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はてなキーワード: 昭和53年とは

2024-08-18

煮詰まる」はいかにして「結論が出る」という意味になったか

それでは夏休み自由研究を発表したいと思います

最初

現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである

注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである

白樺派の例

調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたこである。そして同じく白樺派有島武郎長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブ意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。

大正10年 武者小路実篤自分脚本に就て』

僕は脚本はどうしても人間精神のあらわれである上に、煮つまったものであることを要求します。


大正10年 有島武郎『筆頭語』

心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。


大正11年 木村荘八『泰西名画家伝』

長官デリニのあやが「うまく」かかるもかからぬもなく、競技――即(すなわち)対抗の空気は忽ち煮つまるばかりであった。


大正13年 長与善郎『書斎より』

牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである


昭和5年 岸田劉生演劇美論』

全体として、一つの美しさを出すけれど、旧劇の如く煮つまった味はなく、その美は甘く、低級である


白樺派以外の例

もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブ用法も多かったようだ。

明治40年イヴィッド・パーリー『くらげ』

この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。

『じゃ、この国では、宗教煮詰まって了ったのですネ。』

もとは『The Scarlet Empire』というタイトルアメリカ小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。

大正9年 ドストエフスキー白夜

私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ

こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。

大正10年 岡本一平へぼ胡瓜』

何処かに法華宗があると見え、この熱気の世界の中へ煮詰まった声でお題目をいきみ出してる。

真夏暑い日に遠く法華宗お題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。もの煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。

大正12年 佐々木味津三『呪はしき生存

単にそれを考えるだけでも、彼は天地が煮つまるように感じていたたまらないような震撼を覚えた。

「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。

昭和2年歌舞伎 第三年第十三号』

森金之丞は正直にこれに答えるが、だんだん議場(公議所)の空気が煮つまって行き怒声、罵声騒然たる裡に第一場は閉じて行く。

議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか

昭和6年 大高巌『近代支那文学史上の先駆者

かるが故に自己生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度採用することは一に権力者に反抗する意志学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護有為なる人材を作ることになる。

こちらは「集中させる」「浪費させる」ようなニュアンスか。

昭和9年 式場隆三郎バーナード・リーチ

高村光太郎は余り外に出ない。併し仕事は煮つまってきていると思う。暫らく作品を見ない。

この式場隆三郎白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか

昭和10年 丸山幹治『黒頭巾を脱ぐ』

勿論コチコ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所認識する感服癖さえある。

こちらは「頭が固い」というような用法

昭和10年 ギュスターヴ・フローベールジョルジュ・サンドへの書簡

では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。

翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。

戦後の例

戦前武者小路実篤を中心に、小説詩歌戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論交渉煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。

それに関してわかりやすいのは「国会会議検索」で、戦前の「帝国議会会議検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。

となると次に気になるのは「議論煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブ文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。

昭和34年週刊現代

しか日本側は表面上は「朝鮮総連相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから問題は煮詰ってしまった。


昭和44年『先見経済

やはり人間災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのとき判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。


昭和47年ミュージックライフ

ハイスクールからジュニアカレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジライフ煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである


昭和50年キネマ旬報

その後の二本は結局むしかえしのドラマをやるしかなくて、無残な作品になってしまった

あれも、会社方針企画貧困の為せる業で、プロデューサー監督も完全に煮詰まってしまったんですよ


昭和51年レコード芸術

あい自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。


昭和53年スイングジャーナル

でも、いつか自分のやりたいことをやらないと苦しくなるというか煮詰まちゃうわけだよね。


昭和54年ジャズ批評

昔は、自分が何をやっていいかからなかった。やり過ぎると煮詰まってしまうし。


昭和56年週刊読売

「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まちゃう」「煮詰まちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」


昭和60年 毛利子来岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』

たとえば原稿書いてて、もう煮詰まっちゃって、しょうがない、寝よう、横になると、ア、と思いついちゃう


昭和60年 チャールズ・シェフィールド放浪惑星

その問題ととっくんでいるうちにわたしの頭は煮詰まってしまい、あとをマッカンドリューにゆだねた。


昭和60年 松浦理英子いちばん長い午後』

実はそれは性的遊戯の一環ではなく、二人の交際煮詰まってしまったあげくのもがき合いであった。


結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法議論交渉文脈しか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか

ちなみに、この「行き詰まる」用法誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰ま誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。

まとめ

といったところか。

煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。

それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブイメージ適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブイメージ適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。

もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然感覚である。当初から煮詰まる」は多義的比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。

