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承認に関するlotus3000のブックマーク (16)

  • 承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう

    現代日が非承認型社会なのか、だいたい社会が承認を担保してくれることを期待してる奴ってキモくね、とか思うけど。承認って妙にネットワーク効果があるよね。誰かから認められ、そういう評判があると他の誰かからも認められやすいし、誰かから認められたという自信に裏打ちされた行動が、他からの承認を勝ち取ることもある。だから簡単にポジティブ・フィードバックでベキ法則風に分配されてしまうし「どーせ承認されないし」的ジタバタをやったところでハリネズミ症候群となってしまったり、そもそもエントリーポイントどこ?的な話はある。 この問題、決して昔が良かったとは思えないんですよ。昔からの承認って職能的なところは社会的地位に紐づいていて人にはどうしようもなかったりしたろうし、人格的なところは村社会で非常に狭いところに押し込められていただろうから。そういう諸々が郊外化で崩壊して、団塊世代がヒューマニズム的な教育観を持ち

    承認欲求って昔から政治権力や宗教の源泉だよ - 雑種路線でいこう
  • ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と本棚2

    はじめに なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこいてんじゃねえ! 読んでて、そもそもどういう「承認欲求」のことを言っているのかよくわからないし、それを夢とか自己愛とかとアクロバティックに繋げられてもなんとも言いがたい、というのが正直な感想でした。ういにゃんさんのツイートを受けて書かれたんじゃないかなと邪推しておるのですが、具体的な場面に沿って確認してみないとうまくあてはまるかどうかわからないな、と。 それはそれとして、じゃあ「承認」という言葉について、どんなふうに遣われてきたのか、そろそろまとめがあってもいいんじゃないかなと思って調べてみました*1。調査歩法として、「承認欲求」ではてなブックマーク検索して、100ブクマ以上の記事を眺めつつ、主観も交えながら目星をつけて、周辺の記事をたどってまとめました。なぜ08年までかというと、黎明期が見れて面白いというのと、単純に古いほうから

    ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と本棚2
  • 「承認欲求」をめぐる混乱はなぜ生じたのか?:「承認」概念の三つの起源 - 長椅子と本棚2

    「承認」の起源という問題 以前に、日のインターネットでよく言及される「承認欲求」という言葉がかなり多義的に用いられているということを、実際の使用例を見ながら論じました。 ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と棚 上の記事では実際のネットスラングとしての使用例だけをまとめましたが、「承認」という言葉はネットでの用法にとどまらない背景を背負っています。そこで、今回は少し切り口を変えて、「承認」という概念の出自から、この概念がなぜこんなにも混乱した仕方で用いられているのかを考えてみます。 さて、「承認」という言葉の出自はどこに求められるでしょうか。現代の日で最もよく知られているのはA. マズローが用いたesteemという概念でしょう。「承認」についてまとまった連載記事を最近投稿していた「シロクマの屑籠」のid:p_shirokuma氏は、次のように書いて

    「承認欲求」をめぐる混乱はなぜ生じたのか?:「承認」概念の三つの起源 - 長椅子と本棚2
  • ウラ事情にこそ、鍵がある - Freezing Point

    昨日は、NHKラジオ第1 『引きこもっちゃダメですか?』を聴取。 《公/私》だけでなく、《表/ウラ》を別軸で考えなければ。 生身が生き延びるには、むしろ裏事情が決定的だ。 元気な人は、「口にはできないあれこれ」で仕事や生活をしのいでいるのに、「ニートひきこもり支援」というと、なぜかキレイごとばかりになる*1。 実際にやれるかどうか*2は、むしろ隠された部分にある。 それは、公開では扱いにくい。では今後は、どういう割り切りが必要か*3。 言葉以前に、どこに着手しなければいけないか。――たんにウラと表を切り分け、斜に構えるだけでは、問題の根がいつまでたっても放置される。嘘にウソを塗り固めるような事業しかできない。それだけなら、抑圧に加担することにしかならない。 表とウラを使い分ける社会性が、高齢化と引きこもりで限界に直面している*4。 家事や介護が経済社会に混ざるには*5、《オモテ/ウラ》

