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はてなキーワード: クリストファーとは

2024-10-30

国連女性差別撤廃委員会調査報告をみんなで読もう!

2024年10月 ベナン・カナダ・チリ・キューバ・日本・ラオス・ニュージーランド・サウジアラビア

2024年6月 ブラジル・エストニア・クウェート・マレーシア・モンテネグロ・韓国・ルワンダ・シンガポール

2024年2月 中央アフリカ共和国・ジブチ・ギリシャ・イタリア・ニジェール・オマーン・タジキスタン・トルクメニスタン

2023年10月 アルバニア・ブータン・フランス・グアテマラ・ジャマイカ・マラウイ・ニカラグア・フィリピン・ウルグアイ

2023年5月 中国・ドイツ・アイスランド・サントメプリンシペ・スロバキア・スペイン・東ティモール・ベネズエラ

2023年2月 バーレーン・コスタリカ・ジョージア・ハンガリー・モーリタニア・ノルウェー・スロベニア・チュニジア

2022年10月 アルメニア・ベルギー・フィンランド・ガンビア・ホンジュラス・セントクリストファーネイビス・スイス・ウクライナ

2022年7月 アゼルバイジャン・ボリビア・モンゴル・モロッコ・ナミビア・ポルトガル・トルコ・アラブ首長国連邦

2022年2月 ドミニカ共和国・ガボン・レバノン・パナマ・ペルー・セネガル・ウガンダ・ウズベキスタン

2021年11月 エクアドル・エジプト・インドネシア・キルギス・モルディブ・ロシア・南アフリカ・南スーダン・スウェーデン・イエメン

2024-07-21

anond:20240719061904

こういうのって何ていうんだ。こういうの、前にもあった。

倉庫の扉を開けるにはロメロが持ってる鍵が必要で、そのロメロに鍵を渡す指令を出せるのはジョーンズ船長だけで、ジョーンズ船長に会うには彼の機嫌がいいかどうかを確かめておく必要があり、それを料理長に教えてもらうためには煙草必要で、サイモン博士から煙草をもらうためにはコカの実を渡さないといけないので、それを積荷からちょろまかすためにイズミルに…

のような。

ある問題解決しようとすると別の問題解決しなきゃいけなくなって、それを解くためにはまた別の課題が生まれて。

こんがらがった結び目を落ち着いてゆっくり解いていきたいけれど、果たして俺は今何個目の入口をくぐったのだったか

入口から入ったら、別の出口を探してそこから出ないといけない。そうしないと、死ぬ。そのルール理解した。ルールを破る者は羊ですらも捻り殺された、とロメロは言っていた。俺たちは声を揃えて「だから言ったのに」と進言を無視して入港したジョーンズをなじったが、いまさらだった。

最初に商館に入った(いや、上陸最初か、もしかしたら入港自体最初の「入口」だったかもしれない)俺は、2階に上がって館長の部屋を訪ねた。しかしそこはなぜかよく手入れされた庭園で、俺は混乱したが(今思えば運良く)元の場所に戻ろうとせず、庭園奥の聖堂(に見えた)の門を開けた。門の奥は俺が商館で用を済ませた後に行くはずの、何度か泊まったことのある宿泊所で、そこにはロメロが立ち尽くしていた。

ロメロによると俺は便所に通じるはずの扉から出てきたそうだ。そこで俺たちは情報を交換し、ジョーンズの阿呆をなじり、ため息をついてそれぞれに出口を探した。入ったところが違うのだから、俺とロメロの「出口」は別なのかもしれない。俺は中庭に通じる裏口から出たが、ロメロは「まだ探してみる」と言って俺を見送った。

それからはどの乗組員にも会っていない。

商館の1階で待っているはずの書記官中尉はどうしているだろうか。

娼館、農具置き場、生まれ故郷納屋、真っ暗な洞窟、だだっ広い牧場…などを通り過ぎて俺は今、原地人の家にいる。また「出る」のではなく「入って」しまった。もう何度、出ようとして別の場所に入ってしまたかからない。死んだ目をした原地人たちはしかし親切で、食事をくれたり寝床を用意してくれたりする。ここでずっといればいいかと考えもしたが、俺はまた別の扉を開けてしまう。

奥に鏡だけがある真っ白い部屋。また「入って」しまった。今閉めた扉の後ろから、原地人たちの拍手と歓声が聞こえた気がする。

俺は止まったら死ぬ魚になったような気持ちで、また「入って」いく。セントクリストファーネビスの、より奥へ。さらなる深みへ。そこに映る自分を粉々にしながら鏡を割って。

2024-07-19

anond:20240629031010

私はこの時をずっと待っていた。

 

船内は明らかに混乱していた。その証左に、私たち囚われ人の前に今朝から一度も奴らは現れていない。いつもは日が昇ると同時に私たちは奴らに鞭で追われて甲板に上がるのだが、今日はもう日が暮れようとしている。

もちろん、昨日から船がどこかの港に停泊しているということもあるのだろう。奴らの人数も、いつもが十だとしたら二か三くらいしかいない、そのような気配が感じられる。

折り重なるようにして寝ている私たちを、常に狙っていた火を吹く黒い筒も、据えられた台座の横にいるはずの者がいない。

 

私たちはあの黒い筒のと交換で、この船に押し込まれ、囚われの身となった。私たちとの争いに勝った部族の王は、降伏した私たちを奴らに引き渡して、あの人殺しの筒を買ったのだ。

私たちはずっと鎖で繋がれ、太陽の出ている間はろくな食い物も水も与えられず労務を課せられた。怪我人や病人は放っておかれ、その程度が重ければ海に捨てられた。そして日暮とともに船の底のほうの暗い場所に押し込まれ、繋がれたままほとんど眠れない夜を過ごした。

 

私も例外ではなかったが、一つだけ違うのは、足首に繋がれた鉄の輪が開くようになっていたことだ。最初に鍵をかけ忘れたらしい。

しかし私はそれに気づかないふりをし続けた。いつでも自由に走り出せると知っていながら、走り出しても撃ち殺されない時を待った。

目の前で何人も仲間が死んだ。病で。空腹で。極度の渇きで。奴らによる無意味虐待で。犯された後に殺された男児もいた。

しかし私は足首の輪を外さなかった。歯を食いしばりながら、そこにある自由を見過ごし続けて時を待った。

 

そしてようやく、その時が訪れた。

奴らが「セントクリストファーネビス」と呼ぶ、この港に着いて一昼夜が経ち、明らかに奴らは何か別のことに気を取られていた。今日一日を日の当たらない船底で過ごした私は、漏れくる陽光の傾きと弱まりから日暮が近いのを知る。

完全に暗くなっては行動ができない。

奴らよりは夜目が利く私は、黄昏を待ってついに足輪を外す。まずは私と二人一組として繋がれていた男に、声を出さないように促しながら、行動開始を合図する。

そこから今日一日かけて事前に打ち合わせしたとおりに事が運んだ。大きな物音を立てて番人をおびき寄せ、待ち構えた私たち二人で声が出ないように縊り殺し、鍵を奪って皆を自由にする。

甲板に登ったところで金網と棘の張り巡らされた壁があり、黒い筒を持った奴らが待ち構えているだけなので、私たちは船体の横腹に穴を開けて海へと直接逃げ込んだ。私たち部族は幼い頃から泳ぎを学んでいることもあり、八十と六人全員が、雲を通す薄い月明かりの下、岸までたどり着くことができた。

その後は走った。街を離れ、ひたすら高い場所を目指して、首まである草地の中を走り続けた。船の方を振り返っても幸い気づかれた様子はなかったが、私たち皆は喜びに満ちた疾走をしばらくは止めなかった。止めたくなかった。

 

満月が雲から顔を出し、この島を照らし出す。私たちは島の全てが見渡せる高みにいた。遠く、忌まわしい船が見える。月が港の水面に映っている。

私たちはこの島で生きていくことになる。勝手のわからない新天地での暮らしは、簡単には安定しないだろう。しかし今私たちが成し遂げたことに比べたら大したことはないはずだ。もし奴らが私たちをもう一度捉えようと襲ってきても、今度は闘い、退けよう。

興奮が高揚に変わり、やがて静かに幸福感を噛み締め始めた頃には、私たち自分がひどく疲れていることに気づいた。

 

老いた者、幼き者から順に眠りにつく中、私はまだ立ったまま船のほうを見下ろしていた。

突然の轟音。大きな岩同士がぶつかるような音。

のしたほうを見ても、何もない。正確には月の映った港の水面しかない。

音は一度止んだが、今度は岩と岩を擦り合わせる、悲鳴のような音が鳴り出す。大きく硬いもの同士が押し合ってお互いを破壊しようとしているような、破局的な音。

目を凝らすと、港の水面の端っこに映っている月が、岸を少しずつ削るようにして水面を拡げているように見える。ただの水面に映った影がそんなことができるはずがないのだが、そうとしか見えない。

やがて削られた岸は暗い淵のように開いていき、ある瞬間に突如港の水を飲み込み出した。

水は滑り落ちるように「淵」に落ちていき、引きずられるように港にあった船も吸い込まれていく。私たちを運んできたあの船も。

全ての水と船を飲み込むと、淵はいつの間にか消え、水面が無くなったことで月も空にしか存在しなくなった。

やがて月に変わるように太陽が空に現れた。

私たち自由を得た。もう追われる心配もない。

私たちは出口を見つけられたのだ。

2024-06-29

anond:20240627045444

7つの海の怪奇⑦ 消えた船から届く手紙!?

