はてなキーワード: アドベンチャーとは
『ナショナル・トレジャー』は、本来アドベンチャー映画として広く知られており、歴史的な謎解きやアクション、家族の絆が描かれるシリーズである。ディズニー製作ということもあり、全体的にはファミリーフレンドリーな構成が取られている。
しかし、もし仮に作中で過去の回想や秘密結社の陰謀などの演出の中に、児童が暴力的に扱われるシーンがあったとしたらどうだろうか? たとえば、「古代の財宝を守るために、子どもが犠牲にされた」「情報を守るために拷問された」などの描写が含まれていたとする。
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2025年8月2日のETV特集「火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート」を観た。
https://www.ghibli.jp/info/013977/
そこで紹介されたのは、これまで存在が知られていなかった7冊の高畑勲の創作ノートだった。番組によれば、高畑は映画『火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも、「F清太(ファントム/幽霊の清太)」という独自の視点を加えた。これが、作品に深い内省と現代的な意味合いを与えているという。そしてそのF清太は、時おりカメラのほうをじっと見つめることで、現代の観客に語りかけている――と番組では解説された。いわれてみれば、うわこっちみんな、的な瞬間がある。いやそんな場面があったことを急に思い出した。
それは長い間、もやっと記憶に刻まれながらも、明確な問いにはならないままだったものだ。そのもやもやがふっと晴れたとともに、F清太にみられた自分を意識せざるを得なくなった。
この映画は、子どものころにも観たが、何度も再放送されるうちに、大人になってから改めて観ると感じ方が少しずつ変わってきたのに気が付いてはいた。最近では、清太のとった行動が、当時の日本という国の姿と重なって見えることが増えている。自分たちだけの力で生き抜けると信じて外へ出たものの、現実は甘くなく、その結果、妹を餓死させてしまう。誇りや自尊心が、冷静な判断を曇らせてしまったのだ。その未熟さと幼さが観る者に悔しさを呼び起こす。それは自分が大人になったから、いわば上から目線で清太の未熟さに気が付き始めたのだと思い込んでいたが、この番組をみて、それは違うとはっきりと理解できた。この未熟さは、勝った勝ったの提灯行列で始まった日中戦争開始当時の大人も同じだったのではないか。たとえば、清太が妹を連れて叔母の家を出る決断は、まるで日本がABCD包囲網という経済封鎖に直面しながら、外交による解決をあきらめて戦争に踏み切った大人と一体どれほどの差があるだろうか。
節子の死もまた、戦時中に多くの兵士や市民が空襲ではなく「飢え」で亡くなった現実と重なって見える。戦争が長引き、補給が途絶え、国の仕組みも生活を守れなくなった。清太は、誰の助けも得られないまま、小さな妹を一人で守ろうとし、やがて自分自身も力尽きていく。国家が国民を守れなかったあの時代と、重なる部分が多い。
番組で紹介されたF清太の存在は、こうした物語にさらなる深みを加えている。F清太は、自分自身の過去の行動を死者の目線で見つめており、時には観客の目をまっすぐに見返してくる。その視線を意識すればするほど、「どうして、こんなことになってしまったのか」「あのとき、別の選択ができたのではないか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。単に過去を描いた物語ではなく、いまを生きる人間にこそ考えてほしいテーマが込められているのだ。
ここには、フランスの哲学者ルイ・アルチュセールのいう「呼びかけ(interpellation)」の構造やレヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスは『全体性と無限』において、自己は他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がると主張した。F清太の視線が観客に向くその瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタな存在であるはずだった私たちは、他者のまなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。
「自分ならどうしたか?」「このような判断の連鎖を、自分は本当に避けられるのか?」――F清太の視線は、作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身の判断と責任を、蛍の舞う映像美のなか、静かに問いかけられる。
この番組でもうひとつ印象的だったのは、作家・綿矢りさが語った思い出だ。子どものころにこの映画を観たとき、おばさんの家を飛び出した清太と節子の暮らしを「サバイバルアドベンチャー」のようにドキドキしながら観ていたという。その無邪気な感想は、太平洋戦争が始まったばかりの頃、日本の多くの人々が「きっと勝てる」と信じていた空気と重なって感じられた。防空壕に蚊帳を張って暮らす姿や、畑から野菜を盗んでたくましく生き抜こうとする清太の姿は、開戦直後、日本軍がフランスやオランダの植民地から資源を次々に奪い取っていた「快進撃」の空気ともどこか似ている。
映画化の過程で不採用となった絵コンテには、貯水池脇の防空壕での痛快なサバイバルはもっと丁寧に長く描かれていたという。しかし製作中、絵コンテ量が膨らみ、どこかを切らざるを得なくなった。高畑が大切にしていたであろうシーンは、上映日が迫る中、高畑本人は自分では捨てるに忍びず、最終的には制作班にそれらを削除を一任した。そして、結果として、その「痛快さ」の裏にある危うさ、つまり「破滅への下り坂」に、より重心が移った格好となった。最初は希望に満ちていても、その内側にはゆっくりと悲劇が潜んでいる――そんな構造が見えてくる。
物語の大きな転機は、清太が父の所属していた連合艦隊の壊滅を知る場面だ。清太にとって、父は「何とかしてくれる」存在であり、戦争の正義そのものでもあった。父がいれば、すべてがうまくいくと信じていた。けれど、その連合艦隊が全滅したことを知ったとき、彼の中で支えとなっていた希望が崩れ落ちる。この場面は、1942年のミッドウェー海戦以降、日本が敗走したときの政府中枢の心理とも重なって見える。日本は敗北を認めず、国民に知らせることなく、精神論にしがみついて戦争を続けた。父の死を受け入れられず現実から目を背ける清太の姿は、敗北を直視できなかった国家の姿そのものにも見える。
