第二次台湾海峡危機から65年、中台間の軍事的緊張は近年再び高まりつつある。この間、中国の軍事力や国際社会における存在感は大きく変わったが、以前の危機を振り返り、そこから教訓をくみ取ることも十分可能だ。 蔣介石の手に残った離島群 1958年8月23日、中国人民解放軍(以下、解放軍)が福建省沿岸の金門群島や馬祖列島を砲撃・封鎖し、第二次台湾海峡危機が勃発した。砲撃当初、中華人民共和国(以下、中国)指導部の意図は不透明であったが、台湾の中華民国政府はこれらの島しょを「大陸反攻」の橋頭堡として防衛し、必要に応じて中国大陸に反撃しようとした。これに対し米国は、台湾本島から遠く離れ、米華相互防衛条約の適用範囲かどうか曖昧である離島の共同防衛を躊躇(ちゅうちょ)した。しかし、米国は最終的に共産主義陣営の拡張を防ぐと同時に、中華民国軍の反撃が新たな戦争に発展することをも防ごうとした。即ち、米軍は周辺海域に