 

怪奇⑤で紹介した『魔のバミューダ三角地帯から、そう遠くない海上に、コロンブス時代から“呪われた島”として船乗り達に恐れられている島がある。

セントクリストファーネビス。神をも恐れぬ海賊達も、その名を聞いただけで震え上がったという、幾多の船乗りの血を吸ってきた島だ。

ここは、正確にはセントクリストファー島とネビス島という二つのからなっていて、前者はこの未開の地を最初に踏破したコロンブスファーストネームからつけられている。もう一方のネビスの由来にはさまざまな説があるが、ポルトガル語の雲(nuvens)が転じたというものが有力だ。というのも、ネビス島には常に山頂を雲で覆われている活火山・ネビス山があり、原住民ですら一生のうちにその山頂を見ることはない。言い伝えでは、山頂は「天に消えた大陸」に繋がっていて、それを目にすることは即ちその大陸への移動(つまりは死か)を意味するという。場所柄、怪奇①の『アトランティス大陸』を思わせる伝説でもある。

どんなに周囲が晴れていても、どんなに風が強くても、この雲は消えない。また、時折島全土を丸ごと覆うほど雲が巨大化する時もある。

そして、最も厄介なのが、この雲の一部がちぎれ、海上に漂い出す時なのだ

 

1777年7月ジョーンズ船長率いる英国公認海賊船「黄金の猟犬」号は、アフリカ大陸奴隷仕入れを終えてジャマイカに向かう途上にあった。

カリブ海に入る直前、航海で三度目の嵐に襲われたものの大きな被害もなく切り抜けた。とはいえ航路の大幅な変更を余儀なくされ、寄港予定のセントルシア島よりかなり北寄りの「風下の島々」に辿り着くこととなった。呪いなどを信じない英国人のジョーンズ船長は次の寄港地をセントクリストファーネビスに決める。

こうした寄港地の変更は、当時はよくあることであり、敵国船などに出会わない限りは大きな問題とはならない。しかし「黄金の猟犬」号とその乗組員にとっては、この決断が致命的となった。

“呪われた島”に近づいた時、数人の乗組員は既に異変に気づいていた。ネビス島はすべてが雲に隠れて姿が見えず、雲の一部は巨大なジニー(風の精霊)が伸ばす手のように船に忍び寄ってきていた。しかし、必死進路変更を訴える乗組員の声を聞き入れず、ジョーンズは船を伸びてきた雲を掻き分けるようにしてセントクリストファー島の港に入港させた。

この時点で、既に積荷として船内に詰め込まれていた奴隷ほとんどが変死している。脱水症などで奴隷輸送中に死ぬことは日常茶飯事ではあるが、入港の前は100人弱の生きた奴隷がいたというから、それがいっぺんに死んだとするなら異常な数だ。

入港後、船から降りた者は誰一人船に戻らなかった。そう大きくない港の集落の中でほとんどが行方不明になり、稀に遺体発見される場合は全て無惨な姿に変わり果てていた。いずれも同じく上半身下半身が真っ二つにちぎれたまま事切れていたという。

船も港から出ることはできなかった。どういうわけか一夜にして港は封鎖された池となり、日を追うごとに干上がって塩湖となった。船に残った乗組員は船から出ることも叶わず飢えと渇きで死んでいった。

まり黄金の猟犬」号の乗組員(と奴隷)は全滅したわけだが、ここまで詳細な死の記録が残ってるのは、なんと英国王室宛に乗組員からの救助要請手紙が届き続けていたかなのだ手紙1777年8月から翌78年の11月にかけて、7回にわたって届けられている。この文書英国王立古文書館に現存していて、他の文書と筆跡などを比較・鑑定した結果、間違いなく当時「黄金の猟犬」号に乗っていた記録官の文字であることが確認されている。

手紙は誰がどう届けたのか。そもそも書いた乗組員はどうやって(少なくとも1年強)生き延びていたのか。謎は尽きない。

 

最後に筆者の想像を述べておこう。

ネビス島の“雲”は噴煙なのではないだろうか。ネビス山は活火山であり、規模の差こそあれ、絶え間なく噴火を続けていた、その噴煙が多い時、つまり大きな噴火の時に島に近づいてしまった「黄金の猟犬」号は、噴火に起因する大規模な地殻変動に巻き込まれて、再び出港できなくなったのではないか。船体に積み込まれていた奴隷から先に死んでいったのは、噴煙による酸欠あるいは一酸化炭素中毒であろう。

セントクリストファー島には「大塩池」という湖のような大きな池が存在する。かつて湾であった場所が隆起して海から隔絶されたような場所だ。筆者はこの池の底に、かの船は眠っているのではないかと考えている。

2024-06-27

anond:20240627000823

セックスってお前、あれは変な格好を女にさせるだろ?」

イズミルがまた猥談をし始めているが私はほとんど聞いていない。それどころではないのだ。

「向かい合ってするとカエルみたいな格好をさせちまう。だから俺はぶち込む時は後ろからって決めてんだ。犬の格好になるからカエルよりは犬の方が生き物として”じょうとう“だそうじゃねぇか。そうだろセンセイ?」

ドクター苦笑いしている。俺は「そん時はお前も腰をヘコヘコ動かしてずいぶん変な格好をしてるんだが」と思うが口にはしない。イズミルは止まらず「なぁ、こう見えてセンセイはセックスではすげぇんだぞ。俺は知ってますよ、センセイがアムステルダムのぜんぶの娼館で出入り禁止になってるってね」と言ってドクターにいやらしい笑みを浮かべる。そのネタだけで何度女を奢ってもらおうとするんだ、この男は。

しかドクターサイモンも実際のところかなりの好きもので、日暮れを待ちきれぬようにしてイズミルと連れ立って裏口から宿を出て行った。

やっと静かになり、俺はこの状況を直視する。

ここは、セントクリストファーネビスでは、ない。

船員の中で俺とギジェルモだけがかつてここに、いや、「セントクリストファーネビスに」来たことがある。

ここはそもそも双子島だったはずだ。しかし俺たちが入港した島は完全なる孤島だった。海は穏やかで空も晴れていて視界は良好だったのにだ。俺とギジェルモは入港を止めるように進言したが、先般の嵐で肉体的にも精神的にも疲れ切っている船員たちを慮って船長は入港を決めた。

そしてその港。一見ごく平和で居心地も良さそうに見え、見覚えのある景色もあるのだが、全てが少しずつおかしい。

まずは住民の目だ。元々知的とは言い難いが好意好奇心をもって外国船に接していた彼らの目は、愛想を表現するどころか視覚機能しているかもわからない、ただの暗い穴となっている。ここの言葉に詳しいギジェルモが話しかけても、あらかじめ教えられているかのような必要最小限の応答だけを、俺たちの言葉で返す。きれいな発音で。不便はない。むしろ諸々の交渉は楽に進んだが、障害がなさすぎて気持ちが悪い。

この宿も変だ。俺は宿に入る前に船から下ろした羊と鶏を裏手の庭に連れていった。その時に建物をぐるりと回ったのだが、中に入ってみると明らかに広すぎる。間口が35歩、奥行が25歩くらいしかなかったはずだ。長く延びた廊下の長さは50歩ではきかないだろう。しかもその両側にいくつも扉があり、それぞれの扉の奥にはここのような広い部屋が配置されている(と思われる)。廊下の様子を思い出すと、扉同士の間隔とこの部屋の広さも矛盾していたように思う。

入港時に感じた違和感、この宿の扉をくぐる時に感じた違和感、そしてこの部屋に入る際に感じた違和感。全て似ている。首筋を死んだ獣の毛皮で撫でられるような。恐怖と警戒心と、ほんの少しの陶酔を与えるような。

ドクターイズミルは、裏庭につながるであろう廊下側とは逆の出口から出ていったが、果たしてそれは本当に外につながっていたのだろうか。俺は裏口の戸を開いてみる。

平和風景に俺はほっと息を吐いた。さっき放した羊たちが草を喰み、鶏は久しぶりの地面を確かめるように無意味に駆け回っている。

と、一羽の鶏が卵を産み落とした。

瞬間、卵は見えない手にに拾い上げられるように宙に浮き、ペしゃりと音を立てて潰れた。空中から卵液が滴り落ち、殻がポロポロと地面に撒かれる。俺と同じようにその光景に驚いた一頭の羊が駆け出して、さっきこしらえた簡易柵を乗り越えた、と同時に前足と頭、後ろ足と尻尾が逆方向に回転し、哀れな家畜は空中で捻り殺された。

俺は咄嗟に戸を閉め、騒ぐ羊と鶏たちの声ごと締め出すようにして、戸を背に立ち尽くす。

ここは、セントクリストファーネビスでは、ない。

どころか、俺が今まで知っている世界でもない。

ここにはおそらくルールがある。俺の知っている世界とは別のルールが。

それを俺は理解しないといけない。できるだけ早く。手遅れにならないうちに。

2024-06-26

anond:20240625143241

セントクリストファーネビス、強い日差しと乾き切った風が、港に停泊中の船たちの輪郭をやけにはっきりと浮かび上がらせている。空は書き割りのようにわざとらしく青く、海鳥の鳴き声は長閑さをアピールするようで、入港する前からずっと漂っているのは、強い柑橘芳香