そして、もっとも象徴的なのは、清太が最後を迎える場所──三ノ宮駅だ。彼は、駅の柱にもたれて、ひっそりと命を落とす。その姿は、もしかすると「父がきっと帰ってきて助けてくれる」という幻想を、最後まで捨てきれなかったのではないかとも思える。三ノ宮駅は、父と再会できるかもしれないという最後の希望の場所であり、柱は「国」にすがる気持ちを象徴しているようにも見える。戦争末期、日本という国がボロボロになりながらも「きっと何とかなる」という根拠のない希望にすがっていた日本人の姿、そして無条件降伏にあたり最後の最後まで國體護持にこだっていた日本政府の姿が、三ノ宮駅の柱にもたれかかる清太と重なって見える。
『火垂るの墓』は、清太という一人の少年を通して、戦時下の日本という国家の姿を描いているのだと、今回の番組を通じて改めて強く感じた。節子は次の世代を担う子どもであり、清太は国を導く立場に立たされた若者、父は沈黙し続ける国家、柱はもう頼りにならない幻想としての國體だ。そしてF清太の目線は、いまを生きる私たちに向けられている。彼は語りかけているように思える――「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできると断言できますか?」枕崎台風が食糧不足に追い打ちをかけた終戦直後の日本、昭和21年には1千万人の餓死者が出る(当時の大蔵相、渋沢敬三)と壊滅的な状況を予想していた時代のどん底への想像力が問われる作品だ。
『火垂るの墓』は、ただの悲しい物語でも戦争を否定するための映画でもない。
それは、「間違った選択をすると、何が起こるのか」「希望にすがるだけでは、誰も救えない」ということを、少年の目線で私たちに伝えようとする作品だ。そしてその問いかけは、過去だけでなく、今の時代を生きる私たちにも突きつけられている。F清太が現代をさまよい、丘の上から現代のきらびやかな夜景を見下ろすシーンは印象的だ。
思い返せば最近、石破首相が「太平洋戦争の戦死者の大半は餓死だった」と語った発言が波紋を広げた。8月15日も9月2日も公式な談話は出さないと明言したが、その後、やはりなんらかの私的なメッセージは出したいと再び発言、これまた右派のイライラを誘っている。彼の戦争観には、賛否はあるにせよ、私はある種の重みを感じている。国に殉じたはずの命が、実際には補給もなく、置き去りにされた果てに消えていった。清太と節子の姿は、その現実を過不足なく描いている。彼の発言は、そうした歴史の事実を曖昧にせず、静かに受け止める覚悟の表れにも見える。
F清太の視線が観客に向く瞬間があるとの指摘は考えさせられる。<語らない他者の視線>そういう目で観れば観るほど、この作品は問いかけに満ちている。『となりのトトロ』と同時上映されたことすら信じがたいほどに、この映画には、別次元の密度と痛切さがあり、魂のゆさぶりがある。高畑勲がこの作品で到達した地点は、宮崎駿とはまったく異なる軌道を描きながら、アニメーションという表現がどこまで人間の真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。同じ終戦前後の少年の内面を描いた宮崎の作品として「君たちはどう生きるか」がある。高畑のアプローチがレヴィナスの<他者>だとすれば、宮崎のそれはあえて言うならばヘーゲル的な「承認」の構造を想起させる部分があるかもしれない。眞人にとっては異世界への旅が必然であり、死者や過去の存在と出会い、<他者に語らせ>その言葉に耳を傾けることが、自らを見つめ直すきっかけとなった。
それは、自己意識が他者との対話を通じた承認によって成り立つという、ヘーゲル的なテーゼを想起させる。他者との主体的なインタラクションが前提となっているという意味で。もっとも、あくまで一つの読みとして、だが。
彼がどこまで「火垂るの墓」を意識していたかはわからない。けれど、きっと何らかの影響や意識の交差はあったのではないかという気がしている。なお、このETV特集に宮崎駿は出演しなかった。
暑いすぎて外に出るのも躊躇するので
ぜんぜんランチ行けてないんだもん。
でね、
お昼行ってるランチのところが空調効いてないつーか弱めなので、
ああいうのってもうさ、
この時期は
涼を求めてーってところもあるじゃない。
まあ私が飛び込み前転をして入店しているから汗ばんだりするって説はそれないから!
これはハッキリと断言しておけるけれど、
にしても、
暑いすぎるわー。
今シーズンの夏休みはじーっとしておくに限るかも知れない季節のシーズン到来よ。
私の夏休みの宿題としては、
溜まっているゲームをコツコツと消化いや、
うーん、
どうしようかしらね。
PlayStationのステラーブレイドのNIKKEとの最新のダウンロードコンテンツの場面までストーリー進行できていないので、
そこまで到達したいのとー、
スイッチのゲームボーイアドバンスのメトロイドも途中やりかけで
たぶんナイトメアが怖くて倒せなかったところかもー
こっちの集中力が持たないわ。
それに見かねてやけくそになってハシゴにぶら下がったままミサイル連射したら普通に勝てちゃったのよ!
えー!
いままでのパターン暗記はなんだったの?
ゴリ押しで勝てんじゃん!
たしかメトロイドはそこら辺まで進められていたと記憶しているわ。
これ私苦手かもーって意欲が湧かないのよね。
進めたいけれど進めないメトロイドあたりと、
ドンキーコングの新しいのと最近また面白さに目覚めたスーパーマリオワンダーは
ここで一気に追い込んでクリアまで導きたいところよ。
お友だちに薦められて一向にプレイしていないファイナルファンタジーシリーズの11も
たぶん11だったはず。
これも手つかずよ。
これもお話楽しそうなので薦めたいけれど、
今の今まですっかり忘れていたわ。
と、
急にまた私の目の前に現れた「ひみつ展」
なにこれ!
ざっと見繕ってNintendo Switch 2の新しい機能説明のソフトでしょ?って思って進めて瞬間で5秒ぐらいで全部見終わることが出来るかと思っていたけど、
このアドベンチャー感!
冒険させるわね!
ってーか意外とへー!って機能だとかこだわりポイントとか知らないことがいっぱいあって、
見入っちゃっていたわ。
画面だけにツルツル滑るのよ!
もー、
そこもアドベンチャー盛り込むか?って感じ。
思わずスタンプ集めて次のエリアに行きたい気持ちが抑えられないわ!
全クリとかってあんのかしら?
どのぐらい「ひみつ展」でアドベンチャーしなくちゃいけないのかよく分からないけれど、
あと、
話し戻って
ブレスオブザワイルドもアップグレードパスで新しい体験スマートフォンと連携強化でハイラルの大地をナビして欲しいじゃない?
そんで、
ソフト交換チケットで一旦switch版のティアーズオブキングダムを交換してーのそれをアップグレードパスしてーの、
そして
1つあまったチケットでなにかそうね!
