2015-01-03 地方都市はいつどこで道を誤ったのか 映画「男はつらいよ」シリーズを第一作から順に見ると、昭和の日本が現在とは全く異なる風景をしていることに気づくはずだ。 それは葛飾柴又であってもそうだし、寅さんがめぐる各地の地方はなおさら郷土の独自性がある。青森県の鰺ヶ沢とか、別府とか、いい味出している。 しかし、1980年代のシリーズになると急激に「葛飾柴又」が既視感のある風景になる。ビルの並びとか、住宅とか、江戸川の河川敷とか、京成線の柴又駅とかが、基本的に「今と同じ土台」になっているのだ。つまり、東京の街並みの基本は1980年代に確立されたものなのだというこことだ。それでもさすがに、筑豊や萩の雰囲気はやはり別世界である。 これは同じく東京の城東地域を舞台にした「3年B組金八先生」もそうだ。 第一作や、社会現象にもなった第二作はまだ「寅さん的な雰囲気」が風景に漂っている。しかし、
2015-01-03 北関東的文化の源流 例によってコモンズの引用で、上から茨城・栃木・群馬・福島の県道を比較したものだ。 日本屈指のクルマ社会の北関東では、幹線道路は昭和後半から「片側2~4車線」が基本だが、そうではない旧道沿いはこのように本来の田舎道を残している。しかし、見ての通り、まるでそっくり。その土地にしかない情緒、というものはほとんど見られない。 地方と言えば一般的に、たとえ平野部であろうともその地域にしかない感じというものがあるはずだ。家のつくりもそうだし、関西にはやたら沼地が多かったり、雪国には雪国の、南国には南国の、気候に合った植物の違いがあったりもする。そういった独自性は残念ながら、この4県には存在しない。 こういうとあれかもしれないが、これらの風景は、東京都内にもあるような「ごくありふれた田舎」なのである。つまり、都心の過密地帯しか知らない人であれば自然があることに喜
家業というのは、職人の世界や自営業だけ、と思っているかもしれませんが、産業に乏しい地方においては、公務員もまた家業となっている側面があります。 結論 役所も結局、コネの力が大きく影響する 地方においては主要産業が役所しかないと前回のエントリーで書きましたが、どのような業界でもそうだと思いますが、縁故というものは個人の力を超越した力を持っているものです。スキルアップやら自己啓発以上に、コネ、というものが持つ重みは非常に恐ろしくも強い影響力があります。 地方はムラ社会と言われますが、いくら実力があってもその縁故のネットワークに入れるか否かというのは、今後の就職、仕事の面でも大きく影響します。コネ採用という言葉がありますが、結局採用基準の一つとしては、「こいつはコミュニティの和を乱さないか?」というところが重視され、どこの馬の骨ともわからんやつよりも、○○の紹介、○○の親族の方のほうが信用を担保
S.Shiiku @shinshukeshiiku 変な話、うちの家系はアイヌの中でもかなり有名所の名字を持つ家系なんだが、俺だって自分が育った地域以外のアイヌのコミュニティに入って行くのは大変なんだから。 2014-11-12 18:15:20 S.Shiiku @shinshukeshiiku 極端な話「お前はどの誰だ?」からだからね、それに対してキチンとした説明出来なかったり、ちょっとでも変だな?と思われたら終わり。もうそこには入れないと思った方がいい。 2014-11-12 18:18:45 S.Shiiku @shinshukeshiiku 「どこの誰?」と言う質問に対し「どこそこの○○です」だけで済むかと言えば大間違い!、「自分は▽▽の△△の子孫の○○です、××は自分の□□で、今は◇◇で(以下略)」と長い自己紹介をしなくてはならない、その上で一族親戚に関する質問にも答えられなけ
なりたまさひろ@C104・2日目(8/12月曜日)東ペ-39b @naritamasahiro 9月26日。60年前の今日は、「洞爺丸」ほか計5隻の青函連絡船が台風により遭難するという未曾有の海難事故のあった日です。写真は、北海道北斗市七重浜にある「台風海難者慰霊之碑」 pic.twitter.com/JJBos6tCuX 2014-09-26 00:01:12 なりたまさひろ@C104・2日目(8/12月曜日)東ペ-39b @naritamasahiro 洞爺丸。戦災で壊滅状態となった青函連絡船の再興のため、GHQの許可を取り付けて建造された4隻の大型車載客船のネームシップ。1947(昭和22)年11月21日就航。戦後の混乱期にあって、いち早く新造船による快適な船旅を提供した同船は「海峡の女王」と呼ばれました。 2014-09-26 00:02:29 なりたまさひろ@C104・2日目(8