発表は以上となります。ご清聴ありがとうございました。

2024-06-27

anond:20240627143938

押印のない私文書であっても、社名や個人名などが記名(※記名は自署である他人の代筆である印刷により表出したものであるかを問わない)

された私文書を無断で作成または改変すれば有印私文書偽造罪(刑法第159条第1項)が成立するという判例存在

裁判例)

大審院明治45年5月30日判決(刑録18号790頁)

東京高裁昭和53年11月21日判決東京高裁裁判判決時報29巻12号209頁)

※②は、公文書について同様に有印公文書偽造罪が成立するとされた判例

https://www.fsa.go.jp/singi/shomen_oin/shiryou/20200715/01.pdf


しゃあっ

2024-04-25

anond:20240425202936

師匠、御乱心!』は昭和53年落語協会から圓生一門が脱会した分裂騒動の内情を圓生弟子円丈が明かす暴露本騒動黒幕として兄弟五代圓楽人格までけちょんけちょんにこき下ろしているのはもはやコメディなのだが、敬愛する師匠言動に振り回され、周囲からどんなに罵倒されても圓生呪縛から逃れられず愛憎入り混じった感情に苛まれる円丈ら弟子たちの姿が哀しい。

とにかく爺さんとオッサンオッサンが信念と理想とドデカイ”情”でもつれ合ってる様が良い。

単なる上司部下ではない師弟という特殊関係性がどこまでもぐねぐねと人を結び続ける一方で、各々が矜持としてるもの面子が断絶を生んでる。

この本では主犯圓生でそれを可能にしたのが先代圓楽っていう描かれ方になってるけど、悪いというよりも全員「下手」なせいで事態悪化していってる。

ただ腹の内を晒して「ついてきてくれ」と言ってくれるだけで良かったのに……!が出来る/出来ないって些細だけでど大事ことなんだよなあ。

怒りや憤りを根底に書かれたものではあるけど、他者に対しては「俺はこう思った」がメインになってる&語り口も相まってどこかカラっとしているから、げんなりするような描き方は無い。作中にもある「(師匠を)憎んではいない。恨みもしない。ただ許しもしない」というのが全てなんだろうと思う。

先代圓楽の嫌われエピソード、具体的なエピソードよりも”弟弟子は誰も圓楽を「あにさん」と呼んでいなかった”っていうのがなんか一番なるほど感があった。

でもその圓楽には分裂騒動後もずっとついていった弟子達がいるわけで。そっちにもそっちの「物語」があるんだろうなあ。

https://open.spotify.com/episode/3N7RKG3gA8bwUXHC7pTuix?si=mt4njloFSb69bUSrwuvlXw

神田伯山がラジオで『師匠、御乱心!』を紹介してる回。聴いたら本のことがだいたいわかります

2022-10-19

[]あなた宗教は何ですか?

大野幸一君 あなたの生れた、おとうさんたちは佛教ですか、キリスト教ですか。

証人浦和充子君) そうではありません。

第3回国会 参議院 法務委員会 第9号 昭和23年11月26日 | テキスト表示 | 国会会議検索システム シンプル表示 https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=100315206X00919481126&spkNum=546#s546

理事岡部常君) あなた宗教は何をお信じですか。

証人(淺川隆治郎君) 私は日蓮宗です。

第4回国会 参議院 法務委員会 閉会後第3号 昭和24年1月7日 | テキスト表示 | 国会会議検索システム シンプル表示 https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=100415206X00319490107&spkNum=327#s327

松本(善)委員 私人としてというふうに言われるので、私聞くのですが、先ほど廊下で、一緒に行った森官房副長官あなた宗教何だと言ったら、仏教だと言う。あなた宗教は何ですか。

安倍国務大臣 私も仏教です。

第84回国会 衆議院 内閣委員会 第27号 昭和53年8月16日 | テキスト表示 | 国会会議検索システム シンプル表示 https://kokkai.ndl.go.jp/simple/detail?minId=108404889X02719780816&spkNum=395#s395

昭和53年まで定年は50歳でした(1978年

それが昭和54年から55歳になりました

平成6年に60歳(1994年

そして3年後には65歳

2022-06-24

人生に影響を与えたマンガ5

昭和53年まれ男性

ドラゴンボール

 初めてマンガでワクワクする気持ちを覚えた

うしおととら

 男の子生き方を学んだ気がする

寄生獣

 視点や考え方が広がった気がする

プラネテス

 生きるのが少し楽になった気がする

HUNTER×HUNTER

 半生を共に歩んでいる青春(?)のようなもの

皆さんは5つ選ぶとしたら、なんですか?

