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社会学に関するlotus3000のブックマーク (32)

  • 【熊本地震】「“震災ポルノ”ではなく潜在的課題を報じて」 農村社会学者が感じた震災報道の “違和感”(田中森士) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    地震では、農山村部も大きな被害を受けた。しかし、こうした地域の報道量は極めて少なく、被害状況の認知度は低い。農山村部の復興に携わる、熊大名誉教授の徳野貞雄氏は「マスコミは “震災ポルノ” ではなく潜在化した課題を報じてほしい」と訴えている。徳野氏に、被災地が抱える課題などについて聞いた。 「マチ型震災」と「ムラ型震災」の複合型震災ーー今回の熊地震の特徴とは。 徳野氏:大規模な直下型地震だったため、被害が広範囲に及んでいる。それにより、「マチ型震災」と「ムラ型震災」の複合型震災となった。 ところが、マスコミの報道が限定された地域のみでなされ、「マチ型震災」ばかりがクローズアップされてしまった。農山村部を指す「ムラ」においては、土砂崩れや6月に発生した豪雨の影響もあり、今も元の暮らしが取り戻せていない場所が多い。 ーー農山村部の被害状況について教えてください。 徳野氏:活断層の亀裂によ

    【熊本地震】「“震災ポルノ”ではなく潜在的課題を報じて」 農村社会学者が感じた震災報道の “違和感”(田中森士) - エキスパート - Yahoo!ニュース
  • カール・マンハイム - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "カール・マンハイム" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年7月)

    カール・マンハイム - Wikipedia
  • サッシャ・ベッカー&ルドガー・ウイスマン「デュルケーム『自殺論』再訪 ~プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い?~」(2012年1月15日)

    サッシャ・ベッカー&ルドガー・ウイスマン「デュルケーム『自殺論』再訪 ~プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い?~」(2012年1月15日) ●Sascha O. Becker and Ludger Woessmann, “Religion matters, in life and death”(VOX, January 15, 2012) 宗教は、自殺という重大な決断に何らかの影響を及ぼすだろうか? 19世紀のプロイセンのデータを用いて検証したところ、プロテスタント教徒の割合が高い地区(郡)では、カトリック教徒の割合が高い地区(郡)においてよりも自殺率がずっと高い傾向にあり、プロテスタンティズムこそが自殺率を高めている原因であるとの結果が得られた。経済学的なモデル(合理的選択理論)の助けを借りれば、プロテスタンティズムがなぜ自殺率を高めることになるのかを理解する手掛かりを

    サッシャ・ベッカー&ルドガー・ウイスマン「デュルケーム『自殺論』再訪 ~プロテスタント教徒はカトリック教徒よりも自殺傾向が高い?~」(2012年1月15日)
    lotus3000
    lotus3000 2015/06/27
    デュルケーム自殺論の再チェック。
  • Amazon.co.jp: 生活保障 排除しない社会へ (岩波新書 新赤版 1216): 宮本太郎: 本

    Amazon.co.jp: 生活保障 排除しない社会へ (岩波新書 新赤版 1216): 宮本太郎: 本
  • ヘイトスピーチと「傷つきやすさ」の社会学/塩原良和 - SYNODOS

    2000年代後半以降の日社会では、いわゆる「ネット右翼」や「行動する保守」などと呼ばれる人々による、外国人住民をはじめとする民族的・社会的マイノリティ(*1)に対する攻撃的な言動が注目を集めるようになった(板垣2013; 安田2012; 前田2010a; 高・雨宮2013)。それにともない、「ヘイトスピーチ」という概念への関心も改めて高まっている。 (*1)稿では「マイノリティ」を、ある社会においてネガティブだとされている差異(マイノリティ性)を有しているがゆえに不利な立場に置かれた人々と定義する。なお稿では、近年の日において急速に顕在化してきた、外国人住民をはじめとするエスニック(人種・民族的)・マイノリティへのヘイトスピーチを主な検討対象とするが、それ以外の社会的マイノリティへのヘイトスピーチについてもあてはまる分析については、「エスニック・マイノリティ」ではなく「マイノリティ