「ドラゴン桜」が書かない本当の日本の底辺 : 人類応援ブログ 読みました。 学力の二極化はずいぶん前から言われてた問題で聞いたことがあったけど、上記リンクの記事中に「本当の底辺層は可視化されていない」という部分にはっとした。 でも良く考えると、底辺層の人からしても高学歴層の人の実態については見えていないんじゃないかと思う。 だって高学歴層の人たちの姿ってテレビなんかで取り上げられて見える化してるとはいっても、それはテレビの中の話であって日常生活の共通体験みたいなのが何一つとして存在しないから。 俺は生まれも育ちも田舎者なんですけど、そこに住むほとんどすべての人たちは教育環境に選択の余地がほとんどないと言っていい。 保育園や幼稚園を卒園すると、それぞれの校区の公立小学校に入学し、また既定の公立中学に進学する。 高校受験でやっと選択の余地が出てくるけど、ほとんどは地元の公立高校(5校くらい)か
極点社会 ~新たな人口減少クライシス~ - NHK クローズアップ現代 先日のNHK 『クローズアップ現代』は、東京への一極集中と過疎地の消滅、そして日本全体の出生率低下についての特集だった。かじりつくように視聴した。 地方の幹線道路沿いに住んでいると、こうした過疎や出生率の問題は肌感覚としてなんとなくわかる。朝、ニュータウンの通学路を歩く子どもの姿が少なくなり、ファスト風土の賑わいがゆっくり縮退しているエリアも目にうつる。そういうエリアでは、老人介護施設だけがピカピカの威容を誇っているのが常だ。 ところが、番組で放送されていた内容は、そうした肌感覚の一歩先を行っていた。NHKの集計によれば、全国市町村の1/5ではお年寄りの数が減少に転じているという。老人介護施設に入所するお年寄りすら減少していく超過疎地の現状――これはまだ、私の体感レベルではピンと来ていなかった。じきに体感レベルでわかる
娘が保育園を卒園した。 0歳児から6年間預けた。子どもは一人しかいないので、おそらくこれで保育園とはおさらばだろう。 保護者会の会長を最後の1年間つとめた。 園の存続が大問題になり、ぼくとしてはこれに明け暮れた1年だった。いったい保育園が消えてなくなるかもしれない、という事態なのに、「保育の向上」を組織目的にかかげる保護者会が何もしなくてどうする、というのがぼくの思いだった。 今はまだ詳しく書けないが、かなりのことができたと思う。しかもそれはぼくにしかできないことでもあった。支えてくれる人がたくさんいて、心底うれしかった。 組織体としてもPTA的形骸化が進みつつあった中で、久しぶりに自主的な運動の息吹をとりもどしたと感じた。 この運動の中で感じたことは、「文書にして意思を示す」ということの大事さだった。特に、お役所との関係では、決定的である。 地域(地元の町内会のようなもの)に要請というか
国は、施設などで暮らす障害者に地域のグループホームなどに移って生活してもらう「地域生活移行」を進めていますが、こうしたグループホームに対する周辺住民の反対運動が、過去5年間に全国で少なくとも58件起き、建設断念に追い込まれるケースもあることが、NHKの取材で分かりました。 国は、障害のある人に地域の一般の住宅で暮らしてもらう「地域生活移行」を進めていて、各地でグループホームやケアホームの開設が進められていますが、周辺住民から反対運動が起きるケースが全国で相次いでいます。 NHKが全国の都道府県と政令指定都市を対象に、過去5年間に起きた反対運動の件数を尋ねたところ、少なくとも58件に上ることが分かりました。 また、精神障害がある人と知的障害がある人の2つの家族会にも同様の調査を行ったところ、全国で合わせて60件の反対運動が起きていることが分かりました。 このうち家族会の調査では、反対運動を受
台風18号水害の被害状況が、日を追うごとに明らかになってきた。築堤に伴う集団移転後の被災で注目が集まる戸田地区から南西に少し離れた土地区は、住宅の大半が浸水する大被害を受けていた。被災情報が外部に伝わっていないという孤立感を抱えて4日間を過ごした住民たち。少ない人手で泥出しなどの復旧作業が続き、疲れ果てている。 市がまとめた被害状況(19日午後4時現在)によると、浸水家屋数が一番多い自治会が土と判明した。しかし、被災後から3日間は、土が大被害を受けたという情報が市民の耳に入ることはほとんどなかった。 20日に集落を訪れて出会った住民たちが最初に口にする言葉は「なんで土が被災したことが、どこにも伝わっていないの?」だった。 約140戸のうち約100戸が浸水した。住民の証言によると、由良川からあふれた水と、別方向からの内水とに挟まれて水が一気に増したという。9年前の台風23号の時より水か
