工場名が浮かび上がって見えるプレートなど、余部鉄橋鋼材のグッズ=兵庫県香美町香住区七日市 昨年7月に100年近い役目を終えて解体された兵庫県香美町香住区余部のJR山陰線・余部鉄橋の鋼材を加工した記念グッズが発売され、香住など但馬各地の観光協会で受け付けている。 鋼材はアメリカの工場が製造して1910年に余部に陸揚げされた。12年に鉄橋が開通。鋼材はサビ防止の処理を施されながら潮風に耐え、解体まで使用された。解体後「兵庫県但馬・鳥取県東部地域の交通・観光連携協議会」がJRから譲り受け、養父市の「津崎鋼材」が加工した。 工場名の「PENCOYD」が刻印された部分を切り取ったプレート(縦13センチ、横26センチ、厚さ1.5センチ)は3.7キロとずっしりした重さで鉄橋の頑丈さを感じさせる。限定200枚で、台や由来を書いたプレートなどが付いて7万円。 リベットで固定した鋼材の接続部(縦横7セ
かつて日本海をバックに旧余部鉄橋を一望できたJR山陰線・余部駅の展望台(香美町香住区)が2年半ぶりに復活する。今年8月に完成した新しいコンクリート橋への架け替え工事に伴い閉鎖されたが、鉄道ファンらの要望を受け、町が復活を決定。松葉ガニのシーズン(11月6日解禁)に間に合うよう、展望台への歩道を整備中だ。 展望台は駅の南側の高台にあり、多くの観光客や鉄道ファンが利用。春に鉄橋わきのサクラが満開になるとアマチュアカメラマンでいっぱいになるほどだったが、橋の架け替え工事で展望台に向かう道が撤去され、2008年4月に閉鎖されていた。 旧鉄橋に並んで建設されていた新しい橋の完成が近づくとともに、観光客らから「展望台に入りたい」という要望が町に寄せられるようになった。展望台はそのまま使える状態で、町は一部保存されている鉄橋の下をくぐって展望台に向かう長さ約130メートルの歩道(幅約1メートル)を約
コンクリート製の「余部橋梁」が開通し、一番列車が地元住民を乗せて通過した=12日午前6時31分、兵庫県香美町、新井義顕撮影開通したコンクリート製の「余部橋梁」を通る一番列車。乗車した地元住民が新橋から望める景色をカメラに収めていた=12日午前6時31分、兵庫県香美町、新井義顕撮影 98年間の歴史に幕を閉じた兵庫県香美町のJR山陰線・余部(あまるべ)鉄橋に代わるコンクリート製の「余部橋梁(きょうりょう)」(高さ41.5メートル、長さ310メートル)が12日開通した。2007年春の着工から3年余。午前6時半過ぎに一番列車が通過し、地元住民らが開通を祝った。 一番列車には住民約120人も乗車。日本海を望む橋梁を通過すると、「鉄橋より静かに走る」と声が上がった。余部地区連合自治会長の山本美津男さん(66)は「新しい橋を、地域のシンボルとしてみんなで守っていきたい」と話した。 余部鉄橋では19
鉄道ファンやカメラ愛好家、観光客ら多くの人に親しまれてきた、JR山陰線に架かる余部鉄橋。兵庫県香美町香住区余部にあるこの鉄橋はいま、鉄鋼製からコンクリート製に造り替える工事が進められており、工事の進捗率はすでに90%を超えた。福知山工事所(金子雅所長)の管轄で工事が行われ、8月12日からは新橋梁での運行が開始される予定。工事が進む現場を訪ねた。 旧余部鉄橋は1912年1月に架けられ、今年で“98歳”だった。骨組みで橋脚をつくり上に橋桁を乗せるトレッスル橋の工法で、全長310メートル、高さ41メートル。11基の橋脚を持ち、鋼材を組み合わせたトレッスル橋としては国内最長の規模だった。 しかし、海に近いため強風にさらされることが多く、1986年12月には回送中の列車が突風にあおられて7両が橋梁中央付近から落下し、多くの死傷者を出す事故が発生。これに伴い、秒速20メートル以上の風が吹くと香住−浜坂