2021-08-05

丁寧に説明ランキング

国会議事録( https://kokkai.ndl.go.jp/#/ )から「丁寧に説明」「丁寧な説明」を検索し結果を取得、合算

発言者発言年で集計

発言総数は、5509回

 

発言者ランキング

安倍晋三  296

岸田文雄  108

石井啓一  60

西村康稔  55

麻生太郎  52

中谷元   50

菅義偉   49

茂木敏充  42

塩崎恭久  39

岩屋毅   37

吉川貴盛  35

望月義夫  35

野田佳彦  34

世耕弘成  33

林芳正   32

梶山弘志  25

野上浩太郎 25

下村博文  25

赤羽一嘉  24

太田昭宏  24

 

発言者が取得できず不明:272

 

 

■年別推移

令和3年 350

令和2年 391

令和元年 463 (平成31年を含む)

平成30年 621

平成29年 497

平成28年 432

平成27年 569

平成26年 446

平成25年 246

平成24年 188

平成23年 185

平成22年 93

平成21年 76

平成20年 77

平成19年 64

平成18年 102

平成17年 83

平成16年 53

平成15年 39

平成14年 43

平成13年 26

平成12年 31

平成11年 43

平成10年 20

平成9年 16

平成8年 12

平成7年 9

平成6年 6

平成5年 13

平成4年 8

平成3年 14

平成2年 11

平成元年 8

昭和63年 5

昭和62年 5

昭和61年 3

昭和60年 12

昭和59年 3

昭和58年 2

昭和57年 6

昭和56年 4

昭和55年 7

昭和54年 5

昭和53年 5

昭和52年 3

昭和51年 7

昭和50年 3

昭和49年 2

昭和48年 4

昭和47年 1

昭和46年 2

昭和45年 4

昭和44年 5

昭和43年 7

昭和42年 8

昭和41年 4

昭和40年 4

昭和39年 3

昭和38年 4

昭和37年 5

昭和36年 6

昭和35年 2

昭和34年 5

昭和33年 7

昭和32年 6

昭和31年 4

昭和29年 8

昭和28年 8

昭和27年 5

昭和26年 7

昭和25年 8

昭和24年 4

昭和23年 6

2020-02-28

anond:20200228220304

民法415条による判例があります

神戸地裁昭和53年8月30日判決判例時報917号103頁)

販売業者には「商品流通に置く者は消費者生命身体財産上法益配慮すべき注意義務がある」となっており

民事訴訟になる可能性があります

2019-10-14

国土強靱化いつやるの?今でしょう!

"「もう堤防には頼れない」 国頼みの防災から転換を" 日本経済新聞 2019/10/14 0:38[有料会員限定

"堤防の増強が議論になるだろうが、公共工事安易な積み増しは慎むべきだ。台風の強大化や豪雨の頻発は地球温暖化との関連が疑われ、堤防をかさ上げしても水害を防げる保証はない。人口減少が続くなか、費用対効果の面でも疑問が多い。西日本豪雨を受け、中央防災会議有識者会議がまとめた報告は、行政主導の対策ハードソフト両面で限界があるとし、「自らの命は自ら守る意識を持つべきだ」と発想の転換を促した。"

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50958710T11C19A0MM8000/

自然災害まで自己責任となると、そもそも国家とはなんのためなのかと思いますが、その点はともかく公共事業の積み増しはそんなに悪いことでしょうか?

公共事業関係予算は「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権予算編成を行った平成22、2324年度の当初予算において大幅に減少しましたが、東日本大震災被害を受けた災害復旧対策を計上した平成23年度補正予算で大きく増えました。その後「第二の矢」として国土強靱化を含む積極的財政政策を掲げるアベノミクススタートにより平成25年度予算では災害復旧以外の公共事業費も増えました。しかしながらその後は税収が順調に伸びているのに基本的に6兆円にフィックスされたままです。現在予算規模は昭和53年、40年前と同じ規模です。私は、アベノミクスの「第二の矢」は口先だけだと思っています。令和元年からは3カ年緊急対策として上乗せ分がありますが、消費税増税を睨んだマクロ経済対策の一環でしょう。

おそらくネットでは台風19号の被害を受けて、民主党批判からめてスーパー堤防がどうの、八ッ場ダムがどうのという議論があるのだと思いますが(確認はしていません)、私は個々の対策については効果判断するだけの知識はないので、そこは専門家がきっちり議論してほしいと思います問題にしたいのは、こうも災害が続くと、人の命を守るために「国土強靱化」の加速が必要なのではないか財政再建を強調して公共事業予算昭和50年代と同じかそれ以下に留めておくことが、財源として国債発行によるべきでないという意見が、現在マクロ経済環境のもと相当なのかということです。

