・苦海浄土 1950年代、水俣市の大企業チッソ(かつて旭化成、積水化学、積水ハウス、信越化学工業の母体であった会社)の工場が垂れ流した水銀により、汚染された魚介を食べた付近の住民は、地獄の苦しみを味わいながら死んでいった。患者たちの生々しい声を軸に、水俣病の悲惨と公害事件の不条理を世に訴えた石牟礼道子の代表作。初版は1968年。 おとなのいのち十万円 こどものいのち三万円 死者のいのちは三十万 水俣病の患者に対して、昭和34年時点でチッソが支払った見舞金の契約内容はたったこれだけであった。患者たちは身体が不自由になり、視覚や聴覚を失い、精神錯乱まで引き起こして、死んでいく。一方的な被害者であるにも関わらず、差別を受ける。賠償を求めた裁判も、工場排水と病気の因果関係の解明や、患者の認定が進まず、なかなか立ち行かない。その間にも死者が増えていく。 重症患者の多くが工場排水口近くの貧しい漁民であ