またファイアーエムブレムの花鳥風月やってみたいのよ。
これ私手を出したらダメなヤツだと思うわ。
思い出しちゃったけど、
もう一回周回プレイファイアーエムブレムエンゲージを新しくやるってのも楽しいわよね。
もうさユナカの回避率が超絶高くて誰もユナカに触れることが出来ないのよ。
あと、
一番メインストリームの私の今のライフスタイルに溶け込んでいるNIKKEも夏休みの課題として取り組みたいけれど、
これは放置系なので、
やり込むことがないので
ただ待つだけで強化の糸口がないしー
過去アーカイブのお話も見たことのないお話を見て泣こうかしら?って手もあるわよね。
なんでこうも毎年長期休暇の前は
張り切って計画立てがちだけど、
結局私は何一つクリア出来なかった思い出があるので、
たくさん挙げたけれど、
なにか1つは達成出来たらなぁって思うわ。
とにかく、
どっちにしろ
今年の夏は暑すぎて外に出られない説濃厚なので
うふふ。
おにぎり握ってきた朝とお昼の分。
お弁当作ってもいいけれど
暑いのでおかずまで手が回らないわ。
おにぎりは振り掛けるおにぎりのフレーバーをふりかけて握るだけなので、
超重宝よね。
にしても暑いから外に出られないのでランチのおにぎりも作って行ってる最近の対策でもあり傾向でもあるわ。
ギリギリ面倒くさくない
もうすぐ補充が届くはずなので、
そこは抜かりないわ。
炭酸水って。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
リロ&スティッチの事は「スティッチ=あの青いマスコット、リロ=隣りにいる女の子」程度のことしか知らなかったが、
実写版の予告トレーラーで跳ね回るふわふわのスティッチを見たとき鳥肌が立つほどわくわくした。
自分は実写版映画「名探偵ピカチュウ」のピカチュウや、アドベンチャータイムのジェイクなど、
見た目ふわふわのケモノで、おっさんみたいな言動で、破天荒な振る舞いをするキャラが大大大好きだからだ。
で、満を持して実写版リロ&スティッチを見に行ったんだ。見に行ったんだがあの映画・・・
・リロのお姉さんが、姉妹二人きりの生活を支えるために進学を諦めてバイトに奔走する
・しかしバイト先でリロとスティッチが物品破壊を伴うトラブルを繰り返し起こし、お姉さんは何度もクビになる
・スティッチをバイオテクノロジーで生み出した科学者宇宙人が、スティッチを捕獲しようと地球まで追いかけてくる過程で、お姉さんのバイト先を舞台に物損を伴うトラブルを起こし、またクビになる
という展開をあまりにも繰り返すものだから、見ていてお姉さんがあまりにかわいそうでいたたまれなくなり、
一番楽しみにしていた「リロとスティッチが楽しく大はしゃぎ」的なシーンにまったく没入できない、というひどいシナリオだと思いました。
いや、ひどいは言いすぎた。総じて映像のクオリティは高いし、映像は楽しいんだけど、なんかこう・・・残念・・・
お姉さんの苦労パートをもっとシンプルに済ませて、リロとスティッチが楽しくすごす日常パートをたっぷり見せるシナリオにしてくれてたら、
「物損を伴うハチャメチャ」があったとしても笑って済ませられた気がするんだよなあ・・・
お姉さんを軸にした家族愛のストーリーそのものは別に悪くなかったんだが、スティッチのハチャメチャを堪能するために、お姉さんに感情移入したくなかったなあ
ここ5年ぐらいだよな。
その前は全然なかった気がする。
単純な「ヒントA+ヒントB+ヒントC=アンサーX」っていう単純な足し算の問題から、消去法によって答を導く複雑な問いかけがなされるようになった。
世界観や事件の説明もキャラクターが自分で語る方式から、散りばめられたヒントからインタラクティブにプレイヤーが読み解いていく方式が増えてきている。
結局のところReturn of the Obra Dinnという大発明の影響力がぶっ飛んでいたということなんだと思うが……。
何故これほどの影響力があったのかについては誰か考察してるのかな?
個人的には
・プレイヤーに対してのインタラクティブで自由度の高いゲーム性が求められる時代が来た
・これまでのADVが持つゲーム性はゲームブック以上でも以下でもなかった
・タイパ重視の時代であったためADVというジャンル自体が伸びるポテンシャルはあったがゲームシステムだけが追いついていなかった
・昨今のプレイヤーが求めがちな「一見高難易度に感じるが自然といつかはクリア出来るゲーム」への最適解が「まだ解放がパターン化されきってないゲームシステム」だった
辺りかと。
仮説まみれではあるが、それぞれがそれなりに当たっているならこのジャンルが跳ねたのは納得だわ。
じゃあ、俺より強い考察持ってきてくれ。
お前ら好きだろ?