むろん、専門家議論に基づいたワイズ・スペンディングが前提ですが、必要対策を施さないまま大きな被害が生じれば、復旧のために予算が使われるのですから防災対策としての公共事業費と復興のための公共事業費は、「人が死ぬ前に出すか、人が死んでから出すか」の違いでしかありません。「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、公共事業費を当初予算で5兆円以下にまで削減した民主党政権が、東日本大震災復興のために3兆円近くの補正予算を組んだのがその実例です。

そして公共事業によりまず恩恵を受けるのは、地方に住む高卒以下の限られた学歴しかない労働者、次いで災害危険さらされている地方住民です。彼らは1997年からしつこく続くデフレ圧力のもと、もっとも大きな経済的な困難に見舞われた人たちです。

ところで、公債発行による財政支出の拡大は、そもそも何が悪いのでしょうか? 公債は、償還期限が来ても借り換えができれば問題ないので、個人借金と異なり、国が続いている限り、返済して残高をゼロにする必要はありません。

にもかかわらず公債発行が問題になる理由は、第1に民間投資を阻害してクラウディング・アウトを生じさせることです。そのメカニズムについてはマクロ経済学の教科書IS-LM分析をみていただきたいのですが、利子率がゼロ近辺かそれ以下に達し、LM曲線が水平に近い状況、「ゼロ金利制約」「流動性の罠」が発生しているときには、クラウディング・アウトは生じません。現在日本はその状態にあります

第2に大量の公債発行が続くと、財政支出に占める公債費の割合が上昇し、財政硬直化の原因になることです。しかしながら、2000年度の財政支出に占める公債費の割合24%であったのに対して、2019年度は23.6%です。公債費の割合は近時特に上昇しているわけではありません。近年、新規国債発行額、公債依存はいずれも低下しています。利払いは年間9兆円弱、これは昭和59年と同じ水準です。財政健全性はフローとの比率でみるべきですが、GDPにしめる利払いの割合は史上最低レベルにあります

第3に、負担を将来世代転嫁して、世代間の公正を阻害することです。よく言われる「子孫に借金を残すな」というフレーズは多分これを指していますしかしながら、国債外国人にもたれている場合は、償還の際に外国資産流出しますが、日本国内に留まる場合は、仮に償還の資金増税ファイナンスしても、税金を払うのも償還を受けるのも日本人です。利用可能資源の総額は変わりません。現在日本国債の90%は日本国内で保有されていますしかも半分は日銀です。さらに、防災・減災対策としての公共事業により、子孫は災害に強い社会資本享受することができます受益するのが子孫であれば借金を子孫に残しても不合理ではありません。

すべての政策決定には必然的リスクがあります。確かに政府債務の増大は破綻リスクを高めます問題は将来実現するかも知れない、実現しないかも知れないリスク考慮して、実現し、実現しつつあるリスク対処しないでよいのか、ということです。私は現在環境自然災害の多発、慢性的デフレ圧力需要不足、その結果としての地方疲弊・限られた学歴労働者の困難・超低~マイナス金利-で、国債発行による公共事業積極的な拡大は、是非とも必要だと考えています

国土強靱化いつやるの?今でしょう!」どうか政治家のみなさま、よろしくお願いします。

過去増田です

"れい新選組立憲民主党 どちらが正しいか (自民党とどちらが正しいか追記しました) "

https://anond.hatelabo.jp/20190622204530

"金融政策はこれからマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるのか サマーズとクルーグマンツイートより"

https://anond.hatelabo.jp/20190824134241

追記

ご参考までに。

"公的債務に対するより寛容な態度を批判する人たちがまちがっている理由" オリヴィエブランシャール&アンヘル・ウビデ 2019年7月15日8:00 AM

https://www.piie.com/blogs/realtime-economic-issues-watch/why-critics-more-relaxed-attitude-public-debt-are-wrong

"世界経済金融政策ブラックホールリスクさらされている-政府は長期停滞を食い止めるためにもっと借金を"  ローレンス・サマーズ  2019年10月12日フィナンシャル・タイムズ

https://www.ft.com/content/0d585c88-ebfc-11e9-aefb-a946d2463e4b

2019-09-22

anond:20190922012215

第2章 歩行者の心得

第3節 横断の仕方

3 信号機のない場所で横断しようとするとき

(3) 車が近づいているときは、通り過ぎるまで待ちますそして、もう一度右左をよく見て、車が近づいて来ないかかめましよう。

交通方法に関する教則(平成30年12月14日現在昭和53年10月30日 国家公安委員会告示第3号

https://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/kyousoku/index.htm

ルールやな

2019-04-24

anond:20190422225235

せっかくなので調べた

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%B4%E3%82%8C%E3%82%93%E5%9D%8A%E5%B0%86%E8%BB%8D

暴れん坊将軍』(あばれんぼうしょうぐん)は、1978年昭和53年から2002年平成14年)にかけてテレビ朝日系列レギュラー放映されたテレビ朝日

 

結構再放送されてるよね

 

地上波CS放送[2]などで頻繁に再放送実施されている。特に2010年代時代劇専門チャンネルにおいては、シリーズ各作がほぼ常時放映されている。また、BS朝日でも、2018年4月2日から平日の午後に再放送されている。(高校野球などで休止となる場合もある)

 

でも再放送日中かにやってるケースが多いから、記憶にあまり残らないのかな?