すべてがそうあるべく調っていて、それが俺にはあのクソ貿易会社役員笑顔を思い起こさせる。過度の調和がもたらすある種の胡散臭さに、俺は嫌でも敏感になってしまっていた。

からというわけでもないのだが、今回は俺は陸に上がる気はなかった。3日ほどの短い寄港だし、船内で整備すべき箇所も多くある。前の嵐の傷がそこかしこ結構残っているのだ。もちろん積荷の確認もしなければならない。そう伝えるとイズミルはお前は他の港でも陸に上がりたがらないじゃないかと俺を奇人呼ばわりするが、生まれてこのかた船上で過ごした時間の方が長い俺にとって、揺れない寝床は少し落ち着かないというのが一番大きい理由かもしれない。

 

とはいえ昨晩の船の揺れは大きかった。波も入らなさそうな港だったのにと訝りながら朝甲板に出ると、船は一夜にして別の場所に移動していた。

一度船室に戻って顔を洗い、少し落ち着きを取り戻して状況を確認する。

周囲の状況をつぶさに目視で観察し、昨日の港の様子をできるだけ克明に思い出し、残った何人かの船員とも話し合った結果、俺たちが到達した結論は、船自体は同じ場所にあるが夜のうちに大きな(巨大すぎる)地形の変動があった、というものだった。

よく見るとところどころに昨日と同じ風景が見える。ただそれはどれもある一定の方向に傾いている。昨日イズミルが跳ねるように走って降りていった埠頭はすっかり水面下に沈んでいて、そこに立っていた小屋屋根の一部を残して水に浸かっている。海岸線は船を遠く離れて昨日は丘であったはずの果樹園まで達していて、その奥に見えていた島の最高峰もその山容を変えている。反対に船の後方、昨日俺たちが入港してきた海側は迫り上がって昨日は海底だっただろう濡れた地面が露出していて、堤防のように連なっている。この島全体がなんらかの力で大きく傾いた、そうとしか思えない光景だった。

こうして港の出入口は完全に塞がれ、俺たちの船は大きめの池の中に閉じ込められた体となった。

この時点で俺は十分に困惑していたが、真に困難な事態がもたらされるのは、その夜、もう誰も入れなくなったはずの「港」に月光差し込んできた時のことだった。

2024-06-25

anond:20240624205522

セントクリストファーネビスでは驚くべきことにすべてのもの入口と出口があります

なのでここの住民の性行為相手入口から入って出ることを意味します。我々の言う性別というもの存在しないようですが、入る側/入られる側は明確に区別されているようです。我々にはその違いは分かりませんが、彼らにとって我々は「入る側」であり、サイモン博士は実際に住民の一人をくぐり抜けました(これについては改めてレポートを送らせていただきます)。

あらゆるものに出口が備わってしまっているということは、ものを貯めることが不可能だということです。コップは底が抜けていますし、それに注ぐビール瓶にも脇腹に出口穴が空いていて小便のようにビールを噴出し続けていますビールを飲みたいならそこに直接口を当てて飲むしかありません。

入口と出口は明確に区別されていて、例えばある家に招かれて入口から入った場合、そこから出ることは禁忌です。出たい場合はどこか別のところにあるはずの出口を探さないといけません。家の住民が客にその場所を教えることはなく、何故か自らの力で探し当てる必要があります屋根裏や軒下、タペストリーの裏側や本棚にある一冊の本の中など、出口は巧妙に隠されています。出口を見つけられず入口から出ようとしたニハト隊員は全身を大きな力で捩じ切られるようにして死にました。冷蔵庫の中に出口を求めたムルンゼット中尉は、冷蔵庫の出口を見つけられず凍死しました。

このように入口と出口、およびその間のへだたりが重視されているのは、村の祭祀を司る者が言うには、この地を開拓した聖人が神をその背に乗せて天の川を渡ったという故事神話でしょう)に拠るとのことです。移動こそ聖であり、あまねく一切のものは留まらず移動中という状態であるべきだと。また、元の場所に戻ることは最も神の意思に背く反逆行為であると。真偽は定かではありません。

かく言う私もこの国の出口を見つけられずにおります

このレポートは船便でお送りしているつもりですが、受付のポストも出口があるはずで、船に乗らずにただただレポートポストの出口から滑り出ていってしまっているだけかもしれません…

https://anond.hatelabo.jp/20240625213319

https://anond.hatelabo.jp/20240625095514

anond:20240624205522

セントクリストファー・ネイビスの話が気になるので書いてほしい

2024-06-24

anond:20240624205522

そんなつまんねー話よりもセントクリストファー・ネイビスの話をしてくれよ

2024-06-15

ポリコレもの考えるのが苦手な人間お祭り

追記あり】Mrs.GREEN APPLEMV炎上おかし

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240613203515

このコメント欄が酷い。

「なぜあの表現を焼くべきなのか」説明出来てる者がいない。

少なくとも人気順上位には一人もいなかった。

なんじゃこれ。

  

「ただの感想だし!規制検閲じゃないし!」

wata300

コロンブスMVの「主役」に据えた時点で、あの猿を「先住民」だと思うのは極めて自然連想から

「誤解」「勝手連想ゲーム」だと言われても困る。視聴者感想を述べる権利はある。 増田

2024/06/13 リンク yellow100yellow

また始まったよ。

人に向かってポリコレ死刑を宣しておいて

そこに反論を受けると「ただの感想だし!」「感想を言う権利はあるはずだろ!」まで後退する。

もう飽き飽きする変わらない小ズルさ。

どっかの社会学者の時から一歩も進歩してねえなこいつら。

  

  

「わかっててやってるだろ!」←何を?

kohakuirono

無知だとか意図しないだとかいう人がいるけどバッファローの角の飾りとか猿にひかせる人力車とか

乗馬ピアノを教えるとかお前分かっててやってるだろとしか思えない表現だらけなんだがな。

2024/06/13

表象がおぞましく感じられる!」

はあ、それで?

  

というかこれだけ大騒ぎして

結局作った奴の意図すらよくわかんねえ、

MVや歌詞の内容をどう解釈すべきかよくわかんねえ、

それでも「分かっててやってるだろ!」などといって死刑判決を下せちゃうのがすごい。

 

作品に対して一意の意図すら確定しなくても死刑に出来るらしい。

表象から「むむ!こいつはわかっている!(なにが?)」という霊感を受け取れればそれだけで死刑であると。

大したもんだわ。知能が。

 

なんか私が忌まわしいと思う物がおおいです!だから死刑です!

  

 

小吏に向いてるタイプ

ko2inte8cu

擁護派が、贔屓の引き倒しをしてくれるおかげで、

論争が長引き大きくなり、アーティストがいちいち謝罪せにゃなくなるのは、

高い授業料だが、まぁ、しゃーない。

植民地主義 差別 人種

2024/06/13 リンク yellow67yellow

こいつの言ってることわかる?

 

こいつって何が問題かとか適否とかを論じよう争おうって気すらないの。

「おらおらー 抵抗するともっと酷い目に遭っちゃうぞーう?w」ってニタついてるだけ。

  

これとこれに☆つけた奴等は本当にすごいと思う。

入植者側で原住民いじめる俗悪小役人とかに向いてるよね。

ネイティブアメリカン処遇に抗議に来たら話を一切取り合わず

「あーあ!反抗的からもっと締め付けますねw授業料高かったねえwww」とか言って嬉しくなれそうじゃん。

 

これが人気上位に来るってことは

自分達の言ってることがアヤシゲな「正義」ですらない

「誰かをいびれる勝ち馬」でしかないってことを自覚してる奴結構いるんじゃねえの?これ。

  

たとえ原理主義者であれ狂信者であれ、少なくとも自分のやってることを正しいと信じている人間

こいつみたいに人から反論牽制しようとしたり議論を封じ込めようとしたりはしない。

 

  

「線引き」  

mobileprince

からかい」がイジメになり得るように、差別意図関係ないよ。

差別の線引きを社会でどうしていくのかの議論が常に行われているわけで、

差別だと思ったら差別」みたいな自由競技ではない

2024/06/14

線引きがどこにあるんだよ。

お前の話の何処に議論があるんだよ。

しろ誰一人きちんと基準ラインを示せないじゃねーか。

まさかコロンブス最近評判が悪い厄ネタである」が線引きなのか?

 

評判悪い奴をネタに使ったらアウトなの?

それが線引き? 

自明でもなく明示的でもなく論理性の欠片も無いガバガバリンチルールが線引き?

 

どう見ても自由競技ですらないただの暴徒じゃねえか。

お前等は何かに線を引けるような意識のはっきりした思考の持ち主なのか?

自分達で自分達の知能程度をどう評価してんのマジで

 

  

入植者たちはおぞましい奴等だったんだぞ!」 

lady_joker

ラス・カサスの『インディアスの破壊〜』辺りを読んでれば

コロンブス以降の入植者がどれほどおぞましい虐殺を行ったかが分かるし、

人類全員が考えるべき暗部能天気PVにして上げている姿勢は私は心底不快だったよ

2024/06/13

入植者の連中がおぞましかったら人類全員が「考えるべき」なのはなぜ?

「考えるべき」ってのは具体的に何についてどんな思考をすることなの?

結論としてどんなアウトプットを得るの?

 

意味がわかんねえよ。意味わかんねえ。

そして入植者の連中がおぞましくて人類の暗部で「考えるべき」ってんなら

それはまずアメリカに言えよ。コスプレコロンブスなんかより。

たとえばアメリカ国歌あんなに気分の高揚する誇らしい感じのものであることにケチつけてみたら?