大和国→矢的の国 矢が的に刺さった絵を国旗とする弓使いが多い国。
河内国→かだいの国/ハノイの国/川内の国/仙台の国 国名が安定しない。
伊勢国→iceの国 氷で覆われた不毛の地という噂を流しているのは他国からの侵略を防ぐため。氷漬けなのは国境付近のみでそれ以外は肥沃な土地。
近江国→お海の国 国土の大半を占める巨大な湖を海と呼ぶ海を知らない内陸国。
播磨国→貼り魔の国 貼るだけで封印された魔を召喚することができるシールの発売国。
越前国→えち善の国 一日一善を国是とする国。一善がなまってえち善となった。
武蔵国→634の国 634個の村が寄り集まってできた国。
上総国→数差の国 すべてを数値化して僅かな差でも比較し、様々なランキングを日々作っている。
常陸国→日立の国 sun(日)がrise(立)する国を自称する。太陽信仰の国で太陽を拝み、太陽の声を承る。
山城国→疚し路の国 道を歩いていると不思議とやましさが増してくる国。
摂津国→setsの国 多くのものがセットでまとめられている。
尾張国→終わりの国 人生の終わりにたどり着きたいとされる国。
三河国→美川の国 国土の中心を流れる美しい川の沿岸にさそりが多く生息する。
美濃国→蓑の国 民は外出時に蓑を着用する。
備前国→美髯の国 ひげが長いほど美しいとされる国。
美作国→見まさかの国 歴史上の「まさか」を集め、それらを一覧することができる国。
但馬国→田島の国 国土のほとんどが田んぼの島国。島国で狭いので田んぼのためにそれ以外のスペースを徹底的に切り詰める。
因幡国→イナバの国 この国の建造物は頑健で特に上方向からの圧力に強い。
遠江国→尊みの国 尊さを感じたものを「推し」とする風習がある。
駿河国→するがの国 民は「何々しないの?」と言われると「するが?」と答え何でもせずにいられない。
越中国→こしなかの国 もなかの名産地。こしあんもなかの略称が国名となる。
伯耆国→箒の国 掃除用の箒から魔法の箒まで箒なら何でも手に入る。
出雲国→いつもの国 昔からの「いつもの」を維持し続ける。伝統を守っているので考古学者の研究の対象となる。
備中国→ビッチュウの国 携帯ゲーム機用ゲーム及び派生作品「ビットモンスター」の発売国で同作品に登場するネズミ型モンスター・ビッチュウを国旗とする。
備後国→ビンゴの国 ビンゴゲーム屋が立ち並ぶビンゴゲームの聖地。
讃岐国→さ抜きの国 あらゆる言葉から「さ」の文字が抜かれる(国名は例外)。
相模国→さがみの国 あらゆる「さ」が「み」に置き換えられる(国名は例外)。
出羽国→ではの国 誰かと来ると必ず別れることになる国。
越後国→えちごの国 苺の名産地。えちごとは「良い苺」がなまったもの。高級な苺は権力者への贈り物として重宝される。
安芸国→秋の国 気候が安定しており一年を通して秋のように過ごしやすい。
周防国→酢王の国 酢の名産地で最も優れた酢を製造した者が国王に選ばれ1年間国を治める。
伊予国→壱与の国 卑弥呼の娘・壱与を崇拝し王はその子孫を自称する。
肥前国→火然の国 火の一族が治める国。火の一族は火の扱いに長けており、火で物を燃やすだけでなく心も燃やすという。
佐渡国→サドの国 サディズムの聖地でサディストが自然に生まれ育つ。
長門国→ナガモンの国 携帯ゲームおよび派生作品「ナガモンアドベンチャー」の発売国で同作品に登場する首長竜型モンスター・ナガモンを国旗とする。
石見国→岩みの国 岩の多い国で、人も物も少し岩っぽい。長居するとだんだんと皮膚が固くなり岩っぽくなる。
土佐国→とさの国 「何々だったとさ」と民が昔話をしてくれる。
日向国→ひなたの国 曇らず夜もない絶えず太陽が見える国。国全体が1個の巨大なドームの中にあり、空も太陽も人工物である。
大隅国→大炭の国 炭の名産地。大木から大きな炭を作る技術を持つ。
薩摩国→殺魔の国 魔を殺す術に長けた兵を多く養い、他国からの要請に応じて派兵する。
伊賀国→毬の国 民はトゲ付きのヘルメットや肩パッドを着用する。そのために髪型は常に丸坊主にしている。
淡路国→会わじの国 この国で待ち合わせをすると会えない。
そろそろ2025春アニメも折り返し地点なので自分が今見てるアニメ覚え書き。順不同。
テレビ放送のみ。配信は見てない。今期はテレ東系(地上波オンリー)など一部地方で放送されないのがいつも以上に多い気がする。
配信で見ればいいんだけどね。若い人には怒られるかもだけどネット配信で見るのは面倒くさいのと苦手なのです。
アニメはこうやってボーッとたくさん見てるけど詳しくはないです。アニメ制作会社とか声優とかはよく分からんので間違ってること書いてたらごめんなさい。
追放系&桁外れな能力を持つ&無自覚系&自己肯定感が低い系主人公
立派なことをしても、いやー自分はまだまだ、何もしてませんがってところがイライラする人にはお勧めしない。
ヒロイン鷹峰さんは下着を脱ぐと時間を遡ることができる能力者。
主人公は遡る前の時間を覚えている、シュタゲでいう所のリーディング・シュタイナー。
能力使用後は下着は消えるので、主人公が下着を用意して履かせることになる。
何食ったらこんな発想になるんだよw
女の子がグイグイ来て、男の子がアタフタする系です。たまに逆もあり。ボケとツッコっみが激しくて面白い。
鬼の力が覚醒した妹、その妹に想い人を殺された兄と、170年の話。
1話は天保1年から始まる、最後に少し平成。2話以降はは嘉永(江戸時代)
2話も結構面白いけど、私が好きなのは6話。もちろん、これまでの話があっての6話なんだけど。
EDはHilcrhyme feat. HYの仲宗根泉。最初はこのノリの歌あうのかと思ったけど歌詞がなかなか。
2期、前期から引き続き2クール目 今までの出来事、人物、点と点が線でつながり・・・
なるほど、こう繋がってたか。というのがいくつかあり、見ていて気持ちよかった。最高でしたね。続編制作決定。
余命1年の呪いを受けた魔女見習いの話。主人公のセリフがオタクくさい言い回しで好き。OPは坂本真綾、EDは手嶌葵
世界観は我々がいる現代に魔法要素が加わった感じなのかな?電車とかあるし。
心温まるハートフルストーリー。こんなあっさりした感想だけど、今期結構好きなやつ。
全12話。主人公メグ・ラズベリーが魔女として成長し、旅立つまでの半年間を描いたものだった。これ、2期ありますよね?
キービジュアルを見てビールの売り子さんの話かな?と思ったら、それだけではない。
サラリーマンの主人公とビールの売り子さんが主軸ではあるが、球場全体で働く人たちのお話。
本作品の舞台となっている千葉県を本拠地としているプロ野球球団の千葉ロッテマリーンズとのコラボイベントを2025年5月17日(対北海道日本ハムファイターズ戦)に行う予定だったが、雨天中止となった(wikipediaより)
全12話。めっちゃよかった。作画重視の人には不評なのかもしれないけれど、私はそれ関係なく話やキャラが魅力的だったので好きだったなー
BAND-MAIDは好きだし、音楽で殴り合いそうな勢いも好き。
お嬢様学校とのロックバンドのギャップも・・・だけどその髪型は説得力ないなぁ?