2002年の時に物心ついてる(12歳くらい?)とすれば、1990年まれまでは認識があると予想

まり2019年時点では29歳

 

マツケンサンバ2004年)の強烈な印象も加味すれば、20代ギリギリ普通知ってる」と言っていいのかな?

やはり10代になるとちょっと怪しいかもしれない

 

ちなみに水戸黄門2011年まで地上波でやってたらしいからまだいけるぞ!

まだ国民的と言っていい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E9%BB%84%E9%96%80_(%E3%83%91%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF_%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%BC)

 

遠山の金さんは、長期でやるやつは1998年に止まってる

2007年にワンクールだけやってるから

知ってるけど見たことない人は結構居そう

 

必殺仕事人は毎年のように新しいのやってるけど、スペシャルなんだな

ドラマの方は1981年

昼に何度も再放送してたけど、流石に古いよな

 

2000年以降、妙に大河ドラマ存在が大きくなってきた気がしていたが、そもそも長期の時代劇ドラマが下火になったからなんだな

時代劇って何で流行ったんだろうね

2018-07-18

[] 東條英機麻原彰晃の相違点

 

遺骨と墓

絞首刑後、東條らの遺体は遺族に返還されることなく、いったん川崎市米軍基地に車を入れた後、午前7時半、横浜市西区久保町久保山火葬場に到着し、火葬された遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄された。

小磯國昭弁護士を務めた三文字正平と久保山火葬場の近隣にある興禅寺住職市川伊雄は遺骨の奪還を計画した。

同年12月26日の深夜、三文字らは火葬職員の手引きで忍び込み、残灰置場に捨てられた7人分の遺灰と遺骨の小さな欠片を回収した。

回収された遺骨は全部で骨壷一つ分程で、熱海市伊豆山興亜観音に運ばれ隠された。

1958年昭和33年)には墳墓の新造計画が持ち上がり、1960年昭和35年8月には愛知県幡豆郡幡豆町(現西尾市)の三ヶ根山の山頂に改葬された。

同地には現在殉国七士廟が造営され遺骨が祀られている。

 

合祀

東條英機は自らが陸軍大臣だった時代陸軍に対して靖国神社合祀のための上申を、戦死者または戦傷死者など戦役勤務に直接起因して死亡したものに限るという通達を出していたが、彼自身のかつての通達とは関係なく刑死するなどした東京裁判戦犯14名の合祀は、1966年昭和41年)、旧厚生省(現厚生労働省)が「祭神名票」を靖国神社側に送り、1970年昭和45年)の靖国神社崇敬者総代会で決定され、靖国神社1978年昭和53年)にこれらを合祀した。

 

2018-04-26

anond:20180426221904

敬老公債(2/2)

天声人語 1978年昭和53年5月7日

 この欄で「敬老公債」の話を紹介したら多数の投書をいただいた。「老人に生きがいを与える素晴らしい案だ。ぜひ実現させてほしい」という趣旨のお便りが多かった。なかには、「七十二歳組の敬老公債一口さっそく申し込みます」という気のはやいお年寄りもいた

老後への不安は強い。老人だけの世帯が急速にふえている昨今では、なおさらである長生きをすればするほど受け取る額がふえるというこの構想は、そういう意味ではなかなかの卓見

五十歳なら五十歳、七十二歳なら七十二歳の人々が年齢別の組をつくって公債を買う。七十二歳で一口百万円の公債を買えば、その利子は年ごとにふくらむ。八十歳では三十数万円になり、百歳を超えれば実に十億円もの巨額になる。死者の利子が長寿者の利子に加算されるためである

この案の下敷きになったトンチン年金というのは、イタリア人のトンチ(一六三〇ー一六九五)がいいだしたもので、十七、八世紀のフランス成功した制度だという。提唱者の中山平氏(興銀相談役)によると、健康公債という案も出ているそうだ