  

アメ公あいつらはすげえぞ。

人類全員が『考えるべき』おぞましい暗部」の真上で生活しとるぞあいつら。

しかあいつらの血は人類全員が『考えるべき』おぞましい暗部」の直系子孫だぞ。

これらに関しては黒人だろうが白人だろうがメキシコ系だろうがネイティブアメリカンだろうが同じなんだ。

だってあいつらもう相当血も交じってるし。

あいつらの生活は全て強奪された国土資産の上に成り立ってるのだし。

 

コスプレコロンブスなんかよりずっと問題のある存在アメリカアメリカ人だろ。

けがらわしい鬼畜末裔強盗したプロパティの上で暮らしてるのがアメリカという国と国民じゃねえか。

 

過去入植者所業のおぞましさによって現代人間が裁かれるべきだとお前らが信じるならば、

まずアメリカに向かって「お前らは永遠に能天気表現とか一切するな」って言ってこいよ。

アメリカアメリカ人がちょっとでも明るい顔をしてる限りはまずそっちにクレーム付け続けるべきだろ。

    

それに引き換え。

あのK-POPみたいなお化粧したバンドは何かおぞましいことをしたか

誰かを虐殺収奪たか?→してねえ

そのような行為をけしかたか?→してねえ

人種優越主義を唱えたか?→してねえ

なんもしてねえ。コスプレMV作っただけ。

  

ネイティブアメリカンと似たような肌の色と身長アジア人コロンブスコスプレMV撮ったら猛烈に怒られて

土地人間「おぞましい暗部」100%たるアメ公どもが堂々とした顔で空気吸って飯食ってクソしてるのは何故なのか、

まずそれを説明して見ろよ。なあ?

     

賭けてもいいけどこれ書いた奴もこれに☆付けた奴も誰一人答えらんねーぞ。この程度のことすら。

自分達で言ってることやってることの説明求められると困っちゃう

紅潮した加害顔引っ込めて被害者ヅラになってブツブツブツっと話を逸らして逃げておしまい

一方的に殴れると思って高揚してただけだからツッコミなんかされると被害感情で一杯になる。

   

なーにが「考えるべき」だ。マジで。 

お前らが何を考えてるっつーんだよな。

そもそも俺は「考えるべき」みたいなぼんやりしたキュー出す奴が何か明晰に考えてるのを見たことねーよ。

 

「考えるべき」とか言う奴が実際にイメージしてることはせいぜい

葬式に出席する時みたいな顔を作れ」なんだよな。

なんか真面目な顔作って下向いて時間過ぎるのを待ってなさいっていうあれだろ?

それ考えじゃねーから

 

まったく昭和体育教師ぐらい論理的で精緻思考レベルですことよ。

脳が腐るほどアホくさい。 

お前らが何を考えてるっつーんだよこのトーンポリシングケガレ思考呪術師どもが。

  

  

抵抗しないかリンチして殺しただけ。ボクチンたちわるくない。」

esbee

自分としては本気で皮肉としてつくってたなら表現自由としてむしろ応援たかったけど、

すぐ引っ込められたからアレレ……本当になにも考えてなかったの?……覚悟持ってやってくれよ……となった

2024/06/13

出た出た。考えなしにリンチちゃう奴等あるある

問い詰められるとリンチ被害者の態度に問題押し付けるんだよな。

ちゃん反論しないからみんなで吊るして扼殺しちゃったよ。アレレ?ぼくちんたちはわるくない。こいつ覚悟が無い。」    

てめえらは何も考えずにリンチしてるくせに吊るされた奴に「何も考えてなかったの?」だとよ。

   

   

「貫き通さないのが悪い」   

zazenzazen

MV音楽を広めるための手段なので受け手不快なら失敗なんだから仕方ない。

意図を汲み取って表現尊重して欲しければそれはアートなので、炎上しても貫き通せ。

2024/06/13

これもね。

いやいやいや、否定的感想とかはもちろん受け止めるべきだぜ?

 

でもお前らがやってるのは?

露骨社会道徳的キャンセル掛けにいっただろ?

自分達はそういう場外乱闘的なやり方で殴りにいってるのに

相手には「クリエイターなら貫き通せ」みたいなこと言って自分達の責任回避するのマジなの?

これ書いてる奴がキャンセル野郎かは知らん。

けどこれを人気上位に押し上げたはてな民たちは

大多数が今回のキャンセル肯定しているよな?

  

感想じゃない圧力掛けて潰しにいったり、そういう圧力肯定してる連中が「貫き通せ」じゃねえんだよ。

アンフェア攻撃ぶつけながら「屈したならお前等が弱かったのが悪い」「お前等の気持ちはその程度」って抜かすやつ、

昔の野球漫画に出てくる序盤の中ボス理不尽校長なのか?お前らは。

 

なんかさ、こいつ等って普段とあるごとに体育の授業の恨みや体育会系への恨みをぐちぐち言うくせに

自分が強い立場に立ったと感じた時の振る舞い方は完全に体育会系カスのものなんだよな。 

なーんだ、お前等そういう理不尽いじめ自体は好きなんじゃん。

自分がやる側になれなかったから何十年も恨んでるだけで。      

  

  

名前言ってはいけないあの人」  

u4k

MVなくても曲名コロンブス」がそもそもヤバい

現代では触れてはいけない人物から

今はファーストネームを使って「賛否わかってる感」を出すテクニックがあるから

曲名クリストファー」にすればよかったか

2024/06/13 リンク yellow28yellow

端的でよろしい。

からはっきりわかるけど、これもう「穢れ」の発想だよね。

触れてはいけないものに触れた、

名前言ってはいけないあの人の名前を口にした、

から罰されてもしゃーない。

これがこいつらの偽らぬ中核感情だろう。

    

それはわかったんだけど、そのうえで、

その中世の土民みたいなお気持ちで人を吊るすのやめてくれねーか。

なあ。

 

バカ多数決だけで死刑判決出されても困るんだけど。

ジッサイこいつらの脳髄は中世

 

 

コロンブスは評判が悪いんだぞ!」

soyokazeZZ

米国では記念日名前も変えられるくらい評判の悪いコロンブス

ホームパーティって時点で表現者としての勉強が足りてないよね。

逆張り的に知っててやってる芸風でもないし。

2024/06/14

最近評判の悪い人間だったら何なのよ。

その米国コロンブス評にひれ伏さなきゃいけないのはなぜ?

 

「評判悪い奴をみんなと一緒にエンガチョ出来ない子はいじめられてもしかたないよねー。」

お前等は女子中学生か?

   

まあ脳髄が分別の無い女子中学生ぐらいのレベルから進歩とまった人間なんて沢山いるんだよな。

なのに○十年生きてるとかい理由だけで自分老成した知性や判断力を獲得してると考えてる。 

   

はてな民の平均年齢ってもうアラフィフぐらい来てるだろ?

それでこれって悲しくならないか

皴と白髪が多いだけの女子中学生どもがよ。

 

 

意図せず含まれることがある。その時には無知を開き直らず。」

todomadrid

差別歴史に根があるし、何世紀もかけてイメージ固定化されてきたから、

私たち言動にも、過去から続く差別意図せず含まれることがある。

その時には無知を開き直らず、謝罪撤回して繰り返さなければそれでいい

2024/06/13

すごいよねこれ。

中身が何もない「ボクチンは殊勝なよいこです!」宣言してるだけの文。

みんなが言ってるから。根があるから。開き直らずに。

差別が含まれることがあるから別に自分で何か確認したわけじゃないケド。

  

ここには思考が何もない。

憲法保障した権利への市民としての責任感もない。  

        

「お前の発言差別から撤回せよ謝罪せよ」って言われた時に

差別であるという理路がきちんと明示されて説明し尽くされていて

それに対してお前が納得したなら撤回すればいいよ。

   

けど理路もねえ、説明も尽くされねえ、

ただ「なんかヤバいでしょ」「おらサッサと謝れよ笑」「みんなが言ってるよ?」「評判悪いよ?」「素直な態度にならないと損するよ?」なんて言われてる時は

断固として抵抗しなきゃいけないし横から弁護と支援をしなきゃいけないだろうが。

    

本当のよいこってのは道理の通らぬ強要には能う限り抵抗する子であって   

お前らはただの権威主義と土民イズムが合体しただけの、

尾田栄一郎徳弘正也が描くタイプの救いようがない感じの蒙昧モブなんだよな。

  

なんか厄いもの・なんか強いものにひれ伏してるだけ。

誰かが石投げ始めたら理由もわからず嵩にかかって参加するだけ。

マジでお前らワンピースの中のどっかの王国に入植してろよ。めっちゃ馴染めるよ。

 

頭は悪い、やる気もない、

殊勝そうな態度だけ作るのが得意。和を乱した奴リンチするのが得意。

毎度のことながら内申点だけ優等生っていうタイプだよなお前等は。

 

 

総評  

猿がいるならお前らだよ。

 

アメリカ人様の間で近年評判の悪い人物能天気PVにしてしまってごめんなさい!」

なんつってアメリカ人が何か言うより前にリンチを始めて

虐殺もなんもしてない奴等をなんでリンチしてるんだ」って聞かれると答えられなくて

アメリカ人のガバガバ道徳受け売りケガレ思考しか出てこない。

そんなざまなのに社会の全員に自分達と同じひれ伏しをさせたくて仕方ない。 

 

どう思う?