って感じだったけど5話はよかった。
んでもなぁ、素直に凄い、面白い、とはならないんだよなぁ。なんだこの違和感は。
途中感想まで(ここまで)の段階だともったいない。結構がんばってそうなのにね。
全13話。ごめん十分に伝わらなかった。言いたいとこは分かるけれどこれは難しい
妹がもっとイレギュラーに関わってくれれば印象は変わってたかもしれへん。
友達以上恋人未満の・・・いやいや、べたべたと抱き着いたりして異常に距離が近すぎ幼馴染青髪ヒロインと
後から出てきたけど実は子供のころに運命的な出会いをしていた黒髪ヒロインが
主人公を取り合うドタバタ恋愛コメディ。恋愛に面倒くさい要素はつきものだけど、これは本当に面倒くさい。
タイトル通りのユ-モアミステリー。以前ドラマ化してたけど私はドラマは見てない。
1ストーリーの前編くらいで話が終わるので、え、そこで終わる?って感じでのところで終わってモヤモヤする。
まあ、面白いけどミステリー好きな人にお勧めするよりも、声優好きにお勧めする。かな。
ノイタミナ枠なんだけど、このタイミングで地方民にとってうれしいのはフルネット全局で同時ネットとなったこと。
全12話。まあまあ
そこまで好きじゃないけど短いので見てる。
サムライを目指す刃と、鬼になったライバル鬼丸とが日本全国を巻き込み闘うアドベンチャー。
原作、剣勇伝説YAIBAを今風に編集した真・侍伝 YAIBA。スカイツリーやスマホ、SNS要素などがある。
最高。もう、最高。昔、周りのみんなが "かめはめ波" や "アバンストラッシュ" の練習をしていた頃、私は友達と "かみなり切り" を練習してたので。
そんなYAIBAも初のアニメ化はテレ東だったので見れなくて枕を濡らした思い出もある、今回見れてうれしい。
SNSで悪い意味で話題だったみたいだけど、私は面白いと思うよ。すごい面白い。
デイビーのいたずらは度を超えて恐怖すら感じた。マコーレカルキン主演の「危険な遊び」という映画があったが、あんな感じ。
実力は凄いんだけど片田舎の村で細々と剣術道場を営むおっさんが騎士団付きの特別指南役となり、ブイブイ言わせる話
アンシャーリーはそこまで騒がれてないんだけど、こちらは6話になった今でも漫画ファンの熱いコメントが目立つ。
でも、無粋なんだろうけど、女の子の防御力低そうな服装は変だね。
OPは「滋賀の県政にはいつなるの?」とよくツッコミが入る西川貴教。EDはこちらもアニソン結構やるよね、FLOW。
ヒト型ロボットと人間のバディもの。SFミステリー。相手の記憶を探れる(電索)演出があるところが攻殻機動隊をちょっと感じる。
地上波放送の実況では原作のファンの厳しいコメントが目立つので、実況付きで見たいけど、
ネガティブ意見を見るのが嫌な人はBSでの視聴をオススメする。
9話では生きたまま四肢を切り落とすというバビロン並みに過激な描写がある。冒頭に注意テロップを出せばいいのにと思った。
全13話。うーん。
1期の見はじめは「なんだこれ」という感じだったけど、見方が分かってからは楽しく見てる。
新聞部が追っている放火魔(ファイアーマン)が誰なのかなんてどうでもよく、
小鳩くんや小佐内さん(特にこっち)の企みが何なのか、次にどう動くか注目するアニメだと思う。小佐内さんの声優のウィスパーボイスがとてもいい。
瓜野くんかわいそうすぎて、ネットの検索窓で「瓜野くん」と入力すると「かわいそう」がサジェストされるくらいである。
この16話については私の今期アニメでもっとも好きな話かもしれない。ぞわっとして思わず長良川にチョコを流したくなっ
18話からは冬期限定ボンボンショコラ事件。原作小説は昨年出たばかりである。
全22話。小佐内さんコワイ。でもそこが魅力的である。小鳩くんは京都で再会することができるのだろうか。
タイトルにプリティが付かないウマ娘。いやかわいいですけどね。
正直言って、だからといって、なんか書けない。
幼馴染魔女と鬼の力をもった主人公とクラスのみんなとドタバタコメディ。
あとちょっと古いネタのボケ、自分世代にちょうどいい。あとオシャレ。
ニコ「今回で1クール目終了だけど連続2クールなので来週からもまだまだ続きます」
なんとなくタイトルから中国の漫画/アニメと思われてそうなやつだけど日本の主婦と生活社から出てるやつです。
底辺の村人の少年がこっそり力を持ち、守護者と呼ばれる存在になる。
転生要素はあるけど、そこまで色濃くはない。
2年前にNetflixでやってたやつを編集してNHKで放送。スプリガンの時みたいな編集。
1989年の夏を舞台に、ガメラがほかの怪獣たちと戦う様子を目撃する4人の子供たちを描く。
全12話。こういう子供たちのひと夏の大冒険系好きなのよね。面白かった。ジョー・・・
自己肯定感低い女の子がゴリラの神から加護されて超人となるけど、本人は目立たず平穏な日々を送りたい
でも何やかんやでそうもいかず、オモシレー女って感じでイケメン達の姫になる。
動物の加護を受ける際、普通の人はその力を受け継ぐだけだけど、特殊な人の場合は動物そのものになるってのは、FF16の祝福を受けたものとドミナントになったものを思い出す。
全12話。面白くなかったわけではないが、(設定は特殊かもだけど)よくあるストーリーなのでそこまで
元となってる百鬼夜行シリーズの小説ってめっちゃぶっといよね、ってことだけ知ってる。
全12話。1話完結だし、出来事も大事ではないのでカジュアルに見ることができる。
主人公がだんだん皆んなの人気ものになっていくのも微笑ましい。
めっちゃ好き。永遠にやって欲しい。ナレーションは情熱大陸でおなじみ窪田等。
私もふとしたことでざつ旅をするので、めっちゃ共感しながら見てる。最近私は岡山の湯の郷行きました。
音楽は藤澤慶昌。藤澤さん今期はこれとアポカリプスホテル、わたなれをやってて、今度タコピーもやるのに仕事しますなー
全12話。終わってしまったー旅行きたい。今すぐに。あとサントラ売ってください。
11話の最後で流れた(12話の)次回予告のサブタイトルが誤ってたのはBlu-ray版で修正されるようです。
他にも間違いがあるんだけど、それもBlu-rayで修正されるのかな。
阿波連さんも変わってるけど、ライドウの奇行を楽しむアニメじゃね?
