バブル経済の好景気が陰りを見せ始めた1990年。国家プロジェクトだった「ソフトウエア生産工業化システム構築計画」、通称Σ計画が失敗に終わり、日本IBMは「DOS/V」を発表した。バブル経済に沸いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の栄光は次第に陰りが見え始めた。
手元に一冊の古本がある。 タイトルは「マンガ ソフトウェア革命」、1987年10月31日にコロナ社から発行された初版第一刷である…などと情報を小出しにするのは止めよう。本書の副題は「Σプロジェクトの全貌」、監修が IPA(情報処理振興事業協会 シグマシステム開発本部)、これでどうだろう。 まだ何のことか分からない? ということはあなたはΣプロジェクトのことをご存知ないのですね。実は僕も詳しくは知らなかった。時折なにかの拍子に名前を聞くことはあったが、それについて詳しく説明してくれる人はいなかった。僕が知っていたのは、藤原博文さんが「(コ)業界のオキテ」で書かれた文章の導入レベルである。つまり、それが1980年代半ばに産業構造審議会から出された将来ソフトウェア技術者が大量に不足するというソフトウェア・クライシス予測を受けて、通産省(現経済産業省)が立ち上げた国家プロジェクトであるということ、
かつて、日本のコンピュータ技術を、たった一つの技術にまとめ上げようとする計画があった。 「Σ(シグマ)計画」 Σとは、統合を表す。 官僚による、コンピュータ技術の統合。 しかし、 通産省の主導の元、総額250億円にのぼる国家予算を費しながら、コンピュータ技術の発展になんの功績も残さず、計画は水胞に帰した。 これは、膨大な国家プロジェクトの、失敗の物語である。 「庶民にとってコンピュータは遠い存在だった」 「すり替えられた目的」 「はびこる腐敗」 「ロースペックに敗けた」 「口を閉ざす人々」 「闇に葬られたプロジェクト」 1984年 通商産業省。通称、通産省の役人が、一人の男の元に訪れた。 岸田孝一。 当時、まだ珍しかった独立系(どのハードメーカーにも属さない)ソフトウェア会社を興した男である。 やって来た役人は、岸田に切り出した。 「通産省では、ソフトウェア産業の発展のために、国家事業を興
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "Σプロジェクト" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2016年6月) Σプロジェクト(シグマプロジェクト)とは、1985年(昭和60年)から1990年(平成2年)にかけて進められた日本政府の国家プロジェクトである。Σ計画(シグマけいかく)とも呼ばれる。シグマ(SIGMA)とは「Software Industrialized Generator and Maintenance Aids」の頭字語であり「ソフトウェア生産工業化システム」と別称されていた[1]。通商産業省(現経済産業省)所管の情報処理振興事業協会 (IPA) が
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