◇香美で開催中 ◇美しかった冬の鉄橋 風雪に耐える姿、人生に通じるものが… 郵便局に勤めるかたわら半世紀にわたり、余部鉄橋の写真数千枚を撮り続けてきた地元のアマチュア写真家、千崎密夫さん(78)は、香美町香住区森のホッと蔵で「おつかれさん余部鉄橋 お別れ写真展」(25日まで)を開いている。解体が進む鉄橋に寄せる思いを聞いた。【皆木成実】 ◇鉄橋の撮影を始めたきっかけは? ◆82年の鉄橋開通70周年記念乗車券に、私が写した鉄橋を渡る蒸気機関車の写真が採用されました。その時に国鉄の人から「20~30年後には架け替えるだろう」と聞いたのです。鉄橋を通過する列車の音を時計がわりにするぐらい、鉄橋は住民にとってあって当然のもの。それがいずれなくなるというなら、記録に残さなければならないと考え、撮影テーマを鉄橋に絞りました。 ◇どんなところが魅力的ですか? ◆桜、水をたたえた田んぼ、稲穂、雪景色と、四
暗闇の中、鉄橋を渡る営業運転最終列車の特急はまかぜ5号鳥取行き。警笛を鳴らしながらゆっくりと通過していった(長時間露光)=16日午後9時50分、兵庫県美方郡香美町(澤野貴信撮影) 架け替え工事で撤去が決まり、最終日を迎えたJR山陰線の余部鉄橋(兵庫県香美町)を16日午後10時前、営業運転で最終列車となる「特急はまかぜ5号」(鳥取行)が通過した。 警笛を鳴らしながらゆっくりと走る列車を、全国各地から集まった大勢の鉄道ファンらが見送った。
余部鉄橋を最後に通過した特急はまかぜ=16日午後9時50分、兵庫県香美町香住区余部、飯塚晋一撮影最後の日を迎えた余部鉄橋には、鉄道ファンや観光客が大勢詰めかけた=16日午後、兵庫県香美町香住区余部、飯塚晋一撮影 JR山陰線の余部(あまるべ)鉄橋(兵庫県香美町)が16日、98年の歴史に幕を閉じた。朱色の美しい橋脚で、京都方面と鳥取・出雲方面をつなぐ鉄路を支え続けた。接続する余部駅には鉄道ファンが100人以上集まり、鉄橋を渡る列車にカメラを向けた。地元の住民らも惜別のセレモニーを開いた。 高さ約41メートル、長さ約310メートル。1912(明治45)年に開通した当時は「東洋一の規模」とも言われた。 しかし、86年12月、強風にあおられた列車7両が直下にあった水産物加工場に転落、従業員5人と車掌1人が亡くなる大事故が起きた。風による列車の運休や遅れも相次ぎ、風に強いコンクリート橋への架け替
間もなく解体される余部鉄橋(手前)。並行して新しい橋がほぼ完成している=兵庫県香美町香住区、伊藤写す 開通から98年間、その美しさで多くの人に愛されてきた兵庫県香美町のJR山陰線・余部(あまるべ)鉄橋が、架け替えのため16日の運行を最後に撤去される。一部は残されて「空中散歩」のスポットに生まれ変わり、解体された鋼材は研究に役立てられる。 冬場は松葉ガニの観光客らでにぎわう香美町の北端。山と山にはさまれた小さな集落をまたぐように、鉄骨の組み合わせでできた朱色の鉄橋が延びている。100年前の技術では2キロ以上の長いトンネルを掘れず、山の中腹同士を結ぶこの形になったとされる。 コンクリート製の橋への架け替え工事は、2007年3月に始まった。しかし、鉄橋は日本の鉄道史を刻む建造物。学識者や地元自治体、住民らでつくる「余部鉄橋利活用検討会」は、一部を保存するよう兵庫県知事に提言していた
「東洋一の鉄橋」として全国の鉄道ファンに親しまれながら、コンクリート橋への架け替えが進むJR山陰線・余部(あまるべ)鉄橋(兵庫県香美町)が16日、約1世紀の歴史に幕を閉じる。昭和61年には回送列車の転落事故という惨劇もあったが、暮らしとともに歩んできた鉄橋への住民の愛着は尽きない。地元住民らは当日、鉄橋直下と餘部(あまるべ)駅で「惜別の儀式」を行い、鉄橋を渡る列車を見送る。 明治45(1912)年に完成した余部鉄橋は全長309メートル、高さ41メートル。ヤグラ状の鋼材を組み合わせた壮大な外観を誇り、昭和50年代のNHKドラマ「夢千代日記」に登場するなど、山陰の観光名所になっている。 しかし、61年12月28日、回送列車が強風にあおられて転落。車掌と鉄橋下の工場の従業員計6人が犠牲になった。「あれだけの強風でも列車は走った。明らかに人災です」。妻を亡くした遺族連絡会長、岡本倫明さん(76)は
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