    ヘイトスピーチと「傷つきやすさ」の社会学/塩原良和 - SYNODOS
  • 認知バイアス - Wikipedia

    認知バイアス(にんちバイアス、英: cognitive bias)とは、物事の判断が、直感やこれまでの経験にもとづく先入観によって非合理的になる心理現象のことである[1]。認知心理学や社会心理学での様々な観察者効果の一種であり、非常に基的な統計学的な誤り、社会的帰属の誤り、記憶の誤り(虚偽記憶)など人間が犯しやすい問題でもある。従って認知バイアスは、事例証拠や法的証拠の信頼性を大きく歪めてしまうことがある。 認知バイアスは生活、忠節、局所的な危険、懸念など様々な要因で発生し、分離して成文化することは難しい。今日の科学的理解の多くは、エイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマンらの業績に基づいており、彼らの実験によって人間の判断と意思決定が合理的選択理論とは異なった方法で行われていることが示された。そこからトベルスキーとカーネマンはプロスペクト理論を生み出した。トベルスキーとカーネマンは、

  • http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Index%20Lectures%20and%20Seminars.htm

  • 「承認欲求」という言葉の歴史的起源をさぐる

    よく耳にする「承認欲求」という言葉の歴史的起源について。ありそうな説としては (1)A・マズローの欲求のピラミッド起源 (2)チャールズ・テイラーの承認をめぐる政治の議論が起源 (3)宮台真司と愉快な仲間たちが起源 の三つですが、はっきりした起源は未だに不明です。

    「承認欲求」という言葉の歴史的起源をさぐる
    lotus3000
    lotus3000 2013/03/16
    承認要求の使われ方の歴史。
  • シェアハウスに映る死、夢、そして孤独の今

    1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 開沼博 闇の中の社会学 「あってはならぬもの」が漂白される時代に 不法就労外国人、過激派、偽装結婚プロ

    シェアハウスに映る死、夢、そして孤独の今
  • [PDF]排外主義運動のミクロ動員過程 ― なぜ在特会は動員に成功したのか―

    — 2 — アジア太平洋レビュー 2012 1. 問題の所在 日に右翼はあっても極右はない―正確に いうと排外主義 (nativism) (1) を前面に掲げた社会 運動は存在しないというのが定説であった (2) 。と ころが、在日外国人を明示的な標的とする排外 主義運動が、2000年代になって現れるように なっている。これらの運動は、①外国人排斥を 訴え、②既成右翼 (街宣右翼) と独立して運動を 構築し、③若年層 (40代以下) が中心的な担い手 となる点で、西欧の極右運動と共通点が多い。 右派市民運動 (3) としては、1990年代に発生した 新しい歴史教科書をめぐる運動が、排外主義運 動の源流として存在する (4) 。このような歴史修 正主義運動は衰退し、それに代えて2000年代 後半から排外主義運動が台頭するようになっ た。 稿では、保守主流派よりナショナリズムと 排外主義に

    lotus3000
    lotus3000 2012/10/11
    大衆社会論ではなく、資源動員論による視点での安田のルポの批判的検証。となるとかつての思想や政治とは違うのか。/渡部昇一あたりを買っていた層の子供たちあたりと仮定する。
  • 「援助交際」とは何か(ある場所に書いた記事です) - MIYADAI.com Blog

    1950年代後半の男女交際誌で長期的愛人契約の意味で用いられたのが最初の用法。今日のように売春の意味で使われるようになったのは90年代に入ってからだ。85年に誕生して瞬く間に全国化したテレクラが今日につながる援助交際の歴史の出発点にあった。 テレクラには当初売春は殆どなかったが、出会ってすぐに性交できるという事態の未規定性を規定化するべく、男性が自発的に「お小遣い」を置いていく現象が頻発した。それを前提に、80年代末になると「お小遣いがほしいんだけど」と持ちかける若い女性が増えた。 90年代に入ると、テレクラに加えてNTT伝言ダイヤルやダイヤルQ2サービス上で、出会いを求める女性コールの大半が売春希望という事態に発展した。この頃から、かつての長期的愛人契約の意味でなく、一回限りの売春という意味で「援助交際」の語が使われ始める。 92年夏から都内で使用済の下着や制服をマニア向けの店(ブルセラ