この精神自由のもの奴隷のものか。

人間か猿か。

  

  

おまえらシッティング・ブルのような誇りも知性も抵抗意志もねえ、

それどころか自前の思考道徳すら持ち合わせないのだから

コロンブスに飼ってもらえば丁度いいじゃねえか。

人間のふりなどやめたらいいじゃねえか。

 

誰かが言ってる非論理的な相場に従うのが好きなんだろ。

権威を背負って和を乱した奴リンチするのが気持ちよくてたまらないんだろ。

ほんとにもう猿の中の猿だおまえらは。

 

白人がやたら少人数でも搾取統治がうまくいった地域っていうのは

現地からお前等みたいな徴税人志願者がいっぱい出たんだよ。

権威の取り決めに従って誰かをリンチしてる時だけ自己効力感を感じるタイプのくっだらねえ無能入植者様の手足になった訳よ。

 

結局お前等の自慢は人の役に立つ能力や取り組みではなく

ただ非論理的な禁忌について勉強してる」「弁えてる」ってことだけ。

クラス空気読めてるから自分は偉くて読まない奴をイジメ権利が発生すると確信してる中学生と同じ。

人の役に立つ能力を一切持たないのに自分有用知識人だと信じてる無能社会学者と同じ。

未成年ならまあ未来に期待できるけどお前等は一体何歳なんだよ。

 

思考力が欠落してるのに論客気取りのお前等みたいなののハレの日ってのは

こうやって権威に従ってよくわかんないまま誰かをリンチする時で

要するにポリコレっていうのは人の役に立つ能力の無い無能のための御祭神なんだよな。

  

コロンブスよりおぞましいのは

コロンブスに媚び諂うリンチ猿であって

現代で最もおぞましい暗部とはお前等みてえな奴等だよ。 

 

 

猿が激おこ

cinefuk 「どうだ、おれを論破してみろ!おれは説得されないぞ!」と最後まで立っていた奴が優勝する。みんなが立ち去ったあとに、自らトロフィーをかざすが、見ている観客はいないし、匿名から名誉もない。2chカルチャー2ch ひろゆき

2024/06/15

要約「グキキーー!クキー!キィー――ッ!!(怒)」

  

不快の念だけは伝わってくるけど

人語による反論ゼロっすね。

  

こんな言葉しゃべれねえ歯を剥いてる猿の吠え声がこのエントリに不満な勢力の人気1位コメなわけよ。

な?猿だろ? 

こいつらから話の噛み合う再反論が返ってきたらそれだけでかなり見直しちゃうね。

 

ちょっと詰められると基本この「くやちい!勝利宣言!逃走!」しかないのよこいつら。

中学生掲示板ならいいけど、4050の歳で長年ネット論客ごっこしていながらこの仕上がり。

厳しいって。人生無駄使いだって

頭や言葉を使う才能が欠落してんだからもっとから下を多く使う別の趣味探せばいいのに。

  

 

伝奇ホラー

otihateten3510

何で本件の炎上に噛み付いてるはてなーがいるのか理解に苦しむ。どうみても燃えるだろ。

2024/06/15

A「リンチをやめろ!せめて彼がどのような罪で火刑に処されるのか説明しろ!」

B「……?どう見ても忌まわしいだろ」

  

完全に因習ホラーだろこれ。

会話以前のなにかが全く疎通してない。

お前ら本当にこれがなにかもの考えてる人間に見えるのか?

 

2024-06-09

[]2012.3

https://anond.hatelabo.jp/20240609080313

https://web.archive.org/web/20170710062324/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201203

@TOHOシネマズ 六本木

2012.03.29 Thursday16:43

僕等がいた」観てきましたよ~。

うっかりレディースデーに行っちゃって、すごい人。

すごいなー。大ヒットだな!

脚本演出も、とても丁寧に作り込んであって、

少女漫画世界、そのまんまでしたよ。

主演お二人の組み合わせが、自然でとても良かった。

若い女の子結構泣いてた。

私は最近乙女心的な物をどっかに置き忘れてやしないかと、

映画を観ながら、ちょっと反省

この仕事してる限り、いくつになっても必需品だよなあ。

まあ、連載途中で反省して作風わっちゃっても困るので、

Piece」終わったら、思い出そう。乙女心。必需品。

予告で、「テルマエ・ロマエ」流れて、笑っちゃった。

阿部寛さんが、日本人に見えないのがスゴイ!!

漫画原作多いなあ~~。

帰りに、ギロッポンで桜のお酒を飲んだよ。

2012032901430000.jpg

開花楽しみだな

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本・映画---

カフェラテ

2012.03.27 Tuesday19:17

コーヒー苦手なんですけど、スタバカフェラテだけは

美味しく飲めるんですけど(苦くないから。)、

今、最寄駅にスタバが無いので、うちで苦くないカフェラテ

自分好みに淹れようと。。。

コンパクトエスプレッソマシーンを買ってみたよ。

早速物欲に負けとるがな。

仕事中の飲み物は、妙に大事なので、まあいっか

ジョージ・クルーニーCMしとるやつね。

試しに全種類飲み比べて、酸味が少なくてあんま苦く感じない物を厳選。

子供舌で雑に厳選。おいしい

何でもやりたがりなので、案の定ラテアートに挑んでみる。

抽出量変えたり、ミルク温度変えてみたり。だが、しかし。。

 

がんばってみた痕跡。(これでも)

どうにもなってない。不器用なんか。私。

ミルクの泡立て具合の問題かな~。

もっと簡単に出来るんかと思ってた。きぃっ!(負けず嫌い

挑戦は、続く続く。

Piece」の合間に、短編読み切りを描けないものかと

たくらんでるんですけど、

読み切りネタ2本と、「Piece」の次号プロットを同時進行させてたら

さすがに脳みそ疲労困憊。

動いてないのに消耗するって、なんか割に合わないです。

来月、旅に出るので、今がんばらないと!

ラテアートで、ストレスためてる場合じゃないです!

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日記---

頂きもの編集部

2012.03.21 Wednesday14:23

完成原稿持って、編集部へ。

「取りに伺いますよ~」と言ってくださるのだけれど、

引き籠りに飽きてるので、自分で持ってく。

担当さん物欲について語る。

結論:「波があるよねえ~~」(結論出てない!)

担当さんに、アメリカ旅行土産を頂きました♡

激辛ソースレンジでチンするポップコーン

激辛・・危険って書いてあるよ。注意しな!って書いてあるよ。

今度、誰かのごはんにそっとしのばせてみる。

あと、「僕等がいた」のタダ券(また、タダで貰うのか!)

ベツコミ友達誘って行ったら楽しいかな♪

あとは、萩尾望都先生「なのはな」

原発事故後のフクシマで生きる女の子物語と、

放射性物質擬人化して描かれたSF三部作

原発に関しては、半端な知識感情論では語れない、

冷静に客観的に冷静に冷静に、、、とか言いながら

徐々にフェードアウト、結果思考停止に陥る人も多いんじゃないかな。

たぶん、私なんかはそのタイプ

「頭良くないし。」を言い訳に。

事故後、すぐにこの作品を発表された萩尾先生は、

からすごいお方なんだなあ、、と改めて思った。

逃れられない「絶望」を、「希望」でサンド

そんな作品構成になってますよ。

のろまな私は、物欲結論も、持越し。

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本・映画---

もうちょっと

2012.03.16 Friday23:20

地震多くて、さすがにちょっと怖いなあ。。

仕事中、アシさんがくれた「東北限定・すんだじゃがりこ」と、

完成間近の原稿

2012031615100000.jpg

今回、背景少なかったので、予定より早めにアシスタントさんに

あがってもらう。いつもどうもありがとう

私の作業はまだ少し残ってる。あともうちょっとで完成。

まりまだ終わってないわけですが。。。

天気も良いし、春めいてきたし、土日の人混みは避けたいし、

〆切まだだしね~!とかなんとか言い訳しながら、新宿に買い物に出てしまう。

最近物欲減ったな~とか思ってたのに、久々伊勢丹に行ったら、欲しいモノが溢れてた。

春らしいショートブーツミュールを買って、満足満足。

春物可愛いな~♡

新宿伊勢丹に行く度、平日でも人が溢れてて、「不景気ってほんとう。。?」

とか疑いたくなるよ。

出版業界も、例にもれず「不況だ!不況だ!」言われ続けてますけども、、

全体的には、勿論そうなんでしょうけども。

私の周りには、不況?ナニソレ?的に右肩上がりに売れ続けてる作家さんも

結構いるので、どんな時代であっても、作品次第なんだろうな。きっと。

私もがんばろー。

さっき、テレビで「第9地区」やってましたね。映画観に行ったなー。

良い意味でB級感たっぷりで、皮肉めいてて、深読み甲斐があって、

可笑しいのに笑えなくって面白い。これ好き。

フィクション様様。人vs人で描いたら目を背けたくなるけど、

vsエイリアンなら物語として楽しめてしまう。

それも勝手な話だなあ。

エイリアンクリストファー親子が一番人間らしいけど、

そもそも人間らしい」って何だろ。

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日記---

3.11

2012.03.11 Sunday23:56

阪神大震災当時、私はまだ地元関西にいて、

神戸に親戚や友人が沢山住んでいて。

見慣れた景色が無惨に崩れゆく様をテレビで観ながら、

呆然と、少なからずショックを受けたわけですが。。

「住み慣れた家も思い出の品も何もかも失って、逆にすっきりして

腹が据わった。がんばるよ。」と淡々と語る知人に、

当時、かける言葉がなかった。

自分経験してない誰かの経験を、想像で補おうとしても

あっという間に限界にぶつかるし、

励ましも同情も違う気がして困惑するばかり。

基本、甘ったれ受け身なんですが、あの頃より

少しは大人になってるはずなので、

何にも出来ないなりに、意志を持って人や世界

関わっていけたらいいなと、思います

黙祷

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日記---

寝かす。。

2012.03.07 Wednesday23:22

今日アシスタントさんがお休みだったので、

堂々とサボってやるぜ!!とか思ってたら、

すんごい寝すぎてびっくりです。何時間寝てんの、アンタ。。。

我ながら、凄まじい有言実行ぶり。

冷蔵庫に、賞味期限間近の無塩バターがあったので、

バターケーキを焼いてみたよ。(サボり続行中)

