が奏でられ

00:04  宅配サービスと称して空を舞う紙飛行機

00:04:30 夜空に浮かび上がる巨大なピザマーク

00:05  飛び込んでくるウーバーバイク

00:05:30 RGM-07ジムトランスフォーム

00:06  ビームスプレーガンから飛び出すジムビーム

00:07  ガンダムのドクログラスに注がれていくジムビーム

00:08  叩きつけられるコーラ瓶によって砕かれるガンダムグラス

00:09  床に飛び散るコーラで割られたジムビーム

00:10  犬のように這いつくばARUFA

00:11  俺のターンスタートだ!

00:12  床をペロペロするARUFA

00:13  ジムビームコーラ

00:14  床をペロペロするARUFA

00:15  ピザを犬食いするARUFA

2021-09-04

君が「おえかきちょう」を買うべきである理由

結論: おえかきちょうを買うと人生上向きます

おえかきちょう、または、らくがきちょうとは、幼稚園児や小学生、または絵描きの人がよく使うあのB5サイズ程度の無地の紙のことだ。

だいたい文房具屋で100枚で110円(税込)で買える。Amazonなら80枚110円ほどだ。

結論から言うと、あれは買うべきである。なぜ買うべきの根拠説明していきたいと思う。

(※ すべて自分独断偏見によるものです)

TL;DR (おえかきちょうの特徴)

媒体 vs 電子媒体

書くための機能としての紙

そもそも媒体の良さとは、ペンでサクッとなんでも描けるところにある。よくわからないオリジナル記号や、複雑怪奇ダイアグラムをすぐさま描くことができる。

もちろん、ペンタブやiPadでも同じように描くことはできるが、ペンタブやiPadに無い利点がある。まず、物理ペンは圧倒的に描けるスピードが速い。

文字に関してはタイピングの方が速い人も多いだろうが、別に真円である必要のないただの丸や四角形を書くときは、紙の方が速いものだ。「A→B→C」という図を描いたあと、そのBに別方向からDを追加して…のような図をササッと描きたいときは、紙が圧倒的な速度を誇る。ものの5秒で終わってしまう。起動時間などもない。ペンと紙があればいい。

また、紙はマルチディスプレイ化しやすい。iPadは1台が高価なので、3台も持って同時に使うことは難しいはずだ。充電も3倍しないといけない。一方で、紙は3枚並べるだけでいい。この紙とその紙とあの紙を机の上に並べるだけでディスプレイと化す。費用はなんと3円だ。

ちょっとしたToDoリストや、何かのプロトタイプ用の図面になるのである

もちろん、正式図面作成には紙は不向きだ。紙媒体の苦手な点は上書き保存状態の頻繁な変化なので、こうしたデータを保存したい場合は紙媒体でない方がいい。また、人とデータを共有したい場合は紙媒体は不向きである。これらの話は、「電子媒体ではなく紙媒体を使え」と言っているわけではなく、あくまプロトタイプ使用メモ使用の段階では、紙媒体は相当な利便性を持つということだ。紙は遅延しない。

モノとして使える紙

紙は破れる。

紙は破れるのである

のしおりにすることができる。「SOS」と書いて窓に貼り付けることもできる。

「入るな!」と書いて自分の部屋のドアに貼り付けることもできる。紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げて「これが放物運動だよ」と説明することもできるし、紙を何回折りたたんだら月まで届くかという説明にも使える。

紙飛行機など簡単な紙工作もできる。虫を叩くときにも使える。

だいぶ薄くなったおえかきちょうはうちわにもなる。

まさに万能素材。

電子媒体はこうはいかない。iPadハエを叩いたりはしない。精密製品であり高価なことが目的外利用を妨げている。

なぜ、おえかきちょうなのか(ルーズリーフでもなく、印刷用紙でもなく、ノートでもなく、レポート用紙でもなく、スケッチブックでもなく、ブギーボードでもなく、メモ帳でも、画用紙でもなく、おえかきちょうなのか)

破りやす

おえかきちょうは使い捨て目的で作られている。

そのため、即使い、即破り、ガンガン書いていくスタイルにはかなり適している。

破りやすいことで、何枚でも並べることができる。マルチディスプレイができる。

この点で、ルーズリーフ印刷用紙の機能性を持つ。

無地だからこその自由度

賛否両論あると思うが、罫線は書く速度を500msほど遅延させるように思える。また、図を見たときに、罫線がノイズになってしまい、理解の妨げになる。

無地だからこそ速く描けて、無地だからこそ自由に描ける。

汎用性がとても高い。何にでも使えるので、ありとあらゆる「書く」というものに使うことができる。

科目別に何か紙を分けるなどということをする必要はない。仕分けクリアファイルですればよく、最高速でペンと紙を用意して、とにかく思ったことを書くということができる。

メモ帳でも同じことができるが、メモ帳は何かをたくさん書くには余白が狭すぎることが多い。

この点で、スケッチブックや画用紙や印刷用紙の機能性を持つ。

持ち運びしやす

買った瞬間に持ち運ぶことができ、使いたいときにすぐに開くことができる。

ルーズリーフ印刷用紙は、取り出す手間やケースに入れたり出したりする手間が大きい。おえかきちょうはそのまま出してそのまましまえばいい。

この点で、キャンパスノートリングノートレポート用紙の機能性を持つ。

安い

100枚で100円という破格の安さのため、どれだけ使ってもそれほど大きな影響をもたらさない。

1日10枚使っても、1年で3650円である。1日に10枚使うとは相当な量だがそんなもんであるキャンパスノートはだいたい1枚あたりの単価が3円ぐらいであるが、おえかきちょうはとにかく安い。