「熱心な人たち」とお大師講―北波多村における講の存続をめぐって− 井手正広 【要旨】 本研究では、お大師講という民俗信仰の場について、佐賀県旧北波多村で実地調査を行い、信仰に対して「熱心な人たち」が少なくなってきている現在における、 講の変化やさまざまな取り組みを明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は次のとおりである。 1、どの集落においても、昔と比べて「熱心な人たち」が少なくなっている。またはすでにいなくなっている集落もある。 2、現在もお大師講が残っている集落の特徴としては、農業人口が多く集落内のつながりが比較的強いことが挙げられる。 3、「熱心な人たち」が存在している集落においては、お大師講における「熱心な人たち」の態度やあり方によって、お大師講が健全であるかどうかが決まってくる。 4、「熱心な人たち」がいなくなった集落のお大師講は、地域の「集い」の場へと変化するか、また
日向灘に面する観光名所、宮崎県日南市の鵜戸神宮が、古事記編さん1300年を記念し、来月3、4の両日、古事記にも登場する神宝「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」を戦後初めて一般公開する。潮の満ち引きを操る玉とされ、本部雅裕宮司(61)は「本殿は過去の津波で大きな被害を受けたことがなく、鵜戸神宮にとって御利益のある大切な玉。ぜひ見に来てほしい」と話す。 「潮満珠」は丸い水晶型、「潮涸珠」は大きさの違う円柱を4段重ねた形で約5〜7センチ。古事記には、初代天皇(神武天皇)の祖父に当たるホオリ(山幸彦)が海の神様ワタツミから授かり、釣り針を巡ってけんかした兄のホデリ(海幸彦)を「潮満珠」でおぼれさせた後、「潮涸珠」で助けてひざまずかせたと書かれている。 鵜戸神宮によると、70年の社務所の火災で記録が焼失し、神宝をいつから保管しているかは不明だが、同神宮の明治9年の「御神宝台帳」に記録
八重山でも角筆文を発見1998年2月15日 Tweet 【石垣】角筆文献の調査を行なっている徳島文理大学の小林芳規教授と広島大学の吉沢康和名誉教授は石垣市立八重山博物館の所蔵文献十冊に角筆文が残されていることを発見した。小林教授らは先に県立図書館でも調査を行い角筆文の存在を確認していた。 八重山博物館での調査では「孟子集註巻四」に「曰」(のたまわく)の横に「ノタバク」と本土では姿を消した万葉時代の言葉が角筆で記されている発見があり小林教授は「貴重な発見」と高く評価。また同書の仮表紙には手紙文と見られる全国で初めてという白紙全面に書かれた角筆文も確認された。 沖縄本島と八重山の違いについても「今日」の横に「キフ」と書かれた角筆文字を確認。「カ行がタ行に変化する本島に対してここではキと発音されていることも確認できた」と小林教授は角筆文献調査の重要性を喚起。「文献修理の際に消えてしまっ
芸能・文化 『続編 琉球王国秘話』 700年の王統史 分かりやすく2011年11月13日 Tweet 『続編 琉球王国秘話』長田昌明著 わらべ書房・1890円 本書は、実在した最初の王とされる英祖王統から第二尚氏王統までの歴代国王に焦点をあて、それぞれの治世に起こったできごとをまとめた王統史である。 今回は続編で、薩摩の侵攻をうけた尚寧からはじまり、琉球王国最後の王となった尚泰までが紹介されており、『琉球王国秘話』は前編と合わせて完結したことになる。 著者は「琉球に国王がいたことを知る人は多いが、歴代の国王が何をしたかを知る人は少ない」との認識から、歴代国王の足跡を縦軸に、羽地朝秀や蔡温、儀間真常などそれぞれの時代に活躍した先人の業績や重大事件を横軸にして、翻弄(ほんろう)された因縁の島を浮かび上がらせようとしたのであろう。 とりわけ尚泰王時代の琉球処分の項目を読むと、現代に通ずる
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