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議論に関するlotus3000のブックマーク (109)

  • シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ

    1.シーライオニングとは何か? 2.ネット論客のシーライオニング 3.悪質なシーライオニングの問題点。 3.1 追記 4.【関連記事&参考文献】 1.シーライオニングとは何か? 嫌われる行為の一つとしてシーライオニングというものがよく話題に挙がる。しかしこのシーライオニング、実は単に嫌われるというだけでなく様々な問題を含んでいるのではないだろうか。 今回は、シーライオニングとは何かという話と悪質なシーライオニングが蔓延することの問題点について考えていきたい。 まず、シーライオニング(sealioning)とはウェブ漫画家David Malki !の描いた漫画から派生して生まれた概念である(URL: https://wondermark.com/1k62/ )。 簡単に言うとシーライオニングとは、上の漫画のアシカ(シーライオン)がやっているようなことである。 漫画の内容としては、左上から ①

    シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ
  • 近藤誠氏との対峙の仕方

    以下、記憶を頼りに書いていて、裏を取っていないのでまちがってたら教えてください。 近藤誠氏と当時のがん治療のオピニオンリーダーたち(外科医)の論争を読んだのはぼくがアメリカで内科研修医をしていた1990年代後半だったように思う。 近藤氏はがんもどきの存在を主張し、なんでも切ったり化学療法をするのは間違っていると論じた。根拠となる臨床試験も参照していた。一方、当時の外科医たちは実験医学と経験主義ばかり。「切ってる俺達がちゃんと仕事してんだから文句言うな。くじ引き試験?患者で実験する気か。エビデンス?なんだそれ?」って感じで、全然議論が噛み合ってなかった。 近藤氏の意見は理路整然としていたが、当時の外科医たちはひどかった。アメリカにいたぼくはエビデンスエイスドメディシンをバリバリ学んでいたが、日の医療界は数周時代遅れに見えた。日のがん領域のトップってどうしてあんなに、、、、と大いに失望させ

  • 「新9条論」は危険な悪手 - 読む・考える・書く

    最近、護憲派・左翼の側こそ憲法9条の改正を提起すべきだという、「新9条論」を主張する人たちが出てきている。いったい彼らはなぜそんなことをすべきだと言うのか。また9条をどう変えようとしているのか。東京新聞[1]によると、9条改正を主張する今井一氏、小林節氏、伊勢崎賢治氏は、それぞれ次のように主張している。 なぜ今、反安倍勢力こそが「改憲」を議論しなければならないのか。 「集団的自衛権の行使容認に転じた安倍政権の“解釈改憲”は度を越しているが、『自衛隊は合憲』という歴代政権の主張も、九条を素直に読めば無理がある。この欺瞞性を逆手に取られた」。ジャーナリストの今井一氏が自戒を込めて切り出した。 実際、安保法の成立に突き進んだ自民党の高村正彦副総裁は「自衛隊も創設当初は違憲と言われた。憲法学者の言うことを聞いていたら日の平和はなかった」と繰り返した。護憲派の欺職性が、安保法の違憲性を無視する言い

    「新9条論」は危険な悪手 - 読む・考える・書く
  • 日本が誇るソフトパワーとは ジョン・ダワー氏に聞く:朝日新聞デジタル

    あの戦争が終わって70年、日は立つべき場所を見失いかけているようにみえる。私たちは何を誇りにし、どのように過去を受け止めるべきなのか。国を愛するとは、どういうことなのか。名著「敗北を抱きしめて」で、敗戦直後の日人の姿を活写した米国の歴史家の声に、耳をすませてみる。 ――戦後70年を振り返り、日が成したこと、評価できることは何だと考えますか。 「以前、外務省の高官から『日はソフトパワーを重視している』と聞かされたことがあります。日車、和漫画やアニメ、ポップカルチャー。世界が賛美するものは確かに多い。しかし、例えばハロー・キティーが外交上の力になるかといえば、違うでしょう。世界中が知っている日当のソフトパワーは、現憲法下で反軍事的な政策を守り続けてきたことです」 「1946年に日国憲法の草案を作ったのは米国です。しかし、現在まで憲法が変えられなかったのは、日人が反軍事の