この案では、たとえば六十歳の時に百万円の健康公債(年利八分五厘)を買い、受取日を十五年後に指定すると、七十五歳の満期に約五百二十万円を受け取ることができる。この場合も、満期の前に死んだ人の分は生存者の分に加算されるからふつう複利計算よりは、はるかに多額になる。二十五歳の結婚時に十万円の債券を買うと、満期の金婚式の時の受取金が約一千万円になるともいう

敬老公債あるいは健康公債目的は、第一に、長寿者の生活をよりゆたかにすることであり、第二に、公債発行による巨額の資金を、老人福祉対策などに思い切って使えることだ。中山はいう。「いまのところ、手ごたえはかなりのものです。難しい法律問題もあるが、どこかの地方自治体がまず先導試行をしてくれないか、と実は期待しているんです」

敬老公債(1/2)

天声人語 1978年昭和53年1月30日

 ひとつ提案したいことがある。政府自治体は「敬老公債」といったものを思い切って考えてみたらどうだろう。長生きすればするほど、利息がどんどんふえるというような、夢のある公債があってもいいのではないか。同時にそれは借金財政の助けにもなる

べつに筆者の思いつきではない。『如水会々報』という雑誌座談会で、中山平氏(興銀相談役)がこの、老人のための公債の話をしている。中山氏の話は、どうやら十七、八世紀に欧州ではやったトンチン年金が下敷きらしい

敬老公債の仕組みはこうだ。まず五十歳なら五十歳、七十二歳なら七十二歳の同年齢の人が組になって、一口百万円(十万円でもいい)の公債を買う。七十二歳組が一万人集まって一口ずつ買えば、百億円の公債が発行されることになる

計算をしやすくするため金利を仮に一割とする。最初の年はひとりあたり十万円の金利が入る。さて、ここが問題だが、この公債の特色は、死んだ人が利息を得る権利を失い、その分が生き残った人々に配分されることだ。そのため、七十二歳の老人は八十歳まで生きれば利息が三十数万円にふえる。百歳を越えてひとり生き残れば十億円の利息をそっくりもらえる勘定になる

いくら何でも十億円を一人じめするのは、という非難があれば、利息の最高額を五千万円ていどに制限してもいい。問題は、この制度が「長生きはしたいが、どうして暮らそう」という不安に少しでもこたえることができればいいのだ

永久国債の形にすれば政府は利息だけ払えばいいわけで、元本を財源にして、老人福祉に思う存分、金をつぎこめる。老人がなんらかの仕事をしながら生き生きと暮らせる施設をつくる財源にしてもいい

こういう制度を生み出すには難問題が待ちかまえていることはわかっている。しかし、片や借金財政、片や高齢化社会、というさしせまった時代を乗り切るには、大ぶろしき的な空想こそ必要なのではないか時代はむしろ「夢見る力」を求めている。

2016-10-20

政令指定都市市長の経歴一覧に見る都市構造cf Chikirinの日記

ちきりん

 知事の経歴一覧に見る昭和構造

 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20161017

を見て、じゃあ政令指定都市はどうなっているんだと単純に疑問に思い調べてみた。

ソース指定都市長会のホームページ

政令指定都市市長の経歴一覧>

政令市市長生年回数経歴
網掛け=女性市長70歳以上5期以上中央官庁出身
札幌市秋元克広昭和31年1期市職員
仙台市奥山恵美子昭和26年2期市職員
さいたま市清水勇人昭和37年2期県議会議員
千葉市熊谷俊人昭和53年2期NTT、市議会議員
川崎市福田紀彦昭和47年1期県議会議員
横浜市林文子昭和21年2期日産ダイエー
相模原市加山俊夫昭和20年3期市職員
新潟市篠田昭和23年4期新聞記者
静岡市田辺信宏昭和36年2期市議会議員県議会議員
浜松市鈴木康友昭和32年3期衆議院議員
名古屋市河村たかし昭和23年2期衆議院議員
京都市門川大作昭和25年3期市職員
大阪市吉村洋文昭和50年1期弁護士市議会議員
堺市竹山修身昭和25年2期府庁職員
神戸市久元喜造昭和29年1期自治(総務)官僚
岡山市大森雅夫昭和29年1期建設国土交通官僚
広島市松井一實昭和28年2期労働(厚生労働官僚
北九州市北橋健治昭和28年3期衆議院議員
福岡市髙島宗一郎昭和49年2期キャスター
熊本市大西一史昭和42年1期商社県議会議員