    ウラ事情にこそ、鍵がある - Freezing Point
  • 専門家の承認願望に搾取される社会問題 - Freezing Point

    働かないことが問題となる引きこもり。 皮肉なことに、この問題の専門家は、「仕事をした」というアリバイ作りしかしていないことが多い*1。 彼らは、ルーチンをこなすだけで承認と対価を得られる*2。 逆にいうと、ディシプリンをはみ出した努力では業績にならない。――そこで、問題そのものの実態より、専門性の都合が優先される。 「そういう話にしておいてくれないと、僕の業績にならない」 何をしていいかが誰にもよくわからない引きこもり問題では、既存ルーチンで「仕事をした」と主張する人は、詐欺師の要因を持たざるを得ない。そこから考え直さなければならないが、うまくやらないと、この指摘そのものによって排除される。社会参加を続けるには、権力をにぎる「専門家」に都合のよい苦しみを生きなければならない*3。 専門家じしんが、承認問題の露骨な当事者となっている*4。 「くだらないことしか出来なくても承認されるべきだ」と

    専門家の承認願望に搾取される社会問題 - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2010/12/08
    この問題は大きい。特に期間が設けられてないが故に。
  • 自分備忘録:希望難民ご一行様ピースボート「と承認の共同体」幻想

    さいとーだいち/Daichi Saito @daichittaX 1、古市憲寿@poe1985の「希望難民ご一行様」読了。ピースボートを題材に若者と承認と共同体あたりを「やさしく(優・易)」書いた名著。一周して共同性(サークル)の中で若者が目的性(夢とか)を楽しい日々に冷却されて諦めるのを許しつつ「デンノッホ!」を引用する結論は無論好み。 さいとーだいち/Daichi Saito @daichittaX 2、古市@poe1985の結論への多由紀@hahagumaの反論は生活インフラとか雇用が不安定な中で今は良くても病気などの時困るので共同体が運動に発展することを期待している。そのすりあわせの結論が目的性でも共同性でもセーフティネットでもなんでもいいから生きるための道具にしろ さいとーだいち/Daichi Saito @daichittaX 3、というのが檄文っぽくて田由紀@hahagu

    自分備忘録:希望難民ご一行様ピースボート「と承認の共同体」幻想
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 生産力と生産関係の矛盾より、「規範とディテールの矛盾」が常に生じている。 - Freezing Point

    社会生活を持続させる能力は、犯罪を持続させる能力に近い。 「出来心・キレる・利用される」ではダメ。 周到さ・忍耐・自律が要る。 組織的承認のある犯罪には、誰も手をつけたがらない(黙認される)*1。 別の社会性をもって今の社会性に替えることは、現状の環境では犯罪と認知される。 生態学的モチーフとしての承認*2。 罪をおかす能力をもって、居直りに終わるか、状況変革に向かうか。 優等生的メンタリティはプロセスとして硬直し、合成の誤謬を生む。 *1:正しいとされる多くの事業は、よく考えれば犯罪的だ。 *2:「多くの人に承認されているが、承認のされ方が間違っている」ことがある。

    生産力と生産関係の矛盾より、「規範とディテールの矛盾」が常に生じている。 - Freezing Point
  • Moji Pest Control

    When you hear the word sunroom many different pictures come into your head.  First and foremost is how much will it cost?  For those interested in these types of additions, price shouldn’t be a factor.  You need to look at this as an investment in your home and you will get the monetary value back out if and when you sell your home. This is why sunroom additions in Columbia, SC are so popular.  Pe

    lotus3000
    lotus3000 2010/03/20
    超人とは自己を承認するもの。ニーチェの子供の頃のあだ名は「牧師」だったということを思いされる。
  • 小松原織香「承認欲求の牢獄から抜け出すために」

    承認欲求の牢獄から抜け出すために 文=小松原織香 インターネット上で、自らを「非モテ」と称する男性の存在を初めて知ったとき、驚いた。彼らは「女はイケ面とばかり付き合う。だから、不細工なオレはモテない」と言う。それは、私が長く抱えてきた「女の恨み辛み」にそっくりだったのである。私は、「男はカワイイ女の子と付き合う。だから、不細工な私はモテない」と、自分の境遇を憐れんできた。自分が女性であることによって、抑圧されていると感じても、フェミニストは名乗れなかった。なぜなら「ブスのヒステリー」という典型的揶揄を、心底恐れていたからだ。そのように、私が女の痛みとして抱えてきた美醜問題が、男の口から、しかも女を批判する形で出てきたことは、私にとって青天の霹靂であった。 かつて、ミスコン批判が、フェミニズムの大きな運動であったことがある。フェミニストは、「女性は美しくあるべき」という言説が女性を抑圧してい