    日本が誇るソフトパワーとは ジョン・ダワー氏に聞く:朝日新聞デジタル
  • 「レッテル貼り」生み出す社会とは 高橋ヨシキ氏に聞く:朝日新聞デジタル

    安全保障法制の議論で首相が繰り返す「レッテル貼り」という言葉。「レッテル貼り」と、その言葉を生み出す社会と政治について、デザイナー・映画ライターの高橋ヨシキ氏に聞いた。題して「積極的平和主義と『1984年』」。 ――「レッテル貼り」という言葉、どう思いますか。 「たとえば、今、映画でもでも『分かりやすい』、というのが褒め言葉になっています。一方で『意味が分からない』と怒る人もいます。瞬時に理解できる、あるいはできた、と思えることがすなわち〈良いこと〉である、という勘違いが広まっていることと無関係ではないでしょう。『レッテル貼り』のように、物事を不必要に単純化する『分かりやすい』言葉は、その実、何も伝えていないことが多々あるにもかかわらずです」 ――安保の議論は細かくて難しい。分かりやすい議論は必要ではないですか。 「と言って、『レッテル貼り』の応酬では議論が深まらない。今の政治は『キャッ

    「レッテル貼り」生み出す社会とは 高橋ヨシキ氏に聞く:朝日新聞デジタル
  • 「リベラル」って誰のこと? - 擬似環境の向こう側

    ネットではよく「戦後リベラルは…」といった物言いを目にする。そこで言及される「戦後リベラル」というのは大抵頭の悪そうな主張をしていて、柔軟性に欠ける一方、平気でダブルスタンダードを行使する卑劣な輩であったりする。 こういう物言いが気になるのは、ぼくが自分のことを(一応は)リベラルだと考えているからなのだろう。自分では全く支持しないような意見であっても「リベラル」だというだけで、それを支持していることにされてしまう。これはあまり愉快な経験ではない。 おそらくそれは「リベラル」に限った話ではないはずだ。「フェミニズム」、「サヨク」、「ウヨク」、「ネトウヨ」等々のカテゴリーにしても同様のはずだ。自分では口にしたこともないような意見についてまでそれを支持していることにされてしまう。実際、この手の粗雑なカテゴライズは緻密な議論を展開するうえではそれほど役に立たない。むしろ邪魔になることのほうが多いだ

    「リベラル」って誰のこと? - 擬似環境の向こう側
  • 「ファシズム」は「暗い時代」では「ない」

    ystk @lawkus 「TOKYO AGAINST FACSISM」と大書された横断幕を持って歩くデモの画像が流れてきた。安保法制反対も安倍政権打倒も、その手段としてのデモも大いにやったらいいと思うが、ファシズムかあ。右も左も論敵をファシスト呼ばわりするのが好きな人多いよな。 2015-06-15 11:06:48

    「ファシズム」は「暗い時代」では「ない」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    いったいいつから、殺人犯が手記を刊行してはいけないということになったのだろう。では永山則夫は、佐川一政は、木嶋佳苗は、永田洋子は。いやほかにも手記はたくさんある。 つまり少年法によって、二人殺しながら死刑にならなかったのが許せんと言うなら、それは少年法の改正を訴えればいいだけのことで、少年Aがいくら懇願したって死刑にはしてくれないのである。 永山は印税を遺族に支払ったからいい、と言うなら、遺族に支払え、と言えばいい。木嶋はまだ判決は確定していないが、それが質的な問題かどうかは分からない。 永山が文藝家協会から入会を拒否されたことに抗議して退会した柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男のうち、三人はまだ生きているが、こういう人たちもネット上リンチの対象にしたらどうか。 見沢知廉なんか、右翼の抗争で一人殺して服役し、刑務所での処遇に不満を述べた著作を出して三島賞候補にまでなったのである。これ

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 【私のネトウヨ時代について】TwitLonger — When you talk too much for Twitter

  • 言葉のブーメランが返ってくるとき - 擬似環境の向こう側

    ネット上ではやたらと攻撃的なひとが少なくない。 とにかく他者や他集団に対して攻撃的な書き込みをする。それも一つの芸風だと言ってしまえばそこまでだが、そういうひとは防御力が弱くなることも多い。 というのも、誰かを攻撃するためには何らかの理由が必要だからだ。「こんなに酷いことをする(言う)なんて」という理由によってひとは他者や他集団を攻撃する。だが、攻撃をする回数が増えるほどにその理由づけも増えていく。結果、自分自身の行動がそれに当てはまってしまう可能性がどんどん上がっていくのだ。そうなれば、自分自身の言葉がブーメランになって返ってくることもそれだけ多くなってしまう。言論戦において「攻撃は最大の防御なり」は必ずしも妥当しない。 もっとも、言動の一貫性など最初から気にせず、他人からそれを指摘されたとしても無視すればよいだけなのかもしれない。しかし、そういう人は他人からも「そういう人」だと見なされ