こうして見ると、中央官庁出身者は20人中3人で多くはない。全員中国地方近辺というのは偶然か。

多いのは地方議員(6人)と自治体職員(5人)で合計すると過半数だ。

やはり地方行政組織選挙政治)に密着しているのは強みなのだろう。

民間企業経験者は5人(うち2人はその後、地方議員経験あり)、女性は2人と、

少数派ではあるが、都道府県知事に比べれば構成率は高い。

ちきりんの言う「改革派市長ばかりではないだろうが、都道府県知事比較してみると概ね、

 ・若い

 ・期数が短い

 ・中央官僚は少ないが、政治行政出身が多いことは変わらない。

というのは確かだ。

この結果として、非都市部と比べて、住民利益を受けているのか、不利益を受けているのか、

あるいは、中央対峙しているのか、そうではないのか、といったことは、よく考えてみると、

とても面白いのではないだろうか。それに、各都市構造も一様ではない(大阪市浜松市では中枢性が違いすぎるように)。

また、都市の中の都市である東京23区首長の経歴がどうなっているのかも、調べてみると興味深いだろう。

ぜひ誰か調べてみてほしい。

2016-02-27

日本国立大学にかかる学費の移り変わり

昭和50年授業料36000入学金50000検定料5000

昭和51年授業料96000入学金50000検定料7500

昭和53年授業料144000入学金60000検定10000

昭和55年授業料180000入学金80000検定料15000

昭和57年授業料216000入学金100000検定料17000

昭和59年授業料252000入学金120000検定料19000

昭和62年授業料300000入学金150000検定料21000

平成元年授業料339600入学金185400検定料23000

平成3年授業料375600入学金206000検定料25000

平成5年授業料411600入学金230000検定料27000

平成7年授業料447600入学金260000検定料29000

平成9年授業料469200入学金270000検定料31000

平成11年授業料478800入学金275000検定料33000

平成13年授業料496800入学金277000検定料33000

平成15年授業料520800入学金282000検定料33000

これからは年25000ずつ上げていき2031年は授業料930000まで上げる予定

この若者年収が下がっている時代狂気の上げ幅だが国立大学富裕層の子供が多いので問題ないとの事

2016-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20160217154932

当時は女は若いうちしか働けないし、男も結婚出産しないと出世できないし、24までに結婚して子供を数人産まないと信用できないまともな大人じゃないと言われて強い社会的圧力があったからね。

バブル前後国立大学費の移り変わりを書くけど、数年単位で凄い勢いで育児に金がかかるようになっている事がわかると思う。

子供はなかなか死ななくなったし、老後は子供が見る価値観も消えてきたし、国立に上がったら安い学費大学に行かせてもいいって社会から私立でも子供大学にやらないと可哀想になって、塾やらも一般的になり急激に子供を産まない圧力がかかった時代なんだよ。

昭和50年授業料36000入学金50000検定料5000

昭和51年授業料96000入学金50000検定料7500

昭和53年授業料144000入学金60000検定10000

昭和55年授業料180000入学金80000検定料15000

昭和57年授業料216000入学金100000検定料17000

昭和59年授業料252000入学金120000検定料19000

昭和62年授業料300000入学金150000検定料21000

平成元年授業料339600入学金185400検定料23000

平成3年授業料375600入学金206000検定料25000

平成5年授業料411600入学金230000検定料27000

平成7年授業料447600入学金260000検定料29000

平成9年授業料469200入学金270000検定料31000

平成11年授業料478800入学金275000検定料33000

平成13年授業料496800入学金277000検定料33000

平成15年授業料520800入学金282000検定料33000

2015-03-31

自称モラトリアム

モラトリアムとは

学生など社会に出て一人前の人間となる事を猶予されている状態を指す。心理学者エリク・H・エリクソンによって心理学に導入された概念で、本来は、大人になるために必要で、社会的にも認められた猶予期間を指す。

 ・日本では、小此木啓吾の『モラトリアム人間時代』(1978年昭和53年))等の影響で、社会的に認められた期間を徒過したにもかかわらず猶予を求める状態を指して否定的意味で用いられることが多い。

・"moratorium"の語源は、ラテン語の "mora"-遅延,"morari"-遅延する である

(Wikipediaより)


1992年に生まれた私は、今年で23歳になる。

後れることな大学まで進学し卒業した同年齢の人々は、明日から社会人となるそうだ。

私は、彼らに対して大きな隔たりを感じる。

私は進学を自分で決めたにもかかわらず、新社会人となる彼らに数年の後れをとってしまっている。

それも、特に理由があったわけではない。同じような人間に囲まれて、ただ時間を過ごしただけだ。

高校卒業して暫くの間、なんとなく自分大学でやっていけるかどうか、漠然とした不安は抱えていた。

ところが、大学に入ってみて今に至るまで、ほとんど不自由していない。

孤立根深日本社会の一部とはおよそ考えられぬ程度には交友が広がり、特に不満もない。

―私の過ごした「モラトリアム」は、一体何だったんだろう

明日からの私は、モラトリアムを「返済」する。

無為に過ごした時間は返ってこないが、せめて人並みになれるよう努力せねばならない。

卒業、おめでとう。

P.S. 今年も桜がきれいです。あなたの街にも、咲いていますか?