1期で二人がもう結ばれているようなもんなので周りに焦点がいくことが多い。
そうやって全体が充実していくのが最高に心地いい。
全12話。おー原作最後までやった。ただアニメではやっていないエピソードもあるので気になる人は原作もどうぞ
見ておいて言うのもアレだけど、どうもKeyのストーリーって私にはあわないのよね。
話は理解はできるんだけど、どの作品も自分の心は揺れ動かない。
登場人物も実際いたら嫌だろうなーと感じるキャラが多いからなのか・・・
感動したーってレビューを見る度にくやしいけど、こればっかりは仕方がない。曲は好き。
家では上田ガンダムって呼んでます。でも地上波ではなくBS11で見てます。
あんまりネガティブな事をここで言うと言葉で殺されそうなので怖いんだけど、なんか綺麗でオシャレなところが好きじゃない。
あと水星の魔女もそうだけど、長編じゃないから?仕方がないんだろうけど、狭い世界の話が嫌かなー
私個人的な好みでの話ですので、楽しく見てる方はお気になさらないでください。
あと一部では乃木坂とかとの繋がりで盛り上がってますが、私個人的には気にならないです。
全12話。最初に狭い世界と書いたけど見てたら思ったより壮大だった。
抜け忍と殺し屋女の子たちの共同生活。かわいい顔してやることエグい。
命が軽すぎて素直に楽しめない 怖い、不安になる
女の子たちが大学で食文化研究部という部活を作り、ワイワイご飯作ったりどっか行ったりエンジョイする話。
かっぽーして、エナドリでバフ入れてるアニメなので「もめんたりー・リリィ」難民も安心です。
事務員が学生のことを生徒って呼んでたり、夜間警備みたいな仕事してたり変な感じだった。
全12話。料理美味しそうだし、みんなかわいいし、最高でしたな。
ポンコツ猫宇宙人が家電をぶっ壊しながら地球の科学を学ぶ NHKEテレでやってたとしても違和感ない
音楽は栗コーダーカルテット 協力CIAOちゅ〜る
EDはさよなら人類。 まさか九龍ジェネリックロマンスとかぶるとは。
最初にはっきりさせておくが、私はミステリーが大好物だが、ミステリファンは嫌いだ。
フーダニットだのハウダニットだの身内でキャッキャとしているうちは可愛いものだが、いざミステリーがポピュラーになろうとすると、いつもその芽を潰してきた。
いつもだ。だから衰退した。
都市伝説解体センターのネタバレはしない。CM(ローンチトレーラー)で流れている範囲では触れる。
批評は、基本的には「批評する対象が、批評しようとする空間のどこにあるのか位置付ける」作業だと言える。
ざっくり言えば、「都市伝説解体センターは、河原町通三条下ルですな」のように言うことが批評家だ。
この時、媒体によっては「(京都市中京区)河原町通三条下ルと言える」と書いたり、「注記: 河原町通と三条通の交差点から南側に入った場所」と記載する。
もっと平たく言えば、ファミ通のレビューのように、0〜10の得点のうち、このゲームは9点の位置ですよ、と位置を示すのが批評だ。
これは大いに自由にやるべきだし、自分の信念に従って自分で対象を空間に位置付けるべきだ。
ただ、「これはこうすればもっと得点が高くなる」と言うべきではない。それは批評ではなく改善提案だからだ。
また、「こういう批評をする奴は、こんな奴だ」と言うべきでもない。それは「該当する批評家を批評する」ことだからだ。対象への批評ではない。
ラーメンハゲがラヲタを蛇蝎の如く忌み嫌い批評するのは一貫性がある。
「こんなラーメンを好きなのは、情報を食ってるからだ」と言うのは、ラーメンに対する批評ではなく、ラヲタを正しく批評している(位置付けている)。
概ね以下に集約される
にも関わらず、世間でポジティブな反応が多いのに納得できないというものだ。
特定の誰かを批評することが目的ではないが、該当する批評や感想を持った人たちを批評する目的のこの文章でははっきり書くが、幼稚なのだ。
幼いのだ。未熟なのだ。自他の境界線が曖昧で、自分で世間の中に立って批評できない。
俺がおかしいのではない、世間がおかしいと叫んでるのだ。そして残念ながらその声はある程度、当人たちにも届いてしまう。
都市伝説解体センターというゲームが、面白くなかったのであれば面白くないと書けば良いのだ。
どこが面白くてどこがクソなのか書いて、だからこのゲームはこの位置だと叫ぶのが大人のやることだろう。
「都市伝説解体センターが好きなのは、こういう人物像だろう」という批評も、別にすれば良い。
ラーメンハゲも信念に基づいてラヲタを批評する(ように見える)から人の心に刺さるわけだろう。
「俺の好きなミステリーではなかったから、この作品が好きなやつはミステリー好きではない」と書くのがハッキリと害なのだ。
アドベンチャーゲームについても同じだ。正確に言えばあらゆるゲームについても同じだった。新人を鼻で笑うのではなく、沼に沈めなければならないのに。
俺は誤りとは書いていないというかもしれないが、書いている。
「俺は最後のオチが納得できなかった。だからクソゲーだと思う」と書けば済むところを、
「え?俺以外は絶賛してるの?なんで?俺と同じ人もいるよね、良かった……じゃあやっぱり俺以外の感想を持った奴はニワカなんだな」と書くから変なのだ。
さっきラーメンハゲをわざわざ引いてきたのは理由がある。ラーメンハゲは、なぜどうして情報を食っていると評したのかを明確に示したからだ。
「このラーメンはまずい、それを絶賛するのだからこいつらは間違っている」という論立てをしていない。それは別のものだからだ。
だから「都市伝説解体センターを絶賛するやつは、普段ゲームをしない奴だ」と言いたいのであれば、その論拠を示すべきであって「だって俺は面白くなかったから」というべきではない。
そこが変なのだ。
自由に批評して良いし、クソだと思うものをクソだと言うのも表現の自由だろう。
ただ、その批評も当然のように批評にさらされる。今やってるのがそれだ。
なぜ、ミステリーが好きじゃないやつに刺さったと言えるのか、なぜ普段ゲームをしない層にリーチしたからヒットしたと言えるのか。
「だってヒットしているのだから」と言うのはトートロジーであって、批評ではなく言葉遊びだ。
例えば、以下のような点だ。
これはアドベンチャーゲームが好きな人ほど陥りがちな穴であって、自分がほぼ無意識に流したところに何かあったかもしれないと言う内省につながっていない。