    言葉のブーメランが返ってくるとき - 擬似環境の向こう側
  • 出版されて10年になるが、まだ古びていないことは喜ばしいことなのか どうか -ななころびやおき『ブエノス・ディアス、ニッポン』- - もちつけblog・はてなブログ版(仮)

    『ブエノス・ディアス、ニッポン 外国人が生きる「もうひとつの日」』を読んだ。*1 出版されて10年は経つが、いまだに古びていない。 それは喜ばしいことなのか(反語)。 野村進が書評*2でいうように、「激変する在日外国人社会の現状を知るためには必読の一冊」であり、「依頼人の七割以上が在日外国人という現役ばりばりの弁護士」が、「複雑多岐な実例をあげつつ、われわれが毎日のように見かける外国人たちが、日で何を思い、どんな問題に苦しんでいるかを伝えてくれる」という、初心者から上級者(??)まで、おすすめの一冊である。 先行する他ブログの書評http://d.hatena.ne.jp/gkmond/20090225/p1で指摘されているように、「著者は何かを強制するというやり方を信じていない」のはその通りだろうし、「決して一方的に我々を糾弾するではない」のもその通りだろう。*3 ただ、「俺たちが

    出版されて10年になるが、まだ古びていないことは喜ばしいことなのか どうか -ななころびやおき『ブエノス・ディアス、ニッポン』- - もちつけblog・はてなブログ版(仮)
  • 「男性優位社会」が男性の「自己肯定感」に対して及ぼしている影響について

    対話のきっかけ:umeda temaki さんの一連のツイート 下のまとめの中で、umeda temaki さんが感想としてツイートされた中に、今回の対話のきっかけがありました。 まとめ 男性が家事育児の「当事者意識」を持てるようになるには? 「こべに」さんの夫さんから「自分のことを回顧しつつタイトル通りの問題提起」があり、それに対しほかの方から疑問や感想が寄せられたものをまとめました。 39891 pv 207 37 users 41 umeda temaki @temackee 恐らく必要なのは、自身の自己肯定感の低さ、心の弱さ、変化への恐れを認め、受け容れること。 である女性を屈服させたり力を誇示する相手ではなく、信頼関係を築いていくパートナーとして尊重し、同じ目線で接すること。 そして「男」というだけで無駄に負わされている重荷を実感し、下ろすこと。 2015-02-02 17:3

    「男性優位社会」が男性の「自己肯定感」に対して及ぼしている影響について
  • サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

    サービス終了のお知らせ NAVERまとめは2020年9月30日をもちましてサービス終了いたしました。 約11年間、NAVERまとめをご利用・ご愛顧いただき誠にありがとうございました。

    サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ
  • サービス終了のお知らせ

    lotus3000
    lotus3000 2015/01/25
    “飛べない鳥であるペンギンは短翼障害か?”面白い問いだ。サイコパスとはある種の進化形態なんだろう。
  • ネットで悪口は言うが、エゴサ→反論は許さない人々について

    八作🐳㌠ @brikix 人目に触れる場に言葉をかきつける「権利」を主張しつつ、そこで指摘した対象から反論なりなんなりが返ってくることへの「自由な感想を言う権利を侵害された!」という反応というのは、やはりずいぶん根が深いんだろうと思う。「公の場」には相手がいるという、そのこと自体への不満なんだろうか。 八作🐳㌠ @brikix ○○はゴミ、とか実名で書いて、当の人から反論がくると、自分の名前で検索していやがる、粘着だ! みたいに反応するということは、ネットはその人にとって、非対称な空間なのだと思う。自分が悪口を書く自由はあり、相手に反論の権利はない。それがごく自然に信じられているというか。

    ネットで悪口は言うが、エゴサ→反論は許さない人々について
  • なぜ僕らは『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』を立ち上げたのか?

    書店に行くといつの頃からか目につくようになった、いわゆる「嫌韓嫌中」。電車に乗れば中吊りにも、駅売店のビラにも「嫌韓嫌中」を煽る雑誌や夕刊紙の広告が並びます。路上ではヘイトスピーチ(差別煽動表現)が横行し、排外主義が私たちを覆い始めていることを感じずにはいられません。こうした風潮に、出版業界内から「NOヘイト!」の声を上げはじめたのが「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会」です。設立された経緯や行ってきた活動、またこれからの展望について、メンバー3人にお話を伺いました。 写真右から:岩下結(いわした・ゆう)1979年生まれ。社会科学系出版社勤務。真鍋かおる(まなべ・かおる)1964年生まれ。人文系出版社勤務。森幸子(もり・さちこ)1976年生まれ。小規模総合出版社勤務。 会の立ち上げを フェイスブックで呼びかけたわけ ――まず「ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者

    なぜ僕らは『ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会』を立ち上げたのか?
  • 小池隆太氏は『「知」の欺瞞』を読んだのか?