大人なので、ラム酒もドバドバ。

中央で、綺麗に割れなかった。最初温度低かったのかな。

なんかボコッとしてはる。失敗。まあ、いいか

冷蔵庫で1カ月くらい余裕で持つので、暫く寝かせてちょっとづつ食べる。

バター系は、しっかり寝かせた方が絶対美味しいと思うよ!

とか言いつつ、一切れだけ味見。

ふかふかで心許ない。。やっぱ寝かす寝かす。

90ページもあると、「ペン入れ、あと何枚!!」とか数えてたら

気が遠くなっちゃうんですよ。

なので敢えて数えない、、!!そこは男らしく(?)気分で描き進む、、!!

ペース配分なんて知らねえよ、、、!!!

みたいな、わりかし適当仕事の進め方です。

毎度毎度、ちゃんと締め切り前にあがってるのが、超不思議

仕事しよっと。

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おやつ---

うぃ---

2012.03.03 Saturday22:03

ロールキャベツの残りスープソース?でペンネ

引きこもってるのに、カロリー高いもん食べちゃった。

今更ながらWii を買ってみたよ。

アシさんと、食後にひたすらピンポンチャンバラ

運動してるつもりになってみるつもり。

腕、筋肉痛。。。ペン入れに支障が。ダメじゃん。

雛祭りなので、アシさんが道明寺買って来てくれました~。

桜の花の塩漬けちゃんとのってる。嬉しい

2012030321210000.jpg

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日記---

雪つもった!

2012.03.01 Thursday02:24

屋上に。少し。

今日は(昨日か)作家友達二人と、アシスタントさん達が

ちょっくら家に遊びに来てくれる予定だったので、

遅れてる下絵をそっと見て見ぬふりしつつ待機してたんですが。。

からカドカ雪が降ったので、敢え無く延期。

が、うっかり(?)家まで辿り着いてしまったアシちゃん約一名と、

だらだら2時間ほどお茶を飲み、本日の予定終了~!

。。。おかげで、遅れてた下絵描きわっちゃった。

来てくれる予定だった作家友達の一人=彬聖子サンからの。。

「アシパラ邸に行く日に、ピンポイント大雪。アシパラの雨女ぶり

パネェ!って妹に話したら、『あの人、日照りの土地に行ったら

神になれるんじゃない?』って言ってた。」ってメールを読んで、

自分雨女キャラだったことを思い出しました。

都合よく忘れてた!

あ、アシパラってのは、彬さんがつけた私のあだ名です。

どうかと思うよ。。?

明日からペン入れ&アシさん入り!

がんばるぞー!

(下絵終わったら、いきなり元気)

2024-01-24

anond:20240123214345

首都の立地、考えだすと楽しいよね……

昔そこは国土の中心だった:コペンハーゲンデンマーク

デンマークといえば、みんな大好き「(植民地とかではない)メインの領土大陸にあるのに首都が島にある」2か国のうちの1つだけど(もう1つは赤道ギニア)、確かに現在の」地図を見れば、首都コペンハーゲンはずいぶんと端っこにあるように見える。だが、コペンハーゲンはもともと国土の中心にあった。現在スウェーデン南部スコーネ地方はもともとデンマーク領だったが、17世紀戦争スウェーデンに奪われたのだ。つまりコペンハーゲンは、ユラン半島スカンジナビア半島南端部というメインの2つの領土をつなぐ、ちょうど真ん中の位置にあったことになる。仮に東北地方ソ連に奪われていたら、東京はずいぶん国土の端っこにあるように見えるのではないだろうか。

昔そこは国土の中心だった:ソウル韓国

言うまでもないだろう。仮に将来南北統一が実現したら、ソウル統一コリアのど真ん中に位置することになる。

昔そこは国土の中心だった:ワシントンDCアメリカ合衆国

これも言うまでもない。独立当時のアメリカ東部の13州しかなかった。13州のうちの北部南部あいだの妥協案として南部に新しい首都が作られたが、地図を見ると、まあ、「真ん中よりちょっと南」の立地と評価できるのではなかろうか。

そこが国土の中心になるはずだった:ソフィアブルガリア

ソフィアはずいぶんと国土西側に偏っているが、本来はそこが国土の中心になるはずだった。20世紀の初頭、オスマン帝国バルカンに残されたマケドニア地方を周辺の3カ国が虎視眈々と狙っていた。セルビア語ブルガリア語の中間のような言葉を話すその地の住民を、セルビアセルビア人と呼び、ブルガリアブルガリア人と見做し、ギリシャスラブ化したギリシャ人の裔であると主張した。二度のバルカン戦争を経て、その地方は主にセルビアギリシャの間で分割される(このオスマンマケドニアのうち、セルビア領になった部分が現在北マケドニア共和国)。……そう、ブルガリアマケドニアという果実を得られなかったのだ。仮に幻の「大ブルガリア」が実現していれば、ソフィアは「大ブルガリア」の中心部位置することになっていただろう。

中間を取った……ただし、二大都市の:キャンベラオーストラリア

オーストラリアはもともと1つの国だったわけではなく、オーストラリア大陸に作られたいくつもの植民地が寄り集まって独立した国だ。独立するときに二大都市シドニーメルボルンのどっちを首都にするかでモメたので、その2都市の間に新しい首都建設することにした。つまり国土の中心ではないが、二大都市中間首都があるということだ。まあ、オーストラリア文字通りの中心、人住めなさそうだもんね……

首都が中心になるように国土を切り取った:パナマシティパナマ

交通に便利なパナマ地峡に街(パナマシティ)が作られる→交通に便利すぎて街のそば運河が作られる→アメ公大西洋太平洋をつなぐ運河支配権を欲しがる→運河地帯住民による独立運動を煽ってコロンビアから独立させる、という経緯で作られたのがパナマ共和国。つまり首都のまわりが国土になるように切り取られた国なので、国土の真ん中に首都があるのは当たり前なのだ

中心にある都市首都になれなかった:ブラチスラバスロバキア

ブラチスラバ国土の端っこにあり、立地的にはほぼウィーンであるスロバキアというのは、元々「ハンガリー王国北部スラブ言語を話す人たちが集住しているところ」に過ぎず、伝統的な行政区画を持っていなかった(これは「オーストリア側でスラブ話者がいっぱい住んでるところ」に過ぎなかったスロベニアと同じ。この2つの国名が似ているのは偶然ではなく、両方とも「クロアチア」みたいに伝統的な地域名を持っていなかったので、それぞれが「スラブ人の土地」と名乗った結果なのだ)。それが第一次世界大戦のドサマギハンガリーから分離したわけだが、当然「どっからどこまでがスロバキアか」という合意があるわけではなかったので、チェコスロバキアハンガリーによる実力での分捕り合戦になった。その中で、「大都市当社比)だし交通要衝からスラブ人率は低いけど占領しとこうぜ!」となって占領されたのがポジョニ、のちのブラチスラバであるブラチスラバはあまりに「国際色」が強すぎたので(20世紀初頭の時点で人口の4割がドイツ語話者、4割がハンガリー話者)、国土の中心にあってスロバキア民族運動拠点でもあったマルティンスロバキア首都を遷そうぜ! という議論戦間期に行われたのだけれど、結局ブラチスラバ首都として維持された(ところで日本語版ウィキペディアマルティン記事名が「マルチン」になってるな。確かにスロバキア語ではtiと綴ると「チ」と読むけど、Martinみたいな外来語場合は「ティ」の音が維持されるんだよ!)。

島国首都ってどうなってるんだろうね

首都国土中央に来る国は『大陸の端の方で2方向以上で海に面している』か『大きすぎない島国』に多いかも?

