ホーム 雨宮処凛がゆく! 第494回:命の選別は「仕方ない」のか? 〜『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』。の巻(雨宮処凛) “今、この国を表す言葉をひとつ挙げてみよ”。 そう問われたら、あなたはどんな言葉を挙げるだろうか。 私が迷わず挙げるのは、「不寛容」という言葉だ。ゼロトレランスとも呼ばれるその言葉は、今のこの国の窮屈さ、息苦しさ、生きづらさなどなどを象徴しているように思う。 そんな「不寛容」さは、あらゆるところで幅を利かせている。 収まる気配のない生活保護バッシングや貧困バッシング。在日外国人へのヘイトや嫌韓、嫌中という言葉。ワイドショーで堂々と韓国ヘイトや女性差別を繰り広げる高齢男性。「たらたら飲んで食べて、何もしない人の金(医療費)をなんで私が払うんだ」という麻生大臣の発言や、過労死も過労自殺も病気になるのも「自己責任」という空気。「生産性」ばかりを求め、どれほ