    小池隆太氏は『「知」の欺瞞』を読んだのか? 小池隆太氏の「ニセ・クリティーク: 5. 『知の欺瞞』の欺瞞」へのコメント 2001年5月3日微更新 (2001年4月30日公開) ★『「知」の欺瞞』は大学新入生におすすめ!★ 小池隆太氏は『「知」の欺瞞』を当に読んだんでしょうかね? 自分自身が『「知」の欺瞞』のターゲットになっていると自覚してしまった方がどのようになってしまうかの典型例に興味のある方は「ニセ・クリティーク: 5. 『知の欺瞞』の欺瞞」を読むと良い。 1971年京都市生まれの小池隆太氏による「『知の欺瞞』の欺瞞」は2000年9月5日に公開されました。菊池誠さんの書評にある『「知」の欺瞞』は『トンデモの世界』説への反応から始まってますが、公開された当初は菊池書評への言及がありませんでした。しばらくして、同じ大学内にいる菊池さん人からメールが届いたので、あわてて言い訳とリンクを

  • 「疑似科学批判クラスタ」とか「歴史修正主義を批判する人」とか - 法華狼の日記

    いくつか思うことはあるのだが、とりあえず個別に応答する一例として。 はてなブックマーク - 「疑似科学」の範囲のややこしさ、あとことばでくくること - 誰がログ id:lastline 主語がでかい問題。なんかよくわからんのだが、歴史修正主義を批判する人って前提条件をすっ飛ばしすぎだと思うんだよなぁ。だから、主語がでかく限定しないで話し出す 2014/09/11 「主語がでかい問題」ととらえたあとに、「歴史修正主義を批判する人」と主語を大きくする不思議。 ところでlastline氏には以前にIDコールして異論をとなえたのだが、応答がなかった。限定して話していたわけだが、私は「歴史修正主義を批判する人」にふくまれないのだろうか。 ワタミ批判者が、ノルマが厳しくなった社員への同情を批判理由に加えたら「ワタミそのものに反対だったのに、利用する始末」といわれなければならないの? - 法華狼の日記

    「疑似科学批判クラスタ」とか「歴史修正主義を批判する人」とか - 法華狼の日記
  • なぜ朝日は謝罪すべきではなかったのか 情報提供者を裏切り、公権力の監視を放棄

    今回の朝日新聞社の「吉田調書報道」をめぐる謝罪を受けて、恐らく同社には今後、内部告発的な重要情報は入らなくなるであろう。また、同社にだけは情報源が特定されると支障のある情報を流してはいけない。その情報提供者を平気で裏切ることもやりかねない体質になってしまっているからだ。 吉田調書の存在は、政権や東京電力にとって非常にナーバスなものだった。原子力発電所を再稼働させて利益を出したい東電をはじめとする電力会社。一方、日経団連が政治献金を復活させるように、財界による政治献金復活を期待する自民党。その財界の主軸を担ってきたのが東電だが、今の経営状況では政治献金どころではないので、早く原発を再稼働させて収益を安定させたい。吉田調書が表に出て「再稼働は当に大丈夫なのか」と国民目線でチェックされ始め、再稼働に向けての大きな「障壁」となるのは避けたいところだった。 報道は、原発再稼働の在り方に問題意識

    なぜ朝日は謝罪すべきではなかったのか 情報提供者を裏切り、公権力の監視を放棄
  • 中江兆民『三酔人経綸問答』評 - shinichiroinaba's blog

    ゼミでしゃべったことをもとに。 ================== 中江兆民『三酔人経綸問答』というの切迫感とアクチュアリティを支えているのはその独特の問答体、三人のキャラクターが、それぞれある程度一貫した政治思想的なスタンスのみならず、人格的な個性、肉体的な息遣いまでをも割り振られ、論争を繰り広げるという体裁である。これはたとえば丸山真男が指摘している通り、世界的にのみならず、日の思想史上もいくつかの先例を見つけることができるスタイルであるが、その中でもある種の突出性を帯びている。 複数の登場人物のうちの特定の一人、主人公格のキャラクターが、著者自身の思想を仮託され、他のキャラクターたちはこの主人公、すなわちは思想家としての著者自身に対する(仮想)論敵としてありうべき疑問、反論を突き付け、それに対して主人公が応じる、というスタイルは、ひとつのありふれたパターンである。はなはだしい場

    中江兆民『三酔人経綸問答』評 - shinichiroinaba's blog