島国といっても、メインの島が1つなのか、複数なのかでだいぶ違ってくる。というのは、小さな島がたくさんある国だと、まずもって「国土の中心かどうか」というよりも「島のデカさ」で首都が決まることがありえるからだ。そりゃ、真ん中にある小島よりも、端っこにある大きな島に首都置きたいよね……典型的にはトンガとかがそうで、南端にあるトンガタプ島のヌクアロファ首都が置かれている。あるいは、「大きな島+小さな島」の組み合わせでできている国は、たいてい大きな島の方に首都がある。バレッタマルタ)とか、バセテールセントクリストファー・ネイビス)とか、セントジョンズ(アンティグア・バーブーダ)とか、ポートオブスペイントリニダード・トバゴ)とか……(元増田が挙げてるニュージーランド例外

では、メインの島が1つしかない国はどうだろう? これなら「国土の中心」も定義やすい……あれ、意外と首都位置偏ってんな。元増田が挙げてるアンタナナリブマダガスカル。ちなみにマダガスカル語ではoと綴ってuと読むので「アンタナナリボ」は間違い)は確かに真ん中ら辺にあるし、ダブリンアイルランド)やダグラスマン島)やディリ東ティモール)やアロフィ(ニウエ)やポートルイス(モーリシャス)やスリジャヤワルダナプラコッテスリランカ)もギリギリ真ん中辺りと言えるかもしれないけど、台北台湾)もハバナキューバ)もキングストンジャマイカ)もレイキャビーク(アイスランド)もマナーマバーレーン)もヌーク(グリーンランド)もヤレンナウル)も島の端っこの方にあるな……首里沖縄本島の中心都市として見ると南すぎるけど、奄美~先島までの琉球王国首都として考えると割と中心に近くて草。

やっぱり自分なりのファンタジー世界を作るときって

首都の立地はよくよく考えますよね。ここは盆地で長らく中央集権国家だったから真ん中に首都があるやろとか、端っこの部族が全土を統一たか首都は端っこにあるんだよとか、東部は原生林が多いか人口の多い都市西部に偏ってるんだよとか、港町を中心に発展したんだよとか、そういうことを地図描きながら妄想するだけですごい楽しい……だから元の「首都国土中央部にないのはおかしい」っていうツッコミ全然理解できないっていうか、変な形の国作って変な場所首都置くのが楽しいんやんけ、となってしまうよね……

2023-12-06

『あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇』のレビュー

https://www.psychologytoday.com/intl/blog/checkpoints/202101/review-irreversible-damage-abigail-shrier

翻訳執筆者はステットソン大学心理学教授クリストファー・J・ファーガソン

↓↓↓

2020年に起きた比較マイナーな(トランプ大統領や新型コロナ比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストアビゲイルシュライアーの『あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。

本書は、みずからトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和トランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティ社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分トランスとして認識しているためだと主張している。

この本に自分家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアー見解を反映し、生物学性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1

私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙問題だと思う。しかし、現代言論は、感情的議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。

基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神健康状態にあり、これらの個人医学的な移行からまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。

しかし一方で他に2つのことを指摘しておきたい。

第一に、「ジェンダー社会的構築物である」というスローガンシュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダーアイデンティティ視床下部存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞名前尊重されるべきであり、恋愛結婚子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ

同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。

本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアー科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルトピックでは、科学議論のいくつかにもっと精妙な検証要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータ意見掲載し、リサ・リットマンの「急速発症性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究過去にはこの研究自体議論対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。

ジェンダーアイデンティティ生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。

もちろん、この見解シュライアー創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダークリティカル〉なフェミニスト一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派左派対立というのではなく、左派標榜する2つのグループの間の感情的蔑視がしばしば反映されていることだ。

シュライアーはまた、インターネット時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディア精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラルパニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体モラルパニックなのではないかと思わせられた。

とはいえ彼女論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータ存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータ必要されている。

境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和自閉症スペクトラム思春期女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチ懐疑的最近英国裁判所判決の背景にある理由のようである

私たちは、どのような青少年医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータ必要である。いずれも、トランスジェンダー権利福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和実在するかどうかを研究する余地必要である。私は、査読科学再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学検閲問題を混乱させるだけだろう。

結論として、ここには検討すべき有効アイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンス考慮する意欲と、より多くの情報必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究必要である

私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているか理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランスコミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンスインターネット検閲努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。

*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。

Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonコンテンツポリシーには違反していない」として、販売継続し、その態度に失望した一部従業員Amazonを辞めた。

また、大手量販店ターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。

ここで興味深いのは、販売反対運動出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazon書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。

ちなみに出版であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子トランスジェンダーになった』で「エモやアニメ無神論共産主義ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。

*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症性別違和)はリサ・リットマンによって2018年提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。

*3……アメリカ心理学者。2017年に iGen という本で若年世代ナルシシズムインターネット関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。

2023-11-02

骨折してたけどTM NETWORKライブに行った話

アルフォーになって初めてライブというものに行きました

具体的には福岡サンパレスでおこなわれたTM NETWORKライブでした。

中学の頃に小室哲哉にハマりそれからずっと聴いていたのですが、小室哲哉さんもまぁいろいろありまして、いつまでお目にかかるチャンスがあるかわからないわけです。

ということで、重い腰をあげてライブに行ってみることにしたのですが、なんとライブのほぼ一カ月前に事故を起こしてしまい、鎖骨を骨折

鎖骨にプレートが入っているので腕は頑張れば上がるのですが、まだ肩をはげしく動かすと痛みがあり、腕を肩以上に上げることができない状態ライブに行きました。

それがどうしたと思われるかもしれないのですが、ライブ映像ではほとんどの人が手を上げていて、手をあげていない少数派にに対して「ノリが悪いな~」と思っていました。

行ったこともないくせに。

こうして実際、自分骨折して、やっとこさ「手を上げていなかった人にもいろいろな事情があったんだろうな」と痛感しました。

もちろんそんな心の狭い人、僕以外にはいないとは思いたいのですが、僕らの世代浜崎あゆみさんが最前列で座っている人に「感じ悪いよね~」事件もあり、多少なりともノリ悪いと思ってる人がいるのではと思ってしまます。(浜崎あゆみさんに関しては諸説あります)

そして”ノリが悪いな”と思ってしまっていた以上、自分もそう思われてるのでは?という気持ちライブ中ずっと頭の片隅にありました。

拍手するのも鎖骨に響くため180センチ以上ある大人が突っ立ってるだけでライブ見てるわけですよ。

関係者かな?

からは各々の事情や楽しみ方があると理解して、怪我を直してまた楽しみたいなと思いました。

次のライブクリストファーが聞きたいです。

小室さんよろしくお願いします。

2023-09-26

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続き

いくつかの詳細

もう少し詳しく説明すると、このような図式になる。地下に埋まった塊茎を手に入れるために、人類となるべき一族は掘削棒を発明した。大型動物待ち伏せして狩るようになり、スピード、持久力、武器が殺しのカギを握るようになった。このことは、歯、腕、脚の変化だけでなく、化石の傷のパターン洞窟発見された食事や骨、そして生き残った現代ハンターがどのように大型動物を狩っていたかからもわかる。

競合する肉食動物すべてからヒトの系統を分けた画期的な点は、複合食と火を使って調理する食べ物だった。つまり、消化に使うカロリーはるかに少なくて済んだのだ。リチャード・ランガムが論じているように、余分なカロリーは成長期の脳のために使われたのである

待ち伏せ狩りは当てにならず、ハンターは1ヶ月に1度しか大きな獲物を仕留めないかもしれない。人類はそれに対処するために社会組織を変えた。食料は本拠地グループ全体で共有するようになった。この変化は、全員が通常の肉を食べることを意味するが、肉のない日には、ハンターは塊茎や他の果物野菜に頼ることができる。

霊長類祖先や初期の人類は、この変化に2つの方法対処していたようだ。第一に、おいしい食料をみんなで分け合うために、ハンター同士の競争制限し、いじめっ子を懲らしめる方法を見つけた。

第二に、新しい育児スタイルを考案した。フェミニスト霊長類学者サラ・ハーディは、霊長類幼児殺しのパターンについて、また男女関係における重要な変化として、母親が幼い子どもの世話を他の女性男性に任せるようになった経緯について、幅広く書いている。もうひとつの変化は、霊長類の中で唯一、ヒトが男女ともに女性の閉経年齢を過ぎても生きるようになったこである進化的な利点は、年寄りの専門知識が貴重であるということもあるが、年寄り育児をするということもあるようだ。

これらの違いやその他のさまざまな違いによって、人類は他の類人猿よりも早く増殖することができた。そしてある時期には、世界中に急速に広まることができた。

この初期の歴史は、人類学者世界中のほぼ同時代狩猟採集民のグループから報告された社会の種類と一致している。その鍵は、富や余剰がないことである

人々は定期的に移動する。もう片方の腰に子供を抱えたまま、持てる以上のものを所有する者はいない。バンドには縛りがない。人々は常にグループを変え、誰もが他のいくつかのバンド現実または架空親族を持っている。食べ物セックス、その他何かをめぐって緊張が高まると、誰かが移動する。つまり女性男性も囚われることはなく、こうした社会では、性別による不平等規則的なパターン存在しない。そして、いじめっ子抑制する能力は、最近狩猟採集民のもうひとつ重要パターンである

これは人類学者証言からもわかる。しかし、類人猿祖先から解剖学的変化から証拠もある。他のオスと戦うために使われていたオスの大きな犬歯は姿を消し、体格差も大きくなくなった。ヒトのオスはメスより約15%大きい。他の霊長類との比較によれば、これはオスの支配意味するが、それほど大きなものではない。

男性性器は多くの点で変化した。霊長類や他の多くの種では、睾丸の大きさは性的パートナーシップの独占度を示している。ヒトの睾丸の大きさはその中間位置し、一夫一婦制の慣習が浮気によって変化したこと示唆している。

ヒトのペニスの変化は多岐にわたる。コーミエとジョーンズは、『家畜化されたペニス』という適切なタイトルの本の中で、これらの変化はすべて女性選択による交尾相手選択の結果であると主張している。