  • 確率・統計学の哲学 (文献メモ) - 社会学徒の研究(?)日誌

    ブルデューが対応分析(コレスポンデンス分析)を用いる背景には、彼の認識論的・社会学的な思想があります。最近、ブルデューから離れて確率・統計学の哲学を考えてみる必要性を感じているので、ここに文献をメモしておきます。おすすめの文献が他にありましたら、ご教示下さい。 Philosophy of Probability: Contemporary Readings [asin:0415483875:detail]Probability: A Philosophical Introduction [asin:0415282519:detail]Philosophical Introduction To Probability (Csli Lecture Notes)Philosophical Introduction To Probability (Csli Lecture Notes)作者: Ma

    lotus3000
    lotus3000 2012/10/07
    統計学の哲学。
  • 論者は「何を」あきらめていないのか - Freezing Point

    古市憲寿、田由紀『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)』に対する、 大澤真幸氏による書評:《「何を」あきらめればよいのか、を問う》(ブック・アサヒ・コム) これは読めて良かった。*1 事業を共有できないときには、共同性も実現できない。 だからといって《事業≒目的》は、下心で人工的にあつらえることもできない。真の必然性が要る。 大澤氏はその、真の必然性に満たされた《目的》のあり得なさを言っているが、 必然性をもった事業を用意できなければ、自分は恣意性に浪費されるだけの存在になる。 恣意性による浪費だけがこの生の必然性になる。 それを避けるために、 自分のやっている《理論事業》だけは、真の必然性に紐づけられた事業だと思いたがる。 ・・・・社会学者じしんは、《何をあきらめたくないか》が分かっている(そうでないと論文も書けないしも読めない)。 彼らが研究する《若

    論者は「何を」あきらめていないのか - Freezing Point
  • ララビアータ:佐藤俊樹氏の『社会学の方法』(3) - livedoor Blog(ブログ)

    (自己産出システム) 初めに提示された「常識をうまく手放す」と「社会が社会を作る」という二つの主題に社会学の歴史を凝縮し、その展開をデュルケーム、ジンメル、ヴェーバー、マートンと順に見ていく手腕はうっとりするくらい見事である。そして、それらの展開を再びルーマンに集約して、そこに社会学的認識の現在を見て取る。主題とその展開を終楽章に回顧するシンフォニーを聴く様な印象を受ける。作品のまとまりも見事というしかない。 すべてが合流する地点に置かれたルーマンは、自己産出、自己論理という定式化を結晶させた。従来の自己産出論でわかりにくいのは、自己産出するシステムにとって、外部が存在しないといった言い方がされるからである。自己と非自己の区別自体が自己を生成するのだとしたら(たとえば、合法・非合法の判断が法を産出する)、どうしたって外部があるはずではないか? しかし、ここでは自己を産出するための「材料」を

  • ララビアータ:佐藤俊樹氏の『社会学の方法』 - livedoor Blog(ブログ)

    佐藤氏の新刊(ミネルヴァ書房)を読んだ。以下、その読後感想を記すことにする。 書の特徴は、単に諸社会学理論の概説とか、歴史というものにとどまらず、それらを生きた分析技法として使用する現場の勘所のようなものを教えてくれるところだろう。社会学に限ったことではないが、学問的知識は、単にまとまった完成された知の体系として学ばれるだけでは十分ではない。むしろ、自分で使って自分なりの分析道具として自由に活用できるようにならなければならないのである。その点が、とかくアマチュアの学者が苦手とするところだ。独学で理論を学ぶ人は、それを完成された形で受け取りがちである。そこで、どこが肝心の所か瑣末な所かメリハリがつかめず、金科玉条のものと奉ったり、情況に応じた柔軟性がなかったりしがちだ。職人の技のように、力量ある親方の傍で見よう見まねで覚えたり、個々人によって異なる弱点や個性に応じた手ほどきを受けたりとい