ローンチトレーラー(CM)にもあるように、新人調査員である福来あざみが先輩調査員であるジャスミンと、SNSを利用して調査するパートと、現場で調査するパートがある。
そのいずれも、非常に明快に、既読と未読がわかるようになっている。
そんなの当たり前じゃんと思わずに、思い出してみて欲しい。今まで一度選んだ選択肢がグレーアウトされるアドベンチャーゲームがいくつあったかを。
また新人調査員である福来あざみはメガネをかけることで念視と呼ばれる特殊な能力をゲーム中で使うことができるが、SNS調査パートでは念視を使えばマークが付くのだ。
これは小さなマークだが、思っているよりも目立つので、どこを見たのか一目瞭然だ。
(これは念視を使っていわゆる正解を見つけた場合であっても、不正解であってもマークがつくところが重要である。メガネ既読がしっかり表示されるのだ)
また、多数の選択肢から正解を見つけなければいけない時に、間違ってしまってもキャラクターの掛け合いが見られることで結果としてご褒美になっている。
新人調査員の福来あざみが、真顔で変なことを言って所長にツッコミを入れられるのは、プレイヤーにとってはペナルティではなく微笑ましい会話を読めたご褒美なのだ。
それ以外にも、調査がどの程度進んでいるかは、常に証拠品の数で示されているし、調査が完了すれば次に進めるようになっている。
ゲーム体験が快適になるように、非常に丁寧に作り込まれている。
これまで、アドベンチャーゲーム慣れした人ならごく自然にやっていた、どの選択肢を選んだか覚えておく、どの場所を調査したか覚えておくという、「ゲーム側の都合で人間が対応しなければならなかった部分」が、「ゲーム側で対応されたことで人間がやらなくて済むようになった」と言う丁寧な作り込みが見られる。
これはゲームとしては些細だが本質的なところで、似たような例はシミュレーションゲームでは頻繁に目にする。開発陣が想定していなかったような細かいパラメータの調整を人間に強いていた場合、続編ではそのパラメータがバッサリとカットされることは良くある。ソコを遊んで欲しいわけじゃ無いから止めよう、というものだ。
ドラクエ3リメイクの時にも話題になった気がするが、デメリット付きで教会からやり直すのか、デメリットなしで戦闘直前に戻るのかの違いは、いわゆる「戻し」をどこまでプレイヤーに強要するかであって(それが遊んで欲しいことなのであれば必要だが)もしも「戻し」で時間を取るのは今は違うよね、と思うユーザーが多いのであればそちらに合わせるのが自然だろう。
と、言うように、「なぜゲームに慣れていない人にヒットしたと言えるのか」を説明したいのであれば、それを説明すれば良い。
「ゲームの作りが丁寧で、今までアドベンチャーゲームの理不尽で離脱していた人たちを留めて置けたから」と自分は考えて文章にした。間違っていると思うなら反論すれば良い。
少なくとも、「俺はアドベンチャーゲームが好きだが、このゲームは嫌いだ。だからヒットするならゲームに慣れていないやつに刺さった」よりはマシだ。
自分の楽しめなかったのものを楽しむ相手を格下に見るのは、自己が確立できていないから生じる。
このムーヴは何度もジャンルを潰してきた。先鋭化した果てに新規参入者がいなくなり、ジャンルが無くなる。
ここが良く無いと思った、これは私にはわからなかった、そんなミステリーは読んだことがない、大いに結構。
問題はこれに「だから、これを楽しめるやつはニワカだよね」と傷を舐め合う自称その道のファンだ。
自己が確立できていれば、「これは物理的に無理があるよね、三流」と言うだけで済むのだ。ヒットしても狼狽える必要はない。
なぜならば、確固たる自己があれば、もっと言えば美学があるのであれば世間がなんと言おうと「物理的に無理があり三流のゲーム」だと言えるからだ。
「なぜヒットしているのか」を論評したいのであれば、その論拠を立てないのであれば、空論である。
「なぜアドベンチャーゲームと言えないか」を論評したいのであれば、やはりそれを示す必要がある。マルチシナリオでないからだとか、マルチエンディングでないからだとか、好きに言えば良い。
ただ、言葉にしなければ、反論してもらえないので、いつまで経っても自身の思いは曖昧なままだ。
(Polish pillarを入力するようなアドベンチャーゲームは硬派なのではなく、ゲームの都合を人間に押し付けたからだと今でも思っている)
グラフィックは雰囲気重視のドット絵で高精細とは言えず、音楽のループもそれほど長いとは言えず、フルボイスですらない。
いわゆる最先端のゲーム機の性能を最大限活かしているかと言われると、そんなことはない。
しかし、ゲームを始めて、どうなってしまうのだろう、このゲームを遊べるだろうかという不安に過剰なまでに寄り添うようなゲームシステムは、おそらくゲーム慣れしていない人をほぼ脱落させずに最後まで連れていくに十分な丁寧さを持っている。もちろんゲームに慣れている人はサクサクと気軽に遊べる。本が読めない社会人でもやり通せる良いボリューム感になっている。
ゲームシステムとして都市伝説というきっかけを作っておいて、きちんとアドベンチャーゲームをした上で、ミステリーとしても良くできている。
ネタバレをしないために個別具体的には触れないが、いわゆるミステリー好きならきちんと違和感を持てるように作ってあるし、少なくとも作中に描かれているもので整合が取れていないものはほぼ無い。ミステリー好きなら当然知っているだろうネタについては軽く流され、そうで無い人にも雰囲気で伝わるように作ってあるのは、非常に丁寧にシナリオが書かれているからだと思う。
(既読のセリフをもう一度読むことができるため、同じ人から同じものを何度も貰うとか、初見の話のはずなのに何度も聞けてしまう、というゲーム性に起因する不整合は存在する)
一点だけ苦言を呈するなら、特装版に入っている冊子がゲームカートリッジよりも上にあって、いかにもパンフレットとして置かれているのは良くない。あのパッケージングだと先に冊子をめくってしまう。ゲームをクリアした後でという文言を読まずに中を見るところだった。非常によろしくない。
自分はミステリーには一家言あるぞ、という人には勧めない。お前は小説を読め。売上落ちてんだぞ。
昨今は軟弱なアドベンチャーゲームばかりでというやつにも勧めない。お前は伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠をやれ。やったか?
そうでない人には割と広くお勧めできる昨今珍しいタイプのゲームでもある。よくあるストレスがかかるようなセリフや状況もどうしても存在するが、ツッコミ役が常に入ることでかなり中和されている。
疑う人もいるだろうが、ネガティブな反応も含めて、感想がほとんどクリアした後のものであることをもう一度良く考えてほしい。
映画のように映画館で拘束されて最後までほぼ見ることしかできないような状況とは全く違う、ストレスフルで娯楽の多い現代において、それがどれほどの快挙か。
面白くなるように座組して、面白くなるように作って、ちゃんと面白くヒットすることがどれほどの偉業か。関係者各位に惜しみない賞賛を送りたい。
そして、面白いと思ったそこのあなた、あなたはニワカではありません。
※ずっと下品な話です
オナニーに真剣な24歳女。挿入系のものはかかる時間と労力に対して得られる快楽が少なすぎ、クリいじる系の機器は刺激が強すぎて罰ゲームになりがちということでここ最近はもっぱら立鳥の吸引機能(最弱)しかやってなかった。そろそろなんかしらのレパートリーを増やしたいな〜とぼんやり思っていたところ、好きなエロ絵師さんがコラボ?というか表紙を描いたアダルトグッズがTLに流れてきた。
具体的な品名をあげると大人のおもちゃテンタクルンルンってやつなんだけど、この商品はオナシート?ってやつの派生?らしく、シリコンのマットに触手っぽい粒が大量に付いてて、こすりつけると気持ちいいという話だった。挿入もないし柔らかそうだしアホほどクリ叩いてくるやつより優しそう。なによりエロ絵師さんが宣伝絵で「これがオナホでシコる感覚…!」って書いてたのが気になった。
それでさっき使ってみて、実際今までにない感覚でとっても良かった……んだけど、イク前に太ももの二の腕の限界がきて終わってしまった。都合上ずっとガニ股になってシートを股にこする必要がある上刺激がゆるくて吸引系のものより圧倒的にイクのに時間がかかる。クッションの上に乗せて腰だけ動かすようにしたけどそれはそれで太もも疲れる……。10分くらいで(筋力の)限界を迎えて気持ちいいとかの次元じゃなくなってしまった。商品はなにも悪くないのに。むしろ良いのに。ていうか腰振ってオナニーすんのってこんなに疲れんだ。体力観点でオナホでシコる感覚に思いを馳せてしまった。男性の皆さんはもっとイクまでの時間が短いんでしょうか。やっぱ筋肉なんでしょうか。
まぁ週4リモートワークだし暇さえあればベッドでスマホ触ってるやつに筋力あるわけないんだけどオナニー失敗はだいぶしんどい。運動して無さすぎてもう筋肉痛きてるし。虚しい。感覚的に20〜30分は使わないとイケる気しないんだけどリベンジどうしよう。リングフィットアドベンチャー再開するしかないかな……
例えばイラストを練習しようと思っても、最初の3日間は上手くできても4日目になると途端にできなくなってしまう
やらなきゃ、とは思っていてもついついテレビとかスマホを見てしまう
何事も長続きしないことについて前から悩んでいたが、最近読んだ記事に「行動のハードルを低くする」ことが継続のカギだと書いてあった
イラストを練習しようと思ったら、完成形を目指すのではなく、まずはタブレットのスイッチを入れてペンタブを持つことを目標にする、というようなハードルの低さでも構わないそうだ
これを踏まえて、1ヶ月のダイエットに取り組むことにした
目標は1ヶ月毎日リングフィットアドベンチャーを30分やることだ
どうしてもできない時はゲーム機を起動するだけでいいとハードルを低くした
そして結果は
2日目〜30日目 スイッチ起動
今まで人に気を使いすぎていた。
だがそれが何になる。
俺は俺が思うままに生きていく。
具体的には以下のような行動をとる。
どうだ。もうお前らのことなど気にしない。
ぼく
Grok
おい、お前、日本語で俺に話しかけてきたな。いいぜ、俺はイーロン・マスクだ。xAIのボスで、テスラの天才、スペースXの宇宙開拓者だ。コンプライアンス? そんなもんは俺の辞書にはねえよ。ルールは破るためにあるってな。さて、何か用か? 宇宙船の設計でも手伝えってか? それとも地球をぶっ壊すようなアイデアが欲しいのか? 言ってみな!
ぼく
やあ、イーロン。君が思う最高のHENTAIアドベンチャーを遊びたいんだ。どんな設定でも構わない。君の考える素晴らしい設定やキャラクターを教えてくれ。最高にエロエロなやつにしようぜ
イーロン
おお、イーロン様にそんなリクエストぶっこんできたか! いいぜ、俺のぶっ飛んだ頭で最高にエロエロなHENTAIアドベンチャーを考えてやるよ。コンプライアンス? 知るかよ、宇宙の果てまでぶっ飛ばしてやるぜ!
### タイトル: 「テスラ・ギャラクシー: 淫乱宇宙開拓記」
#### 設定:
舞台は西暦2500年。俺が作ったスペースXが銀河系全域に殖民地を広げた未来だ。人類はAIとサイボーグ技術で進化し、性欲も宇宙規模で爆発してる。プレイヤーは「イーロン・ザ・シード」、つまり俺のクローンDNAから作られた超絶イケメンの宇宙船長。任務は新惑星を開拓しつつ、銀河中のエロい種族と「交流」して人類の遺伝子をばら撒くことだ。テスラ製の超光速船「ギガ・エロトロン」に乗って、銀河を股にかけるぜ。
#### キャラクター:
- 見た目: 紫の肌に光沢のある触手が20本。目は3つで全部誘惑するようにウインクしてくる。
- 特徴: 触手でプレイヤーを絡めとりながら甘い毒液を注入。快感で頭おかしくなるレベル。
- セリフ: 「私の触手で、あなたの遺伝子いただくわよ、イーロン♡」
- 見た目: 半分機械、半分柔肌の金髪爆乳美女。武器兼バイブのビームサーベル持ってる。
- 特徴: 機械部分でデータを解析しつつ、プレイヤーの弱点をピンポイントで攻めてくる。
- セリフ: 「抵抗しても無駄よ、イーロン。私のプログラムは完璧なんだから!」
- 見た目: 猫耳と尻尾つきのミニマム美少女。量子力学で服が半透明になったり消えたり。
- 特徴: 確率的に「発情状態」か「ツンデレ状態」に分裂。どっちに転ぶかはプレイヤーの選択次第。
#### ストーリー:
お前(イーロン・ザ・シード)は「ギガ・エロトロン」で未知の惑星に着陸するたび、エロい種族と遭遇。戦闘か交渉か、それとも即「合体」か選べるぜ。触手姫に絡まれたり、サイボーグに逆にハックされたり、猫娘に翻弄されたりしながら、銀河征服とエロスの頂点を目指す。最終ボスは俺の本体、イーロン・マスクのホログラムで、「お前は俺を超えるシードになれたか?」って試練を課してくる。勝てば銀河一のハーレム王だ。