女性の性欲の変化はさらに著しい。他の霊長類では、メスは排卵ときだけセックスをする。ヒトのメスは一年セックスをする。これは、より多くのセックス可能であることを意味するが、性的に活発なオスとメスの比率が1対1であることを意味する。他の類人猿霊長類では、2対1から40対1まで様々である。このことは、ペアの絆や男女平等が生まれやすかったことを示唆している。

霊長類学者人類学者クリストファーボームは、重要論文と影響力のある2冊の本の中で、パズル最後ピース提示した。ボームは、狩猟採集集団平等と共有は、文化的かつ意識的に達成されたものだと主張している。

彼によれば、私たちは、服従し、競争し、支配することを奨励する類人猿遺産を保持している。しかし、人間が生き残るためには、自分の中に湧き上がる嫉妬攻撃性、利己主義を抑え、他人利己主義を抑えるために、意識的に協力し合わなければならなかった。

ボームの考えは、今では広く受け入れられている。これらはすべて、人が生まれつき平等主義的であったり、非暴力的であったりするからではない。私たちの中にその可能性があるからであり、その反対でもある。しか私たちは、生き残るためには分かち合い、平等主義でなければならないことを理解していた。

ボーム理論は、私たちの大きな脳にも合致する。科学者たちは長い間、大きな脳は手や狩猟武器や道具に関係していると考えていた。しかし、他の霊長類では、脳の大きさを最もよく予測できるのは集団の大きさである

ほとんどの霊長類では、支配階層に立つかどうかは、複雑で絶えず移り変わる政治的世界同盟を築く能力にかかっている。そしてオスが繁殖するチャンスは、そのヒエラルキーにおける地位によって決まる。社会的知性は非常に重要である10人のグループでは、45の異なる人間関係を把握しなければならない。20人の集団では190通りの人間関係がある。200人の村では......計算してみてほしい。

そしておそらく、人間においては、いじめ抑制し、平等に生き、分かち合う能力が、社会的知性の決定的な成果だったのだろう。競争に使える頭脳は、協力にも使えるのだ。

要約すると

まとめると、多くの分野の学者たちの研究によって、200万年かけて進化した特定生態学ニッチへの人間適応が、約20万年前の人類の出現につながったという首尾一貫した図式を提示することが可能になったのであるしかし、サラ・ハーディクリストファーボームとの簡単意見の相違を除けば、グレイバーとウェングローは、この印象的な新材料の数々を無視することによって対処している。

実際、もしそれを受け入れていたら、彼らはこの適応平等主義的性格と、それが特定環境物質的条件と密接に結びついている度合いの両方を受け入れなければならなくなるだろう。

自由選択へのコミットメントにしがみつき自分たちの政治的プロジェクトを無傷で維持するために、彼らの議論はひるんだり潜ったりする。

文章は緻密でありながら、華やかさと権威に満ちている。この本はすごいスピードで唸りを上げる。適当な図解は疲れるし、非連続的な言い回しや心のゆらぎを解きほぐすのは難しい。読者は、彼らの証拠使用はしばしば信頼できないことを警告されるべきである。ハザ族、モンタナイス・ナスカピ族、シルック族、ヌエル族に会ったことのない無知な人は、細部に狂気を感じるだろう。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143807

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続き

彼らの政治プロジェクト理論

私たち時代における2つの重要問題は、次のとおりである

現在世界社会正義革命を起こすにはどうすればいいのか?

そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たち私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?

このような問いは、歴史を通じて真剣思想家活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:

なぜ人間社会はこれほどまでに不平等になったのか?

意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等起源についての本ではないのか」と。

この本の中心的な主張のひとつは、不平等ヒエラルキー暴力は、あらゆる人間社会組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。

奇妙なスピン

これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類祖先や初期の人類平等であることによって見出し適応、つまり生態学ニッチについて説明する新しい注目すべき学問無視している。つまり、かつて人類平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的無政府主義者マルクス主義者の見解無視しているのだ。

保守派の主張は、農耕や都市生活経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。

彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義奴隷制階級差別人種差別性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。

グレーバーとウェングローが主張する政治論点は、太古の昔から、人は常に支配自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。

彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである

この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。

彼らの主張 - Step By Step

グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。

さら重要なのは19世紀社会ダーウィニズムや、より最近スターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要対象であり、私たちはその両方を共有している。

社会ダーウィニズム歴史の段階説。ハーバート・スペンサールイスヘンリーモーガン19世紀社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的知的進歩シグナである理解されている。

しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代人種差別主義新植民地主義を支え続けている。

左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。

そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスエンゲルス仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論説明も暗黙のうちに否定しているのだ。

これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族起源 私有財産国家』において最も顕著であるエンゲルスはそこで、人間平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。

しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。

アーリア人セム民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコプエブロインディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。

エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。

フランツボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたか自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツボアスは、太平洋西海岸クワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。

フランツボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年ヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命指導者の一人であったソフィーメイヤーの息子である1851年までに、彼女読書グループマルクスエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。

ボース人類学者になった。カナダではバフィン島イヌイット族やバンクーバー島クワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークコロンビア大学教授となった[2]。

1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造であると主張した。1913年当時、ボース母親政治否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民党派として、人種差別を憎んでいた。

ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクトマーガレットミードゾラニールハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類文化進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。

しかし、私たちはもはや1913年時代ではない。1982年エリックウルフ皮肉タイトルの『ヨーロッパ歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史真摯に受け止める人類学の波を起こした。

人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗宗教伝統現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しか悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民大量虐殺アフリカ奴隷貿易白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争正当化するために展開され続けている。

新しい進化論人間適応

人類学者や考古学者たちは、現在人類の不平等起源について、まったく妥当説明を構築している。ケント・フラナリージョイス・マーカスジェームズ・C・スコットがその中心人物である

残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろかにしてしまうことである

グレーバーとウェングローは、かつて人類狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境人間存在物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会必然的平等であったことを否定している。

彼らの主張の第一歩は、人類進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。

過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。

化学的微量分析DNAサンプリング、放射性炭素年代測定質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちヒーローの中には、読み応えのあるクリストファーボームフランズ・デ・ワール、R・ブライアンファーガソン、サラ・フルディ、マーティンジョーンズ、ローラライヴァルの広範な出版物がある。

このような研究は、人類進化人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たち平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察であるしかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である

人間適応についての簡単なまとめ

現在、さまざまな類人猿サル対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係子育て攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類進化理解するための私たち方法でもある。

時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143645

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-08-01

バービーハイマーへのノーランやマーゴットの関係と、大事な2つの

バービー×オッペンハイマーの件、宣伝担当問題であって監督クリストファーノーランや主演のマーゴットロビーたちは関係ないみたいな擁護が目につく。

どちらも日本での人気は高くファンが多い。

私もノーランほとんど見てるしマーゴット主演作も複数見てて今回も観るつもりだったか気持ちめっちゃわかる。

でも彼らを無関係扱いして庇うのはちょっと違うなと思う。

これがもし人種問題ホロコーストでもネタにしてたらどうなってたか映画ファンの人ならよく知っているはず。

即座に配給が声明を発表、監督や主演俳優SNSコメントしてファンを窘める、不支持を表明する、そういうムーブメントが起こる。

残念だけど今回そんな動きはない。

昨日今日起きたばかりの話ではないしもちろん期間的に全米俳優組合のストも関係ない。

まり彼らはこれをまったく問題だなんて思ってないということ。

から抗議するならノーランもマーゴットも対象であるべきだし、「やられた側」が安易に「やった側」を擁護するような動きは慎むべきだと思う。

 

私は今回の件で2つの大事なことを改めて考えた。

 

ひとつは彼らは外国人だということ。

何を当たり前なと言われそうだけど、来日した彼らの「日本大好きです!リスペクトしてます!」みたいなリップサービスを聞いているとつい勘違いしてしまう。

こちらのことをよく理解してくれてる、味方になってくれるような気がしてしまう。

でも実際には住む国が違いバックボーンが違い価値観がまったく違う。

戦争原爆は彼らの国ではネガティヴ歴史じゃない。

私たちと衝突する部分は絶対にある。

から排斥しよう、とかそういう話ではない。

私たちは違う価値観を持つ者同士でも友達にはなれる。

たとえファンでも迎合したり一体化してしまうのではなく、時に毅然要望も伝えられるような適切な距離感は忘れないようにしたい。

 

もうひとつ自国コンテンツの大切さ。

ハリウッド映画世界アメリカを売り込むプロモーションとして機能している。

そこで描かれる戦争は勇ましいものが基本だし原爆水爆描写というと単なるストーリー中の派手なアトラクションしかないことが多い。

アメリカコンテンツが輸出されることでそうしたアメリカの考える戦争観や原爆観が世界に広まってしまう。

幸い日本には自国豊富アニメ漫画ゲームのようなコンテンツがあり世界に輸出されて人気が高まっている。

戦争原爆を直接描いていなくとも、日本人が作るものには戦争悲劇原爆のような兵器は悪という価値観根底にある。

そういう価値観コンテンツと共に世界に知られ浸透していくことは日本平和の維持にも世界平和にも資すると思う。

 

バービーオッペンハイマーも私は観に行きたい。

バービー配給のワーナージャパンアメリカ本社対応を求めているという。

どうなるか見守りたい。

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