  • 社会性こそがルーチン化している - Freezing Point

    社会学を専門にされる関水徹平氏の論文を幾つか拝読*1。 なかでも論考 《「社会性」概念の再検討》*2 は、直接的に支援とかかわる。 「文化的判断力喪失者 cultural/judgemental dope」は、もとの文脈でもっていた意味に留まらず、臨床実務上の機能を持ちうる概念にみえる。以前に酒井泰斗氏とのやりとりでも取り上げた(参照)。 私は、議論であれ活動であれ、「その事業が何をしようとしているか」に注目する*3。 関水氏の論考は、事業趣旨を私と共有するわけではないかもしれないが、自分の趣旨を問い直す機会になった。何が耐えられなくて考えざるを得ないか。 「自分は何を引き受けてしまっているか」を忘れた事業は、《嗜癖=惑溺=dope》となっている*4。 「それを考えないでどうするんだ!」を忘れるところに荒廃がある。 関連メモ ガチガチに硬直した引きこもり状態では、《永遠の現在》しか生きられ

    社会性こそがルーチン化している - Freezing Point
  • パーソンズのマッカーシズム論と現代日本のナショナリズム - Standing Stone 別館

    パーソンズ(Talcott Parsons),「アメリカにおける社会的緊張」とその「追記」 『政治と社会構造 上』1969=1973 新道正道監訳,誠信書房 所収 まず、マッカーシズムの定義をwikipediaから抜粋。 マッカーシズム(McCarthyism)とは、1950年2月にアメリカ合衆国上院で、ジョセフ・レイモンド・マッカーシー上院議員(共和党)が「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したことを契機に、ハリウッド映画界などをも巻き込んで大規模な「赤狩り」に発展した事件。後にはニューディーラーまで対象となった。 ・・・マッカーシーはその告発対象をアメリカ陸軍やマスコミ関係者、映画関係者や学者にまで広げるなど、マッカーシズムは1950年代初頭のアメリカを恐怖に包み込んだが、マッカーシーやその右腕となった若手弁護士のロイ・コーンなどによる、偽の「共産主義者リスト」

  • 自己コントロールの檻 - 感情マネジメント社会の現実 - 雑記帳

    「人格崇拝」と「マクドナルド化」を中心に現代社会を論じた。合理的手法の非合理的帰結。 はじめに 現在の社会的状況を支える中心的規範として、けっして自他の人格を傷つけてはならないという「人格崇拝」と、予定にしたがってものごとを効率的に進行させなければならないという「マクドナルド化」の二つの規範が存在する。 この二つの規範は社会の心理主義化によってより高度で厳格なものとなってきており、一方でなめらかでスムーズな人間関係を生み出すけれども、他方では息苦しくさせるような状況をも創出していると思われる。(p19) 第一章 心理主義化社会 筆者はまず、就職活動における「自己分析」をまず例に挙げ、社会の心理主義化に半ば強制的に巻き込まれていってしまう現状について説明している。巷に溢れる「自己分析」関連の書籍を読み、「自己分析」を研鑚することで、「“私”の選択の実現が他者による選択に依存し、その他者が心

    自己コントロールの檻 - 感情マネジメント社会の現実 - 雑記帳
    lotus3000
    lotus3000 2010/10/10
    心理学化する社会とその帰結を書いた作品。
  • 追悼特別番組巨人、逝く 小室直樹が残した足跡 (神保哲生の「マル激トーク」)

    マル激トーク・オン・ディマンド 第495回(2010年10月09日) 追悼特別番組 巨人、逝く 小室直樹が残した足跡 ゲスト:橋爪大三郎氏(東京工業大学教授、社会学者) プレビュー 「近代とは何であるか」を問い続けた稀代の学者小室直樹氏が、先月4日、この世を去った。大学など研究機関に属さず、「在野」の研究者としてわれわれ一般市民に向けて語り続けた小室氏の功績は、余人をもってしても代えがたい。また、小室氏は、マル激の司会者宮台真司が最も大きな影響を受けた学者でもある。そこで今回マル激では、追悼特別番組として、小室氏のもとで学んだ社会学者の橋爪大三郎東京工業大学教授と宮台真司の両名とともに、小室氏の追悼特別番組をお送りする。 橋爪、宮台の両氏が師と仰ぐ小室直樹氏とは、いったい何者だったのか。一般には、1980年に出版した『ソビエト帝国の崩壊』でソ連崩壊を10年以上も前から正確に予測したことや、

  • (PDF)インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究 調査結果概要報告書