2014-09-10

小学生の頃だったか

恐らく昭和53年かそこらの頃

近所に、ファミコンを何台も並べて

小学生に有料で遊ばせるという商売を始めたオッサンがいた

イマイチ記憶がハッキリしないのだが、一時間百円てところだったと思う

まあ当時であろうとも許される訳もなく、

そのうちオッサンは警察に連れてかれて店も閉店した

閉められた店の扉には

オッチャンは悪くない

オッチャンは君たちに楽しんでもらいたかっただけなんや

でも警察に怒られたかバイバイやで

という張り紙が貼られていた

あのオッサンはまだ生きているのだろうか

2013-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20131002164552

左側通行なんだから、運転者から見て左、対向車が右に来るように避けろ

逆走時は車道寄りに走り、順方向の自転車とすれ違う時は歩道中央側(運転者から見て右)に避けます重要

道路交通法第63条の4 国家公安委員会告示交通方法に関する教則」

交通方法に関する教則(平成244月1日現在

昭和53年10月30日 国家公安委員会告示第3号

http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/kyousoku/index.htm

第3章 第2節 の 2の (10)

(10) 歩道でほかの自転車と行き違うときは、速度を落としながら安全な間隔を保ち、歩行者に十分注意して、対向する自転車を右に見ながらよけるようにしましよう。

対向する自転車が右に来るように避けるんだからハンドルは左に切れ。

歩道の最右側を左側に通行。

 

順走行だから 逆走行だから ではなく、どちらに向かって走っていても常に左にハンドルをきるって教えないとだめ。

簡単に覚えられるルールを複雑に教えるな。

2008-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20081003234531

全部が全部中曽根ってわけじゃないがゆとり教育スタート1985年の臨教審というのは教育問題語る上では一般的な認識と思われ。

うぃきぺでぃあによると、

1972年昭和47年) 日本教職員組合が、「ゆとり教育」とともに、「学校5日制」を提起した(2007年7月1日放送TBS報道特集」にて 槙枝元文元委員長発言)。

1977年昭和52年)??1978年昭和53年学習指導要領の全部改正 (1980年度〔昭和55年度〕から実施)

学習内容、授業時数の削減。

ゆとりと充実を」「ゆとりと潤いを」がスローガン

教科指導を行わない「ゆとり時間」を開始。

ってことだから1985がスタートとは言えなくてもっと前からあるものでは?一般的な認識だから正しいとか言ってたら嘘でもみんなが日教組のせいと思ったたらそれが正しいって事になっちゃう。

自社さ政権社民与党にいた間は日教組与党に影響を及ぼす余地がある程度あったのは否定できないが、非自民政権1993から1994年、自社さ政権1994から1998年週休2日制に移行し始めたのが臨教審を受けた1989年改正1992年開始、ゆとり要項が1999年改正2002年開始。

1996年でも中教審で「ゆとり」を重視の学習指導要領を導入されてるから社会党政権にいた96年でもとまることなく、着々とゆとり化は進んでたんじゃないの?

結果的にそれは未曾有の大失敗に終わったし、当時から非難は多かったのだけれど、当時の政府は本気で規制緩和だと思っていた。

未曾有の大失敗というのはどういう根拠なのか気になる。

小泉政権くらいの頃はまだ「ゆとり日教組のせい」というような論は見かけなかったように思う。自民いつ頃からこんな恥知らずなことをほざくようになったのだろうか。

それって本当に自民党の公式見解なの?

ただ70年代日教組が言い出してたらしいから、日教組のせいといえなくもないが、政権与党にいた期間が長い自民党責任が大きいのは否定しようもないけど。日教組が言ってる政策でも悪いと思うなら採用しなきゃいいだけなんだし。

2008-04-25

3万4427人、悲しき真相 

 02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界日本が実質自殺率1位でした。 

マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。

年次別自殺者の推移を見てみると、1978年昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。

同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性マネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。

命あってこそ! 

人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京上野公園小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産ビル・ゲイツ幸福とは限らないのですから。

人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。

自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。

スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。

ニッポン人の劣化  

日本アメリカ20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守革新哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本今日経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。

亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近マスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者ひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本高校生 自分は駄目」「検挙少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。

さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。

ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。

だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。

芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人メンタリティーが、価値観マネーに置く文明人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。

 
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