  • 承認――プロセスと結果 - Freezing Point

    数学の証明では、それが「プロセスであるから」と合意されることはない。数学的分節はあくまで「結果」が検証される。最終的到達点が「正しいかどうか」で初めて合意がなされる。 ところが制度分析では、プロセスがプロセスであることそのものがまず肯定されなければならない。それが「福祉的である」ということ。「取り組んでいる」というだけで、その臨床的意義を認める。 才能がなくても「数学をやっている」だけで安らぐことがあるとして、それは精神療法として意味はあっても、証明内容に同意することはできない*1。 承認されるとすれば、それは「結果的な内容ゆえに」であって、「患者さんのプロセスだから」ではない。 思考や制作の分節過程を中心化することは、精神科臨床としては意味があっても、分節された内容(論文や作品)が、それ自体として承認されるわけではない。 ⇒「プロセスを評価する」という、この臨床的な位置づけ自体が集団的な

    承認――プロセスと結果 - Freezing Point
  • 今村仁司「近代の労働観」 - 備忘録

    近代の労働観 (岩波新書) 作者: 今村仁司出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1998/10/20メディア: 新書購入: 9人 クリック: 222回この商品を含むブログ (25件) を見る 今村仁司は、近代の労働観を古代のそれを転倒する形で生じたものとみる。 古代の労働観では、手仕事などの肉体的行為、職人的な、あるいは芸術家の制作までが格の低い行為とされ、モノを作ることではなく、モノを使うことが価値の高い、格の高い行為とみなされた。近代以前は、余暇の、自由時間の文明である。余暇による無為は、公共的世界(議会などの討論の場)を生み、その中で活動的に生きることが価値のあるものとされる。一方、労働は、宗教的、道徳的な評価によって支えられた。 しかし、近代の産業社会は、時間に服従して行動する「機械的身体」を必要とする。これを用意したのがプロテスタンティズムの職業倫理、そして強制的禁欲政策と救貧

  • asahi.com(朝日新聞社):ルワンダ、英連邦に加盟 旧宗主国は独・ベルギー - 国際

    【ヨハネスブルク=古谷祐伸】旧イギリス植民地などで構成される英連邦はアフリカ中部ルワンダの加盟を認めた。フランス語が使われてきたルワンダの旧宗主国はドイツとベルギー。英国の植民地経験のない国の加盟は、95年のモザンビーク以来。ルワンダ政府は2006年に仏政府と断交、先月末になって国交回復で合意したが、英国寄り姿勢を強めている。  AFP通信によると、英連邦は11月29日、カリブ海の島国トリニダード・トバゴで開いた首脳会議で、ルワンダの加盟を決定した。加盟国は54カ国になった。  ルワンダの地元紙によると、ムシキワボ情報相は「我が国が過去15年間になしとげたとてつもない進歩の承認と受け止める」と語った。  ルワンダは80万人が犠牲になった1994年の虐殺事件後、カガメ大統領のもとで急速に復興している。英語圏が多い周辺国との通商強化の狙いもあって2008年、英語を公用語に加えた。  仏との関係

  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
  • 左が左を嫌いになる時 - 我が九条

    私はかつて次のように書いた(「扇動されやすい人2 - 我が九条」)。抜粋しておく。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、仄めかされると、当時は立派なサヨクが誕生したのだ。 扇動されやすい人がサヨクに走った理由は、当時言論界では「左翼」が幅を利かせていたからであり、大学に入って世話になるオリターに左翼が多かったからである。その頃はマルクス主義を標榜しないと「右翼」または「ブル」呼ばわり。いろいろなレッテルがあった。私は丸山真男に凝っていたのだが「近代主義者」、佐藤進一に凝ると「実証主義者」。これらはいずれも当時は「ウヨ」という意味である。ちなみに日共が日共とは異なる左

    左が左を嫌いになる時 - 我が九条
  • 他者承認を通貨としてあつかう非モテ - 誰が得するんだよこの書評

    とにかく他者から自分の存在を肯定されたい! という人生は、なんだか息苦しいのではないかと最近感じる。いや、もちろん自分も他者承認に飢えていることはたしかだし、その必要性をないがしろにしたいわけではない。マズローによれば、他者からの愛情・尊敬は人間の基的欲求だからこれが足りないとメンヘラ一直線でたいそう困ったことになる。だから、まあ、他者承認への欲求自体はもう能みたいなもので、善い悪いを別として認めるしかないよねって感じだ。僕が興味深く思うのは、いわゆる非モテ(他者承認に不自由な人)が、承認してくれそうな他者がいるにもかかわらず、なんかよくわからない理由で、それを拒んでしまう現象だ。 非モテの求めるもの 非モテは、仕事面で成功してモテるようになってもなんだか楽しくなさそうなのである。 ただ、いまこうプチモテ期を迎えると、暗黒面が顔を出す。 あの頃相手にしてくれなかったくせに!っと今俺に近

    他者承認を通貨としてあつかう非モテ - 誰が得するんだよこの書評
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