落語家の笑福亭鶴瓶さん(63)が8月8日放送の『樹木希林 ドキュメンタリーの旅』(東海テレビ)に出演し、憲法解釈を変え集団的自衛権を認めるとする安保法案について「絶対あかん」などと話した。これまで政治的な発言を避けてきたというが、「もう、(政治家などに)まかしてたらあかん」と考えたという。
襲名披露公演の口上で並ぶ(左から)桂ざこば、笑福亭松之助、桂春団治、六代桂文枝、三遊亭円歌、桂歌丸、笑福亭仁鶴=16日午後、大阪市中央区のなんばグランド花月、筋野健太撮影襲名披露公演の口上で並ぶ(左から)笑福亭松之助、桂春団治、六代桂文枝、三遊亭円歌、桂歌丸=16日午後、大阪市中央区のなんばグランド花月、筋野健太撮影襲名披露公演で初高座を務める六代桂文枝=16日午後、大阪市中央区のなんばグランド花月、筋野健太撮影 上方落語協会会長の桂三枝さんが師匠の名前を受け継ぐ「三枝改メ六代桂文枝襲名披露公演」が16日、大阪市中央区のなんばグランド花月であった。口上には三遊亭円歌・落語協会最高顧問、桂歌丸・落語芸術協会会長、三代目桂春団治さんら東西落語界の大御所が顔をそろえ、襲名を祝った。 ◇ 一代で築いた「三枝」から、幕末以来の伝統を担う「文枝」へ――。桂三枝さん(69)は16日、大阪・な
11月27日に投開票される“大阪冬の陣”、市長・府知事のダブル選挙。市長選で橋下徹前大阪府知事と火花を散らす平松邦夫大阪市長において各種の世論調査によれば、平松氏は一時の劣勢は盛り返しつつあるものの、互角か、それをやや下回るという状態が続いており、苦戦には変わりがない。しかし、ここにきて強力な援軍が現れたという。 「上方落語界の重鎮で人間国宝の桂米朝(86)率いる米朝一門が、平松市長、そして知事選に出馬し松井一郎府議と激突する倉田薫・前池田市長の支援に回る可能性が出てきたのです。米朝一門は、普通の落語家の一門ではない。独立した事務所を構える芸能プロダクションとして活動しており、こと落語に関しては、関西では、松竹芸能と勢力を三分しています。ホール落語や地域寄席の振興に力を入れ、地域との強いネットワークには定評がある米朝一門が反・橋下に回れば、これほど強力な味方はありません」(地元紙記者) 倉
印刷 大名跡・桂文枝の六代目を継ぐ桂三枝さん 人気タレントで、上方落語協会会長の桂三枝さん(67)が、桂文枝の六代目を、69歳の誕生日にあたる来年7月16日に襲名する。今週末に記者会見して正式に発表する。文枝は上方落語の大名跡で、幕末に活躍した初代は「近代上方落語の中興の祖」と評され、上方で「桂」を名乗るすべての噺(はなし)家のルーツにあたる。 三枝さんは堺市出身で、1966年に桂小文枝(後の五代目文枝)に弟子入り。間もなく、ラジオ・テレビ番組で一躍人気タレントとなり、長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」の司会など、第一線で活躍を続ける。高座では80年代から創作落語に精力的に取り組み、息子の塾の問題に悩まされる父を描く「宿題」、いけすの魚たちの物語「鯛(たい)」など、他の一門に受け継がれている噺も少なくない。2003年には上方落語協会会長に就任、定席「天満天神繁昌亭」(大阪市)の開設にこ
世界のナベアツ改め「桂さぁ〜ん度です」 【拡大写真はコチラ】 師匠の桂三枝(右)から“桂三度”と命名された世界のナベアツ 落語家への転身を表明していたタレント・世界のナベアツ(41)の高座名発表会見が24日、大阪市内で行われ、師匠の桂三枝(67)が“桂三度(さんど)”と命名したことを明らかにした。漫才師、放送作家に続く三度目の転身を成功させてもらいたいとの思いと、ナベアツの本名・渡辺鐘(あつむ)を生かす意味で“渡”の字を“三”と“度”にバラし、新しい名前が決まった。 ナベアツは名前を会見場で初めて知らされたそうで「師匠の優しさがこもった名前で、ウルッときました。泥を塗らないよう頑張ります」と声を震わせた。 漫才コンビ・ジャリズム時代は“松本人志以来の天才”と呼ばれ、放送作家としてもフジテレビ系「笑っていいとも!」など人気番組を担当する売れっ子に。“3でアホになる”ギャグで大ブレークし、昨
桂三度さん(左)と師匠の桂三枝さん 桂三枝・上方落語協会会長に3月に弟子入りし、落語家に転身したピン芸人・世界のナベアツさんの新たな芸名が24日、「桂三度(さんど)」となった。 漫才師や放送作家の活動を踏まえ、「三度目の正直」という意味を込めての命名。三度さんは「名前に泥を塗らないようにがんばります」と目を潤ませた。 年下の兄弟子も多く、戸惑いながらの修業という。三枝さんは「三度の食事がしっかり取れるように。『ら』を取ると、『カツサンド』になります」。
大関昇進決めた琴ノ若関が所属、大相撲の名門・佐渡ケ嶽部屋のルーツは新潟佐渡島にあった?鍵握る「佐渡ケ嶽猪之助」って誰? 歴史探る菩提寺住職、縁ある新大関に熱いエール
日本テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と戦い、07年には落語家を引退。
円楽が「笑点」降板笑顔で司会からの卒業を表明した三遊亭円楽さん(下列中央)と、新加入の春風亭昇太(後列右端)ら大喜利メンバー=東京・水道橋の後楽園ホール【撮影日:2006年04月】 「江戸っ子らしい亡くなり方。『よぅ、あの世にいくよ』。そんな感じで…」 弟子の好楽さん(63)は、そう振り返った。円楽さんは25日に急に体調を崩したという。 信念の人、だった。テレビやラジオで人気者になったが、師匠に「芸が荒れた」と注意されると番組をすべて降板。5年間、高座に集中して芸を磨いた。 真打ち制度のあり方に異議を唱え、師匠とともに落語協会を脱退。その後の一門会を率いた。一門会が約40人の大所帯になったのは、信望を集めたゆえだ。 脳梗塞(こうそく)で倒れたのは平成17年。長く司会を務めていたテレビ番組「笑点」の司会を勇退した。高座復帰を目指して19年2月、国立名人会に臨み、十八番の古典「芝浜」を演じたが
鶴瓶の元弟分、6月に覚せい剤で逮捕されていた 元弟分の逮捕に笑福亭鶴瓶は怒りを通り越してあきれ顔だった がん患者を励ます活動で知られる元落語家・笑福亭小松被告(52)=本名・夏東雁(か・とうがん)=が、覚せい剤取締法違反(使用)容疑で京都府警に逮捕されていたことが20日、分かった。京都地検は同法違反の罪で起訴しており、26日に京都地裁で初公判が開かれる。 京都府警によると、逮捕容疑は6月中旬に覚せい剤を使用した疑い。同24日夜、京都市内で府警川端署員が、同被告の知人を道交法違反(無免許運転)の疑いで事情聴取。その際に車に同乗していた小松被告の様子がおかしかったため、翌日に川端署で2人に尿検査を実施。覚せい剤の陽性反応が出たため逮捕した。小松被告は大阪市内で覚せい剤を購入、あぶりで使用したと供述。96年にも同法違反容疑で奈良県警に逮捕されている。一部報道では06、07年にも同様に逮捕されてい
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