安く頭の中を高速で整理できるなんてこんなに良いことはない。

どこでも買える

キャンパスノートとほぼ同じレベルで、おえかきちょうは人気が高い。100均文房具屋なら、誰かが買い占めていない限りほぼ売っているものだ。ネットももちろん買える。

「アッ、しまった。紙がない」と思ったときに、すぐにスーパーなどに駆け込んでおえかきちょうを入手することは、おえかきちょう大好き人間なら誰もがやったことがあるだろう。

レア度が高い文房具ではこうはいかない。たとえば無印良品しか売っていないような文房具は、今日今すぐ手に入れようと思ったとき無印良品まで行かないと手に入らない。そしてそこで売り切れていたら、別の無印良品まで行かなければいけない。

おえかきちょうは、コモディティであり、インフラなのだ

シュール

おえかきちょうは、表紙がとても可愛らしい。

仕事用でも学習用でもなく、おえかきのために作られたものからだ。

そのため、表紙を見るたびに「自分のしていることは究極おえかきと同じことなのだ」と少年少女気持ちをもたらしてくれる。

常にボーイズビーアンビシャスを思い出させてくれるおえかきちょうに、買うたびワクワクさせてもらえるのだ。

家族みんなでおえかきに使える

おえかきちょうは、何も自分だけで使う必要はなく、家族で使うことができる。自分がおえかきちょうをストックしているだけで、家族全員がその利益享受できるのだ。

自分だけでなく、家族全体におえかきちょうの効果をもたらすことができるという点はかなりの強みだ(まぁこれは別にほかの紙媒体でも同じだけど)

そもそも「絵を描く」ためのプラットフォームが家になければ、誰も絵を描くことはできない。iPadがあっても、家族全員に同じタイミングiPadを配ることは難しい。

「そういえばおえかきするための紙がなんかたくさん家にあるな〜」という、紙に何か書くことへのハードルの低さが、家族への知識向上をもたらしてくれる。

おえかきちょうを買おう

おえかきちょうを買おう。そして紙を破りガンガン最高速で物を書くという作業を実感しよう。

おえかきちょうは1セット110円で買える。

2021-09-03

ミニ四駆紙飛行機などの物理シミュレーションやりたいと思っても、あまり環境進歩してないと感じる

ミニ四駆の肉抜き前と肉抜き後で、空気抵抗浮力など物理シミュレーション実施したい。

Python流行っているが、こういうのがパッとできる環境がなく、自分の興味関心が特殊なのかなと思ってしまう。


3Dプリンターももっといいボディを整形する時に、物理シミュレーションが出来たらと思う。


紙飛行機を飛ばすときにでも、どう折ったらよく飛ぶのか、シミュレーションで試せたらと思ってしまう。


まだ家庭用のパソコンだと難しいのだろうか。

2021-06-15

紙飛行機コンテストで、紙を丸めて投げてみた結果→3位入賞

https://j-town.net/2021/06/12323440.html?p=all

こういう一休さんみたいな評価方法をやって俺って格好いいと思ってるんだろうな

真面目に参加してる人がかわいそう

2021-04-12

anond:20210412154142

増田だが、

個人的感覚で言わせてもらうと

マイナー趣味ってのは、トータル7800万人未満の趣味だと思うんだよな(世界人口1%未満)

紙飛行機とかさ……

2021-03-16

スプラトゥーンで勝つ方法

スプラトゥーンでは立ち回りを意識しないと勝てないっていうけど、プレイヤー8人がどこにいるかあたりのランダム要素がでかすぎる。

孤立している敵を後ろから攻撃すれば確実に勝てるけど、敵が潜伏中だと本当にどうしようもなく一方的にやられる。

んで、「動画見直して振り返りしたほうがいい」とかいうけど、外的要因が大きすぎて何を振り返るんだい?

乱気流の中で、紙飛行機を遠くまで飛ばせれるかを競っているだけなんじゃないの。

勝てている人は、たまたまプレイヤーの行動に勝てた行動をとっているだけなんじゃないの。この「たまたま」を「立ち回り」って言いかえるのは無理があると思う。

2021-01-11

15年前はもっと手軽に物理シミュレーションできるようになるものだと思ってた

ミニ四駆の速度を上げるのに、パソコンを使って強度計算や流体シミュレーション簡単に出来るようになると思っていた。

紙飛行機だって、どう折れば一番飛びやすいのかなど、シミュレーションできると思ってた。

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